今時、日露戦争

同窓会だより
今時、日露戦争(?)
昭和46年内科レジデント
埼玉県深谷市 上野医院
上野 達雄
今時、日露戦争に興味を持つ人は殆どいないでしょう。同時に日露戦争の意義を戦争に
勝ったこと以外に理解している人も極僅かでしょう。日露戦争は、日本民族の全知全能を
かけて、しかもそれらを使い果たして戦った戦争であったと言えます。
私が日露戦争に興味を持つようになったのは、6~7年前に司馬遼太郎氏の「坂の上の
雲」という小説を読んでからです。「坂の上の雲」は日露戦争を扱った全8巻に及ぶ大作で
す。先ず世界史の説明になりますが、19世紀末はロシアがアジア侵略に最も力を注いだ時
期で、満州をほぼ占領し朝鮮に触手を伸ばそうと軍備の増強を凄まじく行っていました。
満州に大量の陸軍部隊を派遣し、旅順を軍港として要塞化し多くの軍艦(旅順艦隊)を終
結させていました。日本に戦争を行う意志がなくても、ロシア軍に占領されて植民地的支
配を受けることは時間の問題でした。言わば自滅か戦争かの窮地に追い込まれていたので
す。日本は日清戦争の勝利も束の間に、すぐにロシアに対抗する軍備の増強を始めまし
た。乏しい予算にもかかわらず戦艦、巡洋艦、駆逐艦を主にイギリスから買いました。山
室信一氏の「日露戦争の世紀」によると、開戦前8年間の軍事費の割合は国家予算の40~
50%(平均42%)を占めていたそうです。
そして遂に、日本は1904年2月に世界一の陸軍大国であり、更に圧倒的海軍力を併せ持つ
ロシア帝国に宣戦布告しました。
勝算の少ない戦争でしたが、明治維新後に多くの優れた人材(軍人を含めて)を輩出し
た事が、日本の窮地を救う原動力となりました。軍事的戦略に優れた英雄達がその能力を
十分に発揮し、更に日本の歴史上唯一と言える戦略的外交が極めて活発に行われました。
先ず第一に挙げる英雄は陸軍大将の児玉源太郎氏です。旅順艦隊(日本海軍の全艦隊と
同等の戦力をもつ)が黄海海戦で日本海軍に敗れた後旅順港に
引きこもった為、これを更に叩くことが出来ず、バルト海を出
航して日本を目指すロシアの大艦隊(バルチック艦隊)が来襲
したら日本の敗戦は必至でした。そこで海軍は大要塞の旅順を
陥落させ、大砲で旅順港内の旅順艦隊を全滅させるように陸軍
に依頼しました。非常に困難な役目でしたが、陸軍の旅順攻撃
軍は、難攻不落の大要塞に対して日本軍の砲弾の数が極端に少
ないという事情があったのですが、大規模な砲撃後剣付鉄砲し
か持たない歩兵で挑んだ為(有名な二○三高地攻撃)、敵の無
数の砲撃と機関銃により多数の犠牲者を出しました。その窮地
を救ったのは児玉源太郎大将でした。彼は満州でロシア陸軍と
の戦闘を指揮していましたが、急遽旅順の戦線に赴き指揮をと
〈児玉 源太郎〉
りました。児玉大将が旅順戦線に赴く少し前に有坂成章陸軍少
将の発案で、日本内地の要塞に配備されていた28サンチ榴弾砲
という巨砲18門が旅順に送られていましたが、旅順攻撃軍はそれを十分活用しませんでし
た。児玉大将はこの巨砲を活用し、1発218キロという重い砲弾を2300発敵の要塞に射ち込
みそれらを悉く破壊して、僅か2時間足らずで二○三高地を占領しました。更に28サンチ榴
弾砲を二○三高地を越えて旅順港に打ち込み、港内の旅順艦隊を悉く撃沈又は戦闘不能に
するという大戦果をおさめました。
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この結果、後顧の憂いのなくなった日本海軍は、バルチック艦隊が来襲した際にも、海
軍の天才参謀、秋山真之中佐の見事な作戦(日本海海戦)により同艦隊を全滅させるとい
う世界海戦史にも例のない大勝利をおさめました。一方、陸軍も満州で奉天大会戦(ロシ
ア軍32万、日本軍25万)に苦戦の末勝利し、敵を南満州から駆逐することに成功しまし
た。更に戦前より多彩な外交活動を活発に行い(戦前より戦争終結の時期を計画していた
為)、アメリカのルーズベルト大統領の仲介により、海軍大勝利の後、1905年10月にポー
ツマスの講和条約の締結を成功させました。
この小説の中で著者は、この戦争の指導者群と太平洋戦争の指導者群の戦略戦術思想の
余りにもかけ離れている点を指摘し、まるで種族まで違うと思われる程であると述べてい
ます。
優秀な指導者群による優れた外交的、軍事的戦略が日本を破滅から救ったという事実を
重く受け止め、勝因の詳細な分析を行い、それを後世に伝えるという重大な作業を怠り、
戦略的基盤や経済的基礎の裏付けのない哲学性と神秘性のみ強調された観念が、後の日本
軍の伝統となっていった事は極めて残念としか言いようがありません。(これは著者が作
品の中で述べている事です。)
歴史に「もしも」という事はないのですが、日露戦争に関わった指導者群が、太平洋戦
争前の日本の指導を行っていたら(又はその精神が引き継がれていたら)、全く勝算のな
い戦争を回避することに全力を注ぎ、それを実現させていたかもしれない事は想像できま
す。
余談ですが、「坂の上の雲」がNHKスペシャルドラマとしてクランクインし、2009年秋か
ら3年にわたり全13回放送予定との事です。
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