ある主日のミサ説教より

NO.112/ 2010.7 月号
カトリック厚木教会
〒243-0014 神奈川県厚木市 旭町 2-7-11
TEL.046-228-4164
FAX.046-228-4150
ある主日のミサ説教より
口に筆をくわえて花の絵と詩を書くようにな
りました。彼はプロテスタントの信者です。
5 月 23 日聖霊降臨の主日のミサで伊藤幸史
その本の中にエッセイとして書かれていた
神父様(東京教区・日本カトリック神学院養成
事です。子供の頃、夏のある日に近くの渡良瀬
担当)は大変心に残る説教をされました。以下
川に川遊びに行ったときのことです。はじめは
にその概要を記します。
浅瀬で遊んでいましたが、気がついたら深みに
はまっていました。元いた浅いところに戻ろう
皆さん、子供の
としましたが、河の流れが速く、しかも河の流
頃砂鉄遊びをした
れに逆らって戻ろうとしたので思うように戻
ことがあるでしょ
れません。そうこうする内に水を飲み気が薄れ
う。
てきました。そんな時、水の流れに委ねたら岸
磁石を動かすと
に着けるのではないかと思いつき、水の流れに
砂鉄が磁石の動き
身を委ねながら、ゆっくりと泳いでいましたら
にあわせて動きます。磁石を外したらただの鉄
岸に着くことができました。
くずになってしまう。紙の下にある磁石は見え
ないように、私たちも見えない父である神によ
彼は事故によって元のように体が機能しな
り支えられているのです
くなってしまいましたが、そのことを悔やむの
砂鉄同士は目に見えない磁力によって、生か
ではなく、人生の流れの中に身を委ねて、自分
されつながっており、N 極から出て S 極に向か
のできることをすればいいのだと気付きまし
う磁力線の流れの中でつながっています。私た
た。そこから新しい人生が始まり、神様を信頼
ちは自分の力で生きていると考えてしまいま
し自分のできることをやろうと悟られたそう
すが、目に見えない御父により支えられている
です。
から、生きていられるのです。私たちは、御父
人生の流れの中で自分が変えられて、できな
により生かされ、聖霊によって生かされ、結び
いことを悔やむのではなく、人生の流れに身を
ついているのです。
任せて自分のできることをすることにより、心
磁石には磁力線の流れがあり、聖霊も愛から
の安らぎと平安を得られるのでしょう。
出て愛に戻る磁石に例えられます。
聖霊の導きに委ね、愛に導かれ、肩の力を抜
いて人生の流れの中に身を委ねましょう。
ずいぶん前に星野富広さんの本を読んだこ
(HP 委員会
とがありますが、彼は今60代半ばでしょう。
かって彼は中学校の体育教師をされていま
したが、事故により首から下が動かなくなり、
1
山内)
2010 年度ヨハネ祭バザー開催
5 月 30 日(日)
「今助けを求めている人、災
害に苦しむ人に、やさしさを届けよう!」をキ
ャッチフレーズに、バザーが行われました。
その時の様子を、写真と声でお伝えします。
なお
△ 印は担当の方、〇印はお客様の声です。
カレーライス 42 ・50CM
△去年売れ行きがよかったので、負けずに頑
張ってやっています。
〇家庭の味でおいしいですよ。
冷やしうどん 71・72CM
△少し気温が低いので、出だしは今ひとつで
す。
〇だし汁がおいしくて、薬味の種類が多いの
もいいですね。
献品(リサイクル含む)12・13CM
△少し値段を下げるとすぐ売れるの。今の
喫茶 10・11CM
世の中が反映されてるわね。
△ 巻き寿司に
比べて、
風の会
ちらし寿司
△食べ物の方がよく売れましたね。
の方が見た
目がきれい
あおぞら保育園
なためか、
△手作り品の方がよく売れました。
売れ行きは
好調です。
「ぶどうの実の会」
〇甘味を抑えた
△「花」NPO 法人の支援金にするので、
「まけ
ケーキがコ
て」と言われると困りましたね。
ーヒーにぴったりで、おいしいです。
フィリピン・アフリカ支援
フランクフルト 18・19CM
△フィリピンの方から、逆に「ありがとう」
△隣(フィリピン料理)が強豪だからねえ。
という言葉をいただきました。
焼きそばおやじの会
病院ボランティア会(ランパス)
△今のところ、ちょっと売れ行きが・・・
△PRができて良かったです。
ビールおやじの会
△12 時前には完売しましたよ。
2
バザー券・食券 14・16CM
ぬいぐるみ・雑貨など教会学校
△ぬいぐるみは 10 円で 3 個と安いので、わ
△完売しました。ありがとうございました。
りとよく売れました。
1 等賞は誰に?
