平成 24 年度丸亀市家庭教育セミナー・丸亀市 PTA 連絡協議会人権研修会講演要旨 「なぜ、人は平気で『いじめ』をするのか? ~透明な暴力と向き合うために~」 講師 香川大学教育学部 加野 芳正 氏 昔は「いじめ」という概念がなかったが、1980 年代になり、子どもたちの暴力や仲間外れなどの行 為を「いじめ」として理解するようになった。認識の枠組みを得たということだと思う。例えば、DV やセ クハラも、概念が入ってきて初めてみんなが理解するようになったように。そして、この 30 年、いじめ が大変だという社会が 4 回やってきた。 第 1 次いじめパニック:葬式ごっこ等のいじめを原因とする自殺(1985 年)が起こった。 (増え続ける不登校に関心が移った。) 第 2 次いじめパニック:いじめを原因とする自殺(1994 年) (学力低下、ゆとり教育の弊害に関心が移った。) 第 3 次いじめパニック:いじめを原因とする自殺。隠蔽体質の学校や教育委員会の対処が問題 になった。(2006 年) 第 4 次いじめパニック:いじめを原因とする自殺。学校も教育委員会も過去から学んでいないの か、と問題になった。(2012 年) 話題になる=いじめが多いというのではなく、いじめは元々一定程度起こっているが、親や教師の 関心が高い時はデータ上いじめ件数が高く、関心が低い時は件数が低い。つまり、いじめ件数のデ ータは大人の関心のバロメーターとしてあるのではないか。 共通点は、学校が荒れていたことだ。つまり、教室の中で先生のコントロールが効かない状態。そ うすると、どうしてもいじめはおきる。いじめ予防には学校の秩序を守ることが大切だ。 1994 年の事件でもそうだったように、いじめの難しさというものがある。人にいじめられる経験はつ らく、プライドがズタズタにされてしまう。すると、先生に尋ねられても、その子は「自分はいじめられて いるわけではない」と口にする。子どもは身近にいる親にも言わず隠すので、親にもわからない。 また、自殺にまで追い詰められるのは男子が多い。社会的に「男の子は強くなければならない」と 言われるためガマンし、ギリギリのところで命を絶つところまで追い詰められるということになる。(女の 子は口に出せるので救い出すことができる。)韓国でもいじめはあるが、いじめられたらとにかく先生 に報告する、という点を重視している。日本の文化の中では難しいかもしれないが、弱音をポロッと出 せるような雰囲気を作れたらいいと思う。大人・子どもを問わず、自殺は男性に多い。 それでは、いじめとけんかはどこが違うのか。けんかは、兄弟でも夫婦でも、対等な立場で起こる。 また、ルールがあり歯止めがある。 いじめは、同級生なので平等に見えるが数が違う。圧倒的な力の差がある。いじめは残酷な行為 で、残忍な過程そのものが目的なので、もう許してくれと言っても許してくれず、ますますいじめられ、 追い込まれる。いじめは本当に理不尽だ。理由はないのに、とにかく被害にあう。 いじめの特徴は 6 つほどある。 ① 大人に見えにくい 先生の目の届かないところで起こるので、アンケートでいじめを把握することになるが、子どもは なかなか本当のことを言わないので、先生には把握できにくい。 ② あそびの形をとることが多い プロレスごっこなど。やっている子は実感がないが、やられている子はつらさがある。 ※「○○○が学校に行きたがらないので、気にかけてください」というメッセージで、先生を 非難するのでなく頼むのも一つの方法。 服が汚れている、学校に行きたがらない、元気がないなど子どもの変化を見てほしい。 ③ 立場が変わる いじめる側といじめられる側は立場が固定した関係ではない。だから、アンケートではいじめた 経験もいじめられた経験も出てくる。 ④ クラスはいじめのターゲットをいつも求めている 集団の中でズレルと、いじめの対象になりやすい。いじめには「理由」はなく「きっかけ」がある。 きっかけを先生が作ってしまうこともある。注意が必要だ。 ⑤ ある種のいじめには歯止めがない 集団になると、どんどんやってしまう。いじめが犯罪や非行の接点となってしまう。 ※いじめには仲間はずれやシカト等の「孤立化」と、殴る蹴る、金銭を要求する等の「暴 力」的なものの 2 種類がある。