ひめぎん情報 ■ 2013.秋号 かざはや じゅく 愛媛銀行寄附講座・聖カタリナ大学「風早の塾」前期概要 現代社会を生ききる叡智 〜生老病死を超えて〜 ひめぎん情報センター 平成24年10月19日、当行は学校法人聖カタ 健康は、本人の考え次第で決まり、人生の長 リナ学園聖カタリナ大学様(以下、聖カタリ さよりも質を重視する。また、健康に関わる ナ大学)と連携協力協定を締結致しました。 最近の動向ではスピリチュアルといわれる霊 その一環として聖カタリナ大学において、4 や霊性といったことも議論されている。 月26日から学内外の講師による寄附講座を開 人生を健康に生きていく中で病(ストレ 講しています。学内関係者だけでなく、一般 ス)は付き物である。この病(ストレス)に の市民の方も聴講でき、多くの方にお越し頂 対応する手段の1つとして、SOC(Sense of いています。講座は隔週で開講し、前期7回、 Coherence:首尾一貫感覚) という概念がある。 後期8回の計15回の開講を予定しています。 SOCとは、目の前に困難があっても、何とか 今号では前期に実施した7回の講座の概要を 切り抜けてやっていけると思えたり、次の糧 掲載致します。 になると考え、病(ストレス)と向き合う事 に意味を見出せたりする感覚である。SOCが 第1回「健康の社会学・総論 ―ストレスや 高い人ほど、健康になり人生の質も良くなる 病とともに健康に生きるとは―」 傾向がある。ここに今を生き抜く叡智を読み 日時:平成25年4月26日(金) 解くこともできよう。 講師:山崎 喜比古氏(日本福祉大学教授・ 元東京大学医学系研究科准教授) 1948年、WHOは、 「健康とは単に疾病がな いとか虚弱でないということではなく、精神 的にも社会的にも全ての面が良好な状態にあ る」と定義した。健康の社会学においても、 単に医学的な視点だけでなく、社会的、心理 的、文化的な視点から健康を考えることが重 要になる。その1つの例として、現在では主 観的健康というものが重要視されている。客 24 第2回「現代スポーツ文化と健康 ―スポー ツは健康に役立つか?―」 観的健康は、単に病気であるかどうかという 日時:平成25年5月10日(金) 客観的な基準で判断するのに対して、主観的 講師:井上 俊氏(大阪大学名誉教授) ひめぎん情報 ■ 2013.秋号 私達が現在楽しんでいる「近代スポーツ」 て、スポーツをする身体とは遊ぶこと(楽し の多くはイギリスで生まれた。イギリスの植 いこと)を自ら求める身体である、という見 民地支配を通じて、世界中に様々なスポーツ 方がある。スポーツを行う際にはルールに拘 が広まった。また近代スポーツの特徴は、暴 束され、身体自体は不自由を感じるものの、 力性を抑制し、平等な条件の下で能力を競い 私達はスポーツを楽しむこと自体に価値を置 合う点にある。 いてきたのである。 スポーツは健康の増進や保持に役立つと考 かつて後進国であった日本は、先進国に追 えられているが、必ずしもそうとは言えない。 いつき追い越せの精神でやってきた。その為、 学校での部活なども含めて、スポーツ練習中 スポーツにおいても、それ自体を楽しむとい の怪我や事故は少なくない。トップレベルを うより、体育(教育)における強制、規律訓 目指す激しい競争や体調管理の為に、ストレ 練が偏重され、形の模倣、誤った勝利至上主 ス性疾患や摂食障害に陥ったりする選手もい 義、技術中心主義が重視されていた。 る。さらに 「社会的健康」 という面から見ると、 幸福な身体(Physical Happiness)を実現 莫大な金銭が動く現代のプロスポーツなどは する為には、不自由な身体をもって「今でき 「健康」 (健全)とは言いがたいところもある。 る力」でスポーツを楽しむことが重要である。 スポーツはしばしば、社会的差別を反映す 不自由な身体で営む活動は、自由な身体で営 る。しかし近年、性別、年齢、階層、障害の む活動よりも喜びは深いのである。自分の能 有無などを超えて、全ての人々がスポーツを 力に見合ったやり方でスポーツをすれば、老 享受すべきであるというSports for All(みん 若男女問わずスポーツで感じる楽しさは同じ なのスポーツ)の思想と運動が広まってきた。 である。それが今を生きる意味に、そして今 3.11以後の活動にも示されているように、ス を生ききることにつながるであろう。 ポーツには人々を結びつけ、新しい繋がりや 絆を生み出していく力がある。その意味で、 社会的健康の観点から見ても、スポーツの重 要性は高まっている。 第3回「スポーツと身体の社会学 ―Physical Happinessを求めて―」 日時:平成25年5月24日(金) 講師:菊 幸一氏(筑波大学教授) 私達の身体は、苦しんだり、楽しんだりす 第4回「スポーツ社会学の実践 ―逆境を生 き抜くエッジワークの世界―」 る。西欧では、道具としての身体は苦しむ身 日時:平成25年6月7日(金) 体で、労働など生活の為に手段化され、いか 講師:根上 優氏(聖カタリナ大学人間健康 に労力を使わないか、いかに効率的にできる かということが重視されてきた。それに対し 福祉学部教授) 現在、スポーツの一環として、登山が広く 25 ひめぎん情報 ■ 2013.秋号 定着している。しかし登山には多くの危険が 伴い、自ら危険を冒す行動でもある。専門家 が登山の危険性を訴えても、手軽で快適な登 山の魅力により、登山初心者は山の怖さも自 分の能力も顧みることなく、行動に移してし まう。