●特集=新しい漢文授業のすすめ き、まず第一に大切なのは、漢文が が二つある。句形や難語句はさてお あ 安 だち のり 典 よ 世 (浜松南高等学校) 二 授業の展開 立 家電と言えば何色? ──一海知義「桃いろいろ」 【授業実践案】 一 漢文 を扱う前に ──国と時代のハードル の色なのだそうだ。さぞかし室内が 蔵庫も洗濯機もエアコンも赤が主力 だが、中国では赤家電が中心で、冷 えば白家電と呼ばれるほど白が定番 品の話である。日本で家電製品とい ふとこんな話を思い出した。電化製 このところのハードルが思いの外高 に寄り添わなくてはいけない……こ る。時代が古い上に、外国人の思考 独特のものの見方、考え方なのであ 最も理解しがたいのは古代中国人の に と っ て 難 し い の は 句 形 で は な い。 あるということだ。実は、生徒たち と、もう一つは漢文が外国の文章で か ら は、 誠 実さの たと え (理想的な こ と が 読 み 取 れ る。 『史記』の言葉 嫁の美しさや一族の繁栄につながる わ る。『 詩 経 』 の 例 か ら は、 桃 が 花 さが人々を引きつけていたことが伝 や王維の詩からは、桃の花の鮮やか 桃の関わりをまとめさせたい。杜甫 ずは、本文に書かれている中国人と 一海知義「桃いろいろ」を読んで、 古代人の書いた文章であるというこ この教材を扱うにあたっては、ま みは国によって様々、日本人の常識 落ち着かないことと思うが、色の好 メ ー ジ が 沸 き 立 っ て こ よ う。 ま た、 人間の在り方) 、李白の文からは、人 陶淵明の描く桃源郷では、老荘思想 いのである。 ……まずは、違うということを実感 を踏まえたユートピアの入り口を桃 だ け で も の を 見 る こ と が、 い か に するために、日本人の桜、中国人の 間 界 を 離 れ た 別 天 地 ( 仙 界 )の イ 桃に着眼したこの教材は、中国文学 の花が飾り立てている。 偏っているかを実感するエピソード 中国人と日本人の感性は全く違う 筆者が漢文を授業で扱うとき、いつ さ て、 冒 頭 か ら 話 題 が そ れ た が、 へのよい導入になるといえよう。 である。 もこれが核心と肝に念じていること ─ 19 ─ あるが、強く言えることは、桃が中 桃の喚起するイメージは様々では 梅の花ではあるのだけれど) 。桃 の 花 の植物といえば、奈良時代は圧倒的に いう歌が有名だ (もちろん中国由来 か。卒業式や入学式に漂うおめでた 生徒の心の中にある桜は何であろう 句を投げかけてもいいかもしれない。 いムードの裏側には、別れの寂しさ 国人にとって、理想的なもの、おめ でたいもの、すばらしいものとして、 の鮮やかな紅色と乙女のみずみずし や新生活への不安感が寄り添ってい 0 い美しさが互いに強め合う、これも 0 また読む者をうっとりとさせる歌だ。 る。誰もが桜に様々な思いを重ねて 見ていることだろう。歌謡曲にも桜 0 憧れをあつめ、とても親しまれてい をテーマにしたものが数多い。桜は 0 た も の だ と い う こ と だ。 あ る 意 味、 た中国の感覚がずっと日本に根付い 現代日本人に対しても、物思いをさ かぐわしい実のイメージも重なって かさもさることながら、桃がつける いが反映されているかと言えば、中 を深く占めるに至った桜にどんな思 いていく。そして、日本人の心の中 日本人の花の好みは急速に桜へと傾 そいとど桜はめでたけれ浮き世にな な 歌 を 紹 介 し て も い い。「 散 れ ば こ していよう。無常観といえば、こん ことはない、といった無常観も存在 の中には、時は流れて、二度と戻る 0 人間世界を離れた別天地の夢に人々 しかしながら、こうして輸入され せる花なのだ。そして、その物思い 中国人と桃との関わり、桃の持つ いっそう桜はすばらしい。この浮き世 う気持ちばかりではあり得なかった。 