3.「専業市場」と中国の中小企業集積-義烏、深圳の事例を中心に

アジアフォーラム21
ANNUAL REPORT
3.「専業市場」と中国の中小企業集積-義烏、深圳の事例を中心に
アジア経済研究所
副主任研究員 丁可
【はじめに】
アジア経済研究所の丁可と申します。私は中国の
中小企業を専門にしております。中国の中には
4,200 万社にのぼる膨大な数の中小企業がありま
す。これらの中小企業は基本的に「市場」、卸売市
場をベースに生産と流通の活動を展開しています。
その市場の数を申し上げるとトータルでなんと
60,000 箇所にのぼっています。一見非常に原始的
に見える取引制度である市場は実は中国の現代の
中小企業の活躍に大きく貢献しています。今日の報
告では主に義烏(ギウ)と深圳の事例を中心に中国
の市場、専業市場と呼ばれるものがどのような形で
中小企業集積の発展に役立ったのかについて、話をさせていただきたいと思います。
本論に入る前に、まず中国の国内流通網として、この市場と呼ばれるものがどれだけ
のプレゼンスを占めているのか、この辺を確認させていただきたいと思います。中国の
卸と小売の総額は、2000 年代に入ってから卸・小売総額は2倍くらいに伸びてきました。
そして、図を参照していただくと、ここで折れ線が2つありますが上の方の折れ線は中
国の卸・小売総額において何割くらいの商品が市場で取引されているのか、卸売市場の
ような市場で取引されている商品の割合を表しています。続いて、下の方の折れ線はい
わゆる近代的な流通システム、スーパーやコンビニや百貨店などそういった小売チェー
ン店のシステムで取引されている商品が中国の卸・小売総額の中でどれくらいの割合を
示しているのかを表しています。この2つの折れ線をご覧いただくと非常に驚くべき事
実が見えてきます。つまり 2000 年代に入って高度経済成長期に突入する中国ですが、そ
ういった中国において内需を支えている流通システムが伝統的な市場なのです。取引高
が 1 億円以上の市場の中国の流通全体に占める割合は 2000 年代に入ってから一貫して6
割近く、非常に高い水準を保っています。それに対して、いわゆる近代的な流通システ
ムの百貨店やコンビニ、スーパーが流通全体に占める割合は 03 年から 06 年までは 10%
程度から 20%程度にまで一旦拡大したものの、そのあと伸びていません。06 年をピーク
に、だいたい小売チェーン店のシステムが中国の流通に占める割合は2割程度で推移し
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ています。この一枚の図だけでも非常に明確に、中国の国内の流通は市場によって支え
られている。市場なしには中国の内需の改革、国内市場の開拓は語れないという結論に
至ると思います。
今日は主に4つのことを中心にお話したいと思います。最初に生産の視点から。市場
と中小企業の関係について説明します。専業市場と呼ばれる地場製品の販売に特化した
卸売市場と、その形成と拡大が中国の中小企業産地の発展、また高度化につながってい
るということを事例でもってご説明します。続いて、流通の視点から市場と呼ばれるシ
ステムの意義を考えていきたいと思います。ここでは中国の中小企業産地のなかの専業
市場、そして各消費地の中に位置している卸売市場、さらにアフリカや中近東、ラベと
いった発展途上国の中の市場、こういった市場は今、商人のネットワークによってつな
がるようになっています。このような市場のネットワークは新興市場向けの非常にパワ
フルな流通システムを形成していることを解説したいと思います。その次に、もう少し
抽象的にこの市場の中国の経済、中国の産業発展、中小企業の発展にとっての意味につ
いて考えてみたいと思います。ツーサイドプラットフォームという枠組で市場の本質を
考えていきます。最後に、なぜ中国なのか。なぜ近代的な流通システムではなく、伝統
的、原始的に見える市場のほうが中国の内需を支える形になったのか。そういうことに
ついて中国の特徴的な要素をここで説明したいと思います。
【中小企業産地のなかの「専業市場」(Specialized Market)】
それではまず、中国では重要な中小企業産地、重要な中小企業の集積地に必ずと言っ
ていいくらいに専業市場、Specialized Market と呼ばれる卸売市場ができあがったとい
う事実をご説明したいと思います。例えば義烏。義烏は今世界最大の日用雑貨の産地に
なっています。義烏の中には義烏中国小商品城という市場があり、義烏中国小商品城は
62,000 店を抱えています。世界中のクリスマスギフトの約8割がここから流れていって
います。さらに、6月にワールドカップが行われましたが、ワールドカップでヒットし
たブブゼラ、ブブゼラの約9割がこの義烏から流れています。またみなさんご存知のよ
うに日本の 100 円ショップ、もしくは Yahoo オークションや楽天市場など、電子商取引
の世界で取引されている雑貨のかなりの部分もじつは義烏から調達したものと言われて
います。続いて、深圳、深圳は今、世界最大のコンシューマーエレクトロニクス(CE)
製品の集積地に成長しつつあります。私の手元のデータベースでは約 50,000 社から
60,000 社くらいのCE関連の企業が深圳に立地しているという情報があります。そこで
深圳のなかには、やはり同じようにこういった電子製品を取り扱う巨大な市場ができあ
がっています。華強北電子市場集積ですがそこに、20,000 店舗集積しており、一日あた
りなんと 50 万人のバイヤーが買い付けに行っていると言われています。このほかにも例
