第11回連載・医療と知財を考える 弁理⼠ 平⼭晃⼆ 更新⽇:2012年9⽉4⽇ ⽕曜⽇ 医薬と特許 その2 今回は前回に引き続き、医薬と特許についてお話しします。 前回は、2010年問題というキーワードを契機として、医薬は特許権で守られていること、また、先発医薬品の特許が切れた後 にジェネリック医薬品が登場することを確認しました。そして、医薬開発(創薬)のプロセスと特許権による保護期間との関 係をみながら、特許権に基づく利益を最⼤限享受するためには、開発と特許による独占期間をシンクロさせることが重要であ ることをお話ししました。 私たちが健やかに⽣活するためになくてはならない医薬を共通項とするさまざまなトピックをとりあげることで、知財(特 許)への理解をさらに深めて頂ければ幸いです。 医薬発明の種類 特許法上、発明は、「物」の発明、「⽅法」の発明、「物を⽣産する⽅法(製造⽅法)」の発明という3つのカテゴリーに区 分されます(特許法第2条第3項)。これらの区分の違いにより権利の効⼒が異なります。 医薬発明の典型的な例は、化学物質の発明です。例えば、研究により薬効があることが⾒出された化学物質が新しいものであ れば(新規性があれば)、その化学物質の発明について「物」の発明として特許をとれる可能性があります。「物」の発明の 権利の効⼒は、その物を⽣産、使⽤、譲渡、輸出、輸⼊等をする⾏為に及びます。 また、化学物質⾃体は既知で新しいものではなかった(新規性がない)としても、医薬として使⽤できることが知られていな かった場合には、その化学物質の医薬⽤途(薬効)について、いわゆる⽤途発明として特許をとれる可能性があります。⽤途 発明は、特定の⽤途に使⽤するための「物」の発明です。さらに、その化学物質について従来知られている薬効と異なる、新 しい薬効が⾒出された場合は、その化学物質の新たな薬効(⽤途)について第⼆医薬⽤途発明として⽤途特許をとれる可能性 もあります。 ⽤途発明/第⼆医薬⽤途発明は、特定の⽤途や第⼆医薬⽤途に使⽤するための「物」の発明です。特許の効⼒は、⽤途や第⼆ 医薬⽤途のためにその物を⽣産、使⽤、譲渡、輸出、輸⼊等をする⾏為に及びます。 ひとくちに医薬発明と⾔っても、これらのほかにも、薬効をもつ化学物質を製造するための⽅法についての発明(「製造⽅ 法」の発明)、化学物質を製造する過程の中間体についての発明(「物」の発明)、化学物質と添加剤の組合せからなる医薬 組成物(製剤)の発明(「物」の発明)、化学物質のスクリーニング⽅法についての発明(「⽅法」の発明)など、さまざま な種類があります。 「⽅法」の発明の権利の効⼒は、その⽅法を使⽤する⾏為に及びます。スクリーニング⽅法についての特許は、スクリーニン グする⾏為については権利の効⼒が及びますが、例えば、スクリーニング⽅法により選別された化学物質⾃体には権利の効⼒ は及びません。⼀⽅、「製造⽅法」の発明の権利の効⼒は、その⽅法を使⽤する⾏為のほか、その⽅法により⽣産した物を使 ⽤、譲渡、輸出、輸⼊等をする⾏為にも及びます。 医薬特許のライフサイクルマネジメント 特許権は、「⼀定の期間(原則として出願から20年)に限って特許発明を独占的に実施できる」という⾮常に強⼒な権利で す。製薬企業は、医薬の開発に費やした投資・コストを回収し、次なる研究開発の資⾦を獲得するために、特許制度を駆使し て複数の種類の特許で多⾯的に医薬品を保護するように努めています。 例えば、ひとつの医薬品について、はじめは化学物質発明として出願して権利を取得し、続いてその化学物質の効率のよい製 造⽅法に関する発明について権利を取得し、さらに市場のニーズに合わせて化学物質と添加剤とを組み合わせた組成物につい て製剤の発明として権利を取得することなどが挙げられます。 複数の異なる発明を時期をずらして出願し権利を取得することにより、それぞれの特許権の存続期間はそれぞれの出願から20 年であることから、権利の消滅時期もずれるため、医薬品の独占期間を実質的に延⻑することができます。