音楽的イコンとしてのバッハ「ロ短調ミサ曲」

シュナイト・バッハ合唱団
音楽的イコンとしてのバッハ「ロ短調ミサ曲」
この講演は、1995 年 3 月 28 日 米国インディアナ州のボール州立大学での、大学の合唱団に
よる「ロ短調ミサ曲」の演奏時に、北アリゾナ大学音楽学部ティモシー・スミス博士により行
われたものです。なお、例示されている部分は是非CDでお聴きになって下さい。
1)シュナイト・バッハ合唱団は 2000 年 5 月ホノルル交響楽団 100 周年記念コンサートで「ロ
短調ミサ曲」を演奏しました(於ホノルル)。この資料は、そのコンサートに備え、著者のご了
解を得て翻訳し団員に提供されたものです。
2)2004 年 11 月「ロ短調ミサ曲」が再演されることになり、それに備えて全面的に訳を検討
し改訂しました。
イコンとは、東方正教会で発達した聖像画で、キリスト教の聖人や聖書の記事を描いた板絵。
描かれた聖人と信仰者が交流する手助けとなり、それ自体聖なるものと信じられている。エン
カルタ百科事典による。 イコンは生まれ代わり
(2 ページ)の二つ目の図版参照。
310 年前の、この講演の前の週の火曜日に(3 月 21 日)、神を全身全霊で愛した人が生まれました。
その人とはヨハン・セバスチャン・バッハです。彼は、みなさんや私が、決して経験したくないような
苦しみや悩みを経験しました。10 歳の時に両親を亡くし、30 代の半ばには妻と 4 人の子供を亡くしま
した。二度の結婚による 20 人の子供のうち成人したのは 6 人だけでした。
ヨハン・セバスチャン・.バッハは寡黙な人で、自分自身や自分の感情についてほとんど何も語っていま
せんが、音楽がそれをすべて物語ってくれます。私たちは、彼の音楽の中に、悲しみを聴きとることも
ありますが、それ以上に生きることの大きな歓び、ユーモア、情熱を感じることが多く、さらに、神に
帰依する深い敬虔な心の鼓動を聞きとることもできます。そして「ロ短調ミサ曲」ほど、それが明らか
なものは他にありません。
このミサ曲の最初の部分がこの世に現れたのは 1733 年で、この時バッハは Kyrie と Crucifixus を
ザクセン選帝侯フリードリッヒ・アウグスト二世に献呈しました。この選帝侯はポーランド国の王位を
継承する資格を得る為に、その時改宗しなかった妻を捨ててまでもローマン・カトリックに改宗しまし
た。
その後15年の間に、バッハは彼のドイツ語カンタータをラテン語に直してこのミサ・ブレヴィス
(短ミサ)を拡大し、ミサ通常文一式を創りました。バッハは、自分の存命中にこの全曲が演奏される
ことはないと分かっていました。プロテスタントによるラテン語の作品で、ローマン・カトリックの礼
拝でも、ルター派の礼拝でも使えない曲ですから。それゆえこの「ロ短調ミサ曲」が何故作曲されたの
かは、謎に包まれています。
目
的
アマン博士から 1 月にこの講演を依頼されて以来、50 分間で有意義なものにするためには何を話
すべきかを考えてきました。その結果、「ロ短調ミサ曲」は、確かに偉大な芸術作品の一つですが、単
に一芸術作品としてお話しするほかに、イコン − 神聖な礼拝と教えの為に念入りに創られた宗教的な
作品 −としてお話しする必要があると思うようになりました。クリストフ・ヴォルフの言葉を借りれ
1
シュナイト・バッハ合唱団
ば、作曲家自身がこのミサ曲を"クリスチャンとしての信条と音楽家としてのそれを一つに結合する無上
の機会"と見ていました。私の言う"イコン"は、最近使われるようになった"アイコン"(注 3)ではなく、
むしろ、歴史的な意味、特に東方正教会(ギリシャ正教)の美術史の中で最も豊かで変化に富む伝統芸
術の一つです。イコンには、見開かれた目、傾けた頭、光背、生き生きとした色、敬虔に重ねた手をも
つ像が描かれており、あなたがたもこれまでに見たことがあると思います。それは神への深い献身を示
す人々を描写していて、そこから読み取れる帰依の心は西方の心には理解しがたい程深いとも言えます。
何故芸術”する”のか?
