1 - 全大教

UNIVERSITY JOURNAL
全 大 教 時 報
UNIVERSITY JOURNAL
Feb. 2000 Vol.23 No.6
第二十 三巻第六号
CONTENTS
Articles
The Administrative Reform and the Executive Agency in the
全大教時報
□イギリスにおける行政改革とエージェンシー
塚本一郎(佐賀大学経済学部・社会政策)
□草の根から見たニュージーランドの行政改革
河内洋佑(前オタゴ大学地質教室、
現中国科学院中国鉱物資源探査研究センター)
□地域社会と国立大学
―地方国立大学の存在意義をめぐる議論についてのノート―
市原宏一(大分大学経済学部)
□大学教育のあり方をめぐって・1
9
9
9年
―国立大学の独立行政法人化によって事態は決定的に悪くなる―
武田晃二(岩手大学教育学部・教育学)
UK
Ichiro Tsukamoto, Faculty of Economics, Saga Univ.
New Zealand economic experiment ; A View from the Grassroots
Yosuke Kawachi
Universities in the Local Community
Koichi Ichihara, Faculty of Economics, Oita Univ.
The 1999 State of Argumentation concerning What College
Education Should Be.
Koji Takeda, Faculty of Education, Iwate Univ.
全国大学高専教職員組合
Edited and Published
By
Faculty and Staff Union of
Japanese Universities(FUJ)
ISSN 0
9
1
8―3
9
2
2
編集・発行
全国大学高専教職員組合
Vol.23
No.6
2000.2
イギリスにおける
行政改革とエージェンシー
塚本一郎
佐賀大学経済学部(社会政策)
に着手する。そのためにとられた一連の方策が、公共
部門の民営化と外部委託・外部移管であり、政府内に
はじめに
残されたエージェンシーを含む公共部門についても、
民間経営手法の徹底した導入が図られた。そして、公
イギリスは長い間、戦後福祉国家のモデルとされて
共部門の行政管理には、いわゆる「支出に見合う価値
きたが、1
9
8
0年代に登場したサッチャー政権が攻撃の
(value for money)」ア プ ロ ー チ が と ら れ、「市 場
対象としたのが、まさにこの福祉国家体制そのもので
の代用物」としての「業績指標」の活用などが工夫さ
あった。マーガレット・サッチャーに代表される政治
れることになった。1
9
8
0年代に、イギリスやアメリカ
思想は、「ニューライト(The New Right)」などと
などアングロ・サクソン系諸国を中心に行政改革を主
称されるが、それはスリム化された「小さな政府」を
導する原理となった「新公共管理(New Public Man-
標榜しながら、本質的には、「自由経済」(自由市場)
agement:NPM)」という考え方は、民間経営の手法
を維持し発展させる「強い国家」を追求するイデオロ
を公共部門に導入し、その効率化をめざすことで知ら
ギーということができる(Gamble,
1
9
8
8)。サッチャ
れる。サッチャーの一連の改革は、このNPMにも大
ーは、こうしたイデオロギーのもとで、イギリス経済
きな影響を与えたと考えられる。
の競争力の障害を除去し、「強い国家」を実現するた
さて、サッチャーの行政改革の基本方針は「効率化
めに、公共支出の削減、労働組合の弱体化、行政改革
戦略(efficiency strategy)」などと称されるが、それ
等に取り組んだ。その行政改革の一環として実施され
は「節約」と「効率性」、「支出に見合う価値」など
たのが、ネクスト・ステップス改革、すなわち、エー
を基本的価値として強調するものであった。このよう
ジェンシー化である。
な民間営利企業の企業行動により適合する価値を行政
本稿では、独立行政法人化問題との関連で注目され
管理の分野に適用するということは、行政組織内部に
ることの多いイギリスのエージェンシー(executive
「経営文化」を浸透させることを意味している。その
agency)について、その制度発足の経緯、現状と問題
ことは、サッチャーが就任後、首相官房内に効率室
(Ef-
点などを考察する。
ficiency Unit)を設け、その特別顧問に、マークス・
アンド・スペンサー社(イギリスの大手スーパー)専
1
エージェンシー化の
経緯
務取締役のD.レイナーを任命したことにも象徴的に
現れている。
「ホワイトホール」(中央行政機構)の「公務員文
「公務員文化」の改革
化」の改革をめざすレイナーは、行政の効率の改善と
浪費の除去に着手し、「支出に見合う価値」を基準に
――「経営文化」
の行政組織への浸透
行政監査を行った。その際、審査の基準となったのが、
国家の役割の縮小を標榜するサッチャーは、1
9
7
9年
「節約(Economy)」「効率性(Efficiency)」「有効
に政権の座につくと、イギリス経済の「衰退」に責を
性(Effectiveness)」(い わ ゆ る3E監 査)で あ る。
負うと保守陣営からみなされていた公務員制度に対す
しかし、実際には、レイナーの監査プログラムは、そ
る攻撃、すなわち、公共部門の縮小と公共支出の削減
の目的に「効率性」「有効性」が言及されていたとは
−1−
いえ、主として「節約」に関心を持っており、行政手
遂行される職務に焦点をあわせるような方法で組織さ
続きの合理化によるコスト削減に関心が集中していた
れなければならないこと、第2に、各省庁の管理者は、
といわれている(君村、1
9
9
8a、3
6頁)。
効率的な政府に不可欠の職務を遂行するために必要と
イブス報告
される経験や技術を有するスタッフを確保しなければ
ならないこと、第3に、政策を実行し、サービスの提
――ネクスト・ステップス改革
供過程において達成される「支出に見合った価値」の
1
9
8
3年にレイナーの後任となった同じく民間企業出
身のR.イブスは、行政に対する調査活動を継続する。
持続的な改革圧力が、各省庁に対して、また各省庁内
部で存在しなければならないこと、などである。
1
9
8
7年には、イブスは、1
9
7
9年以降の行政管理改革の
これらの勧告を具体化する案が、中央省庁の政策立
前進の評価などを内容とする首相の諮問に基づいて、
案部門と執行部門の分離、後者のエージェンシーとし
調査結果報告書を首相に提出する。この報告書は、翌
ての「独立」であった。イブス報告によれば、エージ
8
8年2月に、「政府における管理の改善:ネクスト・
ェンシーとは、各省庁が設定した政策や資源の枠組み
ステップス(Improving Management in Government:
のなかで、政府の執行機能を遂行するために設立され
The Next Steps)」(通称「イブス報告」)として正
る組織である。政治家が政策決定を行い、官僚はその
式に公表される。約1年近く公式発表が遅れた理由は、
実施に専念するという「政治・行政二分論」
のもとで、
効率室がエージェンシーを公務員の削減と影響力の縮
このエージェンシーを通じ、従来のヒエラルキー的行
小の手段とみなしていたために、中核公務員の削減に
政組織を前提とした一元的な公務員制度の根本的改革
つながるのではないかという省庁内での警戒心、また、
をめざしたものといえる。
エージェンシー化による財政管理における自律性の付
政府はこのイブス報告の勧告を受け入れ、1
9
8
8年1
1
与がかえって追加支出の要求を顕在化させるのではな
月に「行政管理の改革方針(Civil Service Management
いかという大蔵省の懸念などがあったといわれてい
Reform : The Next Step)」を 発 表 し、エ ー ジ ェ ン シ
る。前者については、エージェンシー化が管理(man-
ーの設立や組織管理の柔軟化等、基本的な考え方を提
agement)の改革を主眼としていること、後者につい
示する。翌8
9年1
2月には、政府は「エージェンシーの
ては、支出の適正な統制と「支出に見合う価値」の双
財務と責任(The Financing and Accountability of Next
方の実現を工夫するということで折り合いがつけられ
Steps Agency)」を発表し、財務管理の柔軟化等の方
た。
針を打ち出す。
イブス報告は、調査結果に基づき、行政管理面での
問題点として、明確かつ責任をもった管理
(accountable
ネクスト・ステップス改革と
サッチャーの
「効率化戦略」
management)を欠いており、この責任ある管理に伴
う自信がとりわけ省庁の上級職員の間で欠如している
エージェンシー化は、報告書のサブタイトルをとっ
こと、人や組織に期待される結果について、より厳密
て「ネクスト・ステップス改革」と表現され、エージ
に定義される必要があること、インプット同様、アウ
ェンシーもネクスト・ステップス・エージェンシーな
トプットにも注意を集中する必要があること、公務員
どと呼ばれたりする。この「ネクスト・ステップス
制度は単一の組織として一元的に管理するには余りに
(Next Steps)」という言葉には、行政管理改革を再
も規模が大き過ぎることなどを結論として導き出して
活性化するための「次の諸段階」という考え方が含意
いる。すなわち、イブス報告の批判の要点は、従来の
されているが、これはイブス報告自体が、全く新しい
行政組織の上級職員は政策立案業務中心で、効果的な
管理改革を提起するという性格のものではないことを
管理運営による行政サービスと効率性の向上に対して
示している。事実、この報告書によって提起されたエ
関心が希薄であり、行政の仕組みそのものがこれらを
ージェンシーというコンセプトは、イギリスにおいて
追求するシステムとなっていないというものである。
決して新しいものではない。1
9
6
8年に、ウイルソン労
イブス報告は、こうした問題を解決するために3つ
働党政権下で公表された「フルトン委員会報告」のな
の勧告案を提示している。第1に、各省庁の仕事は、
かでも、責任管理(accountable
−2−
management)をより
有効に遂行する方策として、省庁の活動の外部移管
の「障害物」とみなされたのは当然である。サッチャ
(hiving
ー政権下で行われた雇用法(Employment
off)が検討課題となっていた(フルトン報
Act)や労
告は、責任ある管理の欠如といった公務員に対する批
働組合法(Trade Union Act)に関する一連の法改正
判に応え、公務員制改革を提言)(君村、1
9
9
9a、1
8
は、クローズド・ショップ制や争議行為の制限を通じ
∼2
5頁)。1
9
7
0年代にも、エージェンシーに類似のも
た労組全般の職場規制の弱体化を明確に企図してい
のとして防衛調達庁、雇用サービス庁などの省エージ
た。それは、例えば労働組合という「集団」に所属す
ェンシー(departmental agencies)が存在した(君村、
ることを望まない「個人」(非組合員)の自由・権利
1
9
9
8b)。しかし、ネクスト・ステップス改革による
を養護するというレトリック、すなわち「組織と個人
エージェンシー化が、従来のエージェンシーと大きく
の間との理念・利害をめぐる不一致に着目しながら両
異なる点は、エージェンシーの長と所管省との交渉を
者の間にクサビを打ち込んでいく戦術」(稲上、1
9
9
0
踏まえ作成され公表される「組織の基本文書(frame-
年、9頁)を巧みに用いながら遂行されたのである。
work
document)」の存在であり(君村、1
9
9
8a、5
2
サッチャーがめざす行政分野の改革においても、公務
頁)、また将来の民営化までも視野に入れられている
員労組の抵抗をそぐことが重要な要素であったことは
点である。
想像するに難くない。
イブス報告を契機としたネクスト・ステップス改革
によるエージェンシー化は、サッチャーの一連の「効
「市民憲章(シチズン・チャーター)」
――「消費者主義」
と「市場化」
率化戦略」の延長上に位置付けることができる。しか
エージェンシー化は、1
9
8
8年1
2月の車両検査庁(Ve-
し、「効率化戦略」の急先鋒である民営化の文脈と異
なるのは、エージェンシーのなかには設立後、民営化
hicle
されるものがあるとはいえ、後述するように、エージ
初、そのペースは緩慢であった。
1
9
9
0年3月末までに、
Inspectorate)を皮切りに漸次実施されるが、当
ェンシーの地位が民営化も外部委託も適切でないと大
わずか1
0余りのエージェンシーが設立され、1万人ほ
臣が結論づけた場合に付与されることからしても、エ
どの職員が雇用されたに過ぎない。しかし、1
9
9
1年か
ージェンシーの活動領域は、本来、民営化が困難な行
ら9
3年にかけて、社会保障省の運営部門の大部分がエ
政領域であるという点である。そして、エージェンシ
ージェンシーに指定されたこともあって、急激な増大
ーは、あくまでも政府・公務員制内の組織であり(独
が見られる。8
9年までにはわずか1
0機関の設立にとど
立した法人でもない)、その当然の帰結として職員は
まっていたが、
9
3年には9
