連載講座 メスバウアースペクトロメトリーの基礎と応用 鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 野村貴美,氏平祐輔 Reprinted from RADIOISOTOPES, Vol.63, No.11 November 2014 RADIOISOTOPES ,63,531‐558(2014) 連載講座 メスバウアースペクトロメトリーの基礎と応用 鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 野村貴美†,氏平祐輔* 東京大学 * 東京大学名誉教授 鉄は鉄器時代から重要な基幹産業の材料になり,現在広く利用されている。鉄材料は環境にやさ しい物質であるが大気中の腐食によって劣化もしやすい。鉄の酸化過程や鉄材料表面の腐食生成物 の解明によってさびを防ぐための防食技術や表面改質技術が培われてきた。メスバウアー分光は, X 線回折,オージェ電子分光,グロー放電発光分光又はラザフォード後方散乱の分析法を併用する ことによって多様な酸化物の状態や表面構造の分析法になる。鉄の酸化過程,酸化物やリン酸塩の メスバウアーパラメータとともに鉄鋼,ステンレス鋼,耐候性鋼板の酸化皮膜とリン酸塩処理など の防食皮膜のメスバウアー分光による解析例を紹介する。さらに応用として太陽電池のための酸化 鉄膜やステンレス鋼の酸化皮膜の pH センサーの応用についても述べる。 Key Words:iron oxides, corrosion, iron and steel, stainless steel, weathering steel, .. Mossbauer spectroscopy, phosphate coating 薄膜を形成するステンレス鋼や塗装をしなくと 1. は じ め に も済む耐候性鋼板などが開発されてきた。1910 鉄は,砂鉄,酸化物,硫化物などのさまざま 年代頃から米国で研究開発された耐候性鋼板は, な鉄鉱石として地球上に存在する。鉄鉱石を還 日本のように湿度が高い環境では必ずしも十分 元することによって金属鉄や合金が得られ,鉄 にその機能が発揮されず,下地処理がされる場 材料として工業的に広く用いられている。我が 合もある4)。そのほか鉄材料はペイント,鉄触 国の鉄鋼業の現状については日本鉄鋼連盟の刊 媒,磁性などの機能性材料としての用途もある。 1) 行物などに詳しく紹介されている 。鉄材料は, 鉄鋼の表面腐食においては多種多様な酸化物 自然界に放置されると腐食という避けられない が生成する。このとき結晶性のよい皮膜が生成 劣化が生じる2)。鉄材料表面の腐食などを防ぐ するとは限らない。メスバウアー分光は,結晶 ために,腐食過程の解明とともに防食技術や表 性の腐食生成物を分析する X 線回折(XRD : X- 面改質技術が培われてきた。 ray diffraction),表面の元素を分析するオージ 車体のボディーなどの自動車鋼板,鉄塔・橋 ェ電子分光(AES : Auger electron spectro- 梁などの建設土木用鋼材,産業機械用や電気機 scopy),グロー放電発光分光(GDOES : Glow 械用に利用される鉄材は,その表面に防食処理 discharge optical emission spectroscopy)又は 3) や塗装の下地処理が行われる 。鉄鋼の表面処 ラザフォード後方散乱(RBS : Rutherford back- 理(リン酸塩処理など)は,今なお改良されな scattering)の分析法などを併用すると強力な がら使用されている。また,表面に緻密な酸化 状態分析のツールになる。特に,メスバウアー 核の γ 線共鳴後に生じる転換電子や散乱 X 線 † E-mail:dqf10204@nifty.com !離せずに を検出する散乱法は,鉄鋼の皮膜を ( 33 ) 532 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 数百 nm の薄膜から約1 0 µ m の厚い皮膜の化 金属鉄は,溶けて Fe2+イオンになり,これ 学状態や磁気構造を明らかにできる,有力な方 は中性,アルカリ性の溶液で凝集して Fe (OH) 2 5) , 6) のコロイドに変化する。速い酸化では,Fe3+ 。 法である ここでは,鉄の腐食過程によって生じるオキ イオンが凝集して結晶性のよくない含水酸化鉄 シ水酸化鉄や酸化鉄,防食皮膜となるリン酸塩 の フ ェ リ ハ イ ド ラ イ ト(Ferrihydrite: [Fe5O7 化合物などの基本的な特徴とその典型的なメス (OH) ・4H2O])になる。また,フェリハイドラ バウアースペクトルについて述べる。また,鉄 イトから再溶解,沈澱を経て高い pH でゲータ 鋼や耐候性鋼板の酸化皮膜構造,ステンレス鋼 イト( α -FeOOH)が生じる。一方,フェリハ の酸化薄膜や鋼の表面処理皮膜をメスバウアー イドライトの脱水によりヘマタイト( α -Fe2O3) 解析した例を紹介する。併せて鉄酸化膜の応用 が生じる。 鉄溶液からの α -FeOOH と α -Fe2O3 の 生 成 例についても触れる。 収率について検討された10)。Fe2+の濃い溶液(1 2. 試料の調製及び測定 M FeCl2+4M NaOH)では,室温でフェリハ 酸化物の粉末試料(数十 mg/cm )をプラス イドライトが生成する。3 0日後にわずかに α - チックや銅のデスク(窓は0. 1mm の薄いフィ FeOOH に 変 化 し,90日 後 に は α -FeOOH が ルム)に入れて,透過メスバウアースペクトル 主な生成物になる。1 60℃ の Fe2+の濃い溶液 を測定する。粉末試料をデスクに均一に充填す ではフェリハイドライトから α -Fe2O3 になる るために,メチルセルロース粉末又はパラフィ 05∼0. 1M FeCl2+0. 4 が,Fe2+の薄い溶液(0. ンを希釈剤として適宜用いる。低温測定には, M NaOH)か ら2時 間 で α -FeOOH の み が 生 液体窒素又は液体ヘリウムのクライオスタット 成する。 2 や振動防止の対策をしたクライオミニ冷凍機が また,Fe2+イオンの遅い酸化では,錯イ オ 用いられる。鉄の腐食生成物の乾燥において自 ンを形成して弱酸性(pH5∼7)溶液で加水 然乾燥では腐食生成物が変化してしまうので凍 (OH) 分解して Fe (OH) 2 と Fe 3 の混合物である 結乾燥をする。 グリーンラストになる。弱アルカリ (pH8∼9) !離せずに測定する散乱法は,連載講 皮膜を 座の「メスバウアー散乱法による固体表面分析 6) の基礎と応用」 に詳しく述べた。また,火星 溶液では加水分解してマグネタイト(Fe3O4) が生成する。グリーンラストは,完全に酸化さ れるとレピドクロサイト( γ -FeOOH)に変わ 探査機で用いられたミニメスバウアー装置 は, る。 γ -FeOOH は,300℃ 以下の脱水によりマ 線源の一時移動仕様の届け出によって野外の鉄 グヘマイト( γ -Fe2O3)になる。γ -Fe2O3 は,Fe3O4 橋や建築構造物の鉄の表面腐食モニタリングに の比較的低い温度(250℃ 以下)の酸化によっ 供することも可能である。実験室内では,鉄の ても得られる。 7) 腐食表面などの分析には,真空装置が要らない 鉄表面の腐食では,鉄板を溶液に浸せきした 2 π 後方散乱型の CEMS 用ガスフロー検出器 ときに硝酸イオンなどの酸化剤があると鉄の表 や CEMS と XMS を同時に測定できる二重ガ 面は急速に酸化されて不動態化する。溶解した 8) Fe2+は,直ちに酸化されて,非晶質のオキシ スフロー検出器がよく用いられる 。 水酸化鉄又は γ -FeOOH として堆積する。腐食 3. 鉄の腐食生成物と鉄の酸化過程 によって生じた堆積層と素地鋼の界面では酸化 鉄鋼の酸化や腐食の研究が長い間行われて, が進み,Fe3O4 が中間層に生成する。溶液に塩 鉄の酸化生成物が明らかにされてきた。その酸 化物イオンが存在すると Fe3O4 は形成されにく 9) 化過程を示すと図1のようになる 。 くなり,代わりにグリーンラスト ( I Green rust ( 34 ) 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 Nov. 2 0 1 4 533 図1 鉄の溶解・沈殿及び熱による酸化脱水反応に伴う鉄腐食物の生成過程(文献9をもとに 追加,改変) 。 I : FeII3Fe(III) (OH) ・Cl−・2H2O)とアカガネイト 8 γ -FeOOH(レンズ状,斜方晶), β -FeOOH(棒 ( β -FeOOH)が生成する。硫酸イオ ン が 存 在 (板 状,正方晶),ヘロキシハイト( δ -FeOOH) すると緩慢な酸化になり,グリーンラスト II 状,六方晶),右上から α -Fe2O3(板状,コラ II 4 III 2 2− 4 (Green rust II : Fe Fe (OH) ・SO ・2H2O)が 12 ンダム型六方晶),Fe3O4(立方晶,逆スピネル 比較的安定に存在する。炭酸イオンの存在のも 構造), γ -Fe2O3(立方晶,レンズ状:欠陥スピ と で も グ リ ー ン ラ ス ト II ([FeII4FeIII(OH) 2 1 2] ネル構造)を示す。