NO.117/ 2011.10 月号 カトリック厚木教会 〒243-0014 神奈川県厚木市 旭町 2-7-11 TEL.046-228-4164 FAX.046-228-4150 「あなたの信仰があなたを救った」 主任司祭代行 田村 宣行 そして、それから一カ月ほど経ったある日曜日 でした。厚木教会のミサを終えて、大和教会に 6月の終わりか 戻ってきた時のことです。ある信徒の方か ら、9月の半ば頃ま ら、病人の方に御聖体を持って行って欲し で、ブランチフィー いと頼まれました。翌日は、大和教会のキ ルド神父様が休暇 ャンプが始まる日でしたが、心配だから来 で帰郷されていた てほしいと言われたので、ご自宅に伺いま 間、厚木教会の主任 した。家族の方が集まっておられ、ご主人 代行をさせていた が横になっておられました。見てみると、 だきました。 どこかで見たことのある人だな、と思いま 実は私は、この4月から大和教会に転任とな した。その方が、厚木教会に最初にミサに行っ り、教会で働くのは初めてのことでした。司祭 た時に、杖をついておられた方だったのです。 叙階を受け10年近くなりますが、神父であり 静かに横になっておられ、あまり話ができる ながら教会で働くのは初めてというのは、おか 状態ではありませんでした。ところが、御聖体 しな話かもしれません。というのも、今までは を受ける前には、主の祈りを唱えますが、祈り 学校や志願院という中高生の教育の現場にい の言葉はしっかりと口を動かして唱えておら て、近隣の教会ではミサをささげたり、必要な れたのです。さすがに、これまで何度も唱えて 時にゆるしの秘跡などをする、という立場でし きた祈りであるからこそ、意識が薄れてきてい た。 ても、唱えることができたのだと思いました。 ですから、私にとって小教区における使徒職 その祈る姿は、とても貴いものでした。 は、新鮮な体験だったのです。この3カ月の間、 様々なことがありました。病者の方々に塗油の それから、間もなく入院され、今度は病者の 秘跡や聖体の秘跡を授けることも何度かさせ 塗油を授けることになりました。その時は、も ていただきました。その中で、天に召された方 う口は動いていませんでしたが、皆で一緒に祈 もおられます。その方について少し分かち合い りました。その後で、奥様から聞いたのですが、 たいと思います。 ご主人はずっと以前から、「俺は癌で死ぬのが いい。」とおっしゃっていたそうです。なぜな 厚木教会でミサを初めてあげた時、その方は ら、確実に準備ができるからだと言われていた 奥様に連れられて、杖をついて来ておられまし そうです。なんと信仰の篤い人でしょうか。死 た。ご主人を気遣う奥様と静かにゆっくりと歩 を受け入れる、天に召されることを覚悟されて いておられたご主人の姿が、とても印象的でした。 いた方なのだと思いました。 1 残念ながら、私が黙想会で福岡に行っている て、お祈りをすると共に、震災地の復興が一 時に、その方は天に召され、葬儀は別の神父様 日でも早くできるように皆で祈りましょう。 にお願いせざるを得ませんでした。けれども、 ② ほぼ 30 年前に前教皇ヨハネ・パウロ2世が広 その方の生きざまを見せていただいたことは、 島、長崎を訪問され、広島で平和アピールを 私にとって、貴重なお恵みでした。その方から、 されました。その中の一節を取って、 “共に手 信仰者の模範を見せていただきました。まさに、 を取り合って友情、信頼のある未来を作りま 「あなたの信仰があなたを救った」とイエスが しょう。そして互いに平和を作りましょう。” 言われたように、きっとその方は、永遠の命へ これらについて共に祈りましょう。 と導かれていったに違いありません。 聖書や教会でいう平和とは、単に戦争や争いが 司祭とは、信徒の方々の信仰を見せていただ 無い状態ではありま く、ありがたい境遇にいると思いました。そし せん。世の中は、と て、その信徒の方のところへ、導いてくださる かく強い立場の人が 別の信徒の方がいることも、ありがたいことで 弱い立場の人を抑え、 す。厚木教会の方々がお互いに助け合って、支 弱い人の我慢、忍耐 え合って歩んでおられることを知ることがで によって、争いやい きました。 ざこざが起きていな い状態が多々あります。それはイエスの言う平和 その他にも、第7地区の中高生のお泊り会や ではありません。 堅信の勉強会などで、多くの若者たちにも出会 イエスが言う平和(誰も後回しにされたり抑圧 うことができました。彼らのために奉仕してお されない社会)を目指して行く事が求められ、そ られる信徒の方々にも出会うことができまし の為に私たちは祈りましょう。 た。