発生工学(2016) Ⅱ.顕微授精技術 1.顕微授精とは 1-1.顕微授精の歴史 顕微授精は、顕微鏡下で卵子に精子を人為的に授ける操作である。顕微授精には、下記に示すようにいくつか の方法があるが、現在では、卵細胞質内精子注入法(ICSI)と同じ意味で用いられることが多い。顕微授精は有用 な技術であるが、動物種によっては解決されていない問題点も残されている。 (利点と欠点は、テキスト p.83 を参 照のこと。) 顕微授精技術は、ウニやカエルで 1960 年代から研究報告が出されているが、哺乳動物の顕微授精を最初に報告 したのは、Uehara と Yanagimachi(1976)である。彼らは、ヒト精子およびハムスター精子をハムスター卵子に注入 して前核形成を確認した。その後、ウサギ、ウシ、ヒト、マウス、サル、ハムスターなどで産子の報告が得られ ている。(テキスト表 8.1 および表 16.2) 1-2.顕微授精の分類 (1) 透明帯開孔法 機械的に透明帯を開孔する。 ① 透明帯穿孔 Zona drilling (ZD) ② 透明帯開孔 Zona opening (ZO) ③ 透明帯部分切開 Partial zona dissection (PZD) (2) 囲卵腔内精子注入法 Subzonal insemination of sperm (SUZI) 囲卵腔内に精子を数個~10 個注入する。 (3) 卵細胞質内注入法 Intracytoplasmic sperm injection (ICSI) 卵細胞質内精子注入法。精子を1個注入。 Elongated spermatid injection (ELSI) 伸長精子細胞を用いた顕微授精 Round spermatid injection (ROSI) 円形精子細胞を用いた顕微授精 1-3.顕微授精の利用法 (1) 不妊治療 ヒトの不妊症治療において、体外受精とともに、一般的な手法として使用される。特に、男性側に原因 がある症例について適用されている。 (2) 生殖細胞に関する基礎研究 卵子内に導入する精子を特定できることや、さまざまな実験条件を設定できるため、受精機構の解明を はじめ、多能性幹細胞から誘導した生殖細胞の正常性を確認する手段など、基礎実験の手法として使用す ることができる。 (3) 遺伝資源の保存 顕微授精では、運動性を失った精子や、低温保存・凍結保存して死滅した精子であっても、DNA の損傷 がなければ子孫を作ることができる。また、近縁他種の卵子を使用することも可能なので、絶滅危惧種の 保存や絶滅種の復活など、利用できる面は多い。実用化を目指した研究が多数行われている。 また、精子の凍結乾燥保存は、以前から研究が行われてきたが、精子の運動性が失われるため実現して こなかった。顕微授精技術の登場により、凍結乾燥した精子を用いて受精卵を作ることが可能となり、産 子が得られることが確認されている。 (4) 遺伝子改変動物の作出 精子を導入する際に、精子とともに卵細胞質内に DNA を持ち込んだり、精子に直接 DNA を付着させた りして遺伝子導入をするという、遺伝子導入法が研究されて、実用化されているものもある。 -9- 発生工学(2016) 2.顕微授精の方法 2-1.使用できる精子 顕微授精、特に、卵細胞質内精子注入法では、精子の受精能獲得、超活性化、先体反応、透明帯通過、卵細胞 膜との融合といった過程が省略されている。従って、運動性を持たない精子や凍結融解処理により運動性を停止 させた精子、頭部のみの精子、凍結乾燥精子といったさまざまな精子が使用されている。また、円形精子細胞な どの未成熟精子も利用することができる。 2-2.精子の不動化処理 精子は、活発に運動しているため、マイクロマニピュレータのインジェクションピペットに入れることは難し い。そこで、PVP など非浸透物質の高濃度溶液を使用して運動を緩慢にするのが一般的である。さらに、精子尾 部の運動を停止させる不動化処理を行う。この処理は、精子細胞膜を不可逆的に損傷させることで運動性を失わ せる操作で、注入後に損傷部位から卵子の活性化に必要な sperm factor が漏出すること、損傷部位から卵細胞質中 のグルタチオンが流入して精子核の脱凝縮を開始させること、といった役割があり重要と考えられている。一般 に用いられる方法として、精子頚部の圧迫処理やピエゾパルス刺激による不動化処理がある。 2-3.精子尾部の必要性 マウスの顕微授精では、インジェクションピペットにピエゾパルスを作用させて、尾部を切断し、頭部のみを授 精することが多い。しかし、げっ歯類以外の種では、尾部が必要だと言われている。マウスとラットは、受精後 にできる中心体が卵子由来のものなので、頭部のみの注入でも、正常に発生が進行するが、ヒトや家畜など、他 の動物種では、精子頸部に存在する中心体が染色体の動態を支配するため、頭部のみの注入では、正常な発生が 期待できないと考えられている。 2-4.マニピュレータのセットアップ マニピュレータには、左側に卵子を保持するホールディングピペットを、右 側に精子を注入するインジェクションピペットを装着する。ピペットは自作し てもよいが、品質の揃ったものが市販されているので、高価ではあるが、市販 品を利用することも多い。 一般には、スパイク付きのピペットを用いるが、マウス、ブタなど注入刺激 に弱い動物種の顕微授精ではフラットなピペットを用い、ピエゾ装置を使用し て注入を行う。また、ピエゾの振動がピペットの先端によく伝わるように、ピ ピペット(スパイク付) ペット内に水銀やフ ロリナート(製造中 止のため、代替品を 利用)のような高密 度の溶液を入れる。 詳細な準備方法は、 機器メーカのマニュ アルや経験者の指示 スライドベースとドライブユニット に従う。 - 10 - ピペット(フラット) 発生工学(2016) 2-5.注入操作 精子は、インジェクションピペットに吸引後、第 1 極体からできるだけ遠いところへ注入する。通常、第 1 極 体を 12 時か 6 時の方向に向けて卵子を保定し、3 時の方向から 9 時の方向に向けて注入する。細胞膜は伸縮性に 富み、貫通させるには十分な注意を要する。穿孔された細胞膜は、ピペットを静かに抜くと、その際に修復され るが、細胞質の漏出を防止するため、できるだけ細胞膜を押し込んでから穿孔することが望ましい。 スパイク付きのインジェクションピペッ トを用いる場合は、静かに細胞膜を押し込ん で膜が切れるタイミングを遅らせる。フラッ トなピペットを用いるときは、できるだけ奥 まで膜を押し込んだ後に、弱いピエゾパルス をかけて、細胞膜を穿孔する。いずれの場合 も、少量の培地とともに精子を細胞質内に送 り込んだ後、ゆっくりとピペットを引き抜く ことで、細胞膜が修復される。(図参照) 2-4.卵子の活性化 受精直後の卵子の活性化には、卵子内に生じる一過性のカルシウムイオン濃度の上昇が関与していると考えら れている。顕微授精では、通常の受精において卵子活性化の引き金となる精子と卵子の融合が省略されているが、 精子には、卵子を活性化させる因子(卵子活性化因子、Sperm factor)が存在し、卵細胞質内に注入された精子は 細胞膜の崩壊に従って sperm factor が流出するため、カルシウムイオン濃度の一過性上昇が生じ、卵子の活性化が 引き起こされる。しかし、この活性化が生じない種もあるため、種によっては人為的な卵子活性化操作が必要と なる。 活性化法:電気刺激法、アルコール処理、カルシウムイオノフォア処理、塩化ストロンチウム処理など 2-5.効率と問題点 (1) 顕微授精に用いる精子は、運動性の良好なものの方が望ましく、運動性の低い精子ほど DNA の断片化が多 いことが報告されている。また、培養時間や操作手順が増えるにつれて、異常の発生率は高くなると考え られている。 (2) 卵子は、成熟完了後、卵丘細胞を除去して顕微授精に用いるが、その際に卵子に傷害を与えないようにする ことが重要である。 (3) 卵細胞膜の硬さは、種によって異なる。げっ歯類などでは、卵細胞膜の抵抗性が強いので、ピエゾ装置を使 用して顕微授精を行う。 (4) マウスやラットでは、中心体が卵子から生じるので精子頭部のみの顕微授精で産子が得られているが、他の - 11 - 発生工学(2016) 動物種では、尾部に中心体形成部位があるので、頭部のみの注入で正常な受精は得られていない。 (5) 顕微授精後の胚発生を調べると、胚盤胞への発生率は、通常の体外受精よりも低い傾向にあるが、着床率に ついては IVF と同等である。 3.臨床応用 3-1.精管から精子を採取する方法 (1) 精管精子吸引法 (Vascular sperm aspiration : VSA) 精子回収法のひとつ。精巣上体の近くの精管を穿刺して、精子を回収(精管内精子)する方法のこと。精管に 細い吸引針を刺し、吸引することで精管内精子を回収する方法。 3-2.精巣上体から精子を採取する方法 精管に障害がある場合に適用される。 適応症例:閉塞性無精子症・射精障害、精管欠損、パイプカットなど (1) 顕微鏡下精巣上体精子吸引法 (Microscopic epididymal sperm aspiration : MESA) 腰椎麻酔または全身麻酔下で陰嚢を切開し、手術用顕微鏡下で、精巣上体被膜を小切開する。露出した精巣 上体管からカテーテル等で精子を吸引採取する。陰嚢を切開するので鈍痛が残るが、充分な量の良好精子を採 取できる。 (2) 経皮的精巣上体精子吸引法(Percutaneous Epididymal Sperm Aspiration : PESA) 陰嚢皮膚より直接精巣上体を穿刺して精子を吸引する方法。局所麻酔を行い、やや太目の注射針で精巣上体 を穿刺して精巣上体管液を吸引する。陰嚢を切開しないので MESA に比べて、少量の精子しか採取できない ことが多い。 3-3.精巣精子を採取する方法 精巣上体から精子が採取できない場合に適用される。 適応症例:重症乏精子無力症・精子死滅症・射精障害・無精子症など (1) 精巣内精子採取法 (Testicular sperm extraction : TESE) 腰椎麻酔あるいは全身麻酔下で陰嚢を切開し、精巣白膜を小切開して、露出した精巣組織を少量採取する。 組織は、顕微鏡下で、精細管が展開するよう慎重に細切し、細胞懸濁液中に精巣内精子が確認できたら手術を 終了する。 (2) 顕微鏡下精巣内精子採取法 (microdissection TESE : MD-TESE) 腰椎麻酔あるいは全身麻酔下で陰嚢を切開し、露出した精巣組織を手術用顕微鏡下で調べて、精子を作って いる可能性が高い太い精細管を選んで採取する。精細管は、顕微鏡下で細切し、細胞懸濁液中に精巣内精子が 確認できたら終了する。 (3) 精巣内精子吸引法 (Testicular sperm aspiration : TESA) 陰嚢の皮膚を切開しないで直接皮膚の上から精巣を針で刺して精巣の組織を吸引して精子を採取する方法。 TESE に比べて深い位置の細胞を採取することができるが、採取できる組織の量は少ない。 各種精子採取術の比較 精管精子採取術 (VSA) 精巣上体精子採取術 (MESA) 精巣精子採取術 (TESE) 適応 麻酔 精子量 精巣上体管閉塞は不可 局所 多い 細胞混入 なし 精巣網閉塞は不可 硬麻 多い 少ない すべてに適応 局所 少ない - 12 - 多い
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