京都大学霊長類研究所 春期セミナー 2003/3/6∼3/8 霊長類研究所・春期セミナー プログラム 2003年 3月6日(木)∼8日(土) 3月6日(木) 司会役:マイク・ハフマン 09:30-10:00 受付(玄関ロビー) 10:00-10:10 所長挨拶・ガイダンス 10:10-10:55 濱田 穣(系統進化分科・形態進化分野):「霊長類のロコモーション-木登りから 小嶋 祥三 直立 2 歩行まで」 10:55-11:05 アンケート回収 11:05-11:50 高井 正成(系統進化分科・系統発生分野):「アジアの化石霊長類の研究」 11:50-13:00 <昼食> 司会役:國松 豊 13:00-13:45 森 明雄(社会生態分科・社会構造分野):「マントヒヒの社会構造」 13:45-14:30 庄武 孝義(進化遺伝分科・集団遺伝分野):「遺伝学からみたヒヒ類の種分化」 14:30-14:40 14:40-16:00 <休憩> 所内見学(40 分X2カ所) 16:00-16:10 16:10-16:55 <移動・休憩> 上原 重男(社会生態分科・生態機構分野):「類人猿研究の現在」 16:5518:30- 生物科学専攻霊長類学系ガイダンス:上野 吉一(霊長類学系教官会議副議長) 懇親会(一階・大会議室にて) 3月7日(金) 司会役:田中 正之 09:20-10:05 友永 雅己(思考言語分科・思考言語分野):「チンパンジーの心を探る」 10:05-10:50 泉 明宏(認知学習分科・認知学習分野):「霊長類の聴覚と音声」 10:50-11:00 11:00-11:45 <休憩> 三上 章允(高次脳機能分科・行動発現分野) :「霊長類の脳を探る」 11:45-13:00 <昼食> 司会役:浅岡 一雄 13:00-13:45 大石 高生・清水慶子(分子生理分科・器官調節分野):「霊長類の発達・加齢」 13:45-14:30 浅岡 一雄(生物化学分科・遺伝子情報分野) : 「メッセンジャー配列データの大規 模集積と遺伝子新機能の発見法」 -1- 14:30-14:40 14:40-15:25 <休憩> 景山 節(実験動物学分科・人類進化モデル研究センター) : 「サル類の感染症と遺 伝性疾患の分子生物学」 15:25-16:10 室山 泰之(社会生態分科・ニホンザル野外観察施設) : 「ニホンザルの保全と被害 管理」 司会役:マイク・ハフマン 16:10-17:00 17:00 質問応答(講師全員) <解散> 3月8日(土)大学院受験者のための懇談会 司会役:マイク・ハフマン 09:30-10:30 各分科・分野教官との懇談会(1) 10:30-11:30 各分科・分野教官との懇談会(2) <参考図書> ・ 京都大学霊長類研究所・編「サル学なんでも小事典」講談社ブルーバックス ・ 西田利貞,上原重男・編「霊長類学を学ぶ人のために」世界思想社 ・ イミダス特別編集「人類の起源」集英社 ・ 松沢哲郎,長谷川寿一・編「心の進化」岩波書店 -2- 「 霊 長 類 の ロ コ モ ー シ ョ ン- 木 登 り か ら 直 立 2 足 歩 行 ま で 」 濱田 穣(系統進化分科・形態進化分野) 動物はそれぞれの生活スタイルと生活環境の運動特性に合致したような体のつくり(形態・構造)を持っている。 水中に棲み遊泳する魚類は流線型の体をしている。空中を飛翔する鳥類の翼は揚力を作る断面形状を持つ。平 原を高速走行する有蹄類は、長い四肢や蹄をもっている。そういった中でヒトやサル類を含む哺乳類グループの ひとつ霊長類は、どういった環境の運動特性にあわせた身体形態を持っているのだろうか。 霊長類は樹上生活空間へ適応した。そこでの生活の第一条件は、木から落ちないことである。リスなどの他の多 くの動物は、鉤爪を使う。一方、霊長類は手足で枝などを把握する。把握支持は、カメレオン・コアラなどもそうだが、 霊長類の特徴は親指(拇指)と他の指の間で握ること(拇指対向性)である。さらに樹上空間では、解決すべき課 題は多い。支持基体(substrate、体を支える場所や物)に強い傾斜があり、それらの間に距離があること(Gap)だ。 こういった課題に加えて、時間とエネルギーの経済へも対処しなければならない。すなわち安全性を確保しながら、 直線的なルートをとってスピードをあげることだ。さらに体のサイズも適応要件となる。 樹上生活空間には、こういった複数の課題があるが、霊長類のロコモーションに関連した共通する特徴はつぎの ようにまとめられる: ・ 後肢に偏った体重維持と推進力 ・ 胴体を垂直に保とうとする傾向 ・ ストライドが長い、歩行周期が長い ・ 四肢振回し角度が大きい、特に前方への ・ 手足の接地パターンが対角線順( Diagonal sequence 前方交叉型、他哺乳類の大多数は側順 Lateral sequence 後方交叉型) こういった運動特性の身体形態への反映として、体重の割に四肢が長く骨が太いこと、鎖骨が残っていること、 5 本指、平爪であること、手のひらと足の裏に摩擦性皮膚の発達、立体視のできる両眼等があげられる。 