ミサワイン福祉部
△赤ワインの方が先に売り切れましたね。
設営・撤収 30・31・32・40CM
修道院ワイン典礼部
△多治見ワインは有名で、あっという間に売
△串の捨て方が少しずつ定着してきてよか
れたから、来年はもっと増やした方がいい。
った。
コムウェル(葬儀屋さん)
△ 花 100 鉢全部寄付していただいたので、
全額収益で助かりました。
実行委員会
△当日のハプニングを受け入れ、対処してい
ただき、無事終えることができました。
ベトナム料理
収益金(注:金額は削除しました)は下記のと
△12 時前には完売しましたよ。
ころに寄付を致しました。
(教会委員)
*高橋様(茅ケ崎教会)を通し、<献品で余っ
フィリピン料理
たお米も含め>路上生活者へ
△品によって売れるのと売れないものが・・・
*バーク神父様(戸塚教会)を中心に、関内の
路上生活者へ
ブラジル料理
*Sr.ロザリオ(スピノラ会)を通し、外国籍で
△場所(駐車場端)のせいか、売れ行きは
問題を抱えていらっしゃる方々へ
今はまだ去年の半分くらい。
*Sr.マルシア(メルセス会)を通し、ミンダナ
雑貨ペルー(ラテンアメリカ系)
オ島(フィリピン)の貧しい方、病気の方へ
△ 教会のチャリティに使って下さい。
皆さま、ご協力ありがとうございました。
(広報部
3
松本)
により、美しいハーモニーが流れました。
犬の散歩でいらしていたご夫婦が足を止めて聞
第七地区国際交流のつどい
いていました。
そして、大和教会のフィリピンの方たちの合唱。
この時も、みなリズムに合わせて、ダンシングチ
6月13日(日曜日)厚木市にあります「防災
の丘公園
ームよろしく、踊っていました。
四季の広場」で第七地区(横浜教区の
パラグアイの女性によるダンス(ソロ)が披露さ
相模原、大和、津久井、厚木教会)の国際交流の
つどいが開かれ、参加者は200名ぐらいでした。
関東地方は梅雨に入りお天気が心配されまし
れました。
そして、最後はゲームを終えて戻ってきた子供
たちと大人が一緒に、ジェンカとオクラホマミキ
たが、15時半の閉会まで、時々太陽が顔を出し、
サのフオークダンスを踊りました。
木々が風に揺れ、気持ちの良いひとときを過ごす
事ができました。それぞれ、持参のお弁当を頂き、
13時からの開会を待ちました。
厚木教会の松永宣教部長の司会、成田委員長の
開会の挨拶。そして、浜崎眞実神父様(相模原教会)
「今日、聖霊の働きによって集められた事に感謝
します。自分らしく、この時をすごして欲しい。」
ブランチ神父様「ここに、集まった全ての人と天
気に感謝します。」
長澤幸男神父様「ようこそ、いらっしゃいまし
みんな笑顔、笑顔の楽しい時間を過ごす事ができ
た。」のご挨拶がありました。
ました。
教会学校のこどもたちは大和教会のリーダー
最後に「アーメンハレルヤ」の大合唱、長澤幸
を先頭に、ゲームなどに興じていました。
男神父様のお祈りで閉会しました。
広場のステージ(常設)では、先ずペルーの方
夜勤を終えて駆けつけて下さったペルーの方、
たちによる、民族楽器の演奏が始まりました。み
シスターロザリオ、オバラ・イダさん、など皆さ
なさん、思わず立ち上がり、リズムに合わせて手
んありがとうございました。
拍子を叩いたり、空に向かって手を上げたりと、
当初、この集まりでごミサを行う事を多くの人
普段見ることのない光景でした。
が願っていましたが、厚木教会の役員の話合いで、
ミサを行わない方向になりました。
この件に関して、成田委員長は厚木市役所に何度
も足を運ばれ、公共の場所での宗教行為の是非を
確認してくださいました。
次回、もしこのような会を開催する機会があれば、
より多くの方たちが、参加される事をお勧めいた
します。その時はミサを行う事が出来るので
