日本におけるチャネル研究の空白ゾーン

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論文
日本におけるチャネル研究の空白ゾーン
∼流通系列化と製販統合の挾間∼
笊 ――― 問題の所在
笆 ――― 日本のチャネル研究における二人の先駆者:流通系列化に対する規範論的批判
笳 ――― 日本のチャネル研究の回顧と現住所:流通系列化と製販統合を分析するパラダイムを中心に
笘 ――― 流通系列化の再評価と多元的チャネル・ネットワーク時代の到来
笙 ――― 結びに代えて
崔 相鐵
流通経路においても強力な市場支配力を駆使
● 流通科学大学 総合政策学部 教授
していることは周知の通りである。韓国消費
者院も,両社が戦略的に創り上げてきた専属
笊――― 問題の所在
代理店や直営店を併せた専売店チャネルが全
体テレビ販売額の約 40 %を占めているために,
1.隣国の家電業界を支えている流通系列化
他チャネルでのテレビ価格の引き下げを防げ
世界中の家電市場で,長らく絶対的強者と
る仕組みができていると説明を加えている。
して君臨した日本メーカーの地位が揺れ動い
以上から,韓国家電業界の実像が日本のそ
ている一方で,韓国メーカーのプレゼンスが
れとはずいぶんと異なることが窺える。端的
高まりつつある。ただし,今や新家電王国に
に言うと,日本では高度成長期の古い遺物の
なった韓国における消費者は,必ずしもその
ように扱われている家電メーカーの専売店チ
恩恵を被ってはいないようだ。最近発表され
ャネルが,隣国では力強く残っている。国内
た韓国消費者院の資料 によると,韓国の消
で価格切り下げ要因が少ないために体力を蓄
費者は他の先進諸国に比べて高価格で家電製
えた韓国メーカーが,欧米各国における大型
品を購買しており,とりわけ LED テレビの場
家電量販店の価格切り下げ要求を受け入れな
合,約 18 %も高くなっている。
がらも,グローバル競争力を発揮できたとい
1)
う解釈が可能であろう 2)。
韓国消費者院の分析によると,米国や日本
などの国々では,流通経路における大手家電
2.流通系列化と製販統合の間に生じた研究
量販店のバーゲニング・パワーが強いために,
の断層
家電メーカー間や家電量販店間の競争により
前触れが長くなったが,本稿では,家電業
価格切り下げ効果が現れた反面,韓国では,
三星電子と LG 電子の両社寡占体制が敷かれ
界に限らず日本の消費財業界では古い取引制
ているために流通経路における価格競争効果
度としてみなされる流通系列化を改めて取り
が乏しいとされる。実際,韓国では,家電両
上げながら,議論を進めていきたい。
日本の家電流通システムを含めた消費財流
社が国内テレビ市場の約 99 %を占める上で,
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日本におけるチャネル研究の空白ゾーン
通システム全体の合言葉が,流通系列化の動
笆――― 日本のチャネル研究における
二人の先駆者:流通系列化に
対する規範論的批判
揺・崩壊と「製販統合 3)」の進展・隆盛にな
って久しい。そのために日本のチャネル研究
者コミュニティでも,その合言葉を大前提で
アメリカ発のパートナーシップ・モデルを積
1.チャネル研究に求められる歴史の眼目
極的に受容しながら,分析の対象を製販統合
に絞っている。このような今日のチャネル研
メーカーと流通業者間に対立関係を避けて
究の風潮に納得しつつも,いくつかの疑問が
「共生(symbiosis)」関係を求めるべきだと言
浮かぶ。まずは,流通系列化と製販統合は,
われて久しい。共生という用語は,もともと
チャネル研究にとって二者択一的な実践概念
生物学で使われたようだ。従来の生物学では,
であるか。つぎは,製販統合を分析するチャ
影響し合う(共進する)異種間関係を,捕
ネル・パートナーシップ論(詳細は後述)は,
食・被食関係や寄生・宿主関係に加えて,同
流通系列化が抱えているパワー・コンフリク
じ餌を利用する異生物間の競争関係,また異
ト関係の桎梏から解き放たれる確かな枠組み
生物が一緒に生活する共生関係の 4 つのパタ
を内蔵しているのか。さらに,専売店チャネ
ーンに分類し,捕食・被食と競争関係を主流
ルと度々同意語として誤解されている流通系
とみなし,(寄生を含めた)共生関係は例外的
列化は,本当にチャネル現場では失われたプ
なものとする。しかし,その視点はどうやら
ラクティスであるために,チャネル研究の領
1980 年代までのもので,それ以降は異なる生
域から無意味な対象なのか。
物が互いに利益を及ぼし合っている共生関係
以上の疑問に対する本稿の答えは,すべて
こそが生態系を形成する基本的で重要な異種
において「否」である。具体的な分析は以後
間関係だと見なされる 4)。このことから「共
の記述で明らかになるが,1980 年代後半を境
生マーケティング」そして「関係マーケティ
目として,日本のチャネル研究は,高度成長
ング」は,タイミング良く生物学の知見を受
期の寡占メーカーの優れたパフォーマンスの
け入れたと敢えて言えそうだ。そして,間も
原動力とまで賞賛された流通系列化への関心
なくパートナーシップ関係を追い求めるチャ
が急激に薄まったばかりか,間もなく進んで
ネル研究に影響を及ぼしただろう。
議論の遡上から降ろしてしまった。その結果
しかし,生物学はさらに先を見据え,今の
として,製販統合へのチャネル研究の重点移
生物間共生関係は薄氷の上を歩くように不安
動が急がれたが,流通系列化と製販統合への
定なもので,その本性を分かるためには,血
認識のギャップが大きいだけにあまりにも大
生臭い闘争の「歴史」への眼差しが必要だと
きな論理的跳躍があり,おのずとチャネル研
説破している。今の製販統合を分析するにお
究における分断された空白ゾーンが存在する
いて吟味に値する。
ことになったのである。本稿では,この空白
生物間の不安定な共生を理解するためには