えばアパレル製品や、例えば金属加工製品、またはプラスチック製品、プラスチック金
型、さらにはホームテキスタイル。さまざまな中小企業が活躍している産業集積地にお
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いて我々は専業市場と呼ばれる流通システムの姿を確認することができます。では、具
体的にこの専業市場はどういう形で中小企業産地の発展に役立ったのかという点につい
てご説明したいと思います。
専業市場の中小企業発展のメカニズムは2つのパターンに分けることができます。ま
ず1つ目ですがそのポイントは3つあります。ここに書いてあるように、まず専業市場
が大きくなればなるほど産地は量的拡大の現象が起きます。市場が大きくなればなるほ
ど、企業の数も増えていく。2つ目のポイントですが、専業市場では企業の数が増える
だけでなく企業も成長し、世界レベルの大企業が育ってきている。3つ目のポイントで
すが、この市場自体は中小企業の成長を支える上でプラットフォームとしてそれもまた
高度化しつつある。こういう説明をしても非常に抽象的でわかりにくいので、ここでは
義烏の実際の事例でもって説明したいと思います。
この義烏という町ですが 1982 年、今から 30 年くらい前に、この町のなかに小さな市
場ができました。当時は非常に小規模な市場で店舗の数はわずか 700。そして取引高は
400 万元にすぎませんでした。この時点で現地には産業らしい産業がまったくなく、純粋
に農業を中心に展開する地域でした。2009 年になると状況が一変し、現地では小さな市
場が大きな変貌を遂げます。市場の店舗の数が 62,000 店舗にまで爆発的に増え、それに
伴って義烏市場の取引高は 400 億元にまで拡大してきました。ここで注意していただき
たいのは、この 411.19 億元というのは公式データにすぎません。実は現地の専門家の方
の推測によると、年間の実際の取引高は 2,000 億から 3,000 億に達していると言われて
います。なぜ、公表データと実際のデータの間でこれだけのギャップがあるかというと、
この市場で商売をしている経営者は基本的に個人経営として登録しています。個人経営
の場合、政府は定額税しか徴収していません。そのために実際の一社一社の取引の規模
が把握できないわけです。実際の経営の規模を申告していないので政府としては果たし
て毎年一つの店舗がどれくらいの売上を出しているのかその確かな数字を把握できませ
ん。ではこの 2,000 億から 3,000 億の数字はどういう計算で出てきたかというとこの義
烏から毎年約 50 万個のコンテナが海外に輸出されています。1個あたりのコンテナの価
値がだいたい 30 万元から 50 万元くらいです。簡単に掛け算をすると、それだけで 1,500
億元くらいの価値があるわけです。しかも輸出だけでなく内需、国内販売もかなり大き
な割合を占めているので、全体的には年間、少なくとも 2,000 億元から 3,000 億元、日
本円に換算すると3兆円から4兆円くらいの取引規模を抱えている地域になります。こ
の市場は、このような形で急成長を遂げてきたわけですが、それに伴って現地の産業も
劇的に成長を遂げました。09 年時点で地元の雑貨メーカーの数が 25,000 社、何もないと
ころから 25,000 社にまで増えてきて、8つの業種で中国最大の産地を形成してきました。
その一方で義烏の周辺の浙江省地域も非常に数多くの市場がこの義烏市場を中心に商品
を流しているわけです。さらに最近は浙江省以外の省でも遠隔地からわざわざ義烏に商
品を運んでそこからさらに中国中、世界中に商品を流している、そのような動きも見ら
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れるようになりました。一番遠い例で申し上げると雲南省で作ったおみやげものをわざ
わざ義烏まで運んでそこからさらに世界中へ流していく、あるいは内モンゴルで手作業
で組み立てたおみやげものをまた義烏を通して世界中に運んでいく、そのような状況で
あるわけです。
続いて、基本、義烏という市場はインキュベーターとしての役割を果たしています。
例えば世界最大の靴下メーカー、夢娜(モンナ)という会社があるのですが、この会
社はまさに義烏市場が育てた有力会社です。08 年の北京オリンピックの時にはこの会社
が中国政府の正式スポンサーになり、一躍有名になりました。あとは世界最大のストロ
ーメーカー、我々が使っているストローもほとんどこの会社が作っています。それから
リボン、リボンのメーカーもこの義烏で成長を遂げた会社です。さらにアクセサリーの
場合は中国最大の会社である新光という会社が挙げられます。この会社は今スワロフス
キーと連携して、中国市場、あるいは世界市場まで開拓を進めています。筆記具などの
世界でもこのような事例が確認できます。
市場そのものもずっと成長を遂げてきています。1982 年、できた当初は 700 店舗の小
さな市場です。84 年当時の店舗の数は 870 店舗です。86 年に 5,500 店舗にまで増えまし
た。92 年は 15,000 店舗です。2008 年では、既に 62,000 店舗を抱えるようになりました。
わずか 30 年もたたない間に青空市場からいわゆる幕張メッセの様な、劇的な変化を遂げ
たわけです(資料写真参照)。
では、続いて、専業市場、中小企業産地の連動メカニズムの第二のパターンの説明に
入ります。第一のパターンというのは、最終製品、最終消費財を作る中小企業の集積地
が専業市場とともに成長、高度化していくというパターンですが、こちらのほうは部品