ジェネリック医薬 品の参⼊をできる限り遅らせることで、独占による利益を最⼤限享受することができます。 このように医薬品の独占期間を延⻑しようとする戦略は、「エバーグリーニング戦略」とも呼ばれています。エバーグリーン (evergreen)とは「常緑の」「いつまでも新鮮な」という意味を持つことばです。 ジェネリック医薬品の普及を広め、国の医療費負担を抑制するという観点からは、独占期間が徒に延⻑されジェネリック医薬 品の参⼊が妨げられることは、必ずしも好ましい状況ではないかもしれません。しかし、「産業の発達に寄与する有⽤な発明 に対して⼀定期間、独占排他的な権利を付与する」という特許制度の本来的仕組みを有効活⽤している例とみることができま す。 特許権に基づく利益を充分に享受できなければ、多⼤な研究開発コストのために製薬企業の経営は破たんすることにもなるで しょうし、次なる開発を⾏うことができなければ、新しい医薬を世の中に提供していくという社会的使命を果たすこともでき ないのです。 ドラッグリポジショニングと特許権の効⼒ 前回とりあげた2010年問題とも関連して新薬開発のための⼿法が注⽬されるなかで、ドラッグリポジショニング⼜はドラッグ リプロファイリングという研究⼿法が提案されています。ドラッグリポジショニングとは、「上市品や臨床開発段階で中断し た既存の薬剤を新規効能として再利⽤あるいは再⽣させる」ものです。通常、医薬の開発(創薬)には相当な時間と費⽤を要 するところ、ドラッグリポジショニングは、開発期間の短縮とコストの軽減ができる点でメリットがあると⾔われています。 (「ドラッグ・リポジショニングと希少疾患イノベーション」、⾠⺒邦彦、政策研ニュース、No.35、p.1、医薬産業政策研究 所、2012年3⽉より引⽤) もともとは循環器系の治療薬であったものから、バイアグラ(シルデナフィル、勃起障害治療薬)やリアップ(ミノキシジ ル、発⽑剤)が開発されたことはドラッグリポジショニングの成功例として挙げられています。 このドラッグリポジショニングを特許の観点から考えてみます。既に特許が付与されている化学物質について、特許期間が切 れる前に、ドラッグリポジショニングのために研究を⾏うことはできるでしょうか。 「物」の発明の権利の効⼒は、その物を⽣産、使⽤、譲渡、輸出、輸⼊等をする⾏為に及びます。従って、化学物質を⽣産、 使⽤等する⾏為はその化学物質の特許を侵害する⾏為です。しかし、特許権の効⼒には例外があり、例えば、試験・研究のた めにする特許発明の実施には特許権の効⼒が及びません(特許法69条)。従って、特許法上の「試験・研究」の範囲内では、 特許が付与されている化学物質について、特許期間が切れる前に、ドラッグリポジショニング研究をすることは可能ですし、 研究成果について特許出願することも可能と⾔えます。 どのような⾏為が法律で⾔う「試験・研究」にあたるかは実際の事案に即して判断され解釈の余地がありますが、少なくと も、先発医薬品の特許がある場合に後発医薬品について厚⽣労働省に製造承認を得る申請をするためのデータを取得する⾏為 は判例で適法とされています。 但し、これと別の問題として「利⽤発明」という概念があります。例えば、ドラッグリポジショニング研究により、第⼆医薬 ⽤途の発明がされたとします。先に存在している特許権の対象である化学物質について新たな効能を発⾒した場合がこれにあ たります。第⼆医薬⽤途の発明を実施する際には、必ず先の化学物質の発明を利⽤しなければならないという関係です。この 場合、第⼆医薬⽤途発明が特許になったとしても、これを実施するためには、化学物質の特許の特許権者からその化学物質の 特許について実施許諾を得る必要があります。 医薬品アクセス問題 医薬と特許(知財)との関係を⽰すキーワードとして、医薬品アクセス問題も忘れてはいけません。