さけ ・ますふ化放流 百年に寄せて 石 川 霧 郎 先人の労苦 私どものさ け ・ます人工ふ化放流事業が 実施されてから 本年で丁度 100年目 を迎えることになった。 今日ではわが 国のさ け ・ます漁獲高は 約 4,500 万屋, 約 15 万トンとなって ,過去の盛んな頃 の北洋での漁獲 高 に近づいて遠洋漁業 から沿岸漁業へと 変ってきた。200 カイリ時代のきびしい 局面を迎えたれが 国 水産業界にとっては , さけ ・ます人工ふ 化事業の成功は 一大朗報であ るとと もに行政面においても 資源管理型漁業の 先駆的役割を 高く評価しているとこ ろであ る。しかし,この 成果をもたらす 基礎は100 年前の明治の 諸先輩が ,当 時 ,北海道は勿論,本州各県の各河川にはさけ・ますが 溢れればかり 棲息し, 貴重な食糧・ 交易 品 として盛んに 漁獲され,利用されてきたが , これを, こ のまま放置すれば ,わが国の沿岸・ 河川から「さけ・ます」は 姿を消すので はないかと真剣に 考えて人工ふ 化事業の実施に 踏み切ったもので ,その先見 性と決断にはただ 敬服するのみであ る。 また, これらの先人の 偉業を今日まで 幾多の困難を 克服し,支えてきた 多 くの先輩,関係者の 苦労も偲ばれる。 冬のきびしい 北海道の気候風土のなか , 一般社会から 完全に隔絶された 山間通地にあ って誰からも 信じてもらえなか った さけ ・ますの母川回帰を 信じ,使命観に燃え,星の光さえもない 雪道を 流産した奥さんを 戸板にのせ,数時間もかかって 九死に一生を 得た話,吹雪 にと ざされ,秋に 買い込んだ食糧を 食いつないで 生きのびた 話 ,ふ化場の l で愛息を失った 話,感覚を失ない つつ耐えた冷たい 水 。 現代でこそ,そのよ うなことは考え 難 い時代となったが ,生活に医療に,教育に時代の水準から 大きくかけ離れた 生活に耐えながら 歴史を綴り続けていることには 変りはな いのであ る。 今 ,私たちは,「ふ 化放流事業」の成果が讃 えられるたびに ,誇らしさが方 に溢れているが , どこか有頂天になり 切れないのは ,その輝かしい歴史が詔 ハ 一 2 一 先輩の手に余るような 労苦によって 綴られてきたことを 私達が知っているか らであ る。 明治の諸先輩の 先見性をお伝えすることも ,今日の私どもの責務かとも考 えて当時の史料をひもといてみようと 思う。 当時の時代背景は ,明治5 年∼ 9 年にかけて欧米より 学んだ人工ふ 化試験 が 失敗し, 世の中の常としてその 反動は旧い封建制度のなかで 藩主の権 威に よってきびしく 守り育てられてきた 天然繁殖への 道に逆行する 法体制が着々 と整備され,北海道のさ け ・ますも1,000 万尾の時代をむかえた 時代にあ って 「千歳中央ふ化場建設」の 論旨はきわめて 今日的な時代感覚をもち ,非常に 考えさせられるものがあ る。 これは明治 21年 5 月 19 日の北本協会中央月次会 において伊藤一 隆 氏が演説した 要旨であ る。 『本道沿岸河川に産する鯉魚の 巨額にして真価 金 無慮70万円に上るは 実に 盛なりと云うべし。 此 漁業をして無識漁民が 慾 的の競争に放任するときは 終 に人為 圧 減力 は 自然生存力に 勝ち,従来漁獲盛 なる河川も一期にして 魚類の 滅色を 告しるに至るは 数の免かれざる 所にして 其 実例蓋し少とせず。 (中略 ) 本道にふ化の 業を起すに当り 全道河川に独立ふ 化場を設く事が 如きは多く の費用と熟練の 技術者を要し 今日に在ては 到底行い難し。 故に適当の地を 撰 び先づ官に於て一つのふ 化場を設け,従来多少ふ 化に実験あ るものを集め 米 国に 抄 いて用いる所の 各種のふ化器を 備え , 最も少 き 費用を似ってふ 化し得 る 法を究め,業の進歩するに従い 事業を拡張し 北海道の中央ふ 化場となし, 此処に於て卵子の 運搬に耐 ゆる迄の程度に 発育せしめ, 足 れを各種川に 分配 し,残余をふ 出せしめてふ 化場所在の河流に 放流するものとなし ,各種川に は簡単なる 小 ふ化場を設け ,中央ふ化場より 送付せし卵子をふ 出せしめ直ち に 足 れを放流するのみの 手続きをなすものとせば ,独立ふ化場の建つ事の如 き 費用も亦 足 れに要するが 如き熟練家を 要せずして足れり。 