歯学部創立60周年式典・記念講演会・祝賀会

(20)第 109 号
阪大歯学部同窓会報
大阪大学歯学部
創立60周年記念式典
司会:前田 教授
平成 24 年 2 月 20 日
平成 23 年 11 月 23 日
リーガロイヤルホテル ロイヤルホール
阪大歯学部同窓会報
平成 24 年 2 月 20 日
式 辞
大阪大学歯学部長
第 109 号(21)
脇 坂 聡(29 回生)
大阪大学歯学部創立
部省を始めとする関係諸機関のご理解、ご支援によ
60 周 年 記 念 式 典 に 際
り、年々発展を遂げることができました。昭和 26
しまして、大阪大学歯
年の開設当時、教室は全部で 6 教室であり、第 1 期
学部、歯学部附属病院、
生で卒業した者は 10 名でございましたが、現在で
大学院歯学研究科を代
は 19 教室、卒業生は 3 ,000 人を超えるに至っており
表致しまして、ひとこ
ます。現在歯学部がこのような発展を見ましたのも、
とご挨拶申し上げます。
関係各位のご尽力、ご支援の賜物であり、あらため
本日は、文部科学省
て心より御礼申し上げます。
高等教育局医学教育課村田善則様、厚生労働省保健
60 年と言いますのは、人間では還暦にあたりま
局医療課歯科医療管理官鳥山佳則様、大阪大学総長
す。これまで諸先輩方によって、あるいは学内外の
平野俊夫先生を始め、平素より歯学部、歯学部附属
多くの方々のご尽力によって築かれました 60 年の
病院、歯学研究科の発展にご尽力いただいておりま
さまざまの財産をもとに、本学が社会から望まれて
す関係各位、並びに名誉教授に先生方には、大変お
いる良質な歯科医療人の育成、革新的歯科医療の開
忙しい中、本式典にご臨席いただきまして心よりお
発、これはもちろんのこと、これらを支える歯科医
礼申し上げます。
学研究の推進と、次代を担う研究者、教育者の育成
大阪大学歯学部は本年で 60 周年を迎えますが、
に、構成員一同、力を合わせて輝かしい歴史を積み
その源流はさらに四半世紀遡ることができます。今
重ねるべき新たな一歩を歩み出す所存でございます。
から 80 数年前に、当時の大阪医科大学に歯科学教
ご臨席の皆さま方におかれましては、大阪大学歯
室が設置され、昭和 6 年に当時の大阪医科大学は大
学部、歯学部附属病院、並びに歯学研究科に、今後
阪帝国大学医学部となりました。翌 7 年に医学部に
とも一層のご理解、ご指導、ご支援、並びにご協力
歯科学教室が設置されました。当時、歯科に関する
を賜りますよう切にお願い申し上げて、簡単ではご
教育というのは技術が中心の教育でありまして、歯
ざいますが式辞とさせていただきます。
科医の育成というものは歯科医学専門学校によって
本日はどうも有難うございました。
行われておりましたが、その 80 数年前の当時より
本学部はわが国におけます歯科医学研究の中心的な
役割をなしてきたと言えます。
戦後になりますと、歯科医学は大学レベルで行わ
れるべきであるということで、戦前のそれぞれの歯
科医学専門学校が大学に昇格致しました。しかしな
がら、歯科医師の不足が懸念され、当時、医学部の
弓倉繁家教授等が中心となり、歯科医学の発展と社
会的地位の向上を図るために、歯学部を創立すると
いうことが望ましいとして、歯学部創立の活発な議
論がなされ、歯学部創立の気運が高まりました。こ
のような中、昭和 25 年に大阪大学医学部に歯学科
が設立され、翌 26 年(1951 年)3 月に医学部から独
立致しまして、国立総合大学として最初の歯学部が
設置されました。この際に多くの困難や障害がご
ざいましたが、当時の文部省、並びに大阪大学総
長、医学部長を始め、多くの方々がご尽力され、中
でも初代歯学部長を務められました弓倉先生の粉骨
砕身の努力により設置されたのであります。これ以
後、大阪大学歯学部は、先輩諸先生方の努力と、文
阪大歯学部同窓会報
(22)第 109 号
挨 拶
平成 24 年 2 月 20 日
大阪大学総長
ただいまのご紹介に
あずかりました大阪大
平 野 俊 夫
り組み、わが国の歯科医療研究を常にリードしてま
いりました。
学総長を務めておりま
一方、現在、わが国は戦後最大の危機に直面して
す 平 野 で ご ざ い ま す。
います。大学も大変厳しい状況にあります。しかし、
本日はここに歯学部創
わが国がこの危機を乗り越え、未来に向かってさら
立 60 周年記念式典が開
に発展していくためには、科学の振興と技術開発そ
催されるにあたりまし
してなによりも人材育成が不可欠であることは言を
て、一言ご挨拶を申し
俟ちません。学問と教育の府である大学は今こそ基
上げたいと思います。
本に立ち、大学の本来の使命である理想的学術研究
先程ご紹介がありましたが本学歯学部は、1951 年
の推進と、物事の何が本質であるか、その本質を見
医学部から分離独立し、国立総合大学では初めての
極めることができる能力を有した人材を育成して世
歯学部として誕生いたしました。
に送り出していく必要があると思います。これこそ
当時の歯科医師不足が非常に懸念される中、当時
の文部省、ならびに大阪大学総長、医学部長をはじ
が大学の真の社会貢献であり、大学の使命でござい
ます。
め多数の方々からの御助力、あるいは特に初代歯学
本学歯学部が、大学にあってこそなしうる長期的
部長を務められました弓倉繁家教授の御努力によ
視野にたった口腔科学の基礎的研究はもちろんのこ
り、多くの様々な困難を克服して、創設されたわけ
と、それらを臨床応用した歯科医療技術の開発・推
でございます。その後 60 年、還暦の歳を迎えました。
進による歯科医療の発展を通じて、国民個々の人生
この間、本当に多くの卒業生、3000 名に至る卒業生
の質を高め、豊かな社会の発展に寄与してまいりま
を輩出し、この方々が歯科医療を通じて、国民の健
した。社会が大学に望んでいること、期待している
康の維持、増進に多大な貢献をしてまいりました。
ことを可能にし、実現してきたわけでありますが、
国家百年の計は教育にありと言われていますよう
今後もわが国における歯科・歯学研究の中心的存在
に、わが国の将来はひとえに人材育成にあると思い
としての役割を果たし、未来の医療を構築すること
ます。その中で大学は各方面で指導的な立場に立ち、
を期待しております。
人類の福祉と繁栄に寄与することができる優秀な人
最後になりましたが、本学歯学部がきょうの発展
材を育てて世に送り出すという使命を担ってまいり
を見ましたのは、創設以来御助力をいただきました
ました。
文部科学省の皆様方をはじめ、歴代歯学部長、附属
その中で本学歯学部はこれまでの実績に甘んじる
病院長、教職員、並びに同窓会の方々等、関係者各
ことなく、今後人材育成に力を注ぎ、最近でも口腔
位の御協力の賜物であり、この機会に大阪大学を代
科学研究者育成を主に目的としました学士 - 博士連
表いたしまして、これらの多くの方々に対しまして、
携コースの設置でありますとか、世界をリードする
改めて心から敬意と謝意を表する次第でございます。
国際人の養成をめざした海外交流プログラムの導入
また、本学歯学部の皆様方が、教育・研究に着実
