「市場志向的」的制度変化の多様性と所得分配――1980年代以降の先進諸国を対 象とした国際比較分析 原田裕治(福山市立大学) 1. イントロダクション 1970年代以降,先進諸国は新自由主義の時代に入ったとされる。実際,われわれはこれ らの国において類似の現象や変化を見いだすことができる。金融化やグローバル化は,こう した変化のなかでもっとも典型的なものである。これに加えて,各種の規制緩和,国営企業 の民営化,社会保障の縮減など,さまざまな制度領域での変化を確認できる。こうした変化 は,市場における競争メカニズムの徹底という点でおおまかに共通していると言えよう。 これら「市場志向的」変化は,少なからず経済動態に影響を与えると考えられる。とり わけ所得分配への影響は重要である。しかしいっそう重要なことは,各種の変化が相互に連 関しているという事実である。例えば,金融市場の発達は国内にとどまらず,各種資本の国 際間移動が積極化するという形で,グローバルに展開する。あるいは,グローバルなレベル で激しい競争が展開されると,国内市場においても同種の競争が要請され,国内市場におけ る自由化の圧力が高まるといったことが観察される。 このような傾向の中で,いくつかの先進諸国における賃金シェアの実際の推移を見ると, 2つのことを指摘することができる1。第1に,賃金シェアは短期的に見ると,反循環的に変 動している。こうした変動の要因は,財市場における調整の速度に比して,労働市場(賃金 や雇用)の調整速度が緩慢であることに求められる。 第2の特徴は,先進諸国の賃金シェアが,1980年以降,共通して低下の傾向を示している ということである。とはいえ,低下の程度は国によって相当程度異なることも事実である。 雑ぱくに言えば,大陸ヨーロッパ諸国および日本では,大きな低下を確認することができる 一方で,アメリカの賃金シェアは比較的安定している(表1参照)。 表1 調整済み賃金シェアの変化(1985-2005) 単位:%ポイント ドイツ フランス イタリア スウェーデン アメリカ 日本 -3.17 -6.70 -6.84 0.20 -1.76 -7.83 出所)AMECO database 先進諸国全般において市場志向的な制度変化やそれを促進するような現象が観察される 中で,所得分配の中長期的な動きについては各国の違いが見られるという現象はいかにして 説明可能であろうか。本稿ではこうした問題に,各種領域の制度の束として経済システムを 1 ここでは,国内従業者数と雇用者数の比率,すなわち自営業者などの影響を調整した調整済み賃金シェア を用いている。賃金シェアはその定義によって値が大きく異なるため,どのような目的で分析を行なうかによっ て,どの定義の指標を用いるかを十分吟味する必要がある(吉川 1994)。 1 捉える一方で,1980年代から2000年代における先進資本主義諸国における制度的構図の変化 が,所得分配の変化にどのような影響を与えるかについて検討する。 本稿の構成は以下の通りである。第2節では,先行研究を概観する。第3節では,1980年 代以降の先進諸国における制度変化の多様性を多変量解析の手法を用いて明らかにする。第 4節では,第3節での分析結果をもとに,制度変化の多様性が賃金シェアの動きに与える影響 について,計量分析の手法を用いて検討する。最後の第5節で議論をとりまとめる。 2. 先行研究 21.賃金シェアの決定要因 賃金シェアの決定要因については,これまで多くの研究がなされてきた。典型的には,偏 向的技術変化(cf. Bentolila and Saint-Paul 2003),グローバル化 (cf. Stolper = Samuelson 1941),金融化 (ILO 2011, Stockhammer 2009 & 2012, Dünhaupt 2013)がいずれもネガティブ な効果をもつとされる。また製品市場および労働市場における規制の効果も議論される。前 者については,二面的な効果があるが(Blanchard and Giavazzi 2003),後者についてはネガ ティブな効果が期待される (Stockhammer 2009 etc.)。福祉国家の寛容さも議論される。これ にはポジティブな効果が期待される。 以上で取り上げた要因は,1970年代以降の先進諸国において同時並行的に観察されるも のである。これらが全体として所得分配にどのような影響をあたえるのかについて検討した ものとして,Stockhammer (2012) がある。そこでは先進国および途上国の双方を対象に, 各種制度がどの程度賃金シェアに影響を与えるかを複数の制度領域を考慮に入れて包括的な 分析がなされている。