このような共通性の一方で、霊長類のロコモーションと身体形態は多様である。小型の霊長類は基本的身体形 態で姿勢維持や運動は容易だが、大型化すると比較的特殊な運動を発達させる必要が生じた:跳躍・ぶら下がり などの多様な運動である。このようにして分類群ごとに特徴的なロコモーションが見られる:ゆっくりとした木登り型 のロリス類、しがみつき・跳躍型のキツネザル類、跳躍型のギャラゴ類、鉤爪型のマーモセット類、樹上四足歩行・ ぶら下り(尾も利用)型のオマキザル類、樹上・地上四足歩行(走行・跳躍的)型のオナガザル類、ブラキエーション の小型類人猿(テナガザル)、 ぶら下がり、木登り、四足歩行(地上)の大型類人猿、そして直立 2 足歩行型の人 類。 こういったロコモーション型の進化について解説し、ヒト二足歩行の進化について考察する。現在有力な二足歩 行の祖先モデルとしては、木登り型(Anti-pronograde Positional Behaviour)、ナックルウォーキング型(Knuckle walking)と小型類人猿モデルがある。これらについて機能と形態の面で検討するとともに、ヒトの他の生物学的特 徴(例、発達した脳・神経系)とロコモーションの関係を検討する。 -3- 「アジアの化石霊長類の研究」 高井 正成(系統進化分科・系統発生分野) 東∼南アジア地域(ここではカスピ海以東のユーラシア大陸を指す)は現生霊長類の3大分布域のひとつで あり、多くの霊長類が生息している。こういったアジア大陸の現生及び化石霊長類進化プロセスは、地球規模の 大陸移動と環境変動に対応したものであり、非常に複雑な経緯をたどって現在のような分布域になっている。 化石記録によると東アジアが起源地であることが確認されている現生霊長類の系統はメガネザル類だけで ある。それ以外のアジア産霊長類の系統は、ほとんどがアフリカ大陸やヨーロッパから侵入したものである。 東アジア地域への霊長類の侵入は、大きくまとめると(1)暁新世∼始新世初頭におけるプレシアダピス類と 初期霊長類の侵入、(2)中期始新世の「初期真猿類」の出現、(3)前期中新世(末期?)の初期狭鼻猿類(プリオ ピテクス類)の侵入、(4)中期∼後期中新世後半の原猿類とホミノイド類(シバピテクス類とドリオピテクス類)の侵 入、(5)後期中新世の旧世界ザル類(コロブス亜科とオナガザル亜科)の侵入、の5段階に分けられる。特に中新 世に侵入した霊長類のほとんどがアフリカから中東∼南アジア∼東南アジアという経路をたどった「南方系」の霊 長類であったようだ。しかしいくつかのグループは、アフリカからヨーロッパに進出して、そこから比較的高緯度地 域を通って東アジアに達した「北方適応型」の種と考えられる。また前期中新世?に東アジアに侵入した初期狭鼻 猿類のプリオピテクス類は、シワリクから中国北部まで広範囲に分布していた「広域適応型」であった。 一方、東アジアに生息する現生霊長類の中でテナガザル類のみが第三紀の地層から化石が全く見つかって おらず、その系統的・地理的な起源がわかっていない。分子生物学的な研究では彼らの起源は約 1800∼1600 万 年前と考えられているので、前期中新世にアフリカ大陸からアジア大陸に侵入した可能性が高い。しかしその後 の中期∼後期中新世の地層からもテナガザル類の化石は見つかっていない。テナガザル類がいつ、どのような 経路で東アジアに侵入したかは今後の重要な研究テーマのひとつである。 -4- 「マントヒヒの社会構造」 森 明雄 ( 社 会 生 態 分 科 ・ 社 会 機 構 分 野 ) 私たちの研究室では、様々な環境に生息する霊長類社会の成り立ちを明らかにしようとしている。それぞれの種 は進化の道筋に沿って、それぞれの社会の特徴を獲得していったと同時に、それは生息環境に適合した社会を作 ってきた。進化の道筋に従った変化ということでは、異なった種の社会の比較から、社会の特徴の成立を分析する。 一方、同じ種で、異なった地域に生息する集団を比較することで、進化という要因をはずして、環境の違いによる 社会構造の変異の幅を知ることができる。ニホンザルの研究は、ヤクシマ、幸島、高崎山、金華山と南から北まで の各地で調査し、社会構造の比較を行っている。 種間比較としては、カメルーンのサバンナに同所的に生息するパタスモンキーとヴェルベット・モンキーの比較を 行っている。また、パタスモンキーで、単雄群と複雄群の季節的相互移行のメカニズムおよび単雄群から複雄群 への社会進化のプロセスの研究を行っている。 今回主に話すのは、重層社会を作るヒヒ類の研究である。まず、基礎知識を述べておく。ニホンザルを見ると群 れの個体は、皆一緒に行動しており、群れの中に親しい個体のまとまりであるサブグループが行動単位として機 能することはない。マントヒヒを見てすぐ気づくのは、1頭のオトナオスと数頭のオトナメスがいつも一緒に行動する ことである。これを one male unit 呼ぶ。