鉄の腐食生成物は,これら 2− 3 1 1) ・nH2O])が生じる 。これら鉄のオ キ 複数の酸化物を含み,また必ずしも結晶形がよ シ水酸化物のメスバウアーパラメータ(異性体 いものばかりでない。XRD の半値幅の解析か シフト;IS( δ ),四極子分裂;QS( ∆ ),内部磁 ら結晶粒子の粒径を求め,それとメスバウアー 場;Bhf)は,表1の通りである。 スペクトルから鉄の環境を敏感に反映して変化 [CO 4. 鉄酸化物の結晶とメスバウアースペクト ル する腐食生成物の物理化学的な状態を探ること ができる。 典型的な鉄酸化物のメスバウアースペクトル 図2に,典型的な鉄酸化物の XRD パターン を図3に示す13)。メスバウアースペクトルは, を示す12)。左上から α -FeOOH(針状,斜方晶), XRD パターンよりも単純であるため,たとえ 結晶性のよくない α -FeOOH(又は微粒子結晶), 複数の化合物があっても異性体シフト(IS ), ( 35 ) 534 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 表1 オキシ水酸化鉄,水酸化鉄のメスバウアーパラメータ 四極子分裂(QS ),内部磁場(Bhf)の三つのパ メスバウアースペクトルには A サイトの強度 ラメータからピークを分離して容易に同定でき が B サイトの強度の1/2より大きく観測され る。鉄酸化物のメスバウアーパラメータを表2 ることがしばしばある。これは,マグネタイト の欠陥(Fe3−δ O4)又はマグヘマイト( γ -Fe2O3) 1 4) に示す 。 Fe3O4 は,逆スピネル構造を有し,四面体位 置(A サイト)の中心を占める Fe3+と八面体 2+ 3+ の生成に よ る。 γ -Fe2O3 は Fe3−δ O4 の Fe の 欠 陥 δ =1/3に 相 当 す る。 γ -Fe2O3 と Fe3−δ O4 は, 位置(B サイト)の中心を占める Fe と Fe 同形のスピネル構造(立方晶)を有するため, から成る。Fe3O4 における A サイトと B サイ XRD から区別することが難しい。 トを占める鉄の強度比は A : B=1:2になるが, ( 36 ) γ -FeOOH と β -FeOOH とは,室温で同じ常 Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 図2 さまざまな鉄酸化物の XRD パターン12)(東北大鈴木茂教授により提供) 。横軸の回折角度 θ と格子定数(面の距離)d 値は,ブラッグの反射条件(2d sinθ =n λ )の関係にある。ただし, λ は X 線の波長,n は整数。 ,ヘマタイト( α -Fe2O3) ,マグヘマイト( γ -Fe2O3) , 図3 左上から金属鉄( α -Fe) マグネタイト(Fe3O4) ,右上からゲータイト( α -FeOOH) ,レピドクロサイト ( γ -FeOOH) ,シディライト(FeCO3) の典型的なメスバウアースペクトル(横 13) 軸のチャンネルを速度軸に改変) 。 ( 37 ) 535 536 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 表2 鉄酸化物の室温メスバウアーパラメータ 磁性のダブレットを示す。 β -FeOOH は,結晶 を応用して,溶液中の鉄さびの状態が明らかに 内に Cl−イオンを取り込み,四面体構造にひず された。溶液中に生じた鉄表面のさびは,その みを引き起こすので,ドップラー速度の狭い範 まま空気中で乾燥すると変化してしまうので, 囲(±2mm/s)で測定すると図4のように室 それを避けるために試料を凍結乾燥して 温でもメスバウアースペクトルに二つのダブレ CEMS の測定に供する。 ットが現れる。ただし,アモルファスの含水酸 γ -FeOOH と β -FeOOH は,室温で常磁性ダ 化鉄も同じようなブロードなダブレットが得ら ブレットを示し,通常用いられるドップラー速 れる。このような場合には,低温測定が不可欠 度の範囲(±12mm/s)のメスバウアースペク になる。 トルでは区別がつかない。試 料 を β -FeOOH のネール温度(TN=295K)以下で測定すれば, 5. 鋼の腐食表面層の状態分析 β -FeOOH の磁気分裂ピークが現れ,TN=50K 溶液中の陰イオンの種類によって変化する鉄 さびの初期の形態,皮膜構造の解析に CEMS の γ -FeOOH と区別することができる。次にそ の例を示す。 ( 38 ) Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 537 15) 図4 アカガネイト( β -FeOOH) の室温メスバウアースペクトルと結晶構造( ac 面) 。 図5はドライアイス温度(1 95K)で測定し た CEMS スペクトルである16)。これから次の ことがわかる。溶存酸素の 濃 度 が0. 5∼1. 0 ppm の pH6∼8の溶液中において鉄の表面に は,初め Fe(II)と Fe (III)の水酸化物とともに オキシ水酸化鉄 (III)が生成する。浸せき時間 とともに β -FeOOH が生成し,その量が増大 する。低い溶存酸素濃度の水溶液で Cl−イオン が β -FeOOH の結晶内に取り入れられやすく なる。溶存酸素濃度が2. 0∼3. 5ppm にな る と96時間後にマグネタイトも形成される。こ のように塩化物イオンを含む溶液中で生成する β -FeOOH は,溶存酸素に大きく影響される。 β -FeOOH は,海岸付近の鉄さびの中によく認 められる。 90℃ の FeCl3 水溶液の加水分解において尿 の添加効果が調べられた17)。尿 素[(NH2) 2CO] 素は,加水分解し,均質沈澱材として用いられ る。0. 1M FeCl3 の水溶液で90℃,5時間の反 3 µ m の粒子が,7日 応で長さ0. 2 µ m から0. で0. 6 µ m の棒状粒子が得られる。尿素がない と β -FeOOH 粒子の形状と大き さ は,均 一 に 図5 塩化ナトリウム(3% NaCl) 溶液中で生じ た酸化皮膜の CEMS スペクトル16)。測定 温 度:ド ラ イ ア イ ス+メ タ ノ ー ル 冷 媒 (1 9 5K)a)初 期 pH6. 5,温 度4 5℃ の 溶液で1 2時間後,pH7. 0,b)同上,2 4 時間後,pH7. 3,c) 同上,4 8時間後,pH 7. 7,d)同上,9 6時間後,pH8. 0。 ならない。0. 025M の低濃度の尿素があると5 時間後サイズの小さい微結晶粒子(0. 02 µ m) が得られ,そのメスバウアースペクトルは室温 で 超 常 磁 性 ダ ブ レ ッ ト を 示 す。7日 後 に β FeOOH が生成する。このときの pH は,2以 下である。0. 25M の高濃度の尿素のもとでは, ( 39 ) 538 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 6. ステンレス鋼の高温酸化皮膜 ス テ ン レ ス 鋼 は,SUS304,SUS316な ど に 代表されるオーステナイト(面心立方格子: fcc)鋼と SUS430などのフェライ ト(体 心 立 方格子:bcc)鋼に大別される。熱酸化したス テンレス鋼の表面の色は,酸化皮膜の厚さに依 存して,光の干渉により黄金色から青色に変化 する。 6・1 オーステナイト鋼板の熱酸化 SUS304及び SUS316のステンレス鋼板をさ まざまな温度で加熱し,その表面に形成した酸 化膜を AES 及び CEMS によって分析した。図 7に示したように,オーステナイト SUS304鋼 図6 硝酸アンモニウム(0. 5M NH4NO3)溶液に 鉄板を浸せきして生じた酸化膜の室温 CEMS ス ペ ク ト ル。a)3 6分,b)3時 間5分,c) 1 2時間2 5分,d)1 7時間。 を500℃ で熱処理して,形成した酸化皮膜の CEMS スペクトルには,内部磁場5 2T のヘマ タイトと約2 8T のブロードな磁気分裂が認め られる。酸化処理温度が高くなるにつれて5 2 5時 間 で は 非 晶 質 で あ っ た が,7日 後 に α - T の磁気分裂ピーク強度は減少し,700℃ 以上 FeOOH と α -Fe2O3 が生成する。比較的薄い濃 ではほとんど認められなくなった。 度の尿素の溶液で β -FeOOH の小さな粒子の 700℃ 以上の熱酸化では,表面の鉄が減少し, 成長を促すが,尿素が0. 1M 以上になると溶 緻密な酸化クロムが成長する。900℃ の CEMS 液が中性又はアルカリ性になり, β -FeOOH が スペクトルからわかるように,超常磁性ダブレ 生成しない17)。 ットが現れていることから,鉄酸化物の微粒子 硝酸イオンを含む溶液中では,図6のように が皮膜内部に分散して存在する皮膜構造と考え 浸せき時間とともに Fe (II) と Fe(III) のダブレ られる。また,クロムが表面に拡散して酸化物 ットが現れていることから,水酸化鉄 (II)及び となるために酸化物層と鋼の界面ではクロムの 水酸化鉄(III)が生成することがわかる。12時 欠乏が生じる。約28T の内部磁場の磁気分裂 間後には素地鋼の α -Fe の磁気分裂ピークが埋 ピークが観測されたが,これは,界面のクロム もれてしまうほどに酸化鉄膜が堆積する。