Winter 1998 No.20

Winter 1998 No.20
南フランス・アルルの街並み
家の屋根に太陽光発電のパネルが並んだら、観光客はがっかりするだろう。フランスの電力の80%弱を賄っている原子力発電が、文化
を守っている。
目次
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オピニオン
米国よ、原子力発電のさらなる導入を
スタディ・レポート (9)
TMDと日本の安全保障 森本 敏・神保 謙・鈴木 健・小泉 陽一郎
Letter
上向きに転じたロシア経済−大きな成果を上げているISTC− 横山 宣彦
冥王星 20 燈
後藤 茂
シリーズ・プルトニウム 17
今後のFBR研究開発の進め方 近藤 駿介
Nourriture-3
ワインは友達(その1) 津島 雄二
原子力発電所の風景
万葉からUFOまで
いんふぉ・くりっぷ
わが国の原子力界の主な動き―1997年を振り返って―
わが国のプルトニウム管理状況
Plutonium Winter No.20
発行日/1998年2月2日
発行人/向坊 隆
編集人/後藤 茂
社団法人 原子燃料政策研究会
〒100 東京都千代田区永田町2丁目9番6号
(十全ビル 801号)
TEL 03(3591)2081
FAX 03(3591)2088
オピニオン
米国よ、原子力発電のさらなる導入を
京都で昨年12月に開催された、気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)が終了した。先進工業国のCO2
削減値が決定し、めでたしめでたしと言ったところか。その削減方策はそれぞれの国が知恵を絞るとしても、しか
し、CO2削減に最も有効的な原子力発電について、ほとんど議論がなされなかったことは、驚きである。「原子力
発電を導入している各国政府関係者の苦悩が滲み出ている」と評価すれば聞こえはいいが、原子力反対という煽動に
脅え、近視眼的発想しかできない圧力に負けているとしか思えない。
機械は正直だ。将来のエネルギー需給予測のコンピュータ・シミュレーションを行うときに、導入電源のファク
ターとして、「CO2対策に最も有効な電源は原子力発電」とインプットすると、30年後の世界の火力発電所は全て
原子力発電所に置き換わってしまう。原子力発電所の立地問題や政治的要因、住民感情などの要素は、計算の条件に
はしがたいからで、当然のことだ。しかし、このぐらいの温暖化対策のための政策を進めないと、もうこの地球に先
はないのではなかろうか。海面が上昇して国土が減少してしまうのは、小さな島国ばかりでなく、先進国にもいえる
ことだ。
世界のCO2排出量(1994年)の12.6%を占める中国は、今後さらに経済の発展に相応して排出量の増大が予想さ
れるが、原子力発電の導入にも積極的で、2010年に2,000万kW、2020年に4,000∼6,000万kWの運転を開始する予定
だ。
CO2排出量の11.0%を占める旧ソ連諸国は、経済の低迷により1990年当時のCO2排出量16.5%よりも減少したと
はいえ、経済は徐々に立ち直ってきており、CO2の排出量が元の水準に戻ってしまう可能性は高い。しかし、ロシ
アにおいては、1996年末で8基が建設中で、順次運転が開始される。
CO2の排出量が世界の25.0%と、相変わらず最も多い米国はどうであろうか。運転中の原子力発電所は109基と世
界で最も多く、その発電割合も1995年には20.1%に達しているが、その新規発注は、1973年の8基を最後に、全く
ない。世界の原子力平和利用の先生であり、牽引車であった米国は、今は運転中の原子力発電所の数にその面影を残
しているのみである。
米国は、今、政府が率先して原子力発電の推進を行う絶好の時である。CO2を減らすために、原子力発電推進に
カーブを切り替えるべきだ。そして全世界の将来の安定したエネルギー供給のために、原子力発電について世界にそ
の模範をもう一度示してもらいたい。
技術先進国である国々が、自国にだけ目を向けるのではなく、地球全体という発想で将来構想を考え、行動しなけ
れば、環境問題は何の解決にもならない。
酸素のいらない原子力発電は、またその廃棄物の量が他の燃焼機関に比べて極端に少ない。また、廃棄物の処理・
処分の技術開発は、他の産業廃棄物に比べ格段に進んでおり、原子力発電が環境に優しい発電システムであること
は、開発当初から分かっていたことである。今までのように、資源問題や経済問題から原子力発電を導入するという
発想のほかに、地域、自国、地球の環境問題の緩和のために導入するという動機は、大いに称賛に値する。(編集
長)
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Mar. 18 1998 Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
スタディ・レポート(9)
TMDと日本の安全保障
森本 敏 (慶應義塾大学総合政策学部非常勤講師)
神保 謙 (慶應義塾大学政策・メディア研究科修士2年)
鈴木 健 (慶應義塾大学理工学部4年)
小泉陽一郎(慶應義塾大学法学部3年)
冷戦終了後のアジア地域の安全保障に対する新しい秩序作りについては、いろいろな方策が提案されていますが、
米国が提唱する戦域弾道ミサイル防衛(TMD)もその一つです。特にわが国の今後の防衛問題にとって、このTMD構
想の検討は避けて通れない問題となっています。しかしながら、その内容は余り知られていないのが実状です。そこ
で、4名の共同執筆による論文を掲載することにしました。わが国を含むアジア地域の平和維持の問題を考える上で
の参考になれば幸いです。(編集部)
要旨
冷戦後の北東アジアにおける大量破壊兵器の拡散問題、とりわけ北朝鮮の核開発及びミサイル開発計画、ならびに
中国とロシアの弾道ミサイル配備状況への対応は、日本にとって重要な安全保障上の政策課題である。日米両国は同
地域における核・ミサイル開発計画及び配備の進展と今後の見積りを行ないつつ、ミサイルの脅威に対する有効な防
衛手段を検討してきた。弾道ミサイル防衛(BMD)システムに対する日米間の検討は、既に80年代のSDI構想時に始
まり、90年代は主として北東アジアを対象とした戦域の脅威を課題としてきた。BMDシステムの一つである戦域弾道
ミサイル防衛(TMD)はこれら検討の結果として、将来の日本を取り巻く安全保障環境に適応する防衛システムとし
て有望視されるものである。
日本がTMDの導入を判断する際の重要な評価要素としては、TMDの対象となる脅威、導入した場合の費用対効果、
導入が日米関係や日本の防衛システムを含む日本の安全保障にいかなる意味を持つか、という点がまず重要であり、
総合的な見地から検討を加える必要がある。これら評価要素に加え、日本側があらかじめ対応すべき固有の諸問題が
ある。それは、日本側の①政治的側面、②法的側面、③技術的側面、④防衛政策及び防衛システムに与える影響、⑤
情報管理などの諸側面である。日米両国はTMDの導入決定過程、および決定以降も、緊密な意見交換を重ねることに
よって日本の直面する諸問題への解決手段を模索することが重要である。
本稿は日本の安全保障におけるTMDの必要性および米国におけるTMD開発の現状を分析しつつ、TMD導入に伴い
日本が直面する諸問題を取り上げ、いかなる対応が可能か考察するものである。
TMD開発の経緯と背景
冷戦期の米国とソ連の核相互抑止の安定性は、残存性の高い報復手段の確保(特に原潜SLBMの発達)とミサイル
防衛手段の制限(ABM条約体制)によって成り立っていた。1972年に米ソ間に締結されたABM条約は、60年代に進
められていた両国のミサイル防衛システムの開発を著しく制限するものとなった。米国がABM条約を受け入れた背景
には、そもそもミサイル防衛システムが技術的に可能かどうかという技術的フィージビリティの問題、また軍拡競争
に対する歯止めの必要性、交渉中のソ連との駆け引きなどの要素が絡んでいた(1)。
70年代に米ソの戦略核がほぼ同等になったこと(戦略核パリティ)とABM条約によるミサイル防衛の制限(相互脆
弱性)は相互確証破壊(Mutual Assured Destruction: MAD)の状況を生み出した。この状況下で、米国内ではMAD型
の安定性確保の手段として、ミサイル防衛よりも核報復の選択肢の拡大が優先されたが、これは戦略的な必然性によ
るものである。
しかし、1970年代後半、ソ連は欧州においてSS−18を増強し、当時進行していたSALT−IIの枠組みに同ミサイル
を含めることに応じなかった。また1979年にソ連はアフガニスタンに軍事進攻し、米ソ関係は決定的に悪化し、新冷
戦と呼ばれる時代になった。
SALT−IIにおける譲歩的なカーターの交渉態度を批判し、「強いアメリカ」を掲げて当選したレーガン大統領は、
軍備管理交渉の妥結を急がず、80年代初頭以降、戦略核戦力から通常戦力まで広範な軍備増強計画に着手した。この
ような経緯から、ミサイル防衛システムの可能性が再度米国内で検討され、SDI構想へと結実するのである。
1983年3月にレーガン大統領はいわゆるStar Warsスピーチを行い、戦略防衛構想(SDI)を発表した。レーガン
がSDIを打ち出した背景には、(1)先端技術の進歩が新たな戦略構想を可能とする状況になりつつあったこと、
(2)ソ連がなかなかICBMの削減に応じないこと、(3)MAD型戦略の非道徳的性格をレーガンが重視したこと、
などが挙げられる。1984年には戦略防衛構想局(SDIO)が設置され、これにともないミサイル防衛に関する戦略及
び技術的フィージビリティの議論が再燃した。
1985年のソ連ゴルバチョフの登場に伴い、米ソの核軍備管理交渉は再び進展し、START−IIの締結へと結びつくこ
ととなった。また、1989年には米ソのマルタ合意と共に冷戦の終結が宣言され、同年のベルリンの壁の崩壊は実質的
に冷戦が終わりを告げたことを証明した。そのため、SDIの概念自体にも再検討が加えられることとなった。
米国は1989年頃から2年間にわたりSDIの徹底的な吟味を行った。その背景には(1)全面戦争の危険が軽減した
ものの、(2)偶発的な、あるいは正規の命令によらない弾道ミサイル使用の可能性があったこと、(3)第三世界
への大量破壊兵器、弾道ミサイル拡散の脅威が増大しているとの認識があった。その結果、SDIのような研究計画と
してではなく、装備化を前提とした開発計画として「限定的な弾道ミサイルに対するグローバルな防御」(GPALS)
計画を具体化した。GPALSはソ連や第三世界からの偶発・限定的あるいは中央の指令に基づかない独自の判断や誤認
によって発射される100∼200発にのぼる弾道ミサイル攻撃から、米国本土だけでなく、海外に派遣されている米軍お
よび同盟諸国を防衛することを目的とした。この第三世界による弾道ミサイルの脅威は、1991年の湾岸戦争の発生に
よってその認識が深まることとなった。
湾岸戦争時、イラクの発射した約80発の弾道ミサイルがイスラエルとサウジアラビアを攻撃した。158発のパトリ
オットが44発の弾道ミサイルに向けられ発射された。米軍は当初、47発のミサイルのうち45発を迎撃したと発表した
が、最近では44∼46発の有効なミサイルに対して、52%の迎撃率であったと立場を変更している。一方、実際はそれ
よりもはるかに少ないともいわれている(2)。 これらの事実は、二つの意味で政策的に大きな意義をもたらした。第
一に、TMDの技術的可能性が着目されることとなった。湾岸戦争におけるパトリオットは戦術的にはさほど有効でな
かったかもしれないが、このパトリオットはそもそも弾道ミサイルを迎撃するようには設計されていなかった。にも
かかわらず、世界史上はじめてミサイルがミサイルを迎撃したという事実は、TMDの可能性に大きく目を開かせる
きっかけになった。
第二に、TMDに戦略的な意味を付加するケースがありうることを証明した。イスラエルへの攻撃は、イスラエルを
巻き込もうという戦略的な意図があった。弾頭に生物兵器や化学兵器が搭載されている可能性は否定できず、イスラ
エルの心理を不安定にさせたが、米国がパトリオットを配備することにより、イスラエルの参戦を抑制することが可
能となった。このことは、戦域弾道ミサイルが冷戦後において戦略的な意味をもつことがありうることを示した
(3)。
SDIの大幅な見直し、そして湾岸戦争のインパクトを経て、米国は戦域弾道ミサイル防衛(TMD)をプライオリ
ティとして開発する方針を重視することになった。1993年、アスピン国防長官はSDIの事実上の終焉を告げると同時
に、GPALSを変更し新たな戦域ミサイル防衛構想(TMD)を示した。この中で、アスピン長官は米国のミサイル防
衛開発の優先順位を(1)TMD、(2)国家ミサイル防衛(NMD)、(3)後継技術研究とした。
1993年の基本構想は現在まで引き継がれており、その後SDIOは弾道ミサイル防衛局(BMDO)に変更されている
(4)。
TMD開発計画の概要と課題
TMDの構成
TMD(戦域ミサイル防衛)は、射程80kmから3,000kmまでの戦域弾道ミサイルを迎撃するシステムである。弾道ミ
サイルとは、大気圏外までミサイルを撃ち出し、後は落下のエネルギーで地上に衝突させるロケットエンジンによる
ミサイルである。TMDの構成はおおまかに低層迎撃、高層迎撃、ブースト段階での迎撃、監視・警戒、指揮・統制・
通信・情報(C3I)に分類される。二つ目の間違いは、原子力発電所を作る段階になって起こりました。電力会社は
設置許可申請書を出すのですが、その設置許可申請書には使用済燃料を立地地点から外に搬出するという約束をして
いることです。最初そのやり方を採用する際に、アメリカの例を調べたそうですが、アメリカでもそうなっていたと
いうのです。
そもそも、弾道ミサイルはその軌道から、発射直後のブースト段階、大気圏外の中間段階、落下中の終末段階の3
つの段階にわかれる。低層と高層はいずれも終末段階での迎撃である。
低層は具体的には高度20km以下、高層は100km程度までに敵の弾道ミサイルが存在するときに迎撃できる。低層と
高層では、使用するミサイルが異なる。まず高層で迎撃し、それで撃ちもらしたミサイルは低層で迎撃する。さら
に、それぞれの層に地上配備と海上配備の異なったシステムが利用される。
おとり(Decoy)や多弾頭の弾道ミサイルもあるため、弾道ミサイルが落ちてくるところをねらう終末段階(低層
と高層)での迎撃よりも、むしろミサイル発射直後のブースト段階で迎撃するほうが、効果が高い。しかし技術的な
問題もあり、TMD計画では後回しにされている。
低層・地上配備はパトリオットPAC3であり、湾岸戦争で使われたパトリオットPAC1の後継にあたる。パトリオッ
トPAC2までは、迎撃ミサイルが弾道ミサイルとすれ違いざまに爆発し、その破片で迎撃する「破片型」であった。
弾道ミサイルはたとえ弾体を破壊しても、弾頭が壊されてなければ被害を与える。湾岸戦争でも実際に多くのミサイ
ルの弾頭が地上まで到達している。1993年11月に行われた実験で、迎撃ミサイルが直接に弾道ミサイルにぶつかる
「直撃型」のERINT(拡大射程迎撃機)が成功し、その採用が決まっている。PAC3はミサイル自体はパトリオット
ではないが、その後継ということで、このような命名がされている。パトリオットに比べ、ERINTは1/3の大きさのた
め、パトリオットの箱型キャスターに4個収納できる。
高層・地上配備はTHAAD(戦域高高度広域防衛)であり、TMD計画の中核である。PAC3と同じく、弾頭を直撃す
るタイプのミサイルで、1999年度に使用者運用評価システム(実際に配備して開発のために使用者が評価をする段
階)、2006年度に配備される予定である。
低層・海上配備は海軍低層TMDと呼ばれ、スタンダード・ブロックⅣAがイージス艦に配備される。その能力はパ
トリオットPAC3と同程度である。イージス艦はすでに高度のレーザーや管制システムがあるため、ソフトレベルの
改良ですむ。
高層・海上配備は海軍高層TMDと呼ばれているが、どのようなシステムになるかは未定である。有力な候補として
はTHAADをイージス艦にのせるアプローチや、LEAP(軽量大気圏外投射体)を使用するアプローチがある。LEAP
は目標の近くまで打ち上げられると、後は自動的に体当たりする。
ブースト段階のTMDは、少なくともエアボン・レーザー、飛行機迎撃体、宇宙レーザーの3つのアプローチで推進
している。最も期待の高いエアボン・レーザーは、ボーイング747機に搭載した化学レーザー・ビームで、ブースト
上昇中の弾道ミサイルを迎撃するシステムである(5)。
THAAD開発の経緯と課題
TMDの主力であるTHAADのフライト・テストの結果は芳しくない。1994年4月21日の最初の実射試験(フライ
ト1)から1997年3月6日のフライト7までのうち、5回が実際にミサイルへの接触を目標として行われたが、いずれ
も失敗に終わっている。次のフライトは1997年12月の予定だったが、システムの一部に欠陥があることが分か
り、1998年の初頭に延ばされている。
THAADは、当初1996年のうちに使用者運用評価システムに移る予定だったが、1999年度まで遅れることになっ
た。このようにTHAADの信頼性はまだ疑わしいが、次第に向上していくであろう。
高層防衛、低層防衛は共に終末段階であるのでおとりや多弾頭に弱い。また、高層防衛で弾頭を捉えられなかった
場合、ミサイルが分裂し実質的におとりと同じ効果を果たす。これらの対抗手段は現代のTMD技術をもっても対処す
るのは難しい。そのため弾道ミサイル防衛としては理想的なブースト段階での迎撃が、長期的な計画とはいえ重要な
意義をもつ。
TND・NMDの開発のプライオリティと米国内での議論
既に述べた通り、米国はミサイル防衛開発の優先順位を(1)TMD、(2)NMD、(3)後継技術研究としてい
る。TMDがNMDより優先事項となっている背景には、少なくとも二つの理由が考えられる。
第一に、NMDが対象とする米国本土に対する弾道ミサイルの脅威に比べ、TMDが対象とする第三世界の弾道ミサイ
ルの同盟国・友好国に対する脅威がより切迫したものと考えられているからである。米国の1997年の年次国防報告
(Annual Defense Report)は、「米国に対する新たな弾道ミサイルの脅威は少なくとも今後10年間は存在しない」