具体的には,グローバル化,金融化(金融市場改革),福祉国家の縮 減,労働市場制度が,賃金シェアの動きを規定する制度的要因として取り上げられ,金融化 が賃金シェア低下の主要な要因であることが析出される。またグローバル化および福祉国家 の縮減にも一定の負の効果があるとされるが,すべての変数について有意な結果が得られて いるわけではない。具体的には,組合組織率といった労働市場制度の効果については統計的 に有意ではない。 22. 制度的構図と制度変化の複合的効果 このように,所得分配に対する制度の効果を検討する実証研究が必ずしもすべての要因に ついて頑健で統計的に有意な結果を析出できていないのは,制度の存在と機能の様式に起因 しているかもしれない。先行研究の多くは,金融システムや製品市場といった制度の1つの 領域に注目してその個別の効果について分析を展開する。特定領域の制度が経済動態にどの ような効果をもつかについて実証的に詳しく検討することは重要であるが,諸制度が相互に 依存しあっているということを考慮に入れることも重要である。このことは,制度経済学に おいて制度的補完性 や制度的階層性 (Amable 2003; Boyer 2004a)として議論される。 2 諸制度が相互に依存して1つの構図をなすもとで,個々の制度変化が制度的構図をどのよ うに変化させるかについては,Amable (2003)の議論が興味深い。アマーブルは政治経済的 均衡の概念を用いつつ,補完性と階層性で相互に結びついた制度によって構成される制度的 構造の動きを図式化している。ある領域の制度変化が他の領域の制度変化を誘発するかは, 当該領域の制度が他の領域の制度とどのような関係をもつかに依存する(Amable 2003; pp. 68-73, 邦訳pp.95-101)。このようなことを考慮するならば,個々の制度の切り離された効果 よりも異なる制度の複合的な効果を検討する価値があるだろう。 さらに言えば,諸制度は各国または各時代に固有の制度的構図をなすが,それはレギュ ラシオン・アプローチで指摘されるように (Boyer 2004b),特定の蓄積体制の成立を促し, 安定的な所得分配パターンを形成すると考えられる。このことはかつてカルドアが指摘した ことでもある(Kaldor 1958)。このことは,所得分配の変化が,個々の制度の変化によって引 き起こされるというより,特定の国や特定の時代において経済動態が変調したり,そうした 変調を引き起こすほどに制度的構図が変化した場合に,生じる可能性があることを示唆して いると言えよう。 一方で,1970年代以降の先進国における変化には共通性が見られる。金融化や市場の自 由化はいずれの国においても起こったし,グローバル化は,すべての先進国に影響を与え た。すなわち,市場メカニズムが広がり,それに並行してさまざまな領域において「市場志 向的」制度が導入されたとされる。しかしながら,どの程度制度変化が起こるかは,その国 の既存の制度的構図によって制約され,制度的構図は多様である (Amable 2003, Aoki 2001, Boyer 2004a, Hall and Soskice 2001 etc.)。 以上の議論にもとづいて,次のような問題を設定することができる。第1の問題は,「市 場志向的」制度変化が促される中で,制度変化の多様性は存在するのかということである。 そしてそれが存在するのなら,どのような要因がそうした多様性を規定しているのだろう か。第2の問題は,「市場志向的」制度変化やその多様性が,先進国の賃金シェアに影響を 与えるのか,あるいはどの程度影響を与えるのかである。 3.「市場志向的」制度変化の多様性:多変量解析 前節で提起された第1の問題に答えるべく,本節では数量化された制度データを用いて多 変量解析を行い,市場志向的変化が普及する下での制度的構図の多様性を明らかにする。 3-1. 変数およびデータ まず1980年代以降に生じた5つのタイプの変化を取り上げる。それらはグローバル化, 金融化,労働市場の自由化,製品市場の自由化,そして福祉国家の再編である。本稿で利用 するデータの多くは,Stockhammer (2012)で用いられたものと同じである。本稿では,これ らの変数に加えて,OECDによる産業別製品市場規制のデータを追加している。 3 本稿の分析対象は,先進国に限定している2。また分析対象の期間は1985年から2005年ま での20年間とする。ただし,いくつかの変数については,特定の国および特定の期間におい てデータが欠測している。