水酸 欠乏によって生じた,歪んだ立方晶のマルテン 化鉄(II)は,酸化されてオキシ水酸化鉄 (III) に サイト相と考えられる。500℃ の熱処理でもブ なるが,これら堆積層は れやすい。17時間 ロードな6本ピークが認められるが,これは, 後の CEMS スペクトルには,Fe3O4 の A サイ 当初,スピネル酸化物の微粒子としていた18)。 トと B サイトの1 2本のピークが読み取れ,堆 しかし,500℃ でも中間層にクロムが濃縮して ! 積層の下層には Fe3O4 の生成を示す。生成した ステンレス鋼の界面にクロムの欠乏が起きやす Fe3O4 は,A サイトと B サイトの強度比が1: く,この磁気分裂ピークの異性体シフト(IS ) 2からずれているので,格子欠陥を多く含む も0. 2mm/s 以下と小さいことから,マルテン Fe3−δ O4 か一部 γ -Fe2O3 に変化したものと考え サイト相が誘起されたものと考えられる。この られる。 ようにステンレス鋼の高温酸化皮膜は,基本的 ( 40 ) Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 539 図7 オーステナイト鋼(SUS3 0 4)板を高温で1時間熱処理したときの CEMS スペクトル(測定 温度:1 9 5K)と5 0 0℃ で1時間熱処理した試料のオージェ電子分光(AES)による元素の 深さプロファイル18)。微量の Mn も表面でわずかに濃縮して酸化物を形成する。 には鉄とクロムの酸化物の二層構造からなり, 1:2:3なので,この酸化物は特に配向を伴わ ステンレス鋼の界面ではマルテンサイト相が誘 ずに生成している。 700℃,8 00℃ で 空 気 酸 化 す る と CEMS ス 起されやすい構造となっている。 なお,金属鉄の場合には,熱酸化させると表 ペクトルには, α -Fe2O3 由来の6本ピークのほ 面 に α -Fe2O3 層 が で き,中 間 に Fe3O4 層 が 成 かに酸化物微粒子の超常磁性ピークが現れる。 長する。567℃ 以上の熱酸化になると Fe3O4 層 .. の下にウースタイト(Wustite : Fe1−xO)層が 700℃ 以上で処理した試料において α -Fe2O3 形成される。これら酸化層は,酸素分圧に依存 ト鋼の高温酸化と同様に,表面が酸化クロム層 して形成されるが,ステンレス鋼の酸化皮膜の になるためである。その中に酸化鉄のナノ微粒 構造とは明らかに異なる。 子が分散していると考えられる。 のピークが減少するが,これは,オーステナイ SUS430の高温酸化皮膜構造と組成との関係 6・2 フェライトステンレス鋼の酸化皮膜と 素地界面の解析 を確かめるためにラザフォード後方散乱分光 (RBS)による元素の深さプロファイルを測定 SUS430は,Ni を含まない1 8% Cr のフェラ した。その結果を 図9に 示 す。7 92ch(2. 269 イトステンレス鋼である。放射化されやすい Ni MeV)は鉄 (Fe)原子による立ち上がり,7 76ch を含まないために原子炉や核融合の材料に適す (2. 224MeV)はクロム (Cr)原子による立ち上 る。SUS430鋼 板 を400℃,500℃,6 00℃, がり,3 88ch (1. 11 2MeV)は酸素 (O)原子によ 700℃,800℃ で,それぞれ3時間空気中で熱 る立ち上がりである。400℃ の酸化皮膜では表 処理して得た試料の CEMS スペクトルを図8 面に鉄が多く,800℃ の酸化皮膜では鉄酸化物 に示す19)。鉄の酸化生成物の α -Fe2O3 のピーク よりもクロム酸化物が多くなる。600℃ におい の相対強度が,4 00℃,500℃,600℃ と処理 て酸素原子のピークが低エネルギー側に長く裾 温度が高くなるにつれて大きくなる。 α -Fe2O3 を引き,776ch (2. 224MeV)のクロムのピーク 由来の6本のピークの面積強度比は3:2:1: 立ち上がりが見られないことから,鉄酸化物が ( 41 ) 540 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 図8 3時間熱処理したフェライト鋼 SUS4 3 0の CEMS スペクトル。処理温度:a)素地鋼,b) 4 0 0℃, c)5 0 0℃,d)6 0 0℃,e)7 0 0℃ 及び f)8 0 0℃19)。 図9 (a)4 0 0℃,(b)6 0 0℃,(c)8 0 0℃ で3時間熱処理 し た SUS4 3 0の RBS ス ペ ク ト ル。3MeV 4He2+イ オ ンを試料に照射して後方散乱された He イオンは,角 度 θ =1 6 0°で検出。散乱エネルギーは2. 8 6 5 5keV/ チャンネルで換算。 表面に多く存在していることを示す。これらの っていると推定される。CEMS により観測し 結果は CEMS スペクトルの解釈をサポートす ている表面の深さは,約100nm である。 る。高温酸化皮膜と素地鋼との界面の構造は, CEMS と RBS の測定結果 か ら 図10よ う に な ( 42 ) Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 541 図1 0 処理温度による SUS4 3 0の酸化皮膜構造の違い。 図1 1 a)SUS3 0 4の DC スパッタによる蒸着膜とその熱処理した酸化膜の CEMS スペクトルと b)グロー放電発光分光(GDOES)による元素の深さプロファイル。SUS3 0 4(Cr:1 8%, 2 0) 。 Ni:8%,Mn:0. 8%,Fe : balance) 6・3 ステンレス鋼の蒸着膜と熱酸化による 影響 11のように変化する。これから次のことがわ かる。SUS304の蒸着皮膜を400℃,2時間, ステンレス鋼の酸化薄膜は pH センサーとし 空気中で熱処理するとオーステナイト相に変化 て応用でき,蒸着膜による微小電極の構築が可 せず,マルテンサイト相のまま残っている。た 能になる。さまざまな方法により作製した蒸着 だ,マルテンサイト相の内部磁場は,熱処理前 膜を用いて空気中の熱酸化処理による酸化皮膜 の平均2 5T から熱処理後に2 9T に大きく な の特性を比較する。 る。500℃ で熱処理するとマルテンサイト相の オーステナイト鋼 SUS304を DC スパッタに 一部がオーステナイト相に変化し,600℃ で熱 より蒸着した皮膜は,マルテンサイト相(歪ん 処理するとほとんどオーステナイト相になる だ体心立方格子:bcc)になる。これを各温度 (図12)。 で熱処理したときの CEMS スペクトルは,図 ( 43 ) GDOES による元素の深さプロファイルから, 542 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 いる。 6・4 SUS316のレーザ蒸着膜 SUS316板の表面は図13 (a)のようにオース テナイト相のシングルピークを示すが,レーザ 蒸着した SUS316の薄膜は,図13 (b)のように マルテンサイト相のブロードな磁気分裂(Bhf =26. 1T)を示す。この薄膜を300℃ で空気 酸化するとマルテンサイト相の平均内部磁場 図1 2 SUS3 0 4蒸着膜のマルテンサイト相の内部磁 場分布20)。 5T と大きくなり,そのほか5 2T の Bhf は28. α -Fe2O3 が最表面に形成される21)。空気中での 処理温度とともにそのピーク強度は大きくなる。 400℃ では鉄の酸化層が表面にあり,その内層 薄膜ではバルクからのクロムの供給が少ないた にクロム酸化物が生成していることがわかる。 め に α -Fe2O3 の 皮 膜 の 成 長 が 速 い。 α -Fe2O3 500℃ と600℃ の熱処理では,ほとんど酸化 の磁気分裂ピーク間の強度比(P1,6:P2,5:P3,4) 皮膜の厚さは変わらないが,高温になるほど表 は,酸 化 温 度300℃ の3:3:1か ら,500℃ 面の鉄酸化物が少なくなり,クロムの酸化物が での3:2:1になった。このことから,表面に 多くなる。Mn も表面で0. 8% に濃縮され,Ni 存在していた α -Fe2O3 の粒子がクロム酸化物 はバルクに留まっている。これらは,SUS430 皮膜の成長とともに入り乱れ,ランダムに存在 のフェライト鋼の酸化皮膜と同じ傾向を示して すると考えられる。なお,400℃ の内部磁場分 図1 3 a)ターゲット SUS3 1 6,b)レーザ蒸着膜,c)3 0 0℃,d)4 0 0℃,e)5 0 0℃ で熱処理した皮 膜の CEMS スペクトルと蒸着後,3 0 0℃,4 0 0℃ で熱処理した皮膜のマルテンサイト相の 内部磁場分布21)。 ( 44 ) Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 543 図1 4 基板温度1 0 0℃ で SUS3 1 6L を SiO2/Si に RF スパッタ蒸着した皮膜の ICEMS と マルテンサイト相の内部磁場分布。(a)蒸着(基板温度1 0 0℃)後,(b)4 0 0℃, (c)5 0 0℃ 及び(d)6 0 0℃ において空気中1時間焼成。 布において1 0T 付近の内部磁場分布の山は, と異なった皮膜である。 