5415

松江市文化財調査報告書
第90集
文化財愛護
シンボルマ エ ク
―1査
奥山1古 墳群1発 掘調 報告書
2001年 9月
―
松 1江 1市 教 1育 委 1員 1会
財団法人1松 江市教育文化振興事業1回
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巻頭 図版
一
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奥 山古墳群 出土遺物
1
巻頭 図版 2
奥 山古墳群付 近 (上 空 よ り)
ロ
一
一
一
例
1.本 書 は、平成 12年 度、 13年 度 において財団法人松江市教育文化振興事業団が実施 した奥山古墳群
発掘調査報告書 である。
2。
本書 で報告す る発掘調査 は、松江市都市建設部公園緑地課か ら松江市教育委員会 が依頼 を受 け、
財団法人松江市教育文化振興事業団 が委託 を受 けて実施 した もので ある。
3.調 査組織 は以下 のとお りである。
依 頼
者
松江市都市建設部
主 体
者
松江市教育委員会
(12年 度)教
山 本
弘 正
田 義 之
副 教 育 長
友 森
勉
川
原 良 一
文化財課長
岡 崎 雄二郎
岡
崎 雄二郎
文化財係長(主 幹)
吉
岡 弘 行
調 査 係 長
飯 塚
藤 博
主 任 主 事
古
伊
藤 忠 志
副 教 育 長
神
生涯学習課長
文化財室長
主 任 主 事
者
(13年 度)教
長
長
育
文化財係長(主 幹)吉
実 施
公園緑地課
古
昭
者
岡 弘 行
康 行
藤 博
昭
財団法人松江市教育文化振興事業団 埋蔵文化財課
理 事
調 査
育
長
松 浦
正 敬
専務理事
米
田 喜 雄
常務理事
福 井
勝 美
事務局長
柳 浦
孝 行 (12年 度)
事務局長
吉
調査係長
瀬 古 諒
子
調査補助員
勝
部 文
生 (12年 度)
調査補助員
廣
江 光
洋 (13年 度)
岡 正
夫 (13年 度)
4.調 査 の実施 にあた っては次 の方 々の指導 と協力 を頂 いた。記 して感謝 の意を表 したい。
渡辺貞幸 (松 江市文化財保護審議会委員考古学担当)、 椿真治 (島 根県教育庁文化財課文化財保 護
主事 )、 池淵俊― (島 根県教育庁文化財課文化財保護 主事)、 角田徳幸 (島 根県教育庁埋蔵文化財 セ
ンター)、 松山智弘 (島 根県教育庁埋蔵文化財 セ ンター)
5.出 土鉄製品のX線 写真撮影 については島根県教育庁埋蔵文化財 セ ンター文化財保護主事間野大丞
氏 に依頼 し、同氏 と同 セ ンター調査補助員澤田正 明氏 によ り実施 して いただいた。
6。
遺物 の復原、実測及 び浄書 は花 田陽子、福 田万里が行 った。
7.遺 物 の写真撮影 は島根県埋蔵文化財調査 セ ンターの撮影場 を借用 し石川崇、廣江 が行 った。
8。
出土遺物 は松江市教育委員会生涯学習部文化財課で保管 している。
9。
本書 の執筆、編集 は瀬古 と協議 の上 、廣江 が行 った。
目
I
調査に至る経緯 …… …… … … ……………… ……………………… ……… …
Ⅱ
遺 跡 の 位 置 と環 境 …… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …
Ⅲ
と概 要 …… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 4
調 査 の経 過 ―
3
(1)1号墳
……………………………………………・……・……………………… ………………… 10
(2)2号 墳
………………………………………………・……………………………………………… 15
(3)3号 墳
……………・………。
―・…………………………………………………………………… 19
(4)SX-01… ………………………………………………………………………………………。20
(5)4号 墳
…Ⅲ
… …………………………… ……………………… … 24
……………………Ⅲ
…………。
(6)5号墳
………………………………………………………………………………………………。25
(7)6号 墳
………………… ………・… …… 33
……… ……………… …………………………………Ⅲ
Ⅳ 小
結 … … … … … ………… … … … … …… … … … … … … … … … … …
35
挿
図
目
次
第 2図
松江市位置図 ・……………………………………………………………………………………
……
奥山古墳群位置図 …………………………………………………………………………Ⅲ
第 3図
奥山古墳群 と周辺 の遺跡 ………………………………………………………………………Ⅲ 2
第 4図
運動公園造成前調査地付近地形測量図 …………………………………………………・ 5∼ 6
第 5図
奥山古墳群調査成果図 ・…………………………………………………………………… 7∼ 8
第 6図
奥山 1号 墳・ 2号 墳調査前地形測量図 ………………………………………………………・ 9
第 7図
奥山 1号 墳調査成果図 ・………………………………………………………………………… 10
第 8図
奥山 1号 墳墳丘土層断面図 ・…………………………………………………………………… 11
第 9図
……………
奥山 1号 墳主体部実測図 ・……………………・…………………………………Ⅲ
第 10図
奥山 1号 墳出土土師器 :郭 実測図 ・…………………………………………………………… 12
第■図
奥山 2号 墳調査成果図 ・………………………………………………………………………… 13
第 12図
第 13図
奥山 2号 墳墳丘土層断面図 ・…………………………………………………………………… 14
奥山 2号 墳主体部実測図 ………………………………………………………………………Ⅲ15
第 14図
…………………………………………。16
奥山 3号 墳調査前地形測量図 ・……………………Ⅲ
第 15図
奥山 3号 墳調査成果図 ・………………………………………………………………………… 17
第 16図
奥山 3号 墳墳丘土層断面図 ・…………………………………………………………………… 18
第 17図
奥山 3号 墳主体部実測図 ・……………………………………………………………………… 19
第 18図
奥山 3号 墳出土鉄製品実測図 …………………………………………………………………。21
第 19図
第 20図
SX-01付 近調査成果図 ・……………………………………………………………………… 22
SX-01実 測図 …………………………………・……………………………Ⅲ………………… 22
第 21図
奥山 4号 墳・ 5号 墳調査前地形測量図 ………………………………………………………。23
第 22図
奥山 4号 墳調査成果図 ・………………………………………………………………………… 24
第 23図
奥山 4号 墳墳丘土層断面図 ・…………………………………………………………………… 25
第24図
奥山 5号 墳調査成果図 ・∵……………………………………………………………………… 26
第25図
奥山 5号 墳墳丘土層断面図 ・………・…………・……………………………・………………… 27
第26図
奥山 5号 墳主体部実測図 ………………………………………………………………………・ 28
第 27図
奥山 5号 墳小土竣実測図 ・……………………………………………………………………… 30
第 28図
奥山 5号 墳出土土 師器 :直 口壷実測図 ・……………………………………………………… 30
