エピソード検討会の役割~園(所)内研修の充実に向けて

京都市子育て支援総合センターこどもみらい館
平成27年度 第2回共同機構研修会
共同機構研修会
エピソード検討会の役割~園(所)内研修の充実に向けて~
講師
大倉 得史
―エピソード記述・検討会のすすめー
1.従来の「記録」とは異なる「エピソード記述法」
近年,保育の現場でエピソードを取り上げ,そ
れについて検討会を行うといった取組が,徐々に
浸透してきています。もちろん,以前から子ども
の姿について記録をとったり,一人の子どもにつ
いてケース検討会を開いたりといったことはし
ばしば行われてきていたわけですが,近年では,
より実践の向上につながる記録の取り方とはど
んなものか,またそれに基づいてどのような検討
会を行っていけば良いのかといった問題提起が
なされ,その方法論についてしばしば議論される
ようになってきました。そして,これまでとは一
味違った記録の取り方や,これまで以上に深い洞
察につながるような検討会のあり方が打ち出さ
れてきています。
本日は,そうした新たな記録・検討の方法とし
てのエピソード記述法,およびエピソード検討会
についてご紹介したいと思います。
エピソード記述法というのは,従来の保育現場
で行われてきた単なるエピソード記録とは違い
ます。また,それに基づいて行われる検討会にも,
これまでの検討会とは違った注意点があります。
エピソード記述法・検討会の方法をきちんと学び,
保育園(所)・幼稚園の園内研修などの一環とし
て取り入れていっていただくことで,職員個々人
の実践力や園全体の保育の質が大きく向上して
いくはずです。
2.エピソード記述法・検討会の目的
まず,エピソード記述法とはどんなものかにつ
いて大まかなイメージをつかんでもらうために,
次の2つの「記録」を比較検討してみましょう。
1
京都大学大学院人間・環境学研究科准教授
記録A:今年初めてのプール遊び
<背景>
今年初めてのプール遊び。昨日から屋上のビニー
ルプールに水を張っていたので,朝10時の時点で
水は十分生温かく,今年初めてのプール遊びには十
分の水温であった。10時に午前の自由遊びの時間
を終わり,めいめい片付けに入る。3歳児のもも組
さん20名には昨日のうちに,
「明日はプールがある
よ」と告げてあり,全員,家庭から水着と着替えを
持ってきている。ほとんどの子どもは自分の椅子の
上に脱いだ上着をきちんと表返して畳んで置いてい
たが, Yくんと Nくんは上手く表返して畳めない
ので手伝う。
<エピソード>
全員,水着に着替え終わると,ホールに集合し,
幼児体操の音楽に合わせて体操をする。音楽に合わ
せて体操ができないKくんと Sちゃんには,補助の
先生がついて,流れに誘導するが,それでも上手く
皆に合わせられない。幼児体操が終わると,1列に
並んで屋上のプールへ。屋上に出ると,子どもたち
の口から,「プールだ!」「スイミングのプールより
小さい」
「ぼく,スイミングに行ってるから,もう泳
げるよ」
「お父さんとお風呂で顔つけしたもん」とい
う言葉が漏れる。10時半からプールの活動を開始。
「まず,シャワーを浴びてから,プールに入りま
す。寒くなったら,プールから上がって,甲羅干し
をします」と説明する。順番にシャワーを浴びてプ
ールに入る。子どもたちのあいだから歓声があがる。
水をかけあったり,体を水に沈めたり,思い思いに
水の感触を楽しんでいる。
10時50分に一度全員がプールから上がる。そ
こで,
「これからプールをワニ歩きします。補助の先
生がワニ歩きをしてみせますから,皆もまねてやっ
てみてね。ワニ歩きのときに,顔つけができる人は
挑戦してみてください」と教示する。
全員が1列になってプールの中をワニ歩きをする。
顔に水のかかるのをいやがってワニ歩きをしようと
しないSちゃんに,補助の先生が「頑張って!」と
声をかけると,Sちゃんも頑張ってワニ歩きをした。
「すごーい,Sちゃんもワニ歩きができたね!」と
褒める。どうにか全員がワニ歩きができたところで,
11時15分。時間が来たのでプールをおしまいに
する。
「今日はワニ歩きに挑戦しました。みんな頑張っ
て,ワニ歩きができるようになりましたね,今度は
顔つけができるようにまたがんばりましょう」と声
をかけ,めいめいが持ってきたタオルで体を拭いて
部屋に戻る。T男が「先生,拭いて」とタオルを差
し出すので拭いてやる。
<考察>
やはりスイミング教室に通っている子どもは水へ
の恐怖心がなく,ワニ歩きも顔つけも平気で,中に
は潜って進む子もいた。補助の先生が声をかけたこ
とで,Sちゃんが頑張ってワニ歩きができるように
なって良かった。
ほとんどの子供が表返して畳めるようになったが,
まだの子もいるので,きちんと畳めるように指導し
たい。
(鯨岡峻・鯨岡和子
『保育のためのエピソード
記述入門』 ミネルヴァ書房 p49-50 より一部改)
記録B:「あっ,ここも濡れてるわ,先生」
幼稚園H教諭
<背景>
R君は今年4月に入園した2年保育の4歳児の男
児である。両親は発達に遅れがあるのではないかと
心配し,未就園児(3歳児)から療育施設に通って
いる。父・母・妹の4人家族で,父方祖父母が隣の
家に住んでいる。放課後によくおじいちゃんと散歩
で園の前を通ることがあり,見かけるとおじいちゃ