マルテンサイト相によるものではなく,鉄酸化 7. 耐候性鋼の腐食表面層の層別分析 物微粒子の由来によって現れたものである。 長期間の大気暴露によって耐候性鋼板の安定 6・5 SUS316の RF スパッタ蒸着膜 化さびは厚い皮膜となる。北側面に大気暴露さ メスバウアー散乱法の解説において,DC ス せた耐候性鋼のさび層は比較的薄いが,南側面 パッタ蒸着膜と RF スパッタ蒸着膜の磁気モー 2 2) に暴露させた試料では,比較的厚い皮膜になる。 メントの向きが異なることを述べた 。RF ス 耐候性鋼板のさびの皮膜厚さは設置場所により パッタ膜を空気中で熱酸化処理した場合の皮膜 異なる。南側は,日当たりが良いために鋼板の の状態変化を図14に示す。この膜は,他の皮 温度が上がり,さび形成速度が促進されやすい 膜に比べて α -Fe2O3 の生成量が非常に少ない。 と考えられる。耐候性鋼板のさび層は,CEMS 400℃ の熱処理では,内部磁場2 8T の磁気分 で観測される数百 nm の厚さに比べて十分に厚 裂成分の強度が増加し,低内部磁場側にティリ いために XMS による解析も有用である。また ン グ し て い る マ ル テ ン サ イ ト 相 か ら な る。 必要に応じてさびの皮膜を鋼板表面より 500℃ 以上では,33T に内部磁場分布の山を て,その粉末を XRD 及び透過メスバウアー分 持つことから鉄原子の周りのクロム原子の数が 光(TMS)で測定する。CEMS,XMS 及び TMS 少なくなって α -Fe に近い磁気分裂成分が現れ により安定さびの層構造と存在状態が推定され ると考えられる。皮膜は光沢があり,500℃ 以 る。 !離し 長期間暴露 し た 鋼 材 に は,針 状 結 晶 の α - 上の熱処理でクロム原子が表面に拡散して緻密 なクロム酸化物層を形成していると考えられる。 FeOOH のほか γ -Fe2O3 がしばしば観察される。 明らかにレーザ蒸着膜や SUS304の DC 蒸着膜 北向き垂直面のさびの発生量は,南向き斜面や, ( 45 ) 544 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 なり,A サイトの強度比が大きい。これは, Fe3O4 の A サイトの内部磁場に近い γ -Fe2O3 の 成分を含むことによる。この二つのスペクトル から,最表面に γ -Fe2O3 と FeOOH が,内層に は Fe3O4 と FeOOH が存在する皮膜構造である ことがわかる。 13年間大気暴露した耐候性鋼板の表面に形 成された安定さび層の CEMS 及び XMS のス ペクトルを 図16に 示 す。室 温 の CEMS 及 び XMS スペクトルには,FeOOH によるダブレ ットしか観測されないが,2 00K 以下に冷却し た試料の CEMS スペクトルには,ピーク幅の 図1 5 耐候性鋼板を北向垂直に設置し,1 5年間大 気暴露して形成された表面さびの CEMS と XMS のスペクトル23)。 広い磁気分裂ピーク(平均 Bhf=40T)が観察 される。また,200K の XMS スペクトルには 素地鋼による α -Fe の磁気分裂ピークと2種の 南向き水平面のさび量より比較的少ない。図 鉄(III)化合物の磁気分裂ピーク(Bhf=40T と 15の CEMS スペクトルには,FeOOH の常 磁 42T)が確認される。試料を160K に冷却す 性ダブレットと γ -Fe2O3 の磁気分裂ピークが認 ると CEMS では Bhf=39T と Bhf=44T の,XMS められる。XMS スペクトルには,素地鋼板の では Bhf=42T と Bhf=46T の磁気分裂ピー ク α -Fe の磁気分裂ピークと常磁性 Fe のダブレ が認められる。1 60K に冷却しても残存してい ットのほか Fe3O4 の12本のピークが認められ る常磁性ダブレットは,主に γ -FeOOH(TN= る。測定された Fe3O4 の A サイトと B サイト 50K)と鉄酸化物の微粒子の超常磁性成分の一 の強度比が純粋な Fe3O4 の強度比(1:2)と異 部と考えられる。1 60K の CEMS 及び XMS ス 3+ 図1 6 1 3年間大気暴露させた表面処理耐候性鋼板の CEMS 及び XMS のスペクトル24)。 ( 46 ) Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 545 ると考えられる。 32年間暴露した耐候性鋼板の内層を削りと った試料の低温メスバウアースペクトルが測定 されている。図17に示したように低温メスバ ウアースペクトルでは,シャープな磁気分裂 ピークが得られ,非晶質の鉄化合物は認められ ていない。上村らによると,普通鋼には生成し やすい欠陥 Fe3−δ O4 が多く見られるが,耐候性 鋼では抑制される傾向にあり,これが普通鋼と 耐候性鋼に生じるさび成分の違いとしている26)。 耐候性鋼板に NaCl 溶液,模 擬 酸 性(NO3−, SO42−)溶液を噴霧して,生じた腐食生成物を 削り取って測定したメスバウアースペクトルを 図18に 示 す27)。い ず れ も オ キ シ 水 酸 化 物 (FeOOH)の 常 磁 性 成 分 と γ -Fe2O3 及 び α FeOOH の微粒子の磁気緩和スペクトルからな る。NaCl 溶液では,生成物の磁気緩和成分の ピーク強度が小さく,その内部磁場分布は,低 い内部磁場側にティリングしている。これは, NaCl の溶液での腐食生成物は,酸性溶液での 腐食生成物よりも小さい微粒子からなっている ことを示す。粉末の XRD の測定からは γ -FeOOH, α -FeOOH と Fe3O(又 は γ -Fe2O3)の 回 折 ピ ー 4 図1 7 3 2年間暴露した耐候性鋼板上に生成した内 層さびのメスバウアースペクトル26)。 クが検出された。NaCl 溶液による腐食生成物 には β -FeOOH が含まれるが,NaCl を含まな い 酸 性 溶 液 で は β -FeOOH は 含 ま れ ず, α FeOOH の微粒子である。メスバウアースペク ペクトルに認められる磁気分裂ピークのうち内 トルには,Fe3O4 の12本の磁気分裂ピークが 部磁場の大きいピークは, α -FeOOH(粒径, 検出されていな い た め,XRD に 観 測 さ れ た 約9nm)に帰属された。内部磁場の小さいピー Fe3O4 に似たピークは, γ -Fe2O3 の回折ピーク ク(160K CEMS : Bhf=39T,160K XMS : Bhf と帰属される。 2 5) =42T に相当)は,Bhat ら が鉄の腐食で認 耐候性鋼のさびの主な成分はオキシ水酸鉄 めた含水酸化鉄のフェリハイドライト(ferrihy- ( α -FeOOH と γ -FeOOH)と γ -Fe2O3 である。 ・4H2O,Bhf=42. 5T)のピ ー ク drite : Fe5O(OH) 7 普通鋼のさびにはクラックが発生するが,耐候 に近かった。耐候性鋼板は普通鋼よりも Cu, 性鋼のさび層にはクラックが発生しない。耐候 Cr や P を含み,耐候性鋼のさびには結晶水を 性鋼に含まれる Cr と Cu の非晶質の含水酸化 比較的多く含む26)。これらが γ -FeOOH と針状 物が微粒子の結晶性酸化鉄及びオキシ水酸化鉄 結晶の α -FeOOH のナノ粒子を取り込み,い を 取 り 込 ん で い る と 考 え ら れ る。ま た, α - わゆる膠の役割をして,凹凸のある界面に堅く FeOOH などの針状の微結晶成分は鋼とさび層 固定しているため割れが少ないさび層を形成す の界面の凹凸につまりやすくなるために割れに ( 47 ) 546 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 図1 8 a)耐候性鋼板の初期さびのメスバウアースペクトルと b)磁気分裂成分の内部磁場分布。5% NaCl 溶液と0. 1M NaNO3+Na2SO4 溶液(pH=3. 5に調整)による腐食。溶液噴霧→乾燥→湿 潤の1 2時間を1サイクルとして,2 0サイクル(2 4 0時間)後の腐食生成物27)。 !がれにくい安定さび皮膜を形成すると くく, 考えられる。 8. 化成皮膜の状態分析への応用 リン酸亜鉛皮膜やリン酸マンガン皮膜は,鉄 をあまり含まず,比較的厚い皮膜なために,当 初,CEMS の測定が難しいと考えられたが, 形成する結晶皮膜は多結晶で緻密でないため, リン酸塩中に取り込まれる鉄の状態や皮膜層下 の素地鋼界面状態を調べることができた。 8・1 亜鉛系リン酸塩皮膜 鉄鋼を亜鉛系リン酸塩で処理すると,亜鉛・ 鉄のリン酸塩又は亜鉛リン酸塩を主成分とする 図1 9 (a)合成したリン酸亜鉛・鉄の TMS と(b) リン酸塩皮膜の CEMS のスペクトル28)。 皮膜が形成される。カルシウムを含む亜鉛系リ ン酸塩で処理するとカルシウム・亜鉛のリン酸 4mM) +NaNO( 9mM) )で 鋼 化 剤(NaNO( 2 3. 32 塩を主成分とした皮膜になる。 を処理した亜鉛系リン酸皮膜には,二種類の鉄 リン酸塩処理皮膜の CEMS スペクトルと合 の状態が存在する。ホスホフィライト(phospho- 成した亜鉛・鉄リン酸塩のメスバウアースペク ・4H2O : IS =1. 