このような出会いをくださった神様に感謝 し、私をあたたかく迎えてくださった、すべて 今日の福音は、平等を目指し国籍やいろいろな の信徒の方々に感謝します。そして、これから ことを乗り越えて、平和を目指すことに一見水を も、よろしくお願いします。 差すような印象を与えるイエスのお話です。 カナンの女の人がイエスのもとに来て「娘を救 ってください」と言いましたが、イエスは「私は イスラエルの失われた羊のところにしか遣わさ れていない」 、 「子どもたちのパンを取って子犬に ある主日のミサ説教より(8月14日) やってはいけない」と言ったのです。 当時のユダヤ人にとって自分たちより、低く見 ていた人たちには、カナンの地方のこの女の人と 8月14日第二ミサで古川神父様(横浜司教区 かサマリアの人たちがいました。そのような状況 事務局長)は、マタイによる福音(マタイ 15・21 の中で、イエスはこのようなことを言われたので -28)について話されました。以下に説教の概要 す。 を記します。 毎年この時期(8/6~15)に平和旬間が定めら 第一朗読のイザヤの予言では、「神殿はどんな れ、司教団会長の大阪教区池長大司教様から主に 国籍の人に関わらず、全ての人のものである」と 2 つの内容のメッセージが出されています。 言っており、また第二朗読の“パウロのローマの ① 東日本大震災で亡くなられた方を念頭におい 2 教会への手紙”(11・13-15、29-32)では、ユダ しかし、律法や旧約聖書を知らない人たち、例 ヤ人はイエスを殺害して、一旦ユダヤ人は地に落 えば、カナンの女の人がイエスの行いや振る舞い ちたのですが、ユダヤ人でさえも救われるという を良くわきまえて、理解し、「あなたは頼るべき ことを、言っています。 人であり、学ぶべき人であり、私は従って生きま す」と確信を持ってイエスに近づき、イエスは「あ そんな中、今日の福音書を理解するためには、 なたの信仰は立派です」と言われたのです。 福音書が書かれた当時の背景について考える必 マタイの福音書を読まされていた当時のユダ 要があるでしょう。イエスが死んで復活してから、 ヤ人からすれば、この個所を見て考えることは、 ユダヤ人を中心に教会が作られ、マタイの福音書 “我々はカナンの女の人ぐらい、本当にイエスの が書かれた時期(紀元後 60~70 年頃)には、ユ ことを理解し、信頼しているだろうか? 私たち ダヤ人の中に多くのキリスト者が こそ神の民と云いながら、本当に 誕生していました。 イエスと同じ歩みや方向性で歩ん でいるだろうか?” と云う反省 ユダヤ人の他に外国人たちも、イ をさせられたのです。マタイの福 エス・キリストのことを見聞き伝え 音書は、このことを良く分かって 聞いて信じる人が増えていきまし もらうために、あえてこのような た。旧約聖書を良く知っているユダ 展開で書いているのです。 ヤ人のキリスト信者と旧約聖書を 良く知らない外国人のキリスト信 私たちも、カトリック信者、キ 者が一緒になってきて、難しい舵取 リスト信者と云いながら、イエス りを迫られてきた時期に書かれたのが、このマタ のことをきちんと理解して、イエスの歩みと共に イ福音書です。そういう状況の中で、今日の福音 歩んでいるでしょうか? 書の話が出てきたのです。ユダヤ人の信仰は選民 私たちは神の民です。多くの人を救うためには、 思想と言われ、神から私たちは選ばれている、神 まず教会に来て頂いて、洗礼を受けて頂いて、キ への本当の信仰を持っている民族が私たちユダ リスト者になってからということになると、当時 ヤ人と云う言い方。 のユダヤ人と同じことになるでしょう。 ユダヤ人からすれば、外国人の人たちも、まず 今日のテーマである、私たちはキリスト信者と イエスに近づくためには、割礼や様々な食事の規 言いながら、他の人たちの方がキリスト理解をき 定など、律法や旧約聖書に書かれていることを、 ちんとして、キリストと同じ歩調、同じ方向性、 きちんと守って本当のユダヤ人になって下さい、 同じ価値観で、それが正しいこととして捉え、そ それから・・・と云うのがユダヤ人のイエスへの れに向かって歩んでいる人たちがいると云う事 信仰の考え方でした。 をイエスは言っているのです。 しっかりしたユダヤ人を通して神様への従順 平和旬間に当たって、イエスと同じ方向性で、 や平和の実現のため神様の教えが外国人へ広ま 平和を求めて、イエスと共に祈り、イエスの御旨 っていくとするものです。そのような状況の中で、 を理解し、その実現のためにより良い一分子とな 今日の話が書かれたことは、逆に言うと確かに旧 って、私たちの教会の力となって歩んで行けるよ 約聖書に書かれている通り、イエスはユダヤ人に うに共に祈りましょう。 