子ども・子育て応援エッセイ 「韓国から来たキュムン」 のぞみ発達クリニック 所長 臨床発達心理士 東 敦子 年末年始の2週間、我が家に韓国の中学生がホームステイにくることに なりました。韓流ブームにはかなり乗り遅れていますが、SMAPの草彅 君をひそかに尊敬している私は、中学生なら韓国語も教えてもらえるので はないかという下心もあり、国際交流のボランティアを引き受けることに したのです。随分と以前に買った韓国語会話の教科書3冊、日韓辞書2冊 を先生に、付け焼刃の独学が始まりました。韓国語は文法や単語が日本語 と似ていて、とても親しみやすいことばです。「2週間もあれば、ぺらぺ らになれるかも」という期待を胸に、私は冬休みを迎えることになりまし た。 やってきたのは娘と同じ13歳(韓国では数え年なので14歳になりま す)のキュムンという女の子です。 「アンニョンハセヨ。パンガプスムニ ダ。 (こんにちは、はじめまして)」教科書どおりのせりふを並べて出迎え た私に、笑顔で応えるキュムン。待合室で初めて見たキュムンの印象は、 背筋をしっかりと伸ばしていて、礼儀正しいお嬢さんという感じです。私 の怪しい韓国語での自己紹介を、にこにこしながら聞いてくれます。さて と、スーツケースをもって、「一緒に我が家へ行きましょう(ウリチベカ 1 ッチンカジャ)」といった私のことばにつづいて、キュムンの口から初め て出たことばは、「I left my bag beside the window.」えッ?かばんを窓の ところに忘れてきたって?なんと韓国語ではなく、流暢な英語が飛び出し てきたのです。よく聞くと(もちろん英語で)、韓国では小学3年生から 英語を学ぶそうで、キュムンは学校とは別に英語塾にも通っていて、毎晩 12時まで英語の勉強をしているとのこと。アメリカにホームステイをし たこともあるというエリート中学生だったのです。 キュムンは私のでたらめな韓国語を聞いて、頼りにならないことをすぐ に察したようで(?)、韓国語ではなく、英語で伝えてきたようです。私 は自分の韓国語の上達は早々にあきらめ、キュムンに少しでも日本語を学 んでほしいという新たな目標をもつことにしました。職業柄、自分で学ぶ より、人に教えるほうがやはり性に合っています。私はクリニックで「こ とば」の指導を行なっている方法と同じように、キュムンに日本語で話す ときには、身振りやサインをつけて話すようにしました。サインはクリニ ックでも使用しているマカトン法です。マカトン法のサインは身振りや物 の形などを示した具象的でわかりやすいものが多いので、キュムンもすぐ に理解できるようでした。 私の家族たちもそれぞれ、身ぶり手振りはもちろん、辞書を使ったり、 筆談したりと、あらゆる手段を総動員して、キュムンとのコミュニケーシ ョンを楽しんでいました。とくに、「旅の指さし会話帳(情報センター出 版局)」というイラストつきの単語帳はとても便利なツールでした。この 本はクリニックでもよく紹介している「コミュニケーションブック」のよ 2 うなもので、日常でよく使われる単語が食べ物や場所、人などのカテゴリ ーごとに集められていて、題名どおり、イラストを「指さし」することで 会話ができると言う優れものです。出かけるときでもいつも持ち歩き、伝 えたいことがあればページをめくって単語を探します。そんなやりとりが 毎日何度も繰り返される中で、徐々にキュムンの口からも、日本語がこぼ れでるようになっていきました。 あっという間に2週間が過ぎ、キュムンは韓国に帰っていきました。い つも笑顔のキュムンでしたが、日本に着いたときには、まったくわからな いことばの海に投げ込まれて、さぞかし不安だったことでしょう。やっと わかることばが増えてきて、自分からもっと伝えたいという気持ちが沸い てきていた頃だったのではないかと想像します。キュムンがいなくなった 我が家でも、今度はキュムンの家に行きたい、と韓国旅行の計画が持ち上 がっています。私たち家族にも「伝えたい気持ち」が大きく膨らんでいた のは同じです。マカトン法はもちろん、すでに本棚で埃をかぶりそうにな っている辞書や「指さし会話帳」も、また活躍してくれそうです。「伝えた い気持ち」が「ことば」を超える喜びを、今度はキュムンの家族とも共有 できたら素敵だなと、夢を膨らませています。 3
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