は・・・と思います。
次は厚木教会の聖歌隊による合唱。濱部氏の指揮
4
(広報部
竹内)
平岡 美月、鶴 寛美
の 7 名のお子さんでした。
初聖体おめでとうございます
初聖体を迎えられたお子様の感想を以下にい
くつかを紹介します。(原文のまま)
4月18日(日)晴天に恵まれた復活節第三主
日に、7名のお子様の初聖体式が、ブランチ神父
*
様の司式によって、執りおこなわれました。
初聖体をいただいた時はドキドキしたけれ
ど、天使が近くに来てくれたような、イイ気持ち
数か月に亘り、”ご聖体”、”赦し”に関し勉強会
がしました。
を通して理解を深められ、待望の初聖体の日を迎
*
えられました。
石川 宙
嬉しくておいしかった。
リハーサルで食べた時のパンとは、違う味がした
モラレス ジュリアン
* 初聖体を受けて、とてもうれしいです。
ばあばも来てくれて良かったです。
今度から侍者をがんばります。
須崎 健
(広報部
”イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに
副委員長・コミュニティ委員
ご自身を現わされた”(ヨハネ21・1)、”イエス
は来て、パンを取って弟子たちに与えられた”
植木)
田中節子さんに
インタビュー
。
神父様は”パンとはイエス様であること”、”心の中
*なり手のない委員になろうとされた理由は?
でイエス様を迎えること”に関し、わかりやすく説
「今まで何度かお話はあったのですが、諸事情で
かれました。
決断できずにいました。他になる方がいらっしゃ
らないことや、ブランチ神父様の入門講座を受け、
初聖体者は、「私たちは今日、初めてご聖体を
いただきます。信仰の恵みによって神様とひとつ
自分やキリストとの出会いを学び『今がこの時』
になれますように。ご聖体の恵みによってイエス
と感じ、引き受けました。」
様とひとつになれますように。」と元気一杯に祈
*どんな教会を目指していらっしゃるのか?
願をされました。
ミサ後記念のメダイを神父様は一人ひとりの
「指導司祭と共に、温かい愛のある、人を思いや
首に掛けられ、イエス様との出会いのしるし、信
る教会です。信者同士の出会いを大切にして、今
仰のしるしとなりますようにと祝福をお与えに
以上に絆を強めていきたいですね。
」
なりました。
*委員になられ、難しいと思われたことは?
最後に神父様は本日の初聖体を迎えたことに
対して、長期に亘り準備指導された関係者各位な
「厚木教会には約 1300 人の信者さんがいらっし
らびに保護者各位へのねぎらいの言葉を述べら
ゃいますが、皆、考えや思いが違いますね。いつ
れました。
も仕える者になりたいと思っていますが、これで
いいのかしらと悩むことでしょうか。」
ミサ後にお祝いのパーティが信徒館で催され
ました。
*厚木教会の良い点、改めていきたい点は?
初聖体を受信された方は、石川 宙、須崎 健、
「温かい人たちがたくさんいらっしゃり、それぞ
モラレス ジュリアン、石川 亮、平岡 明、
5
れがとてもいいものをもっていらっしゃる。でも
銭であったり様々が想定されますがまず、実態を
それが充分活かされていないのが残念に思いま
把握することから始めなければならないと考え
す。」
ました。
*先日のバザーを終えてのご感想は?
幸いにも、ブランチ神父様が担当司祭だった茅ヶ
「引き継ぎも、ままならない中でしたが、信者一
崎教会はその活動に実績があるというお話を神
人ひとりの働きがよく見えましたね。歴代の委員
父様から伺い、その活動の中心者である茅ヶ崎教
の方々に感謝するとともに、重責を強く感じまし
会の高橋さんからお話も伺い、活動の実際も厚木
た。」
教会の 2 名の協力者と共にお手伝いと見学をさせ
*好きな聖句は?