もう一つの単位は、いくつもの one male unit が集まって、まとまって群れ のように行動する。これを band と呼ぶ。 夕方、泊まり場の大きな崖に集まってくるのは、恒常的な集まりバンドだ けでなく、日によって、場所によって、バンドの組み合わせが変わる集まりができる。これを troop と呼ぶ。長年の 研究によって、バンドとユニットの間のレベルにもう一つ単位があることが分かった。 これが、clan で、ある1頭の オスをとってみると、一生同じクランから外には出ない。各社会単位間を移動する性はメスの方である。マントヒヒ ときわめて近縁のサバンナヒヒでは、群れ間を移籍するのはオスであるのと大変異なっている。マントヒヒは父系 社会で、サバンナヒヒは母系社会である。オナガザル科全体を見て、父系社会というのは、極めて珍しい。 マント ヒヒの父系社会が何故成立したのかというのは、大きな疑問である。 一般にオナガザル科では、異なった社会単 位(群れ)の共存が難しいが、重層社会では、それが容易に行われる。 ヒト化の中で、地域コミュニティの出現は 大きな問題点で、重層社会の研究はその考察への一つの視点を与える。 マントヒヒの社会は、サバンナヒヒ社会の中から急速に出現したと考えられるので、地域変異が大きいと考えられ る。 これまで述べてきたマントヒヒ社会の概略はエチオピアで得られたものである。現在、私たちは、紅海を挟ん でエチオピアとは反対に位置するサウジアラビアのマントヒヒの社会構造を研究している。そのことにより、マントヒ ヒ社会の変異を知り、母系から父系への転換の過程の復元を目指している。 -5- 「遺伝学からみたヒヒ類の種分化」 庄武 孝義(進化遺伝分科・集団遺伝分野) 私は1975年以来、アフリカ(主としてエチオピア)でヒヒ類の集団遺伝学的研究を継続してきている。アフリカに は3属8種のヒヒが生息している;パピオ属のマントヒヒ、アヌビスヒヒ、キイロヒヒ、チャクマヒヒ、ギニアヒヒの5種。 マドリル属のマンドリル、ドリルの2種。ゲラダヒヒ属のゲラダヒヒ1種である。図1にそれらの生息分布図と図2に 遺伝学的に見た系統分化図を載せた。ここではヒヒ類の種分化において重要な位置を占めるマントヒヒとエチオピ アの高地にしか生息しないゲラダヒヒの遺伝学的研究に焦点を当て話をしたい。パピオ属5種の中でマントヒヒを 除く4種は、形態も社会構造もよく似ている。マントヒヒだけが特異な分化を遂げている。私は最初エチオピア中央 部のアワッシュ国立公園周辺で、マントヒヒとアヌビスヒヒの自然雑種化現象を遺伝学的に調査する仕事をして、 両者は形態も社会構造も大きく異なるのに遺伝的には非常に近く、両者が自然状態で交われば、当然、雑種が出 来ると結論した。その時、これほど遺伝的に近いのにこれだけ大きな形態的、社会構造の違いが出来るのは、生 物学的に考え、かなり強い隔離と環境の違いによる選択圧の違いが両者の間に無ければ起こりえない事象だと 思った。では、マントヒヒはどこで隔離されあのような分化を遂げたのか疑問を持ち続けていた。 マントヒヒがアラビア半島に生息していることは文献で解っていたが、詳細は不明であった。1985年、スイスの 研究者がアラビア半島のマントヒヒについての簡単な論文を出し、その起源について考察をした。第一に、アフリカ から渡った個体が増殖して今の集団を作った。第二に、エジプト王朝時代、マントヒヒは賢者の神として崇められ、 エチオピアから紅海ぞいに船で運ばれるとき難破してアラビア半島に流れつき、それが増えて今の集団を作った、 と議論していた。著者自身が、これはアラビア半島のマントヒヒの遺伝的変異性を調べればすぐに解ると議論して いる。1996年、初めてサウジアラビアの地に行き驚いた。至る所にマントヒヒが生息していて、サウジの研究者の 推定によると25万頭を超えるだろうとしている。その時、私は前から考えていたマントヒヒの起源の地はアラビア 半島ではないかと推察した。すなわち約35万年前(蛋白の遺伝的変化に基づく遺伝距離から推定された)、パピ オ属の共通祖先が、現在のシブチとイエメンとの間に出来た陸橋を渡り、アラビア半島に移住した後、陸橋が切れ て隔離され、アラビア半島の苛酷な気候に適応し、現在の形態と社会構造を持ったマントヒヒの集団が分化した。 その後、約2万年前の最終氷期に出来た陸橋を渡り、アフリカ大陸に渡来して北東部の乾燥地帯で分布域を広げ、 現在の北はエリトリアから南はソマリアまでの生息域を形成した、というのが私の仮説である。以後、共同研究が 出来るように成ったので、遺伝的にこれを確かめようと思って研究を続けている。これまでに北はメジナ近郊から 南はイエメン国境に近いナジラン近郊まで、8ヶ所で合計200頭を超える個体から血液採集を行い、日本に持ち 帰り、蛋白やDNAの検索を行ってきている。先ず、蛋白変異を調べたところエチオピアのものと変わらない変異性 を保持していて、難破して逃げた個体が増えたという説は否定された。