イギリス人作家 C.S. ルイスは、"我々が読書するのは、自分が孤独ではない
ことを知る為だ"と書いています。私は、これが、何故芸術"する
のかを考える
大変いい出発点だと思います。私たちが"シンドラーのリスト"で苦しみ、シェイ
クスピアの"から騒ぎ"で笑い、ロダンの
考える人
を見てもの思いに耽り、ミ
ケランジェロの"David 像"の若さのもつ強さと理想主義を賞賛し、ギベルティの"
天国の門"やレオナルド・ダ・ヴィンチの”最後の晩餐”の前で驚嘆するのは、それ
により人は孤独ではないことを気づくからです。ルノワールの"ダイアナ"の恍惚
とさせる繊細さに我を忘れたり、ドビュッシーの
フォーン (半獣半人の林野
牧畜の神)を聴きながら、春になったばかりの暖かな午後を怠けて過ごせるのも、
我々はたった一人ではないからです。ダンテの"神曲"の地獄に恐れおののくのも、
ペンデレッキの"悲歌 の悲鳴におどろくのも、我々は孤独ではないからです。これが芸術のなんたるか
であり、それゆえに私たちは芸術”する”のです。そして、その故にこの「ロ短調ミサ曲」を演奏するこ
とに確かな意味があると言えるのです。
イコン:礼拝芸術の一つの形
イコンは生まれ代わり
我々が孤独ではないことを知る為に芸術"する"とすれば、イコンの目的は、
私たちに神が私たちと共にいることを確信させることにあります。イコンはまず
何よりも 生まれ代わり だからです。この 生まれ代わり という言葉は、神
の子がマリアの胎内に宿った、一世紀の住人ナザレのイエスが真の神でありかつ
真の人である、つまり神が私たちと共にいる、というクリスチャンの信仰から来
ています。ダマスカスの聖ヨアンネスは、イコンの目的を"身体も形も限界もな
い神は過去においては表しようがなかった。しかし、いまや彼は肉体を持ち人々
の中で暮らしたので、人々が目で見たいと願う神を、木板に描いて見せ、神への
思いを深めさせることが出来る"と擁護しています(注 4)。
C.S.ルイスの"我々は孤独ではないことを知る"という芸術の目的と、ダマスカスの聖ヨアンネスの"
神は我々と共にいる"というイコンの目的は、双方とも、ジャン・ポール・サルトル及び今世紀の他の実
存主義たちとは、極めて対照的です。実存主義者は、人類は孤独な存在で、神のいない、無意味な世界
をただよう一方、恐ろしくなる程の選択の自由をもつ存在として描いています。イコンの目的は特に、
その全く逆なこと、すなわち、創造者は、創造物を放置したのではなく、人間への愛に満ちあふれて、
関心を抱き、活動し、共に考えていると主張することにありました。したがって、この生まれ代わり信
2
シュナイト・バッハ合唱団
仰はキリスト教信仰の中心をなすものです。キリスト教では、それは歴史における最も重要な出来事と
してみられているのみではなく、人間の能力では説明不可能、いや、理解することすら不可能な神秘と
考えられています。バッハはこの神秘、すなわち、受肉した神の母であるマリアに降り注ぐ聖霊を、一
連の下行三音階で表現しています。(Example 1.)