本稿では,欠測値を多重代入法(Multiple Imputation)の手法を用 いてデータを補定した(Little and Rubin 2002, 高橋・伊藤2013)。 32. 分析手法 各経済は,各種領域の制度からなる制度的構図によって特徴づけられる。いくつかの領 域において制度変化が起こると当該経済の制度的構図が変容することが予測できる。こうし た視点にもとづいて,「市場志向的」変化の影響下で制度的構図の軌道にかんする多様性を 明らかにすべく,複合因子分析(Multiple Factor Analysis :MFA) (Abdi and Valentin 2007)とクラスター分析が採用される。最初にMFAを,その結果にもとづいてクラスター分 析を実施し,各国経済を分類する。 33. 分析結果:制度的構図の変容 一般的に,主成分分析やMFAといった多変量解析は,特定の期間(時点)における個体 の多様性を規定する要因を同定するのに用いられる。しかし本稿の関心は制度変化の傾向に あり,そのためには特定期間における多様性が通時的にどのように変容するかを検討する。 具体的には,データが利用可能な期間を1980年代,90年代,2000年代という3つの期間 に分けた上で各期間ごとに変数各々の平均値を求めた上で,全期間をまとめてMFAを行っ た。図1がこの分析結果を示している3。MFAから帰結する第1因子および第2因子は,各国 の分散の39.73%を説明する。これら2つの因子だけが固有値1を超えている。図の水平軸 で示される第1因子は全体として分散の24.19%を説明し,「製品市場参入への政府介入に対 するグローバル化と金融市場の自由化との対照」として解釈可能である。他方,分散の 15.54%を説明する第2因子(当該図の垂直軸)は,「社会保障の寛容さ・労働者の権利保護 と金融部門の大きさとの対照」を表すものと理解可能である。 具体的な対象国は以下の通りである。オーストラリア (AUS), オーストリア (AUT), ベルギー (BEL), カナダ 2 (CAN), デンマーク (DNK), フィンランド (FIN), フランス (FRA), ドイツ (DEU), ギリシャ (GRC), アイルランド (IRL), イタリア (ITA), 日本 (JPN), 韓国 (KOR), オランダ (NLD), ニュージーランド (NZL), ノルウェー (NOR), ポ ルトガル (PRT), スペイン (ESP), スウェーデン (SWE), スイス (CHE), イギリス (GBR), アメリカ (USA) ここに示される分析結果は,多重代入法により補定されたデータの1つを用いている。実際の分析は,それ 3 ら複数の補定データを用いて行われるが,分析結果に大きな偏りは見られなかったため,ここでは例示的に1つ の分析結果のみを取り出して示している。 4 cluster 1 cluster 2 cluster 3 cluster 4 3 政府の消費支出(対GDP比) 解雇予告期間 労働組合組織率 SWE 2 DNK NLD BEL 1 FIN FRA PRT グローバル化 金融市場の自由化 -1 GBR 製品市場規制(参入障壁) 失業者への起業支援(ALP) AUT 0 第2因子 (15.54%) GRC IRL CAN NOR ESP NZL ITA DEU CHE JPN AUS KOR -2 USA :1980年代後半 -3 :1990年代 金融部門の付加価値シェア -4 -2 0 2 :2000年代前半 4 6 第1因子 (24.19%) 図1 1980年代中葉から2000年代中葉にかけての諸国の変容 この分析結果にクラスター分析を適用すれば,同図に示されるように4つのクラスターを 見いだすことができる。さらに各国の時間を通じた軌跡を ると,その制度的構図の軌道を 特定することができる。 まずクラスターの特徴を整理しよう。クラスター1は図中左上方に位置し,例えば1990 年代のスウェーデンといった北欧諸国,ベルギーなどの大陸欧州諸国,さらに2000年代にお けるギリシャやポルトガルといった南欧諸国から構成される。 クラスター2は図中左下方に位置し,アメリカ,イギリス,オーストラリア,カナダとい うアングロサクソン諸国が全期間を通じて含まれるのに加えて,90年代以降のドイツ,スイ ス,スペイン,2000年代以降は,イタリア,ノルウェーと場所を問わず所属する国が増加し ている。90年代以降の日本と2000年代の韓国も同クラスターに所属する。ベルギー,デンマ ークといった大陸欧州諸国あおよび北欧諸国を含んでいる。その特徴は,いずれの市場にお いても自由化が進んでいる点にある。 クラスター3は,主に図中右上方に位置する。