平成27年度明治大学・天童市連携「てんどう笑顔塾」第3講 1 日時 平成27年7月5日(日) 2 会場 天童市総合福祉センター3階「視聴覚教室」 3 テーマ 4 講師 5 内容 (1) 午前10時から正午まで 考古学から見た古代の子ども 明治大学博物館 学芸員 忽那 敬三 氏 はじめに 歴史学における子どもの研究は進みつつあるが、始まったばかり。なぜ、子 どもの研究が必要なのか。子どもが成長して大人になる。子どもは集団が存続 するために重要で不可欠な存在である。文字による記録は大人が残すため、子 どもの記録は少ない。また、人骨も残りにくく、子どもの研究は難しいため、 これまでは、あまり研究対象とされてこなかった。 (2) 困難を乗り越えて 縄文期の女性の死亡年齢が最も多いのは20代前半。出産時の事故によるも のが多かったと考えられる。江戸時代は、死産率が約15%、子どもの満1歳 までの死亡率は約20%。誕生し、大人に成長するのは、現代よりもはるかに 困難だった。 (3) 旧石器時代の子ども 日本での旧石器時代の出土人骨例は10例以下。古いもので、沖縄県の洞窟 で発掘された3万6千年前の子ども(6~7歳)の例がある。世界最古のもの は、南アフリカで見つかった250万年前の小児のもの。 子どもたちは、大人のそばで狩りや石器づくり、調理や山海の幸を得る技術 を学んでいたのではないか。 (4) ア 縄文時代の子ども 誕生と成長の祈り~妊娠・出産・子育て~ 土偶には妊娠の状態(膨らんだお腹、正中線など)を表現したものが多い。 出産や子育ての様子のものも。 イ 手形・足形土製品に込められたもの 子どもの手形・足形をつけた土版が、墓や祭祀跡から60点ほど発掘。大 型の墓に様々な年齢のものが納められていることから、親の墓に残された子 どもの手足の形を付けて埋葬したものではないかと考えられる。 ウ さまざまな子どもの墓 新生児は、日常で利用した土器を棺にして埋葬する例が多く、副葬品は少 ない。1歳頃からは副葬品を持ち、大人と共に埋葬されるものが現れる。特 に2歳以上はその傾向が強く、この年代から集団の構成員として認められて いたのではないか。 エ 粘土に残された子どもの痕跡 1 子どもの握り痕、歯形が付いた土器が見つかっている。子どもたちが土器 づくりの現場に居たことを示している。縄文時代は子どもに係る資料が豊富。 子どもに対する関心も高い。 (5) ア 弥生時代・古墳時代の子ども 弥生時代の子ども関係資料 水田から大人に交じった子どもの足跡が発見。3歳頃から労働に参加して いたのでは。武器により傷を受けた子どもの骨は、子どもでも戦いに巻き込 まれることがあったことを示す。碧玉製菅玉や貝輪など大人と同等の豪華な 副葬品を持つ子どもも現れる。親の階層差が子どもにも反映したものか。 イ 古墳時代の子ども関係資料 上級階層では、古墳で大人と同じ棺に葬られる例、古墳周辺に埋葬される 例が見られるなど、葬制における大人と子供の区分が不明瞭に。 (6) 古代・中世の子ども 奈良時代の平城京で、銭や墨を納めた胞衣壺、独楽や木トンボなどの玩具、 子ども用下駄などの道具が見つかっている。古代の子どもの墓は少なく、日常 使用する土器を棺として利用する例が見られる。 鎌倉時代では、ぎっちょう(ホッケーのような遊び)のスティック、雛人形 の祖形と思われる木製人形が出土している。 子供用品が生まれ、上位階層の中で、再び後継者としての子どもへの関心が 高まってきた時代。新たな「子ども層」の出現。 (7) 近世の子ども 子宝思想を背景に初めての教育書(貝原益軒「和俗童子」1710年)が刊 行され、18世紀後半からは寺子屋が各地に広がり始める。玩具は、羽子板、 泥面子、ままごと道具、箱庭遊びなど多彩になる。商品として玩具は大量生産 されるようになる。衣服・履物など子ども用品が充実。 埋葬は、大人と同じく墓地になった。小さい乳幼児は、火消壺を棺として代 用することもあった。豪華な玩具を副葬品にする例も。 古代以来の「子ども層」が町人層と一部の農民層にまで拡大した。食糧事情 などにより子どもの数は1人がベストとされ。子ども2人の家族が多かった。 間引きなども行われていたが、手厚い教育や数々の遊びなど、最も子どもが大 切にされた時代。 (8) おわりに ~社会の変化と子ども~ ・縄文時代と近世における子どもへの関心の高さが特筆される。 ・階層化や労働への参加など、社会の変化によって「子ども層」の認識が変わ る。 ・現代社会における子どもの大切さを考えるうえでも、こうした考古資料の存 在は重要である。 2 3
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