ゾーンにフォーカスを当てる一方で,上述の
生物間の闘争の歴史を振り返ることが求めら
疑問に答える形で議論を進めていきたい。
れるように,新たな製販対立の火種がくすぶ
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る製販統合の実状を分析するためには,パー
ティング研究のような没歴史的ではなく,「特
トナーシップ関係に至るまでの製販対立の長
殊歴史性認識 5)」をもつべきだと主張される。
い歴史の分析が求められる。ただし,紙面の
そのために,当時のアメリカの寡占メーカー
制約上,その前局面を振り返るわけにはいか
が自らのマーケティング活動の意志を貫くた
ない。取り急ぎ,後の日本のチャネル研究に
めに是が非でも商人を傘下に納めようとする
大きな影響を及ぼした二人を登場させること
ことに応えて,近代経営学の知見をむやみに
から始めたい。
取り入れ,チャネルと公式組織の管理の様式
一人は,日本におけるチャネル研究の原点
を原則的に同一視し,チャネルを一つの拡張
というべき「チャネル交渉論」を旗揚げした
されたシステムとして見なしていたアメリカ
風呂勉氏であり,もう一人は,寡占メーカー
発の拡張組織論に対して厳しい批判を加える
が管理する流通系列化体制と台頭する大手小
ことになる。
売企業主導のシステムをシステム間競争関係
チャネル研究のテキストであるために多義
と捉え「多元的流通システム論」を提示した
的な解釈の多い風呂(1968)だが,チャネル
佐藤肇氏である。前者がマルクス流の商業経
に関する本質部分に関しては終始ぶれない姿
済論の伝統を引き継いだ研究者として,チャ
勢を堅持している。その核心的部分を覗いて
ネル研究における不朽の古典を著したとすれ
見よう。
ば,後者は小売企業の最前線で活躍した実務
商業がマーケティングによって変色された
家であるものの,流通システムの本質を優れ
チャネルは,パラドクシカルな姿をさらけ出
た眼目で述べた名著を残した。
している。チャネルの意図的構築者である寡
占メーカーにとっては,商人が一方では自己
2.二人の先駆者のチャネル理論
商品の差別化された価値実現を確保し,他方
では商人を市場危険の緩衝帯として利用する
(1)風呂勉氏のチャネル交渉論
日本でチャネル研究に携わろうとする者が
ために,商人依存の決別よりもはるかに「現
最初に読み込まないといけないテキストの
実的に高等な打開策」である「商業資本の系
『マーケティング・チャネル行動論』(千倉書
列化」を行うことが選好される。したがって
房)は,風呂勉氏によって 1968 年に出版され
寡占メーカーは商人に対して「売買関係」と
るが,この著書の根幹を成す論文が,5 年前
同時に「代理関係」を要求する,いわばチャ
の同氏の論文(風呂,1963)であることを考
ネル関係の二面性を指向するが,このことが
慮すれば,日本における近代的チャネル研究
内包する論理的矛盾によって絶えず不安定な
は,今から半世紀前に遡る。
状態になる。いわば「チャネル管理のパラド
風呂(1968)では,商業資本から産業資本
ックス」が生じるので,チャネル構築からチ
への歴史的展開プロセスの中でも厳然たる存
ャネル維持にかけてひたすら交渉によってそ
在として活躍する商人の社会的性格を重視す
の安定性を保つしかない。
要するに,元々独立した経営主体であり,
る商業経済論の伝統にしたがうために,取り
独自の意思決定フレームをもつ市場的存在で
組むべきチャネル研究は,アメリカのマーケ
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ある商人とのチャネル関係において,当然あ
占メーカーの流通系列化との相互関係を冷静
り得るべきコンフリクトの存在にもかかわら
に分析した上でのものだという点で重要であ
ずチャネル協調を得るためには,継続的かつ
る。
反復的な交渉によって達成するしかないと論
佐藤氏は,基本的に流通経路を,「寡占メー
じられる。風呂(1968)の考え方が「チャネ
カーと商業の相克」という枠組みで捉え直す。
ル交渉論」と呼ばれる由縁である。
氏は,大量生産され洪水のように溢れ出る新
製品を効果的かつ効率的に流通させるうえで,
(2)佐藤肇氏の多元的流通システム論
伝統的な卸・小売商が「決定的に適応力を欠
一方,1974 年に佐藤肇氏が著述した『日本
如(佐藤,1974,132 頁)」していることに注
の流通機構』(有斐閣)も,チャネル研究者に
目した。その解決策として卸・小売商への支
とって避けては通り得ないテキストである。
援策を講じた寡占メーカーの流通系列化の役
佐藤氏のチャネル観を窺うためには,とり
割をひとまず評価する。だが,実存する寡占
あえず「問屋無用論」を唱えることで日本に
メーカーの流通系列化を認めつつも,氏の本
おける様々な流通革命論の旗揚げ役を務めた
音はそれが抱える理不尽さ,すなわちメーカ
林周二氏の論旨を注目することが求められる。
ーによる価格統制への対抗論理を探すことに
周知の通り,林氏は,1962 年に世に出した
あった。
『流通革命』(中公新書)で「太くて短い」流
端的に佐藤氏は,寡占メーカーの価格統制
通経路を目指すために前近代的流通経路の改
を意図している流通系列化を切り崩す対抗力
造が不可欠と主張した。そのために,まずは,
(countervailing power)を追い求めた。結果
拡張組織論者のように流通経路をシステムと
的に佐藤氏は,寡占メーカーの流通系列化シ
して認識し,そのシステムの効率性を挙げる
ステムに立ち向かう対抗力として,総合スー
目的に主眼点が置かれ,次は,無益な卸売商
パーが主導し,PB 製品メーカーを傘下に収め
や零細な小売商を淘汰させる目的さえ達成で
たもう一つの管理システムの不可避性を訴え
きれば,誰が流通革命の主体になっても構わ
る。それによって成り立つ「多元的流通シス
ないというスタンスをとった。端的に大手小
テム」こそが,高度に発達した先進国の流通