きちんと神の御旨を教え導き、それから全ての人 (HP 委員会 を救うために、まずユダヤ人のことを気に掛けて いました。 3 山内) 一方私は寂しさ(Lonely)を感じたことは否め 聖母被昇天祭/国際ミサと納涼祭 ません。マリア様への信心があまりにもなさすぎ ることです。信心を深めるための解決の一つはロ ザリオの祈りを唱えることです。マリア様の取り 猛暑日であった8月15日(月)聖母被昇天祝 次ぎによってイエス様と親しくなることを意味 日17時より厚木教会聖堂にて、カトリック鎌倉 雪の下教会ボブ します。 ザ ラ テ ( Robert Paul Arias Zarate)神父様の司式によって執り行われました。 は暗誦できるようご指導をお願いします。 祭・説教概要*** 最後にアベマリアの祈り、東日本被災者の為の祈 ザラテ神父 りを唱え黙想ください。 様はフィリッピンご 出身で来日11年目、 なお、国際ミサに使われた冊子は、複数言語で 鎌倉雪の下教会助任 記され、準備された典礼部員関係者に感謝致しま 司祭、毎月第一日曜日厚木教会で英語ミサを捧げ す。 られるとの自己紹介に引き続き以下のように説 冊子構成の概要は以下の通り。 かれました。(日本語主体で同じ内容を英語でも 聖歌:日本語、英語、スペイン語、ベトナム語或 逐次に述べられた) いはポルトガル語の組み合わせで構成 司式:日本語とローマ字書式 ◆1◆1965年第二バチカン公会議:聖母の被 聖書朗読個所:日本語と外国語(英語、スペイン 昇天とは「昇天」ではなく「被昇天」というべき 語、ポルトガル語、ベトナム語)で用意された でしょう。「昇天」というのはイエズス様が神だ 答唱詩篇:典礼聖歌36番 「神のいつくしみを」 から天に昇る力があったからです。 日本語、ローマ字併記 「被昇天」はマリア様のように、神ではないから 平和の祈りと挨拶:各自の国の言葉での挨拶 自ら天に昇る力はないので、神の力によって天に 上げられたことを意味します。 ◆2◆ えることはできます。 小学生のお子様には、主祷文、天使祝詞、栄唱 ***聖母被昇天 ボブ ロザリオの祈りは、通勤途上、家事の合間でも唱 注)ミサ出席者約280名 天国へは霊と体ともにお入りになった 納涼祭 聖母の被昇天に関し、要点は以下の三点です。 国際ミサ終了後、教会中庭にてボブ 1)マリア様は魂と体と一緒に天国にお入りに ザラテ神 父様による納涼祭趣旨ご説明・食前の祈りを唱え なりました。“体”も大事にしなさい。何故なら た後、盛大に開催されました。 ば、“体”は一つしかないからです。 猛暑日でもあり飲料類は短時間で完売しました。 冷たい西瓜、夏のフルーツ、ペルー、ベトナム、 2)マリア様はイエスの母として、女性として天 ブラジル、フィリッピンの国際色豊かな、おいし 国にお入りになりました。女性としての価値、女 い料理を戴きました。 性として尊重されなければなりません 3)私たちはマリア様への信仰を大切にしなけれ ばなりません。イエス様のお母様であるからです。 4 ・今回はタム助祭がいてくださったので、助かり ました。今後助祭がいない場合を考えると、聖書 朗読後の「勧めのことば」等は、難しいでしょう ね。 ・集会祭儀では聖変化がありませんので、前の週 に、集会祭儀 3 回分に必要なホスチアを用意しな ければなりません。そのため、(ホスチアが聖別 された)ご聖体が無事聖櫃に納まることに配慮し ました。 前日から準備頂いた国際 G、4G(18,19(CM))、 ・ (「いつものミサとあまり変わりなく、違和感が 教会委員会、おやじの会有志、積極的にお手伝い なかった。」と私が感想を述べたことに対して) 頂いた各位に深く感謝致します。 そう思っていただければ、80 パーセントは成功し 献金・純益は東日本大震災で現在も労苦を強い たと思います。 られている外国籍の方への義援金として寄贈さ れる旨です。 (広報部 植木) 最後に、カトリック横浜教区報 50 号「ミサの ない主日、集会祭儀式次第の紹介」(教区典礼委 員会)からの抜粋をご紹介します。 厚木教会 初めての集会祭儀 「横浜教区典礼委員会では、教区長の試用認可を (ミサのない主日の祭儀) もって『ミサのない主日、集会祭儀式次第』を発 行しました。横浜教区、とくに神奈川県では、ま 8 月 27 日(土)19:00、28 日(日)7:30、9:30 に、 だその必要性が十分に認識されていないかもし 集会祭儀が行われました。これは、ミサを司式す れませんが、すでにいろいろな地域で、主日に小 る司祭がいない場合に行われるもので、今回はブ 教区においてミサが行われない、という状況が生 ランチ神父様の依頼によって主日の集いとして まれています。