マルコの福音書 6章1節から12節 e-聖書研究会 奥田 昭 1、本日の

マルコの福音書
6章1節から12節
e-聖書研究会 奥田 昭
1、本日のメッセージの箇所はマルコの福音書6章1節から12節です。お読みいたします。今
日はこの箇所から、「イエスに対する信仰の原点」いう主題テーマで、聖書からの教えを学び
たいと思います。お祈りをいたします。
2、最初にイエスは「郷里に行かれた」と書かれています。イエスの郷里はどこだったでしょう
か。「ナザレ」ですね。マタイの福音書には、「ナザレで住んだ」と書いてあります。そこで生ま
れたのでしょうか。「ベツレヘム」でしたね。ナザレから、ずいぶん遠いところでした。しかし、聖
書には、イエスがどこで生まれ、どこで育つかが、イエスが生まれる何百年も前から預言され
ていたのです。ミカ書5:2、を見る事にしましょう。
「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、
わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔か
らの定めである。」(ミカ5:2)イスラエルの支配者とはイエスのことです。
マタイの福音書には「ナザレという町に住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ
人と呼ばれる」といわれたことが成就するためである」、と書かれています。
それではナザレで何歳ぐらいまで、そこにいたのでしょか。これもルカの福音書3:22には
「教え始められたとき、イエスはおよそ30歳」と書いてありますから、おおよそ30歳くらいまで、
住んでいたことになります。その郷里ナザレに帰ってきたのです。
安息日になったので、会堂で教え始めると、みんなが驚いたのです。なぜでしょう。あまりに
も説教がすばらしかったのです。語られる内容は知恵に満ちたものでした。また証しの内容の
奇跡の業は、聞いたこともないようなことでした。いままでの自分たちが聞いていたユダヤ教
の教師の説教とはまったく違っていたのです。
しかし、残念なことがありました。郷里のナザレの人はあまりにもイエスを知りすぎていまし
た。生まれて間もないときから、30歳になるまで、毎日顔をあわせていたからです。イエスは
30歳まで、大工をしていました。大工と言う職業は現在でも素晴らしいお仕事ですが、社会
の常識では、役人、官僚や、学者というような、肉体を使わなくて、人の上に立ってする仕事
が社会的ステータスが高く見られます。当時もそうだったのでしょう。ですから、大工上がりの
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身がという思いがあったのでしょう。ナザレで小さいときは近所の子供たちと遊びまわってい
たイエス、大きくなってからも30歳になっても結婚もしないで、もくもく大工仕事をしていたイエ
ス、また、イエスの家族、当時もまだ住んでいましたから、当然知っています。マリヤ、さかの
ぼれば結婚前に妊娠して、生まれた子がイエスでした。マリヤにはイエス以外に6人の兄弟
姉妹がいました。ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン、妹たち、複数ですね、ですから6人ということに
なります。それぞれがどのような職業だったのかは、書かれてはいませんが、「マリヤの子」と
母の名前しかかかれてありませんから、おそらく父のヨセフはすでに亡くなっていたのでしょう。
マリヤの家族、マリヤと6人の子供の暮らしは、おそらく貧しいものだったのでしょう。
あのイエスと現在見ているイエスとはあまりにも大きくかけ離れていました。30歳のときナ
ザレを後にして、数年たった今、彼らが見ているイエス、彼らは、イエスのメッセージではなく、
イエスの生まれ育ってきた過去、そして、現在のマリヤの家族を見て、イエスを判断したので
した。したがって、彼らのことばにその見下した有様が見て取れます。「この人」と、イエスをこ
のように表現しています。それも4回も。普通この人と言い、それが4回の続けたら、どのよう
な意味で使っているのか分かりますね。軽蔑。見下しですね。大阪弁でいうと、「大工あがり
の息子が、なにをさらしとるんじゃ。」ということになるでしょうか。
3、以上のことは私たちにも当てはまるのではないでしょか。私たちが、仮に2000年まえに
ナザレで住んでいたとすれば、イエスにどのように評価していたでしょうか。おそらく、聖書に
書かれているナザレの人のようにイエスを正しく評価していなかったのではないでしょうか。人
は何をみて評価するのでしょうか。そのほとんどはうわべ、表面的な形でしか見ることはでき