売企業であれ物流業者であれ,そして結果的
経路の一般的な姿だと主張している。佐藤氏
に寡占メーカーであれ,流通経路の効率性さ
の多元的流通システムの慧眼は,本稿の後半
え確保できれば良いと解釈されることになる。
の議論において,昨今のチャネル現場を分析
このような林氏の機能主義的認識(加藤・
するにおいて重要な示唆点を提供してくれる。
崔,2009)に対して,西友ストア(現西友)
3.流通系列化への規範論的アンチテーゼ:
の取締役であった佐藤氏は異なる認識を示す。
予言の自己成就
革命の主体はチェーン型大手小売企業の他は
ないという認識である。総合スーパーの経営
研究畑出身の風呂氏と小売経営者出身の佐
者であるために自前味噌的ではあるが,氏の
藤氏は理論枠組みこそ異なるが,両氏の目線
主張は単なる総合スーパー礼賛ではなく,寡
は日本の流通システムの同じところに向けら
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れていた。そこは,諸々の消費財分野の寡占
両氏にそれほど強い怒りと危惧心を抱かせる
メーカーがマーケティング戦略の一環として,
ほど,日本の流通系列化が急速に進行したの
というよりマーケティング戦略そのものとし
かは,疑問の余地がある。両氏の著書の中で,
て,日本全域で築き上げていた流通系列化に
流通系列化への思いの背景に関する部分を抜
ほかならなかった。
粋して,もう一度読み直してみよう。
風呂(1968)は,上述のように寡占メーカ
まず,風呂(1968)が執筆され始めた当時,
ーによるチャネル管理のパラドックスを喚起
すなわち 1960 年代前半は,寡占メーカーの流
させながら,改めて「商業資本の系列化は,
通系列化の強さと広さが深刻な状態までは至
商人の『取揃え販売力』を減殺し,『顧客吸収
らなかったと思われる。抽象度の高い風呂
力』を減殺する。この側面からみるかぎり,
(1968)の中で,例外的に寡占メーカーのチャ
商業資本の系列化は,当該商人の活動能力を
ネル政策の行方を追うべく「実際の」流通系
掣肘し,産業資本家の意図に反して無能で魅
列化の展開と弊害を記述した第 3 章は,(日本
力のない商人を生み出す」(146 頁)と述べて
の消費財業界における流通系列化ではなく)
いる。寡占メーカーの流通系列化がそれ自体
1910 年代から第 2 次世界大戦までアメリカの
で内的矛盾を孕んでいるばかりか,流通系列
自動車業界のビッグスリーによるフランチャ
化の中の系列店がもはや商人とはいえない哀
イズ・システム構築と管理についてである。
れな配給者に転落することを憂慮していたの
ビッグスリーのディーラー支配的行動が結局
である。
はとてつもない紛争に直面するという一応の
一方,佐藤(1974)は,日本の「多くのマ
結論は,流通系列化の安定的な構築がどれほ
ーケティング学者や流通論者は,家電メーカ
ど至難な技であるかを述べるが,とりもなお
ーによって代表されるようなマーケティング
さずこのことがアメリカのビッグスリーの流
戦略,その流通系列化政策は現代の技術革新
通系列化の事例であることを考慮すれば,逆
の重要な一部であり,流通系列化の不可欠な
説的に当時の日本の流通系列化の不完全性を
一翼であると考えている(182 頁)」ことに不
語っているのではないだろうか。
快感を示した後に,市場競争の歪みを憂慮す
次に,佐藤(1974)における時代背景も触
る経済学者の所説 に便りながら「流通系列
れる必要がある。風呂(1968)とは異なり,
化によるマーケティング戦略は,社会的にみ
当時にはすでに寡占メーカーの流通系列化政
て,けっして望ましいものではない(183 頁)」
策が確かに深まりつつあった。たとえば,松
と強弁している。とりわけ,当時のマーケテ
下電器や資生堂の専売店チャネルはすでに強
ィング研究者の中で流通系列化を現代マーケ
固さを増していた。だが,他の競合メーカー
ティングの模範としてみる視点が多いことに
が本格的に追随するにはもう暫く待つ必要が
焦りを感じている様相が窺える。
あったことを勘案すれば,流通系列化は未だ
6)
どうやら日本のチャネル研究の黎明期を切
進行形であった。未完成の流通系列化に向け
り開いた両氏が抱いたチャネル観が見えてき
た佐藤氏の厳しい視点の根底には,寡占メー
たようだ。ただし,当時の寡占メーカーが,
カーのチャネル政策それ自体への批判よりも,
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総合スーパーなどの大手小売企業が着々と進
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現住所:流通系列化と製販統合
を分析するパラダイムを中心に
行している流通系列化システムに対応できる
レベルのバイイング・パワーを発揮できるま
での体力を備えていないことへの焦りがあっ
たと解釈できる。
1.高度成長期の製販関係
要するに,海の向こうのアメリカのチャネ
ル現実を凝視しながら,両氏は,共通の認識
上述した両氏の規範的予言は,すぐには成
を抱えていた。流通系列化を寡占メーカーの
就しなかった。当時の寡占メーカーの経営者
意のままで容認すれば,一方で社会的存在で
らにとっては,すでに走り出し加速度が付き
あるべき商人を一層堕落させるだけでなく,
始まった流通系列化を諦めることは,マーケ
他方でそのどん欲な商人奪い合い合戦の結果
ティング戦略そのものを諦めることに等しか
として先進国アメリカのようなビッグビジネ
った。
スとしての大手小売企業の誕生が難しくなる
実際に 1970 年代と 80 年代を通して,ほと
ことへの危惧を共に抱いたに違いない。よっ
んどの消費財業界における寡占メーカーの流
て両氏は,チャネル研究者が寡占メーカーの
通系列化は佳境に入った。日本企業のマーケ
流通系列化を確かなロジックを立てて強く牽
ティング戦略の根幹として,流通系列化を積
制する必要を共に痛感したのではなかっただ
