韓 国 松 茸 山 顛 末 記

韓 国 松 茸 山 顛 末 記
今 野 英 山
私の友人に金(キム)さんという韓国人が
います。彼が早稲田の大学院(建築)に留学し
ていた頃仕事の関係で知合い、かれこれ 25
年位の付き合いになります。ソウルの建設会
社に勤めた後、独立して日韓を結ぶ建設技術
のブローカーなどをやっていました。一時は
景気もよく、私も時々韓国に呼ばれて遊びに
行ったり、仕事で行ったりしていましたが、
バブル崩壊後は倒産の憂き目に遭い、キリス
ト教の牧師として伝道活動に生きると宣言し
て姿を消していました。
昨年の2月、久し振りに東京で会うことに
なり、話を聞くと釜山の郊外で茸の栽培事業
に関って忙しくしているとのこと。
「牧師は?」
と聞いても「あれはライフワーク」と笑いな
がら意に介してません。それよりも、いかに
自分たちの茸栽培技術が優れていて韓国の業
界を牽引しているか熱心に語るのでした。私
もついつい「茸の会に入っていて、松茸狩り
もする」という話をしたところ、
「韓国では裏
山に入ればそこら中で松茸がとれる」
「秋にな
ったら仲間と一緒に来たら」と、大いに夢の
膨らむ話を残して韓国に戻っていったのです。
出張で不在になるけど予定通り来てよ!?
さて待望の秋となりました。はやる気持を
抑えつつ連絡をしたところ、
「9月 20 日~25
日」がベストシーズンとのことで、仕事を調
整して9月 25 日~27 日に行くことにしまし
た。千葉菌の仲間にも声をかけようと思った
のですが、金さんの話は時々ポカや時に大ポ
カがあるからと思い直し、とりあえず様子を
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千葉菌類談話会通信 26 号 / 2010 年 3 月
見に行こうと航空機の予約をしたのです。
さて、行く日が近づいても一向に待合せ等
の詳細の連絡がありません。電話も通じない
し、大丈夫かなと不安をつのらせていたとこ
ろ、ようやく前日の夜に連絡がありました。
「急に中国への出張が決まり僕はいないけど、
松茸の話は何とかするから予定通り釜山に来
て」という内容。え?またかよ、と嫌な予感
を抱きつつ釜山へと旅発ったのです。
今の時期、特に今年は松茸はとれません
「えー!」話が違う
李(イ)さんという大柄で愛想のいい男性
が出迎えてくれた。
日本語は出来ないけれど、
世界の海を回ったという船員らしく実用的な
英語で、ブロークン同士でなんとか意思は通
じそうだ。この日は釜山を観光して翌朝早め
に李さんの車で山に向けて出発。ところが、
車の中で信じられない発言が待っていた。
李さん曰く「今の時期松茸はとれません
よ」
、
「やはり 10 月にならないと」
、
「特に今年
は雨が少なくてどこの山でも無理です」
…
「え
ー!」話が違う、違いすぎる、
「金さんは今が
ベストシーズンと言ってましたよ」
、
「だから
わざわざ日本から来たのに」
、
「金さんと連絡
取れないの」…いくらなんでもこのままああ
そうですかと諦めるわけにはいかない、と食
い下がった結果、いろいろ連絡を取ってくれ
て、ある山に行くことになりました。
案内された松茸山でびっくりしたことは…
その山を直接案内したのは梁(ヤン)さん
という金さんの親戚で、エノキ茸栽培企業の
社長さん。松茸が採れる数少ない山に案内す
ると言う。いろいろ情報を集めればちゃんと
採れる場所があるじゃないかと、少し安堵し
て付いて行ったのです。松茸の採れる地域は
釜山のある慶尚南道の一番北にあたる昌寧県
というところで、その昔は新羅と百済に挟ま
れた伽耶という国のあったところです。日本
では任那という言い方が一般的で古代から日
本と関係が深く、山里の風景は棚田があり、
畑には大豆、
斜面には柿の木が赤い実をつけ、
その背後に赤松の林が広がっています。まさ
にかつてはどこでも見ることが出来た日本の
山里の風景そのものでした。
さてその松茸山ですが、山の急斜面を上が
ったところに管理用の建物があり、40 歳代と
思われる男2人が待っていました。真っ先に
出してくれたのがビールで、採りたての松茸
を裂いて生のままコチジャンや醤油に浸けて
食べました。
籠の中には松茸が 30 本ほど入っ
ていて、是は期待が持てるぞと思ったのでし
た。
2人に案内されて脇の松林に入ったので
すが、松山はよく手入れされていて林床は清
清しいばかりに下草がありません。そこに頭
をだしたばかりの松茸がいたるところに生え
ているのです。目を凝らすと山一面に渡り松
茸だらけなのです。案内人が指差す先には見
事な菌輪
(フェアリーリング)
もありました。
勿論初めてみる光景です。
なによりもびっくりしたのは、潅水の為の
ホースが松林の全面に渡って張り巡らされて
いたことです。私は松茸山というから、入山
料を払い自由に山を歩き回って松茸を探すよ
うな山と思っていたのですが、全く違ってい
ました。それはまさに留め山そのもので、猟
銃を持った管理人が 24 時間監視している業
者の山だったのです。水分管理を大規模にや
っているため、雨の少ない今年もこの山だけ
は松茸がふんだんに採れるのです。
松茸の菌輪(フェアリーリング)
松茸用スプリンクラー
キロ7万円 冗談じゃない、日本より高い!
