『伊勢物語』第 22 段、いかがでしたか?それでは解説です

こんにちは。国語科の松崎です。
『伊勢物語』第 22 段、いかがでしたか?それでは解説です。まずは
問題の確認から。
次の文章を読んで、後の設問に答えよ。
むかし、はかなく絶えにける仲、なほや忘れざりけむ、女のもとより、
う
憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつつなほぞ恋しき
(ア)
と言へりければ、
「(イ)さればよ」と言ひて、男、
あひ見ては心ひとつのかはしまの水の流れて絶えじとぞ思ふ
よ
ゆ
とは言ひけれど、その夜いにけり。いにしへ、行く先のことどもなど言ひて、
よ
ち
よ
ひ とよ
や
ち
よ
ね
秋の夜の千夜を一夜になずらへて八千夜し寝ばや飽く時のあらむ
返し、
とり
秋の夜の千夜を一夜になせりともことば残りて鶏や鳴きなむ
(ウ)
いにしへよりもあはれになむ通ひける。
(『伊勢物語』第 22 段より)
(注)
○かはしま―「川島」と「交はし」の掛詞。
○なずらふ―「仮に…と考える」という意味。
設問
(一)傍線部アの和歌を解釈せよ。(解答欄…13.6センチ×2行)
(二)「さればよ」(傍線部イ)とあるが、そこには男のどのような気持ちが込められているか、説明せよ。
(解答欄…13.6センチ×1行)
(三)傍線部ウの和歌で、女はどのようなことを伝えようとしたのか。特に下の句に留意しながら説明せよ。
(解答欄…13.6センチ×2行)
【解説】
出典である『伊勢物語』は、在原業平が主人公のモデルと言われている歌物語として有名ですね。歌物語
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自体の説明は、2011 年度の初回の問題解説で行っていますので、そちらで確認してみてください。
『伊勢物語』には恋愛の和歌のやりとりが多く書かれています。男女間の「ああ言えば、こう言う」とい
うお決まりのパターンの習得にはもってこいだと思いますので、文法が固まっている人には、訳と注釈付き
の『伊勢物語』を読んでいただきたいと思います。
では、一文目から。
「むかし、はかなく絶えにける仲、
」
「はかなく」は形容詞「はかなし」の連用形で、「あっけなく」や「ちょっとしたことで」という意
味があります。現代語とほぼ同じですね。
「仲」は、この後に男と女が登場することから、
「男女の仲」
や「夫婦の仲」と解釈しておきましょう。
「なほや忘れざりけむ、
」
これを品詞分解すると、
「なほ/や/忘れ/ざり/けむ/、~」となります。
「なほ」は副詞で「やは
り」
、
「や」は疑問・反語の係助詞。
「忘れ」は動詞「忘る」。
「ざり」は打消の助動詞「ず」
。そして、
「け
む」は過去原因推量の助動詞「けむ」です。助動詞「けむ」には「過去推量」や「過去原因推量」、
「過
去婉曲伝聞」等の意味があるのですが、特に疑問を示す語と共に用いられる場合は、まず「過去原因推
量(~たからだろう)」で解釈をしてみてください。そして、全体で、「(女は男を)はやり忘れていなか
ったからだろうか、
」と解釈します。
「女のもとより、
(ア)
憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつつなほぞ恋しき
と言へりければ、
」
女のもとから、男へ向けて和歌が送られます。もちろん、前出部分で「女が男を忘れていない」とい
う情報がありますから、「やっぱりあなたが忘れられないの」という和歌が送られてきそうだな、とい
う予感をもってもらいたいところです。和歌はまず、「五・七・五・七・七」に区切り、漢字に修正で
きる部分は漢字に直します。不自然に平仮名になっている語は掛詞(二つの意味を持たせている語)の可
能性が高いので要注意です。
問題の和歌を「五・七・五・七・七」に区切ります。「憂きながら/人をばえしも/忘れねば/かつ
恨みつつ/なほぞ恋しき」
。
「憂き」は形容詞「憂し」
、「辛い」という意味です。「ながら」は接続助詞の一つで、現代語にもあ
りますね。
「~しながら」という動作の並列、
「~のままで」という状態の継続、そして「~だが」とい
う逆接の意味がメインとなります。今回はどの意味でしょう?