としながらも、「海外駐留米軍や同盟国に対する脅威は既に存在」と評価している(6)。一方で、米国の専門家の間
では、将来の米国本土に対する弾道ミサイルの脅威の評価が高まりつつあることも事実である(7)。
第二の理由は、ABM 条約との関係において、NMDが条約規定に定職しやすい性質を持っていることである。米国
が広域の弾道ミサイル防衛システムを導入した場合、ABM条約体制で保証されたロシアの報復攻撃の有効性に疑問が
投げかけられ、各相互抑止の基本概念に変化が生じると認識されるのである。対して、TMDが(構成シ ステムではな
く)概念としてはABM条約に直接抵触せず、その結果、米国内で優先的に検討しやすいという条件があったのであ
る。
ミサイル防衛システム、とりわけNMDに対する米国内での議論は必ずしも開発推進で一致しているわけではない。
今までに少なくとも(1)BMD全体の大幅な修正を求める議論、(2)NMDに対して批判的な議論、(3)積極的
にNMDを推進すべきという議論、の三つのグループが存在する。
第一のグループは、短距離ミサイルに対する防衛計画は認めるが、それ以上の弾道ミサイル迎撃システムの開発に
は反対する立場である。彼らはBMDはSDIの焼き直しであり、現実的でないばかりか有害であるとする。これら議論
は主に民主党リベラリスト、軍備管理局によって唱えられている
。
第二のグループは、TMDは必要だがNMDは不要であるか、あるいは限定的な計画で良いとする。その理由は、大き
く分けて①コストが高すぎる、②NMDはABM条約の有効性を低め、ロシアの軍縮路線にマイナスの影響を与える、
③NMDは相互抑止を崩し、防衛を不安定化させる、④周辺国のミサイル開発能力および米国攻撃意図がない、とする
議論に分類される。これら議論は主に民主党中道にみられる。
第三のグループは、NMDは現実的かつ早急に実現が必要な政策であるとする。彼らの根拠は、①第三世界の敵性国
家が米国を射程に含む長距離ミサイルを保有することにより、米国の必要な軍事行動を麻痺させる効果があること自
体が問題である。NMDの配備はこうした状況を回避し、米軍の自由な行動を保証することで、米国と同盟国の利益に
なる。②相互抑止は第三世界には通用しない概念であり、脆弱性を残すことが安全につながるとはいえなくなった、
③ロシアや中国が軍縮を進めないとすれば、それは米国のNMDとは無関係の理由による、④第三世界がロシアや中国
の技術を導入することで、短期間に長距離ミサイルを開発することは十分可能、とする。これら議論は主に共和党や
軍関係者によって唱えられている。
米国のミサイル防衛に対する議論の対立軸は(1)の立場を除いては主にNMDの導入に関するものである。米国防
総省がTMDの開発をプライオリティに据えているように、TMDの開発推進に関しては広く合意が成立しているといっ
てよいだろう。
予算上の課題
BMDも他の政策と同様に、まず政府が提出した法案を軍事委員会や外交委員会が審議し、その後両院の本会議でま
ず授権法(Authorization Act)が可決され、次に歳出法(Appropriation Act)が成立して最終決定となる。授権法は政
策に対して支出を行う法的権限を付与するものであり、最高支出限度額を定めるのに対し、歳出法は政策実現に必要
な額を具体的に規定する。したがって国防予算を含めた政府予算の成立には、議会の歳出委員会が大きな権限を持っ
ているといえる(8)。
会計年度98年(97年10月1日から98年9月30日まで)における弾道ミサイル防衛の予算(appropriation)は37
億7,200万ドルであり、これは同年度の国防予算2,650億ドルの約1.4%にあたり、シェア的には小さなものである。弾
道ミサイル防衛の予算は、例年この程度のシェアを推移している(表1)。
表1 弾道ミサイル防衛予算と国防予算の推移
FY(会計年度)96−98(100万US$)
FY96
弾道ミサイル防衛費
国防費
3,436
FY97
3,633
FY98
3,772
226,018 262,310 265,279
ミサイル防衛費/国防費
1.52%
1.39%
1.42%
(1)弾道ミサイル防衛費に関しては、BMDO, "Ballistic Missile Defense FY 96−98 Appropriation Funding", URL:
http//www.acq.osd.mil/bmdo/bmdolink/pdf/budget.pdfより作成
(2)国防費に関しては、Office of the Under Secretary of Defense (Comptroller), "National Defense Budget Estimates
for FY98", (1997/3), URL: http://www.dtic.mil/comptroller/curbud/grn_book.pdfより作成
図1 プロジェクト別シェア FY97(100万US$)
内訳をプロジェクトごとに見るとTMDが全体の67%と最も大きく、次がNMD(国家ミサイル防衛)の23%である
(図1)。主要装備ごとに見ると、最もシェアが大きいのはTHAAD関連の予算で、PAC3、海軍広域防衛(または海
軍低層防衛;Navy Area Defense)、海軍戦域防衛(または海軍高層防衛;Navy Theater − wide Defense)がこれに
続く(表2)。
表2 主要装備予算の推移 FY1997−FY2003(100万US$)
FY1997 FY1998 FY1999 FY2000 FY2001 FY2002 FY2003
PAC3
600
557
473
462
448
435
398
海軍広域防衛
310
283
272
352
320
288
263
海軍戦域防衛
304
195
192
191
191
145
149
THAAD
619
561
595
619
619
948
986
"BMDO, “1997 Report to the Congress on Ballistic Missile Defense”, (1997/9)"
"URL: http://www.acq.osd.mil/bmdo/bmdolink/pdf/rtc1997.pdf Table 2−1A, 2−2A, 2−4A, 2−3Aより作成"
近年国防予算が一定水準を保っているのに対し、弾道ミサイル防衛の予算は順調に増加している。また会計年度96
年以降の動向を見ると、大統領提出の予算要求が減少傾向にあるのに対し、実際に議会で可決された歳出法は常にこ
れを上回る規模で推移している(図2)。この傾向は96年度以前のそれと比較すると顕著な対照を表わしていること
が分かる。弾道ミサイル防衛を含め一般に米国の国防予算は、大統領提出の金額を議会で削減する形で成立させる傾
向があることを考慮に入れると、現在の動向は注目に値する。
(1)Department of Defense, BMDO, "FACT SHEET: Historical Funding for (SDI) BMD FY85−97", URL:
http://www.acq.osd.mil/bmdo/bmdolink/pdf/funding.pdfより作成
(2)94年以降の数字はBrilliant Eyesを含んでいない
図2 弾道ミサイル防衛予算の推移FY95-97(10億US$)
さらに弾道ミサイル防衛予算の約9割を占める「研究・開発・試験及び査定」(Research Development Test &
Evaluation=RDT&E)の項目を見ると、NMDの占めるシェア、および増加率が最も大きいことが分かる(表3)。政
策面においてもNMDの位置は重要度を増しており、昨年には「技術実現計画」(Technology Readiness Program)
から「配備実現計画」(Deployment Readiness Program)に昇格し、本年には国防次官の下に国家ミサイル防衛統
合計画局が設置された(9)。
表3 RDT&E(研究・開発・試験・査定)歳出
(FY1997−1998)(100万US$)
FY1997 FY1998
NMD
833
978
Support Technology関係
266
424
THAAD関係
621
406
PAC3関係
381
206
海軍広域防衛関係
301
289
海軍戦域防衛関係
304
409
(1)BMDO, “Ballistic Missile Defense FY96-98 Appropriation Funding”, URL:
http://www.acq.osd.mil/bmdo/bmdolink/pdf/budget.pdfより作成
(2)各項目で「∼関係」とあるのは複数の項目を含んでいるため
以上述べた2つの動向、すなわち予算面における弾道ミサイル防衛とNMDの重要度の増大の背景には、議会多数派
である共和党の存在が大きいと考えられる。特にNMDに関しては共和党系の議員と民主党系の議員の間で意見の対立
が見られ、前者がNMDを実現することで米国はミサイルの威嚇から開放され、政策の幅が広がると主張するのに対
し、後者は米国に届くミサイルを敵性国家が配備する可能性は低いとして反論する。議会多数派が共和党である限
り、このNMD重視の傾向は続くと考えられる(10)。
ABM条約とTMDの関係
ABM条約は条約中に定められた戦略弾道ミサイル、あるいはその構成部分を迎撃することを制限する条約であ
る。1972年に米ソの間で締結されたこの条約は、(1)相互確証破壊(MAD)の態勢を法的に確認、制度化したのみ
ならず、(2)SALT−IIやSTART−I,II などのその後米ソ(ロ)間で進められた戦略攻撃戦力に対する規制、削減
交渉の基盤となった(11)。
1992年より米国政府と議会は、ABM条約がTMD計画にどのように影響するかを検討してきた。1993年よりクリン
トン政権はこの問題に関してロシアとの協議を続け、1997年3月のヘルシンキ合意を経て、9月に「ABM条約に関す
る合意声明」に至った。
ABM条約第6条a項は、米ロ両国は「戦略弾道ミサイル」に対する迎撃能力を持ってはならず、またその試験も
行ってはならないと規定している。この規定は、地対空ミサイルやTMDの開発を直接制限するものではない。しか
し、それら迎撃ミサイルがABM条約に規定された戦略弾道ミサイルを迎撃する能力を持つことを禁止しているのであ
る。従って、何を基準としてABMと判断するかという解釈がここでは問題となるのである。
米国内での検討を経た1994年、米国議会はABM条約に関する「説明基準」(Demonstrated Standard)を採択し
た。この基準によれば、TMDが対象とする弾道ミサイルの速度が秒速5km、射程が3,500kmを超えない限り、そ
のTMDの能力はABM条約に抵触しないとした。この基準により、戦域弾道ミサイルと戦略弾道ミサイル(秒速7km
以上とされる)を明確に区別することを狙いとしたのである。
クリントン政権はこの「説明基準」を基にロシア側と継続的に交渉し、その結果1997年9月、ニューヨークでの
「ABM条約に関する合意」に至る(12)。その内容は低速TMDと高速YMDに関する二部構成からなり、(1)低
速TMD(インターセプターの秒速3km以下)、(2)高速TMD(インターセプターの秒速3km以上)とも、対象と
する弾道ミサイルが秒速5km、射程3,500kmを超えないことが条件とされた。また、宇宙に展開されるインターセプ
ター(Space-based Interceptor)は開発しないことで合意をした。
この米ロ合意は今後のTMD開発、および同盟国への配備に以下のようなインプリケーションを持つものと考えられ
る。第一に、高速TMDに関し、対象とする弾道ミサイルの性能に関する制限が唯一の条件となったため、TMDシステ
ムそのものの性能が直接制限されることがなくなった。そのため、THAADや海上TMDに関する技術開発は継続可能
となり、配備上の問題もクリアされた。
第二に、日本を含む同盟国・友好国がTMDを導入するシステムのコンポーネントを考える際に、その選択肢に関す
る制限がなくなったことである。THAAD・海上TMD、さらにTMDの第3段階とされる宇宙での追尾システム
(SMTS: space-based missile tracking system)を含め広範な選択肢を考慮することが可能となったのである。
TMD導入に伴う諸問題と日本の対応
検討の基礎的要件
TMDが日本の防衛にとって不可欠の防衛システムであるかどうかを判断する基準は、まずTMDの防御対象となるべ
き脅威の評価、そしてTMDがこれら脅威を排除する上での費用対効果、さらにTMDの導入が将来にわたる日本の安全
保障及び日米関係にどのような意味をもつか、という点であろう。
結論を先取りすれば、将来において日本を取り巻く安全保障環境を考察した場合に、TMDの導入は技術的には今後
も検討の余地はあるが、政治的観点から見れば、日本にとってTMDを導入しないというオプションはあり得ないとい
うことである。
現在日本政府は、最終的な導入の決定を保留し、先延ばしている状況にある。その理由は、第一に、TMDシステム
の開発を含む構想に、まだ不確定な部分が見られるためである。即ち、TMDの対象となるべき脅威の見積もりが不透
明であることに加え、その脅威に対応できるTMDシステムの最終的な姿が不確定であることである。第二は、第一の
点が解決できたとしても、現状下において日本がTMDを導入することにともなう諸々の障害や問題点を克服し、解決
することが困難であるか、あるいは現実的でないという理由による。民主主義のルールに従って、これらを解決する
ためには、かなり大きな政治決断を要する。
日本がTMDを導入する場合、いかなる障害と問題が生じうるかを、あらかじめできるだけ客観的に把握しておく必
要がある。そして、これらの諸問題を正しく認識することにより、こうした諸問題を克服するための方策を検討し準
備しておくことができるのである。
TMD導入にともない日本が直面する諸問題
1)脅威の評価
TMD導入について最も重要な評価要素は、日本にとって現在及び将来における脅威、特にTMDの対象となるような
弾道ミサイルの脅威をどのように評価するかであり、その脅威に対応するのにTMDがどの程度、いつごろ必要になる
かという点である。
冷戦後、各地域において弾道ミサイルの脅威は冷戦時代より拡大している傾向がある。極東について見れば、ロシ
アの戦術ミサイルSS−21(射程120km、モードM−2、M−3)、SS−23(射程500km)、スカッドB(射程280km
∼300km)、中国のXSS−2(射程2,500km∼3,000km)、M−9(射程600)、M−11(射程300km)、北朝鮮のス
カッドB、スカッドC(射程350km)、ノドン1号(射程1,000km)、テポドン1号(推定射程2,000km)、テポドン2
号(推定射程5,000km)が開発、配備されている(13)。
特に、中国及び北朝鮮のミサイル開発は近年顕著であり、弾頭威力、精度及び射程がこのまま向上すれば、次世紀
には日本全土をその射程内に収めることができるであろう。さらに、これらの弾道ミサイルは全て核及び化学・生物
兵器を弾頭部に装着することができるよう開発されているか、あるいは今後開発されるものと推定される。ただ、北
朝鮮が弾道ミサイルの弾頭部に搭載できるような小型の核兵器を開発しているかどうかについては、現時点では不明
確である。
こうしたTMDの脅威対象をどのように長期的に見通し、さらにこの脅威の態様と蓋然性をどのように説得力ある方
法で国民に説明できるか、という点はとりわけ重要である。冷戦後の軍事脅威は著しく低下し、そのため防衛費は減
額させるべきであると考える人々も少なくない。そのような層に国家の生存と安全にとって重大な脅威が出現しつつ
あることを理解させるのは容易なことではない。脅威の見積もりは、軍事技術の推移と相手国の意志決定プロセス、
兵器管理システム及び対象兵器そのものなどに対する客観的で精緻な分析を必要とする。政府、議会や専門家はこう
した分析結果を分かりやすく一般国民に伝えていく必要がある。
2)核抑止理論上の問題
弾道ミサイルの拡散状況に対応するために、日米安保体制による抑止とTMDはどのように関係しているのだろう
か。日米安保体制は日本に対する核の脅威に対し、核の傘を提供するという説明を政府は従来から行ってきた。TMD
を導入する論理がこれら弾道ミサイルへの対応であるならば、冷戦後に日米安保体制の核抑止(この場合には拡大抑
止)の信頼性が低下したのか、との疑問が提起されてもおかしくはない。
しかし、結論から言えば、TMDの導入が必要である理由は、日米安保体制の信頼性が低下したからではない。それ
は、核抑止理論の概念にあてはまりにくい新たな脅威の態様に対し、日本が自らの手で防衛手段を構築することによ
り、日米安全保障関係の信頼性を補備、強化するという側面をもつものなのである。
既に述べたとおり、冷戦期の核抑止理論の信頼性は、残存性の高い報復能力の保持と、ABM条約による弾道ミサイ
ル防衛の制限によって成り立ってきた。日本は米国の核の傘の下での拡大抑止に依存してきた。しかし、冷戦後にこ
の核抑止理論をあいまいにする状況が出現してきた。それが核拡散であり、とりわけ核抑止理論を受け入れない第三
世界諸国による核開発であった。TMDはこのような地域における核の脅威に対し、従来の核抑止理論のみでは対応で
きない事態が生じているという状況の中で、それに対抗する通常兵器手段による防衛システムなのである。しかしな
がら、TMDの必要性を新しい抑止の考え方で説明するためには、冷戦後の核抑止理論をもっと明確な形で確立してお
く必要があろう。
3)TMDシステムの配備と経費
TMDの対象となるべき脅威のシステムと態様が把握できたとして、次に出る問題は、TMDの必要性と、必要である
と判断した場合、どの程度のシステムをいつごろまでに、どのように配備し、そのコストはどれぐらいのものか、と
いう点である。
第一に、TMDの必要性は、脅威の見積もりとそれに対する対応手段オプションとの費用対効果関係に依存する。つ
まり、どのような脅威と、その可能性があるのか、それに対しTMDを導入した場合、どの程度対応でき、そのコスト
がどれぐらいかかるかである。その評価の結果、核弾道ミサイルによる脅威が現実的で、わが国が失う国益があまり
