メランコリー 後になって気が付いた。麻子に会ったのは初めてではない

メランコリー
後になって気が付いた。麻子に会ったのは初めてではない。前年の記念写真
に緑のスーツ姿があった。私には麻子の記憶が無かった。
知人の画家がパーティーの主催者だった。麻子は会場のコンパニオンをして
いた。桃色の絞り染めの和服姿だった。会場に集まった画家達の視線を集めて
いた。細い整った顔は気丈そうだ。
二次会の席で画家は上機嫌で饒舌だった。麻子も同席していた。麻子を皆に
披露していた。絵画教室の生徒であること。実業家の妻であることなど。
二次会は居酒屋で十五名程参加していた。皆が思い思いにテーブルに着く。
私の横に女はすばやく座ったようだった。後になって思いかえす。麻子は積極
的に私と話そうとしたのかもしれない。
私は酔っていた。麻子も顔色は変わっていなかったが、酔っているらしかっ
た。私は何を話していたのか思い出せない。
私は麻子に電話した。
二三日後に私は駅の近くの喫茶店を探していた。
私は麻子が現れるのか不安がよぎった。小さな喫茶店は麻子の指定だった。
近所に出稽古にきているのだという。
私が住み、麻子にピアノのレッスンの生徒が私の家の近所に居なかったら、
ふたりの会う約束がすんなりといったかどうか分からない。
六十一歳の私は女を誘うこともなくなっていた。誘おうと思ったのは、麻子
が作品を読み、それを報告してくれたことである。宿題を忘れた子供が大急ぎ
で、やり遂げ、報告しているみたいだった。
整った艶やかな先夜の印象とあいまって、好印象を抱いた。
時間ぴったりに麻子が現れた。白いコートを着ていた。暖かいが、二月であ
る。私は黒いコート。
喫茶店を出た。私は行きつけの中華料理店に麻子を誘った。横断歩道の信号
を待つ間、私は何かが始まっていると感じた。
テーブルに着くと老酒を注文した。料理の話をした。麻子は料理が趣味だと
いう。ピアノと料理、悪い組み合わせではない。ハッカクという香辛料の話を
した。付き合うようになって「父の日」にハッカクと小さなお酒のプレゼント
だった。料理をする男、と思ったのである。
間もなく男と女の関係になった。始めての日は青い壷が飾ってある中華料理
店で魚貝類の料理を食べた後、近所のホテルのバーで飲んだ。私は酔っていた。
麻子が酔っているのか分からなかった。先日のパーティーでは最後のほうは麻
子も酔っていた。
麻子をタクシーで駅まで送った。「明日、会いたい」と私は言った。「明日は
水泳教室があります。ひどい格好なの」
「そんなことはかまわない」
麻子はタクシーの中で大きく笑ってはしゃいだ声を上げた。
次の日、目黒駅の近く、結婚式場で有名な建物に入る。ラウンジでコーヒー
を飲んだ。ジーパン姿の女の細い体に感動した。化粧の無い頬は子供時代を想
像させる。何を話したのかもう覚えていない。大きなガラス窓の向こうには春
を感じさせる樹木の庭が広がっている。
夕暮れになり、隣の都ホテルに移ることにした。裏の小道を通って、ホテル
に入る。「旅行しているみたい」と、女は独り言のように呟いた。
懐石料理を食べながら、二人は身の上話をした。
「貴方はこの間の晩、奥さんを愛している、と言ったのよ」
覚えていなかったが、自分なら言うだろうと考えた。私はいつも妻を愛して
いると人に言っていたのだから。
「貴女はどうなのだ」
「わたしは分からない」
「彼を愛していないのかい」
「解らない」
麻子の夫は二十歳年上だった。
麻子は不意に泣いた。私は女の泣くことには慣れていた。アルコールの所為
ではないかと考えた。泣き上戸なのだ。
食事が終わった。「私、忘れ物をしてしまいました。昨夜、バーに」
昨夜と同じバーに入った。外人客の姿が見えたが、バーは空いていた。黒い
革張りのソファーにくつろぐ。 寄り添う。
もう承知している。幾つもの恋の経験から、麻子が自分に好意を寄せている
ことは分かる。
二人は関係を結んだ。