第 29図
奥山 5号 墳出土鉄製品実測図 ・………………………………………………………………… 31
第30図
奥山 6号 墳調査前地形測量図 ・………………………………・………………………………・ 82
第31図
奥山 6号 墳調査成果図 …………………………………………………………………………。33
第 32図
奥山 6号 墳墳丘土層断面図 ・…………………………………………………………………… 34
第 1図
1
1
11
図
版
巻頭 1 奥山古墳群出土遺物
巻頭 2
目
図版 13[上 ]4号 墳調査前全景 (南 よ り)
[中 ]4号 墳南側 の溝検 出状況
奥山古墳群付近 (上 空 よ り)
図版 1[上 ]1号 墳調 査前全景 (南 東 よ り)
[中 ]1号 墳主体部検出状況
[下 ]4号 墳南側 の溝完掘状況
図版 14[上 ]4号 墳完掘状況 (南 西 より)
[中 ]5号 墳調査前全景 (南 東 よ り)
[下 ]1号 墳主体部上層断面
図版 2[上 ]1号 墳主体部完掘状況
[中 ]1号 墳土師器
:郭 出土状況 (左⊃
[下 ]1号 墳土師器
:郭 出土状況
図版 3[上 ]1号 墳完掘状況 (北 よ り)
[下 ]1号 墳出土土師器
次
[下 ]5号 墳主体部検出状況
図版 15[上 ]5号 墳主体部土層断面 (東 西)
[下 ]5号 墳主体部土層断面 (南 北)
図版 16[上 ]5号 墳土師器 :直 口壷 出土状況
[中 ]5号 墳鉄剣出土状況
:邦
図版 4[上 ]2号 墳調査前全景 (北 よ り)
[中 ]2号 墳主体部検 出状況
[下 ]5号 墳刀子出土状況
図版 17[上 ]5号 墳
[下 ]5号 墳主体部完掘状況 (北 東 よ り)
[下 ]2号 墳主体部上層断面
図版 5[上 ]2号 墳主体部完掘状況
鉄剣、鉄鏃、石出土状況
図版 18[上 ]5号 墳墳丘北側土層断面
[中 ]2号 墳墳丘東側土層断面
[中 ]5号 墳墳丘南側 の溝土層断面
[下 ]2号 墳完掘状況遠景 (北 より)
[下 ]5号 墳墳丘南側 の溝検出状況
図版 6[上 ]3号 墳調査前全景 (南 よ り)
図版 19[上 ]5号 墳完掘状況遠景 (南 よ り)
[下 ]5号 墳完掘状況近景 (南 東 より)
[中 ]3号 墳主体部検出状況
[下 ]3号 墳鉄製品出土状況 (鉄 剣・ 鉄鏃)
図版20[上 ]5号 墳墳丘基盤 (南 よ り)
図版 7[上 ]3号 墳主 体部土層断面 (南 北)
[中 ]5号 墳小土墳検 出状況
[下 ]3号 墳主体部上層断面 (東 西)
[下 ]5号 墳小土壊完掘状況
図版 8[上 ]3号 墳主体部盗掘僚完掘状況
図版21[上 ]5号 墳出土土師器 :直 口壺
[下 ]5号 墳出土鉄製品
[中 ]3号 墳主体部完掘状況
[下 ]3号 墳西側墳裾土層断面
図版 9[上 ]3号 墳完掘状況遠景 (南 東 よ り)
[下 ]3号 墳完掘状況近景 (南 東 より)
図版 10[上 ]3号 墳墳丘基盤 (南 東 よ り)
[下 ]3号 墳出土鉄製品
図版 11
:鉄 鏃
3号 墳出土鉄製品 :鉄 剣
図版 12[上 ]SX-01検 出状況
]SX-01完 掘状況
[下 ]SX-01完 掘状況
[中
図版 22
5号 墳 出土鉄製品 :鉄 剣
図版 23
[上 ]6号 墳調査前全景 (南 よ り)
[中 ]6号 墳南側 の溝検出状況
[下 ]6号 墳南側 の溝完掘状況
図版24[上 ]6号 墳墳丘西側墳裾完掘状況
[中 ]6号 墳完掘状況遠景 (南
よ り)
[下 ]6号 墳完掘状況近景 (南 東 よ り)
(北 北西 よ り)
(南 よ り)
調 査 に至 る経緯
I
平成 11年 度 にお いて松江市公園緑地課 (事 業者 )は 、松江市街 の南西 に位置す る松江総合運動公 園
内 にテ エ ス場 の建設 を計画 した。現在、 同公 園内 には 8面 のテ ニ ス コー トを有 す るテ ニ ス場 が設置 さ
れて い るが、平成 16年 度 に島根県 にお いて 開催予定 の全国高校総体 に対応す るため、 さ らに 8面 のテ
ニ ス コー トの増設 が必要 とな り本計画 が持 ち上 が った もので あ る。
このテ ニ ス コー トの建設予定地 内 で は「 総合運動公園内古墳群」 の存在 が以 前 か ら知 られて いたが、
規模 、員数等 の詳細 が不 明 であ ることか ら、松江市教育委員会 で現地調査 を行 った ところ、古墳推定
地 と して 9箇 所 を確認 した。
この うち最 も南側 に位置す る 1箇 所 を 除 く 8箇 所 が造成計画 の範囲 に含 まれ ることか ら、 当市教育
委員会 で は これ らの地点 につ いて平成 11年 11月 15日 か ら12月 15日 にか けて試掘調査 を行 った。
その結果、 これ ら古 墳推定地 8箇 所 の うち 3箇 所 が古墳 であ る可能性 が高 い と考 え られたことか ら、
これ らの箇所 につ いて全面発掘調査 を実施 す る こととな った。
本遺跡 の発掘調査 は遺 跡名 を「 総合運動公 園 内古墳群」 か ら「奥 山古墳群」 と改 め、財 団法人松江
市教育文化振興事業団 が実施 した もので あ る。調査期間 は平成 12年 12月 4日 か ら平成 13年 3月 31日 、
平成 13年 4月 9日 か ら同年 6月 25日 であ る。
平成 13年 度 において事業者 よ り松江市教育委員会 に造 成計画変更 の協議 があ った。
その 内容 と して は、 当初造成計画外 であ った古墳 の存在 す る箇所 を計画範囲 に含 め、場 内を廻 る園
路 を設 ける もので あ った。 しか し、 テ ニ ス コー ト本体部分 にかか る造 成 で はな い ことか ら、 また、遺
跡保護 の観点 か ら当市教育委員会 は事業者 に対 し古墳 の現状保存 を要望 した。
両者協議 の結果、事業者 の理 解 と協力 が得 られ、園路 の設計見直 しによ って古墳 は現 状保存 され る
こととな った。
なお、現状保存 とな った古墳 につ いて は「 奥 山 7号 墳」 と呼称 し、本報告書 中 にその所在 を標す も
(古
ので あ る。
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第 1図
第 2図
松江市位置図
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奥山古墳群位置図 (1:100000)
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第 3図
①奥山古墳群
②長砂古墳群
③乃木二子塚古墳
④向荒神古墳
⑤奥山遺跡
⑥神田遺跡
⑦勝負谷遺跡
③渋 ケ谷遺跡
③小倉見谷横穴群
⑩袋尻遺跡群
⑪菅沢谷横穴墓群
⑫後友田古墳
⑬友田遺跡
⑭田和山遺跡
⑮田和山 1号 墳
⑩薬師前遺跡
⑦雲垣遺跡
⑬福富 I遺 跡
⑩福富 Ⅱ遺跡
⑩蓮華垣遺跡
奥山古墳群 と周辺 の遺跡
⑪屋形古墳群
⑫乃白玉作遺跡
⑬松本修法檀遺跡
②欠田遺跡
⑮門田遺跡
⑮神立遺跡
⑮廻田遺跡
②松本古墳群
⑩弥陀原横穴墓群
⑩松本横穴墓群
-2-
⑪岩屋回古墳群
⑫二名留古墳群
⑬大角山遺跡
⑭布志名大谷 Π遺跡
⑮大角山古墳群
⑮すべ りざこ古墳群
⑫才の神遺跡
⑬布志名大谷 I遺 跡
Ⅱ
遺 跡 の位置 と環境
奥山古墳群 は、松江市上乃木 10丁 目 4-1番 地 の松江総合運動公園内 に所在す る標高30m∼ 35m、
南北 に延 びる低丘陵地 に位置す る。市街地 か らは南 へ3.Okmの 地点であ る。 丘 陵地 は南側 の尾根基部
か ら北西 に標高30mの 起伏 の少 ない地形が60m続 く。 そ して尾 根 は30m程 鞍部 が続 き新 たに標高35m