3機関までに増加している
(君
公務員である。だとすれば、民間営利企業に適合的な
村、1
9
9
8a、5
6∼5
7頁)。
「効率」「節約」「支出に見合った価値」を強調する
さて、サッチャー保守党政権のエージェンシー化を
サッチャーの「効率化戦略」が、民営化された領域の
含む行政改革は、1
9
9
0年1
1月にサッチャーの後任とな
みならず、民営化が困難と判断されるエージェンシー
ったメージャー政権に引き継がれる。メージャー政権
の行政領域にまでそのまま貫徹しうるとは考えにく
は、「質(Quality)」「選択(Choice)」「水準(Stan-
い。ここからはまた、エージェンシーの管理を担う者
dard)」「価値(Value)」など4つの行政 改 革 の 主
の責任を、民間営利企業の管理者の責任と同視できる
要課題を掲げた『市民憲章(The
Citizen's Charter:
のかという根本的な疑問が生じてくる(山谷、1
9
9
0、
シチズン・チャーター)』という白書を1
9
9
1年に公表
1
3
8頁)。これは行政が追求する価値や責任をどのよ
する。『市民憲章』の基本的な考え方は、一言でいえ
うに考えるのかという問題に関連するが、この点につ
ば、国民を経済的に「消費者」として位置付け、この
いては後でまた論じることとする。
位置付けに基づいて省庁に情報の提供など種々の義務
なお、サッチャーの「効率化戦略」は、労働組合勢
付けを行おうというものである(竹下、1
9
9
6)。政府
力の弱体化を伴って進められたことを忘れてはならな
は、内閣府(Cabinet Office)に「市民憲章室(Citizen's
い。「自由な市場」信仰のもとで規制緩和・民営化を
Charter Unit)」を設け、「憲章」に基づいたプログ
推し進めるサッチャーのイデオロギー的立場からすれ
ラムの実施状況を監視し、基準を満たした機関に対し
ば、公務員制のみならず、労働組合が「自由な市場」
ては、「憲章マーク」を授与している。
−3−
この『市民憲章』には、アカウンタビリティー(説
について、まずその業務が必要かどうかを判断し、業
明責任)や情報公開の促進など、積極的な内容を含ん
務を存続する必要ありと判断した場合には、 民営化
でいるとはいえ、君村が、「市民憲章の隠されたアジ
できないか、 外部委託ができないか、 エージェン
ェンダは、公共サービスにおける市場価値の推進」
(君
シー化できないか、という事前検討、いわゆる「事前
村、1
9
9
8a、6
6頁)と述べているように、その基本理
選択テスト(prior option
念にはニューライトの「自由な市場」のイデオロギー
らに、民営化に馴染みにくい業務等(庁舎管理、コン
が色濃く反映されている。それは、以下の白書の記述
ピュータ維持管理等)についても、従来業務を担当し
にみられる論理的飛躍、すなわち、市場で競争する民
てきた部局と民間企業とを公開入札で競争させ、効率
間企業のサービスを購入する「消費者(顧客)」と公
的な方に業務を請け負わせる(市場化テスト)。民間
共サービスの利用者である「市民」とを無前提に同列
企業が勝った場合は、その部局の公務員も民間企業に
に扱う発想のなかにもみることができる。
移ることになる。なお当該公務員には、従来の労働条
test)」が実施される。さ
件と同様、あるいはそれ以上の条件を保障するための
「自由市場においては、競争下にある企業は、その顧
法、「業務移管に伴う雇用保障法(TUPE : transfer of
客(customers)を満足させるよう努力しなければな
undertakings [protection of employment] regulations)
らない。さもなくば、企業は成功しないだろう。選択
が適用される(安、1
9
9
8、7
0頁)。
と競争(choice
and
competition)が制限されている
なお、この「市場化テスト」に対しては、効率の改
ところでは、消費者(consumers)は容易に、また効
善よりも公務員の規模縮小に関連があり、公務員のモ
果的にその意見を考慮されることはありえない。した
ラール(士気)の低下にもつながっているという批判
がって、多くの公共サービスにおいては、可能なとこ
もあり、1
9
9
5年には、「市場化テスト」に代わって、
ろでは、選択と競争の双方を拡大させる必要がある。
「能率改善プラン(efficiency plans)」が導入されて
しかしまた、良質なサービスを確保する別の方法も発
いる(君村、1
9
9
8a、6
7∼6
8頁)。この「能率改善プ
展 さ せ て い く 必 要 が あ る」(Cabinet
ラン」によって、省やエージェンシーは、改革の手段
Office,
1
9
9
1,
p.4)。
(市場化テスト、民営化、外部委託など)の選択を自
ら決定できるようになった(同上、7
0頁)。
『市民憲章』は、『消費者憲章』などと批判される
よ う に、「消 費 者(顧 客)主 義(consumerism)」の
文脈のなかに位置付けることができる。すなわち、
「市
民」を競争的市場においてあれかこれかと商品を選択
し購入する「消費者」のようにみなし、公共サービス
における市場原理・競争主義の導入が「消費者」であ
る市民の選択の幅を拡大し、サービスの質も向上させ
2
エージェンシー制度の
概要と現状
制度の基本的枠組み
「組織の基本文書(Framework
Document)」
うるという考え方である。「消費者(顧客)主義」は、
等の作成
新自由主義イデオロギーの一断面でもあるが、メージ
ある活動がエージェンシーの候補となると、省は、
ャー政権における『市民憲章』
は、エージェンシーが、
エージェンシー設立の細目について、内閣府のプロジ
この「消費者(顧客)主義」を担うものであることを
ェクトチームや大蔵省と協議する。さらに、「組織の
政府の公式の見解として打ち出している(久保木,
1
9
9
8
基本文書または枠組み協定書(Framework
年、9
7頁)。
or Framework
Document
Agreement)」が、所管省の事務次官
メージャーがエージェンシーを含む行政機関に対し
及び大臣とエージェンシーの長との交渉の後、作成さ
て市場原理を浸透させていく手段として導入したの
れる(君村、1
9
9
8a、5
5頁)。このエージェンシー制
が、「市場化テスト(market
testing)」である。こ
度の中心的要素を構成する「組織の基本文書」のなか
れは民営化とセットになった改革手法ということがで
には、エージェンシーによって多様であるが、業務目
きる。この過程を要約的に説明すると、行政事務全般
的・目標、計画、業務内容、財務管理基準、給与・人
−4−
事管理基準、大臣・議会等に対する責任など基本的事
る。例えば、タルボットは、以下のように指摘してい
項が盛り込まれる。
る。
「組織の基本文書」は、所管大臣とエージェンシー
の長との間で結ばれる「協定」であるが、「エージェ
「一連のネクスト・ステップス改革によって、業務執
ンシーが独立した法人格を有さず、また両者は国王の
行面の管理を改善する新しいシステムが創り出されて
公務員であるため、それは契約ではありえないが、一
きたといえるのか?それが効率化に結びついたといえ
般に準契約的性質を有するものと考えられている」
(岡
るのか?答は『わからない』である。『わからない』
村、
1
9
9
9)
。省とエージェンシーとの間の
「準契約
(quasi
とする理由は、エージェンシーの業績を測定し、モニ
-contractual)」的な関係の下で、エージェンシーの長
タリングし、説明するシステムそのものが、その任務
は、所管省に対して、「組織の基本文書」の内容を履
に と っ て 全 く 不 適 切 で あ る か ら で あ る」(Tal-
行する「行為責任(responsibility)」を負うことにな
bot,1996,15)。
る。その内容は、3年ごとに必要に応じて見直される。
この「組織の基本文書」の他に毎年作成されるもの
タルボットは、調査したほとんどのエージェンシー
に、事業計画(Business Plan)というものがある。
の「主要業績指標」が、「組織の基本文書」で表明さ
これは、エージェンシーの業績指標や次の年の目標を
れている目的の達成度を示すものにはなっていなかっ
設定するものであり、「組織の基本文書」に定められ
たとも述べており、これは有効性の改善度そのものの
たエージェンシーの基本業務を、毎年具体的な基準に
検証が困難なことを示している。「今日までに、有効
照らし、一定の資源のなかで達成することを「契約」
性特にサービスの質や顧客の満足に関する業績指標は
するものである(久保木、1
9
9
8、1
0
3頁)。
殆ど設定されていない」(君村、1
9
9
9a、1
2
7頁)と
このように、所管省とエージェンシーとの関係は、
政策立案部門と執行部門の分離と「組織の基本文書」
いう現状のようである。
エージェンシーの長の選任方法・権限
の作成によって、形式的には「準契約的」関係に移行
エージェンシーの長(chief executive)は、原則と
したようにみえる。しかし、本来、所管省とエージェ
して民間人も含めた公募(公開競争)によって選任さ
ンシーとの間の交渉で作成される「組織の基本文書」
れ、所管大臣が任命する。任期は3∼5年であり更新
は、現 実 に は、公 務 員 制 度 庁(The
of the
可能であるが、任期途中での異動(民間企業、本省、
Minister for the Civil Service)や大蔵省が主導する
Office
他のエージェンシー)や解雇もありうる。エージェン
委員会で起草されており、主要な「事業計画」も、大
シーの長には、基本文書の範囲内での裁量
(組織変更、
蔵省と公務員制度庁によってトップダウン式に作成さ
職員の任用・処遇等)と自律性が認められるが、達成
れているようである(久保木、1
9
9
8年、1
0
5∼1
0
6頁)。
された結果を公表しなければならない(内閣府は、毎
すなわち、政府中央や所管省のエージェンシーに対す
年、ネクスト・ステップス・レポートをまとめ、各エ
るヒエラルキー的統制は、「組織の基本文書」「事業
ージェンシーの目標達成状況を公表している)。エー
計画」等の「契約」内容に影響力を行使し続けること
ジェンシーの長は、「組織の基本文書」等の実施に対
を通じて、依然維持されているという批判は根強い。
する責任を負うが、長の給与の業績関連部分はこの責
もともとエージェンシー化が「政治」と上級官僚との
任の達成度合いが反映される。
「妥協の産物」(特に機関の自律を嫌悪する大蔵省)
このように、エージェンシーの長に、公開競争によ
であったことからすれば、当然の成り行きともいえる。
って期限付き契約で採用する人事管理方式が導入され
またエージェンシーの目標の設定には、職員の意見
たことは、イギリス公務員制(人事行政)の変容とい
が反映されない、数値化しやすい目標が設定される傾
うこともできよう。最近では事務次官のポストも公務
向があるなどという批判がある(安、1
9
9
8、7
7頁)。
員外から公募されており、「このような状況が進行す
さらに、エージェンシーの業績評価の方法自体が不適
れば、昇進の確実性や身分保障はもはや存在しない」
切なために、エージェンシー化そのものが効果をあげ
(君村、1
9
9
8a、8
7頁)ということもできる。
たかどうかすら不明であるとする根本的な批判もあ
−5−
職員の地位・処遇
職員の地位は前述したように、公務員のままである。
エージェンシーの現状
―― 規模と業務の多様性
これは、エージェンシーが国有産業と異なり、別個の
法人格を有するものではなく、あくまでも省の内部組
1
9
9
9年に公表された9
8年度ネクスト・ステップス・
織であり、設置に法律を必要としないこととも関連し
レポート(Cabinet Office,
1
9
9
9)によれば、1
9
9
8年1
2
月3
1日現在設立されているエージェンシーの総数は
ている(岡村、1
9
9
9、3
6頁)。
職員の任命権者は、エージェンシーの長である。
1
9
9
0
1
3
8機関であり、エージェンシー全体で雇用される職
年代半ばから、給与を含む管理の権限が大幅にエージ
員数は3
2万5
6
6
9人である。また、新たに1
9機関4万1
7
6
5
ェンシーに委譲されており、上級公務員(グレード5
人が、エージェンシーの地位が付与される候補となっ
以上の職員)を除く給与の決定権は各エージェンシー
ている。
9
8年4月1日現在のイギリスの全公務員
(civil
が有している。なお、グレード6以下の職員について
6万1
7
0
0人(The Office for National
servants)
数1)は4
は、人件費等の枠内で、省やエージェンシーと関係す
Statistics,1999,94)であるから、イギリスの全公務員
る公務員労組との交渉により、両者間で給与協定が締
の7
0.
5%が現在、エージェンシーで働いていることに
結される(外国公務員制度研究会編、1
9
9
7、1
4
2頁)。
なる。エージェンシーの総職員数に、エージェンシー
しかし、エージェンシーによって給与が自律的に決
と同様の方法で運営されている内国歳入庁(Inland
定されるということは、同じ公務員制の枠内にありな
Revenue)等4機関の職員数を加えれば3
7万7
5
6
6人と
がら労働条件に格差が生じることを意味している。一
なり、それは全公務員8
1.