さらに、蛋白の変異遺伝子を調べてみると アラビアのマントヒヒはエチオピアのアヌビスヒヒが持っている遺伝子を持っていて、パピオ属の祖先型遺伝子を保 持していると考えた。さらに予備的にマイクロサテライトDNAを調べてみると、アラビアのものとエチオピアのもの でほとんど差がないことが解った。目下、ミトコンドリアDNA塩基配列比較を行いつつ有る。この仮説を紹介したと ころ、それではどうして同じような生息環境があるオマンにマントヒヒがいないのかという質問がでたので、1999 年オマンの調査を行った結果、自然史博物館の協力でマントヒヒの描かれたロックペイントを確認し、昔は生息し -6- ていたが何等かの原因で絶滅したという学芸員の説明を聞いて意を強くしている。 ゲラダヒヒはエチオピアの高地(北高原では2600m以上、南高原では2400m)のみに生息している。南高原 のものは1989年に森明雄先生が発見されたもので形態的には毛色が少し違う程度で大きな違いは無い。これを 北のものと遺伝学的に比較すると大きく異なることが解った。この遺伝的な差は前述したマントヒヒとアブビスヒヒ の差よりも大きい。南北高原を隔てるのはアフリカ地溝帯であるが陸続きである。なぜこのような現象が起こった のか今のところ解らず、さらなる野外調査や遺伝標識を増やしての研究を続行中である。 -7- 「類人猿研究の現在」 上 原 重男 ( 社 会 生 態 分 科 ・ 生 態 機 構 分 野 ) 伝統的な分類体系では、チンパンジーやゴリラ、オランウータンを大型類人猿として同じ科(オランウータン科) に含め、ヒトだけをヒト科に分類していた。外見とは異なり、遺伝的にはヒトとチンパンジーの差はごくわずかで、オ ランウータンは遠くに位置づけられるという。 ヒトを第三のチンパンジーと呼ぶことがあるのは、このためである。 遺伝学的知識がそれほどなかった 20 世紀の初めから、心理学者の中には、大型類人猿の行動を研究すること でわれわれ自身をもっとよく理解できるのではないかと考える人がいた。 戦後の 1940 年代後半に野生ニホンザ ルの調査を始めた今西錦司をリーダーとする日本の霊長類研究グループは、人類の起源を探るという関心から、 研究の初期から類人猿の野外調査を指向していた。 形質人類学者であった L. S. B. リーキーも、古人類の社会 や生態を復原するために、野生状態の現生大型類人猿を観察することが非常に重要だと考えて、1960 年に J. グ ドールをタンガニイカ湖畔(東岸)のゴンベに送り込んだ。これがチンパンジー長期研究の本格的開始となった。 日本隊は 1961 年にゴンベより南の同じタンガニイカ湖畔で調査を始め、1965 年に西田利貞によって調査基地が 開かれたマハレ山塊では、ゴンベとともに現在も研究が続けられている。 その後ギニアのボッソウやコートジボアールのタイ、ウガンダのキバレ、ブドンゴ、カリンズなどの諸地域でも、個 体識別にもとづくチンパンジーの長期的な観察資料が集められた。 こうして狩猟・肉食や道具使用、毛づくろいな どの文化的行動(伝統)を、地域間で詳細に比較できるようになった。 今年になってオランウータンの野外研究者が、長期的な観察記録が蓄積されたボルネオの 4ヶ所とスマトラの 2 ヶ所、計 6 調査地の資料から、文化的行動の地域差についてくわしい報告を出した。 文化類人猿学としてまとめ ることのできる研究分野では、地域間の比較がこのように重要な手段となる。 とくにチンパンジーの調査で得られ たいくつかの具体例を題材に、比較文化類人猿学の一端を紹介する。 -8- 「生物科学専攻霊長類学系ガイダンス」 上野 吉一(霊長類学系教官会議副議長) 1:大学院教育の目標 霊長類研究所は、大学院を有する国内唯一の霊長類学専門の研究教育機関である。霊長類に関する総合研 究を継続的に推進・発展させるためには優れた若手研究者の育成が不可欠だが、その教育目標は以下のような 特色を持つ。 1. 研究者育成を基本目標とし、長期的な展望に立つ修士、博士課程を通じた研究が遂行可能となるよう良 好な研究環境ならびに教育環境を提供する。ただし、多様な若い人材を受け入れることは研究所の活性 化にもなり、社会的要請に応えることでもあるため、博士編入にも門を開いている。 2. 講義や実習を充実して、霊長類学に関する基礎知識を深め、体系的な学識を身につけてもらう。 3. セミナーや研究会あるいは学際的な共同研究を通じて異なる専門領域の研究に接する機会を数多く提 供し、専攻した専門領域だけに偏らない広い視野を育成する。 4. 海外調査や国際共同研究への参加も積極的に推進し、国際的な研究交流力の育成に努める。 1:入試関連情報 ◆ 入試スケジュールの目安 募集要項 願書受理期間 入学試験 修士入学試験 (6月上旬) (6月中旬) (8月上旬) 博士編入試験 (2月上旬) (2月中旬) (3月上旬) ◆ 理学研究科生物学専攻の入試として分科を単位に実施され、他の系も合せ2次志望まで選択できる。 