27±0. 05 phyllite ; Zn2Fe( PO4) 2 2 8) トルを図19に示す 。リン酸亜鉛処理液(た mm/s,QS =3. 38±0. 12mm/s)と Fe3+のリン 049M,PO43−=0. 135M,酸 とえば:Zn2+=0. 酸塩(IS =0. 59±0. 21mm/s, ( 48 ) QS =0. 73±0. 44 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 Nov. 2 0 1 4 547 図2 0 ホスホフィライト(Zn2Fe(PO4) ・ 4H2O)の結晶構造。四面体の中心に亜鉛,八 2 面体の中心に鉄が占める29)。 mm/s)である。そのほか鉄を含まないホーパ ように,単斜晶系 P21/c の空間群の結晶(a= が 析 出 す る。 イ ト(hopeite ; Zn(PO 3 4) 2・4H2O) 41°, 1. 0378,b=0. 5084,c=1. 0553nm,β =121. 水熱合成したリン酸亜鉛・鉄の TMS スペクト Z =2)で,骨組は[Zn2P2O7]の四面体構造と ルには,Fe (II)が二種類観測される。QS の大 [FeO (H2O) 4]の八面体構造からなり,鉄のま きいダブレットは,ホスホフィライト29)に取り わりの原子の配位環境は一種類である29)。表3 込まれた Fe (II)による。QS の小さい Fe (II) の のメスバウアーパラメータに示したようにホス ダブレットは,Fe(II) :Fe (III) の比が1:2の ホフィライトは,大きな四極子分裂の値を示す。 バルボサライト(Barbosalite ; Fe2+Fe3+(PO 4) 2 2 これは,結晶構造からわかるように,八面体中 3 0) 2+ (OH) 2) の Fe に帰属される。鋼のリン酸皮 心に占める鉄 (II)に平面4配位する H2O 分 子 膜の CEMS スペクトルには,バルボサライト の O 原子に対して PO4 の O 原子が,垂直のト の Fe(II)のダブレットピークが検出されてい ランス位置に配位し,鉄原子核の電場勾配が大 ないので,バルボサライトは生成していない。 きくなることに由来する。 3+ 皮膜の Fe のリン酸塩は,おそらく非晶質の 含水リン酸鉄(III) と考えられる。 リン酸塩処理液に硝酸イオンなどの酸化剤を 添加すると,鉄系リン酸塩の生成速度を高め, 皮膜の XRD では,ホスホフィライトの他, リン酸塩皮膜の形成を促進させる。酸化剤は, ・4H2O)の 回 ホ ー パ イ ト(Hopeite ; Zn(PO 3 4) 2 表面の局所的な陰極部において水素ガスの発生 折ピークも認められる。ホスホフィライトがで を抑制して,緻密な膜を形成させる。 (a)NaNO2 きるかホーパイトができるかは添加する酸化剤 +NaNO3, (b) NaNO2+NaClO3, (c)NaNO2, (d) による。なお,ホーパイトは,斜方晶系の空間 H2O2 の四種類の酸化剤をリン酸亜鉛処理液に 群 Pnma(a=1. 0597 (3),b=1. 8318 (8),c = 添加して皮膜重量と生成物を調べた結果,この 0. 5031 (1) nm,Z =4)の結晶であり,Zn は六 順番でホスホフィライトが多く生成され,また, 3 1) 皮膜重量が0. 446, 0. 314, 0. 225, 0. 215mg/cm2 配位と四配位をとる 。 ホスホフィライトは,図20の結晶構造29)の の厚い柱状結晶皮膜が形成された28)。酸化剤 a), ( 49 ) 548 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 表3 鋼表面処理で得られるリン酸化合物とシュウ酸化合物のメスバウアーパラメータ b),c)ではホスホフィライトとホーパイトの は,ホスホフィライトの Fe (II)が皮膜の中に 結晶が認められるが,過酸化水素を加えた処理 23% に 対 し て リ ン 酸 鉄 の Fe(III)が7∼10% 液 d)では,XRD にはホーパイトだけが観測 取り込まれている。 133M リ ン 酸 亜 鉛 溶 液(0. 155M PO43−,0. され,メスバウアースペクトルには鉄 (II) 化合 167M NO3−)に Ni2+(0. 0024M) を含 Zn2+,0. 物は検出されなかった。 処理時間に対して生成する鉄の化学状態の割 む処理液で鋼を処理すると,ホスホフィライト 合を図21に示した。亜硝酸イオンと硝酸イオ の生成が抑制され,ホーパイト31)が主成分の皮 ンの混合酸化剤の添加によって結晶性リン酸塩 膜になる。この皮膜に含まれる鉄の状態は,二 ホスホ フ ィ ラ イ ト が 約8 0% と ホ ー パ イ ト が 種 類 の Fe (II) [IS =1. 1 (1)mm/s,QS =2. 3 (2) 20% の皮膜が得られる。含まれる鉄の割合で mm/s 及び IS =1. 1 (1)mm/s,QS =1. 5 (2)mm/s] ( 50 ) 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 Nov. 2 0 1 4 549 図2 1 a)リン酸亜鉛皮膜の浸せき時間による Fe 状態の強度比の変化と b)素地鋼の磁気分裂 ピーク強度比(P2,5/P1,6)の変化28)。 を示した。これらは,Fe(PO (H n の組成 3 4) 2 2O) (P2 と P5)の面積強度比を求めることによって 式で表わされる一連のリン酸鉄 (II)化合物のう 素地鋼界面の鉄の状態がわかる。亜鉛系リン酸 ち,ホスホフェライト(phosphoferite:[Fe3 塩試料について浸せき時間によるピーク強度比 (PO4) ・ (H2O) )の パ ラ メ ー タ[IS =1. 19 (2) 2 3] (P2,5/P1,6)の変化を調べた結果を図21b)に示 mm/s,QS =2. 37 (3)mm/s 及 び IS =1. 19 (2) した28)。皮膜がないとき,鉄表面の磁気モーメ 3 0) に近い値であっ mm/s,QS =1. 55 (3)mm/s] ントは,面内に(入射 γ 線に対して垂直に) た。 配向しているので,内部磁場の6本ピークの強 カ ルシ ウ ム イ オ ン を 含 む リ ン 酸 塩 処 理 液 2+ 2+ 数百 nm 以上の内部では, α -Fe の磁気モーメ 0259M Zn ,0. 317M Na , (0. 105M Ca ,0. 3− 4 度比は3:4:1:1:4:3となる。一方,深さ + − 3 ,0. 526M NO )に浸せきし ントの方向がランダムであるため,内部磁場の た鋼板 の 皮 膜 は,シ ョ ル ツ ァ イ ト[sholzite : ピーク強度は3:2:1:1:2:3となる。皮膜 ・2H2O]を主生成物として含む。 Zn2Ca(PO4) 2 の素地鋼のピーク強度比(P2,5/P1,6)は,浸せ 0. 0692M PO 5 7 そのほか,皮膜の Fe の CEMS スペクトルに き時間が短い場合には4/3=1. 33に近く,浸せ は,Fe (II)の ダ ブ レ ッ ト(IS =1. 26 (7)mm/s, き時間が長くなるに従って2/3=0. 66に近づく。 QS =2. 06 (13)mm/s)が 認 め ら れ た が,こ の これは処理時間とともに鋼の溶解を伴って素地 ・ QS は,ビビアナイト(vivianite: [Fe(PO 3 4) 2 鋼界面は,凹凸が激しくなっていくことを示唆 8H2O])の QS の値に比べて小さかった。 する。リン酸塩皮膜の厚さは処理液の種類によ って異なるが,同じ種類の処理皮膜では処理時 8・2 素地鋼の界面の状態 間とともに磁気分裂ピークの強度比(P2,5/P1,6) 内部転換電子の飛程よりも厚い皮膜でも, の減少が認められる28)。この強度比は,界面の CEMS スペクトルに素地鋼の磁気分裂ピーク 状態を表す指標になる。 が認められた。リン酸塩処理した素地鋼界面の CEMS スペクトルの6本の磁気分裂ピークの 8・3 マンガン系リン酸塩皮膜 うち,励起の核スピン Ie=±3/2から基底の核 マンガン系リン酸塩皮膜は,リン酸処理系皮 スピン Ig=±1/2に遷移するピーク(P1 と P6) 膜の中でも大きな結晶からなる,厚い皮膜であ と Ie=±1/2から Ig=±1/2に遷移するピ ー ク る。図22にリン酸マンガン処理時間による皮 ( 51 ) 550 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 図2 2 a)Mn 系リン酸皮膜の処理時間による皮膜厚さと b)Mn と Fe の含量の割合(0. 3 33) M PO43−,0. 1 5M Mn2+,0. 0 8M NO3−) 。 膜の重量と Mn と Fe 含量の割合を示した33)。 リン酸マンガン処理においてヒューリオライト 3 4) 4H2O]) が 沈 着 (hureaulite: [Mn5H(PO 2 4) 4・ ・析出するが,皮膜結晶の成長とともに溶解し た Fe (II)がヒュ−リオライト結晶の中に取り 込まれて,Fe (II)を含む Mn ヒューリオライト ・4H2O]結晶が形成される。 [(Mn,Fe) 5H(PO 2 4) 4 ほとんどすきまなく結晶が沈着・析出すると, 素地鋼の鉄の溶解が阻害され,皮膜表面のヒ ューリオライト中の鉄 (II) は溶液中の Mn (II) イオンと置換される。最終的には Mn ヒューリ オライト結晶が皮膜上層部に形成される。この ことは,皮膜の CEMS の測定からも推定され 図2 3 合成ヒューリオライト(Fe/(Fe+Mn) =0. 1 7)のメスバウアースペクトル33)。 た。 Mn と Fe の 置 換 サ イ ト を 確 か め る た め に Mn と Fe の含有量の異なるリン酸塩を合成し た。図23に合成ヒューリオライト(Fe/ (Fe+ (II)の四極子分裂の値は大きい順に Mn (2),Mn Mn)=0. 17)のメスバウアースペクトルを示す。 (1),Mn (3)のサイトを占める鉄に対応する。 Mn と Fe の含量の異なるリン酸塩のメスバ ヒューリオライトの結晶構造は,図24a)に 3 4) 示した 。Mn 原子は,酸素 O 原子が八配位の ウアースペクトルの測定から Fe が置換するサ 三つのサイトを占めるが,各サイトを Fe がそ イトの割合は,図24b)のとおりである。Mn れぞれ置換する。Mn (2)サイトの Mn―O 原子 (1),Mn (3)のサイトを Fe が占めやすいこと の距離が最も短く,次いで Mn (1),Mn (3)の がわかる。 順番で Mn―O 原子間距離が長くなり,ひずみ は少し解消される。したがって,置換した Fe ( 52 ) 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 Nov. 2 0 1 4 551 図2 4 a)ヒューリオライト(Mn5H(PO ・ 4H2O)の結晶構造34),35)と 2 4) 4 b)溶液組成による結晶サイトの Fe/ Mn の割合33)。 わかった38)。これは,基盤と皮膜との密着性の 8・4 リン酸塩の熱分解 熱に対する皮膜の安定性を評価するために各 劣化と還元によると考えられる。 3 6) 種リン酸塩の熱分析データを図25に示す 。 合成したヒューリオライトを窒素ガス中で熱 これらリン酸塩化合物の中で熱分解温度が最も して得られる試料の示差熱(DTA)曲線とメ 高いのは,286℃ のヒューリオライトである。 スバウアースペクトルの変化を図27に示し リン酸亜鉛のホーパイトは,その分解温度が た39)。マンガン系リン酸塩は,リン酸処理皮膜 116℃ で最も低く,熱による影響が受けやすい。 のなかで最も熱に対して安定である。皮膜より つぎに熱の影響を受けやすいのが,分解温度が !離した試料の DTA 曲線は,Mn ヒューリオ 122℃ のリン酸鉄のビビアナイトで,155℃ の ライトのそれに近い。図27の DTA 曲線のよ リン酸亜鉛・鉄のホスホフィライト,165℃ の うに,マンガンに鉄が置換すると吸熱ピーク カルシウム・亜鉛リン酸カルシウムのショルツ が,わずかに低い2 80℃ に現れる。280℃ で二 ァイトと続く。 水和物に,430℃ で無水和物になる。580℃ 付 ホスホフィライトの熱分析データをもとに窒 近に発熱が観測されるが,この付近で処理した 素中において180℃ 及び270℃ で焼成すると, 試料には,大きな四極子分裂を示すダブレット 脱水反応によるリン酸塩の二水和物及び一水和 3 7) 物が得られる 。340℃ 以上の焼成で,無水リ (IS =1. 18 (3)mm/s, QS =3. 46 (3)mm/s)が現 れることがわかった。 Fe) (PO ン酸亜鉛鉄の γ(Zn, 3 4) 2 が得られる。 高温で得られる化合物は,ウォルファイト これらメスバウアースペクトルを図2 6に,メ (PO (OH))に 似 た 構 造 (Wolfeite: (Mg,Fe) 2 4) スバウアーパラメータを表3に示す。 γ(Zn, (PO (OH))によるものと 考 え ら の(Mn,Fe) 2 4) (PO 五配位と六配位の二つの Fe (II) Fe) 3 4) 2 は, (II)が酸化されるため れる40)。空気中では,Fe の 占 有 サ イ ト を 有 し,不 活 性 窒 素 ガ ス 中 で に Fe(III)を含む,さまざまなリン酸マンガン は,1000℃ まで安定に存在する。ただし,鋼 塩になる。 板の上のリン酸亜鉛皮膜は,570℃ 以上に熱せ られると Zn 原子が揮発し,水素を含む還元雰 8・5 シュウ酸塩皮膜 囲気では Zn のほか P も揮散してしまうことが 鋼表面の摩耗防止のためにシュウ酸処理が行 ( 53 ) 552 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 トが観測される。ステンレス鋼の皮膜生成物の IS と QS は,それぞれ1. 18mm/s と1. 71mm/s であった。この QS の値は軟鋼上の皮膜生成物 の QS よりもわずかに小さい。ステンレス鋼上 の Fe (II)のダブレットのピーク強度比は1. 19 であったことから,シュウ酸鉄 (II)の電場勾配 の主軸は,表面に対して約45°に配向している と推定される。圧延によってシュウ酸鉄 (II)の 化学状態は影響を受けないが,1 0% 及び30% まで圧延した軟鋼試料のシュウ酸鉄 (II)ピーク の相対強度比は,圧延前の44% から27%, 12% になった。これら相対強度比の減少は軟鋼上の !離される シュウ酸皮膜が圧延によって簡単に ことを意味する。 一方,シュウ酸処理ステンレス鋼の表面層で は10% 圧延してもその皮膜重量は8. 8g/m2 で ほ と ん ど 変 化 し な か っ た。ま た 圧 延 前 後 の CEMS スペクトルにおけるシュウ酸鉄 (II)の相 対ピーク強度比は63% から77% になり,圧延 によって逆に1 4% 増加した。このことは圧延 により皮膜が圧縮され,結晶粒の緻密な層が形 成されたためと考えられる。 8・6 アルカリ処理黒色皮膜 鉄のアルカリ処理によって得られる黒色の酸 化防食皮膜は,素地鋼との皮膜の密着性が保た れ,寸法変化の少ない酸化皮膜として精密機械 部品の一部に利用されている。アルカリ処理し た鋼の CEMS スペクトルには,マグネタイト 微粒子による磁気緩和ピークが観察された。粒 径が1 0nm 以下のマグネタイト微粒子からな る皮膜の厚さは処理時間とともに厚くなるが, CEMS の磁気緩和スペクトルの処理時間によ 図2 5 さまざまなリン酸塩の熱分析(実線:示 差熱曲線,上向き:発熱,下向き:吸 36) 熱,破線:熱重量の変化) 。 る変化が見られなかった。このことからこの微 粒子そのものは成長しないで皮膜が厚くなるこ とがわかる。アルカリ溶液の成分が異なるとマ グネタイト粒子の大きさが異なり,磁気緩和ス 4 1) われる 。シュウ酸処理ステンレス鋼の表面層 ペクトルに影響を与える42)。 の CEMS スペクトルには,オーステナイト相 のシングルピークとシュウ酸鉄 (II) のダブレッ ( 54 ) 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 Nov. 2 0 1 4 553 図2 6 a)ホスホフィライトの熱分解生成物のメスバウアースペクトルと b)鉄の状態 図37)。 図2 7 a)Mn―Fe 系ヒューリオライトの示差熱曲線(DTA)と b)Mn―Fe ヒ ューリオライトの熱処理後のメスバウアースペクトル39)。 9. 酸化鉄の機能性薄膜への応用 9・1 光電極酸化鉄薄膜 α -Fe2O3 のバンドギャップは2. 2eV で,光 照射に対して安定である。そのため,酸化鉄の 薄膜電極は光電極として利用できる。膜の厚さ ( 55 ) 554 RADIOISOTOPES Vol. 6 3,No. 1 1 図2 8 酸化スズ及び酸化インジウムの透明半導体の上にスプレー熱分解法により作製した酸化鉄膜の CEMS スペ クトル,基板と測定温度;a)酸化スズ膜,室温,b)酸化スズ膜,2 0 0K, c)酸化インジウム膜,室温,d) 酸化インジウム膜,2 0 0K43)。右図 e) ヘマタイトのスピン構造。モーリン転移温度以下のスピンの磁気モー メントの向きが c 軸方向でお互いに反平行になる。モーリン転移温度以上では,a 軸方向の面内に近づく が,完全に反平行にならず,弱磁性を示す44)(キャント磁性) 。 を薄くすると半導体の光活性領域の電場,すな の酸化インジウム(In2O3)膜の上にスプレー わち空間電荷層の電場が強められ,キャリアー で作製した酸化鉄膜の CEMS スペクトル(図 (電子又はホール)の分離が容易になる。スプ 28c),d) )には,磁気分裂ピークのほか常磁性 レー熱分解法によって透明電気伝導膜に作製し ダブレットが観測された。このダブレットは, た 安 定 な 酸 化 皮 膜( α -Fe2O3)を CEMS 解 析 酸化鉄(Fe3+)の超常磁性成分と考えられる。 した結果,酸化皮膜の状態は透明導電性基盤の なぜ基板が異なると酸化鉄の異なったスペク 種類によって大きく影響されることがわかっ トルが得られたのかについては,SnO2 よりも 4 3) た 。300nm の厚い酸化スズ(SnO2)皮膜で In2O3 がスプレーの塩酸溶液に溶けやすいので は,内部磁場が基板の表面に垂直に向いている α -Fe2O3 の微粒子が In2O3 膜に入り組んで析出 が,薄い皮膜では,P1,6:P2,5:P3,4 のピーク強 するためと考えられる。