肉体的な快楽を激しく求める気持無かった。五十代までは妻以外の女達とし
ばしばセックスをした。六十代に入り、性の快楽は急速に去っていった。若い
ころのように自在に女を誘惑出来なくなっていた。誘惑の努力は意味の無いも
のに感じていた。
思春期の少女を思わせる胸をしていた。浅黒い肌だった。私は未熟に見える
体型が好みだった。鞭のような細い体つきに満足した。小柄な体だけれど、と
ても美しい足だった。
「私を抱きたいだけなの」と、二度目の時、麻子は言った。
「苦しくなっている」
麻子を愛し始めているのを感じていた。
駅の周辺のホテルを全て洗い出した。チェックインの時間が早いところを選
び、夜中まで過ごした。
シティーホテルを選んだ。ラブホテルは好きではない。
八年の月日が過ぎた。麻子は離婚した。
離婚していた家から出たのだ。金銭問題も絡んでいて、家を出るまで二年ほ
ど掛かっている。
麻子は子供達ふたりと、三人暮らしになった。生活のため中年になってから
就職した。勤めは順調に行っている。生活は苦しいので私は少し援助している
が、何時まで続くか分からない。
結婚の約束はしているが、まだ実行できずにいる。麻子は苛立って「別れま
しょう」とか「さようなら」と、時々言うが、関係は続いている。
子供達が成長して、独立したら、と考えているが、何時の事になるか分から
ない。私も歳をとってきている。体力気力が何年持つか分からない。結婚して
いない子供は私にもいる。
お互いの子供の事や、連れ合いのことは、私と麻子の愛に無関係な事とも思
う。妻とは三日で別れられると、言っている。出来ない事ではない。出来ない
事など何もない。
今の生活を捨てて新しい生活をする、という事はどういう事なのだろう。私
は結婚生活に何の不満もなかった。不満がないとは思わないが、家族を持つと
か、生活する事は特別大変な事ではない。私がたまたま、病気や災害や失業な
どの不幸に会わなかっただけかも知れない。
四十年の勤務を定年で迎え、数ヶ月もしないうちに、麻子に出会った。定年
この空白の時間に、麻子が当てはめられた。麻子は主婦だったし、子供も学生
だった。手が掛からない。私と麻子は自由に会うことが出来た。
同居人とはしだいに険悪になったが、麻子は頓着しなかった。二年ほどたっ
たとき、彼らの破局が訪れた。麻子と同居人も年齢が離れていたので、財産分
与について取り決めが取り交わされていた。同居人は麻子に家を出る事を要求
した。麻子は財産分与を要求し、裁判になった。
裁判の間、男は家に生活費を入れなくなった。私は麻子に金を渡した。足り
ない分は、麻子のアルバイトでしのいだ。
私は那須に住んでいる。退職したとき、田舎に住む準備をしていた。父から
の遺産で楢林の中の家が手に入った。
十一月、楢林の黄色い落葉はしきりに降り注いでいる。日の光に輝き、森の
影に沈みながら、瞬時の命の舞を舞う。
私は那須の山の中と、新宿を行き来しながら生活している。湘南新宿ライン
で、黒磯、新宿を往復した。
新宿の駅前に麻子が勤めるチケット販売店がある。私は毎日、定時になると
チケット販売店から少し離れた街角に立つ。アルバイトなので定時に麻子は店
を出る。
那須の山奥に日がな一日、じっとしている。散歩に出れば、楢林に日が降り注
ぎ、金色に燃え立っている。那須五山の稜線辺りに白い雲が浮かび、頭上は青
空だ。美しい風景が、美しいから寂しい。
秋の陽射しには影がない。麻子の寄り添う温かさが無い。私は何故、此処に
居るのだと思う。此処にいて何をしているのだと考える。
老人性の鬱病があるらしい。季節性の鬱病があるらしい。近ごろ、朝の目覚
めの気分が、日によって大きく違っている。雨が嫌いなので雨の日の憂鬱は分
かりやすい。天気の所為ではなさそうだ。
何時まで生きていなければならないのか。私にやるべき事が残されているの
だろうか。私に価値があるのか。価値のために生きているのではない。人は生
きているから生きているのだ。
女友達からメールが届いた。
