教区報2006年9月号 - カトリック鹿児島司教区

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編集発行教区広報部
1
部6
0円年間〒共1
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道 標
聖師生誕五百年記念の年
カトリック鹿児島司教区
電話0
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装いを新たにした集いに四百五十人
Joy!Hope!Gr日t
i
t
u
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e!
和を願う鐘が鹿児島の街中
に響き渡った。
ザビエル上陸記念ミサ
ザピエル生誕五百年の
記念の年の﹁ザビエル上陸
記念ミサ﹂は郡山司教と十
四人の司祭、二人の助祭を
囲んで、四百五十人余りの
信者でささげられた。
ザピエルウォ l クから
参加した司教は説教の中で
﹁私たちが頂いた命は派遣
されている。ザビヱルが残
してくれたキリストの後に
従うという宿題を果たして
いこう﹂と力強く語った。
その後の奉納では、ザ
ビエル上陸四五O年祭を機
に保管されていたザピエル
ワインもその中に加えら
9月 M日は
世界難民移住移動者の日
毎年九月の第四日曜日と
されている﹁世界難民移住
移動静の日﹂は、一九七O
﹁祈ってい
れば神さまは
話しかけてく
れる﹂と信じ
ていた幼い
頃。それに
﹁疑問符﹂を付け出した青
年期。そして幼い頃の純粋
さを羨ましがる今がある V
先日、久しぶりに自分にと
って違う分野のスポーツに
興じる機会を得た。他のメ
ンバーが難なくこなせるこ
とができない悔しさと、コ
ツをつかむことの快感とを
味わった。そうだ、何事に
も﹁慣れ﹂と﹁訓練﹂は必
要だ、そう悟った V教区本
部の﹁ボス﹂の執務室には、
そのほんの片隅に小さな祈
りの空間がある。何かにつ
けてそこで膜想している様
子。そういえばカテドラル
の小聖堂では、朝となく昼
となく座っている人の姿も
|。それらの人は幼い頃の
純粋さをまだ持ち続けてい
るのか? Vそんな姿を見て
思いがたどり着いたのは、
祈りにも訓練が必要という
あまりにも稚拙な答え。ま
あ、でもよい|。気づいた
からにはその成果は期待せ
ず、それでも一人、何者か
に挑戦してみよう。
年、時の教皇パウロ六世が
教皇庁移住・移動者司牧評議会を設立したことを受け、﹁各小教区とカトリック施
設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と
﹁共に生きる﹂決意を新たにする日﹂として設立されました。﹁世界難民移住移動
者の日﹂では、おもに滞日・在日外国人、海外からの移住労働者、定住・条約難
民、外国人船員や国際交通機関乗組員とその家族のために﹁祈り・司牧的協力・
献金﹂がささげられ、それらは日本カトリック難民移住移動者委員会を通じて、
幅広く支援に役立てられています。
れ、ミサ後カテドラル中庭
であった交流会で希望者に
振る舞われた。交流会は、
信者たちの喜びの笑顔で満
たされていた。また会場で
はザビエルをテ l マにした
川柳・手紙も披露された。
若者のエネルギーと
実行委員会の力の結集
鹿児島教区が日本の教会を
代表して、上陸記念祭を続
けられているのも同委員会
の力にほかならない。この
人、女三人の兄弟姉妹がいる。アン神
父はその下から二番目。父親は七年前、
教会の屋根に鐘を取り付ける作業中、
事故で亡くなっている。
﹁私は大神学校に入る前にベトナムで
化学と英語を勉強しました。私の趣昧