の低丘陵 が北 に30m伸 びる。更 に尾根 は北 へ80m降 るように伸 び、北端部 の標高 は25mを 測 る。周辺
は北 か ら東 が開け北西 に宍道湖 を望み松江市南部 の市街地 を一望で きるほどの眺望 である。南 か ら西
は運動公園 の各施設、学校関連 の建物 が立 ち並 び背後 には中規模 な山脈 が連 なる様相 である。
近年 この遺跡 の周辺地域 は、松江市 で も屈指 の開発地域 であ り、それに伴 う発掘調査 で様 々な遺跡が
分布 して いることが明 らか とな ってい る。
旧石 器・ 縄 文 時 代
│1下 流域 に所
現在 この時代 に該当す る遺跡 の発見例 はないが、 忌部ナ
在す る廻 田遺跡か ら玉 髄 の ナイフ形石器 (旧 石器時代)が 採取 されて い る。 また福富 I遺 跡 か らは黒
曜石製 の尖頭器 をは じめ黒曜石 を中心 とした剥片、石器 が多数採取 されている。今後 この時代 の遺跡
が発見 される可能性 が考 え られ る。
弥生 時代
この時代 の遺跡 は忌部川下流域周辺 に多 く分布 している。欠田遺跡 (24)は 前期
∼後期 までの遺跡 で大型石包丁、磨製石斧 をは じめ多 くの上器片が出土 している。 田和山遺跡 (14)は
前期末 ∼ 中期後半 まで営 まれた環壕遺跡 である。環壕 は丘 陵 を二重 に廻 らされ、 その山頂部 では物見
櫓 と思われる掘立柱建物跡 1棟 、総柱建物跡 1棟 、柵列 と思われ る多数 の柱穴 が検出 されている。遺
物 は環壕内のつぶて石 とともに壺、甕、高邦 などの土器類、環状石斧、銅剣型石剣 の破片 などの石器
類、黒曜石、 サヌカイ ト製 の石鏃 など多種多数出上 している。遺跡 の性格 は未解明 な点 が多 いが この
地が弥生人 にとって重要 な要所 であ った ことが うかがわれる。友 田遺跡 (13)は 中期 か ら後期 の遺跡
で土墳墓26基 、墳丘墓 6基 、四隅突出型墳丘墓 1基 が検出され ている。 その他、廻 田遺跡 (27)で は
後期後半 の円形竪穴式住居跡 1棟 、福富 I遺 跡 (18)で は後期 の竪穴式住居跡 5棟 、門田遺跡 (25)
で は中期中葉 ∼後期 の溝状遺構 を検出 し、雲垣遺跡 (17)で は中期後半 ∼後期前半 の土器類 をは じめ
田下駄 を中心 とした木製品 を出土 して い る。今後更 にこの時代 を解明す る貴重 な資料 が多数発見 され
るものと思われる。
古 墳 時代
前期 の古墳 は袋尻遺跡群 (10)の 袋尻 4号 、 7号 、 8号 墳 がある。 この うち 4号
墳、 8号 墳 は合 わせ回の上器棺が出土 している。中期 の古墳 で は 7基 の古墳 か ら構成 され る大角山古
墳群 (35)が あ り中で も 1号 墳 は全長61.4mと 出雲東部 で も トップクラスの前方後 円墳である。 墳裾
よ り円筒埴輪片を出土 して いる。長砂古墳群
(2)は 方墳、円墳 16基 か ら構成 され る古墳群 で、 その
ほとんどが墳丘盛土 の上層 に不整形 な長方形土墳 を掘 り込む ことが特徴的 である。鉄器類、玉類 をは
じめ土器 では臨が 6個 体出土 している。遺跡 としては玉生産遺跡 の大角山遺跡 (33)が ある。竪穴式
住居 5棟 を検出 し、土師器 とともに碧玉製勾玉、管玉未製品、馬璃製勾玉未製品を出上 している。 こ
の他、乃白玉作遺跡
(22)、
福富 Ⅱ遺跡 (19)な ど玉生産遺跡 は八束郡玉 湯町 の花仙 山 を背景 に忌 部
-3-
川、玉湯川流域 に多数分布 して いる。後期 の古墳 は田和山 1号 墳 (15)の 横穴式石室 を持 った全長20
mの 前方後円墳 や岩屋 口古墳群 (31)が ある。 この ころになると横穴墓 の造営 が多 く見 られ奥山遺跡
(5)、 袋尻遺跡 (10)、 菅沢谷横穴群 (11)、 弥陀原横穴群 (29)な どが しられて いる。 いずれ も 6世
紀後半 ∼ 7世 紀初頭 の造営 で須恵器、鉄器類 の副葬品 が 出土 して い る。 遺跡 で は布志名大谷 I遺 跡
(38)か ら製鉄関連 の炭窯 と言 われ る横 口付炭窯 が県内で は初 めて発見 されて い る。
この時代 の遺跡 の発見例 はあまりな く、松本古墳群
歴 史:時 代
(28)、
才 ノ神遺跡 (37)で
古代山陰道 の「 正西道」推定 ルー トと思われ る古代道 の遺構が検出されている。
Ⅲ 調 査 の経 過 と概要
12年 度 の現地調査 は尾根基部 の 1号 墳推定地 と標高35mの 低丘陵地 に位地す る 2箇 所 の古墳推定地
を実施 した。調査 の結果古墳 2基
(1号 墳・ 3号 墳)、 土壊 1基 (SX-01)を 発見 した。 SX-01
は当初古墳 として調査 したが古墳 として の根拠 が乏 しいため古墳 ではない ものと判断 した。 3箇 所 の
調査 が終了 した時点 で現地指導会 を実施 した ところ、 この 3基 以外 にも尾根 の起伏部 が古墳 である可
能性 があ り確認 のため尾根筋 に トレンチを入れ る必要性 が指摘 された。 そのため平成 13年 4月 よ リ ト
レンチ調査 を実施 した結果、 1号 墳北側 に 1基 (2号 墳 )と
SX-01の 】印 1の 尾根筋 に 3基 (4号 墳・
5号 墳・ 6号 墳)が 新 たに発見 された。 4号 墳、 6号 墳 は既 に主体部 が失われて いる可能性 が強 い為
墳丘 の規模 を把握す る補足的 な調査 とし 2号 墳、 5号 墳 を中心 に本調査 へ と移行 した。
各古墳 の概要 は下記 の表 1に 記す。
墳
主
丘
体
部
出
土
遺
物 (出 上場所 )
墳形
規模 (m)
平面形
法量 (m)長 ×幅 ×深
1号 墳
方墳
6.4× 5.6
長 方 形
19× 05× 0.1
2号 墳
不明
約10,0(南 北)
長 方 形
2.6× 0.6× 0.25
3号 墳
円墳
8.3
長方形 (推 定)
2.2XO.85× 0.2
鉄剣 1日 、鉄鏃 2本 (墓 壊内上層)
4号 墳
円墳
5号 墳
方墳
3.6× 2.0× 0.5
土 師器 :直 口壺 1個 体 (墓 壊 内中層 )
流
12.0(南 北 )
失
長方形 (一 段日)
長方形 (二 段目)
6号 墳
不明
約150(東 西)
削
土師器 :郭 3個 体 (墳 裾)
3.0×
06× 0.15
平
7号 墳
未
表
1
調
査
奥 山古墳群概要 一 覧
-4-
鉄剣 1日 、刀子 1日 、鉄鏃 1本 (瓢剤動
o
第 4図
200m
運動公園造成前調査地付近地形測量図
-5∼ 6-
1︶ ノ
ヽ
/
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‖
‖
1
Ⅲ
多 デ
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用
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第 5図
奥 山古墳群調査成果図
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-7∼ 8-
0
第 6図
10m
奥山 1号 墳・ 2号 墳調査前地形測量図
-9-
4m
第 7図
奥山 1号 墳調査成果図
(1)1号 墳
標高30m余 りの起伏 の少 ない尾根上 に築 かれた小規模 な方墳 で、調査区外 の 7号 墳 と 2号 墳 の中間
に位置 している。
〔
墳丘〕
墳丘規模 は南北長6.4m、 残存高0.5mを 測 る。西辺 は流失 した もの と思われ原形 を とどめていない