8%にもなる。
方では、エージェンシーの給与の総額と決定は、大蔵
職員数で最大の機関は、先の報告書によれば社会保
省によって事実上、統制されているという見方もある
障給付庁(Social Security Benefits Agency)で、6
(君村、1
9
9
8a、9
2頁)。
万6
2
9
6人の職員を擁している。次に大きいのは刑務所
また、エージェンシーが統合・廃止されたり、民営
庁(HM Prison Service)の3万9
3
6
3人、雇用サービ
化されることもあることからすれば、雇用の流動化・
ス庁(Employment Service)の2万8
6
1
2人の順である。
不安定化は生じうるし、公務員身分が退職まで保障さ
この3つの大規模な機関が、エージェンシー全職員の
れているわけでもない。
約半数を占めているが、最も小さい機関になるとわず
財政
か2
3人であり、規模は多様である。1
0
0
0人以下の機関
各エージェンシーの財政構造は、後述するように、
が過半を占めており、全体的に小規模といえる。
大蔵省の予算への依存度、独自収入がどれだけ期待で
エージェンシーの業務の性質や機能も多様であり、
きるかによって規定されており、多様である。社会保
例えば、 自動車運転免許庁のような国民に対するサ
障給付庁のように、国庫の支出金によって業務を遂行
ービス提供機関、 統計庁のような省庁に対するサー
し、収入は国庫に収めるという機関もあれば、対照的
ビス提供機関、科学研究所のような研究機関、車
に他省庁に情報技術を提供する情報技術サービス庁
両検査庁のような規制機関というように、機能別に分
(Information Technology Service Agency)のように、
類することもできる(君村、1
9
9
8a、6
0頁)。
また、本省との関係における「分権・集権」の度合
独自収入を基礎に運営される機関まである(久保木、
いという軸と、大蔵省の予算との関係における「依存
1
9
9
8、9
9頁)。
なお、一部のエージェンシーのなかには、政府事業
しているか。独自に収入をあげているか」という軸を
基金法(Government Trading Funds Act)にもとづ
組み合わせて、 集権型で大蔵省の予算に依存、 分
く「事業基金」の地位を獲得し、その提供する商品や
権型で大蔵省の予算に依存、 分権型で独自の収入を
サービスの対価として得られる収入で運営することが
もつもの、 集権型で独自の収入をもつもの、と分類
認められている機関がある(岡村、1
9
9
9、3
6頁)。こ
することも可能である(久保木、1
9
9
8年、9
8頁)。
れは、いわば民間企業的な財務運営を行う政府機関で
このように、エージェンシーの機能は多様であり、
あり、資本支出のための借入や剰余金の留保を可能と
政策立案分野との自律性の度合いも多様であり、それ
する地位が与えられている(讃岐、1
9
9
6、3
9頁)。
らの特徴を統一的、理論的に説明するのは難しい。見
−6−
方を変えれば、刑務所庁や児童援護庁(Child Support
労働党政権下においても未だ不明である。
Agency)のように、もともと所管省の政策立案分野
との分離が困難な業務までもエージェンシー化されて
いるということもできる(君村、1
9
9
8a、6
3頁)。特
に刑務所庁の場合、この立案機能と実施機能という線
3
エージェンシー化を
めぐる論点
引きそのものの根拠の不明瞭さから生じる運営上の責
エージェンシーは様々な問題をかかえているが、こ
任をめぐる混乱が、政府とエージェンシーの長の間の
こでは議論の対象となることの多い、以下の二つの論
対立にまで発展している。
点に絞って考察することにする。
ニュー・レイバー(労働党新政権)の
公務員倫理の低下
関係の矮小化
――「行政―市民」
下でのエージェンシー
1
9
9
7年5月の総選挙で保守党から政権を奪還し、
「ニ
エージェンシーをめぐる論点のひとつは、公務員倫
ュー・レイバー」を標榜する労働党ブレア政権の下で
理の低下である。すなわち、イギリスでは、エージェ
も、当面、エージェンシー化そのものが見直されるこ
ンシーが自己利益を追求するなかで、省のアイデンテ
とはなさそうであり、今後もエージェンシーの設立は
ィテが喪失されていく危険性が指摘されているようで
継続される模様である。9
8年度ネクスト・ステップス
ある(中村、1
9
9
6、1
6
5頁)。さらには、エージェン
・レポートにおいても、内閣官房長官(Minister for
シー化によって公務員制が「断片化」され、「民間モ
the Cabinet
Office)のジャック・カニンガムはレポ
デル」が導入されていくなかで、公務員としての一体
ートの冒頭で、今後のネクスト・ステップス改革の焦
性が損なわれ、エージェンシーで働く公務員の倫理や
点が既存のエージェンシーのより効果的な活用に移る
モラール(士気)が低下しているとする批判がある(君
ことを、以下のように述べている。
村、1
9
9
8a、1
3
1頁)。
この公務員倫理の低下の問題は、『市民憲章』を典
「1
9
9
7年度ネクスト・ステップス・レポートは、新規
型とする消費者主義的「市民」
概念とも関連している。
のエージェンシー(executive agencies)の設立に従来
すなわち、「行政」と「市民」との関係を、「企業」
重点をおいていたネクスト・ステップス改革のイニシ
と「顧客=消費者」というように狭くとらえることの
アティヴを転換することを表明した。エージェンシー
問題である。確かに、市民が行政サービスの受け手で
によって、質の高さの確保に対する最善の期待と費用
あることからすれば、行政と市民との関係には「企業」
効果的な公共サービスの提供がみこまれる分野では、
と「顧客=消費者」関係の側面があることは否定でき
エージェンシーは引き続き設立されるだろう。しかし、
ない。また、そうした側面を強調することによるサー
エージェンシーまたはネクスト・ステップス方式で運
ビスの向上の可能性も否定できないといえる。
営されている部局が、すでに公務員制(Civil Service)
しかし、「市民」を「消費者」という概念に還元す
の4分の3以上を占めていることからすれば、その焦
ることはできない。市民はサービスの需要側として、
点は、今後、既存のエージェンシーを最も効果的な方
その充足と内容の改善を求める「経済的」存在にとど
法で活用することに向けられるだろう」(Cabinet Of-
まるのではなく、サービス提供の背後にある政策やそ
fice,1999, )。
の決定のプロセスにまで、民主主義的な政治過程を通
じて影響力を行使しうる「政治的」存在であるからで
このようにブレア新政府は、エージェンシーを設立
ある。久保木が、スチュアートとランソン(Stewert
するという主要な課題は完了したとみなしている。今
and
後は既存のエージェンシーの業績を測定し、改善する
いるように、行政組織には、本来、市場機構によって
ことに集中するようである(君村、1
9
9
8a、1
2
9∼1
3
0
は生みだされえない「公正」という価値を、市場を通
頁)。しかし、次節で論じるようなエージェンシーが
じてではなく、市民の多様な意見を反映する政治過程
根本的に抱える問題の改善のための具体的な方策は、
(民主主義的意思決定過程)を通じて創出する役割が
−7−
Ranson,1988)らの議論を援用しながら強調して
ある(久保木、1
9
9
8、1
0
7∼1
1
2頁)。エージェンシー
責任にとどまるというものである。
にみられる「消費者主義」「市場主義」的アプローチ
1
9
9
5年に脱獄事件の責任を問われて解任された刑務
には、こうした行政活動が本来有する価値や役割から、
所庁の長官が、それを不当解雇として告訴した事件が
職員をますます遠ざけ、その行動様式を営利企業の管
下院でも取り上げられたたケースでも、内務大臣はこ
理者のそれに変質させていく側面があるといえる。普
のレトリックを用いて、大臣に共同責任ありとする批
遍的であるべき行政サービスの提供を「市場関係」
「効
判に対応した。この議論は大臣の辞任までには至らず
率原理」に委ねていくことは、低所得者やマイノリテ
終結したが、議会での証言などによって、いかに大臣
ィを、ますますサービスの提供から排除することにも
が刑務所の日常的な運営の細部にまで介入していたの
なりかねないという意味でも問題である。実際、例え
かが明らかとなり、政策と執行(運営)の間で線引き
ば限られた時間内での事務処理量に焦点を当てたよう
することが、特に刑務所のような行政分野では極めて
な業績評価は、処理に時間のかかる困難な問題をかか
困難であることを示す結果となった。刑務所庁以外に
えるグループや社会的に弱い立場にある人々をサービ
も、政策の失敗を運営上の問題にすりかえて、エージ
スの提供から遠ざけるという批判があるようである
ェンシーの長を解任するケースがみられるようである
(君村、1
9
9
8a、1
2
8頁)。
(君村、1
9
9
8a、1
2
8頁)。
「政策・執行」二分論と
このように、行政活動を政策立案と政策執行に機械
的に分離し、「市民」を「顧客」に一面化して、市民
「責任」
をめぐる混乱
に対して負う行政責任をサービス提供の直接的運営部
エージェンシーは、中央省庁の政策立案部門と執行
門に限定することは、そのサービスの量や質、提供の
部門の分離、後者のエージェンシーとしての「独立」
方法などを決定する政策部門の責任を回避することに
(完全な独立を意味しない)という改革を通じて生み
つながる。タルボットが、所管省の大臣はエージェン
出されてきた。しかし、エージェンシーに関する本質
シーの事業計画や組織の基本文書、主要業績指標(key
的な論点は、行政活動の機能を政策立案と政策執行と
performance
いうように、単純に区分することが果たして可能かと
制度によって、形式的には、エージェンシーの執行上
いう問題であり、この問題から生じる責任の配分の問
の管理責任を受け入れてきたことになるのであると指
題である。
摘している(Talbot,1996、 )ように、所管省は、現
indicators)などの承認にかかわるという
大臣が議会に対して責任を負うというイギリス憲法
実には政策執行に関する運営内容に大きな影響力を行
の大臣責任原則は、エージェンシーの導入にあたって
使しているのである。大蔵省や公務員制度庁もエージ
も変更されたわけではない。しかし、所管省の大臣が
ェンシーの運営に対して介入し続けていることからす
エージェンシーの業務運営に対して議会に対して責任
れば、機械的な分離論は、現実に省とエージェンシー
をどの程度負うのかは大きな争点となってきたし、依
との間に存在するヒエラルキー的統制から目をそらす
然、未解決の問題である。政府はこの問題に関して、
ことになる。
大臣はエージェンシーの活動については議会に対する
以上のように、政策の執行部門の運営内容も、その
説明責任を負うにとどまり、辞任するなどの行動を伴
内容は政策によって実質的に規定されるのであり、政
う責任までは負うものではないというレトリックを用
府は、政策の立案から執行に至る全過程に責任を負う
いて、この責任問題に対応してきた。すなわち、大臣
と考える方が自然であろう。
は省とエージェンシーすべての活動に対して議会に説
明する憲法上の義務という意味での説明責任(account-
まとめ
ability)を負うが、すべての活動に対して、個人的な
非難を受けて辞任するなどの行動を伴う責任(responsibility)を負うわけではない。政策の執行運営に対す
本稿では、イギリスの行政改革の一環であるエージ
る直接的責任はエージェンシーの公務員にあるのであ
ェンシーの制度創設の経緯と現状、問題点などを検討
り、それに対して大臣が負う責任は議会に対する説明
してきた。イギリスのエージェンシーは、あくまでも
−8−
政府・公務員制内部にあり、独立した法人でもないと
されなくなる傾向などが生み出されていくおそれがあ
いう点で、独立した法人格を付与し、公務員型(特定
る。また、「責任」のすりかえは、イギリスのエージ
独立行政法人)と非公務員型という二つの類型を有す
ェンシー同様、日本の独立行政法人にも起こりうるこ
る日本の独立行政法人制度とは、制度設計面で大きく
とである。
異なっている。
確かに、イギリスのエージェンシーの行政分野には、
両者の政治的背景もまた相当異なる。ネクスト・ス