「人をば」については、名詞「人」
、対象の格助詞「を」
、強意の係助詞「は」の濁音化したものの組
み合わせです。
「えしも」がむずかしいですね。「えしも忘れねば」だと、どうでしょう?後半の、「忘れねば」が、
「忘る」の未然形と、打消の助動詞「ず」の已然形と、接続助詞の「ば」だと気付けば、高校1年生の
頃に習った、
「え・・・打消」=「~できない(不可能)」のかたまりが見えてきませんか?そして、そ
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こまで分かれば、残りの「しも」は強意の副助詞「し」と強意の係助詞「も」となります。(「しも」
で一語の副助詞と説明している本もあります)。この「しも」の特徴は省略しても文の形や意味がおか
しくならないこと。
「えしも忘れねば」で、そのまま「忘れることができないので」という訳出が可能
です。
このように和歌は確かに五・七・五・七・七に区切りますが、そのように音で区切ってしまうと意味
上のかたまりを分断してしまう場合もあるので、柔軟に解釈していってくださいね!
さきほど置いておいた「ながら」ですが、ここに来て「辛いけれど忘れることができない」という、
逆接の用法で解釈するのが自然だと判断して欲しいところです。
下の句、
「かつ恨みつつなほぞ恋ひしき」の部分は、
「かつ」が「一方では」という意味をもつ語だと
いうことを知っていれば、
「一方では恨みながらも、やはり恋しい」という解釈は容易でしょう。
全体を通すと、「辛いとは思いますが、人を忘れることができないので、一方では恨みながらもやは
り恋しいことです」となります。それまでのお話と併せて考えると、女が忘れられない「人」とは元恋
人の男で、今回はこの男に向かって女が和歌を詠んでいるので、「辛いけれど、あなたを忘れることが
できないので、一方ではあなたを恨みながらもやはり恋しいことです」という解答に落ち着くでしょう。
男を恨んでいるということは、男が浮気でもしてこの女性との関係が終わってしまったのでしょうか。
「(イ)さればよ」と言ひて、男、
あひ見ては心ひとつのかはしまの水の流れて絶えじとぞ思ふ
とは言ひけれど、その夜いにけり。
」
男の「さればよ」に込められた気持ちを答える問題ですが、まず「さればよ」は「思った通りだよ」
という訳をあてはめる定番表現です。ちょっとしたことで女との縁が絶えてしまったものの、女からま
た連絡が来たことについて、それが予想通りだったということですね。では、その言葉を発した時の男
の気持ちはどのようなものだったのでしょう?
『古今和歌集
仮名序』の紀貫之の言葉を引くまでもなく、和歌は基本的に人の気持ちを詠んだもの
です。その時の男の気持ちは、その後の和歌に表現されています。
区切ると、
「あひ見ては/心ひとつの/かはしまの/水の流れて/絶えじとぞ思ふ」。
「あひ見る」は、
「男女が関係を結ぶ」や「夫婦として暮らす」という意味です。男女が頻繁に顔を
合わせる機会のなかった時代には、男女が互いの顔を見るということは恋人や夫婦(もしくは親子)で
なかればなかなかできなかったことなんです。「あひ見ては」の「ては」は、接続助詞「て」+係助詞
「は」で、
「~たとしたら」という仮定や、
「~たからには」という訳出を導きます。ここに登場する男
女は、以前夫婦関係(恋愛関係)にあったことが冒頭に示されているので、仮定はふさわしくありませ
ん。
「夫婦として暮らしたからには」という解釈をしておきましょう。
「心ひとつの/かはしまの/水の流れて/絶えじとぞ思ふ」は、注釈に「かはしま」が、「川島」と
「交わし」の掛詞であることを見落としてはいけません。
「
(川の中にある島である)川島の周囲の水の
ように」、
「心ひとつを交わしてその思いが絶えない」という掛詞の解釈をできるようになりましょう。
和歌の中に、一見全く関係のないような「川島」が出てきても焦らなくて大丈夫です。この和歌の主眼
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は、あくまで男が女に詠んだ恋愛の和歌です。そのような中に出てくる、本文にも関連のない一見突飛
な単語は、掛詞や比喩として使用されることがほとんどです。
さて「心ひとつを交わす」ですが、人は心と体を持っています(
「心身二元論」と言います)。このお
話の男女は今、離れて暮らしている。つまり身体的な接触がありません。しかし、そんな状況であって
も、ただ心ひとつだけは通わせていこう、という意味です。和歌全体の解釈としては、「一度夫婦とし
て暮らしたからには、今後も心だけは交わして、川島の周囲を流れる水のように絶えないようにしたい
と思います」となります。
しかし、こんな歌を詠んでおきながら男は夜に女のもとに会いに行きます。
「心だけ」と言いながら、
しっかり物理的にも彼女に会いに行ったんですね。