に大きいものである場合、蓋然性が低くとも対応手段を講じておくというのが国家の安全保障の基本である。
第二に、TMDによりどの程度対応できるのかを考える場合、現有の防衛システム(防空システム、地上レー
ダー、AWACSのセンサーなどのC3Iシステム及びイージスシステム、パトリオットシステムなど)を今後、改良した
場合、それでどの程度対応できるか、である。防衛システムで100%を期待することはそもそも誤りであるが、長射
程を飛翔してくる弾道の途中で、宇宙配備の早期警戒システムと改良システム(改良AEGIS、パトリオットPACⅢ)
及びTHAADシステムを組み合わせ、それを有効に機能させれば、現在、開発しうるシステムの中ではベストのオプ
ションということになるであろう。
第三に、このミサイルシステムをどれぐらい、どのように配備する必要があるかである。これはTHAADシステムの
開発状況によるほか、日本への脅威の見積もりと防御対象及び防御の期待度による。THAADシステムの配備は、その
有効対応範囲からみて3∼4カ所になると推定されるが、その有効性はあくまで開発の進捗度次第である。従って、コ
ストについても予測できないが、全体のシステムは恐らく数百億ドル程度のものとなろう。総額は相当に大きくと
も、これを10年間ぐらいの期間で配備することになれば、現在の防衛費レベルで運用できない額ではない。ただ、繰
り返しになるが、冷戦後のこのような時期に新たな防衛システムを、相当な額を支出して配備しなければならないよ
うな脅威と必要性があるのかどうかについて判断を行うことは、むしろ、高度な政治判断を要する問題でもあろう。
4)情報管理
次は情報管理の問題である。これは、TMDシステムの中で早期警戒情報を米国側が宇宙衛星によって統一的に管理
し、米本土の宇宙空軍コマンド(コロラド州)宇宙情報センターから太平洋軍、在日米軍を経由して日本に伝達され
るシステムとなるであろう。
このような情報管理システムから生じる問題にはいろいろな側面がある。まず第一に、宇宙衛星を駆使した早期警
戒情報は米国が一元的に専有してしまうことになり、日本は単にその情報を受領するということだけになる。つま
り、国家の防衛にとり極めて重大な情報収集手段を日本は持たずに、米国に依存して防衛システムを運用することを
意味する。仮に米国のシステムが故障したり、何らかの理由で日本側に伝達されなかった場合には、TMDシステム全
体が機能しないことになる。一方、米国としては宇宙防衛システムを専有しておくことは、日本を日米共同防衛シス
テムの中に組み入れておくためにも、また、日本に宇宙衛星技術を独自に装備し、開発されないためにも必要な措置
であるのかもしれない。
第二は、日本が米国のグローバルな警戒情報システムの下に置かれ、場合によっては日・米・韓の早期警戒ネット
ワークとして情報の相互運用システムに日本が加わることが、従来の自衛権の行使の範囲との関連でどのように解釈
しうるかという問題である。この問題の本質は、そもそも軍事的には地域や国家の領域を越えて運営される情報通信
システムの性格に鑑みれば、極めて非合理的な論点である。しかし、この問題はいわば法律論上の解釈の問題であ
り、安全保障上必要な運用体制を合理的に説明する論理が求められよう。
第三は、これらの諸点がクリアされるとしても、自衛隊が現有している情報システムでは対応できず、TMD導入の
際、自衛隊には米国から伝達される情報を統一的に受領し、運用できる新たな情報通信システムを確立しておく必要
があろう。しかも、その情報は単にTMDシステムを運用するためのみならず、日本の国家中枢に短時間に早期警戒情
報を伝達し、判断を求め、指示を受け各部隊に伝えることのできるようなシステムとなっていなければならない。
5)法的側面
次は、法律上の側面である。これには二つの問題が含まれる。第一は、TMDシステムが従来の自衛権の行使に関す
る解釈を越えるのではないか、という問題である。これはTMDシステムを運用する場合、周辺地域から弾道ミサイル
が飛翔し、日本領土に着地するまでの数分間(7∼8分間)のうち、日本の領空に侵入してから防衛措置をとったの
では対応できず、従って、早期警戒情報がうまく機能し、弾道ミサイルの発射後、初期段階あるいは弾道軌道中に、
その領域が相手国の領域内や公海上空であろうとも迎撃する必要がある場合、それが個別的自衛権の行使の範囲を越
えるかどうかという問題である。
さらにはTMDシステムとそのための防空システムを、北東アジアでは日・米・韓の3カ国で共同運用し、弾道ミサ
イルが韓国領域内にあるとき、韓国防空網の情報にもとづき、わが方のミサイルシステムで迎撃する場合、このよう
な対応措置が集団的自衛権の行使にあたるかどうかという問題である。これら議論はしばしば安全保障上の視点を見
失いがちであるが、これらの諸問題は厳密に法律を適用して解釈するべき問題ではなく、ミサイルという脅威の性格
と、これにともなう国家の利益損失とをあわせ考えると、いわば緊急避難的措置と解釈されるべき問題であろう。
第二の問題は、宇宙の平和利用という問題である。わが国には、宇宙を平和目的に限り使用するという趣旨のいわ
ば、宇宙の平和利用決議が国会で採択された。また宇宙開発事業団設置法にも同様の趣旨が規定されている。これら
は厳密にいえばTMD導入とは関係のない問題であるかもしれないが、国会決議との関係でいえば、宇宙の定義の問題
あるいは、平和目的についての解釈上の問題として扱うことができよう。後者の宇宙開発事業団設置法との関係でい
えば、直接の関係はないものの、将来政府がTMDシステムあるいは、TMDシステムの一部に関連する技術を開発する
場合、宇宙開発事業団でこれを取り扱うことの解釈上の問題ということになるであろう。国会決議と事業団設置法
は、日本が宇宙を平和目的に限り使用するとの意志を明らかにしたものであって、国家防衛の手段まで規制しようと
の趣旨でない。
6)対外関係の側面
TMD導入が対外関係にもつインプリケーションはいかなるものであろうか。第一は、TMDは日米同盟の強化につな
がるという側面である。冷戦後の新たな地域諸国のミサイル脅威に対し、日本が米国よりTMDを導入して、日米が協
力してこのような脅威に対応するということは日米同盟関係の強化を促進する。日本が導入しない方針を固めた場
合、日米関係への政治的マイナスは避けられないであろう。
日本は今、TMD導入の決定について判断を後に延ばすという態度をとっているが、いずれ日米両国関係の動きを注
意深く見守りつつ、どこかの節目で最終判断をせざるを得ないであろう。そして、日米関係と日本の将来を考える
と、その際の答えに否はあり得ないのである。
第二は、日米間の経済的側面である。日米の防衛費は近年、極めて厳しい状況下におかれており、特に米国の国防
産業は厳しい縮小と失業者の増加を招いている。TMDはこの産軍複合体の一部を救う画期的な防衛兵器システムであ
り、従って米国は日本のみならず、同盟諸国・友好国にTMD導入をさかんに働きかけている。日本の防衛産業にとっ
ても同じ状況であり、TMD導入によって防衛産業は一部とはいえ、大いに利益を受ける。TMDは従って、冷戦後の日
米関係の中で、最初の大きな兵器売却の対象となるであろう。そして、それは日米経済関係の好転にもつながる重要
な二国間問題とでも言いうるものである。
第三は、TMDシステムの膨大な予算額に鑑み、日本がこれを導入する場合でも、米国のすすめているTMDシステム
の開発に協力する余地はありえないのかという点である。即ち、TMDシステムを全て米国の提案するコストで購入す
るのではなくて、日米共同による開発分野がある方がTMD導入にかかる政治的、経済的コストを低くできるという側
面が少なくとも日本側にはある。
その一方で、米国としては共同開発によるメリットは日本側ほどないであろう。共同開発という場合にはFSX共同
開発に見られたような種々の問題が日米間に生起する可能性はある。これらの中には、日米共同の軍事技術をどこま
で双方にシェアできるかという問題、それにともなうテクノナショナリズム、米国の情報公開に関する法律上の制
約、日本の武器技術供与上の枠組みの制約、及び共同開発にともなうコストの分担といった問題が含まれる。いずれ
も容易なことではない。
さらに現実の問題として、米国はすでにTHAADミサイルの開発を独自にすすめており、日米共同開発の分野はない
という態度である(14)。従って、日米共同開発の分野を模索するとしても、それはTMDシステムの重要な構成要素と
なるレーダー、通信などを含むC3Iシステムのハイテク分野で協力するということになるであろう。いずれにせよ、
そのような共同開発をすすめるとしても、日本がTMD導入を決定してからの話であり、まず、決定が先決であること
はいうまでもない。
第四は、これは直接日米関係の問題ではないが、米国の同盟諸国・友好国などがTMD導入をどのようにすすめるか
という点である。その際、TMDシステムを地域防衛システムと米国のグローバルな防衛体制の中でどのように位置づ
けるかが、日本のTMD導入にとって種々のインパクトを与えうる。
一般論として、西欧主要国やイスラエル、韓国、湾岸諸国などがTMDを自国の防衛システムとして導入する動きを
見せることや米欧諸国で共同開発プロジェクトがすすむことは、日本の導入決定に重要な政治的エンカレジメントと
なる。他方、その際にいわゆる集団的自衛権の行使を前提とするようなシステムとして導入されることになれば、そ
れは必ずしも日本にとってエンカレジメントになるとは限らない。例えば、欧州でドイツの正面装備としてTMDが導
入されるのではなくて、NATOの防衛システムとして、米国が在欧米軍の防衛システムとして配備されることになれ
ば、極東でも在日米軍が単なる新しい装備として導入すればよく、日本が高額を支出して導入する必要はないという
議論もできることになる。現在までのところ、欧州主要国ではドイツ、フランス、イタリアなどでTMDの共同開発計
画が進捗しており、米国のTMDシステムは海上システムに重点をおいて配備し、欧州主要国は共同開発のTMDと米海
軍の海上TMDの組み合わせによるシステムとして発展させる可能性もある。
自力開発が困難な国、あるいは、日本のように政治的に困難な国は結局のところ、米国のTMD導入しか他に手段が
ないということになる。これらの諸問題をどう考えるかは、地域における弾道ミサイルの脅威をどのように中・長期
的に展望し、それに対する防衛システムのどこに優先権をおくかという防衛方針上の問題ともあわせて検討を要する
ことになるであろう。
7)防衛政策上の諸問題
最後に、TMD導入が日本の防衛システムに与えるインプリケーションという側面である。まず第一に、TMD導入は
日本の防衛システムを大幅に変えることになる。つまり、TMDシステム導入は、単なる兵器システムの一部を更新す
るというものではなく、日本の防衛システム全体を従来からの多様な通常戦力による脅威から、弾道ミサイルによる
脅威に対する対応へと変えてしまうことになるであろう。その結果、防衛政策や方針が従来のものとは相当に異なる
脅威認識のもとで、日本の防衛システムがTMDシステムを基幹とするものへと変更する性格をもつであろう。
第二に、防衛予算が今後も厳しい状況にある中で、TMDを導入すると、従来から陸・海・空自衛隊が中・長期的に
すすめてきた兵器システムの調達・取得計画に大きな影響を与えかねない。この点がTMD導入に対し、陸・空自衛隊
が消極的態度を示す最大の理由である。TMD導入のため現行予算とは別枠予算ができるというのであればいいが、現
在の予算体系の中でTMDに多額の予算を割り当てるためには、兵器システム(特に、陸上自衛隊にとっては中距
離SAMシステム、航空自衛隊にとっては新戦闘機システム)の導入予算が大きな制約を受けることになり、TMD導入
には賛成できないという事情があろう。海上自衛隊にとってはAEGISを改良し、海上TMDシステムを整備すること
は、現在の装備調達計画に沿うものであり、TMD導入によって既存の兵器システム予算が大幅に削減されるというこ
とにはならない。
第三に、仮にこれらの諸問題がある程度解決できたとしても、TMDシステムの性格上、これを陸・海・空自衛隊の
いずれか一つに統一運用させることは予算面からだけでなく、指揮・運用の面からも不可能に近い。即ち、TMD導入
にともなって新たなTMDシステムズコマンドの組織編成を必要とする。
このコマンドには、海上自衛隊の現有するAEGIS、航空自衛隊の現有するパトリオットのシステム及びBADGE、
地上レーダーなどのシステムをも併合する必要があり、しかも、内閣総理大臣の指揮監督下において極めて短時間で
運用しうる体制(米・ロ両国において大統領が直接、指揮できる戦略核戦力の運用とも類似したシステム)をとらざ
るを得ない。また、そうでなければ十分有機的には機能しないであろう。
その際、陸・海・空自衛隊が現有する情報通信ネットワークとどのように機能と装置を共同運用させ、また各自衛
隊が保有する既存の防衛システムとの運用統制をどのようにするかという問題を解決しなければならない。さらに、
場合によってはTMDシステム導入に必要な施設・設備を新規に整備する必要がある。さらには、在日米軍、在韓米軍
及び韓国軍との運用上の調整、協力のための体制づくりも必要となる。
結 論
TMD導入には以上のような諸問題や障害があり、これらを総合的に再検討し、対外関係で処理すべきものと、国内
において処理しうるものに分類して問題点を整理し、解決策を模索する必要がある。このように問題点を整理した
後、諸決定にあたり、日本側として配慮すべき点は次のとおりである。
1.TMD導入にともなう日米間の事務レベル協議は、93年12月より行われているところ、日米間では今後この協議
を通じて、主として、TMD導入にともなう日米双方の直面する諸問題と、開発・取得に係るシステム(共同開発、技
術リリース、ライセンス生産、完成品購入など)について具体的な検討を行うことが必要である。
2.TMD導入について日本側がもつ諸問題を、日本側専門家からなるグループにおいて十分検討し、諸問題解決の
ために必要な政策提言をつめる必要がある。また、この政策提言は、米国側のアプローチにとっても参考となりうる
ものである。米国側に、日本の直面する諸問題を十分認識させることは、同システム導入にとって最も有効な方法で
もある。
3. TMD導入決定を、国内政治状況を見きわめつつ、できるだけ早期に行う必要があるしかし、その前に、政治的
な調整が十分行われている必要があり、まず、国内における専門家や議員がTMDの諸問題を理解している必要があ
る。前項の専門家グループは国内の政界、財界、学界、官界、ジャーナリストなど各界にTMDについて十分な説明と
説得の方法について提言を行うことも必要であろう。
脚注
(1):山下正光・高井晋・岩田修一郎『TMD:戦域弾道ミサイル防衛』(TBSブリタニカ、1994年)p.12
(2):George N Lewis and Theodore A. Postol, "Video Evidence on the Effectiveness of Patriot during the
1991 Gulf War" Science and Global Security, Vol.4, 1993, pp1−63
(3):MIT "Optical Data on the Performance of Iraqi Scuds and Patriot Interceptors in the Gulf War of 1991"
(4):U.S. Ballistic Missile Organization, "History of the Ballistic Missile DefenseOrganization",
URL :http://www.acq.osd.mil/bmdo/bmdolink/pdf/97006.pdf
(5):岩狭源晴「レーザー・ビームTMD」『軍事研究』(1997年2月)に技術内容および可能性について詳細
に検討。
(6):Department of Defense, Annual Report to the President and the Congress 1997, U.S. Government
Printing Office, URL:http://www.dtic.mil/execsec/adr97/index.htmlを参照。
(7):1996年2月28日の下院国家安全保障委員会での議会証言による。William Graham, "The Ballistic Missile
Threat to the U.S. and Its Allies"; Richard N. Cooper, "Emerging Missile Threats to North America During the
Next 15 Years".
(8):花井等、木村卓司『アメリカの国家安全保障政策:決定プロセスの政治学』(原書房、1993年)pp255263
(9):Department of Defense, BMDO, "FACT SHEET: National Defense Missile Defense Joint Program
Office", September, 1997, URL:http://www.acq.osd.mil/bmdo/bmdolink/pdf/97016.pdf
(10):Henry F. Cooper, "To Build an Affordable Shield" Orbis, Winter 1996.; Curt Weldron, "Why We Must Act
at Once", Orbis, Winter 1996.
(11):ABM条約の意義、戦略的安定の追求、核軍縮交渉の経緯について詳細を検討したのは、小川伸一
『「核」軍備管理・軍縮の行方』(芦書房、1996年)
(12):U.S. Department of State, Office of Spokesman, "FACT SHEET: First Agreement of September 26,
1997, Relating to the ABM Treaty." ; "FACT SHEET: Second Agreement of September 26, 1997, Relating to
the ABM Treaty."