定型的で業務を大量に行う分野が多く含まれていると
テップス改革に着手する頃には、イギリスはすでに
「福
いう点では、日本の独立行政法人の対象業務とは大き
祉国家」をそれなりに実現し、国民の生活諸分野にお
く異なるといえる。しかし、日本の論者(例えば、藤
けるナショナル・ミニマムを保障すべく、公的セクタ
田、1
9
9
9)がいうほどに、イギリスのエージェンシー
ーと公務員制をイギリス経済の衰退の元凶といわせる
の設立目的が行政活動の「効率化」が中心で、日本の
までに拡大させてきたのに対して、日本の「戦後福祉
独立行政法人化が「減量化」中心であるといい切れる
国家」は、「公的責任」よりも「自助努力」が強調さ
のかは疑問である。確かに、エージェンシーは効率化
れてきたように、きわめて貧弱であったといわざるを
志向であるが、制度設計当初は公務員の規模縮小が焦
えない。日本の公務員の規模も他の国々と比べれば決
点となっていたし、エージェンシーの民営化やエージ
して大きくはなく、むしろ小規模といえる。公務員は
ェンシー内部の業務の外部委託等による「減量化」も
国によって定義や統計のとりかたなどが異なり、単純
同時に行われているからである。また、タルボットが
な比較は困難だが、例えば、『市民憲章』が公表され
いうように、市民が公表された情報だけで、特に不適
た1
9
9
1年当時の1
0
0
0人当たりの公務員数(政府系企業
切な業績指標のもとで、本当に業務が効率化されたか
職員を除く)は、下條の比較によれば、イギリスが人
どうかを判断するのは困難である。また、効率化が容
口1
0
0
0人当たり6
7人であるのに対して、日本は1
0
0
0人
易な定型的業務とは必ずしもいえない行政分野(中央
当たり、わずか3
7人である(下條、1
9
9
9、3
5∼3
6頁)。
科学研究所、公務員大学校等の教育研究機関)、そし
このように、「改革」を必要とする前提そのものが異
て政策立案と政策執行というような単純な区分が困難
なるのである。
な分野(刑務所庁、児童援護庁等)までエージェンシ
しかし、両者は全く別物と単純に片付けてしまうの
ーの対象となっていることからすれば、日本の独立行
も早計であろう。両者の改革手法には共通して、新自
政法人同様、エージェンシー化するか否かの判断基準
由主義的な市場「神話」、「効率」イデオロギーが色
はあいまいであったといわざるをえない。
濃く反映されており、エージェンシーにしろ、独立行
本稿では、行政一般の問題として、独立行政法人の
政法人にしろ、公務員制を「断片化」し、組織に営利
モデルといわれるイギリスのエージェンシーを取り上
企業的な管理方式や「準契約的関係」を持ちこむ点に
げてきたが、国立大学の独立行政法人化問題は、当然
変わりはないのである。そこにおいては、公務員の行
ながら「学問の自由」や「大学の自治」という大学の
動様式はますます営利企業的となり、本来、行政活動
特殊性の観点から論じる必要がある。しかし、独立行
が追求すべき価値である「公正」は後景に退き、「市
政法人化の問題は、日本の公務員制度全体の問題であ
場価値」適合的となっていくだろう。すなわち、多様
るし、政治の責任、行政の責任をどう考えるのかとい
な要求を持ち、権利主体でもある「市民」を、「顧客
う、より広い枠組みのなかでもとらえられるべきであ
=消費者」として一面化し、サービスの提供に関する
るというのが筆者の問題意識である。
意思決定を「政治的過程」ではなく、擬似的「市場」
しかし、高等教育の役割・使命という観点からすれ
に委ねていく傾向、所属機関の個別利益を追求し、
「全
ば、われわれは、学問研究の自律性・多様性という価
体の奉仕者」としての公務員の使命・倫理が喪失され
値のみならず、教育を受ける権利における「公正」と
ていく傾向、短期的な「業績指標」で示される目標の
いう価値を忘れてはならないだろう。「公正」は「行
達成を追い求め、数値化しにくい目標や価値、サービ
政―市民」関係を律する価値であると同時に、高等教
スが「市民」(市場が提供するサービスから排除され
育の現場で働くわれわれの活動を律する価値でもある
やすい人々も含む)にもたらす影響などが十分に考慮
のである。「階級なき社会」をめざしたサッチャーが
−9−
創り出したのは、「富める者」と「貧しい者」という
ェンシー化の進展とアカウンタビリティを
「二つの国民」の間の格差であったといわれる。国立
めぐる一考察―」
『同志社法学』
4
9巻3号。
大学の独立行政法人化は、わが国の教育研究における
君村昌(1
9
9
9)「社会保障行政」武川正吾・塩野谷祐
「貧困」に対する政治と行政の責任をあいまいにし、
一編『先進国の社会保障1:イギリス』
(第
この「貧困」を国民の間の教育を受ける権利における
3章)東京大学出版会。
格差の拡大として、いびつな形で再生産していくと考
行政改革会議事務局編(1
9
9
7)『諸外国の行政改革の
えられる。教育を受ける権利における「公正」という
動向』財団法人行政管理研究センター。
価値を実現していくためには、教育研究の条件整備に
榊原秀訓(1
9
9
8)「イギリス―『行政(Public Admini-
対する政府の責任を個別法人の責任に転嫁する国立大
stration)から『経営(Public Management)』
学の独立行政法人化は認めるわけにはいかないのであ
る。
へ」『法律時報』7
0巻3号、1
9
9
8年3月。
讃岐建(1
9
9
6)「英国行政機関のエージェンシー化の
なお本稿の限られた分析でエージェンシーの全体像
意義」『季刊行政管理研究』第7
4号、1
9
9
6
を十分に明らかにしえたわけではなく、まだ不明な点
が多い。とりわけエージェンシーの意義や問題点をイ
年6月。
下條美智彦(1
9
9
9)『イギリスの行政(新装版)』早
ギリスの行政制度と関連づけて論じることは、行政法
学・行政学の門外漢である筆者の能力を超えている。
稲田大学出版部。
多賀谷一照(1
9
9
8)「独立行政法人論と行政制度」『季
しかし、独立行政法人によって予想される問題状況を
刊行政管理研究』第8
2号、1
9
9
8年6月。
明らかにするには、日本の行政改革が、先行する諸外
竹下譲(1
9
9
6)「行政組織の改革―イギリスのシティ
国の行政改革の経験を参考にしつつ修正を加えて進め
ズン・チャーターを事例に―」『季刊行政
られていることからしても、諸外国の行政改革の現状
管理研究』第7
5号、1
9
9
6年9月。
を実証的に検証する作業が有効であろう。この分野に
福家俊朗・浜川清・晴山一穂(1
9
9
9)『独立行政法人
おける今後の研究の発展に期待したい。
―その概要と問題点―』日本評論社。
藤田宙靖(1
9
9
9)「国立大学と独立行政法人制度」『ジ
注 1)軍人や臨時雇用の職員、北アイルランドの公
務員は除外されている。
ュリスト』第1
1
5
6号、1
9
9
9年6月1日。
長谷部恭男(1
9
9
8)「独立行政法人」『ジュリスト』
第1
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London :
【
「ニュージーランド研究第4巻(1
9
9
7年1
2月)
」
より転載】
草の根から見た
ニュージーランドの行政改革
キーワード:ニュージーランド、
行政改革、
改革の背景、
医療、
社会、
国公有資産、
教育、
科学研究
河内
洋佑
前オタゴ大学地質教室
現中国科学院中国鉱物資源探査研究センター
求めた。その比例代表制による選挙の結果は周知のよ
まえがき
うに、人気取りにたけた、もと国民党のウインストン
・ピータース氏の率いる「ニュージーランド第一」党
私はニュージーランドに1
9
6
7年以来廷ベ2
6年余滞在
(New Zealand First)がキャスティング・ヴォートを
し、1
9
9
7年4月に日本に帰国した。その間、最近日本
握って国民党と連合を組み、既定路線をさらに押し進
の行政改革のモデルとしてよく引用されるようになっ
めることで終わった。しかし最近の世論調査によれば、
たl)ニュージーランドの行政改革の前後を身をもって
国民党と「ニュージーランド第一」党連合の支持率は
体験するという稀な機会を得た2)。日本ではニュージ
低下しており、特に後者の支持率低下は著しい。つま
ーランドの行政改革は若干の影の面を伴ってはいる
りこの小文で私がこれから述べるような事態に対する
が、全体としてはバラ色であると描かれているようで
国民の反感やフラストレーションは、国民の6
0%以上
ある。それと全く異なる見方があることをお伝えし、
が感じているということであり、改革は決して日本で
特に草の根から見た改革の実態を記録することは、バ
伝えられているように国民的支持の下にあるわけでは
ランスのとれた理解を進めるために必要であろう。
ない。むしろ橋本首相が1
9
9
7年4月にニュージーラン
ニュージーランドの政治は1院制で、その上最近ま
ドを訪問して改革を「成功」させた秘密は何かと尋ね
で小選挙区制だった。そのため3
0%台の得票でも議会
たところ、ボルジャー首相は「国民にとって何が何だ
の多数派を占めることができた。それだけでなく、多
かわからないうちに急速に改革を押し進めたことで
数党党内では実力を持った幹部数人がその意のままの
す」と答えたことに象徴されるように、改革が非民主
党内運営を行い、政策を決定することができた。この
主義的に行われたところに特徴がある。ちなみに、改
ような制度の下ではチェック・アンド・バランスは実
革を開始した労働党も行政改革についての公約は一切
現され難い。ある政治学者はニュージーランドの制度
せずに選挙に臨み、多数党になったところで突然改革
を「民主的独裁制」と呼んでいる3)。今度の行政改革
を始めたロンギ氏の率いる労働党が改革開始直後の選
挙で敗北したのは、国民党ならばそのような改革を行
わない(あるいは少なくとも、もう少し国民に痛みを
伴わない方法で行うのではないか)という期待があっ
を開始したのであった。
改革の背景
ニュージーランドは第二次大戦で戦場にならなかっ
たからではないかと思われる。それが裏切られたとき、
たこともあり、「祖国」イギリスヘの食料や羊毛の主
国民は選挙制度改革を求め、圧倒的多数をもって、も
要輸出国として、戦後長く世界のトップクラスの繁栄
っとよく民意を反映する比例代表制を採用するように
を享受してきた。このような繁栄にかげりが出たのは、
−1
2−
イギリスのEEC加盟によって最大の販路を失ったの
の計算には入っていないらしい。ちなみに、ビル・バ
が始まりである。経済的な苦境を決定的にしたのは
ーチ氏は現内閣でも蔵相を勤めているが、シンク・ビ
1
9
7
0年代初めの2度にわたる石油危機であった。この
ッグ政策の政治的責任はどうなったのであろうか。
とき、国民党マルドゥーン内閣の蔵相であったビル・
ここではまず改革の矛盾が最も先鋭な形で現れた医
バーチ氏は、この苦境を脱出するために「シンク・ビ
療、社会、教育の分野について述べ、科学研究の分野
ッグ」(Think Big)ということを提唱し、いくつか
についても言及する。しかし、行政改革の影響は広く
の大プロジェクトを開始した。これらは、ニュージー
深く及んでおり、それを網羅して社会科学的に分析す
ランドに豊富にある天然ガスを原料とした石油合成工
るのは、私のような一地質学徒のよくするところでは
場の建設、クルサ川のクライドに巨大ダムを建設して
ない。したがって、ここに述べる内容はどうしても逸
その電気を利用したアルミ精錬工場の建設、北島西岸
に多量にある砂鉄を使った製鉄所の建設などである。
以上のうち、石油合成は当時実験室内でのみ成功して
いたモービル社の特許を利用したもので、それをいき
なり工場規模に拡大することについては相当な危険が
あった。しかし何よりも、工場が完成したときには石
油危機は去ってしまっており、コスト的に製品は売れ
話的になることをあらかじめお許し願いたい。
改革の内容と実体
医
療
利益第一主義に転換
なくなってしまった。ダムの水力発電による電気は、
ニュージーランドの公立病院は、かつてはほとんど
当時は世界一安いということでアルミ精錬工場の誘致
の町にあり、選挙によって選ばれた経営委員会の監督
はほとんど確定的と見られていたが、建設予定地に環
のもとに運営されていた。今では任命されたビジネス
境問題があり、またパブアニューギニアの電力がもっ
マ ン の も と、そ の 名 称 も 公 立 病 院 企 業 体(Crown