んは「ほら,挨拶せんか」とR君の頭をはたいて促
し,R君は頭をぺこりとする。一方,登園して上靴
に履き替えるのに時間がかかり,お母さんが「早く
しなさい」と促すと,
「嫌や,どっか行け」と言って
かえって違う行動をとろうとし,なかなか朝の準備
が進まない。おじいちゃんは怖いから従い,お母さ
んの言葉には反発しようとしているように感じ,本
人とおじいちゃん,お母さんとの関係が気になる。
語彙が少なく,遊んでいる様子を見ていると友達
の言っている言葉をオウム返しに発していることが
多い。また私や友達の言っていることの意味を理解
しにくく,友達のしているのを真似しながら行動し
ている。そのため,友達と思いが通じ合わないと,
手を出したりつばを吐いたりし,トラブルになる。
私が間に入って話を聞こうとするが,その場を離れ
ようとしたり,
「うるさい,どっか行け」と言ったり
し,なかなかコミュニケーションをとることが難し
い。そんなことがたびたびあり,友達に手を出して
しまうことに対して注意することが多くなり,私自
身の力不足でなかなかR君にとっての「自分を受け
止めてくれる存在」になれていないように感じてい
た。降園時には一人一人にハイタッチをしながらさ
よならをするのだが,R君だけはしようとせず,
「嫌
や」と手を後ろにしたり,回りこんで逃げようとし
たりする行動をとった。R君の気持ちを受け止めた
い気持ちはあるが,なかなか思いを共感しあうこと
ができない難しさを感じていた。R君は興味をもっ
たことに「これ何?」と聞いてきたり,好きな遊び
に夢中になって遊んだりしている。私はそんなR君
と一緒に話をしたり遊んだりしながら,R君が私を
安心できる存在として感じられるようになってほし
2
いと思い,関わってきた。
<エピソード>
R君はトイレの自立ができておらず,家ではトイ
レが怖いと言って一度も行ったことがなく,おむつ
をはいてすごしているそうだ。お母さんは,濡れて
気持ち悪い感じに気づかせようと,パンツをはかせ
たりおまるを用意したりと,家でもトイレの自立に
向けて頑張ってみたが,成果が出ないと悩んでいた。
幼稚園では,遊んでいる途中でいつの間にかパンツ
を濡らしている。活動の合間にトイレに行くことを
促すが,
「出ない」と言って行こうとしない。また濡
らしたズボンは声をかけなければ着替えをしようと
しない。私は失敗したことを咎めるのではなく,受
け止めながらやっていこうと思った。
ある日,弁当が終わって片づけているころにR君
がモゾモゾしていたので「おしっこかな」と思い,
「R君,トイレ行こうか」と声をかけ,手を握った。
いつもは「嫌や」と言って手をふりほどくのに,今
日はトイレに一緒に行くことができた。
「トイレに行
けた!これならできるかも!」と私は期待を膨らま
せ,ズボンとパンツを脱ぐのを見守った。
「出るかな
あ」と声をかけるが,じっと立ったままでなかなか
おしっこが出ない。というより,出そうとしていな
いように思えた。
「もしかしておしっこの出し方が分
からないのではないか」と疑うほど一向に出そうと
しない。
「おしっこ出ないね」と声をかけると「おし
っこ出ない」と答え,じっと立っている。私は初め
てトイレに行けたことを受け止めたいと思い,
「R君,
トイレに行けたね。おしっこ出そうだったら,また
一緒に行こう」と声をかけた。R君はうなずきなが
ら,パンツとズボンをはき,園庭へ遊びに出た。
10分ぐらい経って見てみると,やっぱりズボン
を濡らしていた。
「やっぱりおしっこはしたかったん
やな」と思いつつ,
「おしっこはしたかったけど,や
っぱり出し方が分からないのか」と感じた。
別の日,友達と砂場遊びをしていたR君がズボン
を泥だらけにして帰ってき,友達と一緒に着替えに
向かった。私はしばらくしてR君の着替えていると
ころへ向かった。すると,R君はかがんで,下を見
ながらおしっこをしていたのだ。R君は私の姿に気
づくと驚いたように体をビクッとさせて表情をこわ
ばらせた。私はその時,
「あれ?R君はもしかして分
かってやっていたのか?おしっこの仕方分かってい
るじゃないか」と感じ,疑いが晴れたことでとても
安心した。それと同時に,体をビクッとさせたR君
の表情を見たとき,日ごろおじいちゃんにきつく叱
られて,頭をはたかれている姿が思い浮かんだ。R
君は「また叱られる」と思ったのではないだろうか。
私は「R君,おしっこできるやん。すごい,すごい。
先生,安心したよ。いっぱい出たなあ」と言葉をか
けた。私の言葉にR君もびっくりしたのだろうか。
目を丸くしてこちらをじっと見ている。私は「ここ,
びしょびしょなったなあ。きれいにしような」と言
って,すぐに消毒液とぞうきんをもってきておしっ
こで濡れた廊下を拭いた。すると,
「あっ,ここも濡
れてるわ,先生」と,R君は飛び散ったおしっこを
指差した。
「・・・先生」って初めて聞いたと思った
が,その喜びには触れず,
「ほんまやなあ」と私はR
君の指差したところを拭いた。
「あっ,ここも濡れて
るわ」とR君はすっかり笑顔になり,R君が濡れて
いるところを探し,私がそこを拭くということを繰
り返し,一緒に床をきれいにした。
「お母さん,おし
っこの仕方分かったよって言ったらきっと喜ぶで」
と声をかけると,R君はにこっと微笑みながらうな
ずいた。帰りにハイタッチもした!