1980年代もしくは90年代までの多くの欧 州諸国がこのクラスターを構成する。それらは規制された市場や充実した社会保障や雇用あ るいは労働者の保護といった特徴を共有している。このクラスターよりもさらに右方または 下方に位置するクラスター4には,日本,イタリア(ともに1980年代),韓国(1990年代ま で)が属し,製品市場の規制厳格である,あるいはグローバル化や金融市場の自由化がさほ ど進んでいないという点が他国よりも顕著であると言える。 時間的変化を見ると全体として,対象国すべての制度的構図は図中左方向へ移動する傾向 にある。このことは市場が自由化され経済のグローバル化や金融化が進展する,すなわち市 5 場志向的制度の浸透を示唆する。しかしだからといって,先進資本主義諸国が唯一のモデル へと収斂しているわけではない。図中縦軸で示される社会保障と労働市場にかんする制度に ついては,各国の独自性が表出し,2000年代においても明確に異なる2つのクラスターを確 認することができる。すなわち,市場志向的制度が浸透する下でも,先進諸国における制度 的構図の多様性は維持されている。 4.「市場志向的」制度変化の多様性が所得分配にあたえる効果 次に,前節の分析で得られた市場化が進むもとで観察される制度的構図の多様性――そ れは第1因子と第2因子の組合せの相違として定義される――が,機能的所得分配にどのよう 影響をあたえるのかを検討しよう。ここで想定される仮説は,各種市場の自由化が進む中で も維持される制度的構図の多様性(異なるクラスター)が,あるいは各国の制度的構図が る経路の違いが,各国の賃金シェアに対して異なる影響を与えるだろうというものである。 ただし,特定の国が時間を通じて同じクラスターに所属し続けるわけではない。したが って,クラスターだけでなくクラスター間の移行も考慮して,国をいくつかのグループに再 分類する。再分類の結果は次の通りである グループ1:全期間を通してクラスター2に所属する国(オーストリア,カナダ,イギリ ス,アメリカ) グループ2:クラスター3から1へ移行した国(オーストリア,ベルギー,デンマーク,フ ィンランド,フランス,ギリシャ,アイルランド,オランダ,ポルトガル, スウェーデン) グループ3:クラスター2から3へ移行した国(ドイツ,ニュージーランド,ノルウェー, スペイン,スイス) グループ4:クラスター4から2へ移行した国(イタリア,日本,韓国) 以下では,このグループごとに賃金シェアへの影響が異なるかを検討する。 41. データと分析手法 従属変数として取り上げるのは賃金シェアである。具体的には,AMECO database が提 供する「調整済み賃金シェア」の指標を採用する。また独立変数の選択は非常に単純であ る。まずコントロール変数として,資本労働比率および労働生産性の対数値を挙げる。両者 は一般的には負値が予測されるが,時間を経て異なる効果ももつことが予想される。 本稿で主に検討される説明変数は,前節の分析で得られた制度的構図の変容にかかわる 多様性を規定する第1因子と第2因子である。第1因子はそれを構成する主たる変数の効果を 考慮すると,全体として賃金シェア対して正の効果をもつと予測できる。対する第2因子は 全体として,賃金シェアに対して正の効果をもつと期待できる。 ここでの分析の目的は,制度的構図の多様性を規定する要因が賃金シェアに影響をあた えるか否かを確認するばかりでなく,その多様性が賃金シェアに対して異なる効果をもつか 6 について検討することである。こうした目的を達成すべく本稿ではマルチレベル分析を採用 する。そこで用いられるデータは階層的に構成される必要があり,本稿では個々の国は,上 述した軌道のグループの入れ子となっている。 4-2. モデルの特定化 マルチレベル分析の手法にしたがって,推計モデルを特定化しよう。本稿では2レベルの モデルを想定する。推計式は以下のとおりである。 ( ) adjWSijt = β1,0 + ζ 1 j + β 2 ln prodijt + β 3 ln prodij (t −1) + β 4 ln prodij (t −2 ) + β 5 caplabijt + β 6 caplabij (t −1) + β 7 caplabij (t −2 ) ( ) ( ) + β 8,0 + ζ 8 j factor1ijt + β 9,0 + ζ 9 j factor2 ijt + ε ijt (1) ここで adjWSijt :調整済み賃金シェア, ln prodijt :労働生産性(対数値), caplabijt :資 本労働比率, factor1ij :MFAから得られる第1因子, factor2 ij :同第2因子をそれぞれ表 す。