生まれ代わりの教義は、初期キリス
ト教芸術の芸術家達に、特に東方正教会
の伝統に、重要な流れをつくりました。
第一に、それは創造されたものすべてが
善良であることを肯定しました。ギリシ
ャ哲学の教えでは、この世を精神の腐敗
の場とみていましたが、これとは全く反
対に、キリスト教徒は、もしも聖霊であ
る神が、完全に人の姿をして現れるとす
るなら、その言葉は、すくなくとも基本
的な宗教的真実を表現できるものに違い
ないと論じました。
西暦 787 年のニカエアでの第二公会
議では、バッハのミサ曲テキストの、か
なりの部分が産みだされましたが、それだけでなく、芸術家が神を象徴的に表現することが許可されま
した。これにより、教会、特にビザンチン教会は、自然主義的表現より、むしろ精神的表現を強調する
タイプの芸術を生み出せるようになりました。ヴィジュアル・アートの芸術家は、芸術的なリアリズム
と偶像を禁ずる第二戒を破る可能性との間の微妙な境を表現しなければなりでした。
西欧の伝統では、線、形、色彩、動機、フォルムというような美術の諸要素は、美しく見えるよう
に意図されたものですが(たとえば、一枚のマドンナの絵は、その画家の愛人を文字通り美しく表現し
ているのかもしれません)、東方世界のイコンにおいては、これらの要素は、神の存在を思い起こすよ
うに意図されています。姿形、手のおきかた、顔の表情、用具、フォルム、すべてが何かを意味してい
ました。それらは単なる何かを意味していた以上に、人間及び創造物の中に、神が存在することをはっ
きり表わしているとみられるようになりました。こうして、イコンは単なる芸術作品ではなく、宗教的
な道具であり、深い敬意と崇拝に値する聖像だったのです。
ギリシャ正教芸術における"生まれ代わり"という考え方は、音楽的には 18 世紀のアフェクト(情念)
理論と相通じています。この理論によると、音楽は、歓び、悲しみ、愛について描くのではなく、それ
らを具体的な形で表現するものです。ニコラス・アーノンクール(注 1)は、例えば、18 世紀の楽器法
がプロポルツィオ論(注 8)に支配されていると書いています。自然音の倍音系列しか出せない楽器 −
たとえばトランペット、ホルン等 − は、楽器法においても神または最高位の王族を表すため特別な位
置を与えられていました。芸術作品は単に宗教的真理を描くだけではなく、その真理を形あるものとし
て表現するという信条は、バッハのこのミサ曲
では、Example 2 につけられたナチュラル・ホ
ルンの使用にあらわれています。
バッハは、Quoniam ではイエスの神性を現
すのにナチュラル・ホルンを使っていますが、2 番目の Kyrie と Crucifixus ではツィルクラツィオ
(Circulatio:円弧を描く、または迂回する動きを示す音形)と呼ばれる興味深い音形を使い、キリス
3
シュナイト・バッハ合唱団
トとその十字架を表しています。この音形についてお話しするとすぐ一時間ぐらい経ってしまいますが、
今は、バッハは、これを彼のカンタータと受難曲のなかで Kreuz(十字架)または Christus(キリスト)と
いう言葉に使っているとお話しするに留めましょう。彼はこの音形のみでなく、ギリシャ語の Chi(x)
を、初期のキリストまたは十字架のシンボルとして使っていることがよくあります。
次の例ではバッハの説教上の興味があき
らかに見て取れます。上で述べたツィルクラツ
ィオ、つまり Kyrie(第 3 曲)の最初の 4 つの
音(Example 3b)は直ちに十字架音形と分か
りますが、これは第 3 曲で憐れみを保証する神
と Crucifix の十字架(Example 3a) にかけら
れた神とが同じであることを意味しています。
イコンは神秘
先に、神の生まれ代わりという教義は、キリスト教徒は信じますが、合理的には説明できないもの
とお話ししました。それは神秘であり、それゆえに神の存在とその行いとは超越的、つまり創造主は彼
の創造物により制限をうけないという確信を表しています。時間と空間を創造したものは時間と空間に
制限されることはなく、宇宙を支配する法則を創った者は、その法則に拘束されることはありません。
神が超越的であるとするなら、意識ではとらえられない宗教的真実があると言えます。つまり、その真