「人生後半に入って久しく、確かに私も七十を意識するようになりました。
人は生き抜こうと思ってもままならず、死にたいと思ってもどうともする事が
できませんね。
貴方は六十を過ぎて大学の講師までを経験している方です。
立派な体格と容姿と教養と、加えて文才まで持ち合わせているのですからその
魅力は十分生かされると思います。
「仕事」とは経済を伴うこと、と決めてしまったとしたら窮屈かと思います。
もう六十八か、まだ六十八か、常に揺れますよね。
田舎が良いのか、都会が良いのか、混乱しますよね。
もっと書けるのか、ここが限界なのか、惑いますよね。
このまま静かに年を重ねて行けるのか、それとも脳に異変が生じるのか、考え
ればきりが有りません。
『六十代はなんだかよくわからない内にすぎてしまった』との事ですね。
私は逆です。
自分と会話して、人とは比較せず、確かめながら、納得しながら、意識しなが
ら歩いているような気がします。
五十代では味わえなかった充足を感じています。
だからこの充足が薄れぬうちに人生を終えてしまえたら良いのに、とさえ思い
ます。貴方が手の内にしている六十代をいつくしみませんか。
なにしろ、今日が一番若いのですから、体力が、知力が落ちるなどとは当面思
うのは無しにしませんか。
『歳を感じない作品を書きたい』と言う大きな希望がおありではないですか。
いつまでもその希望を持ち続けられますように。たくさん飲んで、たくさん寝
て、思い切り伸びをして格好良い貴方でいてください」
優しい手紙である。友情というのはありがたい。涙が流れる。歳をとって涙
腺が緩んだのか。
書棚の本の一冊「軽症鬱病」講談社現代新書を手にとる。何時の頃買ったも
のか。本の間から毎日新聞の切抜きが出てきた。黄色に変色している。千九百
九十七年に二万三千人だった日本の自殺者が九十八年には三万人を超えた、と
ある。心を強くするのは脳内にトリプトファンという物質が必要だと書かれて
いる。肉と甘い食べ物が必要らしい。
散歩道の近くに小さな牧場がある。観光施設にもなっていて、レストランや
お土産店がある。
私は牧場の裏かの小道から、敷地内に入っていった。家畜小屋があり、馬や
驢馬や山羊が大人しくしている。動物は鬱病にはならないものだろうか。じっ
と静かである。目はただ黒い。馬たちは数百キロの体を太い足で支えて、じっ
としている。
私は小説を書いていて、牧場を背景とした、短い物語を三篇書いている。
「家
畜は夢を見るか」という短編である。老人が牧場の若い娘に恋をして、最後は
馬小屋で自殺する、という物語だ。
「少女はいつもより早く、牧場に出勤した。いつもの朝とは違う異様な雰囲気
に気がついた。パトカーや救急車が居る。少女は小走りに急いだ。
男が救急車に運び込まれようとしていた。
『あの人、いつも食堂に来る人じゃない』
同僚の女の子が言った。
『そうね。どうしたの』
『家畜小屋で倒れていたのだって』
『どうして』
『知らないわ。死んでいるらしいわ』
少女はひざをがくがくと振るわせた。立っているのがやっとだった。勇気を
振り絞って、家畜小屋に近づき、人だかりの間から、搬送されようとしている
男の姿を見た。土気色の顔に唇がつややかに赤い。血をすすったようだ。
『山羊も死んでいるの』
『あの人が殺したの』
少女は男の名は口にしなかった。
『しらないわ。包丁が落ちていたらしいけれど』
少女は男の骸をじっと眺めた。」「家畜は夢を見るか」
私はレストランに入る。北海道の開拓農家をイメージした北欧風の建物だ。
店内には石造りの暖炉がある。テーブルや椅子も巨木を切り出した物だ。夏と
違い、観光客の姿は少ない。平日でもある。
「ハンバーグステーキとビール。食後にアイスクリーム」と、顔なじみの店員
に注文する。
ドミグラスソース仕立てのハンバーグは店で私が好きなメニューだ。
ビールを飲み、大人しい馬を思い出しながら、料理を待つ。麻子は何をして
いるのだろうか。携帯電話を家に置いてきた。