第4回 情報スーパーハイウェイ構想と IT(情報化)投資 1、情報スーパー

情報化社会と経済
IT(情報化)投資と経済成長
第4回 情報スーパーハイウェイ構想と IT(情報化)投資
1、情報スーパーハイウェイ構想とアメリカ経済
(1)情報スーパーハイウェイ構想
「情報スーパーハイウェイ構想」は 1990 年代のはじめ、アメリカ経済が景気回
復に向かっていた時期に発表され、政策に移され、実現化し、そして景気拡大を
加速化した。
クリントン大統領(候補)と
ゴ ア 副 大 統 領 ( 候 補 ) は 1992
年の大統領選挙期間中に「すべて
の家庭、企業、研究室、教室、図書
館、病院を結ぶ情報ネットワーク
をつくる」と公約し、大統領当選
1
後の 93 年にシリコンヴァレー で
アメリカの産業競争力強化のた
めの「情報スーパーハイウェイ」
を 2015 年までにつくるという構
想を発表した。情報を高速かつ大容量で運ぶ高速道路(スーパーハイウェイ)
をつくり、これによってアメリカの企業の生産性を高めるというのである。
こ れ は そ の 後 NII ( National
Information Infrastructure : 全 米 情 報 基
盤 ) 、 GII ( Global Information
Infrastructure:世界情報基盤)構想へと発
展し、ハイウェイ建設に関して 94 年~98 年
に投資総額 2 億 7500 万ドルが計上された。
また民間企業による情報化投資を促すため、
規制緩和による民間の投資活動を促進し、巨大メディア産業を中心とした買収 ・
合併劇が繰り返されたのである。
『覇権を握るのは誰か・アメリカ情報ハイウェイのゆくえ』
(NHK スペシャル、97.7.8)
シリコンヴァレー(Silicon Valley):アメリカ西海岸、サンフランシスコ湾南部地域
の情報通信産業が集積する地域一帯。企業だけでなくスタンフォード大学などの研究機
関が集積し、産学官の連携による技術革新と製品開発を生み出している。
1
13
情報化社会と経済
IT(情報化)投資と経済成長
(2)日本経済と情報スーパーハイウェイ構想
アメリカの「情報スーパーハイウェイ構想」は、日本の動きに刺激されたもの
でもある。まず経済面では、日本経済は 1980 年代にトヨタのカンバン方式にも
代表される生産システムの合理化と低コスト化によって輸出を拡大、大幅な貿
易黒字と経済成長(一方でアメリカの大幅な貿易黒字と失業)をもたらした。
また、情報通信政策の面でも、日本の
NTT は 1980 年代から光ファイバーの敷
2
設を始め、88 年 4 月、には ISDN の INS ネ
ット 64 を世界で初めて開始し、 89 年 6 月
に INS ネ ッ
ト 1500 を 開
始した。これ
3
4
が VAN などの企業のデータ通信、POS システム 、
ファックスなどに利用されてきたのである。そして
90 年 3 月に「新高度情報通信サービスの実現 VI &
P」ヴィジョンを打ち上げた。ここでは光ファイバー
を 2015 年までに家庭に張り巡らし、 B-ISDN (広
帯域統合サービス・デジタル通信網)の全国ネッ
トワークをつくると提案されている(→第6回)。
ISDN(Integrated Service Digital Network):光ファイバー(Optical Fiber)な
どのケーブルを利用して、大容量のデジタル・データの高速な移送するサービス
(1990 年代の段階で1本の光ファイバーで電話回線約 6000 本分の情報量の送受信が
可能)。これによって音声だけでなく、文字や画像・映像などマルチメディア・データ
の移送も双方向(インタラクティブ)で可能になり、電話、ファクシミリ、コンピュータ・
データなどを1つのネットワークで統合的に提供するサービスができる。日本の NTT
が 80 年代に進めていた INS(Information Network System)はそのサービスの1つ
である。
3
VAN(Value Added Network:付加価値通信網):1985 年の電気通信事業法の制定
によって通信事業が自由化され、NTT の他に民間企業が通信回線を敷設してサービス
を行うことが可能になった。これを第1種電気通信事業者というが、この業者から回線
を借り受け、データ通信の他にさまざまなネットワーク・サービスをする業者を第2種
電気通信事業者、あるいは VAN 業者とも言う。現在ではインターネット接続プロバイダ
ーなどがこれにあたる。
4
POS システム(Point Of Sale System:販売時点情報管理システム):商品のパッ
ケージなどに添付されているバーコードをセンサーで読み取ることで、商品情報を店舗
の端末からネットワークを通じて本部へ集約する仕組み。売上管理や在庫管理が効率的