など、非常に大胆な教育課程の改善を図るとともに、
に成果を積み重ねながら、将来へのさらなる飛躍を
歯科医師に対する生涯教育などの社会的責務を果た
期して御尽力されていることは、わたくしといたし
してまいりました。また新たな試みに積極的に取り
ましては、大変心強く喜びに絶えないところでござ
組みながらも、高度な教育を実践していることを高
います。
く評価するとともに、今後もわが国最高水準の教育
地域に生き世界に伸びるをモットーとする大阪
を提供する基幹校として、日本の歯科医療の発展に
大学の中で、歯学部がこの 60 周年記念式典をひと
多大な貢献を果たすことを大いに期待しております。
つの契機といたしまして、関係者各位の御協力の
また一方、研究面におきましては、1980 年代には
もとに、さらなる発展を遂げて、口腔科学・歯科
非齲蝕誘発性の甘味糖の研究開発でございますとか、
医学の中核的機関として、21 世紀はもちろんのこ
現在行われております歯周組織再生医療に関する研
とでありますが、22 世紀においても輝き続けるこ
究など、新しい予防法、診断法や治療法の開発に取
とを祈念いたしまして、また本日ご臨席の皆様の
阪大歯学部同窓会報
平成 24 年 2 月 20 日
ご健康と益々のご活躍を心よりお祈りいたしまし
第 109 号(23)
うもありがとうございました。
て、わたしの挨拶に代えさせていただきます。ど
祝 辞
文部科学省高等教育局医学教育課長
大阪大学歯学部創立
村 田 善 則
え方のもと、初代歯学部長である弓倉先生をはじめ、
60 周 年、 心 か ら お 祝
歴代の学部長、教職員各位の弛みないご努力と、関
い申し上げます。また、
係各位の熱意あふれるご協力のたまものであると存
多くのご来賓の皆様と
じ、心より深く敬意を表する次第です。
ともに、こうして栄え
歯学教育は、歯科医療人、基礎・臨床研究者、お
ある式典にお招きいた
よび教育者の育成など重要な使命を担っています。
だいたこと大変光栄に
この 60 年間、大阪大学歯学部は口腔科学研究の最
存じております。
先端として、国際感覚を備えた歯科医学分野のリー
始めに、3 月 11 日に発生した東日本大震災によっ
ダーとして評価されてまいりました。その中で、約
てお亡くなりになった方々に深く哀悼の意を表しま
3 千名の卒業生を社会に輩出され、国内外の歯科医
すとともに、ご遺族と被害に遭われた方々に心から
学、歯科医療の分野で中核として活躍しておられる
のお見舞いを申し上げます。また、皆様におかれま
ことは、誠に心強い限りです。さらに、本年度より
しては、被災者の救援、医療に多大なるご尽力をい
6 年間、「口の難病から挑むライフイノベーション」
ただき、厚く御礼を申し上げます。
のプロジェクトがスタートしました。口の難病の治
ここに大阪大学歯学部 60 周年記念式典にあたっ
療方法を研究し、誰もが生涯自分の歯でものを食べ、
て、一言お祝いの言葉を申し上げます。大阪大学歯
口に関する疾患もなく、豊かな生活を送ることがで
学部は昭和 26 年 4 月に医学部から分離独立し、国立
きることを目標としておられます。この成果が、世
総合大学最初の歯学部として設置されました。以
界の口腔医学の発展にさらに貢献されるものと期待
来、60 周年の歴史を積み重ね、今日の隆盛を迎えら
しております。
れていることは、創建当初からの目標である、「我
結びに、大阪大学歯学部およびご関係の皆様のご
が国の歯科医学の教育と研究のレベルの向上を図り、
発展を心より祈念しまして、お祝いの言葉といたし
研究と歯科医療を通じて社会に寄与する」という考
ます。
祝 辞
厚生労働省保健局歯科医療管理官
私は大阪大学歯学部
鳥 山 佳 則(34 回生)
げます。
の卒業生で、34 回生で
さて、せっかくの機会ですので、OB として思い
す。多くの諸先輩方が
出話をさせていただきたいと思います。私は大阪大
おられますが、一言お
学歯学部を卒業して丸 25 年になりますが、厚生労
祝いの言葉を述べさせ
働省保健局という部署に勤務していますと、その間、
ていただきます。
全国の歯科大学・歯学部の教員の方々、あるいは研
まずは、大阪大学
修医や学生の方々と接する機会が多々あります。そ
歯学部創立 60 周年記念
の際、多くの方々から、大阪大学歯学部の教育が非
式典に際しまして、ご尽力をいただきました大阪大
常に優れているというお話をよく耳にします。今も
学歯学部ならびに同窓会の皆様方に厚く御礼申し上
続いているのかどうかはわかりませんが、私が学生
阪大歯学部同窓会報
(24)第 109 号
平成 24 年 2 月 20 日
の頃は、例えば生化学の試験では、白紙の答案用紙
葉がございましたが、歯科医師の教育というのは技
を数枚渡され、一つの設問に対して 1 枚ずつその答
術偏重になる傾向があります。しかしながら、大阪
案用紙を記述で埋めていくという形式や、解剖学や
大学歯学部ならではの人材育成あるいは社会貢献と
病理学の試験では、1 日がかりで口頭試問を行うと
いうものを、今後大阪大学歯学部の先生方そして同
いうやりかたでした。この形式は、今試験で特に重
窓会の先生方が一丸となって進めていただけますよ
視されている客観的な評価方法とは全く方向性が異
うお願いする次第です。
なりますが、今にして思いますと、このような私自
最後に、大阪大学歯学部創立 60 周年記念式典に
身が大阪大学歯学部で受けた教育が、物事の本質を
お招きいただきましたことをあらためて御礼申し上
追究する、あるいは論理的に物事を組み立てていく、
げるとともに、大阪大学歯学部のますますのご発展
といった基礎的な能力を養う上で、非常に役立った
と皆様方のご健勝をお祈りして、ご挨拶とさせてい
と思っております。
ただきます。
大阪大学総長のご挨拶の中にも人材育成という言
祝 辞
大阪大学名誉教授
土 谷 裕 彦(2 回生)
このたび大阪大学歯
残念ながら、私はこの弓倉先生の非常に高遠な理
学部は創立 60 周年を迎
想に報いることができず、ただの大衆車で終わって
えました。わたくしは
しまったなあと、今も一人悔やんでおるところでご
偶然にもその昭和 26 年
ざいます。
の入学生でございまし
ちょうどその頃でございます。先程もすでにご案
て、卒業生の一人とし
内がございましたように、歯学部は国立大学の総合
て、心からおめでとう
大学で最初の学部でございまして、実はわたしは学
ございますと申し上げ
生時代はヨット部に属しておりました。ほかの部と
たいと思います。
同じようにヨット部でも近隣の国立大学、岡山大学
わたくしが入学いたしました昭和 26 年はまだ歯
とか、あるいは名古屋大学、あるいは京都大学と定
学部の誕生まもない頃でございますが、大阪港に近
期戦を行っておりました。琵琶湖の柳ケ瀬いうとこ
い泉尾というところに、本当に小さい泉尾学舎とい
ろで、京都大学と定期戦のときに、両校の部員が自
うのがございました。歯学部の建物はそれだけでご
己紹介をいたします。わたしは歯学部 2 回生、ディ
ざいました。われわれ学生は、今はございません
ンギーのクルーをしておりますと自己紹介いたしま
が、この中之島の医学部、それから泉尾の学舎これ