案内の男は、「いくら採ってもいいです。
そのかわりキロ7万円で買い取ってくださ
い」というではありませんか。1kg で7万
円! 冗談じゃない。
日本で買うより高いじゃ
ないか。韓国産の松茸だったら、せいぜいキ
ロ5千円というイメージなので一瞬止めよう
とも思ったのですが、わざわざここまで来て
手ぶらで帰るのも悔しいので、泣く泣く中ぐ
らいの大きさの松茸を3本とって(210g位)
1万円にまけてもらったのです。
この山で採れた松茸は全て韓国内の需要
に対する物だそうです。キリスト教が一般的
な韓国では、10 月の初めにサンクスギビング
デーをどこの家庭でも祝うそうで、この地方
での代表的なメニューが鶏と松茸を煮た料理
なのです。今年は全体的に松茸の出が悪いの
でどんどん値段が上がっているのだそうです。
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採集した松茸 は 205 グラムで 1 万円也
さてこの日は、近くの市場や古墳などを見
て回り、大邸(テグ)という町で牛の血のス
ープを食べたりしてこの地方の風俗に触れ、
夜はエノキ工場の社長である梁さんの家に泊
まって松茸焼きを食べたり松茸酒や柿のワイ
ンなどを飲み、和気藹々と韓国の田舎料理を
楽しんだのでした。
とにかく金さんに連絡を取るように言っ
たのですが、
電話が一向に通じないようです。
お互いに腹を立てながら空港に向かい、嫌な
展開になったなあ、と今回の旅行を後悔した
のですが、最後になって李さんが「さっきは
興奮して悪かった。今野さんの言うことはも
っともなので金さんに請求します。気分を害
してすみませんでした」と言って空港で別れ
たのでした。
なお帰国後、金さんに事の顛末をメールで
抗議したのですが、いまだ音沙汰はありませ
ん。どうせいつもの通り、ほとぼりの醒めた
頃に日本に来て笑いながら「お詫びに赤坂で
一杯いきましょう」
、
なんて言うのは目に見て
いるのですが…
蛇足ですが、旅行中詠んだ短歌をいくつか紹
介します。
<丘を凌ぎ隙間なく建つ高層のアパートまさに釜山を
呑まむ>
嫌な展開 今回の旅行を後悔したが
さて、今回の話はこれでめでたしという訳
にはまだまだいきません。実は、案内役の李
さんが、最初の日の夕食の段階から「お金が
あまりないので食事代を2人分払ってくださ
い」というのです。昼ごはんを出してくれた
からまあいいかと腑に落ちないまでも私が全
額支払ったのです。そして三日目の帰りの車
の中で、
「お金がもうないので高速代とガソリ
ン代を払ってください」
、
「私は金さんに前日
急に空港に迎えに行くようにと言われただけ
なのでお金はほとんど持っていません」
、
「三
日間自分の仕事もキャンセルしたのでその補
填もしてくれませんか」というではありませ
んか。まじ?冗談じゃないよ!「それは金さ
んに言ってよ」とつっぱねて、とりあえず帰
りの高速代とガソリン代は困るだろうから手
許に残っているウォンを全額渡したのですが、
その額を見て李さんはがっかりして口を利か
なくなってしまったのです。
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千葉菌類談話会通信 26 号 / 2010 年 3 月
<海鮮市場(ジャガルチ)のビュッフェに群がりて喰ひ
続く医食同源の韓国の人も>
<柿の木も棚田も日本に変はるなし伽耶の国なりし
この村里は>
<山の辺に円き墳墓の二つ三つ韓(から)の農夫の
耕す先に>
<田に沿ひて柿の実もぎつつ松茸の山に向かへり韓
の山里>
<原色の散水管は張りめぐる松茸長者の山一面に
>
<小さき背にダンボール二つ担ぎこし老婆は地べた
に野菜売りたり>
<山里の市に高々と積み上ぐる朝鮮人参土つけしま
まに>
<原色の布地売りたる母と娘(こ)は店の奥より吾に
微笑む>
<二十年前ソウルの市場に憶えたる小さき敵意はこ
の市になし>
<荏胡麻の実笊に干せるをあやしみて齧れば異国
の苦き味する>