分科 分野、センター、施設 1)系統進化 形態進化 系統発生 2)進化遺伝 集団遺伝 3)社会生態 生態機構 社会構造 ニホンザル野外観察施設 4)思考言語 思考言語 5)認知学習 認知学習 6)高次能機能 行動発現 7)分子生理 器官調節 8)生物化学 遺伝子情報 9)実験動物科学 人類進化モデル研究センター 2:大学院関連情報 ◆ カリキュラム カリキュラムは概論、基礎論、特論の講義、および実習・演習により構成されており、霊長類学に関る幅広い分 野を学びかつ専門知識を深めることを目指している。これらは基本的に分野、センター単位で実施されているが、 演習等に関しても所属分科とは関係なく受講、参加することができる。 -9- ◆ 学習・研究環境 大学院生は指導教官を、各人が入学後に当該教官と話し合って決定する。各分科ごとに大学院生用の研究室 を設け、各自が専用の学習スペースを持ち研究を進めることができる。 - 10 - 「チンパンジーの心を探る」 友永 雅己(思考言語分科・思考言語分野) 私たちヒトは、今から約 500-600 万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしました。その共通祖先は それ以前にもゴリラ、オランウータン、テナガザル、ニホンザルの仲間たちとの共通祖先から順次枝分かれしてき ました。われわれヒトは、このような長い進化の過程を経て今ここに存在しています。体の形が進化の産物である のと同様、私たちが示すさまざまな行動やわれわれが発揮するさまざまな知性も、このような長い進化の過程を経 て形成されてきました。「ヒトのこころとは一体なにものか」。この問いに答えるためには、その進化も視野に入れて 研究する必要があるでしょう。このような視点から、チンパンジーの認知研究を進めてきました。 今回のセミナーでは、チンパンジーの心の一端として、彼らの社会的認知とその発達についてお話します。チン パンジーの赤ちゃんは、1カ月齢になると母親の顔写真を好んで見るようになります。さらに、2カ月齢になると顔 写真全てに対して選好するように変化していきます。この時期は、自発的微笑や表情模倣の反応の低下や、母子 間の相互の見つめあいの頻度の増加の時期とおおむね対応しています。社会的な認知能力の芽生えの時期な のかもしれません。では、この時期のチンパンジー乳児は見つめている相手の視線の向きがわかっているのでし ょうか。選好注視法という課題を用いて調べたところ、彼らは自分の方に向けられた視線を好むことがわかりまし た。さらに別の実験から、9カ月齢くらいになると、視線を区別できるだけでなく、指さしや顔の向きといった手がか りをもとに、自らの視線を他個体が見ている方にシフトすることができるようになることがわかりました。 このあたりまでは、ヒトの赤ちゃんの発達過程とよく似たパターンを示しているようです。しかしヒトでは、9カ月を 境にして他者との相互交渉が劇的に変化することが知られています。たとえば、母親と視線を共有し、より豊かな コミュニケーションが成立していくようになります。しかしチンパンジーでは、他個体の視線を追従することはできる のですが、母子間でのコミュニケーションの様式にヒトとは異なる点があるようです。ヒトでは非常によく見られる、 相互の注意を共有しあうような参照的注視あるいはものの差し出しといった行動はほとんど見られなかったのです。 この違いは質的な違いなのでしょうか。それとも、発達の速度の問題なのでしょうか。あるいは、チンパンジーには ヒトとは異なる注意の共有の仕方があるのでしょうか。これらの問題はチンパンジーの社会的知性を考えていく上 で重要なものであると考えています。 - 11 - 「霊長類の聴覚と音声」 泉 明宏(認知学習分科・認知学習分野) 認知学習分野では、マカクザル(ニホンザルなど)・チンパンジー・ヒトの認知機能、特に音声・聴覚系の発達・進 化を中心的なテーマとして、様々なアプローチから研究を進めています。今回は、私たちが近年取り組んできたマ カクザルの聴覚的体制化に関する研究成果と今後の展開について紹介します。 言語や音楽を持つことは、他の動物には無いヒトの大きな特徴です。これらはいずれも通常聴覚依存のコミュニ ケーションであり、言語や音楽の進化的基盤について考察する上で、ヒトと他の動物の聴覚特性、特に系統的に 近縁な他の霊長類との比較は重要であると考えます。 一方、ヒト以外の霊長類における聴覚系の特性については、視覚系に比べて余り研究が進んでいない分野で す。周波数や音圧弁別閾など、基本的な特性については比較的多くの研究がなされていますが、ヒトで盛んに調 べられている聴覚の知覚的体制化に関しては、ヒト以外の霊長類でのデータは非常に限られています。 近年、私たちは聴覚的体制化についてヒトとの比較可能なデータを得る目的で、ニホンザルを対象として研究を 進めてきました。これらの研究より、ヒトとサルの継時的・同時的体制化におけるいくつかの類似点・相違点が明ら かになってきました。