加工メーカーの集積がこの専業市場を活用することによって完成品メーカー集積への転
身を遂げるというパターンです。この場合には寡占構造が形成されるはずの産業におい
て、完全競争に近い大量の中小零細組立メーカーが現れるという状況が見られます。こ
のような説明でもやはり分かりにくいので、ここでは深圳のいわゆる山寨(サンサイ)
携帯の事例でこのパターンをご説明したいと思います。山寨というのは、水滸伝の中の
梁山泊のような世界です。山賊たちの活動の拠点です。今の中国社会のキャッチフレー
ズ、流行語のひとつになっています。山寨というのは○○もどき、そっくりさん、を作
るような現象を表しています。それと同時に中国の社会のものづくりの底辺、草の根の
レベルのエネルギーを表している形容詞でもあります。この山寨製品を代表している集
積が深圳の山寨携帯の集積です。携帯電話の組立メーカーは実はかなり寡占状況が生ま
れやすい世界です。日本国内では 16 社しか携帯電話の組み立てメーカーは存在していま
せん。他の欧米の国を見ると、例えばフィンランドだとノキア1社しかなく、またはモ
トローラなど、非常に大企業の独占、あるいは寡占構造を作りやすい世界なのですが、
なんと深圳の一箇所だけで携帯電話メーカーが 1,000 社以上集積しています。どういう
携帯電話を作っているのかですが、NOKIA にちなんで NOKLA となっています。こち
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らは apple 社が iphone を開発しましたので、それに対抗して iorange というのを開発し
ました。これはおもしろいことに、社長は英語があまり得意ではないのでスペルが間違
っています。iorgane になってしまいました。Blackberry という有名な携帯ブランドが
ありますが、それに対抗して BlockBerry が開発されました。オバマ大統領が当選しまし
たので、彼を早速イメージキャラクターに起用しています。この会社はどういう会社名
を名乗っているかというとハーバード通信です。ハーバード大学は中国で非常に知名度
が高いので、それにちなんでハーバード通信という名前になっています。しかし、我々
はこれだけを見て、山寨携帯を侮るわけにはいきません。こちらの携帯電話は Watercube
携帯と呼ばれています。北京オリンピックの水泳会場は、Watercube と呼ばれているわ
けですが、北京オリンピックの組織委員会の許可を得て、現地のメーカーが Watercube
携帯を開発したわけです。Informal セクターに入っていた企業が Formal セクターに入
って、有力企業にまで成長してきたわけです。ですから侮るわけにはいかないです。ち
なみに中国全体で年間7億台くらい携帯電話が作られています。深圳の山寨携帯だけで
年間2億台から3億台作られていると言われています。
ではここで、なぜこの山寨携帯が誕生してきたのか、その発展のプロセスを振り返っ
てみたいと思います。1980 年代には中国の珠江デルタ地域には外資系のエレクトロニク
ス企業が大量に進出していました。それに伴って、現地では電子関連産業のサポーティ
ングインダストリーが次第に発達を遂げてきています。地元の出身者、あるいは深圳で
事務所を設立した内陸部の国有企業の関係者、当時深圳は経済特区ですので多くの内陸
の国有企業たちがわざわざ深圳まで行ってそこで事務所を開設したわけです。あとは、
もと広東省出身者で、文革の時代に香港に亡命した人たち、さらに外資系企業から独立
創業した人々、これらの人たちは部品加工メーカーの主力となったわけです。1990 年代、
この時期から珠江デルタ地域では思いも寄らない変化が現れてきました。発展してわず
か 10 年しか経たない間に、現地では部品加工の厚い基盤を活用しながら、また現地の華
僑北市場のプラットフォームを利用してコンシューマーエレクトロニクス製品の完成品
を組み立てる地場メーカーが大量に現れるようになりました。これらの企業は、ゲーム
機、VCD、DVD、MP3、血圧計、カーナビなど次から次へと開発していきました。この
現象がどれだけすごいのか、東京の大田区の事例と比較していただくと鮮明に分かると
思います。大田区は同じ部品加工の集積地ですが 1920 年代から 90 年以上発展していき
ますが、大田区は発展すればするほど、中小企業はある特殊の分野に特化するようにな
って、企業の個別の規模が益々小さくなって、専門性が高くなっていくわけです。なか
なか大田区では、部品加工の基盤を利用して完成品を組み立てるメーカーは現れてこな
かったのですが、それに対して深圳の場合はたったの 10 年の間に完成品を組み立てるメ
ーカーがたくさん出てきました。それも、ゲーム機や血圧計、カーナビなどいろいろな
商品を組み立てているわけです。こうした状況の中で 2000 年代の中期になって、いよい
よこの山寨携帯と呼ばれる携帯電話が登場するようになりました。山寨携帯の登場を直
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接促したファクターはいくつかあります。まず、技術的なファクターというのがあげら
れます。皆さんご存知かもしれませんが台湾には MTK という IC チップの会社がありま
す。この会社は 2000 年代に入ってから一つの画期的な研究開発を行いました。MTK が
開発した携帯電話用の IC チップ、そのフェイスバンドチップの中には、マルチメディア
用のアプリケーションプロセッサーが同時に組み込まれました。そのことによって、携