(13):長島純「弾道ミサイルの拡散問題と東アジアの安全保障」『新防衛論集』第22巻第2号(1994年11
月)pp.45−47
(14):『朝日新聞』1997年6月5日
[No.20目次へ]
Mar. 18 1998 Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
Letter
上向きに転じたロシア経済
― 大きな成果を上げているISTC ―
横山 宣彦
モスクワ・ISTC
モスクワに本拠を置く国際科学技術センター(ISTC)については、既に二度に亙り本誌で紹介し、それに対し内
外から幾つか反響がよせられている。旧ソ連の軍事科学技術者の不拡散を目的として正式に発足してから間もなく4
年となり、この機会を借りて一応成熟期に入った姿をあらためて報告させて頂きたいと思う。
先日は、協定の本調印(1992年11月27日)5周年を事務局内でささやかに祝ったところである。これに先立ち11
月初めに開催された第14回運営理事会では、約50のプロジェクトが承認され、その合計金額は約1千万ドルであっ
た。これを年率にするとプロジェクト数150、金額30百万ドルであり、これが一応巡航速度であろうと理解されてい
る。
これまで承認されたプロジェクトは約500、総計1億6千万ドルに達しており、これまで提出されたプロジェクト
は1,400を数える。結局日の目を見ないプロジェクトが600ほどあるので、平均打率は4割5分位と言えるだろうか。
プロジェクトの参加者も延べ2万5千人を数え、膨大な手間がかかってはいるが、これらの人々に直接報酬を払って
いることがISTCの成功を支える大きな柱になっている。
ISTC発足の引き金となったソ連崩壊後のロシアの経済は、本年がどうやら転換点となり、国内総生産、鉱工業生
産共にプラスに転じ、インフレも10パーセント前半に止まったようである。混乱期に増幅された富の不均衡は、“新
ロシア人”と称される富裕階層を生み出し、これが現在ではロシアのジョークの主な対象になっているが、地域間の
不均衡も大きく、モスクワに限って言えば、労働意欲のあるもので失業者はいないと極言する人さえいる。この差は
ロシア第二の都市ペテルブルグとの間でも大きく感じられるほどであるが、現在このような富裕層、富裕地域が機関
車となり、他の経済発展の原動力となっているのが実情である。平等を標榜するあまり、オーバーキルになっては折
角の改革にも水が差される。
11月にはクレムリンの隣に地下3階に及ぶショッピングセン
ターがオープンされ、西側の有名ブランドが軒を並べ、モスク
ワっ子の度肝を抜いているが、これはロシアの現実の象徴とでも
言える。実質約3年の短期間で完成したことも、これまでの“社
会主義的”建設に慣れた目には驚きであった。
産業分野としては、最近相次いで石油関係や、自動車で外国か
らの巨額に上る投資計画が発表されているし、本年の外国からの
直接投資は、昨年に比べ約2倍以上に達するものとみられる。生
産分野における外国の直接投資が今後のロシア経済テークオフの
必要条件である。加えて、政治的な意図も多分にあるが、来年初
めに行われるルーブルのデノミは、その価値をフランス・フラン
とほぼ同一の水準に高め、通貨に対する信認の回復を狙ってお
り、内外からも好意を持って受け止められている。
革命後のソ連の時代は、20年代の僅かな時期を除き、国民に
とってルーブルの購買力は限りなくゼロに近かったわけだが、こ
の2、3年で購買力は大幅に回復しており、何よりも土曜日、日
曜日でも働く労働者の姿がそれを象徴している。これまで殆どが
ドル建だったクレジットカードが全面的にルーブル建になったの
も、この通貨の地位向上のための政策の一環である。
最近のアジア発の為替、株の動揺は、ロシアにも波及しており
特に通貨に対する投機売りが通貨不安を呼び実体経済に影響を及
ぼす懸念も消えないがIMF等による支援体制もあり、大きな流れ
としては安定化に向かっていると言えるだろう。
11月初めの日露トップ会談で、今後のアクションプランとし
て、ISTCを通じてのハイテク分野での協力推進が謳われた。当事
者にとってはまことに光栄の至りであるが、今後如何にそれに肉
付けをして行くかが大きな課題である。このトップ会談により、
平和条約締結に向けて日程が設定され両国関係が特に経済面で進
展することが期待されるが、日本の出遅れを次のような現象面か
らも指摘出来る。欧米の場合は、血縁でロシアと結ばれるケース
も多く、これが人的交流面で日本とは大きな差をもたらし、更に
直接投資の面での日本のひけた姿勢を際立たせる。
ロシアに中長期にわたり滞在するアメリカ人は3万人とのこと
だが、日本人はモスクワに1千人、極東その他を合わせても恐ら
く2千人弱にしか過ぎないし、ルフトハンザのフランクフルト−
モスクワ便は毎日片道4便あるが、JALの東京−モスクワ便は週
僅か1便と言う数字が実情を物語る。また航空券でもモスクワ−
東京がロンドン−東京よりも割高と言う逆転現象も起こってい
る。勿論今後人的交流が進めば、これらの面での“正常化”も進
行するのだろうが、現地に住む人間としてはなんとも歯がゆい思
いをさせられる事態ではある。
チャイコフスキーの墓のあるアレクサンドル・
ネフスキー修道院にて
さてこのような状況を背景に、ISTCの現状と今後の課題を述べ
てみたい。ISTCは設立の趣旨から言って暫定的、緊急避難的に企画されたものであるが、上述のように、既に500の
プロジェクトが承認され、その分だけでも総てが終了するのは21世紀に入ってからになる。昨年3月協定の規定に従
い、発足後2年の見直しを行ったが、来年3月には更に新たな見直しを行うことになっており、これまでの議論から
いって更に新たな内容を盛り込みながら継続すると言う結論になることは間違いない。新規加盟国は、ノルウェーが
本年より本格的に参加、プロジェクト支援を行っているし、韓国も国内手続きが終了次第正式に加盟国になる。加え
てスイスも加盟を検討していると聞く。
これまではプロジェクトをスタートさせるという点に重点が置かれていたが、今後は結果も重視するという視点が
加わって来ており、これに基づいてパテント申請・取得に対し資金を含めての支援が始まっているし、開発技術を如
何にビジネスに結び付けるかという課題を担当する専門職のポストも用意されている。開発された技術を使って経済
的自立を促すことは、ISTC設立の理念でもある。
更に本年正式にスタートしたパートナー制度は、特に民間企業の参入を促し、資金源を拡大するとともに、産業界
に近いプロジェクトを発掘させようとの意図もある。欧米の化学関連企業を中心に加盟が相次いでおり、日本の企業
では1社が登録済み、もう1社が手続き中である。パートナー制度では知的所有権の扱いがキーとなるため、パート
ナーの利益を損なわないための配慮もなされているし、プロジェクト申請から承認までの期間を短縮して、速やかに
スタートさせるためのシステムも用意されている。直接ロシア研究所を相手とするやり方と比べると、ISTCの国際
協定に基づく特別なステータスにより、税制その他の面での特典を利用する事も出来るし、技術・会計面での監査
はISTCスタッフが定期的に行っており、投資に対する信用面での安全性も極めて高くなっている。
日本のプロジェクトに対する支援は、当初に比べややシェアが落ちており、この点から今後の拡大が望まれるとこ
ろであるが、一方日本単独サポートによる特別のプログラムもスタートしている。その一つは多くの研究所から有望
な技術の要約を提出させ、データベース化し、交流の促進を図るものであり、既に900近いテーマが寄せられてお
り、来年早々には外部からのアクセスも可能となる予定である。
もう一つは東京ワークショップであるが、これは特定のテーマ毎に、CIS研究者多数を日本に招き、日本の企業を
中心とした参加者に対しCIS研究所の開発する技術の説明会を行うものである。既に3回開催され1月早々第4回目
のワークショップが宇宙航空用材料・機構技術をテーマに開催される。これまでの説明会に対する企業サイドからの
反応は積極的であり、幾つかの技術については具体的な反応を得ている。近い将来これをベースとして、具体的パー
トナー・プロジェクトに結実することを期待したい。
冒頭年間150プロジェクト、約30百万ドルが巡航速度と申し上げたが、事務局スタッフも100名前後に達してお
り、予算上も恐らくこの辺が限界に近い線だろうし、必然的にこなすプロジェクトの数にも限度がある。更に今後は
終了するプロジェクトの商業化、パートナープロジェクト等、より一層木目細かい対応を迫られることになる。しか
しロシアの安定化は、冷戦後の国際関係の最大級の解決課題であり、この面で微力ながらいささかでも貢献出来るこ
とは喜ばしいと考える次第である。引き続き皆様方のご支援をお願いしたい。
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Mar. 18 1998 Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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19
燈
後藤 茂
街路樹の枯れ葉が風に舞う。都会では、季節感が喪われたといわれるが、それでも木の葉は四季の変化を教えてく
れる。
雪をかぶったトナカイが店さきを飾りはじめると、今年ももう師走、なんとなく人の往き来が、気ぜわしい。
人間は、ときに考えてもいなかった行動をとることがある。私は、ジングルベルに誘われたのか、バースディケー
キを買っていた。大きな袋をさげた人々の群のなかで、私の包みは、いかにも小さかったが、二人で食べるには十
分。妻の誕生日の、はじめての贈りものであった。
「あら、雷さんでも鳴るんじゃない。」
「冬の雷か、これで雪でも降れば、雪の雷だ。」
「雷鳥もいるしねぇ。」
四十五年も一緒に暮らしていると、夫婦の会話も枯れてくる。
手もとの歳時記をひらいてみた。「雷」は、夏の季語である。雷鳥もそうだ。春には、「春雷」がみえる。ここま
では私も知っていたが、秋の季語に、「秋の雷」。そして冬に、「寒雷」があった。日本の雷さまは、春夏秋冬お出
ましなのだ。
北国では、冬の季節風が日本海に暖められて対流をおこし、雷雲ができるそうである。秋田地方で、はたはたが捕
れるのも雷が鳴るこの季節、〈しょっつる鍋〉は冬の風物詩だ。
「もともとハタハタの名は、〈はたたがみ〉(霹靂神)に由来し、〈はたたがみ〉は〈はたたく神〉の意味で激し
い雷を指す」とは、お天気博士の倉嶋厚さんの説である。(『季節よもやま辞典』)そういわれて辞書をひくと、は
たはたは漢字では鰰、またはと書き、〈かみなり魚〉の別名とあった。
プロメーテウスは、天界から火を盗み出して人間に与えたと主神ゼウスの怒りにふれ、岩山に縛りつけられた。詩
人アイスキュロスのギリシャ悲劇『縛られたプロメーテウス』(呉茂一訳・岩波文庫)では、ゼウスの刑罰にも屈せ
ず、「いつか雷電よりも烈しい焔、霹靂の音を届かすほどの大きな響きを出すことだろう」と岩上で叫ぶ。「人間の
もつ技術(文化)はみなプロメーテウスの贈物と知れ」の科白(せりふ)が強く印象に残るこの劇は、プロメーテウ
スが雷鳴とともに消えて、幕となる。火の神プロメーテウスは、落ちた雷の化神ではないか、そんなことも考えたり
するのである。
バースディケーキは、妻にとって青天の霹靂だったようだが、それでも、可愛いろうそくの灯を吹き消して、妻は
満足そうであった。
寒雷やぴりりぴりりと真夜の瑠璃
加藤楸邨の句で、ふと思いついた。私は、棚から一対のベェネツィアガラスの人形をとりだし、ささげもった燭台
のろうそくに、灯をつけてみた。
襟と袖口を大きなフレアで飾り、白いふくらんだズボン、顔は黒。紫色の上衣には、金箔をちらしている。一方は
立ち姿、もう一方は片膝をついた高さ20センチほどの女性像、私のお気に入りである。
電気を消すと、あたりは暗闇(くらやみ)。わずかな空間に、かすかにゆらぐ灯。燃える焔の感じではない。炎と
もちがう。明り − 「暗い中に認められる、まぶしいほどではない光り」(岩波『国語辞典』)、その〈あかり〉
だ。私は、あらためてろうそくの灯の美しさを、発見したように思えた。
昔、中国、晋の国に生まれた車胤は、ねり絹の袋に数十匹の蛍をいれて本を読んだという。同じく晋の孫康は雪の
あかりで勉強したそうだ。
こんな故事を思い出しながら、『ロウソクの科学』(「岩波文庫」)を読みはじめた。目が疲れる。ろうそくのあ
かりは、思っていたより暗い。
この本は、イギリスの科学者M・ファラデーが1860年のクリスマスの休みに、「原始的なたいまつからパラフィン
ロウソクに達するまでには、何と長い時が流れたことであろう」(編者の序文)と、少年少女たちに語りかけた講話
をまとめたものである。
諸君は、まず最初に、ろうそくの上端に美しい杯ができるのを見るでしょう。空気がろうそくに触れるとそ
とはろうそくの熱のために生じた気流に押されて上昇します。…ろうそくの全側面に働き、まわりからそれ
を冷やしている気流のみごとに規則正しい上昇のおかげで、この杯が形づくられたものであることを見るで
しょう。…炎はその下の杯のなかの液体から引き離され、杯のふちを壊そうとはしません。一本のろうそく
は、燃え尽きるそのまぎわまで、その一つの部分と他の部分を助けあっていく ― という調節条件に従ってい
るものです。
炎は蝋にじかに触れればたちまち燃えつくしてしまうのに、細い芯があるだけで、そうならない不思議。
私は、久しく忘れていた童心にかえって、ファラデーのやさしい語り口を目で追った。そして、「ろうそくについ
ても、もっと大きな間違いや失敗が、もしそれが起こらなければ気がつかないでしまうような教訓をうけることがし
ばしばあります。こうしてわれわれは、科学者になるのです。」という言葉に、朱線を入れた。
電気と違って、ろうそくの灯は陰翳をつくる。だからその明かりは人を、思索の世界に遊ばせるのかも知れない。
人類が地球上に姿をみせたのは300万年とも400万年ともいわれている。しかし、火の跡が発見されたのは、約50
万年前の北京原人の住居跡とみられる洞窟であった。
わが国でも最近、宮城県北部に広がるなだらかな火山灰地上に確認された高森遺跡で、約50万年前の石器が発見さ
れている。「同じ層から焼けて煤けた石器が出土したが、これは原人が火を用いたことを証明するものである。」
(文化庁編・『発掘された日本列島』)好奇心の強い「人」という動物が火を使うようになったのは、数10万年昔と
いうことになる。
その火は落雷の火であり、火山の噴火や、樹木が強風で擦れておこった火であった。しかし原人の関心は、この火
を絶やさないでどう保っていくかということの工夫。旧ソ連の学者M・イリーンの説によると、「人間が火をおこす
ことを知ったのは5万年の昔だということである」『燈火の歴史』。こうして人は、闇に脅え、寒さに震えながら、
長い年月をかけて人工的に光と熱をつくりだす方法を、発見したのであった。
先日、『戦国時代を幕開けした男 北条早雲』をテレビで見た。信長、秀吉を超える謎の天才といわれた武将早雲
は、領民に、朝は四時に起き、六時から働き、夜の八時には寝るように触れていたという。五百年も昔の話だが、明
かりがあまりにも高価で手にすることもできなかった人々のこのような生活は、江戸時代の末までつづいていた。
幾歳月
月雪花を友として
人の情が心にしみる
過ぎし昔をしのびつつ
また振だしの双六道を
お江戸日本橋七ツ立ち
空すみ渡り
神かぐら
祝う門出に朝日さす
(『小唄江戸散歩』、平山健著)
日本橋が架けられたのは慶長八年(1603年)であった。江戸小唄にうたわれているように、大名も町人も明け七ツ