実は、身近にあるのですが、普通の合理的な手段、方法では認識不可能なものです。これを認識するに
は、むろん、信仰が必要で、おそらく次の言葉でもっともよく表現されていると思いますが、一種の"
知る"ということです。"主よ、私は信じます。信仰の無い私をお助け下さい (マルコによる福音書 9:24)
この超越という理念は、イコン、つまり、人間の理解を超える「宗教的真実」があることを暗に示
すタイプの芸術として表わされます。イコンは暗示に満ちていますが、それはただ見ただけでは分から
ず、深くその意義を考えなければ理解できません。Example 3 は「ロ短調ミサ曲」の中のそういう神秘
的な暗示を二つ示しています。「ロ短調ミサ曲」の冒頭の Kyrie の主題は 14 のピッチ(注 5)でできて
いて、その合計は 41(注 5)になっています。BACH の合計が 14、JSBACH の合計が 41 ですから(注
5)、これは明らかにバッハ自身を描いています。同様に Crucifixus においても、B・A・C・Hを音と
して表し、それを逆さにして十字架の動機を創っています。このような自己表現は、18 世紀の宗教画家
が絵の中に自己を描き(注 2)、宗教的真実を自分のものとしている者の神秘さを表わす習慣になぞらえ
ることができます。
さらに神秘的な表現の一つは、Credo の中の Patrem Omnipotentem の曲にみられます。ここで、
バッハはすでに前曲で扱った Credo in Unum Deum を再度扱っていることが注意をひきます。この理
由は、この曲で、合計 14 語(words)、84 文字(letters) を作り出す為だったのかもしれません(注 6)。
既に 14 という数字の意味はわかっています。しかし 84 はどうでしょうか。ちなみにこの数字は、バッ
ハの手書き原稿の最後にかかれている数字です。
ところで、この曲は、84 小節でできています。バッハは単に 84 小節を数えたのでしょうか。高名なバ
ッハ研究家のフリードリッヒ・スメントの答えは否です。84 という数字は天と地(coeli et terrae)の創造
(factorem)を表す神秘的な意味をもつと言うのです。Example 4 を見て下さい。
4
シュナイト・バッハ合唱団
スメントは、"音楽創造者"バッハにとって、
このテキストは、"あらゆるものの創造者"とし
ての神を意味するという点で、特別な意味があ
ったという考え方を提案しています。ギリシャ
語を学んだバッハは、"創造者"に相当するニケ
ア信教中のギリシャ語"は"poieten"だと知って
いた筈です。これは私達の言葉では"poet"(詩
人)ですが、意味の上では"artist"(芸術家)に
近い言葉です。バッハの神秘的な意図は、神が
混沌に形と秩序を与えて宇宙を創造した過程
を、音の形や形式を用いて音楽により表現した
かったということなのかもしれません。
イコンは説教
イコンの第三の特徴は説教が目的、つまり
神がどのようなものかを忠実な信者達に教える
ことにあります。ミサ曲のテキスト自体は説教
そのものですが、バッハは言葉だけではできな
いようなやり方で、つまり音楽的にさらに強力
なことをやっています。例えば、Crdeo の Et in
unum Dominum において(Example 5)、第 2 ソプラノ(アルト)の旋律は、ずっと第1ソプラノの旋
律をカノン風に模倣し続けています。このカノンは genitum non factum(創られずして、生まれ)を
描くためのみではなく、イエスの言葉 − "子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もでき
ない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをす
べて子に示すからである。(ヨハネによる福音書 5:19) − をくわしく描いているのです。この底には、
神と共にありながら、一方で人間というキリストの二重性の教義があります。この二重性を表わすため
に、バッハは従うものが、何も考えずにカノンで模倣するのは許さず、ある程度の独立性を与えていま
す。しかも、連続的に時間とピッチの間隔をおきつつ、カノンで従うもの(キリスト)は、リーダーで