(中略)主日に司祭が不在で、ミ 行われました。 サが捧げられなくても、共同体が主の名のもとに 集会祭儀は、ことばの典礼と交わりの儀で行わ 集うならば、そこに復活された主がおられます。 れます。以前この厚木教会でも、試行のために集 また、聖書が朗読される時、み言葉の中にも主は 会祭儀を行ったことがありますが、実際には今回 おられます。 ・・・・・(略)」 が初めてです。 このため、典礼部は十分な準備をしてきました。 「二人または三人が、わたしの名によって集まっ ている所には、わたしもその中にいるのである」 当日使われた「集会祭儀のしおり」には、外国の (マタイ 18・20) 方にもわかるように、ローマ字が併記されていま 司祭不足の今後、みんなで心を合わせ、より良い した。 集会祭儀が行われるように準備していきましょ 集会祭儀後に三上さん(典礼部長)と(オルガ う。 ン担当で、しおりを作成された)船戸さんに感想 (広報部 をお聞きしました。 5 松本) 敬老のお祝い 9月18日(日)に田村神父様の司式による主 日第2ミサの中で、敬老のお祝いが行われました。 当日は30度を越す暑さではありましたが、37 名の方が出席されました。 田村神父様は説教の中でスライドを使い、「た いせつなきみ」という絵本を紹介されました。 これは、ウイミックスという木のこびと達の話で、 移動されました。会の後半には、折井さんが歌い 彼らはエリという彫刻家によって作られ、みんな 出したのをきっかけに、みんなで聖歌を合唱し、 は同じ村に住んでいました。ウイミックスは金ぴ 田村神父様もすてきな声を披露してくださる場 かのお星様シールとみにくい灰色のダメじるし 面もあり、なごやかなひと時を過ごされました。 シールを持っていて、お互いにそのシールをくっ (広報部 鈴木) つけあって暮らしていました。ある日、灰色のダ メじるしシールばかりを貼られたこびとが、その 作り主、エリに会いに行き、「他人の評価は問題 「夕涼みの会」開催される(7 月 3 日) じゃない。おまえのことを大切に思っているよ。」 と諭されます。その言葉を信じ、自分に自信が持 大和、津久井、厚木教会の男性信者を対象とし てるようになった時、彼のダメじるしシールがぽ た「夕涼みの会」が7月3日(日)に町田の中華料 とりと地面に落ちました。 理店で開催されました。大和教会の長澤神父様、 田村神父様はこのように絵本の概略をお話に なった後、今日敬老のお祝いの方々もここに 田村神父様、ウンベルト神父様、厚木教会のタム いらっしゃるだけで、尊く大切なのですと話され 助祭にも参加頂き、大和15人、厚木8人、津久 ました。 井2人の壮年男性信者総勢25名が出席しまし た。 説教の後、神父様が聖堂の前3列におられる高 最初に津久井教会で長年活躍し、横浜教区第七 齢者の方一人ひとりの席を回って、病者の塗油の 地区へも多大な貢献のある山下氏が交通事故で 秘蹟を授けられました。 出席できないとの突然の訃報に全員で黙想を捧 げました。そのあとは、軽快な成田前厚木教会委 員長の進行のもと長澤神父のご挨拶で乾杯。 初対面の人、既知の人、旧交のある人と様々でし たが、そこはキリスト者同士、すぐにうちとけ合 ったり、さらに親交を深めたり、昔話で盛り上が ったりとあっという間の 2 時間でした。 よく食べよく飲みよく話し、よいイベントであ ミサの後、聖堂で敬老のお祝いの記念撮影をし、 ったとの手応えを感じあい、またの開催を待ち望 その後信徒会館に設置された懇親会会場に皆様 む余韻の残る中での解散となりました。次回の 6 「合同オヤジの会」開催を検討中です。今回出席 い140万円の売り上げがあり地区の連帯を強 く感じられたバザーだったそうです。また、この 第3地区では、各小教区で「祈りの会」を交代で開 き、信徒の交流が盛んに行われていると言う紹介 もありました。 この状況について、他教会の参加者は非常に関 心を示されました。特に静岡鷺宮教会からは、 「同 じブロックと言っても車で片道 1 時間かかる教会 がほとんどなので、訪問する事が頻繁にはできな い。以前他教会の建て替えの為に献金を募り寄付 長澤神父様の乾杯でスタート したが、今度は自分達の教会の番と期待していた できなかった厚木教会の壮年男性信者の皆様次 が、主任司祭の交代でその計画が頓挫したままに 回を乞うご期待です。 (オヤジの会 なっている」と話されました。この事については 世話人 橋口正人) 長野地区でも同様な話が紹介されました。