また,下付け添字の i は国を j はグループをtは時点をそれぞれ表す。さらに, ζ . j はグ ループ固有の効果(変量効果)を表し, β j は各国共通の効果(固定効果)を表す。ただ し,労働生産性と資本労働比率については,それぞれのラグ付き変数についても考慮する。 これを推計することによって,グループ別の効果を同定することができる。これは技術的 には,2レベルの固定効果と変量効果を含む混合モデルということになる。 4-3. 推計結果と議論 マルチレベル分析の推計結果は表2の通りである。ただし,推計は制限最尤法(Restricted maximum likelihood: REML)を用い,変量効果を抽出するための分散・共分散行列は無構 造(unstructured)を想定した4。 表2 マルチレベル分析(two level model)の推計結果 Part of fixed effect covariate coefficient ln prod -19.623** [7.471] ln prod (t-2) 19.328** [7.495] caplabor 71.138*** [14.476] caplabor (t-2) -60.713*** [14.199] factor 1 1.571** [0.534] factor 2 -1.617 [2.356] const. 12.657 [8.835] Standard errors in brackets 4 Part of random effect: groupe level estimate standard error 95 confidential interval var(factor 1) 1.001 1.065 [0.1241303 8.065754] var(factor 2) 21.885 18.345 [4.232665 113.1567] var(const.) 20.644 17.762 [3.82315 111.4716] cov(factor1,factor2) -4.207 3.867 [-11.78612 3.37149] cov(factor1, const.) -4.302 3.791 [-11.73316 3.128782] cov(factor2,const.) 18.798 16.809 [-14.14714 51.74251] var(Residual) 12.722 0.909 [11.05914 14.63428] N = 410 Number of groups = 4 Observations per group:min=53, average=102.5, max=190 Log restricted-likelihood =-1107.4898 Wald chi2(6) = 86.20 Prob > chi2 = 0.0000 * p<0.1, ** p<0.05, *** p<0.01 マルチレベル分析の詳細については,例えばGelman and Hill (2007) を参照。 7 まず,(1)式のラグ構造について,AICおよびBICの情報基準で判定すると,資本労働比 率および労働生産性の両者について,2期のラグをもつモデルの妥当性が確認される。その 上で,マルチレベル・モデルの有意性について確認しておこう。尤度比(LR)検定を行うと, 通常の線型回帰分析に対してマルチレベル分析が,また固定効果モデル(切片のみにグルー プ固有の効果があると想定するモデル)に対して混合モデルがそれぞれ有意であることを確 認できる。また,グループの級内相関係数 (ICC)を計算すると0.618となる。これらの検定か ら想定された混合モデルが妥当であることが確認できる。 その上で,推計結果からわかることを確認しておこう。まず固定効果部分について見ると (表2左側),労働生産性(対数値)と資本労働比率の係数が共に有意となっている。前者 については,労働生産性と賃金シェアの反循環的関係という通常の想定と合致して,有意な 負の効果を確認できる(Schor 1985)。一方,後者については,2期分のラグを伴う資本労働比 率が有意な負の効果を示し,偏向的技術変化の仮説と整合的である5。 この分析の主要な対象である制度的構図の変容にかんする多様性を規定する2つの要因 について見ておこう。第1因子(製品市場参入への政府介入に対するグローバル化と金融市 場の自由化との対照)の符号が正で統計的に有意である。これは上述した理論的予想と整合 する。これに対して,第2因子(社会保障の寛容さ・労働者の権利保護と金融部門の大きさ との対照)の符号は負となっており,理論的予想と一致しないだけでなく,推計値が統計的 にも有意となっていない。 