ある"父"により音として生み出され、常に父の意志を行っています。
ミ サ 通 常 文 の 中 の 四 つ 、 Kyrie, Gloria,
Credo 及び Agnus Dei は、三つのセクション
で構成されています。最初のセクションは神で
ある父に、第 2 は神である子に、第 3 は神であ
る聖霊にあてられています。例えば Gloria の最初の 5 行は父を(訳注:歌詞では Gloria in excelsis Deo
から Deus Pater ominipotents まで)、次の数行が子を、最後の行で聖霊を崇めています(訳注:Cum
Sancto Spiritu in gloria Dei Patris, amen)。最初の区分、すなわち三位一体の第一、第二人格との間
の区分は、ソプラノとテナーのデュエットである Domine Deus に現れます。Example 6a を見て下さ
い。アンダーラインした最初の文章は神である父を、第二の文章は神である子にあたります。
作曲家は通常これらを二つの曲に分けます。しかしバッハは違います。彼はそれらを一つの旋律に結合
するだけではなく、ソプラノに三位一体の一人格を歌わせ、同時にテナーに他の人格を歌わせます。こ
うして、二つの文章が混ざり合いつづけながら聖なる三位一体の不可分性を表現しています。
5
シュナイト・バッハ合唱団
(Example 6b を参照)このようなテキストの
混合はトレント会議(1545-1563)の最後の年
の間に好ましからぬものとされ、後に法王令に
より禁止されました。禁止の理由はテキストが
理解できなくなり、礼拝に不適というものでし
た。しかしながら、バッハにおいては、このテ
キスト混合は"私と父とは一つである"(ヨハネ
による福音書 10:30)というイエスの言葉を詳
しく説く為のものでした。
イコンはドラマ
教会の聖像画、彫像、十字架、フレスコで描いた天井、ステンド・グラスなどは、救世主、使徒、
予言者、殉教者、聖人の物語を描いています。最後で最も重要なイコンの機能とは、これらの聖像画で、
忠実な信徒達を全能の神の前に導くことにあります。このミサ曲の Sanctus は 6(拍子や合唱のパート)
という数字の意味に支配されて(注 7)、私達を神の前に導くのです。この 6 は予言者イザヤが神にであ
った時の彼の予言書、イザヤ書第 6 章の次の一説を思い起こさせます。
「ウジア王が死んだ年のことである。私は高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の
裾は神殿一杯に広がっていた。上のほうには、セラフィムがいて、それぞれ六つの翼をもち、二つをも
って顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱え
た。"聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う"」
これらの天使は畏るべき者達だったに違いありません、というのもイザヤは次のように続けていま
す。「この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。"災いだ。
私は滅ぼされる。私はけがれた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、私の目は王なる万軍の主
を仰ぎ見た。するとセラフィムの一人が、私のところに飛んできた。その手には祭壇から火箸でとった
炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせ
て言った。"見よ、これがあなたの唇に触れた
ので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。
"」
イザヤの出会いのメッセージは、人は神の
前に出られるようになる前に、その罪は赦され
ていたに違いないという事です。これがこの
「ロ短調ミサ曲」のドラマの出発点です。それ
は、キリスト教の最も古い礼拝の言葉であり、
かつ、元のギリシャ語テキストから生き残った
唯一の部分、"主よ、憐れみ給え"という祈りです。
しかしあわれみをうける為には、償いがなければ、つまり誰かがその代償をはらわなければなりま