故に小ふ化場の 下流に於て 鮭 漁業を営む漁民の 組合をして維持せしめ , 尚進んで中央ふ 化場 の維持費をも 冬山ふ化場を 所有せる組合より 徴収し, 其高 に応じ卵子を 分配 し , 且つ水産局及び 内地各府県にも 卵子を売与することとなさば 中央ふ化場 迄も独立せしむるを 得 べし。 而して具 ふ化場を設くべき 地は蓋し千歳Ⅲを 咲 って親色 捕獲卵子分 速 等に最も便利なりとす。 3 一 コ 放流100年記念事業 さけ ・ます人工ふ 化放流事業とわが 国のさ け ・ます資源の 今日は, この ょ うな歴史の積み 重ねの上に成り 立っているところから「 100年記念事業」は「先 人への感謝と 広く市民の理解を 得た上での 200 年に向けての 決意の表明をテー マとして昭和 59 年から企画準備されたもので , さけ ・ます関係者は 勿論であ るが広く市民の 方々の協力を 得ながら進められてきた。 事業は大別してⅢ式 典・祝賀詞 2@ 報事業 3@ 念誌の出版 (4@ 念 レリーフの設置に 分けられるが その概要は次のとおりであ る。 1 . 式典・祝賀会 式典・祝賀会は10月 8 日,札幌市パークホテルで 佐竹水産庁長官をはじめ , 道 内選出国会議員,全国さけ・ます 関係者800 人が出席して 開かれ, まず,先 人への感謝をこめてふ 化事業の歴史をスライドで 紹介,小林ふ化場長の開会 のことばに っ づき,農林水産大臣,北海道知事のめい さ っ があ り, 3 団体・ 6 個人への感謝状の 贈呈,各界からの謝辞,西岡由起子さん 等の若者 3 人に 200 年に向けての 誓 い 0 灯が点火されて 式典を終了した。 木 像のもとで めかりの民謡が 披露される この後祝賀会に 入り , 「さけ躍る」 なか,関係者の 歓談が続けられた。 よ る 2 . 広報事業 広く市民の理解を 求める広報事業としては , 10月 7 日夜,札幌市共済 ホ一 「さけ・ますと語る タベ」を開催。 ふ化場現場職員一家がさけにかける ルで 情致をえがいた「さけを 育てる家族」の 上映,元江の島水族館長広 崎秀次氏 (現在野生水族繁殖センタ 一代表 ) の「イルカが 消える 日 …… サケ に学ぶ」 の講演があ り,その中で「この 先も色々と大変なことが 待ち受けていると 居、 うが,今後はサケ・マスだけでなく 100年の歩みで培ったノウハウをイルカな どにお手本として 示して貰いたい。 これからの 200 年にむけてはふ 化場があ っ たから豊かで 質の良い魚が 棲冑 していると云われるように 質の高い自然を 造 っていくことの 先頭に立ってほしい」と 語り 600名の聴衆に深い 感銘を与えて くれた。 また10月 9 日は, 「ふ化場発祥の 地を訪ねて」旅行会を 開催して明治の 先輩 の 足跡を偲ぶ機会とした。 とくに千歳ふ 化場については ,札幌から遠く 離れ た山奥にふ化事業の 基本となる 清例な湧水を求めて 草睦 をはいて探査した 心 情は,札幌市豊平川流域にもたくさんの 条件があ ったにも拘らず ,遠く千歳 一 4 に 求めたものは 豊富な湧水による 一大センターをもって「合理的なさけ・ま す増殖事業の 夢」を持ったからに 体ならなかった。 さらに事業の 永続性を願 うためにふ化場周辺の 山林は水源 滴養林 として 10万坪を指定,原始林として 素晴しい環境を 保ち今までも 大量の湧水が 浪 々と湧出しており ,今後も,こ の原始林は決して 伐採されることのない 大いなる遺産として 後世に伝えられ ることを誓 う とともに,最近の 経済合理性に 力点をおいた 風潮にきびしい 警 鐘を打ちならした。 広報事業としては ,「さけの誕生」を 記したテレホンカード 4,0n0枚 とェコ 一葉書10万枚,小冊子 3,000部を製作し好評をえた。 また,日召 和 63年度の記俳 切手の発行に 努力しているところであ る。 3 . 記念誌の出版 記念誌の出版は ,昭和59年より編集委員会を 設置してふ化場の OB で構成 する「さけます 友の会」が中心となって 古い資料,写真,豊富な経験をもと にして,沿革・ 専門的な総合文献集を 出版して先人の 偉業を正しく 後世に伝 えるとともに 200年に向けての 展望を切り開く 礎にすることを 目的に現在鋭意 執筆中であ る。 4 . 記念レリーフ 設置 昭和63年 2 月には北海道開発局営繕 5 の設計,施行による 札幌本場庁舎回 ビ 一に横2.Om, 縦 4.5m の芸術性の高いブロンズ 製レリーフが 設置された。 