ないのではないでしょうか。最近、話題になったニュースがあります。イギリスの芸能人の新
人発掘の番組で、スーダン、ボイルさんという女性が出場して、一躍有名になられました。そ
してイギリスのみならず世界中で有名になりました。この女の方は、年齢は40歳を過ぎた方
でどう見ても、見栄えのされる方ではなかったのですが、その歌声は、まさしく天使の歌声と
いう輝きをもっていました。素晴らしい歌声でした。その歌声と番組はインターネットを通じて
瞬く間にひろがり、なんと世界で2億人がその方を見て感動したのです。そのスーダンさんは
いままでは「人は見栄えで判断して、私の歌を聞いてくれなかった」と言っています。人はただ
しい評価を下すことはできなかったのです。なぜなら、スーザンさんのうわべしか見ていなか
ったからです。
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4、 2000年前の当時から、イエスをどのように評価するか、いろいろな見方がありました。
「バプテスマのヨハネ」だとか、「エリヤ」とか「普通の預言者の一人」と言うような理解でした。
2000年たった今でも、ヒューマニズム的人間観で判断して、イエスを釈迦や、孔子とおなじ
ような、道徳的博愛主義者とか、たとえキリスト教を名のる人たちでも、リベラル派といわれて
いる人たちは、イエスの奇跡以外を信じて、イエスのことばだけを信じているのです。イエスを
奇跡を行う人をみていません。また、異端と言われる人たちは、イエスを救い主と信じず、あ
えて聖書を改ざんしているグループもあります。このように、人間的理解でイエスを理解する
ことはできません。自分がどのようなかたちになれば受け入れられるのか、という自分中心の
理解ではイエスを理解することはできないのです。
ナザレの人々にとっての最大の疑問は、イエスの権威と力は何処からきたのかです。そして
イエスを理解することができなかったのです。イエスやその家族を知りすぎているがゆえに、
分かることができなったのです。不信仰になったのです。イエスは特別の人であると信じるこ
とができなかったのです。ですから、不信仰の雰囲気のなかでは、イエスの力ある業を行うこ
とができなかったのです。イエスに力はありました。しかし、期待もしない,奇蹟も信じないよう
な雰囲気の中では働きは大幅に制限されたのです。
イエスは特別な方です。悪霊を追い出し、病気を癒し、祝福をもたらせるお方です。したがっ
て正しい理解がなければ、イエスからの祝福を受けることができません。私たち人間の常識
で判断するとイエスの真の姿はみえません。イエスは救い主であるという、特別の理解がどう
しても必要です。そしてイエスを理解するとは、一切の先入観とか、偏見をなくさねばなりませ
ん。そしてその上で聖霊の力により、イエスを正しくみることが出来るのです。目に覆いがあ
れば正しく見ることはできません。思いに覆いがあれば正しい判断ができません。聖霊により
覆いを、取ってもらわねばなりません。イエスの祝福を100%いただこうと思えば、イエスに
対する100%ただしい理解をしなければならないのです。イエスの十字架の正しい理解、こ
のことにより十字架の恵みをうけることができるのです。「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆
らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、
自分のしたいと思うことをすることができないのです。」(ガラテヤ5:17)
5、それにしても、「預言者が理解されないのは、自分の郷里、親族、家族の間です。」とイエ
スが嘆かれたように、私たち自身も、自分のまじかに人にイエスのことを伝え、福音と伝える
ときに味わう嘆きです。どうして自分の一番身近にいるひとがわかってくれないのだろうか。取
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り立てて反対はしない、しかし、イエスの話になると耳をふさいでしまう。教会の近くまではき
てくれるのに教会は入ろうといない、なぜだろうか。大切なことは、自分を責めないことです。
自分になにか理由や原因があるのではないかと、責めないことです。大切なことはとりなしの
祈りです。イエスでさえ、最初家族から理解されていませんでした。しかし、やがて、その兄弟、
これは血がつながっていませんが、ヤコブ、ユダは、やがてイエスの弟子になり、聖書のある
ヤコブ書、ユダ書を書き、聖書のその名を残す信仰者となったのです。まず祈ることです。自
分に一番身近にいる人への伝道は、イエスが嘆かれたぐらい困難ですから、腰をすえてあた
