は こ ふくろう 「パンドラの匣」と「ミネルヴァの 梟 」 校長 井出 英 ともにギリシア神話に係わるお気に入りのことばです。 まず、「パンドラの匣」についてです。 つぼ ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった壺のことで、彼女が地上に着いたと ふた き、好奇心から蓋を開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いで蓋をしたので 希望だけが残ったという話です。さて、この神話から2つのことを考えます。もし、パンドラ が蓋を開けなかった場合、そしてあわてて閉めなかった場合、一体どうなっていたのだろうか。 まず前者は、何の悩みや苦しみのない、エデンの園のアダムとイヴ、竜宮城の浦島太郎、雪女 み の き ち けんげん の巳之吉や桃源郷の生活、そして夕鶴の与ひょうなどに顕現した幸せな世界が永遠に続いたこ とでしょう。奇しくも、取ってはいけない、開けてはいけない、話してはいけない、見てはい けない、という約束が守れずに、それぞれが得ていた生活や大切なもの、すなわちユートピア を失うことになってしまう、皆さんご承知のお話が連想されます。次に、後者です。もし「希 望」が外に飛び出していたら、人間はその生涯に起こる不幸を含めたすべてのことを正確に知 ることとなります。そうなると人間はどうなってしまうのでしょうか。希望を抱くことができ なくなり、生きていられなくなるでしょう。人間は災いから生き残っていくことは可能ですが、 希望なしに生きることは不可能です。幸いなるかな、パンドラは好奇心を与えられていたので、 壺の中を見たくなり、つい開けてしまったのですが、「希望」まで残らずに外に飛び出ていた ろ じ ん ら、人間はきっと滅びていたことでしょう。希望といえば『故郷』(魯迅)の一節を思い浮か べます。「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは 地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道にな るのだ。」パンドラとは、人間の化身なのでしょうか。 たそがれ さて、「ミネルヴァの梟」は、大学に入学した頃、「ミネルヴァの梟は黄昏とともに飛び始め る」という語句で知りました。ドイツの哲学者ヘーゲルの『法の哲学』という著書の序文にあ るのですが、内容など忘却の彼方にあり、今どこに紛れ込んでいるのか見当も付きませんが、 「ミネルヴァの梟」だけは、その後も頭の上を飛び立っていきました。 ミネルヴァは、知恵の女神アテネのことで、ポリスであるアテネの守護神でもあり、梟はア テネの聖鳥でしたから、 「ミネルヴァの梟」とは、哲学や学問を象徴しているのです。では、 「ミ ネルヴァの梟は黄昏とともに飛び始める」とは、どういう意味か、あまりにも謎めいているの で、ヘーゲル自身の解説を付与します。「哲学は世界についての思想である以上、現実の世界 ができあがり、完成したあとに、初めて登場するのである。現実が成熟して、やっと、観念的 なものは、現実に対応して現われ、それをひとつの知的な王国としてまとめあげるのだから。」 すなわち、現実に対して、哲学や学問は、常におくれてやってくる、そして、それらが確立す しゅうえん そうかつ るころには、その時代はもう終焉に近く、その哲学や学問はその時代を総括する役割しか果た さないことになり、ゆえに「ミネルヴァの梟」は、日が暮れてからようやく飛び始めるという きょうじょう わけなのです。したがって、その哲学や学問にあまり固執するならば、時代遅れの教 条主義 おちい に 陥 る恐れがあることになります。ですから、ミネルヴァの梟が飛び始めたら、次の時代の幕 とら が開く前兆と捉え、希望をもち、未来に向かって前進しなければならないのです。 では、ミネルヴァの梟が明け方に飛び始めたらどうなるでしょう。結論を申せば、学問が現 いまし 実を超えることに繋がり、その是非を巡り 戒 められる場合もあり、遺伝子操作やクローン技術 おとし などは、人間を科学の奴隷に 貶 めるものと非難されてしかるべきかも知れません。 人間が「慎ましく生きるには」と何か、 「ミネルヴァの梟」に聞いてみたくあります。
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