校歌に詠われる心(創造・敬愛・至誠)を実践する生徒の育成

校歌に詠われる心(創造・敬愛・至誠)を実践する 生徒の育成
校訓「創造・敬愛・至誠」は、校歌に含まれる文字です。
校
歌
作詞
作曲
大関 博
石井信夫
◆◆大沢中学校三訓◆◆
創
造
一
朝雲群るる
久遠の光
青春われら
男体の
さすところ
希望あり
ああひらきゆく
蛍雪の
日毎の智徳
身に添えて
われ創造の
人たらん
一番では、人としての道を説いています。
校 章 物 語
五羽の鳥で「大」を構成し大沢中を表現しています。
鳥の種類には三つの説があります。
説一 鳥は鷺
さぎの仲間にコウノトリがいます。コウノトリをはじ
めさぎ類は子孫繁栄の象徴です。よい子がたくさん生ま
れて、この地が学校が、繁栄しますように。との願いを
込めて鷺をモチーフにしたというものです。大沢地区に
は、特に猪倉地区には、たくさんの白さぎが生息してい
ます。たんぼが広がっていた頃にはもっと多かったろう
と思われます。田圃に戯れる純白の鳥は本当に美しいも
のです。
説二 鳥は鳩
新制中学がスタートしたのは昭和二十二年です。第二
次世界大戦の終戦後、二度と戦争をしないと日本は誓い
ました。大沢中も平和教育を開始しました。そこで平和
のシンボルとしての白鳩がモチーフとなったというもの
です。 説三 鳥は雀
昔々、雀と燕は姉妹でした。野良仕事をしていたとき
母が危篤の連絡を受けた雀は取り替えず野良着のままで
見舞いに駆けつけました。燕は念入りに化粧して美しい
着物に着替えてから出向いたため母の最期に会えません
でした。神様は、雀のやさしい心根に感心し、年中、野
良着のままではあるが米を食することと一年中人里に住
むことをお許しになりました。そして燕のことをお怒り
になり、お前は一生そのきれいな着物を着ていていいが
大事な米を食してはならん。人家に近づくのは一年の半
分だけだ。とお命じになりました。岐路に立ったとき正
しい道を歩んで欲しいとの願いを込めて雀をモチーフに
したというものです。
夢と希望あふれる青春時代です。
苦しくてもわずかな灯りしかなくても、
しっかり学んで智徳の高い人となれとあります。
「知」は知識を言いますが、
「智」は賢さを表します。
「徳」はもちろん人徳です。
学びは机上のものではなく創造だと説いています。
大きく羽ばたく第一歩を大沢中学校で踏み出しましょう。
【参考】
■久遠
「永遠」の意の漢語的表現です。
■蛍雪
中国古代、灯油が買えなかった貧書生、車胤(シヤイン)
が蛍(ホタル)の光を集め、また、孫康(ソンコウ)が雪
明りに頼って読書にいそしんだ故事から、ある目的を目指
して苦学することを言います。
「蛍雪の功」などと使いますが、苦学して目的の試験に合
格したり 無事 卒業したりすることの意です。
この世の中に、何かの役に立っていないものなんか
一つもないんだよ。
たとえば、この小石だって役に立っている。
空の雲だってそうなんだ。
君もそうなんだ。
フェデリコ・フェリーニ監督の映画「道」より
敬
二
1
夢をもって自ら拓く
(創造)
2
誇りをもって共に生きる
(敬愛)
3
誠をもって他に報いる
(至誠)
青雲しのぐ
愛
杉並の
さ と し
至
三
誠
山河に薫る
先人の
お し え
深き啓示の
わくところ
尊き教訓
若人われら
誇りあり
若者われら
汲むところ
使命あり
まごころ
ああ睦み合う
け だ か
敬愛の
ああ励みゆく
至誠に
身に享けて
郷土の明日を
荷ないつつ
み さ お
崇高き節操
われ美わしき
友たらん
われ勤労の
民たらん
二番では、友としての道を説いています。
三番では、民としての道を説いています。
青春の日々、
恥ずべきことはせず、
大いなる理想を掲げて切磋琢磨し共に歩まん
と、高いレベルの友情を求めます。
同性の友、異性の友。
友なくして青春物語はありません。
悩みも友から生まれますが、喜びも友からもらいます。
人間とは人と人の間と書きます。
青春時代の友は、人と人の間を学ぶ師でもあります。
そして、自分自身も、友の師となれるのです。
先人二宮尊徳の至誠(真心)を実践せよ。とあります。
「自らのために一生懸命になること」
「人のためにも一生懸命になること」
と説いています。
使命を持って生きよと。
理屈ではなく心を込めた実践であれと。
未来を担うのは君たちだと。
【参考】
■青雲
【青雲の志】
将来いつか世に出て、社会のために働きたいと期待に満ち
あふれた気持。
■節操
自分の正しいと信じる 主義・意見を、堅く守って変えない
こと。
本来やろうと思ったことや自分の主義・主張を、誘惑や圧
迫に負けないで貫くこと。
行く言葉がやさしければ、来る言葉もやさしい。
格言
友だちから、人間の勉強をさせてもらうのだ。
赤塚不二夫
【参考】
■至誠
何かのため善かれしと純粋に思う心。
まごころのことです。
報徳の心を進んで実践しようとするまごころのことでもあ
ります。
■以徳報徳
二宮尊徳(金次郎)が、小田原藩主大久保忠真の命令で、
栃木県桜町(二宮町)再建の仕事をした頃のことです。
金次郎は一生懸命勉強して働きましたが、人々に思いが通
じないで悩むことも数多くありました。それでも人々の声
に耳を傾け、心を込めて丁寧に対応しました。そして、や
がて、ひどかった田圃や家を直し、貧しかった村を建て直
しました。忠真公は、
「論語」にある言葉を引用して
「あなたのしていることは『以徳報徳』ということです。」
と金次郎をおほめになりました。
二宮尊徳はその後、数多くの村を再建し、最後は大澤村を
含めた日光神領の人々のために力を尽くし、今市で亡くな
りました。
「徳」とはよい心、よい行いという意味です。