作者は道展会員・ 小林上長船氏の 製作によるもので「さけ」と「 lll 」と「う 題名は「 舞濤」。 作者から次のような 詩が ら 若い女性」をデザインしたもので 寄せられた。 流れている 流されている 過去から未来へ 大いなる歴史の 営みのなかに 水は総ての命を 育み,そして緩やかに舞い ,怒濤となって岩礁に挑む 大自然の輪廻のなかに されど 缶、 は 弛むことなく 悠々 未来に向って 活きている と これから 200 年にむけて さてこれから 200 年に向けての 決意は,「目先のことにとらわれることなく , また時代に迎合することなく 遠望をした」ことに よ るものであ る。 わが 回 さ け・ます資源の 基幹部分は当 場 組織が担当し ,調査研究部門と 事業実施部門 が一体化したなかで ,各種の実証実験事業を 展開しながら 基本的な原種的系 群の保全と優良品種の 作出及びさ け 以外の新しい 資源造成技術の 開発と民間 ふ化事業の技術指導を 実施しながら ,ふ化放流事業の 継承発展を期す 方針を もっている。 さけ ・ますふ化放流事業の 現状は,以上のような 歴史的な背景に 支え 有効な漁業資源として 広く社会的な 認識を得るようになっているが ,昭和26 年に制定された 水産資源保護法第 20条第 1 項の「農林水産大臣は ,さく何% 、 類のうち さけ及びますの増殖を 図るために,その 人工ふ化放流を 実施する月 と云 規定のもとで 岩場は設置され ,北海道を中心としながら 全国的な種卵 う の供給,技術の 指導普及を図っている 機関であ る。 現在わが国のさ け ・ますふ化放流の 体制は 1 通 1 府 20 県に及び,太平洋岸 千葉県加例 l@, 日本海岸は山口県萩 川 まで分布し,増殖河川数は 347y剛 ll, ふ化場数は 340 カ所を数えるまでになった。 これらのふ化場‥河 lへは直営河 は Ⅱ 川敷 32%ll, 37直営ふ化場によって 育成された種卵,種苗の 供給や技術指導 が実施されている。 全国で21億7,000 万屋のさ け ・ますの稚缶が放流され,約 5,200 万尾の回帰漁獲をし 750億円の水揚げ 高となっている。 しかし, これら 回帰漁獲の地域別内訳をみると ,北海道67%, 青森 4%, 岩手27% と 1 道 2 県をもって大半を 占めており,他の 1 府 18県の 103 ヵ所の増殖 W@l, 133 ヵ所 のふ化場の体制で 生産される さけ ・ますの漁獲高は , 155万 屋と 全体の 3% 程 度で特定地域への 資源の偏在を 示しており,低位生産地域の 資源の底上げは 行政・技術両面にわたる 大きな課題であ る。 また,北海道に 限定してみてもオホーツク 海区,根室海区,ェ リモ以東海 区の 3 海区で北海道全体の 76.4% を占め,漁業の 不振地域と云われている 日 本海区, ェ リモ以西海区でほ 23.6% と地域間の不均衡が 生じている。 この資 源の偏在是正は 当場の技術課題として 昭和46年度より取り 組み, 10午前に日 本海区・ ェ リモ以西海区が 全道資源に占める 割合は 7% だったことからすれ ば,その施策は着実に成果を 上げてきており ,漁獲尾 数からみれば ,日本海 区は 10 倍,以西海区は6 倍とその是正のスピードは 一 6 順調に進展しており , こ の道内での施策を 全国的な視 占に立って強力に 推進することは 国家的な使命 であ り急務と考えている。 さけ ・ます増殖事業の 推進の条件は 色々とあ るが,歴史の 歩みが教えてい る「ふ化事業の 基本的条件」は , さけ ・ますの培養に 適した「豊かな 湧水」, 「豊かな森林資源によって 支えられた 清例な河 ll」, そして 稚 % を「豊かに育 む 内湾」とするならば ,全国的な規模でその 条件を整備して 資源造成を図り , その最大限の 利用を考えることが 今日必要なことと 考えている。 勿論,適地 適作主義といった 経済の論理に 立った高度な 解説のあ ることも承知をしてい るが,国家的資源の 高度利用と漁業不振に 喘ぐ沿岸漁業者の 活力の源泉とし て「さけ・ます 人工ふ化放流事業の 手法」を最大限に 活用することは ,先人 の偉業に報いる 道でもあ る。 