環境化学物質-フタル酸エステル類-による影響

(2)
環境化学物質曝露 -
5) フタル酸エステル類
環境化学物質-フタル酸エステル類-による影響
荒木 敦子
【フタル酸エステル類とは】
フタル酸エステル類は、ベンゼン環に二つのアルキル基がエステル結合している構造を
持ち、沸点は 240-260~380-400℃と高く、揮発性はあまり高くない半揮発性有機化合物で
ある。その用途は多岐にわたり、可塑剤(柔軟性を与えて成型し易くする)としてプラス
チック製品や塩化ビニル製品に加えられることが多いが、その他にも医療器具、医薬品、
化粧品、香水の賦香剤、パーソナルケア用品、洗剤、クリーニング剤、接着剤、農薬の補
助剤、塗料、繊維製品、内装材、フロアタイル、食品容器、ラップ等に使用される。最も
多く使用される化合物は DEHP(ジ(2-エチルヘキシル)フタル酸)で、その他 DiBP(ジイソ
ブチルフタル酸)、DINP(ジイソノニルフタル酸)等がある。フタル酸エステルは塩化ビニ
ルや樹脂とは化学的に結合していないため、時間の経過とともに徐々に滲みだし、空気や
ダストなどとの間で濃度の平衡を保つと考えられている。
代謝は比較的早く、体内での蓄積性はほとんどないが、その汎用性の高さから、恒常的
に曝露されると考えられている。実際に生体からは尿、血清、羊水、母乳から検出され、
また環境中では空気中、ダスト中、水、食べ物、牛乳から検出される。曝露経路としては、
フタル酸エステル類を含む食品、水や液体の摂取、乳幼児にとっては玩具をしゃぶること
で経口摂取される。また、パーソナルケア用品のうち例えば制汗剤などのエアロゾルやダ
ストの吸入、化粧品やパーソナルケア用品からの皮膚吸収のほか、一部医療器具などから
の非経口曝露が懸念される。
【諸外国で行われたフタル酸エステル類と健康影響に関する報告】
動物実験からは、抗アンドロゲン作用とテストステロン濃度の異常、性分化、特に男性
生殖器の異常、出生体重低下や早産、アレルゲンまたは免疫系へのアジュバント作用が報
告されているが、人を対象とした疫学研究は少ない。
生殖器系への影響としては、停留精巣の男の子と健康な男の子を対象にした研究で、母
乳中フタル酸エステル類代謝物濃度とテストステロンの負の相関やステロイドホルモン結
合蛋白質や黄体形成ホルモンとの正の相関がある。また、赤ちゃんの身体測定から胎児期
のお母さんの尿中フタル酸エステル類濃度や羊水中濃度が高いと、肛門性器間距離の低下、
陰茎長や陰茎の太さが小さくなることが報告されている。成人男性では、不妊症傾向の男
性で、フタル酸エステル類の濃度が高いと精子の濃度や量・運動性が低い事が報告されて
いるが、一般集団ではその関連性は見られない。また、胎児期曝露による児の精子能への
影響についても不明である。一方、曝露による女児の思春期早発や早期乳房発育が報告さ
れているが、いずれの報告もサンプル数が少なく、因果関係はわかっていない。
胎児や生後発達への影響としては、曝露は在胎週数を低下させる結果と増長させる結果
があるが、対象とする化合物の構造によって相反する可能性があり、その影響は解明され
ていない。また、生後の発達では、曝露と学童の問題解決力、注意力、集中力、適応力、
言語力などが負の相関を示すことが報告されているが、報告数は 2 報と少なく横断研究の
ため、因果関係についてはわかっていない。
アレルギーや喘息に関しては、フタル酸エステル類(特に DEHP)が含まれるポリ塩化ビ
ニル製の床材や壁紙の使用が有意に喘鳴、咳漱等の呼吸器系の症状リスクをあげること、
ダストに含まれる DEHP や BBzP 濃度が喘鳴、鼻炎、湿疹のリスクになることが報告された
が、いずれも北欧・東欧の報告で報告数は限定されている。
【北海道大学環境健康科学研究教育センターにおける研究】
私たちの研究グループでは、日本の 6 地域の比較的新しい戸建て住宅、および地域の小
学生を対象に室内フタル酸エステル類とアレルギーやシックハウス症候群との関連につい
て研究を実施してきた。その結果、ダスト中 DEHP 、DINP 濃度は欧米や中国、台湾等の諸
外国と比較して高めだったが、DnBP や BBzP はむしろ低い濃度であった(図1)。また、小