無視やシカトは学校の問題だが、ゆすり、たかりや暴力的 なものは犯罪であるので、学校がかばうのでなく、警察の力で対処すべきでないかという 意見が強くなっている。良いか悪いかは別にして、そういう風潮になってきている。 ⑥ 学校(空間)の中でおこる いじめは、大学や塾ではおこらない。学校という、子どもが逃げることのできない、運命として 配置される空間で起こる。学校は、いじめがおきやすい環境を作り、その中でコミュニケーション や優しい気持ちを学び、共に生きることを教える存在で、矛盾に満ちている。いじめが発生しや すい空間を作り、いじめはダメだということを学ぶ空間だ。他者と向き合って生きることは必要な ので、それを学ぶ空間として学校が存在している。 学校では、成績等でライバルになるので人間関係が難しい。そのことも、いじめを惹起する。 また、あの子だけが先生に認められている、という嫉妬心も子どものいじめの一因となる。 いじめの原因を整理すると、次のようになる。 ● 学校という空間 1 年間は同じクラスの人と付き合わなければならず、逃げることができない。 ● 子ども自体が十分しつけを受けていない ● 子どもが純粋で無垢であること、半面で、子どもは残酷で権力的であること 子どもは、大人が思っているよりも残酷で権力的だ。強い子は弱い子を排除しようとする。このよ うな光景が持続すると、「またいじめられている」というのが日常の風景になり、透明化する。 小学校の高学年になってくると、政治的になる。子どもの社会は権力的な社会で、支配欲がス トレートに出てきやすいので、仲間外れにならないように、仲間に合わせるためにアンテナを張 っている。誰か一人を仲間外れにするとみんなの関心が集まり、集団が安定するため、誰かを 排除しようとするのではないか。生け贄、人身御供、それがいじめとなって子どもの世界で出て きているのではないか。 日本は集団心理なのでみんなと仲良くしなければならないというプレッシャーが強い。みんなと仲 良くすることは大人でも難しいが、親しくない人をいじめて良いわけでなく、一定の距離をもって、お 互いに傷つけあわず共存する能力を持ってほしい。 そこで、「自分はあなた」と考えてはどうか。つらい、悲しい、怒りという感情は、共通の文化の中で 生きているから共有される。個性は大事だが、あなたがつらいことは私もつらいんだということを共有 することが大切だ。 次に、「友だち」について。私たちは子どもに、友だちが大事というプレッシャーを与えすぎていな いか。友だちがいなくても生きていける、一人でいられる、ということも大事なのだと子どもたちに伝え ることも大切だ。友だちが必要だというプレッシャーを与えすぎ、だから友だちに縋りついていく。一 人でも生きていけるという力を子どもにも身につけてほしい。子どもは、自分をいじめる友達と学校の 外でも付き合わなければならない。24 時間いじめだ。日本には良い音楽、詩、文学作品がある。そう いったものから生きる元気を与えられることも、対症療法になるのではないか。 最後に、本日の研修は先生の参加も多い様なので先生方にお伝えしたい。 ・ 先生方は一生懸命されていると思うが、先生がいじめの原因になるケースが結構ある。先生がい じめれば、先生の眼差しは子どもたちに共有される。先生は、個人として教壇に立っているので はなく、先生として教壇に立っている。その先生の職業倫理は平等に子どもに接することを使命 としている。 ・ いじめはなかなか見えないという認識で、いじめという枠組みを持って子どもと接することが必要 だ。香川では虐待を学校で発見する例が多い。「虐待」という認識枠組みをもっているから発見 できるのだ。いじめも同様で、いじめという枠組みを持っていると、子どもの表情を読み解き、これ はいじめでないかと気付くことができる。 ・ 「窓ぎわのトットちゃん」にもあったように、子どもにとって先生の支えは重要だ。子どもを支えてあ げられる先生であってほしい。 子どもの育ちは、いじめたりいじめられたりしながら、いじめはダメということを学ぶプロセスである。
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