(午前四時)に日本橋から旅立ったのは、つい百五十年ほど前までのことである。
「その夜飯塚にとまる。いでゆあれば湯に入りて宿をかりるに、土座にむしろを敷きてあやしき貧家なり。灯もな
ければいろりの火かげに寝所をもうけ臥す。」
芭蕉が、『奧の細道』に書き残した約三百年前の旅籠の様子は、明治に入ってもかわりはなかった。
『明治旅行日本案内』(アーネスト・サトウ編著・庄田元男訳、平凡社刊)は、幕末から明治にかけての日本各地
の移り変わりを実に正確に描写した貴重な歴史的資料として評価が高い。E・サトウは英国公使館日本語書記官として
来日、どこで勉強したのか、わが国の歴史や伝説、神話なども豊富に語られていて、あの混乱した、行動もままなら
ない時代に、よくもと驚嘆させられる。
今日みる旅行案内よりも親切に旅費、旅程、旅の心得にいたるまで細かく書き記している。たとえば、「旅宿」の
項をみると、1カ月あるいは、六週間程度にわたって滞在する温泉場では、滞在者は自分で薪炭や、食物とともに燈
火を用意するよう注意していて、芭蕉の時代とさしてかわりはない。
この大著は1884年(明治17年)に英国で出版されたが、原書は入手が困難だったのを、庄田元男氏(電発コール
・テック参与)が見つけだして訳した、すぐれた文明論である。
話は前後するが、安川巌氏の『にっぽん・らんぷ考』に、『長崎奉行所記録各国往復留』が紹介されている。この
文書をみると、長期駐在の外交官として赴任したシーボルトが奉行所に差し出した家財道具の記録のなかに、書机、
狩具、銀食器らと並んで火燈がみえる。この火燈が、洋燈とか瑠璃燈という文字をあてた、ランプであった。
瓦斯燈が横浜に点灯したのは明治5年(1872年)であり、電灯の実用化は明治12年(1879年)である。柳田国男
の『明治文化史』を読んでいると、安政六年(1859年)に越後長岡の鈴木鉄蔵が、スネルという外人から買い求めた
らんぷを郷里に持ち帰り、その明りは、「皎々として白昼の如し」と目をみはらせた様子が書かれていた。
燈(あかり)の文化史を尋ねていると、幕末から明治にかけての約五十年間は、ろうそくの行燈から、石油らんぷ
の洋燈、瓦斯燈、電燈と見まぐるしく、いちばん興味深い。
正岡子規に随筆『燈』がある。「夜は余の仕事の時なり」という書きだしで、明るい燈が、二つも三つも輝いてい
る影のない室内でないと筆をとれなかった子規は、「さりとて瓦斯燈電気燈は固より余輩の使用し得べきに非ず。」
と、中古のらんぷを愛用した。このらんぷは、東京駒込に移り住んだとき、近所の古道具屋で求めたものだ。
「生れ出でたる余の拙句悪句、拙文悪文、千思万想、長文字、短文字、いづれも此五分心の八銭の置ランプの光明
を浴び来らざるはあらざるなり」と感慨をこめて書かれた随筆は、「此ランプの前半は如何なる人を照らしたるか知
らず、余の後半世は此ランプ仔細に之を知る」と結んでいる。電灯の明るい室内をみることなく、この随筆を書いて
からわずか三年の生で、子規は、1902年にこの世を去っている。
ランプ消して行燈ともすや遠蛙
子規
私の好きな詩人丸山薫に、こんな詩がある。
青い海飛ぶ信天翁は
日暮れリや マストのランプに化ける。
暗いマストの航海ランプは
信天翁がランプか
ランプが信天翁か
信天翁もしらない
ランプもしらない
でももし 暗いマストの航海ランプが
夜明けて海へ帰らなかったら
でももし 青い海飛ぶ信天翁が
日暮れてマストにもどらなかったら
広い海には信天翁が一羽ゐなくなるだけだが
ランプの灯らない三檣船のマストは
闇の波路を なんとせう
(詩集 「帆・ランプ・鴎」)
丸山薫は明治30年に生まれている。巌谷小波のお伽噺の世界に眼を開かれた詩人で、中学時代から海にあこがれて
いた。この詩は昭和7年に出された第一詩集に収められている。
私は、いま、ゆたかなあかりのなかで、とりまく環境のきびしさを考えながら、紺碧の海に游ぶ信天翁に、想いを
はせている。
(前衆議院議員)
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Mar.18 1998 Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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シリーズ・プルトニウム17
今後のFBR研究開発の進め方
近藤 駿介 東京大学工学部教授
高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故以来、わが国の原子力政策につ
いての見直し論が盛んで、原子力委員会では「もんじゅ」以降のわが
国の高速増殖炉開発について、「高速増殖炉懇談会」を設けて、検討
を進めてきました。1年間にわたる精力的な検討を経て、この度その
報告書が発表されましたので、その委員である近藤駿介氏にその内容
と、私見を伺いました。文責は当編集部にあります。 (編集部)
現技術の維持発展、技術の改革、将来技術の予見
この度、原子力委員会・高速増殖炉懇談会の報告書が出ましたの
で、その内容の紹介と、少し個人的意見も申し上げさせていただけれ
ばと思います。
近藤 駿介 氏
話のテーマとしましては、初めに問題認識、2番目が高速増殖炉の特性と開発現況、3番目が懇談会の報告書の内
容の紹介、最後が今後についての私見を申し上げる、そういう構成になっています。
初めの点の「問題認識」には三つありますが、およそ技術にかかわる事業が持続的に発展していくためには、その
事業に係わる方は、次の三つの投資を適切に行う必要があります。これは経営学の基本ですが、第1に、現在事業の
中核技術であるその技術を維持・発展させるための投資、第2に、変化していく環境を予見して、新しい環境のもと
で事業を存続し得るような、そのために有効な革新技術、これに関する設備投資を行っていくこと、第3に、さらに
遠い将来を予見して、技術体系に新しい革新をもたらすような可能性について研究開発投資を行うことです。この三
つのバランスが重要といわれています。
原子力事業と社会の仕組みが不整合に
これを原子力分野に当てはめて考えますと、第1の中核技術といえば、これは軽水炉技術で、これについての開発
の投資は、安全性、信頼性、経済性の維持・向上ということであると思います。現在ですと、使用済燃料の貯蔵容量
を確保するとか、原子炉の廃止措置に関する準備をすることが重要という認識です。
第2のカテゴリーの技術開発の投資では、まさしく使用済燃料の再処理をし、プルトニウムを回収してこれを使っ
ていくことです。つまり、予見される資源の制約、環境制約のもとでなお事業を存続するためには、そうした資源の
効率的、あるいはより環境に適合した廃棄物処理の手段を確立することが重要です。
第3が、さらに将来を見るとすれば、革新的技術、例えば増殖技術、さらに先をいえば、核融合炉まで行き着くの
でしょうが、そのような技術開発が並んでいるということです。このことは、従来、原子力長計などで計画をし、実
施をしてきていることですが、昨今では、いかなる形でこれらを計画するのか、いかなる役割分担を行うのか、ある
いは、これをいかに評価し、国民の財産にするのか、国民の財産だと認識をいただく手段をどうするのか、このよう
なことに関してさまざまな問題が生じてきました。例えば、その技術の産業化とかエネルギー大競争、技術革新、市
場原理、国の役割の問題、環境主義、民主政治の成熟、いろいろな言い方がされますが、そういう問題意識の中で、
従来進めてきた論理がいろいろな意味で機能不全に陥りつつあることが指摘されています。
高速増殖炉(FBR)の問題は、「もんじゅ」の事故から発したわけですが、よく考えてみると、そういう社会全体
の仕組みと原子力開発事業を進める仕組みとが不整合を生じてきたということかなと、そんな感じがしているところ
です。そういう意味で、この高速増殖炉に関する議論は、高速炉固有の問題というよりは、もっと広い観点から吟味
してみることが重要ではないかと思います。
世界中がウラン系燃料の炉を使用
そこで、2番目として、高速増殖炉とは何ぞやということですが、またそれが現在どのような開発状況にあるのか
について、さらっとおさらいの意味でご紹介いたします。
まず、高速増殖炉の「高速」と「増殖」ですが、高速増殖炉の「高速」とは核分裂を引き起こす中性子のエネル
ギーが高いことをもって「高速」といっています。「増殖」とは、原子炉に装荷をするプルトニウムの量よりも、原
子炉から取り出した使用済燃料に含まれるプルトニウムの量のほうが多い、そういう仕掛けの原子炉で、プルトニウ
ムが増えるという意味で「増殖」という言葉を使っています。
そのような原子炉を造るためには、どのような冷却材を使うかということですが、昔からいろんな提案がありまし
た。例えばナトリウム、ヘリウム、あるいは水蒸気というものでした。水蒸気は増殖の比があまり大きくならないと
いうこと、ヘリウムは原子炉が大きくなってしまうということが指摘され、結局のところナトリウムがよろしいとい
うことになりました。その理由の一つは、原子炉がコンパクトにできることと、もう一つは増殖比が大きく取れるこ
とです。この二つの理由でナトリウム冷却が採用されました。ほとんど世界中がこの選択で、その研究開発を進めた
という経緯があります。
もう一つ、増殖というのはウランだけではなく、トリウムでも可能ですが、これまた不思議で、軽水炉がウランを
使っているという結果でありましょうか、世界中がウランを使う増殖炉に特化して、現在のところ、トリウムを使う
ため努力しているのはインドだけになっています。インドは、ご承知のように、いろいろな意味で国際社会から独立
して、自らの技術で進めようとしているところであり、かつ、インドにはトリウムが多く産するという理由で、トリ
ウム資源を利用しようとしています。
高速増殖炉は軽水炉の100倍ウランを利用できる
ナトリウム冷却の高速増殖炉(FBR)が長きにわたって各国で開発されてきたわけですが、この原子炉の特徴は3
点あります。
第1の特徴として、ウランの利用効率が、増殖というメカニズムを通じて大変高くできます。つまり、ウランに潜
在しているエネルギーの大部分を取り出すことができます。現在利用している軽水炉ですと、ウランのたかだ
か0.5%∼0.75%しかエネルギーに転換できないのですが、増殖炉を使いますと、60%とか70%とか、俗に「軽水炉
の100倍もうまく使える」という言い方をしているくらいです。その結果として、ウラン資源はエネルギー的に見ま
すと、化石燃料の資源である石炭、多分地上最大のエネルギー資源でしょうが、それをはるかに上回るエネルギー供
給能力を持っているといえます。
第2の特徴が、プルトニウムはもちろん軽水炉でも使えますが、軽水炉でプルトニウムをぐるぐる回して使ってい
きますと、だんだんにプルトニウムが高次化するとか、老化するとかいろいろな言い方をしますが、いわゆるプルト
ニウム239のみならず、240、241、242という重たいプルトニウムが増えてきます。さらにネプツニウムとかキュリ
ウム、アメリシウムのような俗にマイナー・アクチニドと呼ばれているものが増えてきます。
もちろん、この高次化したプルトニウムを使おうと思えば、それなりに軽水炉の炉心の設計を変えればいいので
す。しかし、現在の軽水炉のままですと利用し難いため、軽水炉でウランにプルトニウムを混ぜた燃料を使う、いわ
ゆるプルサーマルの場合ですと、1回か2回利用すると、そのあとは廃棄物とせざるを得ないわけです。高速炉で
は、この高次化したプルトニウムを平気で核分裂できますので、捨てなくて済むということになります。したがっ
て、発電電力量当たりの廃棄物の発生量が軽水炉よりは少なくなるという利点があり、環境の観点からも高速炉の実
用化が望ましいわけです。
もちろん、反対派の方は、プルトニウムを使うこと自体がけしからんことであって、「環境に優しい」などという
言葉を使うこともけしからんと言われるのですが、物理的には高速増殖炉を使うことによって、相対的に高レベル廃
棄物の量を減らすことができると主張しているところです。
FBRは核不拡散にも役立つ
第3の特徴として、何らかの理由でプルトニウムをたくさん持っている国が、国防上の環境変化で、このプルトニ
ウムの量を減らしたいというときに、高速増殖炉がありますと便利に使えます。炉心からブランケットを外して、プ
ルトニウムのたくさん入った濃い燃料を造って、高速炉で燃やしますと、プルトニウムがどんどん燃えてしまいま
す。増殖をしないで、専らプルトニウムを燃やす原子炉として、わりと便利に使えるということです。
ただこの使い方は、軽水炉でもできますので、このためにだけ高速増殖炉を開発しろという人はいないと思います
が。ご承知のように、核兵器解体後のプルトニウムをいかなる手段で処理するかという時に、例えば高速増殖炉で燃
やしたらということが、今、ロシアなどでは真剣に議論されているところです。
以上が高速増殖炉の特性論です。
予めの安全対策が重要
さて、安全性ですが、既に確立された安全の原則として、一般的に参照されますのは、国際原子力機関(IAEA)
の国際原子力安全諮問グループ(INSAG)と称していますが、ここのグループが公表しております原子炉の基本安全
原則、これに示される諸原則を守って設計し、運用するならば、およそ安全は確保できるというのが国際常識です。
こうした原則は、高速増殖炉の設計にも適用可能ですので、そういう意味でことさらに特殊なことではないというこ
とがいえます。
一般的に高速炉の問題点として指摘されます幾つかをご紹介しますと、まず一つは炉心でナトリウムが沸騰すると
いいますか、ナトリウムの中に気泡が発生すると反応度が高くなって出力が上昇する。チェルノブイリの原子炉で炉
心の気泡が増えると出力が上昇すると同じような意味で出力上昇する。そういう性質を持った設計がなされているこ
とが多い。これはけしからんではないか。あるいは、それをもってチェルノブイリ並みに危険だということの批判を
いただくことがあるわけですが、これについては、あらかじめ予期して、その対策を備えた炉心設計をしているとい
うことです。もちろん、そうしたことが起こらないような工夫もしており、チェルノブイリと並べて議論するのは、
いささかお門違いと考えているところです。
「もんじゅ」では換気空調系の設備に間違い
ナトリウム漏洩問題、これは「もんじゅ」でも起こったことですが、一次系、すなわち原子炉の回りに放射性物質
があり、ナトリウムが通るパイプなどがある場所では、基本的な対策として酸素を低く抑える、いわゆる窒素雰囲気
にしています。もし万が一ナトリウムが漏れても火災にならないように設計をするわけですが、従来では、二次系の
放射性物質がない場所、非放射性のナトリウムの場所については、ナトリウムが漏れた時には窒息消火、要するに換
気を遮断して、酸素が無くなった段階で火が消えてしまう。そういう設計でいいと考えてきました。恐らく消防庁な
どに聞きましても、多分これが一番合理的な消火方法と言っていただけると思います。
ただ、「もんじゅ」では、換気空調系の取り扱いを誤ったことがありますし、そうした場合にはかなり火災が長く
続くと思います。それから「もんじゅ」事故ではあまり問題にならなかったわけですが、その後の再現実験で極端な
状況設定をした時には、高温のナトリウムの酸化物が鉄と接するという状況では、鉄の腐食速度が速くなる現象があ
り得ることがわかりました。この辺、従来の「窒息させればいい」として温度自体についてはそう深く注意を払わ
なった面があります。今後は温度についてもきちんとした計算評価をし、鉄の腐食速度が速くならない範囲になるこ
とを確認する、あるいは、そのために必要な対策を取るという認識に立っているところです。
高速増殖炉は廃棄物が多い?