と安いことが判明して誘致に失敗し、ダムは完成した
Health Enterprise、略称 CHE)となり、利益第一で経
が電力の使い道がなくなった。製鉄所も規模などの理
常されている。ダニーディン市にあるオタゴ病院では、
由によって採算はとれなかった。このようにビッグ・
改革が行われた直後に任命された経営責任者が、地方
プロジェクトはいずれも失敗したが、問題はこれらの
住民の健康を守るという本来の任務を忘れて、儲けの
プロジェクトがすべて外国からの借款でまかなわれた
大きいサウジアラビアに分院を作るという計画に夢中
ことである。その結果、インフレは年率1
5%以上、国
になり、非難を浴びて辞職するという事件があった。
民一人あたりの負債額は当時世界最大の借金国だった
しかしこのような事件を起こす体質は構造的なもので
ブラジルを上回るという悲惨な状況に陥った。
あって、一経営者の突出した行為とは考えられない。
この機会をとらえて、ハイエク、フリードマンらが
その後も、利益のために病人の回転を早めようと、身
提唱し、レーガン、サッチャーなどが推進していたモ
寄りもない8
2歳の手術後の婦人を午前3時に退院させ
ネタリスト政策を、最も純粋な、極端な形で遂行した
たため、彼女は夜が明けるまで待合室で座っていたな
のがニュージーランドの改革であった。これはレーガ
どという、信じ難い事件すら起こっている。私の知り
ンやサッチャーですら強行できなかった政策であり、
合いの7
2歳の婦人も、乳癌の全切除手術後、2、3日
「ニュージーランドの実験」3)と呼ばれている理由で
で退院させられている。また新しい治療法を開発した
ある。マクロ的に見れば国際収支は改善され、インフ
医者に対して、対立する別の地域の公立病院企業体に
レもおさまり、安定してきたように言われている。し
その治療法を教えるなという圧力が経営者からかかっ
かし国民がこれまでに払い、かつ、これから払わなけ
た例もある。そうすることで、新治療法を開発した医
ればならない犠牲は耐え難いレベルに達している。長
者のいる病院に他地域の患者を入院させて利益をあげ
期的に見た場合、「金がすベて」
という風潮が蔓延し、
ようというわけであって、患者の利益を図るというこ
福祉の切り捨てとあいまって、犯罪が増加するなど社
とは二の次になっている。少しでもたくさんの患者を
会は不安定化してきている。行政改革によって国民が
救いたいと願う良心的な医者のなかには、絶望して辞
負担しなければならない社会的コストは、政策立案者
める人も続出している。
−1
3−
人員削減の結果、看護婦は労働密度が増し、流産す
た。
る人が増えている。夜間には看護婦の手がまわらず、
患者がベルを押してもなかなか来てくれなくなった。
夜勤あけの看護婦は、人手不足からくる過労で頬がげ
社
会
老人や家族の苦難
老人ホームに入るためには、まず全財産を提出し、
っそり落ちて痛々しい限りである。
長期待ち時間、入院費高騰
それが尽きたところで初めて公的な補助が受けられる
年間の手術数は予算によって厳しく制限されるよう
ことになった。そのため親の名義の家に住んでいる息
になったので、生命に差し当たり影響しないという意
子夫婦が、その家の売却にともなって追い出されたり
味での非緊急な手術では、待ち時間2年などというこ
している。
とが普通になった。実際には待っている間に亡くなっ
老齢年金受給者は、年金以外に稼ぐ(貯金の利子を
た人も出ている。入院患者を減らしたために病室がが
含む)と、その超過分について最高9
7%という懲罰的
ら空きである一方では、患者管理の都合から、大部屋
な税がかかる.これはあまりに不人気なので、国民党
に男女の患者を一緒に入れるようなことも起きてい
の執拗な反対にもかかわらず廃止の動きが出てきてい
る。公立病院でそこひの手術をしてもらいたかった患
る。
者が待ち時間2年と言われて、翌日手術を受けられる
ホームレスの増加
私立病院を希望したところ、執刀したのは前の日にそ
住宅公社は、本来の目的だった低所得者層に対して
の患者を診察した医者で、手術室は公立病院の一室だ
低家賃住宅を供給することを止め、民間相場の家賃を
ったという話もある。公立病院が空いている手術室を
取る、ただの家主になった。母子家庭や失業者などは
有料で貸し出し、医者は本務以外のアルバイトをして
家賃が払えなくなり、追い出される人も出ている。こ
いるわけである。私立病院では1晩の入院で2、3万
うして生じたホームレスはオークランド市だけでも
円かかる(手術料は別)が、これは平均年収が3
0
0万
1
0
0人以上いるといわれており、1
9
9
7年初頭に教会な
円くらいのニュージーランド人にとっては非常に大き
どのボランティア団体が組織したスープ・キッチン
な出費である.このような事態に備えて私的保険に入
(貧しい人に無料で食事を提供する施設)には1
5
0人
るのが普通になった。ちなみに、この分野での最大の
以上が参加するという大盛況だった。フード・バンク
保険会社はアメリカ資本であり、その理事の一人は行
(無料で食料などの入った袋を貧しい人に配るところ)
政改革を始めたロンギ内閣の大蔵大臣ロジャー・タグ
も包装が間に合わないほどである。ボランティア団体
ラスである。それでも保険料を払える人は幸運である。
では、政府の社会対策の失敗の尻ぬぐいをボランティ
保険料は6
5歳以上では倍額になるので、年金生活者な
ア団体の善意に押しつけるものとして、怒りを隠して
どは保険に加入せずに運を天にまかせたり、重病だけ
いない。
を対象にした保険に入るなど、「地獄の沙汰も金次第」
バス・サービスの低下
を地で行くような状況になっている。
従来地方自治体が運行していたバスは自由化され、
小規模公立病院や精神病棟の廃止
運行権を入札によって決めるようになったが、そのた
地方の小規模公立病院は軒並み閉鎖され、患者は1
0
0
めに儲かる路線は民有となり、儲からない路綿が自治
体の運営となった。それにともなって運行回数の削減、
キロ以上も離れた病院に行かねばならなくなった。
精神病院もコミュニテイ・ケアという名のもとに、
路線の廃止、運賃値上げなどが起き、市民の足はます
ほとんど無差別に閉鎖された。町には、ごみ箱をあさ
ます不便になった。ここでも、しわ寄せはすべて車を
ったりする患者の姿がしばしば見られるようになっ
持たない人や運転のできない人、すなわち老人、婦人、
た。凶暴性のある患者の無差別退院の危険について、
低所得層にかかるようになった。
病院当局に警告したが聞き入れられなかったという事
少額貯金の悲哀
実を告発した看護夫が、患者のプライバシーを侵した
少額貯金には口座管理費が創設され、残額が3
0
0ド
という理由で解雇されたという事件があった。この患
ル(約2
5.
0
0
0円)以下の預金からは毎月数ドルが引き
者は退院直後に児童暴行で逮捕されて刑務所に送られ
落とされてしまうようになった。生活保護費や年金は
−1
4−
銀行振込なので、口座を持たないわけにはゆかない。
種の控除が一切なくなったので、低・中所得層には事
トイレの紙の枚数も勘定しなければ使えないといわれ
実上の増税になった。貯金利子からも所得税が天引き
る年金生活者や母子家庭など生活保護を受けている層
で引かれている。税負担能力のない学童預金などもこ
にとって、これは非常につらい出費である。
の例外ではなく、零細な預金から利子の2
4%が差し引
労働条件の切り下げ
かれている。事務上煩雑だからという理由で、学童預
雇用契約法によって労働組合が一括して交渉する権
金から徴収した所得税の払い戻しは認められていな
利は大きく制限され、労働者は個人として使用者と交
い。結局、この減税によっていい目にあったのは高額
渉することとなった。失業者が多数いる環境のなかで、
所得層であった。
個人対企業の交渉の勝負ははじめから見えている。労
海外からの投資や利益の送金がまったく自由化され
働条件は切り下げられ、大した抵抗もなしに首切りが
たため、大会社は税金の低い海外のタックス・ヘイヴ
行われるようになった。パートタイムが非常に増えて
ンに逃避した。ニュージーランドのトップテンの大会
いる。失業率が下がったという統計をそのまま信用す
社は、国内で税金をまったく払っていないといわれて
ることはできない。
いる。
犯罪の増加
銀行強盗や殺人などの凶悪犯罪が報道されない日は
ほとんどなくなった。こそ泥などが増えたので警備会
国公有資産
資産売却、私企業化
社はうけに入っている。銃器を使った大量殺人など今
行革によって国有鉄道、郵便局の貯金業務、銀行、
度の行政改革開始前には聞いたこともなかったが、行
電話、国有航空、林野庁などが、アメリカ、オースト
革開始以後に3度も起きていることは果たして偶然で
ラリアを主とする外国資本に安く払い下げられた。そ
あろうか。警官の数は1
9
9
0年の6,
0
3
7人から1
9
9
5年の
の他の国公有資産、公立病院や国立研究所などは、国
8,
6
3
9人へと4
3%も増やされているが、犯罪の増加に
や自治体が株を持つ企業として再編され、利益を上げ
対処するためにはもっと増やせという声が強い。
ることを第一目的とすることになった。郵便局の郵便
公務員削減、コンサル依存増加
業務も近く民営化されることになっている。つまり、
行革によって公務員は大削減を受けた。その結果は
あらゆる規制を廃止し、すべてを「神の見えざる手」
行革の成功の好例として大宣伝されている。しかし実
の支配する市場経済に任せるということである。ここ
態は同じ仕事を民間のコンサルタントに出している例
で、金融、通信、交通、エネルギーなどの戦略的分野
があまりにも多い。コンサルタントは莫大な費用をチ
がすべて外国支配のもとに置かれることになったのが
ャージするのが通例であり、1
9
9
6年度には大蔵省だけ
注目される。また一切が商業秘密となって、経営内容
でコンサルタントに2
4
0
0万ドル(約1
9億円)を使った
や役員給与などについて国民の監視が全くきかなくな
といわれる。コンサルタントは今やあらゆる面に進出
った。
しており、政策などを策定する高級なものから移民や
税金などの相談に乗るものまで、経営者やもと公務員
最近では水資源も私有化するという動きがある。
経営者の給与は大幅増額
などあらゆる「エキスパート」にとっての絶好の稼ぎ
民営化された企業の多くが真っ先にやったことは、
場を提供している。これを庶民の側から見ると、役所
世界中から有能な経営者を集めるためには世界的レベ
の窓口で無料で済んだ仕事を、今度はコンサルタント
ルの給与を支払う必要があるという理由で、経営者の
を通じてしなければらちがあかないということであ
給与を大幅に増やしたことであった。経営トップの給
り、出費が増えたということになる。
与は今はアメリカ並みだといわれている。貧富の差は
税制改革で貧富差拡大
かつてなかったほど拡大している。その一万では大規
所得税は最高6
6%だった累進税が、3
3%と2
4%の2
模な合理化が行われ、例えば電話会社では3分の2の
種類だけになった。これは一見大減税に見えるが、消
人が失業した。一方、電話の基本料金は2倍になった。
費税(GST、最初1
0%で、すぐに1
2.
5%に増額され
ニュージーランドでは住宅用電話の基本料金には市内
た。食料品などにも免税はない)が創設され、また各
通話料が含まれており、度数料はない。長距離通話料
−1
5−
は下がったが、それによって利益を得るのは主として
に余裕がない時期である。返還を逃れる方法として海
企業である。その結果、電話会社は空前の利益を上げ
外に逃亡することを真剣に考慮している学生も多い。
るに至った。
その結果、卒業してもあまり金にならない学科、例
公営事業料金の改訂
えばラテン語、ギリシア語とか基礎科学などには必然
地方自治体はその所有する空港、発電所、森林など
的に学生が来なくなり、そういう学科の廃止すら論議
が会社化され、それからあがる利益を自治体の一般会
されるようになっている。一方、商学などはお金にな
計に繰り込むことは禁止された。その結果は自治体議
るだろうということで、短期間に学生数が1
0倍にも増
員が公社の役員となって報酬を勝手に値上げしたりす
加した(ニュージーランドの大学にはふつう定員はな
ることになった。
い)。歯学部では授業料があまりに高くなった(年に
電気会社は発電料金のほか送電会社に送電線使用料
1
5,
0
0
0ドル以上)ので、ニュージーランド人の子弟は
も払わねばならなくなり、電気代はこの1年だけで6.