極的に評価する内外のマーケティングまたは
ろうか。その結果,両氏は,あるはずのチャ
チャネル研究者は枚挙にいとまがないほどで
ネル現実を直視する「記述論」的スタンスよ
あった。
りも,間もなくやってくるべきチャネル現実
端的に石井(1984)は,高度成長期におけ
に対して至って「規範論」的なスタンスを堅
る日本の代表的な寡占メーカーのマーケティ
持したといえる。
ングは,はじめに寡占メーカーによる「徹底
日本のチャネル研究に多大な影響を及ぼし
的なチャネル管理」ありきで,次はそれを補
た両氏の流通系列化に関する厳しい世界観は,
うべく「フル・ライン」と「絶えざるモデ
後のチャネル研究者としては逆らえない予定
ル・チェンジ」という特徴で成り立つと述べ
調和論的規範となり,いつか流通系列化は破
ている。当時の寡占メーカーの優れたパフォ
綻するしかないというある種の「自己成就的
ーマンスが,流通系列化によって成し遂げら
予言」として働いた。しかし,その予言が現
れたことを意味する。
実化するまでは相当なタイムラグがあり,そ
さて,風呂(1968)と佐藤(1974)で期待
の間,寡占メーカーの流通系列化は一層拡が
を寄せられた大手小売企業,端的に総合スー
り,かつ深まっていったことは皮肉である。
パーは,なぜ流通革命の旗を揚げながらも,
寡占メーカーの独走を許してしまったのだろ
うか。その理由としては,総合スーパーが初
期の価格破壊路線を修正してしまったことが
大きい。初めは寡占メーカーの専売系列店に
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比べ,豊富な品揃えで 2 割か 3 割も安い価格
に至るまで精緻に展開されながらも,反証を
を提供することで,寡占メーカーが自前の系
許せないその理論の完結性のために,かえっ
列店に対して自ら決めた定価を守らせようと
て環境変化に適応するために絶えず進化して
する流通系列化を切り崩していたが,寡占メ
きた現実のチャネル行動とフィットしている
ーカーの納品妨害と誘因策に屈し,徐々に穏
とはいえなくなった。結果的に交渉論は石原
便な価格引き下げ戦略を採ったために間もな
(1982)のように商業経済論者内部での精緻化
く協調的態度を示してしまった。総合スーパ
作業はあったものの,新たなブレークスルー
ーの不徹底なスタンスが,1970 年代から 1980
ができずのままであった 8)。
チャネル研究のターニング・ポイントは,
年代中盤までのいわゆる「第 1 次流通革命」
を不発に終わらせたために,両氏の予言は期
Stern(1979)のパワー・コンフリクト論を援
待に反して暫く成就できなかったといえそう
用しながら,チャネル環境の不確実性とチャ
だ。
ネル組織の情報処理パラダイムの関係をモデ
しかし,大手小売企業の変節は視点を変え
ル化した石井(1983)によってやってきた。
れば,その間,寡占メーカーが慣性の付いた
交渉論以降,チャネル研究の閉塞感が漂う間,
流通系列化を一層推し進めたことを意味する。
アメリカでは「拡張組織論」を越えた「社会
同時に風呂氏と佐藤氏のチャネル・フレーム
システムとしてのチャネル・システム論」が
ワークで示された論理的矛盾をますます膨ら
生まれ多くの実証研究が積み重ねられていた
ませつつあったことを意味する。そしていよ
が,日本でも石井(1983)によって新たな地
いよ流通系列化への予言が現実化される時期
平が開かれることになる 9)。そのために,風
がやってきた。1980 年代後半に日本の流通シ
呂(1968)以降,概して概念的かつ規範的だ
ステムは,大きな変革の渦に巻き込まれなが
ったチャネル研究とは一線を画すべく,チャ
ら,いわゆる「第 2 次流通革命」 の到来を迎
ネルにおけるパワーとコンフリクトの関係を
えた。この時期になって様々な消費財業界の
探る実証研究が旺盛に行われることになる。
7)
分野で,流通系列化が音を立てて崩れ落ちる
パワーによるコンフリクト抑制を通して協
ことになり,その代わりに主に新興の大手小
調を確保するメカニズムを究明することによ
売企業グループが主導する製販統合という新
って,拡張組織論の問題点であった協調の
たな流通イノベーションが始まることになる。
ア・プリオリ性を克服したとされる石井
(1983)以降のチャネル・システム論は,まも
2.流通系列化の進展:
なくチャネル研究の支配的パラダイムの地位
第 1 次チャネル研究ブームの到来
を獲得する。何よりも,パワーとコンフリク
敢えていえば,風呂(1968)以降のチャネ
トの相互関係を探るチャネル・システム論は,
ル研究は,支配的理論パラダイムの地位をめ
寡占メーカーと中小系列店で成り立つチャネ
ぐって二つのブームを経験する。
ルの管理主体として専ら前者を限定する(高
風呂(1968)のチャネル交渉論は,チャネ
嶋,1994 ;尾崎,1998)という点で当時の流
ル成立の歴史的契機からチャネル管理の膠着
通系列化の実像と符合していた。チャネル研
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日本におけるチャネル研究の空白ゾーン
究者にとって,実証研究の対象になるべき流
メーカー・卸・小売で成り立つチャネル・シ
通系列化は日本の流通システムに溢れていた。
ステム全体の効率化・合理化を図ることがで
チャネル・システム論の主導によって,日本
きる「パートナーシップ型チャネル」へと,
のチャネル研究における第 1 次ブームが始ま
寡占メーカーのチャネル政策の転換が避けら
った。
れない時代が到来した。当然ながら,日本の
しかし,流通系列化は風呂(1968)と佐藤
流通システムでも,間違いなく流通系列化の
(1974)の自己成就的予言を言い渡されていた。
動揺,さらに崩壊に向かっていった。風呂
1980 年代後半に入り,小売業の上位集中度が
(1968)と佐藤(1974)での予言がやっと成就
高まり,メーカーにとっても上位の大手小売