帯電話を作るための技術面の障壁が一気に引き下がりました。デスクトップパソコンを
組み立てるのと同じように、誰でも簡単に携帯電話を組み立てられるようになったわけ
です。
次に、携帯電話を設計する場合にデザインハウスに依頼して設計プランを作る必要が
あります。中国では当初は韓国や台湾のデザインハウスに設計を依頼していたのですが、
次第に地場のデザインハウスが現れるようになりました。上海と深圳でだいたい 500 社
以上のデザインハウスが現れてきています。こうしたデザインハウスを使えばだいたい
40 日から 60 日という短期間でひとつの新しい品種の携帯電話を開発することができる
ようになります。続いて、市場、マーケティング面のファクターの説明に入りたいと思
います。これに関して非常におもしろいのは、それまで中国で伝統的な産業部門の生産
に携わっていた商人たち、例えば靴下、衣料品、革靴など、そういったものを作ってい
た伝統的な商人たちが、今度は携帯電話を組み立てる世界に入りました。その代表事例
が、温州商人とスワト出身の商人です。温州以外のところで商売をやっている温州商人
の数は 200 万人以上と言われています。深圳に戻りますが、深圳の一箇所だけでなんと
10 万人くらいの温州商人が商売をしています。そのうちの 1 万人が携帯電話を作ったり
販売したりしている。温州の中にもさらにいろいろな県があるわけですが、そのうちの
平陽という町の出身者が中国国内の携帯電話部品の、生産と流通の商売の約7割を握っ
ていると言われています。最後に今まで説明してきた専業市場、深圳市内の華強北市場、
この市場は山寨携帯の登場の過程で決定的な役割を果たしました。携帯電話を生産する、
また流通するバリューチェーン、バリューチェーンの組織者、オーガナイザーとしての
役割を華強北市場が果たしたわけです。この市場は一方では、組み立てメーカーと部品
サプライヤーを意図的に地理的に一箇所に集積させた、つまりこの市場を一周すると携
帯電話を作るためのあらゆる部品を手に入れることができるわけです。さらに、この市
場は他方では国内外の新興市場のバイヤーをどんどん引きつけてきている。一日当たり
平均にして 50 万人が華強北へ買いつけに行っていると現地では公表されています。こち
らは山寨携帯の生産と流通の流れになっています。この図に書いてあるように金型以外、
ほとんどの業者はこの華強北市場に販売拠点を持っています。この中で主導権を握って
いるのが温州出身者やスワト出身者で、彼らは Assembler、ファブレスメーカーとして
活躍しています。IC を調達して、デザインやプランは買ってきて、基礎関連とか電池を
買 っ て き て 、 自 分 た ち で 組 み 立 て る 場 合 も あ れ ば 、 OEM ( Original Equipment
Manufacturer)工場へ外注に出す場合もあるのですが、できた完成品をさらに国内外の
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商人たちに販売しています。華強北市場の写真です(資料 ppt.参照)。これは携帯電話の
本体を販売している市場の写真です。おもしろいことにここには偽物を徹底的に取り締
まると、わざわざ書いてあります。右上は MTK の IC チップです。この IC チップを使
えば誰でも簡単に携帯電話が組み立てられると言われています。これは i phone もどきの
タッチパネルの売り場になります。これは i phone のカバーです。一周すると携帯電話を
作るためのあらゆる部品と関連する業者に出会うことができます。通常日本では、こう
いう商品は長期相対取引で行われていますので、一般の人たちの目にはほとんど見えな
い。それに対して中国では堂々と売り場で売られている。そのためには中国では「野菜
を売るように携帯電話を売る」というような言い方もしています。下の2枚の写真は華
強北市場のあるバイヤーの情報を表しています。この看板にはいろいろな外国語のバー
ジョンで携帯電話の宣伝をしています。よくよく見ると、ヒンドゥー語、フランス語、
ロシア語、ドイツ語、タイ語、英語、ベトナム語、イタリア語、スペイン語、アラビア
語、ポルトガル語、中国語などです。日本語を除いたあらゆるメインの言語の携帯がこ
こで開発されています。日本語だけが作られていません。日本人は偽物は一切買わない
ので作っても売れないと現地の業者はわかっているわけです。
【新興市場に広がる専業市場システム】
流通の視点で、中小企業集積でできた製品が専業市場を通じてどういう形で中国中、
また、世界中の新興市場に流れているのか、この点についてご説明したいと思います。
結論から言うと、今中国の中で、あるいは世界中の新興市場の中で、このような、専業
市場システムと呼ばれている、市場のネットワークができあがっています。その頂点が、
義烏中国小商品城のような専業市場になっています。そこから商品は各主要消費地に位
置している卸売市場の中に流れていきます。各卸売市場の中から、更に商品は農村部の
底辺などで商品市場や、あるいはスーパーとかコンビニなど、直接消費者の手元に流れ
ていくわけです。
では、どうしてこのような市場のネットワークが形成されてきたのか、それに関して
最も重要な要因として指摘できるのがこちらの地域商人集団です。皆さんご存知のよう
に中国は商人の国です。伝統社会、伝統中国の中で、既に山西商人、安徽商人、浙江商
人、江蘇商人、広東商人など、いろいろな商人の集団ができあがっていました。毛沢東
の時代にこの人々は徹底的につぶされました。商業の伝統は毛沢東の時代において徹底
