出逢いに感謝 - 広島文化学園大学

出逢いに感謝
出逢いに感謝
人生を変えてくださった
広島文化短期大学保育学科
平岡豊恵
「原稿を書いてくださいよ。」と,声をかけられ単純な私は「ああ。私でよかったら…。」と安請け合
いをしてしまった。ところが,見本誌を見せていただき,すごい内容に冷や汗が出た。「とてもとても私
の手の届く世界ではない。」と心に言い聞かせ,はっきりお断りした。
何人かの人が書いていらっしゃるように,山下洵子さんは「私はトラピストだから捕まえたら放さな
いわよ。」と言っておられる。それを目にした時,私は丁寧にお断りをした。
ところが次の手がうまい。「『交流』だから,先生のようにいろいろな方に出逢い,本にまで出してお
られるのだから,それを書いてくださいよ。」と,事も鮮やかに私に有無を言わせない口調で包み込まれ
た。とうとう私は「では一応書いて見ますから見て下さい。」という事になり引き受けてしまった。それ
に更に,不思議なご縁があり山下さんの田舎と私の疎開先の田舎が同郷だったことも分かり,ますます
断られなくなってしまった。
さて,山下さんとの出逢いから私も改めて自分を振り返り人間関係の温かさを思い出させていただく
ことになった。
皆口々に,人間関係が稀薄になり,声をかけあわない。子どもが育つわけない。挨拶もしない等々,
不平不満不足の声は大きな渦を巻いている。しかし,それは,戦後において五十数年の月日を得て,人
問がしてきたことである。とすれば何年かかっても人問が変えて行けば必ず変わると信ずる。でもよく
考えてみると楽な方にはすぐ転げるが,苦しい事には実践できにくいのが常である。しかし,今,気づ
いた者から声をかけあい,一人一人が手を取りあって力を出しあえば,必ず変わっていくと私は信ずる。
私の幼ない頃を振り返ってみよう。
胎児・乳幼児体験がいかに影響するか理論でなく体感として憶えている事を記してみる。
生まれて四十日して引きつけを起した私を若い母親はどう扱ってよいかわからず(私は昭和五年生ま
れだが,父が海軍のため父母は呉で核家族の生活をし,さらに父は艦隊で常に二,三ヵ月は留守をして
いた。)すぐ隣の奥さんに助けを求めた。隣の奥さんは,家族のように扱ってくださり指示をして母を病
院に行かされた。鍵を預けて母は安心して入院をした。何ヵ月かして艦隊から帰った父は家を見て,す
ぐ隣を尋ねた。詳しく聞いて家に入り片付けをして病院に行った。父の訪問に驚いた母は,さらに父の
「家のことは心配すな,ゆっくり入院して,親も子もしっかり元気になって帰りゃあええ」この心強い
一言に涙で顔をぬらし精神的に落着いた。初めての事だけに不安でいっぱいの母は近所の方々の優しさ
温かさ,さらに夫婦の心の通いにどんなに助けられたことであろう。
相変わらず病弱な私は,大きくなっても田舎の空気を吸わせたいと,母方の祖父母,父方の祖父母の
家に度々連れて行かれた。これまた祖父母の家に泊まりに行っているにもかかわらず,近所の家々に
ひらおか よしえ
〒731−0136広島市安佐南区長束西3−5−1広島文化短期大学保育学科
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「昼はお寿司をしたから食べにおいで」とか,夜は家においでとか,みんな家族・姉妹のように扱われ
て,田舎へ行ってみんなと交わるのが幼な心に楽しくてたまらなかった。
このような幼児期での田舎の日々は,心温かく思い出され五感をしっかり育てられた。さらに地域の
人々との心の通い,お互いの交わす挨拶,声のかけあいは,ほのぽのとした人と人との心の交わりが,
私を育てていたようだ。
次に人生を変えてくださった宗教家の雑賀正晃先生との出逢いは,私が人生の蹟きの時であった。
無我夢中で教えを求めた私に,優しくそして温かく穏やかに話してくださるのだが,何と一言一言の
言葉は,私の胸に五寸釘を打ち込み,平手で頬を叩かれるような厳しさであった。しかし不思議と反省
ができ,素直に謝る気持ちになった。
その後,四十年その師の教えを仰ぎ,今の私があると感謝している。
「汝もまた泣くかこの世は人知れず
泣くことなくて過ぎ難きくに」
「けわしくはあれど この道我もゆく
苦しけれども 君もまたゆけ」
お便りの一通一通には涙なしには読めない教えに,心を洗われ,教師としての道にしっかり専念する
ことができ,教えの真髄を学んだ気がした。師を偲ぶ時,涙で訪れたあの日を忘れることはできない。
さらに,「ありがとう」の清水英雄先生とは詩集を縁として学ばせてもらった。
「ありがとう」
一杯のあったかいお茶に ありがとう
やわらかな香りを漂す沈丁花にありがとう
おいしい料理を ありがとう
ドアをあけてくれて ありがとう
ありがとう
と素直に受け入れる豊かな心
ありがとう
がはずむ一瞬は
いつまでも
心に残る 永遠の一瞬
いつまでも どこまでも
誰にでも
ありがとう といえる時
心が歌ってる 踊ってる
恋してる
こうした素敵な一日が
きょうも送れて
みなさん ありがとう
こんなに広く豊かで素敵になれる
わたしの心よ
ありがとう
当たり前の事,当然やっていかねばならぬ事が実践できていない事に気付かされ,目覚めさせられ深
く反省した。学校に持ち帰りすぐコピーをして職員に伝えた。何と教師の態度が変わり,児童の姿が変
わった。さらに保護者が変わり地域が変わった。私の心に「ありがとう」の灯りがともった。清水先生
の出逢いも大きかった。いまだに教えをいただいて交流している。
大人ばかりに教えられたのではなく,短大生にも多く教えられた。
最初に「共に学ぽう,共育だ。」「目標に向かって突き進もう」「教師になるには,自分が人間として恥
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ずかしくない生活をするよう今からでも努力しよう。」と約束をして出発した。
最初は苦しかったようだが,まず私自身が手本を見せながら,解る授業に努力した。
少しずつ少しずつ,学生の姿が変わり,感想文が生き生きしてきた。これらは,今まで私が数々の師
に導かれ育てられたことが,学生に通じたのだと感謝した。
戦後に日本は,知識優先・学歴社会・個を大切にという言葉に酔い,幼児期から物を与えすぎ,躾も
せず,人に迷惑をかけていることもわからない若者を育ててきた。しかし,学生から教えれられたこと
は,大人が本気になって伝えれば,求めている心が開き少しずつでも変わって行くことだった。心の交
流だ。
国によって生活の違いはあっても,人問として生きていく,命の大切さ,相手を思い合う人間関係は
世界共通である。その基本をなす人問教育は,人と人との出逢いを大切にし広い心で接する真の民主教
育から育つと思う。
高村光太郎の詩の一節に
「道はない 歩いた後は道は出来る……。」と。
まさに,今振り返ると恥ずかしい道ではあるが,数々の人との出逢いによって,導かれ,支えられ,
助けられしながら歩いた道は,私なりの道となってきた。
不思議としか言えない出逢い。逢いたくても逢えない,逢おうと思わなくても,急に出会える縁,そ
してその縁から長く続く交流,せっかく出逢えてもそのまま消えてしまう縁。
小才は 縁にふれて 縁に気づかず
中才は 縁に気づいて 縁を生かさず
大才は 袖ふりあう縁をも 生かす
どれだけ生かされて来たことか,今からは少しでもお役に立てるよう命のある限り,ご恩返しの真似
事でもできればと思っている。
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