サルはヒトと同様に旋律の輪郭(周波数の上昇・下降のパターン)や和音の感覚的協和 性といった、音刺激の持つ様々な特徴を知覚することが示されましたが、サルはヒトと比べて音の局所的な特徴に 注意しやすいという傾向を示しました(逆にヒトは全体的な特徴に注意しやすい)。これらの研究を通して、ヒトが持 つ言語や音楽の進化的基盤について理解が深まることが期待されます。 - 12 - 「霊長類の脳を探る」 三上 章允(高次脳機能分科・行動発現分野) 霊長類研究所における脳の研究はサルを主要な研究対象としている。脳の研究の分野では、ラットやネコを用 いた研究もたくさん行なわれている。多くの実験動物を使用する物質レベルの研究にはラットの実験系が最適であ る場合が多い。また、知覚システムや運動制御システムの解明にネコでの研究が多くの成果をもたらしている。 我々がラットやネコではなくサルを研究対象とするのは、サルがヒトと同じ霊長目に属し、進化の過程で共通の祖 先までの距離が比較的近いことによる。言い換えれば、サルの脳の理解を通じてヒトの脳を理解しようという立場 である。もちろん、ラットやネコにもヒトの脳と共通の神経システムや物質レベルのメカニズムがあるので、ラットや ネコの脳の研究もヒトの脳の理解につながる。しかし、複雑な認知や判断を必要とする高次の機能はサルが得意 とする脳のはたらきであり、ラットやネコで研究していたのでは限界がある。サルを使うからにはサルでなければで きないような研究をしようという考えから、我々の研究室では、サルの大脳皮質連合野における高次の機能を中 心に研究を進めてきた。 霊長類研究所における脳研究は、神経生理研究部門(その後の改組で行動発現分野となった)として、研究所 の創設とともに、昭和42年に誕生した。当時すでに、サルの前頭連合野を左右ともに破壊すると、場所の短期記 憶課題である遅延反応課題(空間位置、例えば、左または右に呈示される手掛かり刺激の位置を覚えておいて、 遅延時間の後、記憶していた手掛かり刺激の方向を選択する課題)の成績の悪くなることが知られていた。そこで、 遅延反応を行っているときに、サルの前頭連合野からニューロン活動を記録し、左右どちらかの方向を記憶してい る期間に持続的に活動するニューロンを見つけた。この研究は、世界に先駆けてサルの大脳皮質連合野から学 習課題遂行中にニューロン活動の記録した研究となった。 その後、ヒトで巨大となる前頭連合野における場所の記憶、行動の選択、行動の発現にかかわる機能の研究の ほか、運動野、運動前野における随意運動の発現機構、側頭連合野、扁桃核、視覚野における視覚認知と記憶 の機構、前頭葉や視覚野における視覚的注意の機構などの研究にも取り組んできた。 春季セミナーでは、最近の研究のいくつかを紹介する。 [参考書]最後の()内は価格 「五感を遊ぶ」、三上他、メトロポリタン出版、2000(1,800) 「光が拓く生命科学、第2巻、光環境と生物の進化」、大石、小野偏、共立出版、2000(3,400) 「バーチャルリアリティの基礎1.人工現実感の基礎」、舘偏、培風館、2000(3,900) 「脳と計算論」、外山、杉江編、朝倉書店, 1997(5,200) 「脳の謎を解く(上、下)」、久保田編、朝日文庫, 1995(各 524) 「視覚の進化と脳」、三上編、朝倉書店, 1993(4,800) 「脳はどこまでわかったか」、三上、講談社現代新書, 1991(632) ホームページ「行動発現分野」:http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/ ホームページ「脳の世界」: http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/ - 13 - 「霊長類の発達・加齢」 大石 高生・清水 慶子(分子生理分科・器官調節分野) 1.霊長類の神経系の発達 大石高生 霊長類の大脳皮質はその名の通り大きい。大脳皮質は数多くの領野に分かれ、それらの分業と協調によって(も ちろん大脳皮質以外の脳部位とも連携して)、高度な感覚、運動、認知機能を実現している。しかし、その機能は 生まれたときから完成した形で備わっている訳ではない。また、構造自体も生まれた段階ではまだ完成した状態で はない。 大脳皮質の発達は、細胞の増殖、細胞の移動、神経線維の伸長、シナプスの形成、細胞やシナプスの除去など の事象が推移し、神経回路が形成されることと位置付けられる。本セミナーでは、大脳皮質の発達過程を概説す るとともに、これらの事象に関わる分子であるニューロトロフィン(BDF など)や成長関連タンパク(GAP-43 など)の 遺伝子発現やタンパク発現を指標にすることで明らかになった、大脳皮質の領野間での発達の早さの違いなどに ついて解説する。 2.ニホンザル性腺の成長・発達・加齢 清水慶子 加齢に伴っておこる様々な生理学的変化の中で、メスの性腺機能の低下は、きわめて明瞭な経時的変化を示し、 個体の寿命に比べて早期に現れる。