学生の尿中フタル酸エステル類の代謝物濃度を調べた結果、DEHP 代謝物の MEHP や 5ox-MEHP
は諸外国よりも高い濃度であった(図 2)。このことから、日本では DEHP は室内空気質から
の曝露レベルが高く、また個人曝露量も多い事が明らかになった。
戸建て住宅においてフタル酸エステル類曝露と居住者の健康では、BBzP で皮膚炎
(OR=2.1, 95%CI:1.1-4.0)、 DEHP で結膜炎(OR=3.5, 95%CI: 1.6-8.9), DEHA(アジピ
ン酸ジエチルヘキシル)で喘息(OR=3.25, 95%CI: 1.46-7.23)と結膜炎(OR=2.23, 95%CI:
1.23-4.07)の有訴リスクが高い結果となった(表1)。
札幌市内小学生 6400 人を対象に調査を行い、住宅環境測定を行った 128 軒について解析
した結果では、床ダスト中の DnBP, DEHP 濃度が児の鼻結膜炎の有訴のリスクが高い結果と
なった(DnBP: OR=2.5, 95%CI:1.1-5.3; DEHP: OR=10.2, 95%CI: 2.3-45.4、性、学年、親
のアレルギー歴、世帯収入、湿度環境、ダニ、エンドトキシン、βグルカンで調整)。一方、
尿中代謝物濃度と喘息やアレルギーとの関連は見られなかった。この理由の一つとして、
住宅環境測定を行った小学生児童のサンプルサイズが不十分であったことが考えられる。
そこで、現在は北海道スタディの 7 歳児を対象に自宅ダストと尿を採取し、フタル酸エス
テル類曝露と喘息・アレルギーとの関連を調査中である。
一方、これらの研究は横断研究であり、因果関係を証明することが困難であるため、更
なる疫学研究が必要とされている。そこで、フタル酸エステル曝露による次世代影響を検
討するために、保存してあった母体血中の DEHP 代謝物である MEHP の濃度を調べ、臍帯血
中 IgE および 18 ヶ月、42 カ月児の喘息・アレルギー有病へのリスクを前向き研究として
検討した。これまでの解析の結果からは、胎児期の DEHP 曝露と IgE および 18 ヶ月、42 カ
月児の喘息・アレルギー有病との関連性は得られていない事から、DEHP 曝露によるアレル
ギー発症への次世代影響はない可能性が示唆された。
1200
DEHP
µ g/gダスト
1000
DINP
DnBP
BBzP
800
600
400
200
0
図 1 床ダスト中のフタル酸エステル類濃度
図 2 床ダスト中フタル酸エステル類濃度と居住者のアレルギー症状との関連
表
1
表2 床ダスト中フタル酸エステル類濃度と住人のアレルギー症状有訴との関連
(n=390)
DIBP
DnBP
BBzP
DEHP
DINP
DEHA
OR
2.20
1.41
1.90
1.34
0.94
3.25
Asthma
(95%CI)
(0.85, 5.72)
(0.76, 2.6)
(0.77, 4.67)
(0.45, 4.03)
(0.37, 2.34)
(1.46, 7.23)**
Dermatitis OR
(95%CI)
1.23
(0.59, 2.53)
1.09
(0.69, 1.71)
2.12
(1.14, 3.97)*
1.54
(0.72, 3.29)
0.88
(0.46, 1.71)
2.23
(1.23, 4.07)**
OR
0.81
0.73
1.41
0.88
0.93
1.12
Rhinitis
(95%CI)
(0.42, 1.56)
(0.48, 1.1)
(0.83, 2.38)
(0.45, 1.72)
(0.53, 1.61)
(0.66, 1.92)
Conjunctivitis OR
(95%CI)
1.18
(0.49, 2.80)
1.14
(0.69, 1.88)
1.46
(0.71, 3.04)
3.74
(1.56, 8.94)**
0.64
(0.30, 1.39)
1.11
(0.53, 2.34)
Each environmental variable was modeled separately using a logistic‐regression model.
The odds ratios were calculated using log10‐transformed variables.