また,図28d)の低 度比が(3:4:1)に近づき,表面に平行に向 温 CEMS には,磁気分裂ピーク2と5の強度 くようになる。 が小さくなり, γ 線の入射角90°と同じ方向に 酸化スズ(SnO2)膜上に成膜した酸化鉄膜 α -Fe2O3 の磁気モーメントが向いている。この を室温及び200K で測定した CEMS スペクト ことから In2O3 薄膜では, α -Fe2O3 微粒子結晶 ルをそれぞれ図2 8a),b)に示す。SnO2 膜上 の c 軸方向が図2 8e)のように皮膜面に垂直 の α -Fe2O3 は,室温では電場勾配の主軸の方 に近くなることがわかる44)。なお,初期に発表 向と内部磁場の方向が垂直であるが,2 60K の した論文43)の α -Fe2O3 のパラメータの値にミス モーリン転移(TM)温度以下では,これらの 38mm/s, 2ε =−0. 2mm/s, があり,これは,IS =0. 方向が一致するためにピーク1と2の間隔より Bhf=52T に訂正する。 ピーク5と6の間隔が広くなる。一方,3 50℃ ( 56 ) α -Fe2O3 は,波長600nm までの可視光を吸 Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 555 図2 9 SUS3 0 4の酸化皮膜の pH に対する時間応答と SUS3 1 6鋼の酸化 皮膜の pH 応答47)。 収するが,それより長い波長の光を透過する。 囲でネルンスト応答を示して,水素イオンに対 高効率の太陽電 池 を 開 発 す る た め に 最 近 α - して高い選択性を示すことが明らかになった47)。 Fe2O3 の Fe の10% を Rh で置換した皮膜が開 特に Mo を含む SUS316ステンレス鋼の酸化皮 発された。Rh 置換したヘマタイトのバンドギ 膜は,塩化物イオンによる妨害を受けにくく, 2eV より ャップは,1. 5eV で, α -Fe2O3 の2. 実用的な pH センサーになる。緻密な複合ナノ 減少している。1. 5eV は,約950nm の波長に 酸化物の皮膜が功を奏していると考えられる。 相当し,可視光領域だけでなく近赤外領域でも 光吸収が起きるようになることが報告された45)。 9・3 その他酸化物の応用 鉄のさびの生成過程や鉄酸化物の構造の研究 9・2 ステンレス鋼酸化膜の pH センサーへ から工業的に重要な磁性材料が開発されてきた。 たとえば,針状結晶の α -FeOOH をまず作製 の応用 ステンレス鋼の酸化皮膜は,従来のガラス電 してから脱水,還元と酸化を繰り返して針状微 極に代わり固体 pH センサーとして働く。金属 粒子の強磁性 γ -Fe2O3 が作製された。さらに Co の酸化膜は,溶液中で水素イオンと電気二重層 イオンを被覆して,その γ -Fe2O3 粒子をテープ を 形 成 す る。鋼 の ア ル カ リ 処 理 し た 膜 は, 面に対して並べた高密度の記録用の磁気テープ Fe3−δ O4 の微粒子からなり,pH に対してネル が開発されている。 ンスト応答を示す46)。ただし,pH4以下の溶 10. お わ り に 液では,鉄酸化皮膜の溶解に伴い,pH 応答が 不安定になる。モリブデン(Mo)の酸化膜で 鉄酸化物には,さまざまな種類があるが,メ は pH 応答が遅い。より広いダイナミックレン スバウアー分光によりそれらを比較的簡単に区 ジで安定した膜が求められた。ステンレス鋼を 別して同定できる。鉄酸化物の微粒子は,メス 高温で処理した酸化膜やクロム酸・硫酸の混酸 バウアースペクトルに超常磁性ピークとなって で湿式酸化した膜は,図29a)のように pH 応 現れる。酸化物微粒子を詳細に解析するには, 答 が 速 く,図29b)の よ う に pH1∼1 4の 範 低温での測定が必要になる。透過法による測定 ( 57 ) 556 RADIOISOTOPES は,現在汎用的な測定法になっているが,メス face analysis of thin stainless steel and thick バウアー散乱法の低温測定は,まだ限られたと coated steel by simultaneous application of con.. version electron and X-ray Mossbauer spectro- ころでしか行えない。一方,新しい鉄鋼材料の scopy, Spectrochim. Acta B , 59, 1259-1264(2004) 開発においては,その表面腐食の問題がつきま とう。暴露環境が異なれば,鋼の腐食生成物も 異なる。耐候性鋼板などは,風雨に曝さらされ, Vol. 6 3,No. 1 1 9)Schwertmann, U. and Cornell, R. M., Iron Oxides in the Laboratory : Preparation and Characteri- 緩慢な空気酸化で生じる酸化皮膜であるため長 zation, second ed., Wiley-VCH (2000) .. 1 0)Zic, M., Ristic, M. and Music, S., 57Fe Mossbauer い年月での追跡調査が必要になる。非破壊で in FT-IR and FE SEM investigation of the forma- situ に鋼表面のさび構造を明らかにすることが tion of hematite and goethite at high pH values, J. Mol . Struct., 834-836, 141-149(2007) できるメスバウアー散乱法の利用が今後も期待 1 1)Génin, J.-M. R., Refait, Ph., Simon, L. and Drissi, S. される。 H., Preparation and Eh-pH diagrams of Fe(II) ― 謝 辞 Fe(III)green rust compounds ; Hyperfine interaction characteristics and stoichiometry of hy- 原稿をまとめるにあたりコメントをいただい droxy-chloride -sulfate and -carbonate, Hyperfine た東邦大学高橋正教授に謝意を表する。 献 化物および水酸化物の構造と形成,金属,V.73 No.8 臨時増刊号,27-39(2003) 1)鉄鋼統計要覧2 0 1 3,日本鉄鋼連盟鉄鋼統計専門 委員会,(企画 日本鉄鋼連盟編,出版社:日本 鉄鋼連盟) ,日本鉄鋼連盟ホームページ: 1 3)Graham, M. J. and Cohen, M., Analysis of iron .. corrosion products using Mossbauer spectroscopy, Corrosion, 32, 432(1976) http : //www.jisf.or.jp/knowledge/index.html 2)井 上 勝 也,さ び の 科 学,三 省 堂 選 書6 1,東 京 (1 9 8 2) ^ 文 Interact., 111, 313-318(1998) 1 2)鈴木 茂,松原英一郎,鉄の酸化物,オキシ水酸 1 4)Tućek, J., Machala, L., Frydrych, J., Pechousek, J. .. and Zboril, R., Mossbauer Spectroscopy in Study of Nanocrystalline Iron Oxides from Thermal .. Process in Mossbauer Spectroscopy : Applica- 3)間宮富士雄,金属の化成処理,理工出版社,東 京(1 9 8 2) tions in Chemistry Biology and Nanotechnology, 4)Ujihira, Y. and Nomura, K., Analyses of Corro- edited by Sharma V. K. et al., pp.351-398, John sion Products of Steel by Conversion Electron .. Mossbauer Spectroscopy, Research Signpost, In- Wiley & Sons inc., Hoboken, New Jersey (2013) 1 5)Garcl′ a, K. E., Barrero, C. A., Morales1, A. L. and dia(1 9 9 6) Greneche, J. M., Enhancing the Possibilities of .. 