〈考察〉
これまでR君と友達とのトラブルがおこると,R
君の気持ちを受け止めながら仲裁に入っていたつも
りでも,R君にとっては叱られていると感じていた
のだろう。普段の生活の中でR君と心を通わせられ
ないだろうかとかかわってきた中で,初めて私自身
がR君の気持ちを受け止められたのではないかと感
じたエピソードである。廊下におしっこをしていた
R君が私の存在に気付いて,体をびくっとさせ表情
をこわばらせたときに,これまでのR君と周りの大
人との関わりが見えたように感じた。そして,もし
かしたら私も同じだったのではないかと感じもした。
その時,
「ここでおしっこしてはいけません」と言お
うとする気持ちを押さえた。
また,一緒に廊下を拭いている時に,今までとは
違うR君と私のやりとりを感じた。いつものあまの
じゃくなことをするR君に,冗談っぽく追いかける
私,そしてその私の対応を見てうれしそうに逃げる
R君,といったやりとりではない。R君の気持ちを
受け止められ,R君との心が通じ合った感じだった。
R君も,私を気持ちを受け止めてくれる存在として
認め,「先生」と呼んだのかもしれない。
次の日お母さんから,幼稚園から帰って初めてト
イレでおしっこをしたことを涙ながらに語ってくれ
た。なぜそうしようとしたのかは分からないが,そ
の出来事があった日のことである。あの場面のやり
とりがR君の行動に変化をもたらしたのかもしれな
い。
R君が幼稚園でトイレに行くようになったわけで
はない。しかしR君と私との関係において,私のし
ていることを真似ようとしたり,言葉をオウム返し
で話したりするようになった。少しは私を安心でき
る存在と受け止めてくれていると思っている。私を
安心基地として,友達と関わり,自分の思いを出す
中で友達の気持ちにも感じていけるように今後も見
守っていきたい。
え,保育者の指示どおりに子ども集団がきちんと
動けたかどうかに保育の焦点があるように見え
るのに対して,記録Bの保育者は一人の主体とし
ての子どものありようを詳しく描いている。
一読して分かる通り,記録Aにはたくさんの子
どもたちが出てきます。もちろん,それ自体は必
ずしも悪いことではないのですが,その一人ひと
りの子どもについての記述が実にあっさりとし
ていて,それぞれの子どもがどんな個性を持った
子なのかがほとんど読み取れません。最も詳しく
記述されているのはSちゃんという子について
ですが,そのSちゃんも単に「皆ができているワ
ニ歩きができない子」としてしか捉えられていま
せん。集団全体の動きについてこられているか否
かという観点からしか,子どもを把握していない
ことがうかがわれます。
それに対して記録BのH先生の記述では,R君
という子がどんな子であるのかが,非常に詳細に,
生き生きと描かれています。読者である私たちは
R君と出会ったことはありませんが,R君の個性
や存在の雰囲気といったものをかなりの程度感
じ取ることができますし,自分の身近にいるあの
子によく似ているなといった印象を持つことも
できます。集団の中に埋没した個性のない「子ど
もたち」の一人ではなく,一人の主体としてのR
君のありようが浮かび上がってきます。
②記録Aの保育者は子どもの能力の発達に関心
があるのか,子どもの行動のみしか記述していな
いのに対して,記録Bの保育者は子どもや保育者
の内面に踏み込んで,両者の気持ちの交流や子ど
もの心の育ちを描こうとしている。
記録Aの子どもたちがそれぞれどんな子なの
かが分からない一番の理由は,記録Aでは子ども
が何をした,どんな発言をしたといった目に見え
この2つの記録は何かが違います。記録Aは従
る行動のみしか記述されていないからです。保育
来から行われてきたような保育記録ないしはエ
をしているときに,本当であれば保育者は様々な
ピソード記録であり,記録Bが今回の研修で皆さ
形で子どもの気持ちの動きを感じ取り,また自分
んに知っていただきたいエピソード記述になり
自身様々に心を動かしているはずなのに,そうし
ます。両者の違いは大きく4点あります。
た内面についての記述がまったくありません。恐
①記録Aの保育者は子どもたちを集団として捉
らくそれは,この記録を書いた保育者の関心が,
3
やはり「子どもたちがやるべきことをきちんとで
ですが,それでも読者に対して書き手が一番伝え
きたか否か」といった子どもの能力に向いている
たいことは何なのか,読者と一緒に考えていきた
からでしょう。
いと思っていることが何なのかといったことが
一方,記録BのH先生の記述では,R君の表情
見えるような書き方になるというのが,エピソー
や言動から保育者がR君のどんな気持ちを感じ
ド記述の特徴です。単に書かねばならないから書
たのか,また保育者の中にその都度どのような気
くという記録と違って,普段保育の中で感じてい
持ちが沸き起こったかといったことが丁寧に記
る一番伝えたいことを丁寧に書けるというのは,
述されています。おしっこをしているところを見
保育者にとって大きな喜びになります。
つかって「しまった」という顔をしたR君の不安,
④保育者の子どもへの「構え」や「向かい方」が
そこで叱るのではなく喜んだH先生の気持ちの
より積極的に記述され,それらについて検討して
動き,そしてそこから開けていった両者の気持ち
いけるのは記録Bの方である。
の交流が,読者にも鮮やかに伝わってきます。こ
保育者がどういうことを思いながら,どういう
のエピソードでH先生が描きたかったのは,恐ら
姿勢で子どもに関わっているかということがよ
く「おしっこができるようになったか否か」とい
く見えるのは,やはり記録Bの方です。記録Aで
ったR君の能力ではなく,むしろ保育者である自