て頂きました。
「神様のたった一つの命令『あなたの隣人をあな
まず茅ヶ崎教会からボランティアメンバーが用
た自身のように愛しなさい(マルコ 12 章)』です。
」
意して置いたおにぎりとバナナを携えて、高橋さ
*最後に、信者の皆様へ、メッセージを
ん始め茅ヶ崎教会信徒の方々、かつて路上生活者
「立ち止まって、おしゃべりしてください。ある
であった方などで、夜 7 時過ぎに小雨降る茅ヶ崎
神父様がおっしゃっていた、誰でも受け入れる
駅方面に向かいました。始めは、想像することが
『茶の間』の雰囲気を一緒に作っていきましょ
出来ないことによる緊張と不安がありましたが、
う。」
恐る恐る思い切って出した「今晩は!」の挨拶に
(広報部
「今晩は!」と返してくれたその声に一瞬で「こ
松本)
の人達も私達と同じなんだ。」という当たり前の
単純なことに気づかされました。
福祉部活動報告
-知ることから-
このことから、
「隣人愛」を叫ぶ私達に貧しい人々
の力となろうとする気がなかなか起きないのは、
予測が出来ないことによる不安が原因ではない
かと云う事に思い至りました。
厚木教会福祉部はこれまで特別養護老人ホー
このときに感じた熱い思いを厚木教会の皆様と
ム「中心荘」で毎月 1 回の清掃ボランティア、児
分かち合いたく、高橋さんにお願いして、7 月 4
童養護施設「成光学園」に雑巾提供、知的障がい
日第二ミサ後に厚木教会でお話して頂くことに
者厚生施設「紅梅学園」の行事協力、路上生活者
なった次第です。
支援組織「山友会」等への衣類提供などを行って
まいりました。しかしながら、それらは福祉部員
今回の茅ヶ崎教会高橋さんのお話を聞かれた
の活動であった為、直接信徒の方々の目に触れる
信徒の皆様の心に小さくても変化が起こったな
ことのないものであった結果、「福祉活動」とい
ら、貧しい人々の叫びに答える初めの一歩を踏み
うものに距離感が生まれてしまっているのでは
出す準備ができたことになるのではないでしょ
と危惧の念を抱くようになってまいりました。
うか。
最後に、このことは単なる福祉部の活動で納ま
イエスキリストの教えで最も大切なものは「隣
るものでは無く、信徒の方々一人ひとりの祈りと
人愛」という事だという意見に異論は無いものと
働きが無ければ決して成しえない事だとの思い
思われますが、このことをもっと深く心に留め、
を強くしています。
活動の場を一歩踏み出しこの一年を、隣人の一人
「主よ、あなたの手足として、貧しい人に仕える
である路上生活者にどのような形でなら援助で
心をお与えください。」
きるかを考えていこうとすることにしました。そ
(福祉部 西山)
の方法は、人的であったり、物資であったり、金
6
とめる役に。しかし、民主的に活動する私に反対す
る人たちの抵抗にあい、組合を去ることになりまし
あかしの会
た。32 年勤めたその会社でリストラにあい、職を
失った時は失望のどん底でした。しかしマリア様の
5月 25 日(日)にあかしの会が行われました。
祈りから委ねることを知り、平安の気持ちになった
これは宣教部主催の試みとして、ミサ後、
時、不思議にも上海(シャンハイ)での仕事が見つ
自由に語り合う場の1つとして考えられたもので
かりました。
す。今回は「教会外でどのように信仰を伝えてい
るか」をテーマに、教会委員長である成田さんに
上海でも現地日本人職員から、命を脅かされるほ
お話いただき、その後グループになり、自由に語
どの嫌がらせがありました。しかし中国人とは通訳
り合う形式で進められました。
を介し、良い関係を築くことができ、どんな人たち
約1時間の成田さんのお話を簡単にまとめまし
も『受け入れる』ことの大切さを実感しました。当
たので、ご紹介します。なお、ご本人には了解を
時、中国人を下に見る日本人職員が多くいましたか
頂きました。
ら。
日本に戻り工場長になってからは、自らが率先し
8人兄弟の長男として仏教徒の家族の中、函館
てトイレ掃除をするなど、彼らに『仕える』ように
