No.6 韓国経済論Ⅰ Ch.3 韓国経済の変換期 *朴政権末期に起きた自由・民主化運動は、独裁政権の没落後、 →「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが台頭、 *全斗煥(当時、保安司令官、捜査本部長)は、朴大統領暗殺事件の捜査過程中、大統領の承認 なしに、戒厳司令官を逮捕(武力による下克上、「12.12 粛軍クーデター」) その後、全斗煥率いる新軍部は、実権掌握(「春来不似春」) *「光州民主化運動」(1980.5.18)を武力で針圧 -死者 240 名(5.18 記念財団資料)以後、 「光州民主化運動」は、韓国において反独裁民主化運動の理念的基礎となる。 1.第 5 共和国の誕生(1981-1988) ・全斗煥第 11 代大統領就任(1980.9.1) ・1980 年 10 月 27 日、憲法改正(任期 7 年単任制の大統領制) ・1981 年 3 月 3 日、全斗煥第 12 代大統領就任→第 5 共和国の成立 1)全政権期の政治 ・政権の正統性問題(粛軍クーデター、光州針圧など) ・在野政治勢力・民主化運動の弾圧 ・朴政権期の不正と差別化の一環として「正義社会の具現」を提唱 2)全政権期の経済 ・1980 年代初期の韓国経済:成長を主とした経済政策 →高い物価上昇(80 年 44%上昇)、累積外債の拡大(468 億ドル GDP の 50%) ・全政権の経済政策→物価の安定、成長 3)三兎を追い取る ・インフレの抑制:緊縮財政、緊縮通貨、低賃金 →物価上昇 4.7%に(82 年) ・経済成長:技術集約的産業の構築(電子産業:半導体、コンピュータ、通信) →1986 年代から電気部門の輸出が繊維・機械部門を追い越す 1980 年代の平均経済成長率 10.1%(1980 年、マイナス 5.6%) ・外債問題:輸出の好調により計上収支黒字に転換(1986 年)→外債問題の解消 ・再び高成長軌道に 4)1980 年代の経済 「世界経済」、低有価、低金利、低ドル(円高)いわゆる「3 低の時代」 ・中央執権的管理経済の持続 ・第 5 次経済計画期 ・オリンピックの開催決定 ・高い経済成長率を維持 ・中産層が確立→民主化・階層間格差→強権統治に対する反発高潮 1 No.6 韓国経済 済論Ⅰ 2.第 第 5 共和国の の終焉と第 6 共和国の の誕生(1988~現在) 1)背 背景 ①経 経済成長によ よる中産層の の拡大 → 反軍事政権 権勢力の台頭 ②強 強権的政治→ →学生の拷問 問致死事件発 発生 ③次 次期大統領の の候補として て、盧泰愚( (全斗煥の側 側近)を指名 ④学 学生運動最中 中に学生死亡 亡 ⑤大 大規模の反政 政府、民主化 化運動の拡散 散:「6 月民主 主抗争」 第 5 共和国の の終焉 2)第 全政権 権の最大な危 危機のなか、次期大統領 領の候補として盧泰愚による「6.29 民主化宣言」 」を発表 大統領 領直選を骨子 子とする憲法 法改正→1988 8 年 2 月盧泰 泰愚第 13 代大統領就任→ →第 6 共和国の誕生 9 民主化宣言 言 *6.29 ①大 大統領直選制 制改憲 ②1 1988 年平和的 的政権移譲 言論基本法の の廃止、言論 論の自由の保 保障 ③言 ④地 地方自治制の の実施 ⑤政 政党活動の保 保障(反政府 府政治犯の赦 赦免、釈放) ⑥社 社会浄化措置 置の実施 ⑦流 流言飛語(デ デマ)の根絶 絶保障 ⑧地 地域感情(対 対立)の解消 消 ・意義 義:軍事的独 独裁政権の終 終息、民主、 自主、統一イデオロギー ーの定着、 民主的な な市民運動、民衆運動の の 「6.2 29 宣言」後の労働運動 に繋がる。 → 盧泰愚政権の の経済(1988~1993) 3)盧 ・3低 低効果+オリ リンピック特 特需により好 好況(高度成長)が続く ・民主 主化宣言以降 降、労働運動 動の拡大 → 賃金の引き上げ、物価 価の上昇 2 No.6 韓国経済論Ⅰ ・3低効果の消滅:韓国の国際競争力の低下 → 輸出不振 ・9%台の経済成長率はあるものの、不動産、金融(株式)、サービス部門の急速な成長 インフレの発生、経常収支赤字の増加 *盧泰愚政権の対応: ・3低現象という外部的要因による対する認識の欠如 ・経済の構造改革、技術革新の努力、投資の拡大が必要である時期であったが、 住宅建設による内需拡大政策を採択 韓国経済の変換 経済成長に伴う国民意識の転換と経済的格差、産業間格差、地域間格差が深化 長年経済政策の基本原則であった 「先成長・後分配」に対する反発が始まり 中央執権的政府主導型経済政策の限界と矛盾が表出 88 ソウルオリンピック開催(9.17) ・米ソを含む東西両陣営が参加(160) ・オリンピックの特需といく経済的効果+韓国の対外イメージの改善 1990 年ソビエト連邦と国交樹立 1991 年韓国・北朝鮮と同時国連加盟 1992 年中国と国交樹立 3)文民政府の誕生・金泳三政権(1994~1998) 当時執権与党と 2 つ野党が統合、「民主自由党」を発足:「三党合党」 与党の代表としての金泳三候補が第 14 代大統領に当選 政治、経済、社会体制の構造的矛盾の改革、一新する政策、軍部内の私的組織を解散 ・第 5 共和国の清算: 軍事クーデター、光州事件関連の処理 ・北朝鮮の金日成との首脳会談確定 → →2人の前職大統領拘束(全、盧) 金日成の急死(1994.7)により霧散 ・地方自治制の実施、朝鮮総督府建物の撤去(1995) ・北朝鮮の核問題(クリントン政権の北朝鮮爆撃検討案を拒否) ・執権末期、息子の汚職問題、経済危機(IMF 管理体制)発生 3 No.6 韓国経済論Ⅰ *金泳三政権時の経済と経済危機の発生 ①自由市場経済を標榜:国公有→民営化 ②「金融実名制」の実施 ③第7次経済開発5カ年計画(1992~1996 年)を廃止 →1993 年を起点とする「新経済5カ年計画」を発表 =中央執権的管理経済の衰退= ④1995 年から円高による輸出好調、8.9%の経済成長達成 →資本財輸入を誘発、海外依存度が深化 ⑤1996 年 12 月 OECD 加入 29 番目(アジアでは日本に次 2 番目) →政府・国民の「先進国の仲間入り」との認識高潮 ⑥高費用、低効率、産業構造の問題による国際競争力の喪失、財閥の無理な投資と事業拡大 1996 年から大企業の連鎖的破綻、金融機関の粗悪な実態が表出 →金融機関の不良債権の急増:韓国経済の総体的危機に陥る+政府の対応の失敗(無能) *アジア通貨危機(1997 年) →韓国経済の破綻に → 同年 12 月 IMF に支援金融要請(「IMF 経済危機」) 4
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