「その 時の主任司祭の意向があっても7~8年で司祭 の異動なのでその計画が実行されにくい」 横浜教区宣教司牧評議会主催 この横浜教区の地区割については、鈴木神父様 第3回横浜教区懇談会に参加して から「第5地区には信徒数の多い教会が3つ、少 ない教会が3つあるが、地区で何かをやりましょ 7月9日(土)13 時から10日(日)12 時半 軽井沢修道院 うと言っても自分の教会だけで手一杯と言う感 で開かれた懇談会に第7地区より大和教会の長 じです。」と言う話がでました。そして、 「第3地 澤主任司祭、信徒会長八鍬さん、厚木教会の第7 区の現状は非常に評価できるのではないかと思 地区担当成田さんと広報委員竹内の4名が参加 う。」と話されました。 まで御聖体の宣教クララ修道会 しました。梅村司教はじめ、総勢59名(司祭 司祭の交代でいろいろな活動が実行されにく 18名、修道者7名、信徒34名)が集まりまし いと言う事について、厚木教会は現主任司祭の前 た。 任地の地区の情報を頂き、茅ヶ崎教会(第6地区) 司教様より、今年度の評議委員の紹 の高橋さんを招いて講演会を開き路 介があり、引き続き8グループに分かれ、 上生活者の支援に乗り出した事を紹 自己紹介(好きな聖書の言葉などを話 介しました。丁度茅ヶ崎教会の福祉 す)、それぞれの教会の3つの部門「祈 委員が同席されていましたので、皆 る力を育てる」 「信仰を伝える力を育て さんに紹介しやすかったです。地区 る」 「神の愛を証しする力」などについ を越えて小教区同士の関わりの大切 て約2時間半に亘って意見交換をしま さを強調しました。その情報交換と した。 しては、各小教区の広報誌やホーム 私のグループは、藤沢教会の鈴木主任司祭、静 ページの活用を勧めました。この広 岡県志多・榛原教会の高橋司祭、長野、静岡鷺宮、 報誌の配布方法も各教会様々でした。しかし、全 保土ヶ谷、茅ヶ崎教会の信徒7名でした。 員がこの広報誌は「信仰を伝える力」に役立って 保土ヶ谷教会は同じ第3地区の末吉教会建て いるという見解では一致しました。特に、頻繁に 替えの資金捻出の為、第3地区合同のバザーを行 教会に来られない人にとっては、自分の教会の様 7 子が良く分かり、広報誌を読む事で連帯感を深め させられました。 るとの意見もでました。2,3の教会では各自の カトリック教会では、イエス・キリストによ トレーなどに広報誌を入れ、何ヶ月か入れっぱな る掟と勧めだけでなく、法律などの現実社会の しの方には、郵送や手渡しする活動グループ「愛 権威をも、尊重するように教えられています。 の証しする」があるそうです。 しかしながら、キリストの福音(掟と勧め)と人 間社会の法律とでは、土台が、神の愛と、権威 さて、8月28日は厚木教会で初めての「集会 者による強制とで異なり、矛盾するところもあ 祭儀」が行われますが「長野北信地区の教会は月 ります。例えば、無償の愛と著作権による使用 2回「集会祭儀」ですが、その時は参加する人が 料の徴収や、迫害する人へ祝福をすることと、 減少する事が問題だ」と話されていました。 法律に基づく訴えに対して法律による自己防衛 夕食前の時間を利用して古くから顔見知りの をすることなどがあります。 司祭達4、5人と、今回の東日本大震災に対する インターネットの世界は、大変便利で生活に 教区の対応についても話をいたしましたが、それ 必需となりつつありますが、まだ十分に整備さ ぞれの小教区が、各自の情報を駆使し、援助活動 れていなくて、危険に満ちています。そこで、 を行っている事を確認しました。 立法機関や行政機関による法律が検討されてい 翌日の梅村司教様の講話では、カトリック学校 ますが、法律の網をくぐり抜けているホームペ の今日の社会に於ける役目の大切さを強調され ージがあります。また、法律のことを知らずに ました。全体会では、特に長野の方が、人数が少 、著作権を無意識のうちに侵害している人もい ない長野でこの懇談会の開催がなにより嬉しい るようです。 と話された事が、印象的でした。 (広報部 このように、理想と現実、利便性と正しさの 竹内) 中で、カトリック教会は、ホームページを制作 していかなければならないというのが、セミナ ーに出席して、私が実感したことです。創造力 のある人は、現実の法律などに疎く、法律に詳 SIGNIS JAPAN インターネットセミナーに しい人はクリエイティブな人を抑圧しがちなの 出席して が、世の常であります。ですから、厚木教会の ホームページは、ホームページ関係者だけでは 8 月 6 日、東京にある、幼きイエス会 ニコラ なく、全ての人の意見の良い所を尊重していく ・バレ修道院で、TBS テレビの植井理行(うえい ことが、より良いインターネット宣教につなが まさゆき)さんによる、著作権についてのセミナ っていくのだと思います。 (元 HP 委員会メンバー ーが開催されました。厚木教会からは、ホーム 松田) ページ委員会の 2 名が出席しました。 