Asthma and allergies models were adjusted for gender, age, smoking, wall‐to‐wall carpet, renovation, dampness index, and pollen allergy. (n=390)
*:p< 0.05, **:p< 0.01
【研究業績一覧】
<論文>
1)
A. Kanazawa, S. Ikue, A. Araki, M. Takeda, M. Ma, R. Kishi: Association between indoor exposure to
semi-volatile organic compounds and building-related symptoms among the occupants of residential
dwellings. Indoor Air 20(1):72-84 (2010)
2)
アイツバマイゆふ、荒木敦子、岸玲子「研究最前線 室内空気中フタル酸エステル類曝露とア
レルギーへの影響」Endocrine Disrupter News Letter 15(1):2 (2012)
<学会発表>
1)
International Society of Exposure Science 22nd Annual Meeting (Seattle, USA:2012 年 10
月 28 日-11 月 1 日)
○ Atsuko Araki, Toshio Kawai, Tazuru Tsuboi, Yu Ait Bamai, Tomoya Takeda, Eiji
Yoshioka, Shuji Tajima, Shigekazu Ukawa, Cong Shi, Reiko Kishi:Determination of
phthalate metabolites in urine of children and their family -Exposure assessment to
plastisizer and flame retardants and their risk on children (3)-
2)
International Society of Exposure Science 22nd Annual Meeting (Seattle, USA:2012 年 10
月 28 日-11 月 1 日)
Tsuboi Tazuru, Toshio Kawai, Atsuko Araki, Yu Ait Bamai, Reiko Kishi:Determination of
human urinary metabolites of five phthalate by gas chromatography-mass spectrometry
-Exposure assessment to plastisizer and flame retardants and their risk on children (1)-
3)
International Society of Exposure Science 22nd Annual Meeting (Seattle, USA:2012 年 10
月 28 日-11 月 1 日)
Toshio Kawai, Tsuboi Tazuru, Atsuko Araki, Yu Ait Bamai, Reiko Kishi : Phthalic
anhydride as a marker of total uptake of phthalate diesters -Exposure assessment to
plastisizer and flame retardants and their risk on children (2)-
4)
30th International Congress on Occupational Health (Cancun, Mexico:2012 年 3 月 18-23
日)
Reiko Kishi, Atsuko Araki, Ikue Saito, Eiji Shibata, Ayako Kanazawa, Kanehisa Morimoto,
Kunio Nakayama, Masatoshi Tanaka, Tomoko Takigawa, Takesumi Yoshimura, Hisao
Chikara, Yasuaki Saijo:Phthalate in house dust and tis relation to sick building syndrome
and allergic symptoms.
1)
第 82 回日本衛生学会(京都:2012 年 3 月 24-26 日)
田川雅大、内藤久雄、林由美、川野愛子、佐々木成子、荒木敦子、小林澄貴、岸玲子「ヒトの
出産前後における血液 DEHP 代謝物濃度の解析」
2)
第 62 回北海道公衆衛生学会(旭川:2010 年 9 月 18 日)
アイトバマイゆふ、荒木敦子、斎藤育江、竹田智哉、早川敦司、吉岡英治、岸玲子「小学生の
シックハウス症候群と住環境に関する研究(2)− ダスト中フタル酸エステル類濃度との関連
−」
3)
2009 年度室内環境学会総会(大阪:2009 年 12 月 13-15 日)
斎藤育江、金澤文子、荒木敦子、森本兼曩、中山邦夫、柴田英治、田中正敏、瀧川智子、吉村
健清、力寿雄、栗田雅行、小縣昭夫、岸玲子「住宅室内ハウスダスト中の可塑剤、難燃剤濃度」
4)
第 78 回日本衛生学会(熊本:2008 年 3 月 28-31 日)
金澤文子、斎藤育江、荒木敦子、竹田誠、矢口久美子、岸玲子「札幌市一般住宅におけるフタ
ル酸エステル、リン酸トリエステルによる室内汚染-実態解明とシックハウス症候群との関連
-」
5)
第 77 回日本衛生学会(大阪:2007 年 3 月 25-28 日)
金澤文子、斎藤育江、竹田誠、荒木敦子、馬明月、瀬戸博、岸玲子「札幌市一般住宅における
フタル酸エステル、リン酸トリエステル、殺虫剤による室内汚染の実態」
<報告書>
平 成 23 年 度 環 境 研 究 総 合 推 進 費「 可 塑 剤・難 燃 剤 の 曝 露 評 価 手 法 の 開 発 と 小 児 ア レ ル ギ ー・
リ ス ク 評 価 へ の 応 用 」【 C-1151】 に よ る 研 究 委 託 業 務 中 間 研 究 等 成 果 報 告 書
研究代表者:岸玲子
平 成 20-22 年 度
総 合 研 究 報 告 書「 シ ッ ク ハ ウ ス 症 候 群 の 原 因 解 明 の た め の 全 国 規 模 の 疫 学
研 究 -化 学 物 質 及 び 真 菌 ・ ダ ニ 等 に よ る 健 康 影 響 の 評 価 と 対 策 」
研究代表者:岸玲子
事業名:厚生労働科学研究費補助金
健康安全・危機管理対策総合研究事業
【参考文献】
1.
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oxidative stress: NHANES 1999-2006. Environ Res 2011;111(5): 718-726
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childhood behavior and executive functioning. Environ Health Perspect 2010;118(4):565-71.
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Environ Health Perspect 1997;105:972-8.