は水泳とテレビを見ることです。また
私は若者に会うとき、いつも神学校や
修道院ヘ入るように勧めます。マニラ
市の教会で助祭として過ごした一か月
半の聞に二人の少年を神学校に送りま
した。現在、週に二回、日本語を徳重
先生から学んでいます。他の日はザピ
エル教会のロピ lで独習をしています
ので、どうぞ声をかけて下さい。よろ
しくお願いします﹂
︵文責 中野裕明︶
恒例のザビエル祭は一
年を通じ﹁ザビエル上陸記
念祭実行委員会﹂が、毎月
会合を重ね準備している。
アン神父さん
お待ちしてました
長︶と協力して二0 0四年
から開いているもので、今
回が三回目。田中ユネスコ
会長は﹁平和のために一人
ひとりの心の中に平和の砦
を築いて欲しい﹂とメッセ
ージを贈った。
その後田中会長と郡山
司教が一緒にカテドラルの
鐘のスイッチを押すと、平
Yet
聖カルロス大神学校︵マニラ︶を卒
業し、四月二十二日マニラのカテドラ
ルで叙階されたポ!ル・アン神父︵三
十六歳︶。八月八日に鹿児島に着き、現
在、日本語習得に全力を傾けている。
そのアン神父には、レジオ・マリエ
の会員で
教会の中
で活発に
活動して
いる母
親、それ
に男三
春、実行委員長に就任した
藤山喜和義さん︵玉里︶は、
好評だった今年の集いを
﹁成功と言ってよいのでは
|。信頼して・自由に企画さ
せてもらえたおかげ﹂と振
り返った。
今年の集いの成功には
青年たちの活躍も見逃せな
い。ザビエルウォ lクを企
画し、ザビエル像の神輿を、
横断幕を製作した。そして
祈りや聖歌で、参加者たち
をリードするという大役を
果たした。
郡山司教は﹁この企画
にかかわった青年たち二十
人余りが、その何倍もの人
を動かしこのザビエルウオ
ークを成功させた。鹿児島
の青年たちにこんなエネル
ギーがあったとは﹂と目を
細めていた。
YET!
干8
9
2
0
8
4
1
はほど遠い。でも少しでも
ザビエルさまの苦労を思い
出す一助になる。歩くこと
でザビエルが伝えたかった
人生の歩みに心をとめよ
う﹂と巡礼参加者たちを励
ました。
強い日差しの中、青年
たちが交代で担ぐザビエル
像を先頭に歩みを進めた信
者たちは、ロザリオの祈り
を唱え、高らかに聖歌を歌
い、カテドラルを目指した。
途中、雨にも見舞われ、多
くの人の目にさらされた一
行だったが、ひるむことな
く力強い声で祈りながら一
歩一歩歩みを進めた。歩き
終えた参加者の顔は汗と満
足感で満たされていた。
平和の集い
ザピエルウォ iク参加
者たちの到着を待って、カ
テドラル正面広場で﹁平和
の鐘を鳴らそう﹂の集いが
行われた。この集いは鹿児
島カトリック連合壮年会
︵高竿寛美会長︶が鹿児島
ユネスコ協会︵田中弘允会
=人=
a
鹿児島市照国町1
3
・
4
2
八月十三日︵日︶午後、徒歩巡礼に始まり、平和の集い、記念ミサ、信
者の交流会と盛りだくさんの内容で行われた今年のザビエル上陸記念祭、
そこには信者の﹁汗﹂と﹁思い﹂と﹁喜び﹂が表されたようだつた。まさ
に聖フランシスコ・ザビエル生誕五百年の年に合わせて新しい息吹が吹き
込まれたような集いとなった。
ザビ工ルウオーク
午後三時、祇国之洲ザ
ピエル上陸記念碑前に集ま
った信者たち約百人は、カ
テドラルまでの徒歩巡礼
﹁ザビエルウォ lク﹂を担
当した青年たちのリlドで
出発式を行った。その中で、
郡山司教は﹁二了五キロの
巡礼はザビエルさまの旅に
ザビエル像を先頭にカテドラルを目指す
平成 18
年( 2006) 9月1日(毎月 1日発行)
家主主Z 宰
乙7
'
:
.
/
J芸寵~‘曹司F プコトー •J
(昭和43
年 10月25日第三種郵便物認可)
第480
号
(
1
)
汗を流し心を込めて!