SIGNIS とは、放送・映画・視聴覚メディア・ 松田さんは8月中に HP 委員会を退会されまし インターネット等のメディアを使って、キリス た。委員会メンバーとして活動中は積極的に具 トのよい知らせ(福音)を広めたいと望んで、活 申され、例えば、厚木教会ホームページのトッ 動しているカトリックの司祭、修道者、信徒、 プページ聖堂写真下の「今日の聖書朗読」からパ 求道者の団体です。 ウロ女子修道会 Web サイトの主日の聖書朗読解 説のページにリンクを張る事を提案され、福音 植井さんはテレビ局の方とあって、分かりや の発信に寄与されたことに感謝しております。 すく、具体的なお話を聴かせていただきました (HP 委員会) 。現実の世界の生々しさと法律の難しさも実感 8 2.厚木教会 HP 運営規約 厚木教会ホームページに関わる 運営規約と運営・体制 (1) 公開内容の基準は小教区 HP 規約と同内容。 (2) 管理運営: 教会委員会は主任司祭の承認のもと広報部内 に HP 担当部門を設置し、HP 委員を任命する。 この度、横浜司教区より小教区ホームページに HP 委員は複数人とし、少なくとも HP 作成担当 関する規約が施行(2011.04.1)され、広報部に属 者とチェックする HP 管理担当者をおき、兼任は する厚木教会ホームページ(HP)委員会は、この できないものとし、その任命権と罷免権は教会 規約で求められたことを遵守するため、“厚木教 委員会が持つ。HP 担当部門は、「厚木教会 HP 委 会ホームページ(HP と略称)運営規約”と“HP 員会」を正式名称とする。 (通称 HP 委員会) 委員会の運営と体制”を作成し、9 月度の教会委 HP の内容更新にあたっては、同サイト内に必 員会に諮りました。そして 10 月度の教会委員会 ず更新履歴を記載すること。公開にあたっては、 で承認されました。以下に骨子を記します。 HP 作成担当者は、HP 管理担当者、HP 委員会、 主任司祭に内容を事前に通知・確認し、承認を 1.横浜司教区における小教区ホームページ規約 受けた上で公開すること。 (1)目的:インターネットを利用して「宣べ伝 禁止事項については、小教区 HP 規約とほぼ同 える」ことは時宣にかなっているが、時には一 内容。 方的な他者への誹謗・中傷・権利の侵害など、 個人情報(プライバシー)保護について、小 犯罪と判断されるような悪用が行われている 教区 HP 規約とほぼ同内容。特に写真や、動画を 事実もあり、このようなことを未然に防止する HP に掲載する際には厳重に注意し、原則として ために横浜教区内の各小教区の HP の運営規約 人物を正面から撮った被写体の個人、団体名に を定め、規約条項を遵守するよう義務付ける。 は了解を得ると共に、掲載前に HP 委員会にて確 認、協議した上で掲載を決定する。 (2)総則:公開内容の基準として、教会紹介、 活動内容など、宣教・司牧に関連する内容のみ 3.HP 委員会の運営と体制 を公開。公開内容の基準に反した場合、警告及 (1) 運営:HP 委員会は、厚木教会 HP 運営規約 び利用停止を求め、その HP を削除する。 に定められた条項に基き、厚木教会 HP を 運営する。 (3)管理運営:管理運営の体制として、教会委 (2) 体制: 員会は主任司祭の承認のもと HP 担当部門を設 HP 委員:三上隆達(18CM)、上田啓二(40CM)、 置し、HP 委員を任命する。HP 委員は少なくとも 橋口正人(10CM)、植木貞一(10CM) 、 HP 作成担当者と HP 管理担当者をおき、兼任は 山口 できない。更新した内容の公開に当っては、HP (11CM)、牧村浩明(13CM) 、 山内寛勝(32CM) 作成担当者は主任司祭、HP 管理担当者に内容の 担当者: 確認、承認を受けた上で公開すること。 HP 作成担当者:山内寛勝 HP 管理担当者:橋口正人 禁止事項として、他人の著作権、その他の権 (3) 任期:HP 委員および担当者の任期は、原 利を侵害する行為、公序良俗に反する行為、法 則として 1 年とし、期間は厚木教会の年度 令に違反する行為。 初日から年度末日までとする。但し、再任 個人情報(プライバシー)に関する法令およ を妨げない。 びその他の規範を遵守し、個人情報の保護に万 (HP 委員会 全を尽くす。 9 山内) 1. リマの“奇跡の主”の行列 奴隷貿易業者が原因で、かなりの割合を占める ラテンアメリカの人々の特別な信心 こうした移住者は、西アフリカの大西洋岸から来 ていました。