次に蒸気発生器ですが、これもよく裁判や反対派との集会では必ず出てくる問題です。イギリスの高速増殖原型炉
(PFR)で、蒸気発生器の伝熱管を同時に多数本破損したという問題が起こり、日本の「もんじゅ」の解析では、安
全設計上これを数本、3本とか、少数本の破損を前提にして設計しているので、実際に事故が起こったらもたないの
ではないかというご批判をいただいているところです。しかし、これはおよそ考えられる運転範囲ではこの「もん
じゅ」の解析で問題ないわけです。
ただ、異常に出力が低いときに、伝熱管の中を流している水の流速が大変遅い場合には、伝熱管は温度が上がって
壊れるわけですので、その可能性はなしとしないで、念のため低出力でもあまり流速を下げないような運転上の工夫
をし、適切な余裕を確保することが議論され、そういう方向で対策が講じられようとしているところです。
高速炉は、燃料サイクル等も含めて、普通の軽水炉よりは環境への放射性物質の放出量が多いというご指摘があり
ます。これはいかなる根拠でそう言われるのか、よくわからないのですが、一つには再処理工場での放射性物質の放
出について、どこの例を引用するかによります。イギリスのセラフィールドの古い軍事用の再処理施設の数値を使う
と、確かに再処理することによって放射性物質の環境放出量がきわめて大きくなってしまうのですが、最近のコマー
シャルベースの再処理工場をベースにすると、こうした指摘はそう正しくないと思っているところです。
以上が安全性にかかわる基本的なことと、さまざまなご指摘に対する現況説明ということです。
コストが一番の問題
3番目に経済性ですが、これは多分最大の問題で、現在のところ高速増殖炉はまだ軽水炉と競合できるところまで
は至っていないというのは明らかです。スーパーフェニックスでも軽水炉の2倍ぐらいの建設費ですから。しかし、
さまざまな経験を踏まえた大型の実用規模の高速増殖炉の最近の設計では、軽水炉と競合可能な設計ができたとの報
告が幾つかなされています。実現までには時間がかかることですが、おいおい実証されていくと思います。
燃料サイクルの関係のコストも高いとのご批判もたくさんあるのですが、基本的にはプルトニウムをたくさん使う
ということで、さまざまな取り扱い上の制約、管理上の要求に対して、結局のところコストが高くなるわけです。1
本の燃料ピンをつくるコストが軽水炉の燃料ピンのそれと比べて数倍になるということは明らかです。ただ、中に
入っているプルトニウムの量は多いわけですから、1本の燃料ピンから取り出し得るエネルギーもまた多くなるとい
うことです。コスト的にいうと、高速増殖炉の燃料サイクル・コストは、およそ3倍ぐらいのコストまでであれば軽
水炉のコストと同じような値段、kWh当たりに直すと、同じ程度の燃料費になるということで、一応現在は軽水炉の
燃料の3倍ぐらいの値段を目標に開発を進めています。
動力炉・核燃料開発事業団(動燃事業団)の「もんじゅ」でのさまざまな苦労、経験を踏まえて、この3倍という
目標を達成すべく技術の改良方向については目算が立っているという状況です。さらに、例えば窒化物という燃料を
使うと明らかに性能が向上し、窒化物自体、開発努力が必要ですが、もっと手軽にというか、経済性が向上できるこ
ともまた知られています。問題は、コストを3倍かけてつくったものから3倍のエネルギーを取り出し得る実証がで
きるかどうか、またそのような被覆材ができるかどうかが問題と思っているところです。
実用化は本当にできるのか
核不拡散問題については、必ず問題の提起がなされるところですが、既にわが国でも当然のように、IAEAとの合
意の基でいわゆる保障措置システムを設計しております。IAEAの保障措置自体が信用できないとご批判される方も
おられますが、それでは保障措置自体が機能しなくなるわけで、IAEAを信用しつつ、保障措置上問題無いようにす
ることができると思っています。
しからば、そうした問題なり現況を踏まえて、今後開発をして実用化にたどり着けるのかということです。1960年
代から開発を進めてきて、まだできないから問題があるのではないかとのご批判もあるのですが、一方では、さまざ
まな経験が蓄積されています。プラントの運転経験も280炉・年ぐらいに達しております。研究開発に必要な研究開
発施設も多数、各所にあるという状況ですから、研究開発の環境としてはいいところにきているのかなと思います。
ただ、現在運転中の原子炉の数、高速炉は、フランスのフェニックス、カザフスタンのBN-350、ロシアのBN600 とか、日本の「常陽」とかに限られています。フェニックスもあと数年ぐらいでとまる可能性もあるのですが、
いま耐震設計に関する安全審査を行っていまして、これがオーケーが出ればもう少し運転はできると思います。
電力会社がFBRに慣れてほしい
一番の問題は、使い手となる電力会社がこの高速増殖炉、ナトリウム冷却高速炉を喜んで使うかどうかということ
です。これについては、軽水炉を使っている方からすると、一番の問題はナトリウムが不透明と言うことです。軽水
炉の場合はとにかく蓋を開けて中を見るとみんな見えるわけです。それに対して、高速炉というのは蓋を開けても何
にも見えないし、第一、蓋も簡単に開けることができない。この辺が大変運転管理の面から難しいなというご意見を
いただいています。しかし、これもある意味では慣れでして、私としては、この辺は積極的に、例えば「もんじゅ」
の運転に参加し、軽水炉の知恵を持ち込んで経験を交流し、次の実証炉などにそうした経験を踏まえた改良を提案し
ていただき、開発上での問題を一つずつ解消していければと思っているところです。
米国でもエネルギー研究開発予算増加の提案
高速増殖炉の現在の開発状況ですが、世界的には概ね実証炉による開発段階への移行期まで到達したけれども、エ
ネルギー需要動向とか政治・経済情勢とかで、いわば停滞状況にあるという総括です。
各論では、米国の場合、EBR−Ⅱ、FFTFという実験炉の運転経験があって、いずれより高性能化していくわけで
すが、1989年に連邦議会からアメリカの将来の原子力開発の選択候補を検討して提案するようにと、ナショナル・サ
イエンス・アカデミーに要請があり、彼らが書いたレポートが1992年に公表されました。「アメリカにとって高速炉
が必要になるのは2050年以降でしょう。しかし、これに関しては不確実性があるから、リスク・ベネフィットや開発
資金の効率性などを考えると、アルゴンヌ国立研究所で開発中のIFR(燃料サイクル一体型高速炉)の開発を引き続
き進めることが妥当」という結論が議会に対する答案であったわけです。
しかし、政府の方では、エネルギー研究開発費をどんどん削っていくという状況にあって、彼らの言葉を使えば、
「エネルギー研究開発のポートフォリオにおける高速増殖炉の開発の優先順位は低い」ということで、開発の中止を
決定したという経緯があります。
それ以来、原子力予算もどんどん減ってきているわけですが、ごく最近、1997年9月に、科学技術に関する大統領
の諮問委員会が、環境問題を踏まえて、米国のエネルギー研究開発費の倍増提案をしたわけです。その中では、もち
ろん省エネルギー分野の予算が多いのですが、その次に多いのが意外というか、核融合の研究開発費を倍にしなさい
ということで、3番目に「核分裂炉」と書いてありまして、現在、40ミリオンドル程度のものを120ミリオンドル程
度まで増やしなさいという提案が入っています。中身は特に決まったものを開発せよということではなく、革新的な
アイデアに対して投資をせよという提言になっています。
この諮問委員会の提案をわざわざ紹介したのは、米国はいままでとにかく原子力関係の予算をどんどん削っていく
という方向だったのですが、ここへ来て、これはもちろん大統領に対する提案ですから、大統領が受け入れてくれる
かどうかはわかりませんが、これまではこのような提案すら出されていなかったことを考えると、少し風向きが変わ
り始める可能性があるかなということです。
ロシアでも何とか研究が継続
フランスの状況については、皆さんご承知のとおりですので、特にご紹介いたしません。
その他の国ということでは、ロシアがいま、BN−800というプラントを建設しようとしているのですが、なかなか
お金の調達がうまくいかないということで、計画が延び延びになっています。最近、お金の手当てがついたという話
もあり、あるいは80万kWクラスの高速炉の建設が始まるのかなというところです。
インド、中国は、ご承知のように、独自のペースで開発が行われています。
いくつかの国の話しを割愛しましたが、以上がこれが世界の開発の現状ということです。
懇談会委員のほとんどが原子力以外
ここまでが前置きで、原子力委員会の高速増殖炉懇談会の報告書が、いかなる経緯で、何が書かれているかについて
簡単にご紹介いたします。
1995年12月の「もんじゅ」のナトリウム漏洩事象以来、原子力政策に対する不信感の高まり、海外での高速炉な
どに関する政策変更などを受けて、福井、福島、新潟の3県知事がプルトニウム利用政策の見直しと国民合意の再形
成を要求しました。
これを受けて、原子力委員会が原子力政策円卓会議を開き、かつその勧告と申しましょうか、答申を受けて、1997
年1月、「もんじゅ」の取り扱いを含めた将来の高速増殖炉開発のあり方を幅広く議論するため、西澤潤一前東北大
学学長を座長に懇談会を設置しました。
大変お忙しい方々が委員となられ、懇談会の出席率はどうなってしまうのかと心配したのですが、大体7割ぐらい
の方がいつも出席されておりました。
この懇談会の委員の特徴は、ご覧になっておわかりのように、原子力の専門家がほとんどおらず、日本原子力研究
所(原研)の副理事長と私ぐらいです。それから批判的な立場の方が一人入った、そんな感じです。
高速増殖炉懇談会構成員
秋元 勇巳 :三菱マテリアル⑭取締役社長
植草 益 :東京大学経済学部教授
内山 洋司 :(財)電力中央研究所経済社会研究所上席研究員
大宅 映子 :ジャーナリスト
岡本 行夫 :外交評論家
木村尚三郎 :東京大学名誉教授
河野 光雄 : 内外情報研究会会長
小林 巌 :フリージャーナリスト
近藤 駿介 :東京大学工学部教授
住田 裕子 :弁護士
鷲見 禎彦 :関西電力⑭取締役副社長
竹内佐和子 :長銀総合研究所主任研究員
中野不二男 :東北大学名誉教授(前総長)
(座長)西沢 準一 :東北大学名誉教授(副総長)
松浦祥次郎 : 日本原子力研究所副理事長
吉岡 斉 :九州大学大学院比較社会文化研究科教授
ですから、ほとんどの方は高速炉なるものもほとんどご存じないという状況ですし、原子力の意義についてもあま
りご存じないということがわかり、まずはエネルギー問題と原子力ということの議論になりました。それから高速炉
の内外における技術開発の現状を関係者からご説明いただいて、議論が進みました。
途中に動燃事業団・東海再処理施設のアスファルト固化施設火災が起こり、懇談会でも大きな問題となったのです
が、とにかく西澤先生のある意味では非常に強力なリーダーシップで、ちょうど12カ月をもってまとめることができ
ました。
原子力技術を維持で合意
懇談会報告書の第1の結論は、まず原子力発電の位置づけについてで、「今後の世界のエネルギー需給動向を踏ま
えれば、わが国は原子力技術をエネルギー供給技術の一つとして維持していくべき」と合意しました。このようなこ
とから合意しなければならないのかと思われるかもしれませんが、とにかく様々なご意見や背景は持ちつつも、しか
しエネルギー問題についてはあまり日ごろお考えではない方が集まられたこともあり、ある意味では初めから「原子
力ありき」ということで議論するのではなく、ということで勉強した結果として、幸いにもこういうかたちで意見が
一致したということです。これについて私はある意味では収穫であったと思います。
懇談会ではいろいろな議論がありましたが、主要な論点を幾つかご紹介しますと、一つは今後の世界のエネルギー
需要動向についてです。当然のことながら、さまざまな統計を駆使して将来の需要を予測し、かつそれに環境制約な
どの要因を加えて考えますと、原子力の必要性、有効性はすぐに説明ができるわけです。これについては、電力中央
研究所の専門家がそういう主張をしていたわけです。
一方、こうした主張はやや押し売りぎみに思われ、われわれ人類が直面している制約条件は、単に欲しいままにエ
ネルギー需要を増やして、供給面の工夫だけを備えるべきものなのか、需要を抑えることについても知恵と工夫が必
要ではないかとの意見は、わりと評論家の方々がよく簡単に言われることですが、その辺のマッチングを取ることに
やや時間がかかりました。
いろいろ議論を重ね、通産省の今度の需給見通し一つ取っても、およそ不可能と思われるような省エネを前提にし
て、なおかつある程度の原子力導入が必要というシナリオになっていることも紹介していただき、結局のところは、
やはり原子力発電はある程度は必要なのかなというところに至ったのが第1点です。
経済学的には将来も有望な原子力に開発投資
第1の結論の2点目は、懇談会でも大変な議論になったものとして新エネルギーがあります。一般的にもそうです
が、原子力よりも新エネルギーの方がいいのではないかという主張がありました。しかし結局のところ、一つには新
エネルギーが実態面として供給量が大きくないということ、新エネルギーは気象に左右されるなど、固有の問題があ
ると判断すべきだということでした。
それから研究開発投資については、トータルとして、原子力に対する研究開発費が大き過ぎるという批判が多いわ
けです。しかし、将来、非化石エネルギーが主要供給力になると考えますと、その非化石エネルギー源の開発のため
に、現在年間数千億円レベルの投資を行うことは、コスト・ベネフィット論からしてそうおかしなものではない。投
資のリターンが10倍、20倍になって返ってくるということは容易に計算ができるところで、その程度の投資を大きい
というのはおかしいのではないかという議論が総論としてありました。
問題は、それを原子力に使うか、非原子力に使うかですが、これには将来の見通し、つまり原子力が将来もより有
益であり、原子力の供給力が大きくなるとすれば、この分野により多くの研究費を配分するのは妥当である。つまり
経済学的にいうと、将来の見通しの大きさに応じた研究開発投資をなすべきで、そういう観点からすると、原子力に
配分するのが大き過ぎるということではない。もちろん、これは随時見直しをし、新エネルギーのほうが有力である
ということが判明すれば、そちらにより多くの研究開発費を配分することはあってもいいことで、その見直しは当然
必要だけれども、現状では一概に不合理ということではない。このような議論をいたしました。
2050年の世界の原子力発電は12億kW
3点目に原子力利用の展望ということですが、しかしながら、原子力はなかなか世界的に伸びていないのではない
か。それをもってすると、問題がやはり内在しているのではないかという指摘です。しかし、現在の世界では、とに
かく天然ガスが安くて、ヨーロッパも鉄のカーテンの崩壊後、東西のパイプラインによる量的制限がなくなり、流通
がスムーズになりました。また、東欧の経済を振興する観点からも、東欧産の天然ガスを大いに使おうとする雰囲気
であり、アメリカもNAFTA(北米自由貿易協定)を踏まえて、南北の天然ガスの流通ということを非常に重視して
います。そのような状況から、現在特にアメリカでは、天然ガスが圧倒的に安くて、原子力はほとんど経済的に太刀
打ちできないという状況にあることは事実です。
しかし、したがって原子力の将来はないと考えるのはいかがなものか、天然ガスの寿命もあり、天然ガスだけでい
いというわけにもいかない。特にアジアではエネルギー資源が乏しいこともあって、石炭に傾斜する傾向にあるけれ
ども、それは望ましいことではなく、一定の原子力の供給力を確保していくことが必要として、特にアジア地域の原
子力化を進めていくことが重要という議論もありました。
それでは、一体、世界全体としてどの程度に原子力が見通しされているかということですが、これもさまざまな予
測があります。2050年の予測については、これ以上原子力は伸びないという人が、現在の規模よりすこし少ない3
億kW、わりと楽観的な方は現在の大体4倍ぐらいの15億kW程度と予測しています。真ん中を取ると、大体12
億kW、現在の3倍程度かなというところです、大体物を考えるときは真ん中程度のことを考えておけばいいという
ことです。
そのような議論を踏まえて、先程のような結論に至ったというの
が第1の結論です。
FBR開発はウラン資源の有効利用
第2の結論は、まさしく高速増殖炉研究開発の進め方です。懇談
会は議論の結果として、「わが国としては、将来の原子力エネル
ギー技術の有力な選択肢として、高速増殖炉の実用化の可能性を技
術的、社会的に追求するために、その研究開発を進める」。つま
り、確実に実用化できるという前提で進めるのではなくて、研究開
発をして、想定したものになり得るかどうかを探るというか、これ
もややあいまいな文章ですが、可能性を追求するために研究開発を
するということです。ある意味ではあたりまえで、研究開発という
のはまさにそういうものなのですが、従来のように、可能性
は100%と考えて、順次ステップを刻んで物をつくっていくという
発想の研究開発から、本来の意味の研究開発に戻ったといえばよろ
しいと思っていますが、そういう表現となりました。
そこに至るポイントの一つは、ウラン資源の有限性の問題です。
右は研究委員会委員長 津島雄二氏
資源の評価は大変ややこしいというか、いろいろな見方があるわけ
ですが、ウラン資源が450万トンという数字を信用すれば、現在の
使用量でも70∼80年分になります。しかし、今後2050年にかけてだんだん原子力の規模が大きくなっていくといた
しますと、単純な計算で、この450 万トンは大体2040年ごろに使い切ることになります。ですから、その限りでは、
日本が2030年から増殖炉の実用化といっているのは、そうおかしな話ではないわけです。
エネルギー安全保障から研究開発を進める
資源屋さんの常識からすると、確認資源というのはどんどん増えてくるものです。探査が行われれば増えます。推
定とか期待とかいうものを入れますと、これは大体1,500万トンになるという人もいます。つまり、北米に存在する
他の資源とウラン資源量の割合を南米に適用すれば、という荒っぽい計算をすると、450万トンはもっとはるかに大
きくなってくるということです。したがって、いま知られているウランだけで考えると、2040年となるわけですが、
期待資源を考えるとその先が延びて、2050年とか2070年とか、非常に不確かな世界ですが、そういうことも言えま
す。それが資源をめぐる議論のポイントというか、ややこしいところです。
しかし、そういうあやふやな領域があることを踏まえて、ではどうするかということですが、不確かさがあるとす
れば、また、わが国が今後もエネルギー多消費国であるとすれば、安全保障の観点から着実に技術を開発しておくこ
とが重要ではないかという議論が大勢を占めました。
ただ、そういう数字を見てみると、2030年という目標をしゃかりきに決めて、それのためにあたかも横振れは一切
なしという格好で計画を進めていくことはどうかというわけです。「もんじゅ」の問題が起こってみたり、電力会社
が実証炉の運転時期を2010年とか2005年とか言っていますが、いまの原子力委員会の長期計画では2000年代初頭と
書いてあり、およそ経済性の視点がないのに、物事を決めるのはおかしいわけです。その辺は適宜、柔軟に対応して
いくことも必要なのではないかという議論もなされたということです。それやこれやがウラン資源をめぐる論議でし
た。
「もんじゅ」のトラブルで開発を止めるのはおかしい
第2の結論の2点目として、技術的、経済的見通しです。これは先ほど既に申し上げたので、特に触れませんが、
懇談会では、各国がいまや開発から手を引こうとしているのに、なんで日本が進めようとするのかという、技術的、