的につぶされたわけですが、改革解放期に入ると、それが一気によみがえりました。そ
の中でも特に浙江省、浙江省出身の人々は一番の活躍を見せています。例えば温州商人
や、義烏の商人など、このような人々が一番活躍しています。彼らに関して面白いのは
その中で行商人だけでなく、初期の時点で渡り職人として商売をやっていた人々が非常
に多かったのです。遠隔地との間の商品のやり取りが得意なわけですが、それだけでな
く技術も持っています。製品も彼らが作れるわけです。生産と流通のスキルを両方持っ
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ていて、生産と流通の間が行ったり来たりしているわけです。この人たちが市場のネッ
トワークの形成にとても重要な役割を果たしている決定的な証拠がこちらの表にありま
す。これは 1990 年の時点のデータ表ですが、この時点で中国中に約 7,000 人の義烏出身
の商人が商売をやっています。彼らはどういうところで商売をやっているのかと言いま
すと、ほとんど中国主要都市の市場になっています。彼らはみんな、この市場を拠点に
活動を展開しています。当初、この市場のネットワークは中国の国内市場をベースに展
開していました。それが次第に海外市場、特に新興市場にネットワークを持つようにな
りました。外国人が義烏に買い付けに来るようになりましたし、また中国の商人がどん
どん海外に多く出て行って海外で商売をやるようになりました。
義烏市場の中の外国商人ですが、2007 年のときに 26 万の外国人バイヤーが義烏を訪
れています。2009 年時点で、義烏の中で事務所を設立した外国人企業は 89 カ国から来
ていて、事務所の数はトータルで 2,730 になっています。常駐している外国人は 13,000
人です。トップ 10 の国籍を挙げてみたのですが、
だいたい3つのタイプに分けられます。
1 つ目のタイプは1位の香港や、4位の UAE のような貿易の拠点になっている国の場合
です。もう1つのタイプはパキスタンやインドのように商人の商業の伝統が非常に長く、
昔から国際貿易をやっていた人たち。彼らも次第にこの義烏のほうに押し寄せてきてい
ます。最後に3つ目のタイプですが、アフガンやスーダン、イランなど、今、まさに戦
争が起きている、あるいは戦争が終わった直後の国です。これらの国では商品が窮乏し
ている、不足しているので、そういった商品に対するニーズがあるために彼らが義烏で
商品を調達しているというパターンが挙げられます。一方では外国人が義烏に買い付け
に来るわけですが、それと同時に大勢の中国商人がどんどん海外に出て行って、彼らは
海外からバイヤーとしてまた義烏に買い付けに来るわけです。このあたりのデータは浙
江省華僑協会が 2009 年に行った調査の結果ですが、海外の卸売市場の貿易に従事してい
て、義烏市場を中心に商品調達をしている浙江省の商人はおよそ 1.5 万人です。この人々
は年におよそ3~4回義烏へ仕入れに来ています。彼らの一回当たりの取引額は約 25 万
~35 万元に達しています。この浙江省出身者を主体とする中国商人による買い付け額は
輸出全体の 65 パーセント以上を占めると推測されています。義烏市場の店舗の視点から
見ると、店舗の約7割以上が海外の中国商人、華僑の人たちとの取引になります。
ここでみなさん、注目していただきたいのは、この華僑の人たちは今世界中に幅をき
かせています。浙江商人の地域分布を見ると、ヨーロッパ 60 数万人、南米と北米合わせ
て 30 数万人、アジアは 10 数万人、アフリカでも 1 万人くらいです。オセアニアが3万
人、香港が 34 万人という状況です。最近、国際的に注目をあびている、アフリカの中国
商人の話をしておきたいと思います。南アフリカには今 10 万から 15 万人くらいの中国
人移民がいると言われています。主に沿海部の出身者が多く、彼らは貿易とか観光に従
事しています。その中で最も活躍しているのが、浙江商人です。この人々は一般的に国
内で市場の経営の経験を持っています。2004 年時点、古い数字になりますが、400 人の
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浙江商人によって、15 億元の売上に達しています。ヨハネスブルクの中国関係の市場で
は、3分の1くらいの店舗は温州出身者によって所有されています。浙江商人がどのよ
うに商売をやっているのかですが、例えば A さん。温州出身の女性です。90 年から杭州
でアパレルの卸売市場で商売を始めました。98 年に視察で国外にでかけます。アラブ首
長国連邦(UAE)が暑すぎましたので、気候と環境のいい南アフリカを進出先として選
びました。2000 年にヨハネスブルクで何軒かの店舗を購入。現在は娘と婿とともに南ア
でビジネスをやっています。夫は他の国で靴のビジネスをやっています。商売をやるた
めなら家族が離れ離れになっても構わないわけです。夫が他の国で靴を販売、自分たち
は南アで他のもので儲けよう、と。そして、こういうことを述べています。「南アフリカ
が治安は極めて悪く、何度か被害を受けた。将来やはり中国へ戻り、工場を開設したい
と考えている。」もし日本の企業の場合、治安が悪く何度も被害を受けたら即撤退するこ
とになると思います。そうではなくて、まだ一歩踏ん張って、何年か頑張ってお金を貯
めてから帰るとそういうふうに中国の商人たちは考えています。ワールドカップの時に、
日本のテレビ局は女子アナを南アフリカに送ることを見合わせたわけですが、それに対