人々は出身地によって分類されてい て、それらはコンゴ、マンテガス、カンバドス、 一般的に、移住者は自分の国から出るときには ミサンガス、モザンビク、テラノバス、ミナス、 自らの習慣や伝統を移住先の国でも行うように アンゴラなどでした。 し、それらから離れることはできません。そのた アンゴラ人は集団を作って、様々な像や聖人を め、彼らは移住先の国でも自らの習慣や伝統を保 拝んでいました。こうした礼拝行為はアンゴラ人 つようにし、お祝い事や特別な信心を自分の国に に自由を思い出させ、母国語で昔の歌の数々を、 いるように盛大に祝ったりします。 アンゴラを想い出しながら歌っていました。彼ら 色々な国々で行われているいくつかの特別な 信心を挙げてみると、さまざまなものがあります。 アルゼンチンではルハンのマリア様、メキシコで は病人の面倒をみたり、なにがしかの会費によっ て、それなりの埋葬ができるよう、お世話をして いました。 はグアダルペのマリア様、コロンビアではディビ ノニニョ、ブラジルではアパレシダのマリア様、 ボリビアではコパカバーナのマリア様、ペルーで 2. 組合講 1650 年、アンゴラの黒人達は組合 を結成し、リマ郊外のパチャカミージャ地区に本 は奇跡の主の行列などがあります。 部を設けました。組合本部のアドベ(日干しれん ベネディクト16世教皇は『これらの特別な信 が)壁に、1人のアンゴラ人が十字架のキリスト 心を通して信仰が感覚、感情、習慣の一部として 人々の心に入っているので、信心深さと献身は、 教会の偉大な遺産である』とおっしゃいました。 10 月になるとペルーからラテンアメリカや世 像を彫り上げました。 3. 地震 1655 年 2 月 13 日午後 2 時 45 分、 リマ、カジャオを大地震が襲い、教会や豪邸、造 界各国に広がっていった特別な信心が行われま りのやわな住宅が倒壊し、数千人が亡くなりまし す。それは“奇跡の主”と呼ばれる信心です。日 た。組合本部の壁も倒れましたが、そこで奇跡が 本でもこの特別な信心は行われており、キリスト 起こりました。キリスト像が刻まれた、か弱い壁 像の絵が描かれた神輿を担いでキリストの受難 が無傷で残ったのです。アンゴラ人はキリスト像 曲を流して行進されます。 が刻まれた壁をそっくりそのまま残して、よそへ “奇跡の主”の行列は神戸、大阪、枚方、名古屋、 引っ越してゆきました。 浜松、掛川、神奈川、三重、埼玉、沖縄で行われ ています。 4. “奇跡の主”への崇敬の始まり それから 15 年後、サンセバスティアン小教区のある人が壁 に残されたキリスト像を見つけ、拝み始めました。 “奇跡の主”の歴史についてもっと詳しく知りま まず壊れた小聖堂を建て直しましたが、パチャカ しょう。 ミージャのキリスト、あるいは“奇跡の主”への 17世紀中頃、ペルーのリマ市の人口は 35,000 礼拝が始まったのはそれ以来のことです。信者達 人で、景気のよさ、豊かさに引かれて来た沢山の は黒人が殆どでした。当時は金曜日の夜にローソ 人達で増え続けていました。 クの光の下で集会が始まり、参会者が花を持ち寄 り、香が炊かれて匂いがたちこめ、ハープ、太鼓、 そしてギター風のビウエラなどの伴奏で連祷の 10 祈りが皆で唱えられました。時が経つにつれて、 歩くことにしました。以来、毎年 10 月 18、19 両 巡礼に訪れる人の数が増えていきました。 日に行列が行われるようになりました。 7. 紫の月 長年のうちにこの信心が広まって そのうち、宗教的な慣わしとは違った様子が 度々出てきたため、教会当局が介入せざるをえず、 行き、リマを中心にペルー全土で、信心深い人達 その結果集会は禁止され、パチャカミージャのキ は紫の修道服に白い紐を締めた姿で 10 月ひと月 リスト像を取り払う命令が下されました。命令は を過ごすようになりました。 8. リマにて 10 月、行列が繰り出す度に、今 大司教審問検事が定めた特別委員会によって、 1671 年 9 月 6 日から 13 日間で実行されました。 では 100 万人を超す信者がリマ市内を練り歩く行 特別委員会の構成は司法書士、インディオの素人 列に加わります。世界中でもっとも多くの信者が 画描き、総督護衛のカピタン・ぺドロ・バルカソ 参加する行列の一つとされています。 ス、それに万一小聖堂を取り巻く野次馬や近所の 9. 外国での行列 人達が騒ぎになった時に備えた、2個分隊の兵士 ペルー人が外国へ移住す ると同時に、落ち着き先の多くの都市で 10 月に 達などでした。 信心の行列が行われています。世界数十の都市で インディオ画描きは梯子(はしご)を登ってい ると、急に寒けとふるえが始まり、手 行列が行われ、世界的にも認められ 当てが必要になりました。