に出来る他、マーケティング情報の集積が可能になる。コンビニエンス・ストア存立と
成長はこの POS システムによって可能になったのであり、現在ではコンビニエンス・
ストアにインターネット端末が設けられ、商品の注文やチケット予約ができるようにな
ってきている。
2
14
情報化社会と経済
IT(情報化)投資と経済成長
このような 1980 年代末から 90 年代始めにかけての日本経済の好調や NTT の
動きがアメリカを刺激し、
「情報スーパーハイウェイ構想」にも影響を与えた。ゴ
ア 副 大 統 領 に 影 響 を 与 え た と 言 わ れ る 経 済 学 者 G ・ ギ ル ダ ー ( George
Gilder)5は『テレビの消える日』6で、
「テレビは過去の遺物で 19 世紀のアイスボ
ックス(氷の冷凍庫)だ」として「日本のテレビ技術をコピーするまでもなく、
米国には世界に誇るコンピュータ産業、テレコム産業が
あるのだから、米国の経営資源を集中的に『テレビ後の
時代』に振り向けるべきだ」と檄を飛ばすと同時に、
「日
本は 1200 億ドルを投じて、 2000 年までに光ファイバ
ーを家庭にまで伸ばす計画をたてている」と警告を発し、
地域電信電話会社やケーブルテレビの利益を投じて光
ファイバー網を作ることを提案している。
また、逆に、
「情報スーパーハイウェイ構想」に対して、
今度は NTT が 93 年には、2010 年までに全家庭に光フ
ァイバーケーブルを張ると発表したりしていた。
G・ギルダー(George Gilder):アメリカの新保守派(Neo Conservatism)の経済
学者・社会学者。1989 年に”Microcosm”(『未来の覇者』NTT 出版)でマイクロコンピ
ュータの世界を描き、2000 年には”Telecosm”によって光通信による世界を描いている。
6
”Life after Television”,1992、
『テレビの消える日』(講談社):G・ギルダーはコン
ピュータが通信手段となり、テレビが役割を終え広告の形態も変質することを「予言」し
ている。
5
15
情報化社会と経済
IT(情報化)投資と経済成長
2、IT(情報化)投資の日米比較
(1)アメリカ企業の IT(情報化)投資の推移
情報インフラの整備に関して日本とアメリカが競っていたにもかかわらず、
IT(情報化)投資において日米の差は歴然としていた。民間企業の IT 投資がマ
クロ経済全体に及ぼす効果には、フロー面(需要面)での有効需要創出効果と、
ストック面(供給面)における生産力効果とがある。ここではフロー面からみ
た情報化投資の日米比較を行う。
アメリカの情報化投資については商務省国民所得統計( NIPA: National
Income and Product Accounts )ベースで民間企業の情報処理・関連機器投資
のデータが公表されている。この情報化投資は、表 2-6 左側のように4つのカテ
ゴリーから構成されている。
日本の IT 投資の範囲をアメリカと比較可能なように日本の産業連関表の部
門分類と対照させ、表 2-6 右側のように該当させた。
16
情報化社会と経済
IT(情報化)投資と経済成長
図 2-5 は、アメリカ企業の IT 投資の内訳と推移を示したものである。IT 投資
の伸び率は、1991 年の景気回復以降、急激かつ大幅に増大している。
一方で、企業組織の再編、ホワイトカラー層のレイオフも IT 投資と同時進行
し、「雇用なき景気回復」とも呼ばれ、「生産性のパラドックス」問題も生じた。
(→アメリカの 90 年代の IT 投資と経済成長の関係は次回以降に詳しく見る)
17
情報化社会と経済
IT(情報化)投資と経済成長
(2)日本企業の IT(情報化)投資の推移
図 2-6 は同時期の日本企業の IT 投資の内訳と推移を示している。
IT 投資は、1986 年から 91 年まではアメリカを上回る伸びを示しており、かな
り活発であったといってよい。また、民間企業設備投資の伸びを大きく上回って
いる。
だが、1991 年から 93 年に日本経済が深刻な景気後退に陥ったため、IT 投資は
1992 年には民間企業設備投資よりも急激に減少する。民間企業設備投資は 1991
年から 94 年まで 4 年連続マイナス成長を続け、従来は聖域化されてきた情報化
投資も削減の対象にされた。
さらに 1995~96 年にかけての景気回復期は増加基調だったが、97 年以降、税
制改革や金融破綻などにより失速非製造業の冷え込み、中小企業の不振(特に
中小企業での債務負担の増加、バランスシートの悪化が設備投資にマイナス影
響を与えた)、などによって日本の設備投資が減速し、IT 投資も激減した。
(→日本の 90 年代の IT 投資と経済停滞についても後に詳しく見てみよう)
18