つづいて,変量効果に着目しよう(表2右側)。第1因子および第2因子の分散(var)に焦点 を当てる。まず両因子の分散値は固定効果部分の標準誤差推計値と比較すると,十分大きな 値となっており,各因子が賃金シェアにあたえる影響はグループ間でかなり違いがあること が推測できる。また,第1要因の分散は第2要因のそれよりもかなり小さくなっていることが 見て取れる。このことは,グローバル化や市場の自由化が,賃金シェアに与える影響は相対 的に見て一様であるのに対して,社会保障や労働者保護が所得分配に与える影響は,各国の 制度的構図に依存することを示唆していると考えられる。こうした示唆は,MFAの分析結果 との比較という意味で興味深い。MFAで析出した第1因子は個体の分散に対する説明力がも っとも高く,次いで第2因子がその次に説明力を有する。これに対してこれら因子に賃金シ ェアがどのように反応するかを比較すると,第2因子の方が第1因子よりもバラつきが大きい というMFAとは逆の結果が出ているのである。このような現象が見られる原因は,第1因子 の変化の方向や量は国によって大きくは異ならない(図2参照)。これに対して,第2因子に かんする各国の推移は第1因子に比べて多様であり,このことが計量分析の推計結果に結び ついていると推測できる。 両者とも,当該期と前後する期間の変数は,当該期をほぼ打ち消す効果を有しており,それぞれ循環的な変動 5 を示唆している。 8 次に変量効果がグループごとにどの程度異なるのかについて,実際にパラメータ値を算出 してみよう。表3では,第2因子も含めたグループごとの推計値が示してある。上の2行は, 第1,第2因子がそれぞれ賃金シェアに与えるグループ特殊的な効果であり,下の2行は,各 因子が固定効果も含めた全体として,賃金シェアに与える影響を示したものである。第1因 子は,ほとんどのグループでグループ・レベルの効果(ζ)と固定効果(β)がともに正値を取 り,賃金シェアに低下圧力をもつ。他方第2因子については,図2の上方へ推移するか下方へ 推移するかは国によって異なる上に,それが賃金シェアに与える効果も異なる。 表3 第1,第2因子が賃金シェアに与える影響のグループ間格差 グループ1 グループ2 グループ3 グループ4 ζ7 factor1 -1.24 -0.30 0.72 0.82 ζ8 factor2 4.12 3.81 -3.19 -4.74 β7+ζ7 0.33 1.27 2.29 2.39 β8+ζ8 2.50 2.19 -4.80 -6.36 さらに詳細に見れば,表3について以下のことを指摘できる。第1に,分析期間を通じて クラスターを維持したグループ(グループ1)は,グループ・レベルの効果(ζ)が固定効 果(β)を減殺して,当該グループに属する国の制度的構図が全体として賃金シェアに与える影 響は相対的に小さなものとなる(表3 下2行を参照)。実際,推計値によるシミュレーショ ンは,安定的な賃金シェアの推移を描き出し,これは賃金シェアの実際の動きと整合的であ 70 62 60 Fitted values of the wage share 64 66 68 Actual values of adjusted wage share 65 70 75 る(図2)6。 1985 1990 1995 year 2000 2005 1985 1990 1995 year 2000 AUS CAN AUS CAN GBR USA GBR USA 2005 図2 賃金シェアの推移:実際値と推計値(グループ1) 次にグループ2に分類される国においてはクラスターの移行を確認できるが,2000年代に はグループ1とは異なるクラスターに属している。これらの国の制度的構図が所得分配に与 える影響については,グループ・レベルの効果の符号がグループ1に等しいものの,効果の ただし実際の賃金シェアの動きを見ると(図4左図),2000年代はこのグループにおいて低下が見られる 6 が,推計はこれをうまく説明できていない(図4右図)。 9 規模はそれよりも小さい。したがって賃金シェアへの影響はグループ1よりも大きくなると 考えられる。 グループ3およびグループ4は,当初に所属するクラスターは異なるものの移行先がクラス ター2という点で共通している。これら2つのグループのグループ・レベル効果は,符号と 大きさにおいて似通っている。第1因子についてはグループ・レベルの効果(ζ)が正値を示 し,固定効果(β)を補完して賃金シェアの低下圧力を強めている。