した。すると、相手校の部員の中で、なんかガサガ
を行ったり来たりする。で、そのときまだ市電がご
サと話し声が聞こえるわけです。何かなあと思って
ざいましたから、市電で。あるいは御年輩の方々は
耳をすましておりますと、歴史をやってるらしい。
そうかとご存じかと思いますが、当時、三輪自動車
それからもうひとつあります。歴史の学部と言って
というのがございました。わたしたちはバタバタと
るよと、こういうことを京大の部員の方々が言って
言っておりましたが、まあ御年輩の方は懐かしいと
いるのが聞こえました。わたしも訂正しようと思い
思いますが、バタバタに定員オーバーで乗りまして、
ましたけれども、まだクルー、乗組員でございます
安くつくわけですからでございますが、泉尾学舎と
が、スキッパーが船長でございまして、上級生がス
中之島の医学部を行ったり来たりする、本当に渡り
キッパーです。わたしはまだペイペイの部員でござ
鳥のような日々を送っておりました。
いましたので、そのままにしておきまして、歴史の
ちょうどその頃、そんな時代ですが、初代弓倉学
学生ということで通したわけでございます。これは、
部長はよくおっしゃっておられました。
「本学は手
実は、本当は、今でもヨットのことを思い出します
作りのフォードの車を作るんだ」と。よく聞かされ
と、いつもぐっと忘れ得ないひとつ思い出になって
た言葉でございます。
おります。
阪大歯学部同窓会報
平成 24 年 2 月 20 日
で、まあそのようなことで、その当時、阪大の歯
学部というのは、近隣の国立大学の学生にさえ、認
知されてない非常に情けない状態であったと思いま
第 109 号(25)
世界の本当に一流の歯学研究科に成長された。これ
は本当に喜ばしいことだと思っております。
そういうところで、今年はめでたく 60 周年を迎
えられたわけであります。この 60 周年をひとつの
す。
その後、先輩や後輩の先生方の非常にご尽力、ご
出発点としてとらえられまして、やはり世界の歯学
活躍によりまして、歯学部も本当に立派になってま
研究・教育・臨床の、本当にそのセンターのひとつ
いりました。
として、これからも新しい目標に向かって日々挑戦
昭和 36 年に 10 周年、昭和 46 年に 20 周年、それか
をしていただきたい。これが、いちOBといいます
らついで 30 周年と、周年を重ねるごとに非常に歯
か、卒業生からの切なる願いでございます。どうか
学部・歯学研究科の基盤というものが、本当に確た
よろしくお願いいたします。本日はおめでとうござ
るものになりまして、本当に今や日本のみならず、
いました。
挨 拶
大阪大学歯学部附属病院長
森 崎 市治郎(21 回生)
歯学部附属病院長の
大学院博士課程の学生のために、研修、教育と診療
森崎でございます。ひ
の場、人材を提供しております。もとより歯学部附
とことご挨拶を申し上
属病院ですので、歯科口腔疾患を対象にして、地域
げます。本日は公私と
中核病院として、先進的な医療を提供しながら、あ
も に ご 多 忙 の と こ ろ、
わせて疾病、病態の解明と、治療法の開発、応用に
大阪大学歯学部創立 60
取り組んでおります。
周年の記念の式典にご
冒頭に申し上げましたように、医学部附属病院か
臨席賜り、誠に有難う
ら昭和 28 年には大阪市北区中之島に歯学部附属病
ございます。厚く御礼を申し上げます。
院が開設され、その後、昭和 58 年(1983 年)に歯
さて、大阪大学歯学部附属病院は、昭和 26 年の
学部とともに吹田キャンパスに移転しました。移転
歯学部創設から 2 年後、初代歯学部長弓倉繁家先生
後すでに 28 年を過ぎておりますので、いろんなと
のご熱意と、文部省はじめ、厚生省関係諸機関のご
ころで問題も生じておりますが、新たな挑戦をして
指導、ご支援のもと、昭和 28 年に開設されました。
発展させていきたいと考えております。先程、総長
爾来、歯学部附属病院は、歯科臨床の教育、研究、
の祝辞にもございましたように、今日の大変厳しい
および歯科口腔疾患に対する先進的な診断と治療を
財政状況、並びに医療環境の中ではございますが、
行いながら、今日まで歯学部、大学院歯学研究科と
歯学部附属病院も教育と研究の府である大学に存在
ともに協調し、切磋してまいりました。
価値のある病院として、工夫、努力し、その機能を
国立大学の法人化に伴って、歯学部附属病院のう
果たしたいと考えております。大阪大学歯学部創立
ち 9 大学では医学部附属病院と統合されました。現
60 周年を起点として、さらに大阪大学のモットー
在歯学部附属病院としてあるのは、本学と東京医
である「地域に生き世界に伸びる」を旨として、歯
科歯科大学だけであります。また、今年度から歯学
科医学、医療の発展に邁進したいと教職員一同、心
部の学生定員が削減され、53 名になりました。一方
を新たにしております。
で、歯学部附属病院の、研修歯科医の定員は 70 名
本日、ご臨席いただきましたご来賓、先輩並びに
ですが、志望者が多く、マッチング率は 100%になっ
関係の方々に対し、今後もご指導、ご支援、ご鞭撻
ております。また大学院博士課程の定員も 55 名で
を賜りますよう重ねてお願いを申し上げます。
すが、そのほとんどは臨床系講座に属しております。
このように、歯学部附属病院は、歯学部、大学院歯
学研究科と一体となって、学部学生の教育、臨床実
習とともに、学部学生よりも多い数の研修歯科医、
本日は誠に有難うございました。
(26)第 109 号
阪大歯学部同窓会報
大阪大学歯学部
創立60周年記念講演
平成 24 年 2 月 20 日
平成 23 年 11 月 23 日
リーガロイヤルホテル ロイヤルホール
記念講演 「文楽の人形遣い 桐竹勘十郎の世界」
講師 桐竹勘十郎
11 月 23 日、記念式典の後、リーガロイヤルホテ
きました。実演などもあり、その内容を再現するこ
ル・ロイヤルホールにて「記念講演」が催されました。
とはできませんが、講演要旨をお伝えします。司会
歯科とは異次元の世界ですが、浪速に起源を発する
は保存学教室 林 美加子准教授(34 回生)が担
日本の伝統芸の講演に、参加された皆さんに深い感
当されました。
銘を与え、すばらしい講演会だったと絶賛をいただ
文楽三味線(義太夫三味線)について
文楽を知る上でまず独特の「文楽三
味線」につき 三味線弾きの野澤喜一
朗氏から解説をいただきました。
三味線は沖縄の三線をルーツとし、
細棹・中棹・太棹の 3 種がある。それ
ぞれ音色が違うが、「細棹」は音が軽
講師:文楽人形遣い 桐竹勘十郎 様
やかで、民謡やお囃子など一番ポピュ
司会: 林 准教授
ラーである。文楽の三味線は「太棹」で、低い音も
プロフィール
出せるし、音色が独特で、音量が大きい。材料は黒
檀・ユウキ・カリンの 3 種が使われる。胴には細竿
桐竹勘十郎氏は 1953 年、大阪のお生まれで、
では猫の皮が使われるが、太棹は表が猫、裏には犬
14 歳の時、文楽協会人形部の研究生として文楽の
の皮が使われる。猫の皮は音の切れがいい。犬の裏
世界に入られ「吉田蓑太郎」と名乗られました。
皮は「音が前に前に出る」という特徴がある。