は保育者がどんなことを心掛けて実践を行って
分とハイタッチができるようになったR君の信
いるのか,自分の実践を良いと思っているのか,
頼感の高まり,心の育ちなのだと思われます。
それとも何か問題があると感じているのかが,よ
このように,エピソード記述法というのは,一
く分かりません。子どもの育ちにとって,保育者
人の主体としての子どもの心のありようを描き,
がどんな構えで,どんな向かい方をするかという
それをさらに育てていくためにどんなことが必
ことは決定的な影響を及ぼすはずであるのに,そ
要になるのかを考えていくための方法です。
うした最も重要な要因についての記述が,記録A
③保育者が実践の中で感じた手応えや感動がよ
にはないわけです。これでは保育者の関わりが子
く伝わってくるのは,記録Bの方である。
どもにどんな影響を与えているのかを検討した
記録Aではこれを書いた保育者がこの日の実
り,自分の関わりを見直していったりすることは
践からどんな手応えを得たのかということが見
できません。記録Aのような記録を積み重ねても,
えません。言い換えれば,なぜこの日のプールの
なかなか実践の向上にはつながらないのではな
場面をこのように描いたのか,この保育者が読者
いでしょうか。
に本当に伝えたかったことは何なのかというこ
一方,記録BではH先生のR君への姿勢や向か
とが分かりません。単にその日の活動記録を書か
い方がよく分かります。このような記述の仕方を
ねばならないから書いたのかなといった印象が
すると,注意ばかりが多くなっていた自分の関わ
あります。
りを反省したり,あるいはこのエピソードを踏ま
一方,記録Bではこれを書いたH先生の感動が
えて今後どんなことを心掛けて関わっていった
どこにあったのかがよく伝わってきます。これま
ら良いかを考えたりと,いろいろな形で実践を振
で注意ばかりが多くなってしまい,なかなかうま
り返っていくことが可能になります。
く関係が作れなかったR君と初めて心が通じ合
エピソード記述法というのは,何よりも実践の
えた喜びが,最後の「ハイタッチした!」という
向上のために,非常に効果的な記述方法なのです。
びっくりマークによく出ています。
3.良いエピソード記述の書き方
別に必ずびっくりマークをつけろという話で
先ほど読んでいただいたように,1 つのエピソ
はありませんし,心温まる感動ストーリーばかり
ード記述は最終的に「背景」
「エピソード」
「考察」
を記述するのがエピソード記述なのではないの
の3つのコーナーで構成されます。ただし,初め
4
てエピソード記述をする方がいきなりかしこま
の子のことなど何も知らない第三者を意識して,
って「背景」から書き始めるのは,とても難しく
その人にも理解してもらえるよう,いろいろな情
感じられると思います。どんな手順で 1 つのエピ
報を盛り込んでいきます。ただし,何でもかんで
ソード記述が仕上げられていくのか,その行程に
も詳しく説明していけば良いかというと,そうい
ついてお話していきます。
うことでもありません。あまりに情報量が多すぎ
①心揺さぶられた場面に気が付く
ると,かえって何が言いたいのか分からないエピ
エピソード記述をするための第一段階は,まず,
ソード記述になってしまいます。一番の目標は,
大変忙しい毎日の中で,心揺さぶられた場面や,
あくまで自分が感じた感動を伝えるということ
あっと思った場面など,自分の心が動いた場面に
ですから,そのために最低限必要な情報は盛り込
気づくということです。大きな感動や大きな驚き
み,特に必要ないと思われるものは省いていきま
を伴う場面というのは,日常生活の中に必ずしも
す。なお,ここでいう「感動」というのは,必ず
多くはありませんし,そうした場面ばかりをエピ
しも大きな感動ではなく,ちょっと心が動いたと
ソード記述の対象だと考えてしまうと,何も書け
か,
「あっ」と思ったという意味での感動です。
なくなってしまうということになりかねません。
では,具体的にどんな情報を盛り込む必要があ
そんな劇的な場面でなくても良いので,ふと温か
るのか,少なくともこれくらいは書かれていない
い気持ちになった瞬間や,あれ,いつもと違うな
と読み手に伝わるエピソード記述にはならない
と思った子どもの姿,自分の関わりについて「ミ
というものを挙げていきます。
スった」とか「しまった」とか,ちょっと動揺し
ア)背景情報
てしまった場面などに注目してみてください。そ
そのエピソードがどんな舞台,どんな文脈で起
んな場面であれば,皆さんは毎日のようにたくさ
こったのかを,読み手は知りません。書き手にと
ん出会っているはずです。そして,実はそうした
っては日常的で,当たり前のこと,これまでの生
日常の保育のありふれた場面をしっかり掘り下
活の延長線上に位置づけられるような事柄でも,
げていくということが,自分の普段の関わりを振
読み手には一から説明していかねばならないと
り返り,なかなか目に見えにくい子どもの心の育
いうことを念頭に,必要な背景情報を盛り込んで
ちを捉えていくということにつながっていくの
いきます。
です。
例えば,何歳児クラスのことなのか。自分の立
エピソード記述の題材は無数にありますので,
場は担任なのか,それ以外なのか。保育者の体制
そうした場面に出会ったら,その日のうちに出来
はどんなものなのか(例えば一人担任である場合
事の流れ,その出来事に関わった人物の行動,発
と,複数担任の場合とでは,一人ひとりの子ども
言の具体的内容(逐語録)をメモしておくことで
の気持ちの受け止めていくということの困難度
す。実は,どういった場面をエピソード記述の題
が全く違います)。クラスの子どもの様子はどん
材として取り上げるかという点に,その人がどう