経済的見通しが議論となりました。各国が開発から手を引いているのは、まさしくトータルの経済情勢においての結
果であるのであって、高速炉を取り巻く資源環境などが変わったわけではない。したがって、わが国としては、いわ
ば着実に技術をビルド・アップしていくことが必要ではないかということです。
特に、「もんじゅ」でたまたまトラブルを起こしたからといって、それで高速炉開発を止めたというのはいささか
無駄な話で、それこそこれまでの蓄積の結果として、進める価値があるかないかを、「もんじゅ」の運転を通じて判
断することが必要なのではないかと、西澤先生がそういうコンテクストで非常に強くおっしゃられたことがあり、試
してみることが非常に重要だということが議論の一つの柱でした。
3点目は安全性と核不拡散問題ですが、ここはあまり大きな議論はありませんでした。原子力平和利用、プルトニ
ウム平和利用反対の先鋒であります高木仁三郎さんも講師に呼んでお話を伺いましたが、プルトニウムの毒性だと
か、原子炉の安全上の特性について問題提起をされ、懇談会全体の議論、皆さんのご意見を覆すような強い論理展開
には至らなかったという感じがいたします。
研究内容は世界に通用する技術
報告書で特に留意事項としていることの第1は、安全の確保が大前提だということです。2番目が地元住民および
国民の理解促進と合意形成が重要、3番目がコスト意識の醸成と計画の柔軟性・社会性、4番目が核不拡散努力で
す。
第1の留意事項である経済性の向上が圧倒的に重要な課題だということで、その観点から一生懸命やってくれとい
うことです。2番は、地元住民の一層の理解を得るための努力を進めなさいということです。
3番目のコスト意識の醸成と計画の柔軟性・社会性につきましては、わが国の財政事情はきわめて逼迫した状況に
あるから、研究開発全体の経済性ということについてしっかり見直しをやってくれというものです。また、研究課題
の世界性ですが、これは吉川委員会(原子力政策円卓会議)のレポートもそういうニュアンスがあるのですが、要す
るに日本の自主技術云々という、日本だけで閉じた論理で研究開発をするのではなくて、研究する以上は、「人類
の」といっているわけですから、世界に通用する技術であること。研究内容も、世界で初めてだから進めるのだと、
そういう世界性について十分配慮しつつ課題選定をすることが重要ではないかとしています。また、革新的なアイデ
ア、例えばナトリウム冷却以外の方法などがあれば、そうした斬新なアイデアについても十分に評価したらどうか、
さらに人材の確保の問題です。
以上のようなことを常に見直しをして、もし重大な問題が発見された場合には抜本的な再検討を行うこと。した
がって、そのためにも定期的に外部評価を受けて軌道修正を行うこともあるべきだとしています。これはわりと重要
で、動燃事業団の特殊法人のあり方、あるいは今後の原子力長計と議論のあり方について議論されたということで
す。
4番目の核不拡散問題は、これはあたりまえのことですので、紹介は省きます。
「もんじゅ」の経験を生かした研究開発を
一体それでは「もんじゅ」をどうするのかということですが、これはなかなか時節柄、安全問題とかさまざまな問
題と同時進行して検討されていることから、直接的に「運転を再開する」という表現を使わないで、結論としては、
「『もんじゅ』での研究開発が実施されることを望む」という言い回しになっております。
ここまで、ある使命と目的をもって物をつくってきて、トラブルが起きたからといって、すぐ止めたというのはい
ささか情けない話であるということです。これは1997年年頭の橋本総理のスピーチの中にもあったわけですが、失敗
の原因を反省し、合理的な解決策を探求してこれを乗り越えていく、そういう努力が肝心という言葉を使わせていた
だいて、報告書をまとめています。
もちろん、原子力委員会としては、安全の総点検とか地元、地域社会の理解を得ることが必要だということです。
高速炉の実証炉以降につきましては、あまり議論されませんでしたが、つけ足しで書かれていて、書き過ぎかと
思っていますが、「実証炉具体化のための計画は、『もんじゅ』の運転経験を反映することが必要であり」と書いて
あります。これは「もんじゅ」をやめたら実証炉もやめてしまうという感じで、あまりよくないという議論もあり、
一応常識論として、そう書かれたということです。
報告書の最後の部分ですが、いわば懇談会の意見の総括を念を押して書いてありまして、「将来の非化石エネル
ギー源の有力な一つの選択肢として、高速増殖炉の実用化の可能性を追求するために研究開発を進めることが妥当」
としています。「もんじゅ」は、この研究開発の一つの場として位置づけるということで、頑張りましょうと書いて
いるわけです。その際に、「原子力関係者以外の人々を含め、広く国民の意見を反映した定期的な評価と見直し・
・」とあり、ここはわざわざ「原子力関係者以外の人々」と書かれたのは、批判的な方のご意見を尊重してこういう
言葉が入ったということです。
意見募集は1カ月では短かかったが
この報告書をまとめるにあたって、報告書案をつくり、10月の末に公表して広く意見を求めたわけです。1カ月間
に659名の方から1,000件強の意見をいただきました。この種の意見募集としては、わりと意見が多かった方とのこと
です。ご意見を聞く会も開かれ、28名の方が意見発表を申し込まれまして、そのうち22人の方が発表されました。
ただ、ご意見の中には、懇談会の公開の方法や意見募集期間が1カ月では短いとのご意見がたくさんありました。
私はつぶさに意見を全部読ませていただきましたが、これ以上長くしても、似たような意見が出るだけかなという感
じがいたしました。しかし、国民の皆様の意見を聞くというのが前提ですから、意見を申し述べたい方が申し述べる
だけの時間的余裕について見直してみる価値があるのかなと、原子力委員会に申し上げているところです。
いただいた意見の数を問題にするわけではなくて、一つでも大事なご指摘があればそれを尊重するというのが建前
ですので、大まかに意見を集約してしまう姿勢はよくないのですが、ただ、はがきにアンケート用紙のような形式を
印刷して、それでもってどっと投票してきたという部分もあり、そのようなはがきが大体140枚ぐらいありました。
本来そのような内容は受け付けるべきではないという議論もあるのですが、そういう意味では数もそれなりに意味が
あるかなと思って整理させていただきました。
FBRやめろの意見が多い
そのようなはがきも含めて集計しますと、当然のことながら、「もんじゅ」については多面的な理由から廃炉とい
うのが85件ありました。これはほとんどがはがきでの意見で、それが一番多い意見でした。似たような意見ですが、
脱原子力の嚆矢として「もんじゅ」を廃炉として、FBR開発をやめろというのも、圧倒的に多いものでした。
しかし、不思議というか、報告書のトーンに対する意見としては整合性があるので、諸外国がやめても日本がやめ
る必要はなくて、資源論的に見て技術確立は必要である。頑張れというご意見、応援団のような投書もかなり多くあ
りました。また、新増設をやめて新エネルギー利用をという意見もわりと多くありました。
「応援団」意見で、非常に強く主張されていたのは、実証炉とか実用炉の実現するべき時期の目標は書くべきで、
目標が明定されていないと開発などはできないというご意見でした。
さらに、「もんじゅ」再開に賛成とする意見もありました。
それから、報告書の内容を技術的にもっと詳しく書きなさい、あるいは、研究開発の進め方そのものについての議
論がないではないかというご意見などがありました。ただ、このメンバーで技術開発のあり方とか中身などを議論す
ることはほとんど無理ですので、報告書への反映は除きました。その他のご意見は、ほとんど懇談会の席で議論した
内容で、その結果としてこの報告書になりましたので、その旨ご説明を申し上げて対応していくことを決めて、報告
書としては字句修正だけで、説明いたしましたような発表となったわけです。
以上が報告書の作成の経緯と内容のサマリーです。
外部の評価を加えながら実用化の研究開発を
問題は、今後どうするかということですが、これまでの考え方で、今後は「常陽」と「もんじゅ」と、それから燃
料サイクル施設の建設・運転で、技術の信頼性・経済性を向上させていくということであったわけです。さらに、高
速炉用燃料の再処理技術を開発していくと同時に、一方では実用炉の設計研究を踏まえて、高速増殖炉の固有技術の
開発課題を明定し、その解決に引き続き研究開発を進めていくということでした。一方、実証炉の設計研究とその開
発計画については、電気事業者が策定していく計画でした。
このような計画で進めていくことだったと思いますが、この進め方がこれでどう変わるのか、これは実はまだ全然
議論されていないわけです。次の点は全く私の個人的な意見と言うより、感想、問題提起ぐらいでしかないのです
が。第1に、基本的には懇談会の報告書では、高速増殖炉の実用化の可能性を追求するための研究開発を引き続き進
めよ、としているわけですから、これに従えば、やはり実用化の可能性を探るため、「実用化の技術的条件を列挙
し、これを満たすための諸課題を整理して、内外の実績を踏まえて、欠けるところを埋めるべく研究開発を立案し、
その官民役割分担を検討し」、それで進めていくという非常に形式論議ですが、そういうことだと思います。
ただ、今おかれている状況の中で、研究開発をどう進めるかが問題です。普通のセンスで産業界の研究開発といえ
ば、とにかく売れる製品の設計図をつくるということになるはずですが、非常に大きなものであるわけです。しか
し、わが国では例えば改良型軽水炉(ABWR、APWR)という新しい原子炉を開発した経験もあり、さほど心配しな
いで、ある程度皆さんにお任せしておけばいいのかなとも考えられます。
基本的には透明性の高い計画を立て、その成果については適宜外部評価を加えて、さまざまな環境変化をフィード
バックさせていくという、伝統的というか、そのようなアプローチ以外に、そう新しいアイデアを思いつくわけでも
ないので、より確実に推進することだと思います。
それから、原子力界だけに閉じこもらないで、より広く意見を求める覚悟、仕掛けを用意しておくことが非常に重
要であるし、また息の長い研究開発と人の供給を確保するため、仕組みをよほどよく考えて進める必要があると思わ
れます。
「もんじゅ」を国際研究開発の場に
国際共同問題では、いまほど共同の利益が大きい時期はありません。フランスも恐らくロシアと共に一生懸命進め
るということになるでしょうし、もしフランスでフェニックスが止まったとすれば、フランスには高速炉がなくなっ
てしまいますから、ますますロシアとの接触が進むと思われるわけです。そういう意味では、ロシアのBN-800の建
設などに日本が援助してもいいと、そんな感じもするぐらいに、ロシアが今後のFBR開発のかぎ、一つのキーステー
ションになるという感じがいたします。この辺については、わが国もどのように考えていくのかということが重要に
なります。
問題は、ここまでいろいろ議論をして、皆様にご援助いただいて、「常陽」「もんじゅ」が何とかなっていくのか
なというところで、これをいかに有効に使うかということについて知恵をお出しいただくことが重要だと思います。
実際は、「もんじゅ」をいわゆる国際社会で試験炉、実験型炉という形で使えるようにするためには、仮に運転し
ているときに燃料が壊れるかもしれないという条件で、試験燃料を使えるようにすることです。日本の原子力発電所
の論理は、海外で実績のある燃料でなければ装荷してはいけないというひどい仕組みとなっており、高速炉でもその
ようになっている部分があります。それでは開発などできないわけです。「常陽」などの経験、データからして、設
計上間違いないと思うけれども、もし壊れるような兆候があったらすぐ止めますという約束で、そういう試験燃料を
使うことができないと、とても国際社会の皆さんに「お使いください」とはいえないわけです。
しかし、「もんじゅ」のある福井県では、とにかくこれ以上実験場にされるのはかなわないという雰囲気に満ちて
います。そのような中で本来の実験炉として「もんじゅ」を使っていくということがいつ可能になるか。この辺がい
わゆる地域との「共生」という意味で、動燃事業団に替わる新法人も地域社会との関係を非常に重視していかなくて
はならないわけで、ご苦労があるかと思いますが、ひと汗、ふた汗、おかきいただくことになるという感じがしま
す。
[No.20目次へ]
Mar. 18 1998 Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
Nourriture -3
ワインは友達(その1)
津島 雄二
ワインの味見
近頃は、どこの国でも、皆さんが幾らか格式あるレストランに入ってワインを注文すると、必ずといってよい程、
ややもったいぶった儀式に出くわすでしょう。ボトルの栓が抜かれてから、ホストと覚しき人の前に置かれたグラス
に、時に荘重に、時に軽やかに、少量のワインが注がれ、試し飲みするよう促される。ホスト役は、グラスを傾け
て、ワインを一口嗜んでみせて、尤もらしく頷く。その所作がゴーサインになって、後は次々に他のお客さんのグラ
スにワインが注がれていくという段取りは、ご承知のことでしょう。
ところで、ホスト(又は試飲の役目を委ねられた人)が、格式あるレストランで、安物ではない銘柄もののワイン
を、一口だけ味見して、「これは駄目です」と拒むことができるものでしょうか。ワインの国、例えばフランスで
も、そのような場面に出くわすことは非常に稀でしょう。
しかし私のフランス滞在4年の間に、たった一度だけ、珍しい経験をさせてもらいました。しかも、「駄目」と
言ってのけたのが、日本からのお客さんでした。日本のワイン生産者としては屈指の経営者であった今井友之助氏
(故人)その人でありました。
ワイン色の絨たんの上に暖かいランプの灯ったテーブルが、我々を待っていてくれました。食事の注文の後、給司
頭と今井さんのやりとりを私が仲介して、ブルゴーニュの赤ワインを頂くことになりました。係のボーイが恭しくボ
トルを持ってくる、ラベル(フランス語ではエチケットといいます)を見せる、注意深く栓を抜く、ワインをゆっく
りと今井さんのグラスに注ぐ、ここまでは流石にワインを売りものとするレストランのこと、粗相がある筈はありま
せん。薄暗いランプの暈のなかで、紫がかった赤褐色の液体が、グラスのなかで永い眠りから覚めようとしているか
のように、今井さんの唇を待っていました。
グラスを唇に近付けて、僅かな量の液体を注意深く注ぎ込んだ今井さんの口から、意外な一言が発せられたので
す。「これは駄目です」というではありませんか。通訳する私は、本当のところどうなるものか気が気でないので
す。ボーイは店の奥の方に相談に行き、ややあって、店のオーナー本人が出て来ました。そして軽く会釈してから、
拒まれたボトルのワインを別のグラスに注ぎ、一口味見をしました。そして静かにこう言ったのです。「大変失礼を
致しました。このワインはお客さまに差し上げられません」。そうして彼は言葉をついで、「私からお二人にお奨め
できる別の銘柄があります。それを持って来ますので是非お試し下さい」と言うではありませんか。その声、その所
作からみて、店の主人は、本当に今井さんの拒んだワインは良くない(おそらくいたんでいる)と感じたように思わ
れましたし、それを指摘した今井さんに敬意を表したようにさえ感じられたのです。
私も、拒まれたボトルのワインを少々グラスに注いでもらって味わってみましたが、何ということでしょうか、ど
こが悪いのか結局分かりませんでした。このことがあって以来、私はワインの味覚についてすっかり自信を失ってし
まいました。
ワイン、この不思議な天の恵み
世界で恐らく一番広く栽培される果樹、葡萄は、毎年たわわな房を恵んでくれます。この果実を砕き果汁と皮など
を混ぜて熟成させれば、自然に醗酵してアルコールを創り出してくれる。これをこしたものが、古来、人類にかくも
珍重されてきたワインであります。それは、最も純粋な形でみれば、土と太陽に培われた葡萄の果実、すなわち天地
自然の恩恵以外には水すらも加えられることはない。混じりものを排するという点で、清酒のように、米、麹に良質
の水を加えることが不可欠の要件であるのとは対称的なのです。
従ってワインの質は本来、葡萄の種類(Cepage)、その栽培地(Climat)そして製造年の天候(Millesimes)がこ
れを決めるとされます。
ギリシャ、ローマ時代から欧州大陸各地において、その土地に合った葡萄の品種が定植されてきました。しかし、
一つの地域でも植裁される葡萄は決して単一ではありません。同じ村のなかでも、条件(土地の地質、傾斜の具合、
南北などの日当たり)によって適合する品種が違いえます。また、霜の被害の有無を考慮して、複数の品種を植える
知恵も生まれました。これに加えて、異なった品種の特性を考慮し、また年々の出来具合を勘案しながらブレンドす
る技術も開発されました。
ヨーロッパの葡萄栽培にとって、最大のドラマになったのは、
言うまでもなく1860年頃にアメリカから進入したフイロクセラ
(Phylloxera あぶら虫の類の害虫)による大災害です。これに
よってあっという間にフランスを始めとする欧州の葡萄は壊滅的
な被害を受けました。その結果、いま欧州の葡萄は殆どこの害虫
に耐性のあるアメリカの野生種を主体とする台木のうえに、ヨー
ロッパの在来品種を接木した形で生き残っています。そしてこの
過程で、台木の開発と接木の技術の進歩をもたらし、これが各産
地の品種の一層の多用化につながったとされています。
このような背景と気候の変化を考えますと、ある地域の葡萄か
ら生まれたワインであるというだけでは、品質の保証にはなりえ
ません。また、例えばブルゴーニュ地方の仲買人のラベルが張っ
てあるだけでは、そのワインが良質なブルゴーニュ産である証拠
にはなりません(他処から買って来たものが混入されているかも
しれない)。当然のことながら、ワインの銘柄としての信認を守
るために一定の規制が必要になります。いまでは欧州各国で同様
な規制が行われ、それぞれのワインの商品価値を維持する努力が
なされておりますが、私の知る限りのフランス・ワインの銘柄と
その規制について述べてみましょう。
銘柄保証(Appelation Controlee)
中世期、フランスでは、ロワール地方、アルザス地方、ローヌ
婦人と筆者
地方などのワインが、ブルゴーニュ地方のそれに優るとも劣らな
いとされていたようです。ボルドー地方については、英国王支配の歴史上の影響もあって、フランス・ワインの仲間
入りをしたのは18世紀以降だといわれます。これらの地方が、それぞれ逸品を作り出し名声を博していくなかで、そ
の評価を守り育てる必要が強くなるのは当然です。しかし、銘柄の信頼性を守るための公的制度が確立されたのは、
意外に新しいことで、1905年頃から49年頃までに導入され改善され、今日の分厚い法令規則になりました。
銘柄保証(又は原産証明 Appellation d'origin controlee)は、省令などによって、耕作方法、品種、反当たり収量、
アルコール度数、醸造方法などについて、事細かに規制がなされております。こうした厳しい要件を満たして、信頼
される銘柄表示が許されているフランス・ワインは、251銘柄で、その総生産量は、年平均70万キロリットル程度に
達しているそうです。
このほかに、歴史的に評価が定着した製造者(Chateau とか、領地Domaineとかいわれる)が自らの責任におい
て、銘柄証明を付することができますが、この場合は、既に世界的に高い名声をかちえている銘柄が中心で、公的規
制で守る必要はないのです。生産者側は、それこそ事業の存亡をかけて製品の信用を維持している筈です。
そこで先ずワイン愛好者の常識として、フランス・ワインを入手するときには、ボトルに付されたエチケット(ラ
ベル)の上に、銘柄保証(Appellation Controlee)の表示があるかどうかを先ず確かめて頂きたい。最近では、その