2003 年に亡父の後を継いで三世桐竹勘十郎を襲名
糸を固定するのが「こま」で、水牛の角を圧縮し、
されました。文楽協会賞 7 回、1995 年芸術選奨文
音を安定させるために、鉛が埋め込まれている。黄
部大臣新人賞、2008 年紫綬褒章、2009 年国立劇場
色い糸は絹糸で、「一の糸・二の糸・三の糸」と呼
文楽大賞、2010 年日本芸術院賞など数多くの受賞
ばれる。
をされ、名実共に文楽の第一人者です。東京・大阪
「バチ」は細竿に比べると厚みがあります。いろ
の国立文楽劇場を活躍の場とされ、大阪市立大学で
いろな場面に幅広く対応するには厚みが必要です。
「上方文化講座」の
客員教授、小学校の
ゲストティーチャー
など日本の伝統芸術
「文楽」の普及に努め
られています。2012
年にはパリ・ロンド
ンでの講演が予定さ
れています。
平成 24 年 2 月 20 日
阪大歯学部同窓会報
第 109 号(27)
怒ったり、驚いた時には思いっきりバチを叩き付け
す。「ツメ人形」の例として、源平合戦の話で「一
ます、折れないように。澄み切った音色、繊細な音色、
の谷差配軍記」というお芝居があり、ツメ人形の百
女性的なやわらかい音色を弾くには厚みが必要です。
姓「歯抜けの与次郎」が熊谷次郎直実と平敦盛の一
同じ女性でも違った表現となります。忘れ物をして、
騎打ちを見てきたと語る物語が知られています。
着物の裾を上げて小走りに急ぐ町娘と、しゃなりしゃ
人形の顔の部分は「首」の一字で「かしら」と称
なりと登場するお姫様ではずいぶん違います。喜ぶ
し 50 種類ほどあり、丈夫なヒノキで出来ています。
時なんかは、まるで宝くじにあたったような嬉しく
白い色は貝殻を細かくし、膠(にかわ)で煉って塗
てスキップしたい気持ちを音色で表現します。
られています。髪の毛は二種類あり、チベットのヤ
情景描写も三味線の重要な仕事です。お寺の鐘の
クの毛と人間女性の毛が使われ、床山さんがその都
音・やぐら太鼓などいろいろな音を表現します。(や
度、髪型を結いあげます。中に糸などの仕掛けがあ
ぐら太鼓の実演に拍手喝采)泣く・笑うなど喜怒哀
り、首を回したり、上下にうなずいたり、目を閉じ
楽を三味線で表現します。
たり開けたり、眉を動かしたりさまざまな表情を操
ります。人形遣いは箱のような「舞台下駄」を履き
それではここで三味線のセッション(二重奏)を
ますが、人形に合わせて高さを変えます。音がしな
してみましょう。文楽が大好きで鹿児島から来てい
いように、適度にすべるように底は「わらじ」で出
ただいた 19 回生の長岡先生の奥様、どうぞ檀上に
来ています。
おいでください。
(大拍手)
「三味線ははじめてで
それでは 3 人で動かしてみましょう。中心になる
すか?こうして膝の上に乗せて、細竿『二と三の糸』
のが「主遣い(おもつかい)
」で紋付き袴姿で演じま
を同じリズムでゆっくり大きい音で交互に弾いてく
す。人形の後ろに穴があり、左手をいれて先ほど説
ださい」
(すこし練習して)
明した「棒」をにぎります。右手は人形の右の手を
「はい それで結構です。もう少し大きい音でお
持ちます。人形は重いので 10 kgほどあり、かな
願いします。それではまいります。ハッ!」
(ベン
り重いものです。
「足遣い」
は両足を両手で持ちます。
ベン、ベンベン、チリトテ、チリトレ、ベンベン~
「左遣い」は右手で人形の左手を動かします。これが
~)見事な演奏に会場から割れんばかりの大拍手。
270 年前に誕生した
「三人遣い」
です。まず立ち上がっ
てみましょう。三人の位置関係がわかっていただけ
文楽人形
ると思います。いろんな「型」があり、男型・女型
でもずいぶん異なります。
「足遣い」は下駄で効果音
桐竹勘十郎氏が再登場されました。 「初めての
三味線でもよくあいましたね。お見事でした。感心
しました。
」
3 人で一つの人形を動かす「文楽人形」は世界的
にも珍しいとのこと。約 300 年前、浄瑠璃と人形を
組み合わせて「人形浄瑠璃」が生まれましたが、当
時は人形も小さく一人遣いでした。太夫は幕の中で、
人形遣いも幕の下に隠れ、人形だけが幕の上で演じ
られました。その後いろいろ工夫され、270 年前、
享保 19 年、竹本義太夫が造った道頓堀の「竹本座」
で「三人遣い人形浄瑠璃」が初めて演じられました。
三人遣いは左手で「棒」を操作して「かしら」(顔)
を動かします。棒を回すと顔が回ります。右手は袖
に入れて、見えないように隠して操作します。(こ
のあたりの解説はなかなかプロ的でよくわかりませ
んでした)
主役の人形は三人遣いですが、
「ツメ人形」とい
う脇役(お百姓さんや侍の家来など)は一人遣いの
人形が多く、数が多い時はコミカルな場を表現しま
(28)第 109 号
阪大歯学部同窓会報
平成 24 年 2 月 20 日
でしたが、よくできました。感想を聞いてみましょ
う。「初めての経験ですが面白かったです(藤田 進)
(23 回生)」
「これを機に文楽見てみたいです(加
藤 準)
(44 回生)」
「大変でした!(西田百代)
(14
回生)」 を出すこともいたします。特に女型は、足は無いの
に足があるように見せます。裾を動かして「足遣い」
の手が足に見えて歩いているように見えます。
「主遣
い」の動きに合わせて「足遣い・左遣い」は常に息
を合わします。
「主遣い」
は二種類の合図を出します。
観客にはわからないようなちょっとした微妙な合図
です。そして人形の「目線」です。目線に合わせた
指先の動きが非常に大事です。目線がずれるとお芝
女三番叟(おんなさんばそう)実演
居はまったく雰囲気が違ってしまいます。
いろんな表情をやってみましょう。まず 笑い、
桐竹勘十郎 吉田蓑二郎・吉田蓑次・
おほほほほ~よかった よかった。恥ずかしさ、悲
桐竹勘次郎・桐竹勘介
しみ、涙をふく、下唇には小さな針があり手ぬぐい
文楽人形の仕組みや遣い方についてお話いたしま
をはさんだりもします。
した。最後に創立 60 周年をお祝いに「女三番叟」
それでは人形遣いの体験をしていただきましょ
を一指し舞わせていただきます。三番叟(さんばそ
う。西田百代さん・藤田 進さん・加藤 準さん、
う)は祝賀の席にふさわしい舞です。歯学部創立
どうぞ舞台に上がってください。主遣い・足遣い・
60 周年まことにおめでとうございます。
右遣いを分担ください。まず基本からです。座った
姿勢をしていただきます。
脇坂 聡歯学研究科長からの感謝の言葉
いきなりですが三人でやっていただきます。「拍
手」をしてみましょう。主遣いは胸の前に右手を、
本日は大阪の伝統芸能である文楽のお話をいた
左遣いは左手を さぁ 回してください。(なかな
だき本当にありがとうございました。私は解剖学を
か難しいです。大拍手) では次は「足遣い」です。
専門としていますが、どのように関節を動かされる
人形を挙げてください。
のかなど、文楽人形の構造には非常に関心がありま
さぁ歩いてみましょう。右足、左足 ぐるっと回っ
した。そして「人形三人遣い」というチームとして
てください。足は動いていますか。あぁ動いてます、
の動きの大切さを教えていただいた気がします。こ
動いてます。