もう一度仕 るようになり、多くの国では様々な 事を続けようと登りましたが、同じ目 地方自治体の後援を得て行われてい に遭い、そそくさと梯子を降り、務め ます。そのうちの主なものは、アス を果たせずに驚いてその場から逃げま ンシオン、バルセロナ、ボゴタ、ブ した。次に、とても勇敢な兵士が梯子 カレスト、ブエノスアイレス、シカ を登りましたが、たちまち降りてきま ゴ、クエンカ、カイロ、ストックホ した。その兵隊の話では、キリスト像 ルム、フィラデルフィア、フリブル の前に行くと、茨のとげがある冠が緑色に変わり、 グ、ジェノヴァ、ジュネーブ、イキーケ、マドリ キリスト像がなんとも見事に美しく見えたと言 ード、ミラノ、ニュージャージー、ニューヨーク、 うのでした。 パリ、ペンシルヴァニア、ランス、ローマ、サン テイアゴ、ワシントン、チューリッヒなどです。 キリスト像を取り払えという教会の命令に対 2003 年 10 月 26 日、聖ペトロ広場でヨハネ・パ して、人々から反対する声が大きく上がり始めま した。総督はこの成り行きを見て命令を取り下げ、 ウロⅡ世教皇が“奇跡の主”の信者達を祝福しま キリスト像を崇めるために、人々が集まることを した。お告げの祈りの終わり頃、褐色のキリスト 許可しました。 像を頂いて到着したパチャカミージャの信者た ちに、教皇は特別の祝福を与えたのです。教皇は 5. 最初のミサ 1671 年 9 月 14 日、丁度、十字 広場参会衆の中の「“我らと共に”ラテンアメリ 架への賛美の日に最初のミサが捧げられました。 カ・センター」と「ローマ・奇跡の主信心会」の それ以来、奇跡の、あるいは驚嘆のキリスト像と 4000 人にスペイン語で挨拶を送りました。 呼ばれるようになりました。 4000 人はお告げの祈りを教会の指導者、教皇に献 6. 津波 1687 年 10 月 14 日、津波がカジャオ げるために広場に来たのでした。信者達は自分達 近辺を襲い、キリストに献げられた聖堂は崩れ落 と共にあった、褐色のキリストを掲げて広場にや ちましたが、十字架のキリスト像の壁は、すっく って来たのでした。 と建っていました。そのため油絵の模写画を制作 (ラテンアメリカ委員) し、それを掲げてパチャカミージャの道々を練り 11 <寄稿> 愚痴一つもらさず、 「これも自分を試す健康の為」 激痛の中でロザリオの祈り と、その主人を早く元気になって助けなければと 祈りが楽しみになる。 30CM 柏木喜美恵 5 月頃に入手した寄稿ですが、紙面スペースの関 係で前号に掲載できなかったことをお詫びいた ロザリオの祈りに暮るる弥生かな します。(広報部) 強震の歩行器たよりの春の空 布団かぶりじっと揺れ待つ春の闇 この国難何をなすべき春の寒ム 被災地へこもごも花のひそと散る 強風に花をちこちの鎮魂歌 異動情報 (2011.7.1~2011.9.30) 心そぞろ舞ひゆく花の空の果て 鯉幟り花吹雪浴び舞ひに舞ふ 敬称略 ぼけ一輪恥らふ乙女の姿して(丹精の盆栽) この痛み神の恵みと春灯す(ともす) 教会事務へのお届出時に掲載を希望されない方 伏す身にも神共にいます復活祭 の情報は割愛しています。 4ヶ月間の「腰椎滑り症」の激痛に悩まされて 個人情報のため削除 のどん底生活に、あせり、悲しみ、もだえての痛 み止めと血流をよくする薬を飲み続けての日々、 5分と立っていられない 痛みとの闘いに・・・重 ねての国難とも思えるこ の東北地震の天災に只々 打ちのめされ、人生観の 変わる悩ましい刻を・・・ 編集後記 立っていられない激震に主人共々逃げられない 悲しさ、痛みを抑えて倒れそうな物を片付け、胸 東日本大震災から7ヶ月が経ちました。教会は の鼓動を押さえての連続の日々。そんなとき私を 一日も早い復興の為にミサの中で祈り続けてい 救ってくれたロザリオの祈りと俳句は生きる力 ます。 を与えてくれた。ただ祈りに祈り。句作りに。 さて3ヶ月の休暇を過ごされたブランチ神父様 自分を見つめ考える不思議な静けさの中、今まで が元気でお帰りになりました。 の自分の見栄っ張りで、思いやり、感謝、謙虚さ その間大和教会の田村神父様には、大変お世話に の無かったこと、当たり前に動けた生活の如何に なりました。 幸せだったかに気が付きこの痛みは、今は神の恵 本号の巻頭記事も書いて頂きました。 みと感謝がこみ上げ、ロザリオを握りしめた。脊 また、ラテンアメリカ・グループより信心につい 髄狭窄症で両足のしびれを押して食事を部屋ま て寄稿して頂きました。 で運んでくれた夫の後ろ姿が涙でかすむ。早くも (広報部 との健康体に戻りたい。そして私より辛い日々を 12 竹内 松本 植木 鈴木(正) )
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