なものなのか。さらに,エピソードに取り上げる
いったところを見ながら保育に当たっているか
子どものこれまでの姿はどうだったのか。保護者
ということが如実に現れますし,そういう意味で,
の人柄や家庭背景はどんなものなのか。その子と
最もその人のセンスが問われるところです。
保育者の関係性はどんなものであり,どういった
②感動を読み手に伝えるために必要な情報を盛
歴史があるのか。
り込んでいく
その他にも,エピソードでその園特有,そのク
さて,書きつけたメモは自分だけの備忘録であ
ラス特有の遊びが登場する場合には,その遊びに
って,もちろんそれだけでは読み手に伝わるエピ
ついてある程度説明しておく必要があるだろう
ソード記述にはなりません。自分の園の状況やそ
し,園庭や部屋の配置,遊具やおもちゃの位置な
5
どの環境の情報がないと,エピソードの流れがつ
けた」といった感じになるのです。実践現場では
かみにくくなるという場合もあるでしょう。
フィーリングと直感で応対している部分につい
こうした諸々の情報がきちんと提示されて初
て,そのときの子どもの気持ちをあえて言葉にす
めて,読み手はスムーズにエピソードに入ってい
るとどうなるのか,自分の気持ちをあえて言葉に
くことができます。言うなれば読み手を引き込む
するとどうなるのか,といったふうに考えていく
舞台設定をするわけですが,そのために必要な情
必要があるわけです。
報が何なのかをしっかり見極めていくことが大
ウ)関わりの意図と結果
切です。
保育者の気持ちの動きを描くことと明確には
イ)子どもの気持ちの動き,自分の気持ちの動き
切り分けられませんが,保育者がどんな意図や願
良いエピソード記述というのは,そこに登場す
いを持ってその子に関わっていたのか,そしてそ
る人物の気持ちの動きが生き生きと伝わってく
の結果,出来事はどんなふうに流れていったのか
るエピソードです。当日にメモした備忘録には恐
を書き込むことも非常に重要です。保育者がその
らく子どもや保育者の行動や発言,出来事の大ま
場面に感動した,心動かされたというその根底に
かな流れのみが記されているだけですから,そう
は必ずその保育者の意図や願い,その子に対する
した各言動の背後にあった気持ちの動きがどん
イメージというものがあって,それだからこそ,
なものだったかを詳細に振り返り,言葉にしてい
意図や願いがうまく子どもに伝わったという喜
く必要があります。その際に,もう一度場面を思
びや安堵感,その子のそれまでのイメージがくつ
い起こし,子どもの表情や声のトーン,姿勢や仕
がえされたという驚きなどが生じたはずなので
草はどんなだったか,その場の雰囲気はどんなだ
す。上で述べたように,その場面での気持ちの動
ったかを感じ,味わいながら,言葉にしていくこ
きを生き生きと描くことに加えて,もうちょっと
とが大事です。そのために,登場人物の気持ちの
長いスパンで,普段から保育者が持っていた暗黙
動きだけはなるべく早い内に肉付けしてしまう
の枠組み「この子はこんな子だから,こんなこと
方が良いでしょう(後で述べるように,これ以外
を大事に育てていこう」が,背景のところで,あ
の要素はもう少し時間が経ってからでも肉付け
るいはエピソード本文中できちんと示されてい
可能です)。と,口で説明してしまうと簡単に聞
ることが大事です。それが示されると,読み手も
こえるかもしれませんが,この作業はかなり難し
「ああ,だから書き手はこの場面に心動かされた
いものです。というのも私たちは普段の生活の中
のだな」というふうに納得できるわけです。
で,いちいち自分が今どんな気持ちを感じている
③エピソード記述を通じて得た気づきについて
か,相手の気持ちをどのように読み取っているか
考察を深める
ということを言葉にはしないからです。ちょっと
以上,感動を読み手に伝えるために必要な基本
冴えない表情をしている子に,「どうしたの?」
情報についてお話しましたが,最後にこうしたさ
と話し掛ける場合にも,その子の表情に対してと
まざまな肉付け作業を行う中で,いくつかの気づ
っさに「どうしたの?」が出てくるだけだと思い
きが出てきているはずです。
ます。ところが,これをエピソード記述する場合
例えば,当時の自分は子どもの気持ちをこのよ
には,たとえば「普段ならこの子は他の子と一緒
うに感じ取って,このような対応に出たのだけれ
に元気に園庭に駆け出していくはずなのに,何だ
ど,本当にそれで良かっただろうか。今から思う
か冴えない表情をしてたたずんでいる。私はもし
と実は子どもにはもっとこんな気持ちがあった
かしたらさっきのけんかをまだ引きずっている
のではないか,だとすれば自分にはもっとこんな
かもしれないと感じつつ,少し励ます意味も込め
関わり方をする可能性もあったのかもしれない,
てわざと明るい調子で「どうしたの?」と声をか
といったことです。また,この場面を通じて,子
6
どもの心はどんなふうに育ったのだろうか,以前
傾いていくわけですが,私はこのプロジェクトを
と比べてどんな部分が成長し,今後はどんなふう
通して,乳幼児期に育まれるべき自信とはそのよ
に変わっていくのだろうか,といった子どもの育
うな「何かができたことによる自信」なのだろう
ちの分析も大切なことです。
かということを,参加メンバーに対して問い続け
子どもの育ちを支えていくために,自分の関わ
ていました。
り方がどうだったのかを振り返り,これからどん
当初は「自信と自己肯定感はどう違うのか」と
なふうに関わっていけば良いかという見通しを
いう抽象的な問いや,「自信は何かができたこと
立てていくという作業を「考察」のところでしっ
によって得られるのではないか」といった捉え方