(大拍手)雲の上を歩いているみたい
れからもご活躍を心から楽しみにしています。
平成 24 年 2 月 20 日
阪大歯学部同窓会報
大阪大学歯学部
創立60周年記念祝賀会
第 109 号(29)
平成 23 年 11 月 23 日
リーガロイヤルホテル 山楽の間
式辞:尾上 同窓会会長
司会:奥田 同窓会専務理事
祝辞:Chul ソウル大学歯学部長
祝辞:Tasachan チュラロンコン大学歯学部長
祝辞:渕端 名誉教授
未来基金へ寄付目録贈呈
式 辞
大阪大学歯学部同窓会会長
ただいまご紹介いただきました、歯学部同窓会
尾 上 好 申(19 回生)
お迎えし、同窓会員約 300 名のご参加を得て、ご覧
会長の尾上好申です。高い席からではございます
のように、この山楽の間がいっぱいになりました。
が、祝賀会の代表者として歓迎のご挨拶をさせて
主催者として喜びにたえません。ありがとうござ
いただきます。
います。
大阪大学歯学部は昭和 26 年に創立、今年で 60 年、
同窓会は、昭和 29 年に 1 回生が卒業、その前の
還暦を迎えました。本年は、大阪大学が創立 80 周
選科を加えて現在 58 回生まで三千名を越す会員に
年を迎え、歯学部は 20 年後ではありますが、周年
なっています。大阪大学にあっては最も学生数の
事業はいつも同じ年となり、まことに喜ばしいこ
少ない学部ですが、このような盛大な記念行事が
とと思います。
出来ますのも、大学と同窓会が永年にわたり、共
歯学研究科、歯学部附属病院、歯学部同窓会が
に手を組んで太い絆を育(はぐく)んできたお陰で
一体になってこの 60 周年事業を進めてまいりまし
あると自負するとともに、
「同窓会 がんばれよ!」
た。お陰をもちまして、見事な連携を果たすこと
という励ましであると受け止め、心から感謝して
ができました。
います。
本日御来賓として、本学総長をはじめ大学理事
の先生方、すばらしい記念講演を頂きました桐竹
明日は 60 周年記念事業の仕上げとして「日韓タ
勘十郎様、そして文部科学省、厚生労働省、本学
イの国際シンポジウム」が歯学部で開催されます。
部名誉教授、大阪歯科大学学長、病院長,同窓会長, 本日第 1 部の式典、第 2 部の記念講演も終わり、こ
さらに友好大学の韓国、タイの 5 大学の歯学部長を
れよりは、リラックスして祝宴を楽しんでいただ
(30)第 109 号
阪大歯学部同窓会報
きたいと思います。
平成 24 年 2 月 20 日
時間の許す限り、楽しんでください。
この中之島は、昭和 58 年までは歯学部のあった
「還暦」を迎えた大阪大学歯学部が、これを機会
場所です。そしてその地のロイヤルホテルで 60 周
にさらに大きく発展することを願うとともに、ご
年を迎えることに懐かしさと、深い感慨を感じます。 参加くださいました皆々様のご健勝を心からお祈
全国各地からたくさんの方々にお集まりいただ
きました。積もる話もたくさんあることでしょう。
り申し上げ、挨拶の言葉とさせていただきます。
本日はご参加、 誠にありがとうございました。
祝 辞
まずは、歯学部創立 60 周年記念、心よりお祝い
申しあげます。おめでとうございます。
かくいう私は、第 7 回卒業生、昭和 35 年に卒業
いたしております。朝の式典以来、歯学部のヒス
名誉教授
渕 端 孟(7 回生)
当事、初めて歯学部独自の校舎が一部建設されま
した。ですから、ちょうど学部に来たときに、泉
尾の学舎からの引越しをお手伝いしたことを覚え
ております。
トリーについては、いろいろとご紹介がありまし
そんなこんなで、長い歴史が築かれてきたわけ
たので、繰り返すことはないとは思いますが、歯
ですが、大変多くの方がこの歴史の 1 ページを飾っ
学部の源流は大正 15 年 1926 年に府立大阪医科大学
ておられるわけで、それらのすべての集積が今日
に歯科学教室ができたソレではないかと私は思っ
の歯学部ではないかと思います。
ております。
その間、昭和 6 年に大阪帝国大学が発足いたして
まだ 60 年、先ほどソウル大学の Chul 教授からご
紹介がございましたが、韓国では華甲と申しまして、
おりまして、その翌昭和 7 年に帝国大学医学部の中
60 年ごとにお祝いをすると聞いております。次の
に歯科学教室が設置されております。以来歯学部
60 年といわれたと思いますが、今日から新しい 60
設置について、いろいろと紆余曲折はあったと伺っ
年に向かって、今まで同様、あるいはそれ以上に
ておりますが、1950 年昭和 25 年に医学部歯学科が
歩み続けて頂きたいと思っております。
設置され、翌 26 年に国立総合大学初めての歯学部
歴史の中の一ページに皆かかわったわけですが、
として発足したということでございますが、私の
大きいことも小さいことも含めて、これからもこ
記憶に間違いがなければ、多分、昭和 25 年、その
の歴史を永遠に積み重ねていくのが良いのではな
学部創立の直前だと思いますが、医学部の中に 2 つ
いか。「地域に生き世界に伸びる」この大阪大学の
目の歯科の関係の講座が設置されたと記憶してお
モットーを実践してきたつもりでありますが、今
ります。そのようなヒストリーをもちまして、歯
後ともさらに倍旧の歩みを続けられて、世界でリー
学部が発足し、今年がちょうど満 60 年でございま
ダーシップの取れる歯学部に成長していただきた
すが、医科大学に歯科学教室が設置されたときか
いと思います。本日は本当におめでとうございま
ら勘定しますと、85 年の年月になります。その間、
した。
歯学部の発展のためにいろいろと多くの方がかか
わってこられました。
発足以来、今年の 4 月までに、学部の卒業生は
2952 名と伺っております。また昭和 35 年に大学に
歯学研究科が設置されておりますが、同じく本年 4
月までに博士課程を終えられた方が 640 名、その他
論文博士を含めますと実に 1292 名の方が本学で学
位を取得されております。
そのような歴史を重ねてきておりますが、私自
身、私ごとで恐縮ですが、昭和 29 年に大阪大学に
入学しておりますが、31 年に中之島の学部に来た
平成 24 年 2 月 20 日
阪大歯学部同窓会報
第 109 号(31)
乾杯:恵比須 大阪大学副学長
乾杯の挨拶
大阪大学副学長
恵比須 繁 之(19 回生)
たくさんの先輩がおられる中で、僭越ではござ
支えてこられた関係者の方々に感謝し、そしてこ
いますが、乾杯の音頭をとらせていただきます。
れからの先ほどは 60 年という言葉でしたけれども、
今日は式典でたくさんの方から紹介いただいたよ
22 世紀に向かって、歯学部、歯学部附属病院、同
うに、85 年前の源流、そして 60 年前、1951 年の創
窓会の皆様の更なる発展を祈念いたしまして、ま
立というこの出来事を強力に進められた、弓倉先
た、今日ご参会の皆様方のご健康と、益々のご発
生とその関係者の方々をしのび、またソレからの
展を祈念して、乾杯をさせていただきたいと思い
60 年間の今日に至ります大阪大学歯学研究科、歯
ます。ご唱和をください。
学部附属病院、そして同窓会、これだけの躍進を
アトラクション
それでは、乾杯!