したがって、メスの性腺は個体の加齢現象を研究するためのすぐれた「個体 内実験モデル」といえる。さらに、生殖器官は視床下部―下垂体系の支配下にあることから、老化に重要な意義を 持つと考えられている中枢の老化過程を調べる良いモデルともいえる。 本セミナーではこれまで器官調節分野で おこなわれてきたメスニホンザルの加齢と性腺機能の関係を、ヒトの場合と比較しながら下記の項目について概 説する。 1)ニホンザルの寿命と生殖期間および出産率の変化 2)加齢に伴う性周期の変化 3)加齢に伴う内分泌動態の変化 4)加齢に伴う卵巣組織の構造的変化 - 14 - 「メッセンジャー配列データの大規模集積と遺伝子新機能の発見法」 浅岡 一雄(生物化学分科・遺伝子情報分野) 多数の遺伝子の動きに基づいた生物学が可能になってきた。ヒトについて DNA の塩基配列決定が国際的研究 で完成されたことにより、各種の動物・植物において同様の研究がゲノム生物学として拡がっている。サルを対象 とした研究も進められている。ゲノムとは遺伝子 geneと染色体 chromosome との合成造語である。ヒトにおいては 遺伝子を担う DNA の塩基配列および染色体上の位置が決定されているため(変異部分、修飾部分などの詳細を のぞけば)ヒトのゲノム解析は完成したと言える。しかし、遺伝子を担う DNA の全塩基配列の決定がなされたこと だけでは遺伝子の総体がわかったとはならない。遺伝子となる部分は DNA の全塩基配列からコンピュータ解析に より推定できる。が、実際に機能として発現しているのか、どんな機能を担っているのかは引き続き研究が必要で あり、ヒトについてもこの点は 2003 年現在も未完成である。現在進行中の遺伝子機能の研究動向を学ぶことはヒ トの研究にとどまらず、多様な生物を研究対象とするものにとって参考となるだろう。 ポストゲノムとして遺伝子の機能研究はメッセンジャーRNA・蛋白質・糖質・脂質・その他など生物体を構成する 成分から可能である。ポストゲノム研究として進められているプロテオーム解析は蛋白質に基づく方法であり、末 っ子のシンデレラをもじってよばれる「シンデレラの世界」は糖質研究に基づく方法である。メッセンジャーRNA に基 づくマイクロアレイあるいは DNA チップ法と呼ばれる解析は、これらに較べて規模および感度の面で特段に優れた ものである。 新規な生物を研究対象として遺伝子多数の挙動をみるゲノム生物学を展開するには、まずメッセンジャー配列 データの大規模集積が基盤となる。身につける技術としては、メッセンジャーRNA 取扱、全長鎖 cDNA ライブラリー の作製、PCR 法、RT-PCR 法、大腸菌の培養とクローニング、塩基配列の決定、バイオインフォマティクスなどが必 要になる。この基盤ができればマイクロアレイとしてガラス上に DNA を貼り付けて解析する。マイクロアレイは高密 度化できるので1回の分析で1万個ほどの遺伝子を対象にした解析も可能である。検出は遺伝子の発現量による ため、発現量の変動によって遺伝子の挙動が解析できる。市販のマイクロアレイが使用できるヒト、ラット、マウス などの場合はメッセンジャー配列情報の基盤ができているので直ちに研究に用いられる。しかし、全ての遺伝子の 解明は未了であり、また遺伝子の候補でよいとしてもその全てが現在の市販のアレイにのっているわけでも無い。 多様な生物を対象としたアレイの開発の進展と相呼応して生物の多様な現象にかかわる遺伝子の新機能の発見 が急速に進んでいくのであろう。 マイクロアレイ解析には難点もある。費用が高額であることや検出された遺伝子は偽である可能性があることな どである。偽の可能性については検出された遺伝子を他の方法で確認すれば解決する。比較にもとづく方法であ るため対照試料が大切であり、存在しない欠落や異種属の対照試料では解析が困難となる。研究で焦点をあてる 部分に発現している遺伝子であれば作用点は場所によらず遠方であっても解析できる、が逆に遠方で合成されて 焦点の部分に移動して機能しているものは解析できない点に注意したい。 このような現状において、うまく研究が進んでいる分野として Toxicogenomics があり、化学物質の薬用や毒性 の機序が遺伝子挙動から解析されている。この発展として Ecotoxicogenomics があり、生物に与える環境全ての 影響について遺伝子レベルから詳細に解析しよう提唱されている。 - 15 - 「サル類の感染症と遺伝性疾患の分子生物学」 景山 節(実験動物学分科・人類進化モデル研究センター) 1. 人類進化モデル研究センターでおこなわれている研究 次世代の研究用サル類を作り出すのに必要な業務を統括するとともに、主に繁殖・育種の研究を担当する 創出育成領域、サル類をモデル系として霊長類の心身の健康を統御する機構の研究をおこなう健康統御領域、 動物福祉の研究を推進し実験倫理を確立する生命倫理領域、行動発達ならびに性格形成の生物学的基礎研究 をおこなう行動形成領域の4領域があり5名の教官と1名の外国人客員教官が担当している。 