かりと行ってください。
が多かった印象でしたが,エピソードを記述し,
なお,最初のメモは当日のうちにとっておく必
それについて検討し合うことを始め出した頃か
要がありますが,それ以降ここまでの肉付け作業
ら,テーマについての理解がぐんと深まっていき
は一週間以内であれば十分に可能ですので,休日
ました。
など時間があるときにやれば良いと思います(た
H教諭のエピソードは,そうしたエピソード記
だし先にも言ったように,登場人物の気持ちの動
述の取組を始めた最初の頃に出されてきたもの
きの描写は,出来る限り早いうちが良いです)
。
です。これについての検討会をしたときに,私と
4.エピソード検討会の効用
しては参加メンバーにようやく乳幼児期に育ま
さて,ここまではエピソード記述の書き方につ
れるべき自信についてのイメージが伝わったと
いて説明しました。子どものことについていろい
いう感を得ました。エピソード検討会をしていく
ろ考えをめぐらせながら記述していくだけでも
と,次のア~エのようないろいろなことが見えて
見えてくることはたくさんありますが,他の人と
きます。
共にそのエピソード記述を検討していくことに
ア)子どもの体験世界
よって,自分一人ではなかなか思いつかないよう
エピソード検討会の大きな効用の第一は,皆で
な新たな視点が得られたりして,さらに深い洞察
子どもの体験世界に想像を膨らませていくこと
が可能になっていきます。ここからは,エピソー
で,子どもの視点に立って,子どもがこの場面を
ド検討会ではどんなやりとりがなされるのか,そ
どんなふうに感じていたのだろうか,子どもの心
れによって子どもの見方がどう深まっていくの
の世界,体験世界の中でどんな動きがあったのだ
か,エピソード検討会にはどのような効用がある
ろうかということが見えてくることです。
のかといったことについてお話していきたいと
イ)家庭生活と園での姿のつながり
思います。
子どもの園での姿というのは,家庭でのその子
こどもみらい館の研究プロジェクトでは,いく
の生活と密接に絡み合っていますが,普段はなか
つかの保育園(所)や幼稚園から保育者が集まっ
なか園でのその子の姿にしか目がいかないとい
て,
「子どもの自信や自己肯定感をいかに育むか」
う方も多いと思います。エピソード記述や検討会
というテーマについて研究を重ねており,私もそ
をしてみることによって,その子の家庭背景につ
こにアドバイザーとして参加していました。子ど
いていろいろ情報を出し合い,家庭と園を合わせ
もに自信や自己肯定感をつけさせるというと,し
たその子の全生活世界に想像力が膨らんでいき
ばしば子どもを励まして何かに挑戦させ,
「でき
ます。
た」という達成感・成功体験を味わわせることが
ウ)生育史と「いま,ここ」の姿のつながり
自信や自己肯定感につながるという単純な考えに
エピソード記述や検討会をしてみると,その子
陥ってしまいがちです。そして,
「プール遊び」の
の育ちの歴史を改めて振り返ることで,その子の
エピソードのように「褒めて頑張らせる保育」に
「いま,ここ」での姿がどのような意味を持って
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台に上り,滑ってくる姿を一緒に眺め,担任である
私はその姿を実況中継しながら,Y君がどのように
感じているのか,表情の変化を見ながら,楽しげな
雰囲気を伝えることを続けた。
5月の連休明け,Y君が登園し,靴を一緒にぬご
うとした時に,隣で靴をぬごうとした子どもが転ん
だ。横にいた私はその子の援助をと思い,Y君に対
して何気なく「靴ぬいで待ってて」と言葉をかけ,
転んだ子の対応へ向かった。すると,私が対応をし
ている横で,一所懸命に靴をぬぎ,靴箱にいれて待
っているY君の姿があった。その姿を見て私は喜び
と驚きでいっぱいになり,思わず「一人でできたね」
と声をかけたくなったが,ここはひとまずこらえて
「お待たせ」と声をかけ,保育室に向かった。保育
室に向かうY君の足どりが何となく軽く感じた。保
育室に行くと,Y君が自然に自分でリュックのチャ
ックをあけ荷物を取り出し始めたので,当たり前の
ように何でもやってあげていた対応を変えて,Y君
を横目で見ながら,横で準備している子に対して「お
弁当出せたね」
「ロッカーに置けたね」などと声をか
けた。そして,準備を終え一緒に遊びに出た。
この姿を見ると,もしかしたらこれまでも自分で
やろうとする気持ちはあったのに,私が当たり前の
ようにやってあげていたのでやりだすタイミングが
なかったのか,何かプッシュしていたら変わってい
たのかな・・・とも思った。
いつもと同じように滑り台で遊ぶ友達を見ていた
が,その日のY君は,楽しげにすべり下りる友達を
見ながら,満面の笑みを浮かべていた。思わず,
「Y
君も一緒に滑ろう!」と声をかけた。すると,ふっ
と真顔に戻り首を横に振った。やはり,プッシュは
ちょっと早かったかな~と思い,声かけのタイミン
グを間違えたかなと反省しつつも,自ら行動できる
日は近いかな~という手ごたえは感じた。実際,次
の日からは自分で靴をぬいで,朝の準備を自分です
るようになった。母親にもその姿を伝えると,とて
も喜んで涙された。家で父親に話すと,父親も涙し
て喜んでいたという。改めて,わが子に対するご両
親の思いを感じさせられた。それと同時に,焦らず
にいこうと思った。
5月の終わりのある日,準備を終えたY君が,は
じめて「一緒に遊ぼう」と私に言った。今まで一緒
に園庭に出て,一緒に友達の姿を見ていたが,もし
かしたら今日はやってみたいという気持ちが生まれ
ているのかなと思った。そう思いながらも前回のこ