記念ゴルフコンペ表彰
記念品贈呈
(32)第 109 号
阪大歯学部同窓会報
謝 辞
歯学部創立 60 周年記念事業実行委員会を代表し
てお礼の言葉を述べさせていただきます。
この度の歯学部創立 60 周年は、人間で言います
同窓会副会長
平成 24 年 2 月 20 日
増 田 典 男(19 回生)
な歴史的資料を収集整理し、弓倉先生のデスマス
クやカルテ、諸先輩の受賞記念の品などが展示さ
れています。また同窓会ホームページ上で歯学部
れば還暦という、まことにめでたく意義深い年に
歴史資料館がご覧いただけるようになりました。
なります。この 60 周年記念は、ぜひ歯学部 、附属
歴史資料館館長として、膨大な資料の整理に尽力
病院、同窓会がいっしょになって祝おうと、話を
いただきましたのは 13 回生の石田 武副会長です。
すすめてまいりました。ご登壇いただきましたの
記 念 事 業 の 仕 上 げ と し て、 明 日 は Osaka
は、各事業の代表者としてご活躍いただいた先生
International Symposium「Current Topics on
方です。
Frontier Oral Science」が弓倉ホールで開催されま
10 月 2 日には、記念のゴルフコンペが開催され、
す。本日はこのシンポジウムに参加される、韓国・
多くの方のご参加を得て、見事 28 回生の奈村和記
タイの友好大学の先生方にも参列いただいていま
先生が優勝され、さきほど皆様の前で表彰されま
す。この国際シンポジウムのお世話をいただくの
した。このコンペのお世話をされたのが、同窓会
は 31 回生、予防歯科学教室の天野敦雄教授です。
副会長、19 回生の井上憲一先生です。
そして最後になりますが、60 周年記念事業のす
10 月 15 日には、毎日新聞社オーバルホールにて、 べてにおいて、大学の代表者として尽力いただき
第 9 回市民フォーラムが記念事業して開催されまし
ましたのは、19 回生、小児歯科学教室の大嶋 隆
た。再生歯科医療をテーマとしたこのフォーラム
教授です。特にオープンフェスタと祝賀会は同窓
に 400 人収容のホールが満席となり、一般市民から
会が主催しましたが、大嶋教授には本当にお世話
絶賛されました。このフォーラムを企画、遂行い
になりました。ありがとうございました。
ただきましたのは、口腔治療学教室、31 回生の村
上伸也教授です。
翌 10 月 16 日には、オープンフェスタ in Suita が
歯学部は大阪大学の創立とちょうど 20 年の歳の
差があります。大阪大学の創立記念の年は歯学部
開催されました。「大阪大学大学院歯学研究科、歯
も同じという訳です。ことしが 80 周年の大阪大学、
学部附属病院をまるごと体感」というキャッチフ
90 周年そして盛大な 100 周年となることでしょう。
レーズのこのオープンフェスタは、「同時に 3 つの
将来に向かって、世界に向かって前進する歯学部
講演を 3 回、計 9 つの講演」をはじめ、院内ツアー、
そして附属病院。太い絆で結ばれる同窓会、また
専門医相談コーナー、ポスター講演、歴史資料室
皆様と再会できる事を楽しみにしています。
ご紹介など参加者から絶賛を得ました。この画期
的なオープンフェスタの責任者として活躍いただ
いたのが、同窓会副会長、学術委員長 24 回生の谷
口 学先生です。
オープンフェスタにあわせて、学部内の歴史資
料室が改築され、披露されました。歯学部の貴重
謝辞:増田 60 周年記念事業実行委員長
本日は誠におめでとうございました。ありがと
うございました。
平成 24 年 2 月 20 日
阪大歯学部同窓会報
第 109 号(33)
立山先生作詞大阪大学学生歌合唱
歯学部歴史資料室紹介パネル
(34)第 109 号
阪大歯学部同窓会報
平成 24 年 2 月 20 日
大阪大学未来基金 お 礼
大阪大学未来基金では、大阪大学歯学部同窓会様より、オープンフェスタに参加された同窓会員の先生方
をはじめ多くの方々から参加費の一部として、多額のご寄付をいただきました。
11 月 23 日の記念式典では、歯学部同窓会を代表して尾上会長から平野総長へ目録を進呈いただきました。
ご寄付をいただいた皆様に改めて感謝申し上げます。
皆様からのご寄付は、
「歯学部・歯学研究科教育研究事業」に組み入れ、歯学部・歯学研究科の学生の皆
様の教育研究活動の充実等に活用させていただく予定です。
大阪大学未来基金では、これからも歯学部・歯学研究科、歯学部同窓会の皆様の活動のサポートに取り組
む所存でございますので、引き続きご協力を賜りますようよろしくお願いいたします。
( 大阪大学未来基金 http://www.miraikikin.osaka-u.ac.jp/)
大阪大学 理事・副学長 阿部顕三
祝賀会来賓名簿
大阪大学総長:平野俊夫
大阪大学名誉教授:栗栖浩二郎(10 回生)
文部科学省医学教育課長:村田善則
大阪大学名誉教授:祖父江鎭雄(11 回生)
厚生労働省歯科医療管理官:鳥山佳則(34 回生)
大阪大学名誉教授:伊集院直邦(13 回生)
文楽人形遣い:桐竹勘十郎 大阪大学名誉教授:和田 健(名誉会員)
大阪大学理事:恵比須繁之(19 回生)
大阪大学名誉教授:雫石 聰(18 回生)
大阪大学理事:東島 清
歯学部同窓会顧問:亀田 寛(4 回生)
大阪大学理事:相本三郎
歯学部同窓会顧問:玉利行夫(9 回生)
大阪大学理事:阿部顕三
大阪歯科大学 学長:川添堯彬
大阪大学理事:江口太郎
大阪歯科大学 病院長:覚道健治
大阪大学理事:高橋 明
大阪歯科大学 同窓会長:三谷 卓
大阪大学監事:関 順一郎
大阪歯科大学 同窓会専務理事:生駒 等
大阪大学総務企画部長:中村慎一
ソウル大学 歯学部長: Soon-Chul Choi ら 4 名
大阪大学総務課長:日比謙一郎
延世大学 歯学部長:Ho-Keun Kwon ら 5 名
大阪大学名誉教授:猪木令三(名誉会員)
慶北大学 歯学部長:Keun-Bae Song ら 5 名
大阪大学名誉教授:土谷裕彦(2 回生)
マヒドン大学 歯学部長:
大阪大学名誉教授:作田 守(4 回生)
大阪大学名誉教授:鈴木不二男(名誉会員)
大阪大学名誉教授:渕端 孟(7 回生)
大阪大学名誉教授:作田正義(9 回生)
Theeralaksna Suddhasthira ら 7 名
チュラロンコン大学 歯学部長:
Wacharaporn Tasachan ら 5 名
(敬称略)
平成 24 年 2 月 20 日
阪大歯学部同窓会報
第 109 号(35)
祝賀会感想文
歯学部創立60周年記念事業に参加して
福 田 健(6 回生)
同窓会参与
この度は、オープンフェス
タと記念祝賀会の二つの大き
な会が開催されましたが、私
行委員会の委員の皆様に厚く御礼申します。余興
も和やかでよかったと思います。
次の日、学内の開放に行って来ました。大嶋教授、
は前者には生憎(申し込みの
大変ご苦労様でした。時間の制約もあって駆け足
みで)参加できませんでした
の見学になったことは、少し残念でした。見学者
ので、後者のみの感想になったことをお許し下さい。 は 70 歳を越えた方がほとんどでしたので、歩みも