が、主体部 を中心 に東辺 まで の距離 を反転す れば、東西長 は推定5.6mと なる。
墳丘 の北側 と南側 に尾根 を切断す る溝 を掘 り、墳丘 を区画 している。 北側 の溝 は上 端幅 1.4m、 下
端幅0.8m、 深 さ0.2mを 測 り、南側 の溝 は上端幅1.4m、 下端幅0.65m、 深 さ0.15mを 測 る。 いずれ も
浅 い断面 U字 形 を呈す る。
南北 の溝 によって区画 された旧表土面 の中央部 2×
-10-
3m程 の範囲 をやや平坦 に整えて墳丘基盤 とし、
30.50m
表土
褐色土
暗黄色土
淡黒黄褐色土
黄褐色土 (白 色プロック含む)
暗黄褐色土
黒色土 (旧 表土)
第 8図
奥 山 1号 墳墳丘土層断面図
ヽm lll
A― ―
―
A′
I
E創副司 ロ
1
第 9図
暗黄褐色土
0
奥山 1号 墳主体部実測図
-11-
1m
その中心 に尾根 に平行 に主 軸 を とる墓墳 を掘 り込
み、埋葬 した後盛土 を施 している。盛土 はかな り
流失 した ものと見 られ、調査時 に確認 できたのは、
厚 み約 10∼ 20cm程 度 であ った。
主体部〕
〔
上端幅0.48∼ 0.55m、 長 さ1.9m、 深 さ0.lmの
長方形土墳 を掘 り込み、墓壊 とす る。主軸 はN―
44°
―Wで ある。木棺直葬 と思われるが、 その痕
跡 は検出できなか った。墓壊内埋土 は暗黄褐色土
に地 山 の 白色小 ブロ ックを含 み、墓損上 の盛土 と
同一の もので あ った。墓壊内か ら副葬品等 の遺物
は出土 していない。
0
10Cm
〔
出土遺物〕
北側溝 の墳丘寄 りで、土節器 の邦 3個 体 が、溝
第 10図
奥山 1号 墳出土土師器 :杯 実測図
底 にほぼ接 し、並 べ置 かれた状態 で 出土 した。 ま
た南側溝 か らも土 師器片 が 出土 したが、細片 の為器種 は不明である。
第 10図 1∼ 3は 土 師器 の郭 である。 いずれ も口縁部 は内湾 し、底 ∼体部 は丸 みを帯 びるもので、 1
は日径 10,4cm、 器高5.4cm、 2は 回径 10.5cm、 器高5,3cm、 3は 口径 10.15cm、 器高4.9cmを 測 る。 底 ∼体
部外面 は多方向 の強 いナデ (指 による ?)調 整が行われて い る。砂粒 の動 きはな く、 へ ら削 りによる
もので はない。 日縁部内外面及 び内底面 はナデ調整 である。胎土中 には l mm以 下 の砂粒 をわずかに含
み、色調 は橙茶色 を呈す る。
〔
時期〕
墳裾 で 出土 した土 師器 の郭 は、溝底 にほぼ接 してお り、埋葬時 の関連遺物 と見 られる。墳裾 に土 師
器 の郭 を並 べ置 く例 は八 雲村 の増福寺24号 墳 に見 られる。 5世 紀後半 か ら 6世 紀前半期 の群集墳 (増
福寺古墳群)中 の 1基 である。方墳 と推定 され る墳丘 の大半 が失われ、主体部 も残存 していないが、
南周溝 か ら 6個 体 の椀 が各 々接 した状態 で発 見 されている。 口径 11.2∼ 12.Ocm、 器高 4,7∼ 5.4cmを 測
り、 日縁部 は内湾す る。報告 では薬師山古墳 と同時期 に位置付 け られて いる。奥山 1号 墳 の ものと比
べ ると、器高 は変わ らないが回径 は一 回 り大 きいよ うである。
古墳 か らの出土例 は少 ないが、住居跡 や包含層 か らの出土例 は松江市堤廻遺跡、大角山遺跡、夫敷遺
跡、八 雲村前田遺跡、安来市柳 Ⅱ遺跡、出雲市三田谷 I遺 跡 など数多 くある。 これ らは須恵器出現以
前 か ら定型化須恵器併行期 まで幅がある。
今回 の出土品 は他遺跡 の ものに比 べて日径 が小型化 してお り、 日縁 の内湾す る特徴 が著 しいことこと
か ら、松山編年 Ⅳ期 (註
1)以 降 に属す るもの と考 えてお く。
従 って、本古墳 の築造 は古墳時代中期後半 の新 しい時期 であろう。
参考文献
註 1 松山智弘「 出雲 における古墳時代前半期 の土器 の様相」
『 島根考古学会誌』第 8集
-12-
島根考古学会 1991年
¬
│
半 ウ
31.00m
N
黒褐色土 (表 土)
鈍い黄橙色砂質土
鈍い黄橙色土 (3 om∼ 5 cm大 の礫を少量含む)
鈍い橙色土 (10om大 の礫を少量含む)
褐色土 (l om∼ 3 om大 の礫を少量、炭を少量含む)
I К I
o
第 12図
奥 山 2号 墳墳丘土層断面図
3m
ヽ∞ ︱ ︱ ︱ ︱
m lll
︻
A― ―
︱︱ ︱ ∞
ξ
l
∞
一一――A′
A31.00m
1.褐 色土
(l cm大 の 白色 。灰色の小礫、炭化物を少量含む)
第 13図
(2)2号
0
1m
奥 山 2号 墳主体部実測図
墳
1号 墳 か ら北 に続 く標高30m余 りの尾根 は、約20m地 点 でわずかな高 まりを持 ち、 その先 の標高差
約 3mの 鞍部 へ落 ちてい くが、 その最高所 に築 かれたのが本墳 である。
〔
墳丘〕
墳丘 の盛土 は一部 を残 して流失 した もの と見 られ、墳形 の判断 はつ かなか った。
南裾 はわずかにそれ とわか る程度 の起伏 をな してお り、北裾 は降 り尾根 の地山を削平 して 幅4.5m、
長 さ 2mの 三 日月状 のテ ラスを作 り墳裾 としている。南裾 か ら北裾 に至 る南北 の規模 は約 10m、 高 さ
は南裾 か ら0.5m、 北裾 か ら lmを 測 る。 なお墳丘 の東側、西側 には明瞭 な墳裾 は認 め られなか った。
頂部地山面 の 4×
5m程 の範囲 をやや平坦 に整形 して墳丘基盤 とし、 そ こに尾根 に平行 に主軸 をと
る墓壊 を掘 り込み、埋葬後盛土 を施 して墳丘 を築成 して いる。
主体部〕
〔
幅0.6m、 長 さ2.6m、 深 さ0.25mの 長方形土装 を掘 り込み墓壊 としている。 主 軸 は N-30° 一Wで
ある。木棺直葬 か と思われるが、 その痕跡 は検 出で きなか った。
墓墳内か ら副葬品等の遺物 は出土 して いない。
〔
時期〕
出土遺物 が無 く、時期 を判定 で きる根拠 に乏 しいが、 1号 墳 が起伏 の少 ない尾根 の中間地点 にわざ
わざ築 かれているのに対 し、本墳 が 目立 つ立地 にあることを考 えると、本墳 が先 に存在 し、 1号 墳 が
後 か ら築 かれた ものと考 えるのが 自然 であろ う。
-15-
奥 山 3号 墳調査前地形測量図
t」
,
0
36.00m
S
1
2
3
表土
灰黄色土
鈍い橙褐色土
4.黒 褐色土
5 暗褐色土
6.黒 味がかった橙褐色土
7.橙 褐色土
8.橙 色粘質土
9.茶 褐色粘質土 (黒 色プロックを多 く含む)
︱ 冨 ︱
36.00m
W
10,黒 褐色土
11 暗赤橙色粘質土
12.赤 橙色粘質土 (白 色プロックを含む)
13 黄橙色土
(赤 色ブ ロ ックを含む)
13' 13層 よりも橙色が濃い
14.旧 表土 と黄橙色土 (13層 )の 混合土
14' 14層 より黄橙色上の割合が多い
15,旧 表土
第 16図
奥 山 3号 墳墳丘土層断面図
0
3m
ロ ーーー
ヽ
0 111
ω阻 旧 旧
o︲
︲
m
E劇測引
︱︱ l m
︱11 0 、
0`
A35.50m
1
A'
―
橙色粘質土
2.茶 褐色粘質土
3
(黒 色プ ロックを多 く含む)
黒褐色土
4.暗 赤橙色粘質土
第 17図
(3)3号
0
(白 色小ブ ロックを含む)
1m
奥山 3号 墳主体部実測図
墳
本古墳群中 の中央部、最高所 に位置 し、標高35.50mを 測 る。
墳丘〕
〔
調査前測量時 には方墳 か と思われたが、調査 の結果 は直径8.3m、 高 さ0.9mの 円墳 であった。