せん。キリスト教徒は誰かが、つまり神自身の子、世の罪をとり除いた神の小羊がその代償を払ったと
信じています。
イエスの十字架の死が、このドラマの中心です。バッハはこれを音楽的には、繰り返される二つの
6
シュナイト・バッハ合唱団
曲、Gratias(神の栄光を神に感謝する)と Dona Nobis Pacem(われらに平和を)の丁度中間に Crucifixus
を置いて表現しています。バッハがここでいいアイディアが無くなったなどと決して思わないでいただ
きたい。彼がここで Gratias の音楽を繰り返しているのは、キリスト教教義においては十字架が中心を
なすものであることをドラマティックに表現したかったからなのです。この種の強調は、修辞学で言う
交差法(chiasmus=キアスムス、例えば、花は愛らしい。愛は花のようだ。というように第1の文章と
第2の文章とを、内容は関連づけて、表現は逆さにする)として知られる 18 世紀の修辞法ですが、こ
れも十字架のもうひとつのシンボルでもあります。バッハはキアスムスを関連部分のちょうど真ん中、
ドイツでは Herzstuck(核心部)と言いますが、それに焦点をあてるために使っています。すなわち、「ロ
短調ミサ曲」の核心部であり、ドラマの中心は Crucifixus です。
結
論
私達の世俗的な社会、特に公立大学でイコン芸術についてお話する場合の問題点を考えつつ結論し
たいと思います。この講演の聴衆は、礼拝に関わる芸術を議論することを、あまり快しとしない人がほ
とんどだろうと思います。この不快感は、おそらく、感情を傷つけられたくないとか、宗教的信条を公
的機関において表明してもらいたくないとか、あるいは芸術作品としてのイコンが意味するものをまじ
めに考えたくないという気持ちによるものと思います。
このような気持ちそのものは間違いではありませんが、しばしば芸術表現としてのイコンの地位を
引きずりおろし、その聖像としての機能を取り除く結果をもたらします。「ロ短調ミサ曲」の研究は、
通常例えば、以下の視点の一つからなされます。(1)形式面から ー いかにバッハはメロディー、ハ
ーモニー、対位法、形、音色などを使うか(2)情念の面から ー このミサ曲がどのような感覚、ムー
ド、感情を聴衆によびおこすか(3)起源 ー この曲が出来た時の状況はどうだったか(4)曲の性格
ー このミサ曲と他のミサ曲との比較するとどうなるか、といった視点です。
確かにこういう視点での問題提起は重要ではありますが、それらに対する答えは、どう高く評価し
ても、以下のような問題提起にくらべると表面的なものと言わざるを得ないと思います。その問題提起
とは、このイコンは、我々について、我々の希望について、我々の苦悩について、我々の歓びについて、
我々の苦労について、我々の失敗について何を語りかけているのか、あるいは、このイコンは我々の人
生について、神について、我々に何を語りかけているのだろうかというようなことです。
八、九世紀のビザンチン時代の人たちは、芸術は無力で神について何も語れず、また神、使徒達、
予言者達、聖人達、殉教者達を芸術的に表現することは危険である、なぜならそれは人を偶像崇拝すな
わち十戒の第二戒を破ることに導くからであると説きました。小アジアに住んでいたこれらの人たちは、
イコンを破壊しました。私たちの使う言葉、"イコノクラスト"は、聖像破壊主義者、伝統や一般に好ま
れている考え方や制度を破壊しようとする者という意味ですが、それは彼らに起源があります。
私が今お話しした不快感は、聖像破壊主義者のようなビザンチンの風潮から生まれた不快感と同じ
でしょうか。あなたがたにうかがいたいのですが、私たちは現在、公立学校、公園、裁判所で、マリヤ
とキリスト生誕像がひっくり返されたり、燭台が壊されたりするのを目の当たりにしていますが(後書
き参照)、そうするのは、1000 年前に小アジアに浸透した聖像破壊主義とは異なる種類のイコノクラス
ト達なのでしょうか。いや、今では、教会ではなく、国家が 教会と国家とを分ける という掟を破る
ことを恐れてイコンを破壊しているのです。(注 9)
私は一芸術家として、西洋の芸術が内包する基本的、精神的要素を拒むことは、その芸術および人
間精神に対する冒涜行為であると考えますが、その考えに、みなさんが合意していただける事を願って