今回は 60 周年と云うことで、私にとってはおそ
遅く、大嶋教授には気苦労をお掛けしたことと思
らく最後になるのではとの思いがありました。記
います。最新の設備や診療内容がもう少し詳しく
念の文楽のご講演(大変素晴らしい企画で大成功
分かればと思うと、大嶋教授お一人にお任せした
だったと企画された方に敬意を表します)もあって、 のはお気の毒であったと思いました。記念資料館
これまでにない沢山の(特に総会の)参加者が集
では石田副会長のご説明で皆離れがたい様子でし
まったと思います。総会も順調に運び何よりでし
た。短時間であれだけ集められたのには感心しま
た。ただ久々に参加された、7 回生の藤本竹登君の
した。60 年の歴史を体感しました。(小生も SDZ
いくつかの質問に対して、閉会の辞で石田副会長
の 1 号から 15 号まで持っていましたが、これは藤
が回答をされていましたが、総会中に回答が無かっ
本君からの要請があって、今彼の手元にあります。
たのは、少し配慮に欠けていたと思いました。藤
必要であれば、資料室に保管して下さい。)
本君は山口県からの出席でもあり、学生時代から
以上が、私の感じた事です。10、20、30、40、50
同窓会活動に非常に熱心な方であっただけに、残
周年を経験した小生にとって、それぞれに思い出
念でした。小生が少し配慮すれば良かったのにと、
がありますが、今回は大規模で正直盛り沢山で成
反省しています。
功するかなあと、少々危惧していましたが、これ
祝賀会も大いに盛り上がり、各ご挨拶もすっき
も杞憂に過ぎませんでした。増田実行委員長始め、
りしていてよく、旧友にも会えて本当に素晴らし
若い実行委員の方々の力強い実行力に、心からの
い会でした。あの沢山の参加者をまとめられた実
敬意と御礼を申し上げます。ご苦労さまでした。
60周年記念行事に参加して
吹田市
10 周年のときは学生だった。
岡 本 吉 照(9 回生)
「君等を育てるのに国費がかかっとる。しっかり
記念誌つくりに学生代表で参
社会にお返しをせい」故寺崎教授に何度も言われた
加していたので思い出がふか
ものだ。それから 50 年、お言葉どおりに働きまし
い。弓倉先生はすでにおられ
たよ。その間に学部も学舎も立派になった。卒業
なかったが、当時の永井学部
生にとって何よりの喜びのなかでの 60 周年だ。
長はじめ教授の面々が懐かしく想い出されてくる。
記 念 講 演 会 の 桐 竹 勘 十 郎 さ ん、 楽 し く 拝 見 し
(36)第 109 号
阪大歯学部同窓会報
平成 24 年 2 月 20 日
た。文楽は年に 2、3 回は日本橋の国立文楽劇場へ
事情からこの場に来たくても来られなかった方も
観に行くが、勘十郎さんとは一寸ご縁がある。会
多いだろう。第二室戸台風で浸水した一診の泥掻
報 101 ,102 号でクルーズのレポートをしたが、アラ
きの記憶も懐かしい旧中之島学舎も消滅、すっか
スカから乗船してきて「船上文楽世界初公演・日
り変ってしまったこの地で祝う 60 周年の場に立合
高川入相花王」が勘十郎さんだった。それ以来の大
うことが出来た幸せを噛みしめる。次の区切りは
ファンである。今年 4 月公演の「女殺油地獄」殺し
75 周年だろうか。私のトシで言えば 90 歳だ。恐ら
の場面の凄かったこと。パーティーの合間にご挨
くは多数の先輩諸氏も私自身もこの世から消えて
拶申上げた。
いるだろう。後輩諸君、立派に 100 周年、200 周年
それにしても先輩後輩の懐かしい面々に何人お
会いしたことか。学生自治会の SDZ 発行や無歯科
医村検診に行った仲間たち。同窓会館建設に走り
を祝われたい。
最後にご苦労かけた準備・実行委員会の方々に
お礼申上げる。
回った仲間たち。当り前のことながら皆「老人」に
なってしまった。故人然り、健康上や身の回りの
文楽の人形遣い、桐竹勘十郎の世界の講演を聞いて
茨木市
文 楽 は 3 人 遣 い の「 人 形 」
と、浄瑠璃を語る「大夫」と
西 田 百 代(14 回生)
三味線に張られるのは猫の皮ですが、文楽で使う
三味線では表が猫の皮、裏は犬の皮が張られます。
「三味線」の三者が一体となっ
犬の皮を張ることによって、力強い歯切れの良い
て物語が進められます。三味
大きな音がでるそうです。怒ったとき、驚いたと
線 に は 細 竿、 中 竿、 太 竿 の 3
きといった感情表現をする時には大きく叩く必要
種類があって、細竿は長唄やお囃子、中竿は地唄
があるので、太竿用のバチは細竿用よりも大きく、
や民謡、文楽の義大夫の時に弾く三味線は太竿で、
厚いです。バチのはじき方、強さ、速さなどによっ
デンデンとした重厚な音がするそうです。普通の
て色々な情景が表現されるそうです。野澤喜一郎
阪大歯学部同窓会報
平成 24 年 2 月 20 日
さんによる三味線のお話の後、長岡先生の奥さん
と、喜一郎さんによるすばらしい三味線のデュオ
第 109 号(37)
柱を担う人形遣いです。
会場から指名された 3 人が勘十郎さんの直々の指
導で文楽の人形を実際に遣わせてもらうことにな
が演奏されました。
文楽の人形は「かしら」と呼ばれる首を遣う主遣
り、主遣いを藤田先生、足遣いを加藤先生、左遣
い(おもづかい)、左手を遣う左遣い、足を遣う足
いを私が担当しました。舞台に登場する文楽の人
遣いが、呼吸を合わせ一体の人形を操ります。人
形は、怒ったり、喜んだり、悲しんだり、泣いたり、
形遣いの修行は「足 10 年、左 10 年」してようやく
身振り、手振り、しぐさで、豊かな感情表現をし
主遣いになれるといわれています。記念講演をし
ますが、我々 3 人が操った人形を、会場の先生方は
て下さった桐竹勘十郎さんは人間国宝の 2 世桐竹勘
どのように見てくださったでしょうか。最後に舞
十郎さんを父に生まれ、中学時代に文楽に魅せら
台ではすばらしい女三番叟の舞が実演されました。
れてこの道に入られてから 42 年、今や文楽の大黒
創立60周年記念行事に参加して
同窓会理事
東大阪市開業
木 田 友 信(23 回生)
大 阪 大 学 歯 学 部 創 立 60 周
は大学、学部、病院、行政のトップを担う方々で
年記念事業が行われた。10 月
ある。20 数年ぶりに拝見した、全く昔とお変わり
16 日 の オ ー プ ン フ ェ ス タ in
のない土谷名誉教授の矍鑠たるお姿と、スピーチ
Suita と 11 月 23 日 の 記 念 行 事
が心に残った。
が連動しており、「合わせて一
まことに小さな学部が 60 年前に黎明期を迎えた。
本」の技が決まったの感があり、誠に喜ばしいこと
学部の多くの人達は性格として、前をのみ見つめ
である。
ながら歩く。登ってゆく坂の上の青い空に、もし
オープンフェスタでは、ホームページ歴史資料
館の学術部門の案内を担当させていただいた。ま
だ不十分な点もあり、次の機会に修正していきた
いと思う。多大のご協力を頂いた学術委員の三田
先生と内田先生に、この機会に感謝申し上げたい。
もう一つは何故か私が「同窓会館の歩み」を解説す
る役を仰せつかった。会館建設が本格化した昭和