で育ちました。16 才で父を亡くした後、長男とし
努めました。どんな人の中にもイエスがいるのです
てしっかりして欲しいと願った母の「(たまたま
から。
近くにあった)教会にでも行ったら・・・」の言
葉が教会との出会いの始まりです。
今後も、ヨハネ 17 章 21~26 節の言
葉『みんなが一つになるように』がイ
そこで洗礼を受け、ジョック(カト
エスの遺言であり、また
リック青年労働者連盟)に入り、廃品
・自分から先に愛する
回収していた貧しい青年達のために、
・自分と同じように相手を愛する
木材を集め「少年の家」を建てる活動などをしまし
・相手の中のイエスを愛する
た。その後ジョックからの勧誘があり、仕事を辞め、
本部のある東京へ。母の反対などありましたが「私
をモットーに、毎瞬間を生きるように努めていきた
いと思っています。
の名のために父母を捨てる者はすべて、永遠のいの
(成田
ちを受け継ぐ(マタイ 19 章)」この言葉に従い、
母には送金をするという条件付きで決意しました。
母への送金は約 45 年間、今も続けています。
正一)
自分の過去を話すことは勇気が必要で、それを
快くしてくださった成田さんに脱帽です。どんな
人にも同じように温かく接していらっしゃる成
韓国でのオペレッタ公演、新聞の編集や販売など
田さんの姿は、このような歴史があってのことと、
ジョックの仕事をしながら、会社勤めを東京で始め
その後の語り合いで感想が出ました。また、奥様
ました。そこでは、寮の部屋を荒されるなど、年下
の協力と理解があってこそとも思います。
の人たちの嫌がらせにあいましたが、なるべく一緒
参加者は約 20 人と少なかったのですが、話を聞
に行動することを心がけました。山にも一緒に登っ
いた方々は、感動と満足感でいっぱいだったこと
たりしているうちに、少しずつ距離が狭まり、つい
でしょう。
には、
「おとう(父)」と呼ばれるまでになりました。
その後友人の誘いで別会社に入り、労働者を守ろ
うと組合を立ち上げ、結果約 700 人の組合員をま
7
(広報部
松本)
病院ボランティア会
(ランパス)
グループ活動紹介
私たちの回りには、「病」への不安や戸惑い、
風の会便り
悲しみなどを何処にも向けられず、一人で苦しん
でいらっしゃる方がいます。
梅雨の晴れ間の一日、「風の会」は手すき葉書
そのような方々が、少しでも平穏な時を過ごせ
作りに忙しくなります。
るよう「ともしび」となってお手伝いしていただ
藤棚の下に網戸を出し(網戸をきれいに洗って
けるボランテアを募っています。活動場所は七沢
くださっている方に感謝して)手すきの葉書を一
リハビリステーション病院脳血管センターです。
枚ずつ並べ、乾燥させます。
毎週木曜日の3時頃から1時間~1時間30
さらに、5日くらい室内で乾燥させます。そし
分、手押しワゴン(ブックラック)に本を載せて
て300枚程出来上がった葉書は、先ず暑中お見
病棟に本の貸し出しを行っています。
舞いとして使います。
ご入院中の患者さんを始め職員の方も楽しみに
宛先は厚木教会に関わって下さいました神父
していてくださいます。
様、シスター始め、ご病気などの為、教会に来ら
活字の比較的大きい本、単行本、マンガ本、旅
れない方、そしてまだまだお元気で充実した生活
行雑誌地図、絵本、絵画関係の本、写真集、料理
を送っているけれど各パーツが軋み始める 70 歳
本、詩画集等の寄付をお願いいたします。
以上の方々、そして、教会には全く関わりのない
重い本や、古い本、汚れていたり、破れた本は避
方たちにも送っています。その中には、熱心な仏
けてください。
教徒と言われている方もおられます。
連絡先は厚木教会内、蜅沢英子
この他、イースターカードを葉書で、バースデ
益田悦子
ーカードとクリスマスカードを封書にて送らせ
高橋悦子
入江千鶴子
鈴木みち子
副田栄子ま
でお願いいたします。
ていただき、その数は年間600通ほどになりま
ランパスとはラテン語で「ともしび」を表してい
す。
ます。