レオ税所七右衛門④
殉教ヘ
ロはマリアのことを﹁キリ
ストの母﹂とは呼ばず﹁神
の母﹂と呼びます。それは
救い主をこの世に送った神
の協力者となったので、救
いの道具としての教会の
母、ひいては全人類の母だ
からです。
︵要約・文責 中野︶
著訳
あえ
の中で端いでいるよう
月巳社会全体の大きな変
JL
三革によって、澗れて
に感じます。
芭ねしまうのではないか
親が子どもを慈しみ
;という危慎の念と、
愛し、子どもが親に信
一方では、しっかり
頼し安らぐという、ご
と自分の頭で考え﹁生き抜
く当たり前の関わりさえも
く力﹂を持つ子ども達がい
壊れつつあることを、最近
ることの﹁希望﹂を最後ま
の子どもに関係する悲しい
で紡いでゆきたいという強
現場は、雄弁に物語ってい
い思いがあります。
るように思います。
そのために、今、注視し
確かに、私たちが日々を
ているのが、﹁教育基本法
生きる時、思いがけないこ
改正案﹂の行方です。
とが起きるのも事実です。
そして、子ども達がその
1
ような場に遭遇した時に、
子ども達と真
教育現場は、すぐに﹁心の
正面から向き合
ケア﹂の専門家の派遣を要
い関わりますと、
請します。
彼らの心の中の
﹁心の専門家﹂でなけれ
泉からは、こん
ば、対処できないという思
こんと水がわき出て尽きる
い込みは、責任転嫁としか
ことのない、その豊かさに
驚かされました。そう、十
思えません。
これも、﹁生きる﹂こと
年ぐらい前までは。今では、
まれ
︵つまり、人と人との
もう稀で、豊かに満た
関わりゃ、社会との
されていたその水も澗
メ\関わり︶を正しく教
れそうになってしまい
ました。
えてこなかった結果
・
子ども達は生きる場
合
耶かもしれません。
︵家庭、地域社会、学
占−子ども達の﹁生き
校など︶の大きな変貌
ザそる力﹂︵生命の泉︶が
思考
l+XAMYANSEKSIYO
州
信 円者
を苦難を乗り越えた。教区に新しく頂
いたベトナム人司祭たち。彼らの苦し
みと彼らの祖国の人々の熱い心に触れ
たような気がする。そしてその過酷な
国の歴史形成に日本がかかわっていた
ことにも気づかされる。
Pa..rゅal.a欄訓wx劫酬a加,•14内,,v~tUiw淘助'ff'
アンドレ・グエン・ヴァン・チャウ
西井愛子
ヨゼフ・タム神
ントだけを指摘します。①
﹁世に命を生み出す性﹂で
ある女性は、神の創造の業
に男性よりも直接的に協力
しています。②妊娠・出産
は神秘的であるだけではな
く、神の恵みの具体的表れ
の瞬間となります。③妊娠
するということは、自分の
体内に単に新しい命が芽生
えるということだけではな
く、自分の命とは別の他者
を歓迎すること、つまり喜
んで受け入れるということ
です。④出産︵新しい命の
誕生︶には常に苦しみと生
命の危険が伴います。それ
は苦しみと死を経て復活に
到ったイエスのあがないの
業にも通じるものです。⑤
母親の子供に対する愛は必
ず自己放棄を伴うもので
す。それは神の愛と同じで
す。⑥旧約聖書では﹁女﹂
︵エヴァ︶ですが、新約聖
書ではマリアを通して救い
が実現しました。⑦聖パウ
「希望の軌跡」
学生からの手紙
教皇ヨ
ハネ・パ
ウロ二世
使徒的書
簡﹁女性
の尊厳と使命﹂を分かち合
いたいと思います。
現代社会はフェミニズ
ム︵女性の社会的・法律
的・自己決定権を主張し、
男性支配的な文明と社会を
批判し組み替えようとする
思想︶の影響を多分に受け
ています。この思想は結果
的に母性の否定と女性の尊
厳の軽視を招いています。
このような社会にあっ
て教会は、聖書に基づく神
の教えを明確にし、女性の
尊厳を世に提示する使命が
あります。教皇書簡はその
意図で発布されました。
さて、教皇書簡のポイ
著訳
(定価千六百八十円)
薩摩の殉教者
ていたことかも知れない。