います。アメリカの桂冠詩人ロバート・フロストは、"詩は熟達した技巧で書かれるのではなく、いつも
7
シュナイト・バッハ合唱団
信念により書かれている" と書いています。この言葉が示すように、私は、教育者として、また芸術の
消費者として、私たちの芸術から信念をとりさったら、残るのは単に熟達した技巧だけになると考えま
す。確かに熟達した技巧は活き活きとした知力を生みますが、それは心を冷たくおきざりにしてしまわ
ないでしょうか。「ロ短調ミサ曲」はこのうえなく美しいメロディー、素晴らしいフーガ、古様式のコ
ーラス、輝くようなコンサート音楽からできています。つまり、これらは熟達した技巧のなせる業です。
ということは、ややもすると今述べた重要なポイントを見失うことにならないでしょうか。
フランスの印象派画家・彫刻家のピエール・
オーギュスト・ルノワールは、次のように書いて
います。 ・・・社会の為の絵は、画家とその社
会とが世界を同じヴィジョンで見ている時は可
能でした
私は、20 世紀後半の聖像破壊主義
は、共通のヴィジョンをもたない社会 − 4 月 15
日までに所得税を払う以外には何も一緒にはし
ない社会を作り出しているのではないかと懸念しています。そのような破壊主義観が芸術に適用される
と、ミケランジェロの アダムの創造 には、二人の男がいて、一人は裸でいるという以上のものを見
ないでしょう。しかしそれがイコンであれば、神がアダムに鋭い眼差しをむけ、力をこめて彼の創造物
に手を伸ばして届こうとし、その活動、集中力、関心をもっていることを読み取らせてくれます。また、
アダムは、ぼーっとして神の方に背中をねじり、ほとんど自分自身に何が起きているのか分からずに、
力の抜けた手首をのばし、頭を半分ねじりつつも、やはり届こうとしています。聖像破壊主義者達はバ
ッハの「ロ短調ミサ曲」のなかに美しい音のみを聴くのだろうと思います。しかし、イコンであれば、
それは我々に、神の声が、"恐れる事勿れ、私は常にあなたと共にいる"と言っているのを聞かせてくれ
るでしょう。
注) ---1)講演者注:アーノンクール:Baroque Today: Music As Speech (Portland, Oregon:Amadeus Press,
1982)p.62
2)講演者注:ルーカス・クラナッハ(兄)がワイマール(バッハが働いた町)の町立協会に祭壇を造った時、
彼の十字架の絵は、当時の通常の十字架表現とは異なっていました。三人の姿が描かれていたのです。一
方に洗礼者ヨハネがキリストを指差し、第二の人物としてマルチン・ルターが聖書の中の一節、ヨハネの
手紙一1:7 の
御子イエスの血によってあらゆる積みから清められます
を指差しています。第三の人
物はルーカス自身で、ロビン・リーヴァーによれば、救世主からクラナッハの頭の側面に画面を横切って
流れる薄い血筋により、クラナッハ自身が個人的に十字架の恩恵を被っている姿が描かれています(Leaver,
Bach as Preacher p.26)
以下訳者注
3) このアイコンは、コンピュータで使われるものを意味する。
4) ビザンティン帝国の皇帝レオ 3 世は、726 年と 730 年の 2 度にわたって聖像崇拝禁止令を出した。ローマ
教皇はこの決定を非難したが、レオはコンスタンティノープル(現イスタンブール)での聖像破壊を強硬に
おしすすめた。レオの後継として皇帝の座についた息子のコンスタンティノス 5 世も運動をひきつぎ、754
年にヒエリアの離宮で開催された教会会議で聖像崇拝を禁じた。この方針が変更されたのは皇帝レオ 4 世
の死後、皇妃イレネが摂政位についてからで、787 年の第 2 ニカエア公会議では一転して聖像破壊論者が
断罪された。
8
シュナイト・バッハ合唱団
第 2 次イコノクラスムは 815 年、皇帝レオ 5 世の主導ではじまった。しかし、2 度目のイコノクラスムは
長続きせず、843 年に皇妃テオドラ 2 世が召集した教会会議で、聖像破壊論が最終的に断罪されることに
よって終結した。
イコノクラスムをもっとも痛烈に批判したのは、シリアの神学者であるダマスカスのヨアンネスで、聖像
破壊はキリスト教の基本教義のひとつである受肉を否定するものだという説をとなえた。聖像崇拝の支持