設問(ニ)の解答を考えてみましょう。女からの「あなたのことが忘れられない」という和歌を受け
取った後、
「私もあなたのことを思っています」という和歌を返し、会いに行きます。女に対して未練
も何もないならば、女から送られてきた和歌は無視するはずですし、わざわざ会いに行ったりもしませ
ん。
「さればよ(思ったとおりだ)
」には、「予想通り女がまだ自分を愛していたことに対する喜び」が
表れていると考えてよさそうです。さきほどの女の和歌から想像された男の浮気を考えると、浮気をし
ておきながら、女はまだ自分の事を好きだろうと考えている、随分自信家の男性像が浮かび上がります
ね。
「いにしへ、行く先のことどもなど言ひて、
秋の夜の千夜を一夜になずらへて八千夜し寝ばや飽く時のあらむ」
男は女に会いに行き、いにしへ(昔)や行く先(将来)のことなどを語らいます。そして、また和歌
を詠みます。
「秋の夜の/千夜を一夜に/なずらへて/八千夜し寝ばや/飽く時のあらむ」
。この和歌は
掛詞などの修辞技法も特にないのですんなり解釈できるでしょう。
気をつける単語としては「なずらふ」が「なぞらえる」、
「飽く」が「満足する」
。そして、
「秋の夜」
と文学で出てきたら、
「秋の夜長」をすぐに思い浮かべることを意識しましょう(ちなみに、秋に対し
て春の夜は短いです)
。
「長い秋の夜を千夜、それを一夜と考えて、さらにそれを八千夜寝たとしたら、満足する時もあるで
しょうか」
。
「1000×8000=8000000」ということで、
「八百万夜、あなたと過ごしたとしたら満足できる
でしょうか」ということですね。ただ、古文で登場する「百」や「千」や「八千」という数字は、具体
的なその数字を示すのではなく、「とにかく大きい数」を示します。念のため。昔よりも長生きができ
るようになった今でさえ、だいたいの平均年齢が 80 歳として、1年 365 日と計算(閏年は無視)する
と、一生は 29200 日です。さきほどの数字がどれだけ大きいか分かっていただけるかと思います。とに
かく、そこの和歌に込められたメッセージは「どれだけ長い時間あなたと過ごせば僕は満足できるの
か?(たぶんどれだけ一緒に過ごしても、もっと一緒にいたいと思うけれど)」です。そして、女の返
歌がこれです。
(ウ)
秋の夜の千夜を一夜になせりともことば残りて鶏や鳴きなむ
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いにしへよりもあはれになむ通ひける。
「秋の夜の/千夜を一夜に/なせりとも/ことば残りて/鶏や鳴きなむ」。和歌を直訳すると、
「秋の
夜の千夜を一夜になぞらえたとしても(一夜に、秋の千夜ほどの長さがあったとしても)、言いたい言
葉が残って鶏が鳴くでしょう」
。設問(三)は和歌の解釈ではなく、女の言いたいことを説明する問題
ですので、もう少し踏み込みます。
「鶏」というのが、文学の中でどのような役目を持つのかに気付けばすぐに分かるかと思います。
「鶏」
はニワトリ。朝を告げる鶏です。百人一首に採られている清少納言の和歌にも登場しますので確認して
みて下さいね。つまり、「ことば残りて/鶏や鳴きなむ」は、どれだけ長い時間を過ごしても、言いた
いことがまだあるうちに夜が明けてしまう、とうことです。
男と女のやり取りの中で詠まれた和歌ですので、男の和歌に対する女の返事だという観点で設問どお
り下の句に注意してこの和歌の見てみると、
男「どれだけ長い時間君と過ごせば、僕は満足できるかな?」
女「秋の夜の千夜を一夜になぞらえたとしても(一夜に、秋の千夜ほどの長さがあったとしても)、
言いたい言葉が残って夜明けを告げる鶏が鳴くでしょう(どれだけ一緒にいても、話したいこと
は尽きず、満足できません)
」
どれほどの時間を過ごせば満たされるかという問いを発した男に対して、「どれだけ長い時間を過ご
しても、もっと一緒にいたくなります」という返事を女はした、ということですね。設問(三)の解答
は、「どれだけ長い時を男と一緒に過ごしたとしても、飽き足りることはないということ」に落ち着き
ます。
そんな女の返歌を受けて、男は昔よりも「あはれに(しみじみと愛情深く)」女のもとへ通うように
なりました。
以上、
『伊勢物語』でした。2011 年度は京都大学の二次試験で受験生にとっては少しマイナーかもし
れない「とこなつの花」が出題されました。ナデシコの別名であることは注釈に示されていましたが、
「とこなつの花=ナデシコ=撫でし子=(和歌中の姫君)」という変換が必要となりました。和歌が苦
手な受験生にとっては、少し苦しかったかもしれません。和歌に登場する表現は知っておいて損はあり
ません。文法の基礎固めと古文常識、古文単語をバランスよく習得しながら、文章読解に挑戦していっ
て下さいね!
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