常識と信仰。思いこみ
と信仰。公教要理と信仰。
課題は多い。信仰生活にも
コツがあること、コツを外
すと時聞をかけるわりには
腕が上がらないこと。また、
信者一人ひとりが自分なり
の信仰の昧を出すためには
どうしたらいいかなど、分
ち合いながら学んでいきた
い。とりあえずは、﹁信仰
よろず相談日﹂でももうけ
ますかな。
共産党政権による 1
3
年もの投獄生活
を余儀なくされたトゥアン枢機卿。だ
が彼は、そんな中にあっても希望を失
わず、持って生まれた誠実さでその困難
の
本
相
目
一一この年にな
一務り一つでも色々夢
と口論になり、怒気たっ
ぷりの売り言葉に買い言
葉の応酬。﹁ああ、勝手に
出て行けばいい!﹂それ
以来彼は顔を見せなくな
った。﹁そんなことを言え
ば、自分の信仰と矛盾す
る。﹂主任司祭の言葉が今
やろうかな﹁信
仰よろず相談日﹂
も重たい。何も見えてな
かった。穴があったら入
りたいことばかりが多い。
唯一救いがあったとすれ
ば、曲がりなりにも、正
直な自分と向き合い一人
で祈ることを教えて貰っ
前教皇ヨハネ・パウロ二世
中野裕明
一購便一がある。その
一時室一うちの一つは、
一一各教会の信者
と直接会うことだ。
会って顔を覚えること
は大事かも知れないが、そ
れだけではなくて、昔風の
言い方をすれば、信者の霊
的指導がしたい。指導はや
はりおこがましいので、信
仰生活のお手伝いをした
い。何故そう思うのか。そ
れは、自分が歩んできた信
仰の道のりと無関係ではな
とくに、司祭になって
からの信仰生活は、かなり
荒削り、だった。ある時青年
さあ行こう」
「立ちなさい
サンパウ口
激動のベトナムと 13
年の牢獄生活
教区本部の中野裕明神父が心血注
いで訳したものがこのほど本にまと
められた。タイトルは「立ちなさい
さあ行こう」。前教皇ヨハネ・パウロ
二世が司教職へと百し出されたとき
の様子から、その教皇が「司教とは
何か?」「どのように生きるべきなの
か?」を回想したもので、その黙想、
の深さが読み取れる。
自らの司教
叙階式の回想
では、その典
礼の所作やミ
トラや杖に込
められている
「仕える」こ
とに身を置く
司教の役務を
噛みしめて、大いなる決意でその職を受けた
様子がよく分かる。そしてその後の章では、
司教としての来し方とその思いが綴られてい
る。新しい司教を迎えた鹿児島教区の多くの
方にぜひ読んで、欲しい本である。
レオが京泊の教会を最後に訪ねた( 1
1月1日)頃、
人のキリシタン侍に信仰を棄てる
領主北郷加賀守は4
ように命じた。洗礼を受けたばかりの 1
人を除き、他
の3
人は信仰を守ることを宣言。そのため北郷加賀守
は旧臣のレオを見せしめとすることにした。取り調
べは 1
1月1
4日から 3日間にわたって行われ、レオが棄
教の命令を拒否するなら死刑に処すとのもくろみで
あった。取り調べの問、友人や親戚、他の家臣たち
が表面上だけでも領主の命令に従うように勧めたが、
レオはいつものように静かな態度で皆に答えた。「他
のことなら殿に従うことはできるが、信仰だけは棄
てることができな LE」と。
教皇ヨハネ・パウ口ニ世の自伝的回想
(
2
)
平成 1
8
年(2
0
0
6
)9月1日(毎月 1日発行)
J重度~‘堕告プコト-- 'J ・
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乙7 季丈五乙宰Gt
(昭和4
3
年1
0月25日第三種郵便物認可)
第4
8
0
号
、
−
F
カトリ
ク教師の会が黙想
い﹂という具体的なイメー
ジを持っているか③教師
として軸はぶれていないか
そしてヨブ記からの話
をたとえに﹁聞くことので
きる人間﹂を育てていく必
たとえ話から、立ち止ま
って一人の人間としてじ
要性を訴えた。講演と分