3号 墳 が築 かれた最高所 は、 もともと南北 に細長 い地形であ った と思われるが、古墳 を築造す るに
あた って、中 ほどを溝 で切断 し、南側 を墓 域 とした もので ある。
墳丘 は旧表土面 を基盤 としている。 旧表土面 の直径約7.5mの 範囲 を残 してその周囲 は地 山 の厚 み
が0.5mに なるまで削 り落 とされ、墳裾 とな ってい る。残 された円形 の 旧表土上 には周辺 を削 って 出
た赤橙色 ∼黄橙色系 の地 山粘質土 が0。 4m盛 り上 されて いた。 墓装 は この盛土上 か ら掘 り込 まれてお
り、墓墳底 は中心部 では旧表土 に達す るが端部 では盛土 中で終 わ っている。 この墓壊 の中 にはおそ ら
く木棺 が納 め られた もの と思われ、埋 め戻 しの後、 さらに若子 の盛土 がなされ、墳丘が完成 している。
主体 部〕
〔
築造当初 は幅0.85m、 長 さ2.2m以 下、深 さ0.2mの 長方形土壊 の中 に木棺 が納 め られて いた もの と
-19-
思われるが、北側半分 は撹乱 を受 けた後、 また埋 め戻 されてお り、最大幅1,2m、 深 さ0.25mを 測 る。
主車
由はN-12° ―Wに とる。
土壊検出面 よ り数 cm掘 り下 げたと ころで、鉄剣 1日 と鉄鏃 2本 が出土 した。幸 い撹乱部分 にはかかっ
ていなか った。棺側 に置 かれた ものが、棺 の腐朽 とともに中 に落 ち込んだ状態 と考 え られ る。棺内 の
遺物 はなか った。
〔
出土遺 物〕
第 18図 -1の 鉄剣 は切先が失 われてお り、残存全長 は39.5cmで ある。刃部残存長31.5cm、 刃部幅3.0
cm、
関部 は緩やかなカー ブを描 いて くりこまれ、茎部長8.Ocm、 茎部 幅2.2∼ 2.5cmを 測 る。茎尻か ら1.3
cmと 3.5cmの ところに直径 5 mmの 日釘穴 があ り、前者 には 目釘 が残 ってい る。 また関か ら1.2 cm刃 部側
に直径 4 mmの 円孔 がある。
2は 片刃箭式 の長頸式鏃 である。茎 の先端を僅 かに欠損 してお り、残存長 14.6cmを 測 る。鏃身部長
は3.Ocm、 鏃身断面 は二等辺三 角形 の平刃造 で、鋭角 に入 りこむ逆刺を もつ 。 箆被部 は段 を持 たず、
茎部 に向か って細 くなる。頸部長 は11.6cmで ある。
3は 長頸式鏃 の頸部 である。鏃身部 を欠損 してお り、両刃式であるか、 2と 同様 の片刃箭式 である
かは不明である。箆被部 はやはり段 を持 たず、茎 へ先細 りす るもので、残存長 は10.Ocmを 測 る。
〔
時期〕
鏃身部長 3 cm前 後 の片刃箭式 の長頸式鏃 は古 曽志大谷 1号 墳 や山崎古墳 に類例 がある。 いずれ も 5
世紀後半代 に位置付 けられてお り、本古墳 も同時期 の ものと考 え られる。
参考文献
原 喜久子 「島根県 における古墳時代 の鉄鏃 について」
『島根考古学会誌』第10集
島根考古学会 1993年
(4)SX-01
3号 墳 の北側 に隣接す る標高35m余 りの小高 い場所 を古墳想定地 として調査 したが、墳丘 としての
加工 は認 め られず、古墳で はないと判断 した。
〔
形態・ 規模〕
SX-01は 頂部平坦面 の西南寄 りで検 出 した隅丸長方形 の土壊である。直上 に大 きな木 の根 があっ
たためにかな り掘 り下 げた時点で土壊 の存在 が判明 し、底部近 くがかろうじて検出できたものである。
残存幅 35m、 残存長2.15m、 深 さ0。 lmを 測 るが、古墳 として調査す るために設定 した畦にかか って
0。
残 った部分 か ら推定す ると、当初 は幅0。 7m、 深 さ0.3mは あ った ものと思われ る。表 土 直下 の地 山 か
ら掘 り込 まれ、主軸 はN-11° ―Wに とる。
土壊内部、土壊周辺 ともに遺物 は出土 していない。
〔
性格・ 時期〕
土壊 の性格 については、古墳群中 の 3号 墳 と並ぶ最高所 に立地 していることか ら、墓墳 の可能性 が
高 いと思われるが、隣接す る 3号 墳 との新 旧関係 はは っきりしなか った。
-20-
鏃
鉄
-21-
3
Θ 2 ⑤
範 一
奥山 3号 墳出土鉄製品実測図
第 18図
10cm
0
・
作周慟体ヽ難鞘
チ 帆ヽ
0
4m
―
第19図
SX-01付 近調査成果図
。
1醤
ヨ
A一 一
Q13&20m
A
l
_
μ
35.20m
B
r__B′
│
\
0
1m
第 20図
SX-01実
―
-22-
測図
__」
第21図
奥山 4号 墳・ 5号 墳調査前地形測量図
0
第 22図
(5)4号
4m
奥 山 4号 墳調査成果図
墳
3号 墳 の所在す る最高所 か ら北 に降 った標高31.50mの 地点 に位置す る直径7.5mの 小円墳 である。
〔
概要〕
墳丘 を含 む周辺 は表土除去後 10cm程 の鈍 い明赤褐色土 が堆積 し明赤褐色土 の地山に達 した。堆積土
―-24-
32.00m
N
S
2.鈍 い明赤褐色土
2′
2層 よりもやや黒 っばい
3.や や鈍い赤褐色土
4
5
6
7
赤掲色土 (荒 い砂の粒子を多 く含む)
赤褐色土 (砂 が多 くサクサクしている)
黒赤褐色土 (荒 い砂を多 く含む)
鈍い赤掲色土 (石 を少 し含む)
第 23図
奥 山 4号 墳墳丘土層断面図
は地 山 の風化土 と思われ、古墳 の盛土 は確認で きなか った。 しか し、墳丘 か らは主体部 が確認 で きな
か った ことか ら、築造当初 は盛土 を施 しその中 に主体部 を設 けて いたので はないか と推測 される。
墳丘南側 に地山を切削加工 した溝を検出 した。溝 は上端幅1.4m∼ 1,7m、 下端幅 0.45m、 深 さ0.25
m∼ 0.3mを 測 り、断面形 は緩やかなU字 形 を呈す。両端 は円弧状 に少 し回 して い る。 墳丘北側 で は
地形 の傾斜 がやや緩 やかになる変換点を墳裾 とした。
この古墳 か らの遺物 は皆無 であ り、時期 を特定 で きる根拠 は得 られなか った。
(6)5号
墳
4号 墳 より北北西 へ降 った尾根筋 に位置 し標高28mを 測 る。
〔
墳丘〕
墳頂部 は盛上 の残存状況 が悪 く明瞭 な規模 を測 れなか ったが、南側 の地形 ライ ンが直線状 で北側 に
向かい直角 ぎみに回 るため南北7.Om、 東西4.5mの 長方形 を呈 して いたと思われる。 南側 に比 べ ると
北側 の レベルが低 いため、北側 では原形 を留 めないほど著 しく盛土が流失 した ものと思われる。
墳丘南側 は尾根 を切断 し溝 を設 け墳丘 をきわだたせて い る。溝 の規模 は上端幅4.5m、 下端幅2.8m、
墳頂 か らの比高0.4mを 測 り、断面形 を緩 やかなU字 形 を呈す。東側、 西側 の墳裾 は意 図的 に整 形 し
たと思われる地形 を確認で きなか った。北狽
ついて も同様 に明瞭 な墳裾 は検出で きなか ったので、
`に
斜面 の傾斜 が若干緩 やかになる地形 の変換点 を墳裾 とした。墳頂 か らの比高 は2.Omを 測 り、 南北 の
-25-
第24図
奥山 5号 墳調査成果図
―-26-
30.00m
S
︲︱︺﹃︱︱
表土
淡黄掲色土
褐色土 (や や暗い)
暗黄掲色土
黄褐色土
明黄褐色土 (白 色ブロックを含む、やや暗い)
黄橙色土 (や や晴い)
灰黄褐色土 (白 色小ブロックを含む)
淡明黄掲色土 (白 色ブロックを含む)
やや鈍い黄橙色土 (黄 色の小さな粒を含む)
29.00m
子♀17
11
12.
13
14.
15
16.