56 年当時私は院生で、「歯学部同窓会単独で作るん
やー」程度にしか理解していなかったが、資料を拝
見して、いかに多くの先輩諸氏、同窓諸氏が会館
建設のために苦労され、努力されたのかを知るこ
とができた。同窓会活動の中心の場として機能し
ている同窓会館が、あの時に建設が成って本当に
良かったと感じた次第である。
11 月 23 日の記念行事では、記念講演については、
多分他の方が触れられるであろうから、式典の方
の感想。式典で感じたことは、進行が実にスムー
スであったことである。すべての挨拶、式辞はお
そらく持ち時間が決められていたと思うが、その
時間内で完璧にまとめ上げられたものであり、進
行にいささかの淀みも感じられなかった。さすが
いちだ
一 朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを
見つめて坂を登ってゆく。
阪大歯学部同窓会報
(38)第 109 号
平成 24 年 2 月 20 日
大阪大学歯学部創立60周年記念祝賀会に参加して
大阪市
木 村 千恵子(26 回生)
過日 11 月 23 日(祝)に阪大
となりました。26 回生は 18 名の出席で、歯学部全
歯学部創立 60 周年記念祝賀会
体で 2 番目の多さだったようです。全体では 200 名
が中之島リーガロイヤルホテ
以上の参加がありました。私達は 10 名掛けテーブ
ルにて行われ出席してまいり
ル 2 つに分かれましたが、食事やお酒が進むにつれ
ました。記念式典は 2 時より、 皆、混じって楽しく歓談しておりました。同窓会会
そして 3 時より記念講演があり、興味深く聞かせて
長の御挨拶や祝辞の後、会員の先生方によるギター、
頂きました。
“文楽の人形遣い桐竹勘十郎の世界”
バイオリン等の演奏や歌を聞きながら豪華なお料理
と題して、数々の賞を受賞されておられる桐竹勘十
やお酒をおいしく頂きました。歯学部は 60 周年で
郎様が講師として、文楽人形の仕組みや使い方を
すが、私自身も還暦に近い歳ですので、失礼ながら
説明されました。左手だけで約 10 kg の人形を支え、
皆もそれなりに年老いているかと思いきや、思いの
首を動かし、指を使って目や眉を、そして右手で人
他皆様お若く、学生の頃とあまりお変わりないよう
形の右手を動かすそうです。三人遣いと言って他の
で、なんだか自分もつかの間、学生の頃に戻ったよ
人が両足を、もう一人の方が人形の左手を操るの
うでした。出席するのに少々気後れしておりました
です。とても 3 人でやっているとは思えないような
が、久々懐かしい先生方のお顔を見せて頂き、女性
滑らかで、ほんとうに人が動いているようにしか見
の先生方とは時々お会いしますが、又お話しできて
えない人形の動きに感動して見入ってしまいました。
楽しい時間を過ごさせて頂きました。有り難うござ
後ろで 3 人の先生方が舞台に上がって体験されまし
いました。最後になりましたが、歯学部 60 周年ほ
た。大変そうでしたが、とても楽しんでおられるよ
んとうにおめでとうございました。さらなる発展を
うでした。その後会場を移して 4 時から記念祝賀会
心よりお祈りしております。
かしら
創立60周年記念祝賀会感想文
羽曳野市開業
歯学部創立 60 周年記念式典、
宮 脇 泰 子(41 回生)
人形を遣うとき、中心になる人が「主遣い」、右
記念講演、記念祝賀会に参加
手で人形の左手を遣うのが「左遣い」、うしろから
させていただきました。
中腰になり人形の足を運ぶのが「足遣い」です。主
記念式典では医学部から独
遣いは見えない信号を使って左遣いと足遣いに人
立した歯学部の歴史の流れに
形の動きを伝えます。そのため、人形の顔が右を
ついて知りました。私は中学生の時、歯学部附属病
向けば体も自然に右を向くという風に、まるで生
院で歯科治療を受け「なんて近代的な病院なんだろ
きているかのように人形が動きます。重さ 10 kg
う」と感動したことが歯科医師を目指したきっかけ
ほどもある人形を左手だけで持ちながら、見えな
です。中之島の時代を知らない世代ですので、医学
い信号を送るなんてすごいなあと思いました。本
部と歯学部を行き来するお話などはとても興味深く
当に人形に魂が吹き込まれたようでした。3 人の気
聞かせていただきました。偉大な先生方のおかげで
持ちをぴったり合わせるチームワークの力もすば
今の歯学部があるのだと実感しました。
らしく感動しました。
記念講演会は、文楽の人形遣い 桐竹勘十郎さん
のお話と人形実演でした。
記念祝賀会では、シャンソン、バイオリン、ギター、
応援団とアトラクションが盛りだくさんで、また、
平成 24 年 2 月 20 日
阪大歯学部同窓会報
第 109 号(39)
先輩方、同級生、後輩と学年を超えた楽しいおしゃ
のつながりのあたたかさをあらためて実感できた会
べりで、あっという間に時間が過ぎました。同窓生
でした。
歯学部創立60周年記念行事に参加して
口腔外科学第一教室 助教
山 西 整(44 回生)
去る平成 23 年 11 月 23 日、中
想像力の欠如は、自らの立ち位置に対する無理解を
之島リーガロイヤルホテルに
意味することを改めて痛感しました。とはいえ、や
て大阪大学歯学部創立 60 周年
はり現実には近くて遠い 60 年。途中からは、何か
記念式典が盛大に行われまし
取り残されたような思いも持ちながら式に参加して
た。60 年とは、盛大な行事を
いたのですが、不思議なことに、式典に参加された
行うにはあまり切りの良い数字ではないのではない
錚々たる先輩諸先生方の、話し、笑い、うなずき、
かと思いつつ参加した式典でしたが、式典が進行す
再会を喜びあう姿を遠くから眺めていると、私に
るにつれ、そういう考えの浅はかなことを思いまし
とって想像力の外であった 60 年がその背後にゆっ
た。60 年という年月は、少なくとも私と、おそら
くりと立ち上がってくるように感じました。このよ
く私達の世代の者にとっては、想像しようと思って
うに感じることができたことが、私にとって今回の
も想像できない年月です。しかし、この 60 年が先
記念行事に参加した最大の収穫です。実行委員の先
輩諸先生方の不断の努力の積み重ねであり、その積
生方、また運営を手伝われた先生方、本当にありが
み重ねの上に私たちの世代が立たせて頂いている事
とうございました。
は紛れもない事実である以上、この年月についての
歯学部のロゴ
OSAKA UNIVERSITY SCHOOL OF DENTISTRY
現在大阪大学のマークとして銀杏のマークが使われていますが、それに
加え独自のロゴを使っている部局もあります。海外の歯学部などもそ
れぞれのロゴを使っています。そこで、60 周年を記念して、歯学部
のロゴを制定することにしました。ロゴは、大学のロゴとして歴史
的な円環形の中に歯学部の現代的かつ若いイメージを配したもの
となっています。7 月から歯学部で作成したパンフレット等に既に
使用しています。永く使っていただければ幸いです。なおデザイ
ンは大阪大学ウェブデザインユニットにお願いいたしました。
歯学部ロゴの説明