かち合いが行われた一日
目の夕食後には恒例の交
流会が持たれた。
一一日目は、ザアカイの
黙想した。
この二日間で参加者た
ちは教師としての現在のあ
り方が、福音的であるかを
省み、最後のミサで会員た
っと話を聞いたイエスに
学び、生徒に﹁この人に
ビエル教会に着任した、ば
かりのベトナム人司祭ア
ますから、頂きますの代
わりにイエスさまのよう
頂くご聖体にはイエズス
さまの心が込められてい
を検討したいとしている。
ちの成長を祈った。
同会事務局では、今回
の集いにも修道会からの参
加者がないなど教区全体の
教師の集まりとならなかっ
たことを反省し、さらに集
まりゃすく学びやすい集い
なら分かってもらえる﹂
と思われているか、ある
いは教師の生き方そのも
のが尊敬されているかを
今年の秋、献堂五十周
年を祝う加世田教会とそ
に生きていきますという
意 味 の ア l メンを元気よ
く言うようにして下さ
い﹂と、また堅信を受け
る四人には﹁堅信は大人
になる式ですが、大人に
なるというのは他人の気
持ちが分かるようになる
ことです。皆さんはイエ
って聞かれ、その中で子
どもたちの歌、お年より
のマジック、幼稚園関係
者による劇など終始和や
かな雰囲気に包まれた。
短・信
V夏期集中講座
恒例の夏期集中講座が
今年も竹山昭神父︵紫原教
会︶によって八月二十一日
︵月︶から二十五日︵金︶
今月の暦
V七田和三郎神父命日︵一九八九年︶
1日︵金︶川淵勇神父命日︵一九九七年︶
3日︵日︶年間第二十二主日
8日︵金︶聖マリアの誕生
m日︵日︶年間第二十三主日
m
凶日︵木︶十字架称賛
V糸、丞具一司教司祭叙階記念日︵一九五二年︶
日日︵金︶鹿児島教区司教座教会献堂記念日
白日︵日︶年間第二十四主日
路日︵月︶教区司祭会・教区本部
Vレデンプト lル会例会
四日︵火︶定例司祭集会・教区本部− 時
2日︵木︶聖マタイ使徒福音記者
お日︵土︶ダニエリ神父命日︵二O O三年︶
Vパルビニ神父命日︵二O O四年︶
M日︵日︶年間第二十五主日
V世界難民移住移動者の日︵献金︶
U日︵水︶メニヒ神父叙階記念日︵一九五九年︶
V有喧信茂神父叙階記念日︵一九五九年︶
m
m日 ︵ 金 ︶ 聖 ミ カ エ ル 聖 ガ ブ リ エ ル 聖 ラ フ ァ エ ル 大
天使
までカテドラル一階ホール
で聞かれた。
今 年 の テ 1 マは﹁ルカ
福音書に学ぶ﹂。第十五回
目となった今年の講座には
午前、午後合せて九十人近
い信者が参加し、熱心に学
習した。
指導:ペトロ神父(カプチン・フランシスコ会)
家庭的な雰囲気の枕崎教会で
の巡回教会枕崎教会の初
聖体と堅信式が、八月二
十日︵日︶枕崎教会であ
った。この日、枕崎教会
に集ったのは五十人ほど
ン神父の三人が司式し
た。福音朗読に続いて説
教した司教はまず初聖体
を受ける子ども二人に
﹁いつも食べているご飯
にはお母さんの心が込め
られています。今日から
のこもった料理を持ち寄
スの気持ちが分かる信者
になって下さい﹂とメッ
セージを贈った。
ミサ後は、司教を囲ん
で記念撮影をし、その後、
隣接する幼稚園で茶話会
が聞かれた。茶話会は心
六幼稚園からの百四十人余
ある﹂と、様々な事例を紹
介しながら純粋で無垢な子
どもの心を紹介した。
3
時30
分場所/名瀬聖心教会聖堂
日時: 9月お日(土) 1
教師の会︵顧問司祭竹
山昭神父︶は七月二十九日
︵土︶から三十日︵日︶、マ
リア山荘で今年度の黙想会
﹁それでも喜び・希望・
感謝カトリック教育のめ
ざすもの﹂を行った。七人
参加、講師は郡山健次郎司
教。同会による宿泊形式で
の黙想会はこれが四回目。
会の始めに司
の信者で、郡山司教と主
任司祭泉神父、それにザ
た。それは、
つい最近発
見された日
本と呼ぶた
いへん大き
な島につい
てのことで
カトリック幼稚園