される時期がやってきた。
企業との取引が最重視される高集中度販路へ
このような状況で,流通系列化を第一義的
とチャネル戦略をシフトせざるを得なくなり
な分析対象とし,パワー・コンフリクト・モ
(住谷,1992),寡占メーカーによる一方的な
デルを内蔵したチャネル・システム論は,明
チャネル管理,すなわち流通系列化の有効性
らかにチャネル現実と大きなズレを見せ始め
は著しく落ちることになった。
た。新たなチャネル現実を説明する理論モデ
ルを探せない状態で,日本のチャネル研究は
3.予言の成就と製販統合の隆盛:
改めて停滞期を迎えることになる。
第 2 次チャネル研究のブーム
ただし急ピッチで進むチャネル現実をとら
アメリカでは,すでにパワー・コンフリク
えようとするチャネル研究者の奮闘も続く。
ト・モデルの問題点を解決すべく新たな動き
まず,佐藤(1993)ではアメリカの P & G と
を見せ始めていた。代表的に Arndt(1979)
ウォルマートの連携を日本にいち早く紹介さ
の内部化市場(domesticated market)モデル
れ,次に,矢作(1994)では,コンビニに焦
と Dwyer, Schurr and Oh(1987)による
点を合わせ,消費者ニーズの多様化がますま
「関係的交換」(relational exchange)モデル
す在庫負担と売れ残りリスクを加重させる中
が取り上げられる。両モデルによって従来の
で受注生産体制への移行が不可避だと主張さ
パワー・コンフリクト・モデルで捉えたよう
れる。コンビニという発展著しい小売業態が
な行動科学的変数中心のアプローチから,社
分析対象であったが,そこから導き出された
会心理学などの分野から借用した信頼やコミ
結論はパワーとコンフリクトが渦巻く「取引」
ットメント概念を中心に,社会的結合を重視
から,相互信頼に基づく協調関係を求める
しながらもさらに経済的変数までをも考慮に
「連携」がチャネル関係の基本になるべきだと
入れた戦略的な協調関係を強調するアプロー
いうことであった。
チ,いわば「協調的関係論」(高嶋,1994)へ,
これら先駆的な研究に刺激され,日本のチ
チャネル研究の方向性は大きく転換した。
ャネル研究は活気を取り戻しつつあった。多
なお,アメリカより遅れをとったものの,
くのチャネル研究者は,対立ではなくパート
1980 年代後半から日本でも本格的な流通再編
ナーシップに照準を合わせ,製販間の新たな
の波が押し寄せることになる。それによって,
取り組みを本格的に理論化しようとする動き
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が広がっていった。その中でも,チャネル交
証研究が生まれることになる。
渉論の石原武政氏とチャネル・システム論の
4.チャネル研究の現住所:
石井淳蔵氏が共編した石原・石井(1996)は
チャネル・パートナーシップ論の問題性
注目に値する。そこでは,まずは両者間の
とチャネル・ネットワーク論の登上 10)
「情報の共有」が求められ,次は「意思決定の
統合」に至ると述べ,両者間の取り組み関係
崔・石井(2009)によると,製販統合とい
を「製販統合」と呼んだ。特記すべきは,チ
うプラクティスを分析する日本のチャネル研
ャネル管理の主体が,単なるバイイング・パ
究は,概ね三つの理論パラダイムが存在する。
ワーの増大だけでなく,真のパワーの持ち主
一つ目は,風呂(1968)を元祖として石原
であるはずの消費者に近いために一層チャネ
(1982)によって洗練される日本固有の「交渉
ル・パワーを増している大手小売企業を暗に
論」で,二つ目は,アメリカのパワー・コン
想定していることであろう。本稿で使ってき
フリクト・モデルと日本の流通系列化の接合
た製販統合という用語は,石原・石井(1996)
を通して中範囲理論としての情報処理モデル
にしたがう。
の提示に成功した石井(1983)で代表される
「チャネル・システム論」である。三つ目は,
石原・石井(1996)を含めて,製販統合を
分析する諸論者の認識を確認すると,製販統
Williamson(1975)で代表される取引費用パ
合とは,「対立なき長期的な協調関係を目指し
ラダイムをベースとした中田(1986)によっ
た大手メーカーと大手流通業者の間の戦略的
て提起されたチャネル取引費用アプローチ 11)
意図の連携」と定義できそうだ。特に,「戦略
である。詳しい説明は省くが,各理論パラダ
的意図」とは,垂直的協調の性格として物
イムは,チャネル現場で勢いを増している製
流・情報流の円滑化を図る「機能的提携」と
販統合を分析するにおいて互いに対話や折衷
相互補完的な経営資源の共有によるイノベー
の動きを見せ始めているために,これらを総
ションの獲得を図る「包括的提携」に分けら
じて「チャネル・パートナーシップ論」と呼
れ,明らかに前者から後者への戦略シフトを
ぼう。このチャネル・パートナーシップ論が,
促した。
日本のチャネル研究の第 2 次ブームの主役に
なったことは容易に予想できる。
以上から分かるように,1990 年代中盤にお
いて,日本のチャネル研究者らが,一斉に新
チャネル・パートナーシップ論は,取引に
たな研究のフロンティアとして見なし,現実
おける不可避な対立関係の分析よりは,戦略
の製販統合の動向に取り組み,活発な研究を
目標の共有による共同利益を目指し協調関係
行った。尾崎(1998)は,その間,停滞気味
を強調し,製販が共にウィン・ウィン関係を
に陥っていたチャネル研究にルネサンスが訪
長期継続的に築き上げることができると前提
れたと述べた。日本のチャネル研究における
する。だとすれば,チャネル・パートナーシ
第 2 次ブームが到来したのである。第 1 次ブ
ップ論は,そのプロセス・モデルにおいて,
ームと同様に,アメリカから導入された魅力
一昔前の拡張組織論と何が異なるものかとい
的な仮説が日本に持ち込まれながら多くの実
う反論があり得る。