して中国の女性の経営者がこのような形で南アフリカで頑張っているわけです。次の人
もやはり女性で義烏の出身です。2003 年に夫と共に南アフリカへわたり、ヨハネスブル
クの東方商城というところで、自家製のかつらを販売し、同時に、中国製の下着、アク
セサリー、文房具も扱っています。ここも非常に中国的なやり方です。会社の経営者、
オーナーがマーケティングの第一線に立つわけです。生産はスタッフに任せていいわけ
ですが、市場の開拓、マーケティングだけは自分たちが第一線に立ってやらなければな
らないと思って、夫と一緒にアフリカの市場開拓の第一線に行っています。こういうこ
とを述べています。
「南アフリカの天気と市場は大変気に入っているが治安があまりにも
悪い。黒人の強盗に遭ってもう少しで命を落とす所だった。警察から嫌がらせを受けた
こともある。2~3年後には必ず義烏に戻る。
」と、同じように、お金を稼げるなら命を
惜しまないのです。たとえ命を侵される危険があってもやはり現地で頑張りたいと思う。
そういうような商人の魂が彼らの中にあります。こういう商人の一例を見て、私は思わ
ず、資本論第一巻でマルクスが引用したイギリスの労働活動家ダニングの言葉を思い出
しました。
『適正利潤を求めて資本は極めてあつかましい。10%程度ならどこでも雇用を
保証する。20%程度なら熱心になる。50%で断然図々しくなる。100%ならいつでも人間
のほうを踏みにじる。300%になると罪を犯しても良心を痛めず絞首刑に処せられようと
どんな危ない橋も渡る。騒乱や争いごとが利益をもたらすなら遠慮なくそれらをかきた
てる。』中国の商人はかつての 19 世紀のイギリスの資本家みたいにそこまで労働者を搾
取してはいないと思いますが、しかし、利益を稼ぐために命を惜しまないという点では
やはり、経営者、企業家の本性は共通しているのだなと感じています。ちなみにアフリ
カでは貧困層が大部分を占めているのですが、実はとても利益率は高い。例えば南アと
アンゴラの櫛ですが、中国で3元、4元のものが向こうへもって行くと 35 元から 40 元
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くらいの高い値段で販売できる。洗濯機は中国では 1,300 元で売っているのに、アンゴ
ラではなんと 8,000 元以上です。それだけマージンが高いわけです。このような高いマ
ージンがあるからこそ、中国の商人たちは命の危険を冒しながらも勇気を持って出てき
たと言えると思います。
【「専業市場」の本質について考える】
Two-sided platform という枠組みでこの市場の本質を考えてみたいと思います。産業
集積は市場とのリンケージのあり方、つまり生産者と流通業者の取引関係の違いによっ
て2つのタイプに分けることができます。1 つ目のタイプ、私は Merchant Mode Cluster
と呼んでいます。2つ目のタイプの産業集積、私はこれを Two-sided Platform Mode
Cluster と呼んでいます。その構造は、プロデューサーとバイヤーのつなぎの部分に一番
大きな違いがあります。マーチャントモードの場合は、生産者が一旦製品をマーチャン
トに販売します。マーチャントは買い取った商品をさらにバイヤーのほうに販売してい
きます。生産者は生産に特化する、マーチャントは流通に特化する。生産と、遠隔地の
商人、消費者の間では Interaction つまり交流がありません。生産と流通の間には大きな
壁が立ちはだかっています。どちらかというと日本の産業集積、日本の中小企業はこの
ような環境の中でビジネスを展開しているのではないかなと思います。それと対照的に
なるのはツーサイドプラットフォームモードです。生産者とバイヤーの間に、商人、マ
ーチャントが存在しません。その代わり、Platform、つまり市場があります。生産者は
直接市場に出店します。また、バイヤーも遠隔地から直接市場に買い付けに行きます。
生産者とバイヤーは直接この市場で取引を行います。生産と流通の間で壁がないわけで
す。生産者と遠隔地のバイヤーは直接ここで取引、情報交換ができるようになっていま
す。このような、情報交換、取引、活発な交流によって実はさまざまな経済効果が出て
きます。まず、中小のメーカーはプラットフォームを利用して、直接遠隔地のバイヤー
と取引を行う可能性が大きい。メーカーは販売のリスクをとらなければいけません。そ
の一方で市場情報の入手が非常に早く需要の変化に敏感に対応できます。義烏と深圳の
事例で確認したいと思います。義烏市場の中に出店している店舗、その店舗は果たして
メーカーなのか、果たして商人なのか、データを見ると、当初、90 年代の初期には、メ
ーカー直販の比率が非常に低かった。2割の店舗がメーカーでした。90 年代に入ると、
その比率がぐっと上昇し、2007 年に入ると、46%、5割近くの店舗がメーカーになって
います。だんだんこのメーカー直販の率が上昇しています。メーカーが市場の中の販売
の主体になります。メーカーが販売の主体になることで直接市場の動向を把握すること
ができる、そのために新しい商品を自分たちで企画して開発していくことが可能になり
ます。次に義烏市場の中の店舗がどのようなペースで新商品を開発しているのかを見る
と、タオル、メガネ、レースのメーカーはやはり毎月 10 種類以上の新商品を開発してい
ます。ほとんどの業種の店舗は毎月のように新しい商品を開発している。これはやはり
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メーカーが直接マーケットに直面している、市場の動向に非常に敏感であるからこそ、