者によれば、神の子キリストが人間として生まれたことでその姿が描けるようになり、聖像には神性があ
らわれている。したがって、これらの聖像を否定することは、キリスト教の教義の否定につながるという
のである。(エンカルタ百科事典による)
5) A,B,C,D,E,F,G,H,I=J, K,L,M ・・・・を、それぞれ数字1、2、3、4、5、6、7、・・・・を当てはめて計
算する。ドイツ語では I と J が同じ発音の為、I=J=9 とする。
「この曲の冒頭4小節の Kyrie のピッチは 14」 ==>KY-RI-E, KY-RI-E, E-LE-I-SON, E-LE-I-SON の各
母音に一音程(ピッチ)がついている。
「そのピッチの合計は 41」==>音程は、h,d,e,fis,g=8+4+5+6+7=31 となり、41 にはならない。いまのと
ころこの計算方法は不明。
6) Credo in unum Deum(4 語、15 文字)、Patrem ominipotentem(2 語、18 文字)、factorem coeli et terrae(4
語、21 文字)、visibilium ominium et invisibilium(4 語、30 文字) で、これらを合計すると 14 語、84
文字となる。
7) バッハは数字をベースに曲の構造を緻密に設計したようで、ヘルムート・リリング氏は次のように書いて
いる。Sanctus のところで「6 という数字はこの楽章の細かい点で目立ったつながりをもっている。コン
ティヌオを含めると 6 群になる編成、バッハにあってはまれな 6 声部の合唱、幾度も出てくる 6 回続きの
3 連音群、ティンパニのリズムを作っている 6 個の音、そして楽句の多くが 6 小節の長さなどであること
などが、この数に重要な構造上の意味を与えているのである。もっと明白なのは 3 という数が支配的なこ
とである。3 連音による基本リズム、3 群にわかれ、それぞれが一体となって同じリズムで動く楽器群ート
ランペット 3 本、オーボエ 3 本、3 部からなる弦楽器群ー冒頭の 3 唱される Sanctus の叫び、それが全部
で 3 回なされること、そしてこの楽章の楽句構成にとって 3 という数が大いに重要であることは明白であ
る。
」(シンフォニア発行、ヘルムート・リリング著、松原茂訳、バッハ・ロ短調ミサ曲 p129、)
8) ポロポルツィオ論:16/17世紀に於ける音程の考え方。あらゆる協和音の振動数は単純な比例数(プロ
ポルツィオ)
、たとえば、オクターヴは1:2、五度は2:3、四度は3:4などで表される。バロック時
代には、音楽は神の秩序の反映または模倣と考えられていたので、数比が単純であるほど高貴と考えられ
ていた。倍音系列の楽器は、このような簡単な比例数の音のみを持っており、神ないし身分の高い王侯貴
族に関係する場合のみに使用をゆるされた。(アーノンクール著樋口隆一、許公俊訳「古楽とは何か」音楽
の友社 p99-101)
9) この部分(結論の第4パラグラフ)については、わかりにくい事情なので、スミス博士に尋ねた。
「・・・・・ところで、ご質問の点についてですが、アメリカ合衆国建国の歴史においてジェイムス・マデ
ィソンと憲法草案製作者のトーマス・ジェファーソンとの間に有名な書簡のやりとりがあります。この書
簡でジェファーソンは、彼の言う"協会と国家の分離"について言及しています。この分離は、国家が教会
に介入したり、国家宗教を設立するのを防ぐ為のものでした。
合衆国の歴史を通じて、人々は彼らの家庭の中で、あるいはその周りで、燭台(7 本のローソクを立てら
れ、ユダヤ人の祭りの明かり)やマリアとキリスト生誕場面を飾る自由を感じていました。これらの飾り
物は、公共の場である、裁判所、学校などの場所によく飾られてきています。それほど遠くない過去のこ
とですが、人々はこれを政教分離の原則を犯すものとは見ていませんでした。しかし、最近、市民のなか
に、こういう宗教的なシンボルを飾った公共の場所を訴えるものがでてきました。このことにより、今で
9
シュナイト・バッハ合唱団
は、訴えられるのを恐れて、一般的に宗教的なシンボルを飾ることを避けるようになってきたのです。
・・・・」
(翻訳:秦泉寺忠興 2004 年 7 月 22 日改訂)
10