まえがき 樹木の分類では,生殖器官の花,そして,栄養器官の葉が同定の基準となっている。開 花期や着葉期には,それらで十分である。けれども,北国では落葉樹が多く生育してい て,しかも着葉期間と落葉期間の長さが変わらない。つまり,落葉期にも同定の基準が欲 しいのである。 これまで,林業方面や森林植物,森林動物など,ほかの研究者の分野では,冬の樹木判 別に,樹皮,樹形,枝ぶりが参考の基準とされてきた。しかし,これらの基準では,樹種 を属の単位までしか判別できないケースが多い。しかも,同じ樹種についても,年齢,個 体差,環境条件などによって,変化の範囲がいちじるしく多様となってしまい,豊かな経 験,鋭い勘が必要となるから,初心者には判別が難しい。 ところが,冬芽と一年生枝を基準にするならば,初心者であっても,多くのケースでは 種の単位まで判別できるのである。 筆者は,林学科の学生時代に,植物学科の館脇教室に入門を許され,伊藤浩司先生に指 導を受け,「生きもの工法 」 の植物的な基礎を学びつつ,同時に,観察とスケッチを集成 しながら,当時から北海道に生育する落葉広葉樹の図説に取り組み,後年,「落葉広葉樹 図譜─冬の樹木学」を刊行する機会を得た。本書はその改訂版にあたる。 本書を参考にされ,この基準をマスターされれば,読者は林業専門家の実施する毎木調 査はもちろんのこと,環境アセスメント調査,環境緑化の材料探し,野外観察会,スキー ツアー,冬山登山,冬の散歩などに利用して,冬の樹木に,森林に,いっそう親しむこと ができるであろう。少なくとも,主要樹種以外を「雑木 」 として片付ける風潮の抑制には 役立つにちがいない。 そのために,本書には,冬芽と一年生枝をマスターする基本として,また,冬の樹木学 を楽しむために,「総論」として用語の解説と図解がある。なお,ここで用いた用語は, わが国で正式に用いられているか否かは必ずしも明らかでないものもあり――初版以来30 年を経て,かなり定着してきたと思われるが――,多くの同義語がある場合もあり,ま た,適当な用語がなく,筆者が命名した用語もある。そして,誤解を少なくするために, 英語を添えた場合もある。 さらに,若いころからの落葉広葉樹の研究であった「冬芽からみた落葉広葉樹林の歴 史」を追加させていただいた。熱帯起源の常伸常緑樹が,1億年以上も前から北方へ移住 しつつ,隔伸常緑樹に進み,ついに,落葉樹に進んだという,地史的なロマン――進化 (発展)と特殊化(展開)――を,筆者なりに書いたつもりである。 ちなみに,冬芽と一年生枝による樹木図説,あるいは落葉期の樹木学は,本書以前に は,わが国で公表されたものはなかった。本書の後,多くの写真図鑑にも,冬芽と一年生3 枝が付加されるようになった。ヨーロッパでは,イギリスの H.M.Ward 博士が,1904年 に落葉樹の単行本を出版されて,これが世界的な古典である。わが国では,白沢保美博士 が,1895年に日本のおもな樹種の検索表と略画とを,ドイツ語の論文として発表された。 また,北海道の主要樹種については,宮部金吾先生らが,1920∼31年に図譜を発表され, 冬芽と小枝の項が設けられた。なお,宮部先生は,館脇先生の師であり,そのご縁から筆 者も孫弟子となる。筆者は,上記の3書を本研究の底本として,北国の樹木学を展開でき たのである。 本書の刊行にあたり,この冬芽と一年生枝の研究を指導・助言された,館脇 操先生, 四手井綱英先生,武藤憲由先生,伊藤浩司先生,菊沢喜八郎博士,ほかの方々に,筆者 は,改めて深く感謝の意を表する。また,北海道内を始めとして,本州方面の大学植物 園,研究所の樹木園,個人の庭園ほかで,小枝を採取し,スケッチさせていただいた。関 係の方々に,改めて感謝の意を表する。 最後に,「落葉広葉樹図譜─冬の樹木学」の刊行からすでに30年を経過した。けれど も,改訂にあたり,樹種数についても,さらなる作画と解説についてもほとんど追加がで きなかったことは,読者にとって,筆者にとっても,まことに不本意である。近い将来に は,日本列島に生育する,より多くの樹種(特に低木種)を追加し,また,総論(用語解 説)をより充実させるように努めたい。もし長生きできれば,落葉針葉樹類も加え,常緑 樹類も加えた,「冬の樹木学」そのものをまとめ上げたい,と思っている。 なお,本書の刊行にあたり,共立出版㈱の南條光章社長,横田穂波編集部長にお世話に なった。付記して感謝する。 2008年初冬 斎藤 新一郎 4
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