二度と祖父が悲しまないように

優秀賞
中学生の部
小池 俊希
前橋市立宮城中学校 2年 二度と祖父が悲しまないように
「ぼくには、ちょっと難しいかな。」
この本の第一印象だ。なぜなら、ぼくは戦争について、ほとんど知らないからだ。もちろん、広島・長崎への
原爆投下やポツダム宣言を受けての無条件降伏などの言葉や内容は知っている。しかし、それはあくまでも、
教科書やテレビなどからの知識にすぎない。そんなぼくが、直接に「戦争」を感じた出来事があった。夏休み
に入ってすぐ祖父が見せてくれた「懐中時計」。シベリア抑留させられていた祖父の兄の形見だそうだ。その時
計を見る祖父の目は、とても悲しく、寂しそうに見えた。急に戦争を身近に感じ、戦争について、もっと知り
たい、そう思うようになった。
そのような時、母が勧めてくれた本が、
「おじいちゃん戦争のことを教えて」だった。母もこの本を読んで、
戦争のことや日本人としてどう生きていくべきか、考えさせられたそうだ。
この本は、アサヒビール名誉顧問の中篠高徳さんが、アメリカの高校に通う孫娘からの戦争についての十六
の質問に、戦争体験や次世代に語っておきたいことなどを、丁寧に答えているといったものだった。
まず驚いたのは、戦前の日本と現在の日本の時代の空気の違いだ。今のぼくは、中学二年の十四歳。勉強は
大変だけれど、学校の様々な行事に意欲的に参加している。また、部活動の水泳で、泳ぐことがとても楽し
い。それに、趣味でやっている囲碁では、初段になり、対戦する相手も広がってきて、ますます熱中できるよ
うになってきた。
しかし、当時は、富国強兵の国策があり、国のために尽くすには、軍人になるのが一番で、それが人間とし
て立派なこととされていた。筆者も、旧制中学校から陸軍士官学校へ進んでいる。陸軍士官学校での教育は、
「慎独」という徳目を徹底的にたたき込まれ、厳格教育の極致だったらしい。ただ、そこでの教育が、人間を
使命感に目覚めさせ、持てる素要を飛躍的に開化させ、燃えるような生き方に導くという所もあり、今なお、
筆者のバックボーンになっている所もあるようだが…。
また、世界情勢も今とは全く違う。その頃は、帝国主義の風潮が濃厚で、日本が国際社会の中で、欧米烈強
に対等に独立を保っていくには、軍事力の強化が不可欠だったのだ。また、日本は、ソ連の脅威もあり、朝鮮
併合、満州国創設に乗り出してしまう。筆者は、他にも選択肢があったのではとも考えられるが、このような
国家行動が決して、とっぴなことではなかった、と考えているようだ。世界はこの時代、どこに向かっていた
のだろう。武力などの手段で他国を侵し、その領土を植民地にして、そこから利益を吸い上げる。平和な今を
生きるぼくには、「恐ろしい時代」としか映らない。
日本は、結局、そんな中、ABCDラインによる封じ込めを打開する交渉に当たるが、いわゆる「ハル・ノー
ト」と呼ばれるアメリカからの通告により、戦争以外の選択の余地はなくなってしまったのだ。
さらに、祖父の兄がなぜシベリアへ行かされて、つらい思いをしなければならなかったかも、分かった。第
二次世界大戦終結へ向けての会議に、アメリカとイギリスは、なんとロシアを出席させた。そして、ロシア
は、日本と戦うことになったのだ。その結果、満州にいた日本兵が捕虜となり、シベリアに抑留された。劣悪
な環境の中で、過酷な労働を強いられ、たくさんの人が死んでいったのだ。祖父の兄もそこで労働させられて
いたんだ。祖父の兄はそこでいったいどんなことを考えていたのだろう。
さて、筆者は、日本人が日本人の心を養い、その心を身につけることが急務であると、この本のいたる所で
くり返し訴えている。自分が日本人という自覚を明確にしていかなければ、国際化の進む社会の大きなうねり
の中では、自分を見失ってしまう。というのである。自分が作られた国を愛する気持ちを持たなければ、他の
国々の違いを明確にして認め合い、お互いに受け入れていく関係になることはできないそうだ。
この本を読んで、ぼくは、戦争のことも良く分かったが、それと同時に、ぼくがこれから何を考え、国際社
会の中で日本人としてどう行動していかなくてはならないか、どう生きていかなくてはならないかのヒントを
もらったように思う。この夏、ぼくは、中学生海外研修事業でオーストラリアへ行った。とても勉強になった
けれど、大切なのは、その経験をこれからどう自分のものにし、行動していくかなんだと思う。
祖父の悲しそうな顔を、もう二度と見なくてよくなるように願いながら…。
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