ふ化事業の歩みは , あ ひとり国の機関のみではなく 資源保護法に よ るもので るが,地方自治体,受益漁業者分担協力, さらには一般市民の 深 い協力で る。 すなわち,岩場の 直轄河川は全国 347 河川中10% 弱の 32 河川,ふ化場数も 340 力 所のうち 37ふ化場であ り, 当場の放流量は 6 億5,000 万 屋で 岩場外のふ化場 33億円,道府県費 で 15億2,000 万尾を放流し ,増殖の経費91億円のうち,国費. 20億円,業界38億円の支出内訳となっており , 国 ・道府県・業界が 一体化し て事業の推進が 行なわれている。 あ 技術的な方向 北海道の漁業人口を 4 万 7,000 人とするならば ,約20% の漁業者がさけ 定置 漁業に参画しており ,この外に刺網・ 延縄・マス漁業等もあ って , 多くの漁 業者がさけ・ます 資源を利用していることになっている。 また,北海道全体 の水揚げ金額を 3,500 億円とすれば , さけ定置漁業は 14% を占め,操業期間の 短 い 間に生産されるきわめて 有利な漁業といわれている。 しかし, さけ ・ま す資源の増大とともにその 受益層を拡大する 方向での行政は , 次のような課 題 が生じてきている。 1 . 資源の増大と 輸入量の増加に 伴 う魚価安 により漁業収益率の 低下が生じ ている。 2. 漁船漁業の不振,国民的遊魚ブーム からの参入希望者が 増加している。 ,移動式漁法の導入等から地種漁業 3 . 漁業民主化の 方向に沿った 協業化の推進が 経営体質の弱化を 招いている。 これらの課題の 解決策として 収益率30% の目標達成,付加価値向上の 鮮度 保持,品質明示,ブナ ザケ の加工原料化,地域内格差是正,秩序組織力再生 産努力を双提とした 地種漁業の検討,資源安定のための 環境保全等を 着実に 漁業者自ら推進していくこととしている。 私どもとしては ,「さけ・ますふ化放流百年の 歩み」から考えて ,今日のさ け ・ます資源増大の 要因が, 長い歴史の積み 重ねによるものであ ることは明 白であ るが,技術的な 立場から具体的に 示すならば,次の 5 つと考えている。 ① 計画的な種苗の 確保 ② 種苗の健全化 ③ 自然界に結びつける 適期放流 ④ 事業部門と研究部門の 一体化による 実証的な事業展開による 技術開発 ⑤ 人工ふ化放流事業は 自然界の生産システムに 対する補助手段と 云った 自然の摂理を 尊重する謙虚な 姿勢 一以上 5 つの事柄が今日的な 成果をもたらしたものと 考えている。 したがって,今後 200 年に向けての 技術的な方向としては ,これらの方針を 堅持して,最近人間の 自信過剰からくる 自然の摂理を 無視した独善的な 姿勢 は厳しく戒める 配慮が必要となっている。 識別に大きく 関 さけ ・ますは強い母川回帰性をもっている。 「嗅覚」が母 Jll 与することは 実験的に証明されている 以外は全く 「謎の世界」であ る。最近 の 出場の研究結果から , さ けの母川回帰時期は , 親 と子の産卵時期が 一致す ることが判明し ,産卵日は親から 子供に継承される 遺伝的支配を 受ける特性 形質の存在することが 明らかになったが , その特性が 雌 ,雄の何れに存在す るかは不明であ る。 したがって,系群の 特性,雌雄の遺伝的役割が 解明されれば ,農業や畜産 業の発展基盤となった 育種学的な手法を 導入することによって , さけ ・ます 漁業の問題点となっている 需給関係からくる 価格の低下,ブナ化による品質 劣化,資源の 時期的並びに 地域的な偏在,商業の 時期的及び色種的な 重複化, サケ消費の拡大といった 諸問題が解決され ,資源管理漁業の展開が可能にな ってくるものと 考えている。 これらの対応を 現実のものとするためには ,「さけ・ますふ 化放流事業 100 年」の先人の 遺産を正しく 受け継ぎ発展させる 以外に方策はないと 考えてい 。 全国347 増殖洲 l@のうち 100 年間絶えることなく ,今日まで守り 育ててき た緯度の高い 原種的系群の 残されている 河 @@lのさ け ・ますを,200年に向けて る 守り育てることが 岩場に課せられた 責務であ ることを感じているところであ る 。 (北海道かけ・ますふ 化場次長 ) 一 9 一
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