5
金持ちを除いて入学できなくなり、4分の3が留学生
%値上がりしている。
に占められるようになった。歯の治療費が高すぎて治
郵便料金は改革前に定型封書が1通2
5セントだった
療を受けないで我慢する人が増え、その結果「病院に
ものが4
5セントになった。1
9
9
6年1
0月にこれが4
0セン
来る患者の状態は、これまで見たこともないほどひど
トに下げられたことを改革の大成功の例として政府は
い」と歯学部長が発表している。高い授業料を払って
挙げているが、これは上げ過ぎの手直しにすぎない。
卒業した学生は開業したところでその費用を回収しよ
全国に1
2
0
0あった郵便局はわずか4
0
0に減らされた。
うとするであろうから、今後歯の治療費が急騰するこ
これは地方に住んでいる人にとっては大打撃である。
とは明らかである。
たとえばニュージランドの南島は本州の7割くらいの
大学教育の質の低下
国土に8
0万人くらいの人口が散在している。地方に住
大学ではこれまで一つの科目は年間を通じて講義を
んでいる人は、貯金や小包の送金には数十キロも離れ
行い、年度末に一斉試験を行って合否を判定していた
た本局まで行かねばならなくなった。こういう地域に
が、セメスター制を採用し、科目の内容を細切れにし
は公共交通機関もないために、車がない人や運転ので
て、学生に単位を取りやすくした。こうしないと学生
きない人は田舎には住めなくなったわけである。郵便
を引きつけることができず、学生数に応じて配分され
についてはガソリン・スタンドなどが預かってくれる
る予算が減れば学科の存続に響くからである。各課目
から大丈夫だと政府は言っているが、プライバシーの
の序論だけを履修して卒業に必要な単位を取ることも
保護で問題を生じている。
できるようになり、必然的に講義のアカデミックな内
教
容は薄められた。教員には有資格で研究業績のある人
育
を採用してきたのを止め、博士号も研究業績もない人
学生の経済負担増加
を、安い貸金で毎年契約変更できる臨時雇いとして採
大学の授業料はこのところ毎年1
5%くらいずつ上げ
るようになった。それによって年金の雇用者負担やサ
られている。これは、「学歴を得れば就職に有利だろ
バティカル休暇その他の諸出費を節約できるだけでな
うから費用は自分で持つべきだ」という理由によるも
く、学生数の増減に対して契約を変更しないことでず
のである。最近まであった返還不要の奨学資金は廃止
っとフレキシブルに対応できるわけである。しかしこ
され、学生は政府保証の銀行借金(実質利子1
0%以上)
のような先生に教わる学生はたまったものではない。
を借りて生活費や授業料に充てている。この総額は現
かくて大学は単なる知識の切り売り機関となり、新た
在1
7億ドルに達しており、数年後には5
0億ドル(約
な知識を創造する場所ではなくなった。従来大学でし
3
5
0
0億円)を突破すると予想されている。学生はこう
か得られなかった学士号は高専の一部でも出せるよう
して多額の借金を背負って卒業する。そして年収が
になったが、その内容には甚だ怪しげなものも含まれ
1
4,
0
0
0ドル(約百万円)に達すると奨学金返還を開始
るようになった。認可はされなかったが、ある高専で
することに決められている。しかしこの時期は結婚し
は占星術コースを、世の中に需要があるからという理
て子供が生まれたり、家の購入などでただでさえ生活
由で申請したほどである。
−1
6−
外国人学生で稼ぐ大学
加工株式会社、国土管理株式会社、全国水大気圏研究
外国人学生にはニュージーランド人学生の1
0倍もの
所株式会社、地質核科学研究所株式会社などになった。
授業料を課すことになっているので、大学にとって留
これらは商業活動を行う会社として、個別の重役会の
学生を多数受け入れることは死活の重要性を持ってい
管理経営下に置かれている。重役会はほとんど経営者、
る。オタゴ大学では1
9
9
6年度留学生の割合が1
0%に達
会計士、弁護士などから構成されており、科学者は一
し、外貨をたくさん稼いだということで「優良輸出産
人しかいないのが普通である。再編に際して金儲けに
業」として表彰された.学生数をさらに増やすため、
関係のない基礎研究部門は廃止されたり、縮小された
7つある国立大学では学生の取り合いが激化し、競っ
りしたが、その過程は今も進行中である。この再編に
て互いの伝統的テリトリーだった地域に出張事務所を
際して科学者はほとんど相談を受けなかった。CRI
作ったり、タイム誌などに広告を出したりしている。
傘下の研究所では、すばらしい色刷りの経営報告書を
オタゴ大学では留学生のためにマレーシアまで出張し
毎年印刷配布するようになったが、株式会社として、
て卒業式を行うようになった。しかし最近では授業料
その内容は収支決算に主眼を置くものであり、経営者
をこれ以上値上げしては、学生がアメリカ、イギリス
の顔写真などばかり載っていて、科学的内容は二の次
などに逃げてしまうおそれも出てきている。一方では
である。その一方では科学的成果の印刷の予算は削ら
政府側に国立大学を売却して私立化するという動きも
れている。
ある。
研究予算配分の変化
最近の選挙で保守党が勝利したオーストラリアでは
再編の過程で、2
0年、3
0年という経験を積んだ働き
ニュージーランドに学べということで、学科の再編が
盛りの世界的な科学者が多数辞めさせられた。比較的
進行している。クイーンズランド大学では物理学科が
若い研究者多数が海外に職を求めて去ってしまった。
廃止された。南クィーンズランド大学では地質学科が
数学研究所は1
9
9
4年に破産して消滅した。化石や岩石
廃止され、物理と化学が合併された。これらはいずれ
の研究部門は廃止された。
も「儲からない」というのが理由である。ニュージー
研究所の再編とともに、研究費の配分方法も変えら
ランドでも遠からず同じような動きが出てくると予想
れた。大学も国立研究所も科学技術研究基金から研究
されている。
費の配分を受けるようになったのだが、それはあらか
じめ定められた課題に応じて行われる研究の結果を、
科学研究
科学技術省が「買い上げ予約」するという形で行われ
研究機関の再編、企業化
る。すなわちその配分は研究の過程に対してではなく、
科学研究で何が起こっているかは、王立協会(日本
予想される結果に応じてなされるのである。言い換え
の学士院に相当)会長のブラック教授が昨年オースト
ると、この基金には、あらかじめ決められた研究の
「結
ラリア国立大学とネーチャー誌主催の討論会「研究に
果」があり、その結果に応じて応募するわけである。
おいて創造力をいかに育てるか」で講演したときの演
たとえば、1
9
9
0/9
1年度には4
0のテーマがあった。そ
題「文化大革命下にあるニュージーランド科学研究の
のうち1
6は農業関連の応用テーマであり、畜産や園芸
現状」4)がよく示していると思われる。科学研究分野
など、農業国ニュージーランドとしてお金に直結する
においても、キーワードは「自由化」、「競争」、「受
テーマに5
2.
5%の予算が割り当てられた。一方、基礎
益者負担」となり、経済に直接有用な研究のみに予算
研究には僅か1%が割り当てられたにすぎなかった。
が与えられるようになった。
指定分野はそのときどきの戦略的重要性に応じて変え
国立研究所は再編縮小され、あるものは廃止された。
日本でもよく知られていた科学工業技術庁(DSIR)
はなくなり、旧国立研究所の人員・設備は公共研究企
られているが、1
9
9
5年には1
7テーマに減り、農漁業の
応用テーマ8件で額としては7
6%を占めるに至った。
基礎研究は壊滅方向へ
業体(Crown Research Institutes、略称 CRI)になった.
科学技術研究基金では新しい研究用機器の購入は認
DSIR傘下の化学研究所、物理工学研究所、土壌研
められていない。研究に使用した現有機器の減価償却
究所、気象研究所、地質調査所などは、CRI では産業
を計算し、減価分を基金との研究契約に含めることに
−1
7−
よって回収するのである。基金の配分を受けるには内
いる。1
9
9
7年3月現在、ニュージーランドの海外借款
容が科学的に優れているかどうかではなく、経済戦略
は8
0
0億ドルに達しており、このうち4分の3は私的
的に重要かどうかによって判断が下される。その判断
な借入金である。これはGDPの8
5%に相当する。
の基礎の一つは研究結果が最終的に応用可能かどうか
である。
これが大成功といわれるニュージーランドの行政改
革の実体である。
このような基金の性格からは、やらないうちから結
果のわかっている研究だけが行われることになるわけ
参考文献
である。このような環境の中からは真に独創的な研究
1)「この人にこのテーマ」(ニュージーランド大使
が行われるとは信じられない。優秀な学生が基礎科学
マーチィン・ウィーバーズ氏のインタービュ
離れを起こして手っとり早く金になる分野に流れてい
ー)朝日新聞1
9
9
5年1
2月2
4日1
4版9ページ。
ること、経験を積んだ科学者が定年前に不本意に退職
「ニュージーランドの経済改革を見た」朝日新聞
1
9
9
6年3月3
0日夕刊2版5ページ
を迫られて辞めていっていること、残っている科学者
「市場国家」への大きな試み
もその地位が非常に不安定になっていること、研究費
毎日新聞1
9
9
6年5月1
3日社説.
への締めつけが厳しいこと、などによってニュージー
ランドの基礎研究は壊滅的打撃をこうむったと断定せ
小国の大仕事 北海道新聞1
9
9
6年5月2
7日夕刊。
ざるを得ない。
早房長治:行革、ニュージーランドに学ぶ朝日新
聞1
9
9
7年5月1
8日1
2版4ページ主張、解説。
行革は成功しているのか
2)河内洋佑(1
9
9
1):ニュージーランドの教育研究
の危機 ニュージーランド便り 「地質ニュー
以上概観したように、一連の改革によって、国民は
ス」4
3
8号。
何も利益を受けていないといってもよいと思われる。
河内洋佑(1
9
9
1):ニュージーランド地質調査所の
税金などが下がったことがあったとしても、私的な保
解体再構成 ニュージーランド便り 「地質ニュ
険料の増加などを負担せねばならなくなった。これは
ース」4
5
0号.
形を変えた税金に等しい。それだけでなく負担は低所
河内洋佑(1
9
9
4):楽園の実験「科学朝日」4月号。
得層により重くかかるようになった。貧富の差はアメ
河内洋佑(1
9
9
6):ニュージーランドの経済改革と
リカ並みに拡大した.また、経済担当者の等式には入
科学研究「日本の科学者」3
1―9。
っていないように見える社会的コストは、堪え難いほ
河内洋佑(1
9
9
6):だれのための改革か?ニュージ
どに増大している。社会は不安定度を増し、おおらか
ーランドの今「連合通信隔日版」
だった国民性は今や拝金主義に毒されつつあるように
河内洋佑(1
9
9
7):ニュージーランドの行政改革
見える。かつては世界のトップレベルにあった科学研
究も、後継者は育たず、今までに築きあげた財産を食
「婦人通信」3月号。
3)Kellsey, Jane (1995) : The New Zealand Experiment.
い潰してやっと息をついている。
A World Model for Structural Adjustment ?
成功といわれる経済でも本当にそうなのかは大いに
Auckland University Press.
疑わしい。1
9
8
9年にはニュージーランド株式の1
9%が
Price , Hugh ( 1996 ) : Know the New Right Gond-
外国所有だったものが、1
9
9
5年には5
6%になった.準
wanaland Press.
備銀行総裁のドン・ブラーシュ博士の最近の発表によ
Robinson , John ( 1996 ) : Destroying New Zealand ,
れば、1
9
9
5年度のニュージーランド資本の海外投資の
Technology Monitoring Associates.
利益は7億ドルであったが、同年度の海外資本がニュ
4)Black, Philippa (1995) : Researches in New Zealand :
ージーランドであげた利益は実に6
5億ドルに達してい
Working through a Cultural Revolution. Manu-
る。ニュージーランドは経済的に海外の植民地と化し
script
たという人もいる4)。確かに戦略的重要分野はほとん
Canberra
ど海外資本のコントロールのもとに置かれるに至って
of Innovation.
−1
8−
of a speech given at a symposium in
on
the
Ideas as the
Foundations
Lowe, Ian (1995) : New Zealand reforms come at
a cost. New Scientist 2 Dec.
New Zealand economic experiment ;
A View from the Grass-roots
Yosuke KAWACHI (Formerly at Geology Department, University of Otago)
keywords : New Zealand, administration reforms, background of reforms,
medical care, society, national and local governments' assets,
education, scientific research.
New Zealand economic experiments are said to be very successful. From the grass-roots
point of view. however, it is totally different. The reform has been motivated and
steamrollered
by New Right ideology disregarding reality and welfare of the people.
Social cost of the reform is enormous in many fronts including health care, education,
and social
stability. Basic
science
in
New
Zealand
is all
but
destroyed.
Even
in
economic terms the success of the reform is not without doubt. New Zealand is now
economically under control of foreign capitals. From my 26years' first hand experience
in New Zealand I have illustrated how this reform is and will be negatively affecting
ordinary New Zealanders.