● JAPAN MARKETING JOURNAL 121
マーケティングジャーナル Vol.31 No.1(2011)
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日本におけるチャネル研究の空白ゾーン
もちろん昨今のチャネル・パートナーシッ
ランスの状況に戻り,大げさに言うと新たな
プ論を「新拡張組織論」と見なすのは言い過
支配・被支配の構図を演じつつある。製販統
ぎであろう。現にチャネル・パートナーシッ
合を理論化すべきチャネル・パートナーシッ
プ論は,拡張組織論とは異なり,製販間のパ
プ論が,最近になって新たな突破口を見つけ
ワー・コンフリクト関係を視野に入れたうえ
だせないのは,理論的楽観主義に陥った挙げ
で,「双方の対等性や互恵性」(渡辺,1997)
句に,厳存するパワー・ゲームの実状にそっ
という現実の製販統合の特徴を説明する有用
ぽを向いたことに起因するであろう。
な道具として,パワー・バランス・モデル
(power
チャネル・パートナーシップ論においては,
balance model)を取り入れ,従来
長期的な利益の実現という大義名分をもって,
のパワー・コンフリクト・モデルの問題を解
パワー行使への誘惑を取り払い短期的な利益
決しようと試みている。しかし,パワー・バ
を敢えて犠牲にできる意志と行動が必要で,
ランスは実に不安定なバランスでもある(崔,
それこそがコミットメント 13)とされる。その
1997)
。
コミットメントの証として関係特定的資源の
「共生の関係にある生物に,凄まじい競争の
相互投資を行うのだが,そこでもやはりパワ
歴史が隠されているゆえに,いざとなればす
ー依存度関係に収斂され,さらに結合利益の
ぐ闘争本能に逆戻りする恐れを抱えている」 。
配分の段階ではパワー・ゲームの様相が避け
前述した生物学からの警告だが,どうやら当
られない。
12)
たったようだ。チャネル現場に新たな対立の
このことは,結局のところチャネル・パー
火種がくすぶっているにもかかわらず,現在
トナーシップ論も,チャネル問題を,メーカ
のドミナント・パラダイムのチャネル・パー
ーと流通企業間のパワー問題に還元させるし
トナーシップ論が,光の部分をクローズアッ
かない「ダイアド関係」で捉える以上は不可
プし讃える点で,やや理想論的なモデルを提
避な帰結かもしれない。このような状況を見
示していると言わざるを得ないからである。
極め,新たに取り組むべき製販関係を,生産
製販統合の現実はさらに進む。大手小売企
と流通のダイアドではなく,SCM や SPA な
業がバイイング・パワーを存分に駆使するパ
どのような「ネットワーク」関係として捉え
ワー・インバランス(power
imbalance)状
直すことを求めるのが,商業経済論の伝統を
態はすでに一昔前から買収や合併によってア
受け継ぐ新交渉論者の加藤(2006)にほかな
メリカでは既定事実であり,流通大再編が謳
らない。
われる昨今の日本も大手小売企業へのパワー
笘――― 流通系列化の再評価と多元的
チャネル・ネットワーク時代の到来
偏在現象が目立っている。
製販統合を維持させるために,パワー・バ
ランス・モデルに依拠してもチャネルの対立
1.流通系列化と製販統合の狭間
的関係から解放できないと述べたが,そのう
商業の復権を唱える加藤(2006)は,対立
えに大手小売企業の台頭が目覚ましい今日,
無き理想論的製販関係をも乗り越え,「マーケ
現実の流通システムは改めてパワー・インバ
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ティングと商業の相克」関係を受け止めた上
塞感を漂わせている中で,チャネル研究は,
での新たな製販ネットワーク関係の定式化を
1990 年代以降の研究者の記憶の中で置き去り
試みた。そこでは,実需の変化に即応して開
になった流通系列化を見つめ直すことで,そ
発した商品の供給を機動的に行う商業的需給
の空白を埋め,かつ研究領域を広げることが
調整メカニズムを提示し,逆らえない消費者
できると思う。
ニーズを満足させるべく,現実的に流通シス
2.流通系列化の再評価:もう一つのチャネ
テムの主役として登場している大手小売企業
ル・ネットワーク
がネットワーク・オーガナイザーとして積極
的に認められる。
自動車業界,家電業界や化粧品業界などで
しかし,良く考えれば,今やチャネル研究
分かるように,圧倒的なチャネル・パワーに
者によってその存立根拠さえも否定されがち
よって一糸乱れずのシステム的結束力を誇っ
な流通系列化も,一昔前まではネットワーク
た高度成長期の流通系列化の姿は残っていな
組織であり,その時のオーガナイザーは寡占
いものの,未だ寡占メーカーのリーダーシッ
メーカーではなかったのだろうか。果たして,
プの下で卸商(販社)や小売商をカバーする
日本の流通システムで流通系列化は,遅れば
ネットワークとして機能する側面を無視する
せながら風呂(1968)や佐藤(1974)の規範
ことはできない。だとすれば,流通系列化を
論的予言通り,そして大手小売企業が実質的
加藤(2006)のネットワーク・オーガナイザ
主役を演じるチャネル・パートナーシップ論
ー・モデルの応用によって再評価されること
者の思惑通り,もはや古い商取引制度として
もできるのではないだろうか。
忘れ去られるべきなのか。
従来の流通系列化へのネガティブな評価が,
日本の流通システムを見つめ直してほしい。
どうしてもむき出しのパワーが横行する支
そこでは厳然たる存在として流通系列化が未
配・被支配構図から由来するならば,それへ
だ機能している。チャネル研究から引きずり
の再評価は,その仕組みの再分析から始めな
下ろされたものの,チャネル現場での流通系
いといけない。
列化は,一昔前に寡占メーカーが威圧的なチ
まず,流通系列化の終焉を主張する論者の
ャネル・パワーの持ち主として君臨している
多くは,支配・被支配構図の行き過ぎた形と