教師研修会
りの関係者。
講師は鹿児島純心女子
短期大学副学長で、昨年、
人間の機微に触れたエッセ
イ集﹁遠い宴﹂を著した潰
里忠宜先生。
先生は﹃子どもたちの
かなしみ﹄をテl マに﹁子
どもは未熟なのではない。
その子どもの叫びを聞くこ
とのできない大人に問題が
第3
固聖パドレ・ピオの集い・黙想会
堅信式と初聖体
教は参加者に質
問し、その回答
をもとにカトリ
ック教師のあり
方を考えさせた。
司教が指摘した
のは次の点。①
カトリック教師
としてその信仰
が一貫したもの
であるか②理
想が失われつつ
ある現実の中で
生徒に﹁こんな
人になって欲し
門田明氏の
鹿児島とキリスト教④
奇心旺盛な民族であった。
ザピエルはさらに続ける。﹁この
ポルトガル商人たちとともに、アン
ジロウと呼ぶ一人の日本人が来まし
た。彼はマラッカから日本へ行った
ポルトガル商人︵ジョルジュ・アル
パレス︶が私のことを話したのを聞
いて、私を探してここまで来たので一
す。このアンジロウは、青年時代に
犯した罪についてポルトガル人に話
し、こんな大きな罪を主なる神に許
してもらうための方法を求め、私に
告解したいと思って[マラッカ]来
たのでした 0・:彼はかなりポルトガ一
鹿児島教区カトリック
幼稚園教師研修会が、七月
二十四日︵月︶から一泊二
日で霧島国際ホテルで開か
れた。今年で三十八回目と
なった同研修会に参加した
のは、本土地区にある十七
幼稚園のうち、大雨の被害
に見舞われた一園を除く十
自由献金
*小さく貧しい祈りの集い*
ミサ
いやしの祈り
内容:聖体賛美式ロザリオの祈り
ザどヱル日本と出会う
す。彼らの
考えでは、
その島で私たちの信仰を広めれば、
日本人はインドの異教徒には見られ
ないほど旺盛な知識欲があるので、
インドのどの地域よりも、ずっとよ
い成果が挙がるだろうとのことで
ル語を話すことができます。私が言
ったことを理解しましたし、私もま
た彼の話が分かりました。﹂
これが、ザビエルと日本の最初の
出会いとなった。
場所/ザビエル教会小聖堂
日時: 9月2
2日(金) 1
4
時
これまで、日本からの目でザビエ
司教の講話を真剣に聞く参加者たち
司教から油を塗られる受堅者
今年も大勢が集った
ツ
す。﹂︵聖プランシスコ・ザビエル全
書簡・河野純徳訳平凡社︶
たしかに、孤立した島国の日本人
は、情報の伝達が頻繁な大陸の民族
とは異なり、遠い昔からまことに好
主日ミサ
7:0
0 修道院
9:3
0 マリア山荘
週日ミサ
7:0
0 修道院
※9
月3日(日)から
ルを語ってきた。一方、ザピエルも
また、日本の存在を知り、日本を求
めていた。これから、ザビエルの目
でその事情を辿ってゆきたい。
一五四八年一月二十日、コーチン
からロ 1 マに宛てた手紙で、ザビエ
ルはこう言っている。
﹁マラッカの町にいた時、私がた
いへん信頼しているポルトガル商人
たちが、重大な情報をもたらしまし
溝辺教会ミサ
ザピエル上陸図
平成 1
8
年( 2
0
0
6
) 9月1日(毎月 1日発行)
J
妻鹿 9 B‘
由
理Fプ コ ト ー リ シ グ ま 丈 E乙 宰 昆
(昭和4
3
年1
0月25日第三種郵便物認可)
第4
8
0
号
(
3
)
'
思い出
七十
イl
︹ザビ工ル様への手紙・川柳展]
秀
ザビエル生誕五百年を
記念して行われた同展に
は、ザビエル様への思いが
いっぱい詰まった作品が教
区内から全部で二十三点寄
せられ、八月十三日のザビ
エル上陸記念祭中にザビエ
ル教会で展示された。作品
純心学園川上和
楽しいスイカ割り
︵姶良教会︶
姶良教会郡山勇
ザビエルとはるかかなた
に種まきに
[川柳]
国分教会政ノブ子
ザ ビ エ ル と ヤ ジ ロ 1こん
び神の道
を観た方々の投票で選ばれ
た優秀作品は以下の通り。
介