17
18
19,
20
明赤褐色土 (l cm以 下の砂粒を多 く含む)
明黄灰色土
黒 つばい赤褐色土 (5m以 下の砂粒をすこし含む)
黄灰色土 (土 層の中に茶褐色の土を含む)
黒黄色土
淡黄茶色土 (石 、炭化物を含む)
黄褐色土 と明黄褐色土の混合土
黒黄掲色土 (旧 表土)
淡明黄褐色土
暗黄茶色土
第25図
奥山 5号 墳墳丘土層断面図
0
3m
翰 脱臓鴫V剖
割剣判剖 く
B28.50m
暗灰黄色土
暗灰橙色土 (粘 性がやや強 い)
暗灰黄茶色土と暗黄茶色土の混合土
j陛
暗黄橙色土 (粘 がやや強い)
暗黄橙色土 (4層 より少 し暗い)
暗黄茶色土
暗灰黄橙色土
明黄褐色土
晴黄褐色土
B′
―
10 明黄茶色土
11,暗 黄橙色土
(l om程
の白色プロックを含む)
12 黄茶色土
(白 色プ ロックを含む)
(白 色プロックを多 く含む)
13.茶 色土 と黄茶色上の混合土
(白 色プロックを多 く含む)
14 暗黄茶褐色土
15,黄 橙色土
16 明黄褐色土
(地 山ブ ロックを含む)
(地 山ブロ ックを含む)
17.淡 明黄掲色土
o
第26図
2m
奥山 5号 墳主体部実測図
規模 は約 12.Omを 測 ることとなる。墳丘 は築造当初 より高低差 の ある北、東、西側 にはあま り手 を加
えずに自然地形 を充分 に活用 し、墳頂部 のみを整形 し築造 された ものと推測 される。
築造手順 は、 まず墳頂部 の旧表土を削 り地山面をあ る程度整地 し墳丘基盤 としている。次 に墳頂部
に粘性 の黄橙色土 を盛上 して平坦面 を整形 し墓壌を掘 り込 んでいる。盛土 は レベルの低 い北側 に厚 く
-28-
側 の東
盛 られ南側 に行 くほど薄 く盛 られて いる。特 に】ヒ側 の西角 で20cm∼ 25cmと 最 も厚 く盛 られ、】ヒ
角 で 8 cm∼ 15cm、 東側、西側 で 3 cm∼ 12cmを 測 る。南側 において盛土 はほとんどな く、墓壊 の掘 り込
み も地山面 か らであ った。埋葬後 は この黄橙 色土 に類似す る盛土 を施 し、 さらに黄褐色土 を盛上 した
と思われ る。
主体部〕
〔
墳頂部平 坦面 の中央 に主 軸 をN-27°
一Wに とる二 段掘 りの墓壊 を検 出 した。規模 は長 さ3.6m、
上端幅1.8m∼ 2.lm、 深 さ0.5mを 測 る。木棺 を安置す る為 の内側 の掘 り込み は、墓墳中央 に主 軸 を 同
位 に して掘 り込 まれて いる。規模 は長 さ3.Om、 上端幅0.58m∼ 0.6m、 深 さ0.15mを 測 る。 南側 の小
日辺 には段 を有 して いなか った。
墓墳底部 は平坦 に整形 されてお リ レベルの差異 はほとん どな く、下端幅 も0,36m∼ 0.42mと ほぼ均
― に掘 り込 まれて いる。 この状況 か ら頭位 を考察す ることは困難 であ ったが、底部南側 よ り枕石 と思
われ るL字 状 に組 み合 わされた15cm∼ 20cm程 の石 を 2個 検出 したため、頭位 は南東 に置 かれて いた も
の と推測 され る。底部 か らの出土遺物 は鉄剣 1日 、鉄鏃 1本 、刀子 1日 、不明鉄器 1個 であ った。鉄
剣、鉄鏃、刀子 は底部 よ り 2 cm∼ 3 cm程 浮 いた状態 で 出土 してお り、遺体 の上 に置かれた ものと考 え
られる。 また刀子 は切先を下 に斜 めに落 ち込んでお り棺上 に置 かれて いた可能性 も考え られ る。不明
鉄器 は墓娯 中央 の東側側壁 に位置 し底部 か らは 7 cm程 浮 いた状態 であ った。
埋土か らは土 師器直 口壺が 1個 体出土 し、埋葬後盛土を施す前 に置 かれた供献土器 と思 われ る。
〔
出土遺物〕
28図 -1の 直 口壺 の体部 は比較的良好 な残存状況 であるが、 日縁部 は 1/3程 度 で端部 を欠損 して
いる。器高 は17.3cm(推 定)、 日径10.6cm(推 定 )、 頸部径9.4cm、 胴部最大系15,9cmを 測 る。 頸部 は緩
やかに「 く」 の字 に屈曲 し、 日縁部 はやや外傾 してま っす ぐ伸 びる。胴部 は肩 が張 らず胴部最大径 に
達 し、底部 にかけて丸 みを帯 びるやや偏平 な型 を呈 して いる。外面 の調整 は頸部か ら口縁部 にかけて
若千 ナデ調整 が見 られるが、全体的に風化 が著 しいため不明である。内面 の調整 は頸部 か ら口縁部 に
ナデ調整、胴部上 方 に横方向 のヘ ラ削 り、胴部下方 にヘ ラ削 り後 ナデ調整 が施 されて いる。底部 には
深 い指頭圧痕 が残 っている。胎土中には l
mln∼ 2■ m程 の砂粒 を少 し含 み、色調 は橙色 か ら黄橙色 を呈
してヽヽる。
29図 -1の 鉄剣 は全長42.4cm、 剣身長31.8cm、 最大刃幅0.5cm、 茎長 10.6cm、 茎幅 1.5cm∼ 2.4cmを 測
る。茎尻 よ り1.6cmと 6.3cmの ところに径 6 mmの 目釘穴 が穿 たれて いる。関 は浅 く直角 に切 れ込 み茎 は
茎尻 に向か って ま っす ぐ細 くな り茎尻を丸 く整えて いる。茎上部 よ り剣身中 ほどにかけて は若干 の木
質 が観察 され、副葬時 には鞘 に納 めてあった もの と思われる。
29図 -2の 鉄鏃 は錆化 が著 しく明瞭 な形状 を知 ることは困難 であ ったが、基箭式 の長頸式鏃 で はな
いか と思 われ る。残存長5.2cm、 鏃身長 2.lcm(推 定)を 測 り、明瞭 な関 は持 たずに箆 被部 へ と続 く。
茎 は欠損 しているため不明である。
29図 -3の 刀子 は残存長7.6om、 刀身長5.Ocm、 元幅1.2cmを 測 り、 ほぼ完型で 出上 した。関 か ら茎 に
かけて は柄 と思われる木質 が観察 される。 そのため形状 は確認 で きなか った。
―-29-―
また棺底 か ら出土 した不明鉄器 (図 版21)
は、錆化 が著 しく細微 であ った。径 2111n程
の針金状 の ものと思われ、先端部 を折 り返
し長 さ 8 mm程 の細長 い輪 を作 っているよう
である。
〔
時期〕
墓壊内で 出土 した土 師器 の直 口壺 は、類
例 を安来市 の渋山池 1号 墳 にみることがで
きる。胴部 がやや扁平 し、 日縁 はま っす ぐ
に開 く形態 で松山編年 Ⅳ期 (註
1)に 位置
づ け られて い る。 また、棺底 よ り出土 した
A28.50m
鉄剣 は、剣身長 か ら短剣 に属す るものであ
る。池淵俊一氏 の論考 (註 2)に よると、
茎、
関 の形態 は中細茎、浅直・ 斜角関 タイプで
あ り若干古墳時代中期後半 にも見 られ ると
考 え られて いる。 これ らの ことよ り本古墳
の築造 は古墳時代中期後半 と考 え られ る。
1.茶 色土 と黄茶色上の混合土
2
〔
小土境〕
この上壊 は墓装中央東側 において検 出 さ
3
4.暗 黄橙色土
5
6
7
(白 色、橙色ブロックを少 し含⑮
黄茶色土 と明黄茶色土の混合土
(白 色、橙色プロックを多く含⑮
暗黄茶褐色土
暗黄茶色土
暗灰黄色土
暗灰黄茶色土
0
1m
れた。 規模 は南北 0,7m、 東西 0.85m、 深
さ0.4mを 測 り、平面形 は方形 を呈 す。 土
第 27図
奥山 5号 墳小土境実測図
竣 は墓 墳 の盛土上 よ り掘 り込 まれてお り、
底部 は不整形 で段 を有す るところもある。
後世 に掘 り込 まれた もの と思われ るが、遺
物 が 出上 していないため時期 や性格 は不明
である。
参考 文 献
註
1
松山智弘 「 出雲における古墳時代前半期の上器の欄側
『 島根考古学会誌』第 8集
島根考古学会 1991年
註2
池淵俊― 「 鉄製武器に関する一考察一古墳時代前半期
の刀剣類を中心として―」
『 古代文化研究
第 1号 』
島根県古代文化 セ ンター 1993年
原 喜久子「 島根県における古墳時代の鉄鏃について」
0
『 島根考古学会誌』第 10集
10cm
島根考古学会 1993年
第28図
―-30-―
奥山 5号 墳出土土師器 :直 口壷実測図
―
―
︲
中
︲
0 一∞ の 3
中
―-31-―