巷では豪華なカードも売られていますが、自慢
できる出来栄えではありませんが、唯一、主にご
協力をお願いして全て手作り、手描きに「愛」を
込めて贈らせていただいています。
家庭集会
報告
もし、貴方の身近に「風の便り」を望まれる方
がいらしたら、風の会のトレイにその旨を書いて
お入れ下さい。喜んで、お送りします。また連絡
10 コミュニティ
事項等あれば同トレイにお入れ下さい。
4 月 25 日
最後に、紙面をお借りして、「風の会」への励
(
小林さん宅
厚木地区
)
参加者 11 名
お天気にも恵まれ、神父様はじめ皆様、お忙し
ましのお便りやバザーの時のご協力、切手の援助
等を心から感謝しております。
い中参加頂き、集会の時をもつことができました。
会員一同
最初に神父様よりこれからの教会行事につ
いてのお話。また、隔週津久井教会の方へ行っ
ていらっしゃるので、病人の方、教会内の気付
かれた事などあれば知らせてほしいとのこと
8
でした。
必要、国際ミサに、日本人も積極的に参加したり、
・ホームレス問題として人の存在を無視できな
お互いの国の料理を学びあったりして交流した
らいいのではないかと、アイディアがでました。
いので、開かれた教会としてできる事を考えて
他にもいろいろな話がでて、家庭集会はとても有
いきたい。
意義な時間となりました。
・集会は、信者同士の関り合いをもち、運営の
雨の中、本当にありがとうございました。
ため意見を出す場になればよいのでは。
(世話人
益田悦子)
・冠婚葬祭の手引を作ってほしい。
・最近の新聞記事(アイルランド)について
祈りの島を旅する
ともに歩こう
in
五島
2007 年 2 月 12 日、125 年の歴史ある江袋教会
が漏電のため焼失し、厚木教会の共同体として
2007年と2008年のバザーの収益金から献金。また、
2007年のクリスマス献金の一部も江袋教会のた
めにと長崎大司教区にお送り頂きました。また個
皆様と、お互いに心強い仲間ということを再
人でも江袋教会のため、沢山のお祈りと金銭的な
認識した、とてもよい時間だったと感謝する
ご協力を頂きました。
と共に、参加頂いた皆様にお礼を申し上げた
そして、バザーの時、有志の方々による江袋コ
いと思いました。
ーナーを設け頑張ってくださった方々、こうした
(世話人
村井和子)
皆様のご協力のお陰で、思ったより早く復元の運
びとなり2010年5月9日献堂式を迎えることが出
来ました。本当に有難うございました。
16 コミュニティ
5 月 23 日
(
益田さん宅
厚木地区
)
参加者 10 名
そこで献堂の喜びを私たちも一緒に分かち合
いたいとの思いで、五島巡礼を兼ねて献堂した江
あいにくの雨の中、神父様始め、石川さん、丸
袋教会でごミサに与り、教会建設委員長の奥様か
尾さん、赤石さんご夫妻、小島さんの奥様、大谷
ら焼失時のお話を聞くことが出来ました。彼女が
さんも近くに住んでいながら、初めての顔合わせ
畑で仕事をしながら教会の方を見ると、煙が上が
でした。
っていたそうです。急いで教会に行き、中に入ろ
まず、神父様のお話は6月13日「防災の丘、
うとした時、煙が充満して入れなかった事。消防
第七地区国際交流のつどい」の開催準備について
が来るまでに40分もかかり、御聖櫃のイエス様が
の経過報告といろいろご苦労があったお話を伺
気がかりでたまらなかった事。黒こげになってし
い、やはり、4つの教会の交わりと一致が必要だ
まったマリア様を抱いて泣いた事。御心に捧げら
と感じました。
れた教会で、その御心の御像だけが残骸も残って
次に多国籍の方が多くなったこの頃、孤独死が
いないのが不思議な出来事と話されました。今、
あった事をお聞きしました。
江袋の人たちは御心のイエス様が燃え盛る火の
ご参加の皆様から、意識してお話をする努力が
中に飛び込んで教会を守ってくださったと信じ
9
ています、とも話されました。そして皆様のお陰
込まれ一日一回サツマイモー切れの食事にトイ
で復元できたお礼を述べられました。