とがあったので,まずは様子を見ようと思った。園
庭に出ると,最初に滑り台のところに行き,いつも
のように私と一緒に友達の姿を見ていた。すると,
二人の子どもが連結して一緒に滑るのを見て,
「Y君
も!」と言った。私が「一緒に滑ろうか!」と言う
と,自ら体を動かした。初めての階段が恐怖心でい
っぱいにならないように,手とり足とり援助し,上
に上がることを心がけた。まずは,階上の景色を眺
め自分の足で立っていることが実感できるように時
間をとった。そして,
「一緒にすべろう」と声をかけ,
いるのかが明らかになることが,しばしばありま
す。例えば,次のようなエピソードについて皆で
検討し合うことで,Y君という一人の子どもの
「いま,ここ」での姿と,その育ちの歴史との関
連性が見えてくるということがありました。
エピソード 「Yくんも・・・」
幼稚園I教諭
<背景>
Y君は,父,母,兄との4人家族で,3年保育の
3歳児である。Y君は1歳3カ月の時に急性脳症で
一時的に歩行が困難になり,脳全体が炎症をおこし
ていたため現在も定期的に発達面を中心に診察を受
けている。入園時の母親の話によると,現在の様子
としては医師から運動や言語など発達面において大
きな問題は見られないが,小学校に入るまでは気に
かけるようにと言われているとのことであった。
園生活がはじまり,実際にY君と接してみると,
靴がぬげない,はけない,水筒がおろせない,リュ
ックの荷物をだせない,しかも「できない」という
感覚ではなく「やったことがない」,自分で何かしよ
うとする意思を感じないように思えた。また,遊び
においてもブロックをつなげない,クレパスがしっ
かりもてない,遊具の上り下りができない,やりた
いことはあるが,人がいると立ったまま動かず視線
で助けを求めている,何か周りに声をかけられたり,
指示的な言葉をかけられると泣くなど,これまでの
生活経験の少なさや遊びにおいての運動経験の少な
さ,メンタル面の弱さ,大きな不安を抱えているよ
うに見えるなど,さまざまな姿が見られた。同時に,
経験値の少なさだけでなく,手や指の使い方,脚力
をはじめとして体の筋力の弱さなど,やはり発達面
も視野にいれながらサポートしていくことの必要性
を感じた。
幼稚園には兄も通っていたので,母親は園に対し
ての理解や信頼はもっておられる。4月の面談時に
は,母の思いとして,脳症になった時の絶望的な心
境を涙ながらに話された。幼稚園に入園させること
ができた母の思い(決断)を認め,精一杯サポート
していくこと,そして共にY君の成長を支えていく
ことを胸に,新学期をスタートさせた。
<エピソード>
Y君はたくさんの不安を抱えながらも,園生活を
楽しみに,嫌がることなく登園している。4月は担
任の姿を求め,常に一緒にいることを求めていた。
会話は主にお兄ちゃんの話や,自分の興味のあるこ
となどで,流暢ではないが話すことはできる。Y君
の家庭での姿を考慮し,Y君の不安を全面的に受け
止める姿勢で接することを心がけ,登園時には一つ
ひとつの行動を言語化しながら,一緒に靴をぬぎ(ぬ
がせてあげ)
,一緒に朝の準備を行った。一人ででき
るようにというこちらの思いを抑え,極端に言えば
すべて私が行ってもいいという気持ちで,毎日を過
ごした。
遊びにおいても,クラスの他の子どもたちが滑り
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Y君を膝に乗せた。体からは恐怖心は伝わらず,期
待感の方が大きいように感じた。
「3・2・1,出発」
とスピードを調整しながら滑りおえるやいなや,Y
君は「もう一回!」と言った。その日は,数えられ
ないくらい一緒に滑った。そして,次の日はじめて,
「Y君,一人で滑れる」と言って,上まで上がり,
必死に腕に力をいれて体を支えながら,ゆっくり滑
る姿が見られた。その表情は恐怖心というより満足
感のようなものでいっぱいだった。後に聞いた話だ
が,家に帰ると開口一番に「一人で滑り台した」と
母親に話したそうだ。
この頃から,何か新しいことに挑戦しようとする
姿がみられるようになり,皆と一緒に何かしたい時
は必ず「Y君も」と言って,一人で行動しようとす
る姿が見られるようになった。一番大きな成長は,
転んだり失敗したりしても,くじけず起き上がり再
挑戦したり,自分では難しいことに対しては「手伝
って下さい」というようになったことである。家庭
においても,時間はかかるが「Y君がする」
「手伝わ
んといて」と必死に自分でしようとする姿が見られ
るようになり,母親もわが子の成長を喜んでおられ
た。
<考察>
Y君は兄が登園していた頃から幼稚園に足を運び,
遊んでいたこともあり,一人で登園する不安はある
ものの,幼稚園は楽しいところだという思いは描い
ていたと思う。その点が,嫌がることなく登園でき
たことに繋がっていたのではと思われる。
担任としては,入園後もその気持ちを大切にし,
「できるように」援助するのではなく,全面的に受
け止めていった。いつまでとはなしにY君自ら行動
しようとする姿が見られるまでとことん付き合おう
としたことが,Y君にとっては良かったのではない
かと思われる。私自身,そう思ってかかわることで,
気持ちにゆとりを持ち,接することができたように
思われる。
連結してすべる友だちの姿に「Y君も」と言った
背景には,一人でなく誰かと滑ることができるんだ,
という安心感が視覚的に得られたこと,またY君は
電車が好きだったので,そうした興味と,これまで
に芽生えてきた「やってみたい」という気持ちとが
繋がったことがあると思った。
改めて,自信とは何かを考えた時に,何かができ
ることがすべてではなく,周りの人たちとの信頼関