O o 2
︱
奥山 5号 墳出土鉄製品実測図
第 29図
︲
剣
鉄
子
刀
鏃
鉄
10cln
0
1
一
一
一
一
﹁堕酔酔
〇
一
とこ二っ
_
や
―
▼
第30図
奥 山 6号 墳調査前地形測量 図
\
、
キ
︲
、
、
0
6m
奥山 6号 墳調査成果図
(7)6堤 泄責
5号 墳 よ り北 に降 り尾根 の先端 に位置す る。標高25.Omで 低地 を望む見晴 らしの良 い立地である。
概要〕
〔
運動公園造成以前 にはこの場所 に鉄塔 が設置 されて いたよ うで、墳丘 の半分以上 は削平 されている。
主体部 もこの部分 に設 けられていたと思われ、すでに破壊 された ものか確認 で きなか った。
残丘部分 の東西土層断面 よ り地山上一層 に旧表土 を確認 した。 その直上 には厚 さ10cm∼ 20cmの 黄褐色
土層が径約11.Omに わた って堆積 してお り、 これが古墳 の盛土 と考 え られる。
溝 は墳丘南側 に切 られてお り、上端幅4.5m、 下端幅1.5m∼ 2.4m、 深 さ0.6m∼ 0.66mを 測 る。断面
形 は緩 やかな U字 形 を呈す。 また北側 の墳裾 には半月状 の平坦面 を造 ってお り、長 さ5.2m、 最大 幅
2.8mを 測 る。残丘部分 を調査 した限 りでは南北約 15mの 円墳 ではないか と思 われ るが、 部分 的 な調
査で確かな ことは言 えないので墳形 は不明 としてお く。
〔
時期〕
出土遺物 が一 点 もな いため時期 は特定 で きな いが、溝 に堆積 した暗黄褐色土 (第 32図 9層 )は 5号
墳 の墳丘盛土 が流出 した ものと思われ、本墳 は 5号 墳 に先立 ち築造 されて いた可能性 もうかがえるの
ではないだろうか。
-33-
26.00m
W
1.盛 土
(北 側削平時に盛 った上)
(古 墳の盛土)
2.黄褐色土
3.褐 色± 0日 表土)
4.褐 色土 (3層 よりやや明るい)
II ∞ト ーー
5.暗 褐色土
6.地 山
(黄 色の小さな粒子を少 し、炭化物を含む)
(図 欠番)
1層 の盛上がされる前の表生
表土
暗黄褐色土
褐色土 (や やサクサクしている)
少 し黄 っばい暗掲色土
白色の地山フロックを含む土
26.00m
N
0
第 32図
奥 山 6号 墳墳丘 土 層断面図
3m
Ⅳ
結
小
調査 の結果、 1号 墳、 5号 墳 の方墳 2基 、 3号 墳、 4号 墳 の円墳 2基 、 2号 墳、 6号 墳 の墳形不明
2基 の計 6基 と土墳 1基 を検 出 した。 この うち比較的遺存状態 のよか った主要 な古墳 の墳丘規模 は 1
号墳 が6,4m× 5.6mの 方墳、 3号 墳 は直径8.3mの 円墳、 5号 墳 が南北長 12.Omの 方墳 であ った。 (他
は P.4の 表 1に 記す)
6基 の古墳中、主体部 が確認 で きたの は、 1号 墳、 2号 墳、 3号 墳、 5号 墳 の 4基 であ った。 いず
れ も木棺直葬 と思われるが、 その痕跡 を残す ものは 1基 も確認で きなか った。
墓娯 の規模 に注 目 して見 ると、 1号 墳、 2号 墳、 3号 墳 が長軸 2m前 後 の素掘 りの墓装 であるのに
対 し 5号 墳 は様相 を異 に し、長軸3.6m、 短軸2,Omと 長大 で内側 に木棺 を安置す るため の掘 り込 みを
持 つ 2段 掘 りの墓媛であ った。
5号 墳 の墓壊 には底部 の南東側 に枕石 が置 かれてお り本古墳群中で唯一頭位を考察できるものであっ
た。副葬品 も 6基 中唯一納 め られてお り、底部 よ りやや浮 いた状態 で鉄剣 1日 、鉄鏃 1本 、刀子 1日
が出上 して いる。 (但 し 3号 墳 は主 体部 の北側 1/3程 度 を後世 に盗 掘 と思われ る撹乱 を受 けてお り
副葬品があった可能性 もある ことを書 き示 してお く。)中 期 の古墳 で枕石 を置 く例 はあま り知 られて
いないが、馬潟町 の観音寺 2号 墳 (註
1)、
八雲村 の増福寺20号 墳 (註
2)に 見 ることがで きる。 い
ずれ も中期後半 の築造年代 に位置付 け られ、墳丘規模、内部主体、出土遺物 の様相 が古墳群中傑出 し
てお り、被葬者 が古墳群中かな りの地位 にあ ったであろうと考 え られて いる。 この ことは 5号 墳 も同
様 であ り、 5号 墳 の被葬者 が本古墳群 において際立 った存在 であった ことが推測 され る。
出土遺物 は 5号 墳 の副葬品 の他、 1号 墳 よ り土師器 の邦 3個 体、 3号 墳 よ り鉄剣 1日 、鉄鏃 2本 、
5号 墳 よ り上師器 の直 口壺 1個 体 が出土 して いる。 これ らはいずれ も築造当時に供献 された ものと考
え られ、古墳 の築造年代 を考察 しえ るものであ った。 1号 墳 の土師器 の郭 と 5号 墳 の土師器 の直 口壺
は松山編年 Ⅳ期 (註
3)の 範疇 に含 まれ るもので、築造時期 を古墳中期後半 と推定 され る。 しか し、
1号 墳 の郭 は当該期 の郭 と比較す ると口径 の小径化 と口縁 の内湾が著 しい特徴 が観察 され るため、 や
や新 しい時期 に降 る可能性 も考え られ る。 3号 墳 の片刃箭式 の長頚式鏃 (註
4)は 、鏃身長 が 3
後 の一般的 なタイプの もので、 これが最 も盛行す る山陰須恵器編年 の I期 (註
cm前
5)に 併行す るものと
考 える。 この ことよ り 3号 墳 の築造年代 は古墳中期後半 と推定 され る。以上 のよ うに遺物 の年代観 か
ら考察す ると と号墳、 3号 墳、 5号 墳 は同時期 に相前後 して築造 された ものと推測 され る。築造順序
は、比較遺物 の種類 が不揃 のため決定 づ ける根拠が得 られなか った。但 し 1号 墳 は邦 の年代観 より 3
号墳、 5号 墳 よ りも後 に築造 された可能性 も考え られる。
また、 1号 墳出土 の上師器 の郭 は北側 の墳裾 となる溝底 に接 し、 3個 体 が並 べ置 かれた状態 で出土
してお り、葬送 の祭祀 が執 り行 われたことが窺 われ る。近隣で このよ うに土師器 の郭 を並 べ置 く例 は
八雲村 の増福寺24号 墳 (註
2)に 見 られ、土師器 の高邦 を並 べ置 く例 は同村 の増福寺 2号 墳
23号 墳 と東出雲町 の渋山池 3号 墳 (註
(註 6)、
7)に 見 ることができる。 いずれ も中期後半 の築造年代 に位置
-35-―
付 け られてお り、墳丘上で行 われた土器供献行為 の他 に、墳裾、溝内で も祭祀行為が行われ るように
なったとも考 え られている。 よって これ らは当該 期 における祭祀行為 の変様 を解明す るうえでの貴重
な資料 とな り得 るものであろう。
被葬者 については前述 の ごと く 5号 墳 が他 を圧 して い るの は言 うまで もないが、 3号 墳 は本古墳群
最高所 に立地 し、鉄剣、鉄鏃 とい った武器類 が供献 されて いることか ら、 これ も重要 な位置 にあった
ので はないか と思われる。 また本古墳群北端 に立地す る 6号 墳 は、後世 の削平 によ り墳丘 の半分以上
を失 ってお り、墳丘規模 の推定調査 に留 ま ったが、 その規模径 15mの 円墳 であったのではないか と推
測 される。 そのため 6号 墳 は本古墳群最大規模 になる様相 であ り、 5号 墳 と同等以上 の被葬者 が埋 葬
された可能性 があ り注意 される。
本古墳群 を形成す る集団 は、 これまで発見 された周辺 の中期古墳 を考察 に加 え、墳蝋
冨J葬 品、
供献品 の質的、量的 な観点 か ら見 ると際立 った特徴 も見 られず、地域 を掌握す るような強 い権力集団
とは考 え難 い。 む しろ当地 を掌握す る豪族集団 と主従関係 にあ り、周辺 の谷部 で農耕 などを生産基盤
として生活 し累代的 に営 まれた小規模 な地域集団ではないだろ うか。
また運動公園造成以前 の本古墳群周辺 の地形 は、西方 に南北 に伸 びる田園地帯 が広 が り幅 の広 い谷
地形 を呈 していた。 ここに生活基盤があ ったので はな いか と考 え られる。東方 は幅狭 な尾根筋 が南北