その結果、遭難などの事故が発生して しまう。 山には数多くの危険が存在する。登山者 教の分野である。 はこれらをきちんと受け入れて、行動しなけ 体の病の苦しみには、病気などの肉体的苦 ればならない。そこで登山を、エッジワーク しみ、そして苦悩や失望等の心の苦しみがあ (edgework) として捉える。エッジワークとは、 る。しかし魂の病の苦しみとは、それらの苦 極限の状況の中(edge)に身を置いて死の不 しみを超え、人間の存在目的や生きる理由な 安や恐怖と向き合い、これらを克服し成長を どに起因するものである。また病気には、い 遂げることである。 じめや絶望のように、人間を孤立、苦悩、絶 私達は、山が「危険な場所」であることを 望に導く側面と、人間をより成熟した状態へ 認識し、その上で山に入った瞬間から危険と 導く側面とがある。 向き合い、自ら危険を冒しているというエッ キリスト教においては、苦しみの原因は原 ジワークの自覚を持たなければならない。こ 罪(最初の人間の罪)であるとされている。 れを通じて自己成長を図る為にも、登山のよ 人間は、自由の乱用により神の掟を破った。 うに危険を冒すスポーツの社会的意義を再認 イエスはその苦しみを受けるように招き、苦 識すべきである。人生において、職業のなか しみや死を廃止しないが、人々の苦しみと連 にも、その生のなかにも死(エッジ)がある 帯し、慰めと癒しを与えている。死は、死に ことを認識して生きることが、この今を生き ゆく人を巡って互いに寄り添い、人と人を結 きる思惟・叡智につながるであろう。 びつける。ここに今を生ききる救済の世界が ある。 第5回「病の救済と健康」 日時:平成25年6月21日(金) 講師:ホビノ・サンミゲル氏(聖カタリナ大 学学長) 26 第6回「絆の社会学 ―社会生活をつくり支 える〈強い絆〉と〈弱い絆〉―」 日時:平成25年7月5日(金) 人間は病と健康の両方を持って生きてい 講師:塩原 勉氏(大阪大学名誉教授) る。病は苦しみの元であり、健康は全ての人 絆には、 弱い絆 (weak ties) と強い絆 (strong 間の幸せにつながっている。人間は、 体 (身体・ ties)の2種類がある。弱い絆とは、間接的 精神)と魂(霊魂)の2つの要素から成り立っ な接触による日頃あまり会わないやや疎遠な ている。体の病の治療は科学と医学の分野で 関係と多様な価値を持つ異質者の関係であ あり、魂の病の治療は科学や医学を超えた宗 り、凝集性が弱く開放的である。強い絆とは、 ひめぎん情報 ■ 2013.秋号 長期の直接的な接触による親密さと同じ価値 の大半は子供(逆縁)であった。それだけ親 を持つ同質者の結びつきであり、凝集性が強 は深い苦悩を負い、生きること自体に宗教的 く閉鎖的である。強い絆の中では同じような 意味を認め、精一杯よりよく生きることを心 情報が多いが、弱い絆の中では職業機会を得 がけていた。現在では医療技術が発達し、昔 たり多種多様な情報があったり、思いがけな と比べると平均寿命も飛躍的に伸びた。その いところで助け合いの出来事が起こったりす 一方で、老衰者に対し胃瘻等*で無理な延命 る。 処置がなされている。人生は長くなるかもし 現在では血縁、地縁、職縁など従来のコミュ れないが、人生の終え方としては、本人の望 ニティは衰退してきている。さらにグローバ むものでないかもしれない。私は、抗癌剤投 ル化に伴い、社会の開放性と異質性が増大し 与をしてもらいながら、人生の仕舞い仕度を ている。差別や民族主義など異質性を排除す かねてこの今を精一杯生きている。 『別れの る動きも多少ある中で、絆は「強」から「弱」 文化』 (朱鷺書房)の出版もその一つ。よく へ移行している。 生きた人だけが、よく死ぬことができる。 現在衰退している従来のコミュニティは、 人生の長さよりも質、自分が納得できる生 い ろう じたく 「弱い絆」へ形を変えていくが、思いがけな き方をしたかどうかが重要である。自分の好 い互酬性をもって新たなコミュニティ、新た きなことを我慢してまで長生きするよりも、 な助け合いに復元されている。このコミュニ たとえ短くても自分の好きなことをやって人 ティは、地域を越え、血縁、地縁を越えて新 生を終えることの方が幸せであるかもしれな たな「弱い絆」との相互関係の影響を受ける い。現在、病院ではなく自宅で亡くなりたい 私達にとって、極めて重要になる。緩やかに と思っている人が増加しており、今後は終末 支え合う開放的な「弱い絆」は、この今を互 の看取りを含め、近隣社会の支え合う関係や いに生かしていく新たな叡智となろう。 それを大切にする心構えなどを養う必要があ る。 「うらを見せ、おもてを見せて散るもみじ」 よ りょうかん と詠 んだ良 寛禅師のように、 「鎮めの文化」 を身に体して生きていきたい。たとい不治の 病にあっても、病とともに……。それが生き きる叡智ともなるのではなかろうか。 *胃瘻とは、口などからの食物・水分の補 第7回「生き方、死に方をめぐる臨床社会学」 給が困難な場合、胃壁と腹壁に穴を開けて 日時:平成25年7月19日(金) チューブを取り付け、外から直接胃に栄養 講師:大村 英昭氏(相愛大学教授・大阪大 剤などを注入する方法。 学名誉教授) かつて多産多死の時代には、死とその葬儀 27
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