【編集部註】
全大教時報が掲載している「草の根から見たニュージーランドの行政改革」は、河内洋佑氏が「ニュージーラ
ンド研究第4巻(1
9
9
7年1
2月)」に発表されたものですが、河内洋佑氏および出版社の許可を得て、全大教時報
に転載させていただいております。論文転載にあたっては、金沢大学の田崎和江氏、青木健一氏、鈴木恒雄氏、
末松大二郎氏のご協力をいただきました。ありがとうございました。
−1
9−
地域社会と国立大学
∼地方国立大学の存在意義をめぐる議論についてのノート∼
市原宏一(大分大学経済学部)
独立行政法人化の論議の中において、国立大学が総
地元就職率などの資料などがあればこうした問題をよ
体としての存在意義の明確化を求められているが、同
り緻密に検討できるであろう。ここでは、そうした点
時に個々の大学においても具体的文脈の中で、それぞ
まで掘り下げて検討できないが、当面現在までのとこ
れの地域社会における存在意義を明らかにすることが
ろで、独立行政法人化問題に際して公表された、大学
求められてきている。こうした論議の関わりでは、し
機関・組合の声明などから地域社会と国立大学との関
ばしば地方大学はその意義・役割が明らかであるかの
わりについて言及した部分を参考にして、この問題に
ように思われがちである。
ついての簡単な考察を試みたい。
たとえば、一部マスコミ報道などにも、大都市圏に
は私立も含め大学の数は十分あり、旧帝大ではない総
1
合大学の存続は危ういとするような論調がある。こう
地域社会と国立大学
した大都市圏の大学に比較すると地方大学の存在価値
論点その
は明白だというわけである。
∼人材養成
大都市圏の通学範囲外で、戦後しばらく私立大学も
国立大学と地域社会との関係は、千葉大学文学部教
設立されることはなく、4年生大学あるいは総合大学
授会の声明が国立大学一般の存在意義の一つとして挙
としては国立大学一つしかないという状態が今日まで
げている。すなわち、国立大学が「全国に配置される
続いているという地域もあり、そうした状況では地理
ことにより、居住地域に関わらず教育の機会均等を国
的環境により、4年生総合大学としての国立大学の存
民に保証することができる」(『あるべき高等教育と
在が際立つということもあろう。
国立大学の存在意義』1
9
9
9年7月2
2日)という点であ
また、国立大学の伝統を支持する地域世論の温度差
る。この意義付けは、山形大学人文学部有志意見書で
という問題もある。地域によっては、地元国立大学を
はより明確に地方国立大学の役割として位置づけら
卒業した後に地元有名企業ないしは自治体に就職する
れ、「全国に設置されることにより、居住地域に関わ
という図式が成立しているか、少なくとも一般に望ま
らず国民全体に高等教育の機会均等を保障することが
しい傾向として受け入れられている場合がある。そう
できる。とくに、地方国立大学は地域を支える人材養
した地域では、地域社会からの要望を根拠に、公的財
成の核として大きな役割を果たしている」(『独立行
政支援の必要性ないしは大学存続の必要性を強調でき
政法人問題に関する山形大学人文学部有志の意見書』
るというわけである。実際、この間提起されている国
1
9
9
9年1
0月2
7日)と指摘された。
立大学制度廃止反対署名活動においても、こうした私
ここで言うところの居住地域に関わらない機会均等
立大の少ない地域においては、地域住民に強いシンパ
とは、地域間の多様な不均等にも関わらず、教育ない
シーを持って受けとめられているようである。
しは人材養成の点で、国立大学がそうした格差を是正
地域社会における国立大学の役割、存在意義は、結
するような作用を果たしていたということを意味する
局のところ、国民・地域住民からの要望などをすいあ
と考えられる。この点を一層明確に規定しているのは、
げる取り組み、シンポジウムや意向調査などから明ら
全大教九州アピールである。国立大学が「全国に配置
かにしていく必要がある。また、地域からの進学率や
されることにより、居住地域に関わらない教育の機会
−2
0−
均等を保障してきました」とした上で、国立大学が廃
役割にも言及している。(『国立大学の独立行政法人
止されて、公的支出の縮減と効率性のみの追求がなさ
化に反対する大学人アピール』1
9
9
9年1
1月3
0日)
れるなら、「現在既にある大学間格差が拡大し、差別
3
化が一層進行することになります。ことに、人口・産
業の集中する中央と比較して社会的基盤の脆弱な九州
独立行政法人化による
地域貢献への影響
地方では、公的財政支援の縮小は大学の民営化、廃止
問題に直結し、この結果、居住地域に関わらず保障さ
れてきた教育の機会均等性が損なわれることになりま
す」(全大教九州委員長連名緊急アピール「独立法人
教育=人材養成を中心として、従来国立大学が果た
化=国立大学の廃止に反対する」1
9
9
9年1
1月1
5日)と
してきた地域への貢献、あるいは地域間の不均等是正
強調する。このアピールは、まず第一に、戦後の国立
の役割は、独立行政法人化によって大きく損なわれる
大学設置以来厳然として存在してきた大学間格差を指
と考えられる。一つは、国家による財政支援の弱化が、
摘し、国立という設置形態が多少ともその格差の是正
社会経済的な基盤の弱い地域にある「国立大学」存亡
に作用したということを踏まえた上で、国立大学制度
に直結するという指摘である。「財政基盤の弱い地域
の廃止によって、辛うじて補われていた不均等是正の
の国立大学は真っ先に切り捨てられる。これは地域に
要素すら失われてしまう危険性を指摘する。
おける教育文化活動の拠点を失うことにつながり、憲
法に保障された教育の機会均等の原則を踏みにじり、
2
国民とりわけ地域住民の教育権を著しく侵害する」
(和
歌山大学教職員組合『国立大学の独立行政法人化に反
地域社会と国立大学
対する声明』1
9
9
9年9月1
3日)。鹿児島大学は先に挙
論点その
げた声明で既に9
7年に「地方の国立大学を独立行政法
教育=人材養成の面以外についても、いくつかの主
人化し、かつ安定的な研究費・人件費等を確保するた
張がなされる。一つは学術・文化一般である。島根大
めには一定額以上の基金からの収入が保障される必要
学教職員組合の声明では国立大学の廃止が「地域の学
があるが、現下の状況では困難である」と強調してい
術・文化をになっている地方大学の存立基盤に重大な
る。
危機をもたらすのではないか」(島根大学教職員組合
国からも地方からも財政的支援が期待できないとな
中央執行委員会『国立大学の独立行政法人化問題に関
れば、「受益者」負担増に向かうことは既に繰り返し
する緊急申し入れ書』1
9
9
9年9月1
0日)と指摘する。
指摘されたことであるが、この点でも地域間格差が考
地域文化における国立大学の役割・意義への言及は他
えられる。先の鹿児島大学声明は
「地方の国立大学は、
にもいくつかの声明などで見いだされる。(和歌山大
地域の経済的に恵まれない若者を広範囲に受け入れて
学教職組『国立大学の独立行政法人化に反対する声明』
おり、独立行政法人化されると大学の授業料の値上げ
1
9
9
9年9月1
3日、鹿児島大学『国立大学の「独立行政
を含めて、大学教育への機会均等が阻害されるおそれ
法人」化について』1
9
9
7年1
0月2
2日)
がある」と指摘し、熊本大学教職員組合の声明(『国
さらに、地域の文化にとどまらず、産業・行政・医
療への貢献についてもまた言及された。先に挙げた山
立大学の独立行政法人化に反対する』
1
9
9
9年1
0月1
8日)
も同様な問題を挙げた。
形大学有志の声明では、大学組織としてではないが、
また、従来から指摘される教員・研究者の人材確保
「教員の地域貢献も公共政策立案・社会行政・紛争調
という面にも影響を与えると考えられ、「地方大学の
停・文化活動・地域教育などの多方面におよび、地域
このような状況はスタッフの充実にとっても悪条件と
のシンクタンクとして多大な役割を果たしている」こ
なり、有能な人材の流出が続き、本学の研究教育の全
とが強調された。また同様の指摘は、九州地方の大学
体的な力量は低下す」(山形大学有志意見書)との指
人を呼びかけ人として出された連名アピールでもなさ
摘もある。
れたところであり、そこではさらに生涯教育に果たす
−2
1−
国家財政からの支援が削減され、各地域の経済状況
の下で市場原理に委ねられるならば、即座には大学組
義がありながら空調施設もない講義室などは多くの国
織全廃には至らなくとも、「とりわけ基礎的学問分野
立大学でみられる。こうした機能不全の施設を基礎と
の研究教育は軽視され、当該教育研究組織は統廃合を
して、どのような財産運用が可能だろうか。国立制度
余儀なくされ、現在の総合大学としての研究教育体制
の下で解決できなかったということになる「負の遺産」
は著しくバランスを欠いたものとなるであろう」し、
を解消し、新規施設に更新していく展望が独立法人に
こうした総合性の欠如は「これまで地域で果たしてき
あるのだろうか。
た中核的な役割を実現しえなくなり、地域の行政・産
日本の国立大学は、高等教育分野に限定されない地
業・文化の長期的発展の基盤も大きく堀崩されていく
域間格差の下に存在してきたのであり、同時に地方国
ことになる」(山形大学有志意見書)との指摘は、多
立大学は、国立大学制度を活かして、こうした格差の
くの地方大学に妥当する。
是正の努力を重ねてきたといえる。国立大学の存在意
独法化との関連でさらに補足しておきたい点は、現
義、役割を地域社会との関連で考慮するにはまずこの
にある資産を前提とした法人化という問題である。独
点を明確に押さえる必要があるだろう。同時にそれは
法化は運用に限定すれば、大学単体の財政裁量の余地
個々の地域で異なる内容と実態を伴っているはずであ
が大きいようにいわれ、創造的に資産活用ができるか
る。地域ごとの様々な社会経済文化上の偏差に対して、
のように宣伝されている。しかし、不動産を初め、豊
個々の国立大学がどのように対応してきたか、を明ら
かな資産を所有する私立大学や、近代国家形成前から
かにし、国民・地域社会に訴えていくことは、独法化
資産を蓄積してきたヨーロッパの大学とは異なり、そ
への対応に限らず、大学・高等教育機関と国民・地域
もそもわが国の国立大学資産は貧弱である。しかも全
社会との関係を見据える上で必要な作業の一端である
国の多くの国立大学が現在既に施設・設備の老朽化・
と思える。
狭隘化で長らく困窮している。雨漏りのする学生寮や、
通路まで書籍を平積みにしている図書館、盛夏まで講
−2
2−
大学教育のあり方をめぐって・1999年
国立大学の独立行政法人化によって事態は決定的に悪くなる
武田
晃二
岩手大学教育学部(教育学)
1
9
9
9年は大学教育のあり方をめぐって、とくに独立
上の違いはないとしても就職条件等の格差は大き
行政法人問題ともかさなりながら、さまざまな発言、
く学費が同額であるのは理解できない、・入学以
討論、政策提言などが展開されました。本稿では大学
前の偏差値や家計水準に格差があるのに入学後は
教育のあり方に関するこの間の動きを中心に
(1)
学生
同額になるのはおかしい、・機会均等論が学費同
の不満の根源はどこにあるか、
(2)
学生の学力「低下」
額を正当化する論拠にされているが学費それ自体
問題、
(3)
大学側の対応、
(4)
大学教育に問われてい
を下げる論議をするべきではないか、・大学の使
るもの、
(5)
学会も発言しはじめた、
(6)
「接続」と
命として人類的貢献とか公共性がもち出されてい
いうけれど、
(7)
むすびにかえて、にわけて述べてみ
るがそれは教員の研究が個人的な興味から出発し
たいと思います。
ながらその人類的価値を主張できているからであ
って教育についてはそのように言うことはできな
1
学生の不満の根源はど
こにあるか
い、・研究上の価値は教育に還元されるべきであ
ってその対価を親や学生が払うという考え方でい
いのではないか、・学費とは〈年単位の学費×修
国立大学の独立行政法人化問題が新たな段階に入っ
業年限〉ではなく〈単位当たりの学費×単位数×
た1
1月、大学改革情報ネットワークに地方大学の学生
学位審査料〉と考えるべきではないか。
というH.K君が登場し、大学教育のあり方について
これでもかこれでもかと具体的に不満があげられて
の不満を率直に表明しました。H.K君は、学費の全
くるところに国立大学における学生と教師との信頼関
員同額は悪平等である、多くの学生は大学を就職する
係の現実を見る思いがするのは筆者だけではないと思
ための学歴を取得するところとみなしている、大学で
います。この問題の背景には異常なまでの高学費や貧
の講議やゼミは受講している学生の満足度を尺度にし
困な条件整備等があることは言うまでもありません
て評価されるべきである、などについて多くの事例を
が、それらが改善されれば信頼関係が強まるというわ
あげて論じていますが、その根底には大学教育にたい
けでもないでしょう。
する強い不満があるように感じられました。H.K君
があげた事例と主張を以下に列挙しておきます。
筆者の考えでは、学生は教師の適切な指導のもとで
専門的な勉強ができることを大学にもとめているよう
・文系の学生の学費の一部は理系の教育に充て
に思います。明確さの度合いはあるにしても学生自身
られているのではないか、・学生教育や就職対応
が志向するなんらかの専門的な分野についてその内容
で教員によって学生の満足感に違いがあるのに同
を技術的なレベルもふくめて習熟すること、またその
額では納得できない(学費は〈授業料+a〉とす
ことがどのような社会的・人類的意義を有するのかに
るべきである)、・とくに4年次の教育には教員
ついて基本的な理解を得ることを学生は求めているの
によって大きな違いが出てくる(教員の給与は
〈基
だと思います。もちろん学年によって専門の意味も高
本給+指導特別手当〉のように考えるべきであ
まっていくでしょうし、大学院レベルでの専門性とも
る)、・東京の大学と地方大学とでは教育・研究
区別されるべきでしょう。教養科目はこれらの専門性
−2
3−
の人類的・社会的意義を基礎づけるものとして不可欠
聞き入っているのです。日頃はおしゃべりにいそがし
なものであるといえます。このような学生の要求に応
いはずなのにお互いの考え方についてはまったく理解
えることが大学や大学教師の第一義的な使命ではなか
しあえていないようすなのです。そしてそれぞれのレ
ろうかと思います。学生の要求に応えるために大学や
ポートにいちいちうなずいてみんなけっこうまじめに
教師が努力しなければならないことはまさに山積して
生きているんだということを確認しているようすでし
いると思います。それらの課題を実現するためにも独
た。ある学生はこんなことを言っていました。これま
立行政法人化はまったくふさわしくないのです。
で同じような勉強をしてきたのにどうしてこんなにも