こういう新商品開発が行なわれます。
深圳の事例を見てみましょう。中国にはアリババという、中小企業の電子商取引をサ
ポートするサイトがあるのですが、アリババの企業のデータベースを確認すると、例え
ば深圳の携帯電話メーカー、407 社の情報があります。そのうちの 231 社が生産確保だ
けでなくマーケティングも同時にやっています。生産確保に特化しているわけではなく、
自分たちで同時にマーケティングもやっています。続いて、部品メーカー、部品メーカ
ーもやはり同じです。1,700 社ある部品メーカーのうち、860 社が生産加工に乗じてマー
ケティングを同時にやっています。彼らもやはり市場に直面しているので、自分たちで
生産と同時に流通も担っています。続いて、Two-sided Platform Mode の場合は、メー
カーとバイヤーの間で非常に強い、間接的ネットワーク効果と呼ばれる経済効果が働い
ています。中小メーカー、中小のバイヤーがお互いに惹きつけあいます。この場合集積
全体の生産企業の拡大と新市場の開拓が同時に進むわけです。どういうことかというと、
この義烏市場、一枚のデータ表で非常にきれいに見えてきます。90 年の時点で店舗の数
が 8,900 であるのに対し、バイヤーの数は1万人です。2004 年になると店舗が 42,000
まで増えてきたのに対し、バイヤーの数は 214,000 人。ここまで増えてきました。つま
り生産者の規模が増えれば増えるほど、バイヤーの数も増える。バイヤーの数が増えて
くると更に生産者が増えていく。このような好循環が生まれています。このため、生産
者の数が増えても増えすぎることはありません。新しいバイヤーがどんどんやって来て、
新しい市場が同時に開拓されていくわけですから、いくら生産者の数が増えてきても淘
汰されません。
最後に産業の高度化はこの場合プラットフォーム機能の向上に現れています。まず、
流通の面においてはプラットフォームの経営者である地方政府が、つまり、この市場を
運営しているパブリック・セクターですが、地方政府が市と場の双方からプラットフォ
ームの整備を行っています。また、生産の面でも政府は企業支援の様々な機能を導入し
ています。まず、市場は市と場の双方からできているのですが、まず市については市況
を盛り上げる、バイヤーとセラーをどんどん誘致してくる、そのことが非常に重要です。
それを実現するために政府は市場への参入の障壁をなるべく取り除いたり、地域商人集
団を誘致したり、全国的なメディアを利用して、市場の宣伝、コマーシャルを出したり、
様々な形で市場の宣伝を行っています。それによって市況が盛り上がります。さらに環
境の整備、取引のインフラの整備になります。義烏市場は 62,000 店舗、売り手として
62,000 あります。それに対して 21 万人が毎日のように買い付けに来ています。この6万
対 21 万の間の取引を効率的に支え保証していかなければいけない。その効率的な取引を
保証するために地方政府はさまざまな制度設計を行いました。さらに流通の面だけでは
なくて、生産の面でもこの市場のプラットフォームを利用して、中小企業を支援するさ
まざまなことをやっています。例えば浙江省の余姚という町に金型市場があります。こ
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の金型市場の中にはトレーニングセンターがあります。検査測定センター、R&D センタ
ー、精密加工基地など、そういった会社の内部ではできない機能をなるべくパブリック・
セクターが代わりする機能を提供しています。つまり流通の面だけでなく、生産の面で
も中小企業の育成、サポートを行っているわけです。
【なぜ中国なのか?】
最後に、なぜ、中国でこのような中小企業集積と専業市場集積が連動しながら発展し
ていくような現象が見られるようになったか。ここでは国内市場、地域商人集団、地方
政府、モジュール化の4つのファクターを取り上げたいと思います。日本の高度成長期
の国内市場と比較していただきたいのですが、日本の場合は高度成長期を通じて、中間
層を中心として、非常に平等で均質的な分配を中心とする社会が形成されてきました。
それに対して中国は、高度成長期に格差がどんどん拡大してきました。それゆえに、中
国の中には巨大のローエンドの需要が高度成長期に生まれてきました。このローエンド
の需要の大きさを表すデータが2つあります。まずジニ係数ですが、88 年から 02 年の間
に 0.382 から 0.454 まで上がっています。この 0.454 というのは非常に危ない数字です。
中国以外の他の国がこういう数字を抱えていたら、今にも革命が起こりそうという状況
に立たされています。中国は状況が少し違います。それでも中国の社会は比較的健全な
形で何とか今の状況が保たれているわけです。もう 1 つのデータになりますが、非正規
就業者を主体とする労働市場の構造変化は実はやはり中国の中のローエンドの需要の創
出に大きく貢献してしまいました。1978 年から 2006 年の間、中国の正規就業者の数は
0.95 億人から 1.15 億人まで 2000 万人増えました。また、農業の就業者は 2.8 億人から
3億人へやはり 2,000 万人増えています。それに対して、非正規就業者がなんと 1.5 万人
から 2.48 億人へ、爆発的に増えています。1.5 億人の間違いではなく、1.5 万人です。な
ぜなら 78 年までは中国はまだ計画経済で、非正規就業を一切認めなかったのです。この
3つの数字を見ると、今後の中国社会も、決してかつての日本のように中間層を中心と