姿とは打って変わって,時代のニーズに対応
しての専売店を前提にしている。ただし,「流
しつつ,慎ましく活動しているところも少な
通系列化は,・・・決して無制限に完全な個
くない。チャネル研究は,認識の対象として,
別化を意図するものではない」(石原・加藤,
流通系列化から遠く飛び上がり,その対局に
2001,138 頁)し,かつ「メーカーは・・・
ある製販統合に着地したために,流通系列化
完全系列化の条件が満たされないからといっ
と製販統合の狭間にできている大きな研究の
て系列化を放棄することなどありえない」
空白を残してしまったと言わざるを得ない。
(同,139 頁)。完全系列化としての専売店の崩
チャネル・パートナーシップ論が,現実のチ
壊をもって流通系列化そのものの終焉と受け
ャネル・パワー行使の再現によって改めて閉
止めるわけにはいかない。
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日本におけるチャネル研究の空白ゾーン
次に,流通系列化という取引制度が,寡占
藤肇氏を再登場させたい。
企業がパワーをもって中小流通業者を統制す
上述したように,現代の日本のチャネル現
るというまさにパワー・コンフリクト・モデ
場は,流通系列化を含む多元的チャネル・ネ
ルの典型的な現れと見る見解が,果たして妥
ットワークが機能している。この状態を「多
当であるかという点である。かえって流通系
元的チャネル・ネットワーク・システム」だ
列化は,寡占企業と中小流通業者の間で行わ
と呼ぶならば,これこそ一昔前に佐藤(1974)
れてきた壮大な信頼のネットワークで捉える
によって主唱された「多元的流通システム」
ことも可能だという見解もありうる。そもそ
構想に由来するものに他ならない。
も信頼とパワーは区分が難しい概念である 。
ただし断っておきたいが,佐藤(1974)で
さらに,アメリカのパワー・インバランス
の多元的流通システムの考え方は,日本に
14)
構図と日本のそれとの違いについてである。
元々存在した卸売企業主導の流通システムが,
アメリカのチャネル研究から即発された日本
早くも大手小売企業主導に変わったアメリカ
のチャネル・システム論は,もちろん形とし
とは違って,メーカー主導の流通システム
てはアメリカと同様に,流通系列化における
(すなわち,流通系列化)へ迂回し,かつ長ら
大手対中小というパワー・インバランス的側
く維持したことへの不満に起因する。言い換
面から端を発している。しかし問題視される
えれば流通系列化への「対抗力」として,そ
べきは,大手対中小のパワー・インバランス
してできれば,総合スーパー主導の流通シス
構図そのものではなく,その構図がもたらす
テムがそれにとって代わるべきだという認識
協調関係の乏しさ,あるいは取引コストのか
に基づく。そのために大手小売企業主導のシ
かる非連続的取引の非効率性に他ならない。
ステムこそが,「真の流通革命の中心」になる
日本の流通系列化が継続的かつ長期的協調志
べきだと主張する一方で,それぞれの多元的
向性を持っている(田村,1986 ;丸山,1992)
システムが「相互に競争し,角逐し,対抗し
ことを考慮すれば,同じパワー・インバラン
つつ共存する関係を構築」する姿を描く。こ
ス構図をもつものの,アメリカのチャネル現
のことでも分かるように,佐藤氏の考え方は,
実とは全く異なる日本のチャネル現実が存在
あくまでも大手小売企業主導のシステムを優
することを認識すべきだ 。
先し,各システム間の対決を促している。
15)
佐藤氏の考え方と違って,本稿で提示した
3.佐藤肇氏の多元的流通システムの現代的
多元的チャネル・ネットワーク・システムは,
解釈
ネットワーク間の対決を促すより,顧客満足
本稿の前半では,二人の先駆者が日本のチ
のためのネットワーク効率性の最大化を優先
ャネル研究史における大きな足跡を残したと
する。多元的チャネル・ネットワーク・シス
述べた。にもかかわらず,本稿が主にチャネ
テムにおいては,寡占メーカーであれ,大手
ル研究の系譜を踏まえた分析であるために,
小売企業であれ,さらに大手卸売商であれ 16),
風呂勉氏の交渉論のみに焦点を合わせた嫌い
ネットワークを主宰する各オーガナイザーが,
がある。そのために暫く置き去りになった佐
ダイアド関係に付きまとうパワー関係に安住
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せず,ネットワーク効率性を最大限にするこ
い過ぎかもしれないが,果てのない価格競争
とを目標とする。チャネル・システム構成員
に巻き込まれないために韓国メーカーが日本
全体のハーモニーを重んじ,何よりもネット
の流通系列化を研究していることは確かだ。
ワーク存続と発展のために最終審判者として
その点で,日本の家電メーカーの流通系列化
の消費者のニーズに応えるように柔軟にかつ
が改めて評価されても良いのではないかと思
不断に切磋琢磨することが望まれる。
っている(cf,川上,2009)。
長らく日本のチャネル研究は,チャネル現
もちろん家電業界における流通系列化の再
実を解釈するためのドミナント・モデルを探
評価の必要性を他の消費財業界に一般化する
し求めた。チャネル交渉論,チャネル・シス
ことは慎むべきだが,敢えて今だからこそ流
テム論,そしてチャネル・パートナーシップ
通系列化を見つめ直すべきだと言いたい。
論などは,半世紀間の日本のチャネル研究の
日本が長らくデフレ経済に苦悩しているの
歴史におけるパラダイム・バトルでそれぞれ
は,革新的なビジネスモデルを駆使する大手
頭角を現し,節目における支配的パラダイム
小売企業の低価攻勢に日本の諸々のメーカー
になった。しかし,チャネル現実は予測でき
が為す術もなく巻き込まれたことに起因する
ない消費者のニーズ変化に対応すべくいかに
という主張 17)は傾聴に値する。価格破壊が価
も複雑多岐に進化・深化していく。単一のド
値破壊になりかねないチャネル現実は,決し