考え方や感じ方がちがうんだろう、どうして他の学生
2
学生の学力「低下」問
題
はこんなに深く考えることができるんだろう、と。
筆者はここから授業が始まると思うのです。学生た
ちの知識や判断がまったく個々バラバラに切断されて
一方、1
9
9
9年6月に『分数ができない大学生』(岡
いる。どのような知識が基本的なのか、それぞれ個々
部恒治他編、東洋経済新報社)が出版されていらい、
の判断なのだからそれでよいではないか、みんなに共
にわかに大学生の学力「低下」問題が社会的な関心事
通に重要な知識などある方がおかしいのではないか、
になっています。分数の計算などの小学校レベルの計
と学生は「確信」しているのです。このような「確信」
算もできない学生が、私立トップ校といわれる大学で
に支えられた「学力」こそ「低下」というべきではな
約2割もいることなどが話題とされました。それは数
いでしょうか。お互いのレポートを聞きながらそれま
学だけの問題ではない理科においてもそうだ、いや国
での「確信」がくずれ、人間だれにとっても共通に重
語や社会でも同じだ、という報告が数年前から筆者の
要な知識、知識の社会的・人類的意味というものは存
勤務する大学でも話題となってきました。なぜなのか、
在するのだということに気がついた時、学生達はそれ
どうしたらいいのか、をめぐって論議がおこなわれて
ぞれの勉強の意味を問いはじめ、もっとしっかり勉強
います。
しなければと思うのではないでしょうか。このような
原因究明も多岐にわたっています。小学校からの学
教育も独立行政法人のもとではのぞめません。
校教育が問題だ、学習指導要領が問題だ、入試制度を
改革しなければだめだ、生活環境やマスコミのあり方
が背景にある、大学教育のあり方が問われている、こ
れらのうちどれがほんとうの原因であるかはさらに検
3
大学側の対応
討が必要であると思いますが、そのまえに学力「低下」
冒頭に紹介したH・K君の発言を契機に、大学改革
というものがいったいどういうものであるのか、さら
情報ネットワーク上で、大学教育のあり方、教育評価、
には学力とは何なのかについてももっと明確に解明さ
学生による授業評価(これも「授業者自身による教育
れる必要があるのではないでしょうか。
評価の一環としておこなうもの」と「大学教育システ
筆者は「道徳教育の研究」という講義で<この一週
ムの一環としておこなうもの」とに分けられる)など
間の間によい・わるいで悩んだり考えたりしたことが
の実践例やその意義等が論じられました。授業者自身
あったらなるべく具体的に述べて下さい」というレポ
による教育評価の一環として行われている「学生によ
ートを出したことがあります。一般に学生たちは「道
る授業評価」で成果をあげている例も確実に増えてき
徳」という言葉にほとんど関心を示さないのですが、
ているようです。「教育の改革は研究面での権威主義
このレポートの内容は筆者の予想をはるかに越えて、
の克服と不可分の課題ではないか」、「教育評価を嫌
〈時間差で約束を重ねること〉から〈臓器移植〉、〈コ
う人は研究評価も嫌な人だろう」という実践に裏づけ
ソボ紛争〉にいたるまでありとあらゆる問題について
られた見解も表明されています。とはいえ、大学にお
よい・わるいという面から真剣に書いているのです。
ける教育改革は依然として一部であり、しかも個々の
私はこれらのレポートをあまり選ばず原文のまま講義
レベルに留まっており、相互交流はまだまだこれから
中に読み返しています。すると学生達はシーンとして
という状況ではないでしょうか。ファカルティ・ディ
−2
4−
ベロップメントの名のもとに制度化する動きも強まっ
らこれからも考え続けていったら、などといわれると、
ています。独立行政法人化で本当に自主的な教育改革
よーしという気になるのではないでしょうか。このよ
やそのための相互交流は前進できるのでしょうか。
うな対話というか社会関係のなかで私たちの興味・関
心がより明確になり、大学に進んで研究してみようと
4
大学教育に問われてい
るもの
言う気になるのではないでしょうか。このような疑問
・感動はそれらがどんなに偶然的で子どもの個人的な
ものに見えても、いつかは誰でも遭遇する可能性をも
大阪大学の中村収三氏(比較技術工業論)は東海村
っているという意味では人間的・普遍的ということも
の「臨界事故」に関連して「工業倫理教育のすすめ」
できるでしょう。その間にそのような興味・関心が立
を説かれています。中村氏は「あらゆる近代技術は、
ち消えになったり、妨げられたりしたり、能力などの
危険なものを安全に利用する知恵だと言い換えてもよ
限界を感じたりすることもあるでしょう。自分の個人
い。それゆえ、技術者には専門的な能力に加え、高い
的な興味・関心といっても意識するしないにかかわら
倫理性が要求される」として「理系大学院生に対して
ずすでにすぐれて社会的な性格を帯びているのだとお
は、たとえ数時間でも工業倫理教育を行うことが望ま
もいます。そしてその研究の科学的意義.人間的意義
しい」と強調しています。これはひとり工業教育だけ
もまたそのプロセスの中でもたらされるのだと思いま
の問題ではないとおもいます。
す。つまり、小学校、中学校、高等学校そして大学の
また、東京中小企業同友会常任理事の小柳忠章氏は
それぞれの段階で科学性、社会性、倫理性、人間性な
中小企業の視点から主として大学を念頭に「青年に期
どが育まれる教育環境が決定的に重要なのです。教育
待する学力と人間性」を論じています。 小柳氏は最
環境が現在不幸にしてそれらのどれをも必要な程度に
近注目されているインターンシップ制度は「予備就職
持ち合わしていないところに根本的な問題があり、そ
制度になりかねない」と危惧を表明しつつ、「労働に
のことが大学生の学力「低下」問題の根底にあるので
は科学性と社会性と人間性が必然的に重要な要素」で
はないでしょうか。
あり、中小企業にとくにもとめられる基礎学力や高い
応用能力にはそれらの要素がともなっていることが求
められるとして、それを大学などの教育機関に強く期
待しています。大学での専門教育の現状が高い倫理性、
5
学会も発言しはじめた
人間性、社会性に支えられていると言える大学教員は
ところで、1
9
9
9年3月、日本物理学会、日本数学会
どれほどいるでしょうか。言えないとすればそれはな
など6つの理系諸学会が共同して新教育課程に関して
ぜなのでしょうか。どうすれば可能になるのでしょう
見解を表明しました。今回改訂された学習指導要領に
か。
ついて算数・数学や理科の時間を削減したことに「遺
ところで、私たち大学教員自身の研究活動や教育活
憾」の意を表明するとともに他に6項目を要望してい
動に倫理性や人間性があるとすれば、それらはいつご
ます。このような動き自体画期的なことですが、同時
ろどのようにして形成されたのでしょうか。私はこの
にこの見解には「我々も、これらの(学習指導要領に
ように考えています。私たちが今日教育者であり研究
示されたー引用者)理念が早急に実現されることを願
者であり得るのは少年時代に自然や社会についてのな
う」とか「新教育課程の理念の実現に向けて行政と連
にかしらの疑問や感動を体験したことに由来している
携をとりつつ協力することを惜しまない」という記述
場合が多いと思います。しかし、どんなに疑問や感動
があることにも留意しておきたいとおもいます。学問
を体験しても、それはこうなんだよ、と周囲の人から
分野によっては自明の水準というものがあってその水
解るようにおしえてもらったらそれはそれで終わって
準からみて今日の大学生の学力「低下」が認識されて
しまいます。しかし、疑問や感動によっては、おもし
います。しかし、事態はかりに算数・数学や理科の時
ろいことに気がついたね、それはだれもこれまで研究
間を増やしたとしてもなんら解決はしないところに問
したことがなかったことだとおもうよ、面白そうだか
題の難しさがあるのです。算数・数学や理科の時間の
−2
5−
削減はまさに教育課程政策の本質から導かれているの
「課題」といえますが、特定企業の利潤追求という見
です。
地からどのような改革方向を目指すのかも「課題」と
教育課程審議会がほぼ半世紀にわたって主導的にす
いえるでしょう。両者とも「課題」としては同質であ
すめてきた教育課程政策が根本において今日の学力
るとして事実上後者のような「課題」探究をこそ大学
「低下」問題を惹起させてきたのであって、大学生の
・学部の任務であるとし、そのような観点にたって大
学力「低下」問題もその延長上にあることは明らかな
学と高校以下を「接続」するというのが今度の答申と
ことと言えます。これまでの教育課程政策がどのよう
いえます。そこでは倫理性や科学性は問われることな
なものであって今度の改訂はなんであるかということ
く「課題」を設定する主体の側の意欲や関心をいかに
について、すべての大学教師が自己の専門分野からだ
明確にするかが問われることになります。倫理性がも
けではなく、より全面的にまさに科学的に検討するこ
とめられても科学研究に内在する倫理性ではなく、日
との必要性と重要性を指摘しておきたいと思います。
本国民の責任を果たすという意味での「高い倫理観」
が求められるのです。紙幅の関係でこれ以上の言及は
6
できませんが、大学教育の今後を考える上でこの答申
「接続」というけれど
を徹底的に検討することが求められています。
大学教育のあり方は文部省にとっても重要な政策課
題として位置づけていますが、その方向は私たちの期
待するのとはいわば正反対の方向に向いているようで
7
むすびにかえて
す。中央教育審議会は一昨年1
0月の諮問を受けて1
9
9
9
大学の管理運営面については1
9
9
8年1
0月の大学審議
年1
2月1
6日、「初等中等教育と高等教育との接続の改
会答申と1
9
9
9年5月に制定された「学校教育法等の一
善について」(答申)を発表しました。全6章からな
部を改正する法律」が、学術研究については1
9
9
9年6
る大部なものです。その基本的意図はこれまで高等学
月の学術審議会の答申が、そして大学教育については
校以下においてすすめてきた「新学力観」を基調とし
前述の中央教育審議会の答申、というように大学は国
た教育政策に大学などの高等教育をも巻き込もうとい
公私立を問わず政府・文部省の政策方向にいわば包囲
うものです。答申第1章第2節「検討課題」は「高等
されている感があります。これらの答申等が示す方向
教育については、学部段階では、初等中等教育段階に
はそれ自体としては国立大学の枠内での方向とも言え
おいて身に付けられた『自ら学び、自ら考える力』を
ますが、このうえ独立行政法人となれば、そこでの方
基礎に、主体的に変化に対応し、自ら将来の課題を探
向はまさになだれをうって個々の大学に押し寄せてく
究し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合
ることになるでしょう。とくに学費の格段の高騰が不
的な判断を下すことのできる力である『課題探究能力』
可避とされており高等教育を受ける権利を保障すると
の育成を重視するとともに、専門的素養のある人材と
いう国立大学の使命を果たすことは決定的に困難とな
して活躍できる基礎的能力等を培うことを基本とす
るでしょう。
る」と述べています。このような見地に立って「入学
ところで、国際的な動向としては、1
9
9
7年1
1月にユ
者選抜の問題だけではなく、カリキュラムや教育方法
ネスコは「高等教育教育職員の地位に関する勧告」を
などを含め、全体の接続を考えていくことが必要であ
採択し、また1
9
9
8年1
0月には「2
1世紀に向けた高等教
る」と述べています。
育に関する世界宣言」を採択しています。この「宣言」
自然、社会あるいは人間についての科学的な分析に
には「高等教育が死活的な重要性を有することの認識
基づく真理探究能力よりも「課題探究能力」がはるか
がますます深まっ」たと述べられています。高等教育
に重視されています。日本の経済改革が必要であると
のあり方が国の内外において関心が高まっていること
いう場合、日本の経済をめぐる内外の状況はどうなっ
に確信をもち独立行政法人化問題にかかわっていくこ
ているのか、どのような改革が日本にとっても世界に
とが求められていると思います。
とっても展望ある改革と言えるのかを解明することも
−2
6−
『高校のひろば』、旬報社、第34号、1999年冬
日本物理学会ホームページ所収
文部省ホームページ所収
『ユネスコの高等教育に関する資料集』、全大教
注
大学改革情報ネットワーク:[reform:02280]
1
9
9
9年1
1月1
2日
大学改革情報ネットワーク:[reform:02376]
1
9
9
9年1
1月2
6日
資料・9
8ー2
4、1
9
9
9年7月
)朝日新聞「論壇」、1999年12月30日付
−2
7−
原 稿 募 集
全大教時報編集部では、今日、私たちの直面し
〇掲載
投稿の翌月号(但し、投稿が多数の
ている「改革」問題についての原稿を募集してい
場合は次号以降、刷上がり本文が5頁以上の
ます。各大学・高専・大学共同利用機関の具体的
場合は分割掲載となることがあります)。
な動き、とりくみなどについて、下記投稿要領に
〇謝礼
よって、積極的にお寄せください。
◇投稿要領
〇その他
〇文体
自由
〇原稿
2
0
0字詰原稿用紙、横書(ワープロ
投稿原稿は返却いたしません。
投稿にあたっては、標題、投稿者氏名、所
属大学名の英文表示および、連絡先を明記の
の場合は、1行2
4字詰)。
〇字数
規程により謝礼(図書券)を進呈し
ます。
刷上がり本文については、以下を基
上、封筒には、全大教時報投稿原稿在中と朱
準とします。
書してください。
2頁 3
5
0
0字 5頁 9
5
0
0字
抜刷は、50部以上とし、実費で作成します
4頁 7
5
0
0字 6頁 1
1
5
0
0字
ので、投稿時に、その旨の申込みをしてくだ
〇原稿締切り
毎奇数月1
0日
さい。
年間購読料
(6回刊)
3
0
0
0円
送
料
(年間)2冊まで1
5
0
0円
5冊まで1
8
0
0円
9冊まで2
0
0
0円
1
0冊以上全大教で負担
講
掲載論文の複写配布は、筆者と全大教の
読
了解のある場合を除いては、認めており
料
ませんのでよろしくお願いします。
全大教時報 第2
3巻6号
2
0
0
0年2月
(大学調査時報・大学部時報通算1
1
9号)
編集・発行
全国大学高専教職員組合
〒1
0
1―0
0
5
1
東京都千代田区神田神保町2―1
4
朝日神保町プラザ2
0
1号
6
7
1
振替口座
(0
3)
3
2
6
2―1
6
3
8
0
0
1
7
0―6―1
8
8
9
FAX
(0
3)
3
2
6
2―1
印
刷
株式会社日本機関紙印刷所
〒1
0
5―0
0
0
3
東京都港区西新橋3―1
7―8
(03)3431―5131
FAX
(0
3)
3
4
3
8―0
0
1
4