係の上に自分という存在が認められ,居場所があり,
生活が楽しいと自ら感じられることにより得られる
心のありようが,自信なのではないかと思う。
ばならないのではないかと考える保育者もたく
さんいると思います。「いま,ここ」の子どもの
姿しか見ていないと,その二つの意見の水掛け論
のようになってしまうわけですが,今一度Y君が
どのような生育史を持っていたかを見直してみ
ると,Y君が1歳3か月のときに脳症を患ってい
たことが,Y君の体験世界においてどんな意味を
持っていたかが見えてきます。
1歳過ぎの時期というのは,歩行をはじめとし
て,いろいろなことができるようになってくるこ
とに,子ども自身が大きな喜びを感じる時期です。
また,その反面,養育者や信頼できる保育者など
特定の大人を安全基地として,しばしばそこに戻
って慰撫してもらうことが必要な時期でもあり
ます。自分の力でいろいろ動き回ったり,ふと寂
しくなるとべったりと甘えて,元気を補給すると
いったことを繰り返して,子どもは徐々に自分の
力でできることを増やしていきます。
そうした時期に脳症にかかってしまって,自分
という存在の全てを周りの他者に委ねなければ
ならなかったことが,何でも他者にやってもらう
というY君の姿につながっていた可能性が高い
と思います。だとすれば,Y君に必要なのは保育
者がそうした安全基地になって,彼の甘えを存分
に受け止めること,その中で彼自身が「ここは安
全な場所だ」「先生がいつも見ていてくれる」と
いう安心感を背景に,
「よし自分でやってみよう」
と思えるのを待つことである,ということになり
ます。I先生の直感は間違いでなかったことが,
こうして明らかになったわけです。また,子ども
が「手伝ってください」と明確に他者にお願いで
きるようになるというのは,子どもに自らやって
みようという意欲が湧いてくるからこそである
というのは,私にとっても一つの発見でした。
エ)保育者の対応の意味(子どもにもたらす影響)
Y君に対して,I先生は直感的に徹底的にとこ
日頃の保育の中でのちょっとした対応に込め
とん待ってあげる,何でもやってあげるという関
られた保育者の願いや,それが子どもにもたらす
わりをとったわけですが,3歳の子どもに対して
影響などについて,細かに検討していけることも,
それではまずいのではないか,やはりある程度は
エピソード検討会の大きな効用です。自分ではこ
自分で自分のことができるように躾けていかね
ういうことを大事に保育をしていたつもりだっ
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たけれど,実際にやっていた関わりはそれとは違
6.最後に
った方向を向いていたということが明らかにな
エピソード検討会を行うときには,ただ漫然と
ることもあります。いずれにしても,普段の保育
行うのではなく,今述べた①~③を目標にしてい
実践を振り返り,見直していくための大きなきっ
ただけると効果が飛躍的に高まると思います。一
かけになります。
言で言えば,子どもについて「こういうことかな,
それともこういうことかな」といった形で皆で想
以上をまとめると,エピソード検討会の効用
像力を広げていくことで,子どもについて多角的
(意義)は大きく次の①~③のようになります。
で柔軟な見方ができるようになり,保育者間で保
①今まで「見えなかった領域」への想像が膨らむ
育観を深め合っていくことができるということ
エピソード検討会をしていくことで,今述べた
です。逆に,せっかく書かれたエピソードをみん
ように,子どもの体験世界や園以外の場も含めた
なで叩き合って,
「この関わりが良い」
「ここはダ
全生活世界,「いま,ここ」での姿と育ちの歴史
メだ」といった評価をし合うのは,あまり効果的
との関連性,保育者の対応が及ぼしている影響等,
なエピソード検討会とは言えません。何が正しく
今まで「見えなかった領域」への想像がいろいろ
て何が間違っているかというふうに結論を閉じ
膨らんでいきます。
るのではなく,むしろ子どもについて,保育者の
②(①の結果として)子どもへの見方が柔軟になる
対応について,「こんなことが起こっているのか
普段の子どもの見方から少し距離をとって,よ
もしれないなあ」といったふうに,いろいろな可
り柔軟で多角的な視点から子どものありように
能性を開いていくことを心掛けて,ぜひ普段の振
ついて考えていけるようになります。
り返り等の中に取り入れていっていただければ
③子どもの心の育ち一般に関する洞察や保育観
と思います。
が深まる
例えば今回の研究プロジェクトでは,エピソー
ド検討会を通して,乳幼児期の自信とは,信頼感,
安心感,自己肯定感など,さまざまな感情が分化
せず絡み合った原初的な混合体であるという認
識に皆でたどりつきました。そのように,子ども
の心がどのように育っていくかについての,より
一般的な認識や洞察が得られ,各自の保育観が深
まっていきます。また,それを通じて,職場の同
僚同士でお互いの保育観をすり合わせていくこ
とも可能になります。子どもの何を,どのように
育てていくのかということについて,皆がある程
度共通した認識を持っていなければ,園全体でき
ちんと子どもを育てていくことはできないと思
います。
エピソード検討会を重ねていくことで,こんな
ふうに子どもの心の育ち一般に関する洞察が深
まっていくというのは,保育者にとっても,研究
者にとっても,実に楽しく,意義深いことだと感
じています。
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共同機構研修会第2回
平成27年5月20日
於:京都市子育て支援総合センターこどもみらい館