ミナント・パラダイムでは到底とらえきれな
て製販統合を賞賛するチャネル・パートナー
い。チャネル研究においても複数均衡を追い
シップ論の本望ではないだろう。
つまり,進行しているデフレ悪循環の原因
求めるべきではないかと思う次第である。
の一つに低価格を第一義的課題とする製販統
笙――― 結びに代えて
合があったとすれば,チャネル研究者も「規
範的態度」をとり,行き過ぎた製販統合に警
本稿の冒頭で取り上げた韓国家電産業につ
鐘を鳴らすべきではないだろうか。風呂勉氏
いて説明を加えたい。韓国の三星電子と LG
と佐藤肇氏が,暴走していく流通系列化に研
電子は,日々厳しさを増している価格競争の
究者として強い危惧心を抱き,自己成就的予
余波で収益構造が逼迫したために,革新的製
言を含めた規範論的モデルを提示したことを
品開発のための投資余力を削ってきた日本家
想起されたい。
電メーカーの国内市場での苦境が,結果的に
注
1)韓国消費者院(http://www.kca.go.kr)「主要生活
必修品などに対する国内外価格差調査結果」(2010
年 12 月 8 日付報道資料)による。
2)『東亜日報』と『ハンキョレ新聞』(共に 2010 年 12
月 9 日付)を参照のこと。
3)本稿では,1980 年代後半以降で日本の流通システ
ムで進められてきた製販間のパートナーシップ関
係を総称して製販統合と呼ぶが,詳しくは後述す
る。
グローバル市場での競争力を削ぎ落とすと判
断しているようだ。両社は,韓国国内での安
定的なチャネル基盤の確立が,熾烈なグロー
バル競争で生き残る前提条件であることを対
岸の火事を通して学んだのである。
韓国の快進撃とは異なる日本家電業界の苦
境の原因を,流通系列化に還元することは言
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日本におけるチャネル研究の空白ゾーン
4)詳しくは,河田(1990)第 3 章を参照のこと。
5)風呂(1968)の理論的背景である商業経済論にお
ける認識は,一言でマーケティングの歴史性,さ
らに(マーケティング・)チャネルの歴史性の認
識に他ならない(石原,1973)。敷衍すれば本来存
在したはずの商業の社会性が,自由競争体制から
寡占体制に移行していく資本主義の歴史的過程の
下でマーケティングによって退色されること,言
い換えれば,いわば「商業のマーケティング・チ
ャネル化」が行われてきたことに対する反駁論理
としての歴史性の認識である。
6)端的に産業組織論の立場で流通系列化を批判する
小宮・竹内・北原(1973)の見解のことを指す。
7)第 1 次,第 2 次流通革命の定義や時代区分などにつ
いては,上原(1997)及び加藤・崔(2009)を参
照のこと。
8)皮肉にも寡占メーカーの流通系列化の思惑がどれ
ほど空しいものかを示そうとする風呂氏の意図と
は裏腹に交渉モデルの一部を取り上げられ,交渉
力の確保のためには流通業者のメーカーに対する
仕入依存度を持続的に高めさせるほかはないとい
うメッセージを残し,結果的に流通系列化へ走る
大手メーカーの理屈として用いられることにもな
る。
9)石原(1983)は,風呂(1968)以降から石井
(1983)のが出るまで,日本のチャネル研究におけ
る「不幸な休白状態が続いた」と述べている。
10)以下については,崔・石井(2009)で詳しく述べて
いる。
11)市場関係と組織関係の中間に位置するチャネル関係
を分析するにおいて非常に魅力的な概念群を抱える
ために,アメリカでは四半世紀に渡ってチャネル問
題を分析する主流パラダイムだったものの,日本で
は主流パラダイムのチャネル・システムの勢いによ
ってさほど注目されなかった「取引費用アプローチ」
が,製販統合の進行と共に勢いを増してきている。
Williamson(1975)に始まる日本の取引費用アプロ
ーチに基づいたレビューと実証研究は,久保(2003)
,
崔(2009)
,高田(2009)などを参照のこと。
12)霊長類学者の山極寿一氏のインタビュー記事(『日
本経済新聞』2008 年 6 月 11 日付・夕刊)より抜粋。
13)Gundlach, Achrol and Mentzer(1995)や久保田
(2008)を参照のこと。
14)例えば,パワー基盤を強制的パワー基盤と非強制的
パワー基盤として分けた時に,後者が行使された際
にはチャネル・メンバーは信頼を感じることができ
ることはよく知られている。しかし圧倒的なパワー
があったにもかかわらず前者が行使されなかった場
合にも,チャネル・メンバーは信頼を寄せることは
できる。寡占メーカーと中小規模の流通業者の間に
は,パワー関係だけではなく信頼関係によっても結
ばれていたはずだ。
15)
「取引という経済行為は文化というコンテキストの
もとで行われる」もので,製販統合(企業間協働)
を見る日米の違いについて,「日本が長期関係をそ
れ自体として価値のあるものとみなすに対して,ア
メリカは単なる結果としてみなす」と述べる加護野
(2008)を参照のこと。
16)メーカーと卸がオーガナイズするネットワークにつ
いては,崔・石井(2009)の各章,および山内
(2010)を参照。
17)たとえば,浜(2009)を参照のこと。
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日本評論社,1980 年。)
崔 相鐵(ちぇ さんちょる)
流通科学大学総合政策学部教授。
韓国の国策研究機関の産業研究院(KIET)で責任
研究員として在職中に渡日し,神戸大学大学院経営
学研究科博士課程修了。香川大学経済学部助教授,
流通科学大学商学部助教授及び教授を経て,2011 年
4 月より現職。2010 年 9 月より中国の東北財経大学
MBA 学院で 1 年間客員教授として在職中。
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