第2因子についても,その 符号はグループ1・2に対するそれと逆転して,負値をとっており,これらのグループの賃金 シェアには相対的に強い低下圧力がかかると予測できる。実際,推計値によるシミュレーシ ョンは通時的に低下する動きを示し(図3右側:グループ4),実際の調整済み賃金シェア 60 60 Fitted values of the wage share 65 70 75 Actual values of adjusted wage share 65 70 75 80 80 85 の動きと大まかには一致する(図3左側)。 1985 1990 1995 year ITA 2000 2005 1985 1990 JPN 1995 year ITA KOR 2000 2005 JPN KOR 図3 賃金シェアの推移:実際値と推計値(グループ4) 上記をまとめれば,1)所属クラスターが変化しなかったグループの賃金シェアは安定 的,2)所属クラスターが変化してクラスター1に移行したグループでは一定程度の賃金シ ェア低下が生じ,3)所属クラスターが変化してクラスター2に移行したグループでは明確 な賃金シェアの低下が生じていることが明らかとなった。 ここから引き出せる含意は2つある。第1に,各国で市場志向的な制度変化が生じる中で も,クラスター間の移行が起こるということは,それだけ大きく当該国の制度的構図が変化 したことを意味すると解釈できる。「市場志向的」制度の浸透で,クラスターが変わるほど に制度的構図が変化した国では,賃金シェアの低下が起こりやすくなったのかもしれない (cf. Kaldor 1958) 。 第2に,クラスターが変わるほどに制度的構図が変化した国においても,どのクラスター に移行するかによって,所得分配の動向は変化する。グローバル化,金融化,市場の自由化 が顕著なクラスター2に移行するような制度変化が生じた国では,社会保障が比較的維持さ れたクラスター1に移行した国に比べて,賃金シェア低下の度合いが大きい。このことは, 各種制度の市場化が進む中でも,社会保障や労使関係にかかわる諸制度の形態が,機能的所 得分配の様態を規定する要因であることを示唆している。 10 5. 結語 本稿で明らかとなった論点を再度整理しておこう。第1に,1980年代以降の先進諸国にお いて,制度的構図の動きを統計的に分析すると,グローバル化と市場の自由化が進む中にあ っても,各国の制度的構図の軌道には多様性が存在することが明らかとなった。また,制度 的構図の多様性を規定するのは,製品市場参入への政府介入に対するグローバル化と金融市 場の自由化との対照(第1因子)がもっとも強く,つづいて社会保障の寛容さ・労働者の権 利保護と金融部門の大きさとの対照(第2因子)である。多様な構図は4つのクラスターに 類型化できる。さらに,通時的に見てクラスター間を移行するか否か,あるいはどのように 移行するかというパターンを基準として分類すると4つのグループが確認できた。 第2に,上記の結果から得られる制度的構図の多様性がマクロレベルの賃金シェアにどの ような影響を与えるかをマルチレベル分析よって推計すると,以下の結果が得られた。第1 に,サンプル全体では,第1因子についてグローバル化や市場の自由化は賃金シェアに対し て統計的に有意な負の効果を確認できる一方,第2因子については,負の効果が見られるが 統計的に有意ではない。またグループごとの効果を求めると,両因子の効果はグループごと に大きく異なることが明らかとなった。とりわけ顕著な違いは,第1に対象期間にクラスタ ーを移行したグループとそうでないグループとの間に認められる。後者のグループでは,両 因子の効果が小さく相対的に安定した賃金シェアの変動が確認できるのに対して,前者のグ ループでは賃金シェアに対して負の効果が認められる。第2に,クラスターを移行したグル ープの中でも,アングロサクソン諸国と同じ市場志向の強いクラスターに移行したグループ では,それ以外のグループと比較して,賃金シェアに対する強い低下圧力にさらされている ことが明らかになった。これらの分析結果は,制度と分配の関係について従来の研究結果と は異なる展望を開く可能性をもつ。従来の研究は,金融化やグローバル化といった個々の制 度が国や諸国のグループに関わりなく所得分配に影響を与えることを指摘するのに対して, 本稿の分析は,一連の現象や制度変化を包括的に捉え,各種領域の制度から構成される制度 的構図がどのようなタイプに移行するかによって,所得分配の動態パターンが異なることを 明らかにした。 (参考文献) Abdi, H. and D. 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