レもなくそのままの状態で蛆虫がわき、その蛆虫
に腹を食いちぎられて亡くなったこと。その遺体
江袋教会は小さな教会ですが、火災後の調査で
を息子に命令して埋葬させ、しかし掘る道具もな
歴史的にも貴重な教会であることが判明し、焼失
く、やっとの思いで埋葬すると再び臭い牢屋に入
後に新上五島町と長崎県の文化財に指定され、世
らされたこと。5歳になる男の子がパライソ、パ
界遺産の暫定候補の検討も進められているそう
ライソ(天国)といいながら殉教したことなど。そ
です。江袋教会復元の総工費は2億3千万円で貴重
の牢屋で殉教した40余名の石碑に刻まれた言葉
な文化遺産であることから長崎県が50%、町が25%
に強い信仰と証を思い知らされました。
久賀島から奈留島に渡り、2ヶ所の教会を巡り、
の補助を出していて、全国の方々からも5千万円
ほどの献金があったそうです。再建された江袋教
若松島にあるキリシタン洞窟で祈りました。ここ
会は燃え残った柱を削ってそのまま使用したそ
は迫害の時、信徒が隠れていた所で、煮炊きする
うで、丸い柱もだいぶ小さくなっていました。又、
煙によって見つかり迫害を受けたそうです。今で
信徒たちによって常に磨かれていた柱がかさか
も船でしか行くことができない所です。
上五島で22ヶ所の教会を巡り、無人島となって
さと感じられたのは私だけでしょうか。
しまった野崎島にある野首教会まで足を伸ばし
ました。そこは九州鹿500頭がいて人のいなくな
った教会の堂守をしながら、段々畑や教会の周り
の草を食み、きれいに清掃してくれていました。
野首教会をバックに
巡礼一行
明治6年の禁教令が解かれた後、五島の教会は
パリ外国宣教会の神父の指導とフランスよりの
献金、信徒の協力のもとに一斉に建設が始まりま
した。
そうした五島の教会を私達21名は毎日御ミサ
に与り、厳しい迫害の有様を聞き、耐え抜いた祖
先のお陰で今の自分があることを思い感謝しな
がら巡礼しました。
福江島では日本で最初のルルドでミサを捧げ、
五島列島で巡礼に訪れた教会は合計32ケ所。巡
5ヶ所の教会を巡り、久賀島に渡り3ヶ所の教会を
礼の最後に感謝のミサを長崎市の26聖人記念聖
訪ねました。五島崩れと言われる迫害があった牢
堂で捧げました。聖母月でもあり各教会で先唱の
屋の窄記念聖堂でミサ、牢屋の迫害の説明を受け
担当を決めてロザリオをしながらの巡礼でした。
ました。たった12畳の部屋に200人もの人が詰め
どの教会へ行っても17時から地元の信徒がロザ
10
リオを捧げ、各家庭からお花を持ってきて、マリ
色とりどりの沢山のお花が捧げられています。主
ア様の周りはきれいなお花でいっぱいでした。
を賛美し、マリア様を敬う島民信徒の気持ちが湧
冷水教会では丁度、信徒が集まってロザリオと夕
き出るようで、感動せずにはいられません。それ
の祈りが捧げられており一緒に祈ることができ
らの花はすべて信徒の庭から摘んできた様子。
ました。
椿の花柄で聖堂が装飾された明るい感じの教
会やどっしりと荘厳な教会、建立に 10 年もの歳
五島に根付いた信仰を目の当たりにし、自分の
月をかけた教会。信徒の血と汗と涙と、主への賛
信仰を振り返る機会を得た旅でもありました。
(12CM
美とゆるぎない信仰が刻み込まれています。
山田照子)
厚郎がかつて興奮して話してくれた“牢屋の窄
(サコ)記念聖堂”は、200 人もの信徒が 12 畳の部屋
五島列島巡礼に参加して
に 8 カ月ぎゅうぎゅうに閉じ込められ、座すこと
もできない圧迫地獄の中で 44 人が殉教したとい
う場所に建てられていました。想像を絶し、とて
12 年余り前、ケン神父様の時代に二男(厚郎)が
もショックです。他の場所に囚われ、逃げようと
教会学校で長崎・五島を旅しました。その体験を
思えば容易にできたのに自らの意思で殉教した
聞いて五島への思いはますます強くなり、主人と
信徒もいたとのことです。
「行こう、行こう」と話しては先送りにしていま
“ルルドの教会”の中では、まず井持浦教会が