に伸 びて いた。 この尾根筋 は本古墳群 と小規模 な谷続 きにな ってお り、 7号 墳 の南西 に位置す る標高
40mの 丘陵上で合流す る。 ここに も何基 かの古墳 が存在 していた可能性があ り、本古墳群 の規模 はも
う少 し拡大 していただろうと考 え られる。
今回 の調査 では、削平 のため 6号 墳 の全容 が初 めなか ったことなど惜 しまれる点 もあるが、一方で
1号 墳、 3号 墳、 5号 墳 とい った比較的遺存状態 の良 い古墳 にも恵 まれ、本古墳群 の実態 について主
要 な部分 を明 らかにで き、今後乃木地区 の古墳時代中期 の墓制を検討 して い くうえで貴重 な資料 を得
ることがで きた もので あ った。
参考文献
註 1 「 Ⅱ 松江 。観音寺古墳群」
『 島根県埋蔵文化財調査報告書』第 Ⅳ集 島根県教育委員会社会教育課 昭和47年 3月
註 2 『 増福寺古墳群発掘調査報告書 昭和56年 度』八雲村教育委員会 昭和57年 3月
註 3 松山智弘 「 出雲 における古墳時代前半期 の土器 の様相」『島根考古学会誌』第 8集 島根考古学会 1991年
註 4 原喜久子 「 島根県 における古墳時代 の鉄鏃 につ いて」
『 島根考古学会誌』第 10集 島根考古学会 1993年
10周
1960年
註 5 山本 清 「山陰 の須恵器」
島根大学開学
年記念論文集』
『
註 6 『 増福寺古墳群発掘調査報告書 昭和55年 度』八雲村教育委員会 昭和56年 3月
註 7 『 渋山池古墳群』 建設省松江国道工事事務所 島根県教育委員会 1998年 3月
『 古曽志遺跡群発掘調査報告書一朝 日ケ丘団地造成 に伴 う発掘調査―』島根県教育委員会 1989年
『 山崎古墳』松江市教育委員会 1984年 3月
―-36-―
Ⅶ
国
図版
1号 墳調査前全景
(南 東 よ り)
1号 墳主体部検 出状況
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驀辞 ﹂
博が
ン
1号 墳主体部土層断面
1
図版 2
1号 墳主体部完掘状況
1号 墳土師器
:lTh出 土状況
(左 下 )
1号 墳 土 師器 :郷 出土状況
図版 3
1号 墳 完掘状況
(北 よ り)
1号 墳 出土土師器
:lTh
図版 4
2号 墳調査前全景
(北 よ り)
2号 墳主体部検 出状況
2号 墳主体部上層断面
図版 5
攀鮎 誕 藝 燕
2号 境主体部完掘状況
2号 墳墳丘東側 土層断面
2号 墳完掘状況違景
(北 よ り)
図版 6
3号 墳調査前全景
(南 よ り)
Ⅷ
処爾
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3号 墳主体部検 出状況
3号 墳鉄製品出土状況
(鉄 剣 。鉄鏃 )
図版 7
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3号 墳主体部上層断面
(南 北 )
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3号 墳主体部土層断面
(東 西 )
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図版 8
3号 墳主体部盗掘摘完掘状況
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:鞍 11′
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3号 墳主体部完掘状況
3号 墳西側墳裾 土層 断面
図版 9
3号 墳完掘状況近景
(南 東 よ り)
翼る↑殺
(南 東 よ り)
蒙柑
3号 墳完掘状況遠景
図版 10
3号 墳墳丘基盤
(南 東 よ り)
3号 墳 出土鉄製品 :鉄鏃
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3号 墳 出土鉄製品 :鉄 剣
図版 12
SX-01検 出状況
SX-01完 掘状況
(北 北西よ り)
SX-01完 掘状況
(南 よ り)
図版 13
4号 墳調査前全景
(南 よ り)
4号 墳南側 の溝検 出状況
4号 墳南側 の溝完掘状況
図版 14
4号 墳完掘状況
を
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(南 西よ り)
5号 墳調査前全景
(南 東よ り)
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帯
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一
5号 墳主体部検 出状況
図版 15
5号 墳主体部上層断面
(南 北 )
図版 16
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5号 墳土師器 :直 口童 出土状況
5号 墳鉄剣 出土状況
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5号 墳刀子 出土状況
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(北 東 よ り)
5号 墳主体部完掘状況
図版 18
5号 墳墳丘北側土層断面
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5号 墳墳丘南側 の溝土層断面
5号 墳墳丘南側 の溝検 出状況
図版 19
5号 墳完掘状況遠景
(南 よ り)
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5号 墳完掘状況近景
(南 東 よ り)
図版 20
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5号 墳墳丘基盤
(南 よ り)
5号 墳小 土 病検 出状況
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5号 墳小土境完掘状況
図版 21
5号 墳 出土土師器 :直 回壷
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不明鉄器
5号 墳 出土鉄 製 品
図版 22
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5号 墳 出土鉄製品 :鉄 剣
図版 23
6号 墳調査前全景
(南 よ り)
6号 墳南側 の溝検 出状況
6号 墳南側 の清完掘状況
図版 24
6号 墳墳丘西側墳裾 完掘状況
6号 墳完掘状況遠景
(南 よ り)
6号 墳完掘状況近景
(南 東よ り)
報 告 書 抄 録
ふ
り が
垂日
副
書
な
お くやま こふん ぐんはっ くつ ち ょうさほうこ くしょ
名
奥 山古墳群発掘調査報告書
名
巻
次
シ リ ー ズ 名
松江市文化財調査報告書
シ リー ズ番 号
第 90巻
編
著
者
名
広江光洋
編
集
機
関
松江市教育委員会・ 財団法人松江市教育文化振興事業団
〒690-8540 島根県松江市末次 町86番 地
所
在
地
発 行 年 月 日
〒690-0886 島根県松江市母衣町180-21
奥山古墳群
ー
TEL 0852(28)2065
ド
】ヒ 糸
章
所在地
市町村
おくやま こ ふんぐん
東
経
2000.12.4
島根県
松江市
種 丹J
調査期間 調査面積 調査原因
遺跡番号
32201
D-026
1,800rだ
主 な時代
主な遺構
な
主
遺
物
土師器 (壺 、郭)
奥 山古墳群
古
墳
土地造成
2001.6.25
上乃木
所収遺跡名
0852(55)5294
2001年 (平 成 13年 )9月 30日
コ
所収遺跡名
阻
古墳 時代 中期
古
墳
鉄製品
(剣 、鏃、刀子)
特
記
事
項
奥山古墳群発掘調査報告書
200」弔 9月
発 行
松 江 市 教 育 委 員 会
財団法人松江市教育文化振興事業団
印 刷 ltl黒
潮
社
松江市向島町182-3