ることではないでしょうか。
6、7節から後半部分に入ります。イエスは12弟子たちを伝道に遣わすところからはじまりま
す。12人を2人づつわけて遣わせれたのです。これは旧約聖書、申命記の17章6節からき
ています。大切なことは「ふたりの証人」が必要だからです。ある宗教の人たちはふたり一組
になって伝道しているのを見かけますが、ふたり一組はこころ丈夫という強みがありますね。
この伝道はイエスの弟子たちが、やがてイエスの手を離れて一人立ちするための訓練とみる
ことができるでしょう。イエスはこの伝道に対して、与えられたもの、もって行くことを許された
もの、許されなかったものがあります。まず、イエスは弟子たちに汚れた霊を追い出す権威を
お与えになります。霊の戦いに勝利するためです。悪霊の戦いに勝利するためです。次に、
持参するものとして、杖一本、靴、下着一枚を許されました。しかし、パン、袋、お金、下着2枚
はだめだというです。あれー、これでは旅にでることはできない、と言われるかもしれません。
そうです。現在、旅行するとき、これが禁止されたら、旅に出かけることは不可能でしょう。し
かし、2000年まえの当時はこれでよかったのです。なぜなら、当時は旅人をもてなすという
風習がありました。まして、ユダヤ教のラビ、教師、当時のイエスはこう言われていましたが、
このラビは、宗教関係者として、特別にもてなしをされたのです。したがって、ほとんどなにも
持たずに旅行が可能でした。
イエスが彼らに教えたかったのは、一番必要なもの、いやそれだけあれば十分なもの、それ
は何かを教えたかったのでしょう。それはイエスに対する信仰です。持たなければならない絶
対必要なものは、信仰でした。それ以外はあれば越したことはありませんが、絶対ではありま
せん。私たちはあまりにも多くのものを持ちすぎています。旅行でもそうです。本人が行くのか、
カバンが行くのか、まるで商売でもするようないでたちで、とてももてそうにもない荷物をもって
旅行に出かける風景がテレビなどで映し出されることがありますが、持参しなければならない
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必要最小限度の品とはなにかを考えなければならないでしょう。
持ち物につづいて、伝道に出かけたら、「そのとどまれ」でした。あちらこちらところを変えて
はいけないということです。それは待遇に左右されるなということです。要はその家の人が信
仰を受け入れるかが問題であって、待遇ではない。とどまって福音を伝えろです。伝道は腰を
すえろです。しかし、その家の人がどうしても福音を受け入れない、聞こうとしないのなら、最
後は「足の裏のちりを落として」出て行きなさい。足のちりを落とすとは、福音を伝え責任は果
たした、したがってそれを拒絶して受け入れないなら、その責任は負わない、その家の人が負
いなさい、当時はそのような習慣があったそうですが、そのようにしなさいと、教えられたので
した。福音を伝えたが、拒絶したのだから、その責任は、その人達で負わせなさい、というメッ
セ-ジです。弟子たちに、福音が拒絶されても、落胆も挫折もせず、また反対に強制もごり押し
もダメですよ、との内容が含まれています。弟子たちはこの教えに従って大きな働き、伝道活
動したことが、最後に書かれています。
私たちも、それぞれがイエスの弟子として、人の手を借りず一人立ちして伝道をしなければ
ならないときがきます。いや、そうでなくとも我々が主から教えられたことをなさねばならないと
き、どのようにすればいいのでしょうか。信仰は各自が持たねばならないものです。他人や、
冨や名声や、自分の力に頼ることはできません。最後の信頼はやはりイエスさまです。
「主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。主に身を避けることは、君主たちに信頼
するよりもよい。」(詩篇118:8~9)
「君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。その息が絶えると、その者はお
のれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。幸いなことよ。ヤコブの
神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。
とこしえまでも真実を守り、しいたげられる者のためにさばきを行ない、飢えた者にパンを与え
る方。主は捕われ人を解放される。」(詩篇146:3~7)
お祈りします。
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