明光学園人形を製作販売
﹂
ずで完売しました。その時
の感激が今年に繋がったと
思っています。今年はマス
コット人形など、学生さん
にも手ごろな価格で登場し
ます。
昨年はとても好評で、
十五体の人形が一時間足ら
九月十七日 ﹁大口明光学園バザ I
昨年九月、﹁大口明光学
園人形﹂がバザ!に登場し
ました。製作者は、後援会
と育成会、卒業生の皆さん
です。
﹁私どもは長い間、学園
のバザーにかかわってき
て、いろいろな作品を作つ
明光人形を通して学園
の素晴らしさ、制服の清楚
さを多くの方々に知って欲
しいです。明光人形は皆様
の温かい思いの中で誕生し
ました。きっとこの思いは
明光生にも還元できると思
います。
ぜひ、九月十七日、学
固までバザlに遊びに来て
下さい。朝九時から三時ま
でです。とても楽しいバザ
ーです。﹂︵大口明子︶
出水遠竹睦郎
独りして祈りて夏のタ飾摂る
純心学園田村鏡子
同体だと思います。
した。長い年月を経
ても、卒業生、父兄
の方々がいつまでも
明光学園を慕って協
力して下さいます。
とても素晴らしい共
日のバザl準備の作
業日に、たくさんの
方々の協力で素晴ら
しい人形が誕生しま
てきました。そんな中で、
今の物が溢れた世の中にふ
さわしい物は何だろうと考
えた結果、不用になった制
服で明光生の人形を作るこ
とを思いついたのです。着
せ替えできるようになって
いて、制服を忠実に作って
います。
今年もまた、木曜
旬︵思川俳句会作品︶
の
白雲の走る行く手の島々に喜び告げ
よ司祭誕生を
︵評︶﹁喜び告げよ﹂の願が一首の﹁辻芭
となった。
紹
[手紙]
谷山教会おがたさく
h
b
こ
しんぷさまヘふらん
しすこざびえるさまへ
いつもまもってくれて
ありがとうございます。に
っぽんにいらしたときには
マリア山荘でキャ
ンプ︵鴨池教会︶
ト教が伝わるのにザビエル
様の長い苦労とどりよくが
あったことを、ビデオで知
りました。
ぼくもザビエル様の心
を受けついで、正しいキリ
スト教信者になりたいで
す。︵中一︶
ザピエルさまの散歩道
青年たちのザビエルを
思い起こす歩みは止まら
ない。次は十月一日にザ
ビエル様と島津貴久の会
見の地︵伊集院︶まで歩
くそうだ。きっとザビエ
歩みを思いながらの巡礼
は、参加者の心に残るも
のだった。
ザビエル上陸記念祭が
盛況のうちに終わり、皆
様のご協力に感謝した
い。様々な催しの中、青
年たちを中心に行われた
徒歩巡礼は参加者約百人
ル様と共に歩くすばらし
い巡礼になるだろう。
ザビエル様と歩こう
と大盛況だった。ザビエ
ル様の苦労、喜び、その
スピリチュアルケア研修会
m
ω分
テーマ⋮第U章﹁チームワーク﹂
講 師 一 W ・キッペス神父
日 時 一 月日日︵日︶ 9時初分 j M時
場所一県文化センター第三会議室
研修費一五千円
申込・お問合せ先
奥村m O九九l 二八二 l 二九二六
松村m O九九l 二五二 l 一六四四
担当/武田高典
口
たいへんでしたね。ふらん
しすこざびえるさんはおな
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3
2
3
回6
優
明光学園森博伸
尻っぽ存踏みネコに怒鳴られとびのいた
主玄慰する居保不コ
阿久根中津潰フサエ
さ
む1
0
5
2
9
3
0
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必
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回デスク
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2
参加受付:(梼オフィステイクワン
鹿児島市魚見町1
1
与
一7
直 泰 江 む さl
仰 (2