した。そこに出会ったこの旅は、まさに主のお恵
印象的。本場ルルドの泉から取り寄せた霊水が洞
みです。巡礼を導いてくださったのは五島出身で
窟脇の泉に注がれており、奇跡が起きているとい
長崎・稲佐教会主任司祭と長崎カトリックセンタ
います。鯛の浦教会のルルドも素晴らしいもので
ーを兼務される中濱神父様。皆の話をポンポン
す。シスターの熱心な説明に感謝。また美味しい
甘夏もいただき感激です。
明治 14 年に建てられた下五島最古の教会(旧
江上教会で説明される
五輪教会)の外観は和風建築でありながら内部は
中濱神父様
ゴシック様式です。八つに仕切られた“コウモリ
天井”で装飾さ
れており、その
荘厳さに感動。
簡単には行けな
い“僻地”に建
てられており、
いかに隅々まで
と軽妙に受け、ユーモラスに返す神父様で、訪れ
信仰が浸透して
た教会の由緒や特色、建築様式の特徴などについ
いるかが伺われ、どの教会よりも心が打たれまし
て懇切に説明をしてくださいました。
た。
さて、上、下五島の 50 以上ある教会・聖堂等
火災で消失し再建された江袋教会訪問が今回
の約 6 割を巡ったのですが、何しろ次から次へと
の私達の旅のメインです。献堂式は沢山の信徒で
数が多い。どの教会も天井、ステンドグラスなど
あふれ参列は無理でしたが、時間をずらせて中濱
がとても美しく、祭壇や左右のマリア像などには
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神父様の新聖堂でのごミサにあずかりました。消
失前の聖堂とは少しイメージが違うようです。私
達のためにわざわざお祝いの“饅頭”を信徒の方
が用意して待っていてくださったこともあって、
感激の涙に濡れました。
異動情報
(2010.3.1~2010.6.18)
敬称略
教会事務へのお届出時に掲載を希望されない
方の情報は割愛しています。
どの教会にしても、教会建立資金集めや労働奉
仕などに無私の献身的な努力が感じられ、深い信
仰が偲ばれて頭が下がります。何より極貧の島民
信徒が莫大なお金を拠出した凄さ。そして過酷な
拷問に耐え、“全てを主に捧げ、委ね、主の御旨
個人情報のため削除
のままに”しっかりと守り続けた信仰の原点。
五島から長崎までの船では幸運にも神父様の
隣席になりました。でもちょっと緊張。小学 1 年
の男児から神父様にメールが入り「神父様になり
たい。祭服ももっているし、練習もしている・・・」
とのこと。優しく笑いながらメールを返す中濱神
父様。長崎に戻ったらその子に会うのだそうです。
長崎の 26 聖人記念教会で巡礼最後のミサです。
12 歳のルドヴィコ様を始め信徒が賛美の歌を歌
い、笑みを浮かべながら殉教していったことを記
念して献堂されたこの教会で、中濱神父様が最後
に締めくくられました。「殉教のお恵みは独り占
編集後記
めしてはいけません。他の人に分け与えるときに
第112号をお届けします。バザーも無事に終
本当の意味で恵みになるのですよ」
わりました。皆様に感謝いたします。
バザー当日、とてもお元気でした丸山和代さんが、
周到な巡礼計画から祈りや聖歌の用意まで、綿
数日後帰天されました。突然の出来ごとに驚かれ
密に企画して下さり、そして細やかな気遣いをし
た方も多かったと思います。
てくださった 12 コミュニティの山田照子さん、
告別式のブランチ神父様のお言葉に、希望を持
18 コミュニティの児玉啓子さんに心から感謝申
ちました。
し上げます。また巡礼を共に分かち合った 20 人
「丸山さんは、厚木教会の為に祈って下さってい
の皆さんとの五日間。これまでとは別
ます。」
の何か新たな素晴らしい出会いをいた
「和ちゃん。どうぞ厚木教会の為
だきました。主に感謝し、主を賛美し
にお祈りください。」
つつ・・・・・・。
(40CM
山崎
美津枝)
(広報部:竹内、松本、植木)
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