する社会にはならない。中国はあくまで、膨大な非正規就業者と農業就業者を主体とす
る構造の中で中国社会はこれから推移していくのです。この点は実は、今後の中国市場
の開拓を考え、検討している日本企業にとっては非常に重要な意味を持っています。中
国の社会の基本的な構造が日本と違うわけですから、日本のマーケティングの感覚で中
国で商売をしても、決して成功するわけがないのです。この大きな格差が存在している
前提条件で、どのように中国社会と接していけばいいのか、中国のマーケットを開拓し
ていけばいいのか、ぜひ皆さん考えていっていただきたいと思います。
中国の国内市場のもう1つの特徴というのは、ここには支配的な商業資本は存在しな
い。日本の総合商社、三井物産や伊藤忠のような総合商社は中国の中には存在しないの
です。その理由は先程もご説明したように、伝統的な商業資本は毛沢東の時代に徹底的
につぶされました。それと同時に、中国の国営の流通システムが非常に非効率で硬直的
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で市場化の過程でそれが崩壊の一途を辿るようになるのです。そのために中国では市場
経済化が進む過程で、メーカーにとって、生産者にとって販売面で頼れる商人、仲介業
者が存在しませんでした。中国の生産者、メーカーはたとえ中小零細企業でも自分たち
の手で販売をしなければならなかったわけです。巨大なローエンドの需要、そして支配
的な商業資本の不在、この2点によって、結局中国の国内市場においてこのような特徴
がみられました。非常に低い参入障壁と退出コスト、誰でも新しい産業に参入でき、誰
でも簡単に退出できる、そのような状況になりました。ですから企業の数が爆発的に増
えてきたわけです。2つ目のファクターは地域商人集団です。説明をしていますので飛
ばします。3つ目は中国の地方政府です。地方政府を考えた場合に他の国とのひとつの
決定的な違いは、中国は土地が国有です。中国の地方政府はその地方の最大で唯一の地
主です。地方政府は土地の所有者であるとともに、土地の運営業者でもあります。二重
の性格の持ち主です。この二重の性格を持つ地方政府として、90 年代までは政府が自ら
企業を経営し郷鎮企業と呼ばれる形の企業形態を経営していましたが、それが 90 年代以
降、プラットフォーム経営者に転身を遂げることになりました。つまり政府自ら、所有
している土地を自分たちが運営しながら企業を誘致したり、プラットフォームの関係を
整備したりする様な形で地域経済を牽引していくようになりました。政府は企業誘致を
巡って非常に激しい競争を展開していきます。競争が働く結果、最終的には一個一個の
プラットフォームの機能がどんどんよくなっていって、先程ご紹介したように、義烏市
場の発展の高度化のプロセスが競争の結果として現れました。
最後のファクターとしてはモジュール化というものをご説明したいと思います。90 年
代、世界中で製品設計のモジュール化が一気に進展しました。そのことによって、部品
の標準化が進み、多くの産業での生産技術面で、参入障壁が大幅に低下するようになり
ました。中国の製造業の動向は、ちょうどこのモジュール化の潮流と合致しています。
90 年代の成長してきた中国メーカーは、モジュール化のメリットを存分に享受すること
ができました。その結果、多くの中国企業はコアの部品を生産開発できなくても、国際
競争力を構築できる様になったのです。これに関しての様々な研究がなされていますが、
例えば自動車産業では、中国には地場の自動車メーカーが約 100 社あります。100 社の
うち、なんと 58 社が、自社でエンジンが開発できない。自動車の心臓であるエンジンが
開発できない。エンジンが開発できないまま、しかし、ちゃんと自動車を組み立てて完
成品を作り、自分たちで販売して一大ビジネスを成しているという状況が生まれていま
す。また、エアコンですが、中国の地場のメーカーが作っているエアコンのうち、約8
割のエアコンのコンプレッサーは日本企業で調達しています。エアコンの生産メーカー
はやはり同じように、コンプレッサーが作れない。さらに同じようにカラーテレビの IC
の約8割をやはり同じく日本企業から調達している。中国の企業は一番コアの部分であ
る IC を開発できない。しかし IC はモジュール化が進んでいて、IC を外から買ってくれ
ばどこの企業でも簡単に完成品を組み立てられる。そのような形で、モジュール化は中
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国の製造業の発展に非常に役立った。このモジュール化の最も典型的に表しているのが、
台湾のメディアテックという会社が開発した IC チップの事例です。山寨メーカーが使っ
ている IC チップのほとんどは台湾のメディアテックから調達しています。繰り返しにな
りますが、モジュール化が進んで部品がみんな標準部品になっている。そのことによっ
て、外から部品を買ってくればいいわけですので、この場合技術面で実力を持たせるよ
りもいかに安く効率よく部品を調達するのか、さらに部品で組み立てた完成品をいかに
効率的に順調に販売していくのか、そういったところに中国の中小企業全体の経営のポ
イントが置かれるようになりました。それが中国の中で市場という非常にユニークな流
通システムが大きなプレゼンスを持つようになった最大の理由になっています。
(平成 22 年7月 28 日開催)
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