外務省のホームページに は、医薬品アクセスについて次のように解説されています。 「(WTO)新ラウンドの途上国関連問題の⼀つ。 アフリカ等途上国を中⼼とした感染症(特にHIV/AIDS、マラリア及び結核)の蔓延を背景に、特許制度により医薬品が⾼ 価になったり、コピー薬の⽣産・使⽤・輸⼊等が制限される結果、医薬品へのアクセスを阻害しているとの指摘がなされてき ている。 これに対し、先進国は、TRIPS協定をはじめとする知的所有権制度に関する対処だけですべてが解決可能なわけではなく、 これらはあくまでも総合的対策の⼀つの側⾯にすぎないことに留意すべきであり、医薬品開発の促進のためには特許制度は必 要である旨主張してきている。 感染症に対する社会的関⼼の⾼さもあり、ドーハ閣僚会議において『TRIPS協定と公衆の健康に関する宣⾔』が採択され、 特に医薬品⽣産能⼒のない国への対策について検討することとされている。途上国関連問題の中でも⼀つの象徴的な問題と なっている。」 特に途上国の患者がエイズやマラリアなどの治療薬を充分に⼊⼿できていないという状況は、命にかかわる重要な問題であ り、世界的に解決すべき問題であることは間違いありません。この医薬品アクセス問題に知財(特許)が結び付けられ、特許 があるために治療薬が⾼くなり、コピー薬が作れないとして、「知財は悪だ」と短絡的に結論付ける運動が⼀部の学者、市⺠ グループ、ジェネリックメーカー等に拡がったのです。 筆者は、2010年〜2011年にかけて国連の専⾨機関である世界知的所有権機関の外交会議(特許法常設委員会、スイス・ジュ ネーブ)に出席する機会を得ました。全世界の80を超える国や地域の政府代表が集まる会議において、「特許の存在によって 薬にアクセスできない⼈が何千といる」というような途上国の政府代表の発⾔を⽬の当たりにしました。 しかし、この問題の根本には、政治や経済の状況が不安定であったり、病院施設等の医療基盤が脆弱であったりという途上国 ⾃体の事情があるのであって、治療薬の価格を安くしたからといって問題が解決するものでもないと考えられます。命と特許 (知財)を天秤にかけられるものではありませんし、知財が蔑にされてもよいというものでもありません。 ***** 私たちにとって⾝近で重要な存在である医薬は、知財(特許)と密接な関係があります。知財をフィルターにして医薬をみる ことで、普段とは違った⾵景が⾒えてくるかもしれません。前回と今回の2回では、まだまだお話ししきれないこともあります が、今後も機会をみつけてご紹介していきたいと思います。読者の皆さんのご興味を少しでも満たすことができていれば幸い です。 注:本論稿は、著者の個⼈的⾒解を⽰したものであって、著者が所属する団体等の意⾒・⾒解を⽰すものではありません。ま た、本論稿は、個別具体的案件に対する法的助⾔を提供するものではなく、本論稿に依拠して何らかの損害を被った場合で も、著者または本サイトが責任を負うものではありません。 執筆者プロフィール 平⼭晃⼆ ⽒ (ひらやまこうじ) 平和国際特許事務所 弁理⼠ ⽇本弁理⼠会国際活動センターにおいて知的財産に関する国際政策の⽐較研 究・提⾔を⾏うほか、世界知的所有権機関(スイス、ジュネーブ)の締約国 会議(特許法常設委員会)に同会代表として出席(2010年1⽉、10⽉、 2011年5⽉)。同会関東⽀部常設特許相談室の相談員として活動。⽶国知的 財産権法協会、アジア弁理⼠協会、⽇本国際知的財産保護協会、等に所属。 2009年より慶應義塾⼤学⼤学院健康マネジメント研究科にて⾮常勤講師。 ⽶国パテントエージェント試験合格 東京⼯業⼤学⼤学院修了 中央⼤学法学部卒業 ⽶国ジョージ・ワシントン⼤学ロースクール修了 (Master of Laws in Intellectual Property Law)
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