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Chemical Applications in Mossbauer Spectro- Spectroscopy : Applications in Chemistry Biology and Nanotechnology, first edition edited by scopy in Materials Science edited by Miglierini, Sharma V. et al., pp.415-428, John Wiley & Sons M. and Petridis, D., pp.63-78, NATO Sciences Se- inc., Hoboken, New Jersey (2013) ries 3-66, Kluwer Academic Publishers, Dordrecht/Boston/London (1999) 6)野村貴美,メスバウアー散乱法による固体表面 1 6)Nomura, K., Tasaka, M. and Ujihira, Y., Conver.. sion electron Mossbauer spectrometric study of corrosion products of iron immersed in sodium 分析の基礎と応用,RADIOISOTOPES ,63,405- chloride solution, Corrosion, 44, 131-135(1988) ^ 7)野村貴美,ミニメスバウアー分光器と火星探査, ^ 427(2014) 1 7)Sarić, A., Nomura, K., Popović, S. and Ljubes ić, N., Effects of urotoropin on the chemical and mi- RADIOISOTOPES ,63,263-278(2014) 8)Nomura, K., Okubo, T. and Nakazawa, M., Sur- ( 58 ) cro-structural properties of Fe-oxide powders Nov. 2 0 1 4 野村,氏平:鉄鋼の酸化生成物と防食皮膜のメスバウアー分析 557 prepared by the hydrolysis of aqueous FeCl3 so- 刊号,95-104(2003) 及び Kamimura, T., Nasu, S., lutions, Mater. Chem. Phys., 52, 214-220(1998) Tazaki, T., Kuzushita, K. and Morimoto, S., .. Mossbauer spectroscopic study of rust formed 1 8)Nomura, K. and Ujihira, Y., Analysis of oxide lay- on a weathering steel and a mild steel exposed ers on stainless steel(304 and 316) by conver.. sion electron Mossbauer spectrometry, J . Mater. for a long term in an industrial environment, Ma- Sci., 25, 1745-1750(1990) 及び Nomura, K. and terials Transactions, 43, 694-703(2002) Ujihira, Y., CEMS study of oxide layers formed 2 7)Ohyabu, M., Satoh, R. and Nomura, K., Analysis on stainless steel (SUS304 and SUS316), Hyper- of corrosion products formed on anti-weather fine Interact., 57, 2023-2028(1990) steel, Abstract of Asian Pacific Symposium on Radio Chemistry (APSORC 2013) , (Kanazawa, 1 9)Nomura, K., Hosoya, Y., Nishimura, H. and Terai Sept. 2013) T., Characterization of oxide layers and interface layers of ferrite stainless steel (SUS430)by 57Fe CEMS, Czech. J . 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B , 70, 243Mn) (PO )F, OH) 2 4( sity of Tokyo, *Professor Emeritus, The University 258(2014) of Tokyo 4 1)Nomura, K. and Ujihira, Y., Analysis of oxalate Iron and steel have been used as important materials in coating on steels by conversion electron and .. transmission Mossbauer spectrometry, J . Mater. industry since the Iron Age. It is well known that iron does Sci., 18, 1751-1757(1983) 4 2)Nomura, K. and Ujihira, Y., Analysis of black lay.. ers on steel using conversion electron Mossbauer spectrometry, J . Mater. Sci., 19,2664-2670 (1984) 4 3)Nomura, K. and Ujihira, Y., Characterization of iron (III)oxide films used for photoelectrode by means of CEMS, Hyperfine Interact., 29, 1471-1474 not burden severely to the environment of human being. However, iron is easily depleted by corrosion in air atmosphere. The finishing and modification of iron surface have been developed up to now by clarifying the oxidation proc.. ess and corrosion products of iron. Mossbauer spectrometry becomes a powerful tool for chemical state and layer analysis of various oxides and compounds with the help of X-ray diffraction method, Auger electron, glow discharge (1986) Hematite, World Scientific Pub. Comp., Singa- optical emission or Rutherford backscattering spectrosco.. pies. Mossbauer analysis of various oxide and phosphate pore(1994) layers on iron and steel, weathering steel and stainless 4 4)Morrish, A. H., Canted Antiferromagnetism : 4 5)Seki, M., Yamahara, H. and Tabata, H., Enhanced photocurrent in Rh-substituted α -Fe2O3 thin films grown by pulsed laser deposition, Appl . Phys. Express, 5, 115801(2 0 1 2) 4 6)Nomura, K. and Ujihira, Y., pH response of magnetite and molybdenum oxide, Anal . Sci., 3, 1054- steel are reviewed herewith the fundamental properties of iron oxidation process and the structures of iron oxides and phosphates. In addition, the iron oxide film applied to a solar cell and the stainless steel film to a pH sensor are introduced as application of iron oxides. 1057(1987) 4 7)Nomura, K. and Ujihira, Y., Response of oxide films on stainless steel as a pH sensor, Anal . Chem., 60, 2564-2567(1988) ( 60 )
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