6
7
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4
2
1
長崎ブオコラーレ・センター
さくらの樹みえぬ所で美しく
鹿児島本城愛
臥す夫の寝息しずまる夏の夜
鹿児島龍門司真人
点滴のしずく数ゆる残暑かな
歌︵思川短歌会作品︶
日(日) 1
5
時3
0
分
場 所 : 福 岡 市 中 央 区 渡 辺 通2
1・8
2
ともに、良い夏の思い出となった。
口
口
かがすいていたけどたのし
くりんごであそんでいた
ね。わたしもおなかがすい
ててもみんなとなかよくし
ます。︵小一︶
って、どうぞご参加下さい。心
からお待ちしています。当時は
子どものプログラムもあります。
昼食はお持ちになるか、もしく
はお早めにご注文下さい。
問合せ先
純心虫子浜田香奈
テニスコート汗で染まるよインターハイ
テニス部や日焼けで見えぬ夜の道
︵評︶﹁汗で染まるよ﹂と呼びかけてい
るのもよい。結句の﹁夜の道﹂が佳
作とした。
純心学園山頭信子
ティエン司祭僧量れて叙階式
奄美松畑義弘
炎天の池の辰まで照りにけり
鹿児島春山マリ子
1月1
1日(土) 1
2
時4
5
分∼ 1
2
日時: 1
会への一つの提案。それは一致と
夏
百歳の受洗を祝し代母となり永遠の
恵みを神に祈らん
鹿児島前田儀子
聖地への旅かなはざりし亡き妹を想
ひ木のマリア像やさしく磨く
鹿児島春山マリ子
もう二度と恋はしないと決めている
考え過ぎて疲れ果ていつ
鹿児島田平新太郎
催しのご案内
各地の教会ではキャンプやバーベキュ
ーが行われ、それぞれの親睦を深めると
釜山教会川下兼太郎
ザビエル様ヘ
日本にキリスト教を伝
えて下さり、ありがとうご
ざいます。日本に、キリス
※ご家族、お友だちもお誘いにな
愛くるしい大口明光学園人形
で
消灯の刻寂しけり臥す夕べ思川河口の入
打潮しのばむ
(受付9
時3
0
分
) 1
5
時からミサ(司式
電気ビル
テーマ:個人の内面的パワー
内容:基調講演島菌進(東京大
学教授)
講演小田博志(北海
道大学助教授)鈴木育三(社会福
祉法人「新生会」理事)萩原優
(聖マリアンナ医科大学客員教授)
W ・キッペス(臨床パストラルケ
ア教育研修センタ一所長)
参加費: 2日間1
万円(会員9
千円)
間合先:第9
回全国大会期子委員会
事務局長井口憲一郎
郡山健次郎司教)
場所:鹿児島教区本部棟
3玄
父と子の七夕遊び想いおり
︵評︶七夕遊びの思い出が感じられる
純心学園川上和
奄美林常広
自転車で転んで足を骨折しベッドに
ふせる妻を見守る
︵評︶愛しみは言葉で表現し感じるも
のです。短詩も同じ﹁妻を見守る﹂
の結句が尊い。
出水遠竹陸郎
降り止まぬ豪雨の夜に兄弟は古里案
じて電話寄しぬ
テーマ: 「一致を目指して」(現代社
普遍的兄弟愛)
0月1
5日(日) 1
0時∼ 1
6時
日時: 1
臨床パストラルケア第9回全国大会
一日のマリアポリ i
n
鹿児島
ー酔+・
ひまわりの顔になりたいこの夏も
鹿児島徳永ノブ子
音もなくのうぜんかづらこぼる庭
短
文
俳
(
4
)
平成 1
8
年( 2
0
0
6
) 9月1日(毎月 1日発行)
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J芸~ 9-e‘磨きプコトー .
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J シ 乙7 表文 E乙牽R
(昭和43
年1
0月25日第三種郵便物認可)
第4
8
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号
事
ド
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