に か 久 し か る べ き ( 散 る か ら こ そ 国人の桃のように、おめでたいとい に何が永遠であろうか) 」(『 伊 勢 物 0 たかというとそうではなかった。遣 イメージを押さえられたら、次は発 むしろ、せつないようなやるせない 語』) 0 を誘うものとして、うっとりとした 唐 使 が 廃 止 さ れ、 国 風 化 が 進 む と、 展として、日本人の花をめぐる感覚 ような、ひどく複雑に屈折した思い 0 言えるだろう。これは桃の花の華や 気持ちを起こさせる花であったとも について考えさせたい。 がこめられていると言えるのではな 桃の華やかさに対する憧れは、万 きているに違いない。 葉 人 に も 影 響 を 与 え て い た よ う で、 いか。 桜かな」という句がある。日本人と このように中国人と日本人の好み 三 まとめ ──古典を読む姿勢 大伴家持による「春の苑紅にほふ桃 桜の関わりを押さえる時には、この の花下照る道に出で立つをとめ (春 芭蕉に「さまざまなこと思い出す の庭は紅に美しく輝いている。桃の花 は 花 一 つ と っ て も 全 く 違 っ て い る。 が照り映える道に立つおとめよ) 」と ─ 20 ─ その理由を考えさせるのも面白かろ 桃」という桃も非常に赤い花をつけ モ」の一種や、中国原産の「赤花蟠 様 で あ る。 花 を 鑑 賞 す る「 ハ ナ モ とても伝統的で奥深い問題なのかも ら、桜と桃の好みの違いにつながる が好き。そしてそれは、もしかした か。日本人は白が好き。中国人は赤 ばん う。おそらくは風土の違い、抱えて るという。杜甫が「欲 レ然 」 と 表 現 とう きた歴史の違いというものが、それ し、家持が「紅にほふ」とうたった ㋓ン㋣ ぞれの国民の精神性の骨身に達する 桃の種類がどのようなものだったか、 ㋜ ほど深い影を落としているというこ をみて、どうしてもくどい、重たい 赤くてぽってりした花を咲かせる桃 喚起されるイメージがある。古代の れ な い。 一 つ 一 つ の 単 語 に よ っ て、 解していないと、本当の感動は生ま その国の社会背景、文化的土壌を理 ……こういう答えが、この教材を読 日本で「花」とだけいえば、ウ メの花をさした時代があったよう ですが、今はサクラの花をさすの が ふ つ う で す。 中 国 で は ど う で しょうか。 そう おうようしゆう らくよう ぼ たん 宋代の詩人欧陽脩の「洛陽牡丹 き 記」という文章に、つぎのような 一節があります。 なに 洛 陽 の 人、 …… 花 を 某 の 花、 い 某の花、と曰ふ。牡丹に至り すなは た ては、則ち名づけず。直だ花 とのみ曰ふ。 これを読んで、花とだけいえば 中国人は牡丹をさすのだな、と早 合点してはいけません。…… ﹃国語総合 古典編﹄ 一海知義 ﹁桃いろいろ﹂ しれない。 とが実感できるはずだ。 に、今後調べていきたい点である。 もちろん、私たちは日本人である。 こちらも古代人の感覚をつかむため だから、中国人の愛する桃を中国人 と思ってしまう。しかし、きっと中 のようには理解できない。桜よりも 文学作品を読む上では、その時代、 国人は桜を色がうすくてつまらない 拠して作品を作り上げている。作品 作者たちは、そういうイメージに依 を読み取る我々は、ひとしずくでも と思っているに違いない。感性の違 多く、そのイメージをくみ取ろうと い、感覚の違いを乗り越えて古典を まずは違うのだという気持ちで読む 読 む こ と は 容 易 で は な い。 し か し、 する姿勢が大切なのだ。 * ことの大切さを強調しておきたいも のだ。 また、我々現代日本人がイメージ Q 「家電といえば何色?」 ンクの花だが、調べてみると桃の花 み終わったときに返ってくるだろう する桃の花は、雛祭りに飾られるピ A「 時 代 も 国 も 変 わ れ ば 様 々。 」 も白っぽいものから鮮紅まで多種多 ─ 21 ─ 国総 312
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