2. 健康統御研究領域の研究例 エルシニア感染症 エルシニア菌の中で仮性結核菌と呼ばれる Yersinia pseudotuberculosis の感染によるサルの死亡が冬から春 にかけてしばしば見られる。グループケージのサルの感染率が高く腸内出血、敗血症により死亡する。エルシニア 菌の検出と同定のため phospho1ipase 遺伝子と virulence plasmid に特異的プライマーを用いておこなう高感度 nested PCR 法を確立した。さらに死亡および過去の感染サルから単離保存されていた菌株について、 RAPD-PCR 法を用いてその違いを判別したところ、感染が起こった場所で菌株はそれぞれ異なっていることが明 らかとなった。 エルシニア菌はネズミ、ハトなどいくつかの野生動物が保菌していることが知られている。研究所内のグループ ケージ周辺でもこれらの野生動物が住み着いていることから、その糞をケージ周辺にまき散らすことによりサルが 接触し感染るものと推測される。感染経路を明らかにするため動物糞の PCR 検査をおこなった。グループケージ 周辺のネズミ糞 241 個(ほとんどはクマネズミ)、スズメ糞 24 個、研究所本棟屋上のハト糞 100 個を調べたところ、 エルシニア菌はクマネズミ糞の 4 個から検出された。単離された菌は RAPD-PCR 法によると 1989 年にアカゲザ ルで発症し、単離された菌株と同一のものと推定された。所内のネズミが感染源である可能性が高く、またネズミ は集団全体でいくつかの異なる菌株を保有していると考えられる。 疾病遺伝子の分子進化 Superoxide dismutase (SOD): SOD は活性酸素除去の中心的酵素であり、霊長類の長寿命と関係あるとされる。 いろいろな霊長類で SOD 遺伝子の塩基配列を比較し分子進化を解析した。旧世界ザルから類人猿が分岐した頃、 遺伝子にアミノ酸置換を積極的におこすような変化、すなわち適応的変化が起こったことが明らかとなった。類人 猿で酵素機能が変化しヒト化に至る過程でも有利に働いたと予想される。 Leptin:肥満はヒトの健康の重要な課題であり、サルモデルでの研究を進めている。中でも肥満ホルモンと呼ばれ るレプチンの動態と遺伝子解析を進めている。レプチン遺伝子は霊長類の進化とともに適応的変化をしてきた。こ れは SOD 遺伝子と同じであるが、レプチン遺伝子の場合は新世界ザルから旧世界ザルへの分岐の頃に大きな変 化を起こしており、この時期に何らかの生理的要因が働いたのであろう。 - 16 - 「ニホンザルの保全と被害管理」 室山泰之(社会生態分科・ニホンザル野外観察施設) ―――――――― 野生動物管理学入門 ――――――― 現在地球上には 200 種以上の霊長類がいるといわれており、多くの霊長類種が絶滅の危機に脅かされている。 2002 年の IUCN レッドデータブックによれば、約半数にのぼる 19 種が絶滅危惧 IA 類(Critically Endangered)に、 46 種が絶滅危惧 IB 類(Endangered)に、53 種が絶滅危惧 II 類(Vulnerable)に分類されている。 なぜこのような事態になったのか、ということにはいまさら言及する必要はないかもしれない。地球温暖化や酸性 雨をはじめとして、人間が地球という惑星の自然を劇的に変化させてきたことには、疑いの余地はないだろう。人 口の増大、農業や工業などの産業活動、森林伐採、開発など、人間はその生息範囲をどんどん広げてきた。その 結果、ほかの生物たちの生息地は荒廃し、さまざまな生態系が汚染され、数え切れないほどの動植物が過剰収 獲によって絶滅した。また、新しい土地へと進出する過程で持ち込んださまざまな外来種は、それまでその地域で 進化してきた在来種の絶滅を広範囲に引き起こした。生物の世界では、まさに破滅的な状況が起こっているといっ ても過言ではない。冒頭に述べたように、霊長類も例外ではなく、多くの種が絶滅の危機にさらされている。 この講義の前半では、わたしたちに馴染みの深いニホンザル(Macaca fuscata)を含むマカクたちを例に、霊長類の 現状とその存続を脅かしているさまざまな要因について概説し、後半ではニホンザルの現在の状況について説明 する。 1.霊長類の保全 ・なぜ霊長類を保全するのか:さまざまな価値 ・どのように保全するのか:順応的管理−モニタリングとフィードバック ・マカカ属霊長類の保全と管理:多様な問題とアプローチ 2.ニホンザルの現状 ・戦前までのニホンザルの生息状況 ・分布と個体数の変遷 ・現在の全国各地の分布状況 ・地域個体群の絶滅 ・人間との軋轢−農作物被害と生活環境被害 3.野生動物管理学とは? ・三つの柱:個体群管理,生息地管理,被害管理 ・三つの対象:動物,環境,人間 ・資源管理と保全 - 17 -
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