ような基本的な知識がかなり行き渡ってきたお蔭で、日本で売られるフランス・ワインは殆どのものが銘柄保証が付
されておりますが、少し前には、銘柄保証の表示もないボトルが、ただボルドーなりブルゴーニュ所在の仲買人
(Negociant)の出荷した品であるというだけの疑わしげな表示だけで、かなりの値段で堂々と売られていたことは
事実です。
尤も、私は銘柄保証のないワインが無価値であると言っているわけではありません。銘柄保証が付されないのに
は、それ相応の理由があるわけでしょうが、そのようなワインがいわゆる地酒のようなものとして、フランス各地で
消費され、値段が安いこともあって、テーブル・ワインとして評価されることもあるようです。ただ、他国、わけて
も地球の反対側にまで売り込むにふさわしいワインとはいえないでしょう。また、銘柄保証を出せない地域のうちに
は、別に「良質ワイン表示」(V.D.Q.S.)を付して消費者にアピールしており、その表示には農林省の規則による管
理が施されることもあって重味を増しているとのことですが、まだ世界的な評価を受けるには至っていないのが実情
です。
何れにしても、1本のボトルに入ったワインの内容は、ボトルに付されたエチケット(ラベル)類で確かめるより
他はありません。従って、エチケットの表示方法については、欧州共同体の規則と仏政府の原産証明庁の指令によっ
て、かなり厳正に管理されております。少なくとも、銘柄、原産地、容量、製造業者の氏名、住所などは必ず明記し
なければならず、このほか葡萄の種類、収穫年のほか、特級、1級などを付記することも任意に行ってよいことに
なっております。ですから、エチケットこそワインのすべてを静かに物語る履歴書といってよいでしょう。これを読
みこなすことが、ワイン愛好家の必須の条件かもしれません。
それでは、名品のエチケットにはそれなりの能書が書かれているかといえば、必ずしもそうではないのが難しいと
ころです。いや、超高級ワインほど、エチケットは素っ気なく書かれているのです。ブルゴーニュの赤ワインの最高
銘柄は、ロマネ・コンティでありましょうが、そのボトルのエチケットには、19XX年ロマネ・コンティ・3千××
本のうちの○○本目と書かれ、会社の代表者の署名が表記されているだけです。勿論銘柄保証の表示は付されており
ますが、ブルゴーニュ地方の名前さえ表示されておりません。それもその筈でしょう。この赤ワインの横綱は、たっ
たの1万8千平米というコンコルド広場よりも遥かに狭い畑で採れる葡萄だけを原料とし、年に3千本余りしか生産
されないのですから、何も余計な宣伝をする必要はないのです。おまけに、これだけ高価なワインを作る耕地を18世
紀以来1センチも広げることがなかったとされます。
白ワインでも、ソーテルヌの華、シャトーデイケムの場合、そのエチケットには銘柄保証と収穫年の記載があるだ
けで、ボルドーという表示は全くありません。全くぶっきらぼうの感があり、知る人ぞ知るべしと天を仰いでいるよ
うです。
ワインに上下なし
このように書いてくると、ワインは銘柄によって上下があるように錯覚されると困るのです。ワインは、銘柄・生
産量と需要によってかなり値段に差がつくことがあります。しかし、その差は、あなたが今晩食事の友として嗜むワ
インの値打ちを決めるものではないのです。われわれの友達としてのワインは、市場価格とは関係なく、その身近
さ、親密度、過去のお付合い、そして一緒に楽しむ食事によって選択されるべきものなのです。
かつて私がフランス在勤中に、最大の国事として注目を集めたのは、エリザベス女王のフランス訪問でした。女王
を迎えたのが、ドゴール大統領でありました。エリゼ宮殿で催された晩餐会は、一連の行事のクライマックスであ
り、フランスの国威をかけたといっては大げさかもしれませんが、最高のメニューが供されたことは間違いないで
しょう。
翌朝の新聞に報じられたメニューとワイン銘柄を読んで、はっとしたのを覚えております。そこには赤のロマネ・
コンティや白のモンラッシェのような超高額銘柄は含まれていなかったと記憶します。先ず最初に生がきに合わせて
供された白ワインは、ロワール地方のミュスカデ、それから後は料理に合わせて3種類のワインが供されていまし
た。詳しい銘柄は記録を調べなければ分かりませんが、高価な銘柄を選ぶというよりは、フランス各地域にはこれだ
け多様の名ワインがあると言わんばかりに、撰び抜かれた良い年のものを披露する、ドゴール大統領の心意気を感じ
させてくれました。
フランスばかりでなく、ドイツにも、イタリーにも、カリフォルニアにも、そして日本にも、われわれにとって実
に好ましい友達になれるワインが、じっとボトルのなかで熟成しながら、食卓で会える日を待っていてくれるので
す。ワインについて、初めから先入観(どの銘柄、どの地域、どの年が絶対だという思い入れ)を持つことは控えま
しょう。値段は商売の方で決めることですから、余りそのことに惑わされないようにしましょう。
(衆議院議員)
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Mar. 18 1998 Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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万葉からUFOまで
志賀原子力発電所
日本海の真ん中に鳥のくちばしのように突き出した能登半島。その半島南部の羽咋(はくい)郡は、口能登とも呼
ばれる能登半島の入り口部の地域です。
古代718年に羽咋、能登、鳳至(ふげし)、珠洲の4群が能登の国として統一され、741年に越中、能登が一国と
なって大伴家持が国司として赴任した時に詠み、万葉集に収められた歌が、羽咋市西の千里(ちり)浜なぎさドライ
ブウェーの一角に歌碑として立っています。
「志雄道(しをじ)から直越え来れば羽咋の海 朝凪ぎしたり船梶もがも」
古代、越中富山県境の臼が峰を越え、能登の海へ出るには相当の難儀があったに違いありません。冬には荒々しい
海のうねりが、そそり立つ岩場にぶつかり、そのしぶく波が、たちまち凍り、波の花ができるほどの厳しい自然の北
陸日本海です。海が凪いだ一瞬にでも、小舟でもあればと思う心は今も変わりはありません。羽咋の名称について
は、市内の気多大社の祭神である、加賀能登を鎮守する磐衝別命(いわつきわけのみこと)が、この地の人々を苦し
めていた怪鳥を退治した時に、その羽を猟犬に喰い破らせたところから出たという伝説もありますが、由来が定かで
はありません。気多大社には、口訳万葉集を編纂した折口信夫の碑が、大社出身の門弟養子折口春洋の碑とともに立
てられており、羽咋は万葉に縁の深い地です。
羽咋はUFOが来る町としても有名で、UFOの来るところに案内して下さいと遠くから訪ねて来る方もいるそうで
す。
石川県すなわち加賀、能登は江戸時代には徳川幕府を除いて、唯一石高が百万石を超える大名前田藩の領地として
発展してきました。「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」と詩人室生犀星はこの地をこよ
なく愛し、城下町金沢を潤す犀川を「うつくしき川は流れたり」と歌っています。霊峰白山山系を水源とする、この
犀川から、前田藩の庭園である兼六園とその城下に1人の卓越した土木技師によって、金沢南東の倉谷村、上辰巳東
岩から日量約1,400トンの水が1632年に引かれました。この工事は、困難なものでしたが、金沢城内へ約10mをポン
プアップするため、当時としては画期的なサイフォン工法を使い、また継ぎ目材として松ヤニ、硫黄などを駆使し
て、トンネル3kmを含めた約12kmの水路が確保されました。
産声をあげた藩都金沢の水源確保と城下町の産業の発展にこの水
路は威力を発揮しました。小松生まれの水の匠板屋兵四郎は、水利
機密の保持のためその命を縮められたのではないかと言われていま
す。しかし、辰巳用水完遂の功労者、金沢発展の功労者としてその
御霊は、今も河北郡袋村の板屋神社に祭られています。
一方で加賀能登は、京のある畿内と北陸を分ける日本の要所であ
り、古来より権力を分ける戦の場ともなってきました。1183年加
越国境の倶利伽羅峠に2万の平家軍を殲滅した、源氏木曾義仲の牛
を戦車替わりに使った田単火牛の戦い、1488年金沢南郊の高尾城
に24代500年続いた藤原氏最後の加賀守護富樫政親を一向一揆で攻
め滅ぼし、日本で最初にして最後の宗教共和国「百姓ノ持チタル
国」を作った蓮如20万筵旗の戦い、1577年武田信玄無き後天下取
りに動き、能登足利の名門畠山氏を破り、「霜は軍営に満ちて秋気 大型バスも走れる千里浜なぎさドライブウェー
清しと」能登七尾城の名月を吟じた上杉謙信の戦いなど、激しい戦
乱がこの地で繰り返されてきました。
しかし1581年、織田信長軍が金沢市の香林坊付近にあった尾山御坊の一向門徒を破り、長い北陸戦国に決着をつけ
ました。そして1583年最後に金沢入城を果たしたのが加賀藩の藩祖前田利家でした。以降、加賀能登は現在に至るま
で大きな戦禍を受けることなく、400年にわたる町作りが行われ、輪島塗、九谷焼、加賀友禅などの数々の伝統文化
と産業が発展してきました。このような歴史、風土の中、最新の工業技術である原子力発電所が金沢市の北約50km
の羽咋郡志賀町志加浦に建設されました。
日本海にマッチするグッドデザイン発電所
北陸電力⑭は、加越三国すなわち現在の富山、石川、福井の3県を供給エリアとして、年間約240億kW時の電力を
提供しています。志賀原子力発電所は、年間約37億kW時、すなわち約15%の電力を供給しています。北陸電力で
は、原子力を中心とする電源構成のベストミックスを目指して、志賀発電所の増設計画や、能登半島先端部の珠洲市
での新規立地計画があり、原子力発電の比率は今後増えていく予定です。
志賀原子力発電所は、1988年12月に電気出
力54万kWの沸騰水型軽水炉1号機の工事が開始
され、5年後の1993年7月に営業運転に入りまし
た。また、電気出力135.8万kWの改良型沸騰水型
軽水炉2号機の準備工事が、来年夏頃に開始され
る予定で、2006年3月の運転開始を目指していま
す。志賀原子力発電所は、自然に恵まれた北陸能
登との環境の調和を配慮して建設された発電所で
す。その成果は原子力発電所としては初めての、
グッドデザイン(Gマーク)施設選定賞を、1995
年に通産省から受賞したことに現れています。日
本海にマッチするアイボリーと淡いブルーを基調
とした施設の色調デザイン、なだらかな丘陵地帯
にあわせ、標高11mと21mに建物を配置した2段
整地造成、造成後地への24万本の松木植樹、なぎ
さ線や岩のり藻場、海岸松林保護のための出島方
式港湾施設、潮流確保のための一文字防波堤やカ
ルバート(めがめ橋)式のアクセス道路など環
境、自然保護のために大小さまざまな工夫が凝ら
されています。志賀原子力発電所は見た目に美し
いだけではなく、中身も環境にやさしい発電所と
言えるでしょう。
正面玄関に設置されている「平成7年度
通商産業省選定グッドデザイン
施設」受賞プレート
志賀発電所のもう一つの名所は、広報施設のアリス志賀館です。この展示館は、名前の示すとおり、親子でエネル
ギーや原子力発電のことを楽しく学べる施設になっており、昨年、資源エネルギー庁の第6回エネルギー広報施設表
彰を受賞しています。不思議の国のアリスと伯爵ウサギが発電所についてやさしく解説してくれる巨大な卵スクリー
ン。青虫博士が放射線のことを丁寧に解説してくれる森の花園教室。アリスと子ウサギ達が原子力の制御を音楽にの
せて説明してくれるオルガン演奏会など、どれも子供達がおもしろく学べる、参加体験型の展示施設になっていま
す。
歴史の町そして科学の町へ
発電所が立地する志賀町では、昭和45年に周辺町村合併後、昭和50年代からリゾート、スポーツ施設開発、発電所
の建設をきっかけとした工業団地誘致など、明るく豊かな田園商工都市、健康と文化の町づくりをスローガンに地域
の開発が進められてきました。周辺には日本海の荒波が削りだした断崖絶壁、砂浜海岸、温泉や神社仏閣、古墳群な
どの観光資源も多く、人口約17,000人のこの町の若年層定着率は40%と高い比率になっています。
千里浜や付近の海岸一帯は北西風の強い時には、三十六歌仙貝
と呼ばれる愛くるしい小貝さくら貝とともに、異国の文字の入っ
た空き缶なども流れ着き、大陸との近さを感じさせます。発電所
から北へ3kmの福浦は、古代福良津(ふくらのつ)と呼ばれ、9
世紀初めには中国渤海国使節の迎賓館能登客院が建設されたと言
われています。UFO騒ぎをきっかけに、宇宙をテーマにした科学
館コスモアイル羽咋が駅前に作られました。北陸電力アリス志賀
館は、町の教育委員会と提携した、書道展や絵画展を開催して、
町の人達の身近な施設としても使われています。館外の遊技広場
には、275kW風力発電や20kWソーラーシステム発電設備があり、
一目で見てその仕組みがわかります。21世紀をささえる能登の子
供達が、エネルギーや宇宙の科学に親しみ、郷土の歴史やアジア
との交流にも思いを広げて、賢明な将来の選択をしてくれること
に期待しています。
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Mar. 18 1998 Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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教育委員会と、アリス館の女性スタッフ
が協力して行うイベントは
地域の人々にも好評
わが国の原子力界の主な動き
−1997年を振り返って−
1月
・通産省・総合エネルギー調査会原子力部会が、国民の視点に立った原子力政策を行っていくための課題と対応、核
燃料サイクルをめぐる課題と対応を中心とした中間報告書をとりまとめた
2月
・原子力委員会「高速増殖炉(FBR)懇談会」が初会合、約1年間にわたり「もんじゅ」や今後のFBR開発のあり方
など、わが国の原子力政策の根幹に係わる問題について議論
・ 電気事業連合会は日本原子力発電⑭、電源開発⑭を含む電力11社が「プルサーマル計画」を1999年から実施する
とした全体計画を発表
3月
・動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の東海事業所アスファルト固化施設で火災・爆発事故発生
4月
・動燃の新型転換炉(ATR)原型炉「ふげん」が放射能漏れ連絡の遅れで、総理大臣命令により停止
・科学技術庁が日本原燃⑭六ヶ所再処理工場の主要工程に認可
5月
・ITER計画懇談会が、国際熱核融合実験炉(ITER)の建設立地を巡る交渉の難航で計画がさらに3年間延長するこ
とを明らかにした
6月
・原子力委員会の動燃改革委員会が動燃を改組し、新法人を設立する方針を決定
・ 科学技術庁と通産省、住民へのプルサーマルや核燃料サイクルに対する理解を深めることをねらいとした初の説
明会「プルサーマルを考える」フォーラムを新潟県柏崎市で開催
7月
・東京電力⑭柏崎刈羽7号機(ABWR、135万6,000kw)が営業運転入りしたことにより世界最大規模の原子力発電
所となる
・ 原子力委員会の高レベル放射性廃棄物処分懇談会が、「民間を主体とした事業主体を設立、処分地選定は公募方
式などにより進める」など具体的方策を示した報告書案を策定
9月
・原子力委員会主催の「高レベル放射性廃棄物処分への今後の取組に関する地域での意見交換会」の第1回会合が大
阪でスタート。同委員会の高レベル放射性廃棄物処分懇談会が7月に取りまとめた報告書案に関しての市民との意見
交換の場とすることが目的
10月
・日本原子力学会などの主催による「将来の原子力システムに関する国際会議」(GLOBAL97)を横浜市で開催、29
カ国・3国際機関が参加。12月に京都で行われる気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)に向け、「温暖化
防止には原子力発電利用の拡大が不可欠」との声明が採択された
12月
・原子力委員会の「FBR懇談会」は、FBRが将来の非化石エネルギー源の一つの有力な選択肢であるとの判断を示
し、今後もFBR開発の継続を強調した報告書をとりまとめた
・COP3が京都で開催。2000年以降の温室効果ガスの具体的排出量削減目標値を盛り込んだ「京都議定書」が採択さ
れた。具体的な数値目標は2008年∼2012年の間に、90年比で日本6%、米国7%、EU8%と定められた
・総理大臣の命令により運転を停止していた、ATR「ふげん」が運転を再開
わが国のプルトニウム管理状況
原子力平和利用を進めているわが国では1994年より、核燃料リサイクル計画の透明性の向上を図るために、わが国独
自にプルトニウムの管理状況を公表してきました。本誌でもこの情報をその都度掲載してきました。次表のデータ
が12月8日に発表された1996年12月末現在におけるわが国のプルトニウム保有量です。
国際的には、1994年よりプルトニウムの管理に関する検討が多国間で行われ、1997年にその国際的指針が合意に達
し、参加国はプルトニウム利用計画とプルトニウム保有量を年1回共通の様式により公表することになりました。今
回の日本の発表は、その共通様式に則っています。
民生未照射プルトニウムの年次保有量(1996年12月31日現在)
[国内総計] (kgPu)
1.再処理工場製品貯蔵庫中の未照射分離プルトニウム
600
2.燃料加工又はその他製造工場又はその他の場所での製造又は加工中未照射分離プルトニウム及び未照射
3,100
半加工又は未完成製品に含まれるプルトニウム
3.原子炉又はその他の場所での未照射MOX燃料又はその他加工製品に含まれるプルトニウム
900
4.その他の場所で保管される未照射分離プルトニウム
400
[その他]
i)上記1∼4のプルトニウムのうち所有権が他国であるもの
0
ii)上記1∼4のいずれかの形態のプルトニウムであって他国に存在し、上記1∼4には含まれないもの 15,100
iii)上記1∼4のプルトニウムのうち国際輸送中で受取国へ到着前のもの
注)数値は100kgPu単位に丸めた量
50kg未満の場合はそのように報告
使用済民生原子炉燃料に含まれるプルトニウム推定量(1996年12月31日現在
0
[国内総計] (kgPu)
1.民生原子炉における使用済燃料に含まれるプルトニウム
48,000
2.再処理工場における使用済燃料に含まれるプルトニウム
1,000
3.その他の場所で保有される使用済燃料に含まれるプルトニウム 500kgPu未満
[その他]
i)直接処分計画が具体化した時、直接処分の行われる物質の取扱いについてはさらなる検討が必要。
ii)定義
−1:民生原子炉から取り出された燃料に含まれるプルトニウムの推定量
−2:再処理工場で受け入れた燃料の内、未だ再処理されていない燃料に含まれるプルトニウムの推定量
注)数値は1,000kgPu単位に丸めた量
500kg未満の場合はそのように報告
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Mar. 18 1998 Copyright (C) 1996 Council for Nuclear Fuel Cycle
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編集後記
● カットオフ(兵器用核分裂物資の生産禁止)、対人地雷禁止などの分野で軍縮交渉の糸口を探る1998年ジュネー
ブ軍縮会議が始まりました。今回は、カットオフなどの他に、非核保有国が核攻撃を受けないための安全保障が議題
に盛り込まれているといわれています。先進国と途上国、核保有国と非核保有国の利害が対立し、状況は厳しいとい
われますが、新しい秩序に向けての可能性が開けることを期待したいものです。
● 「Plutonium」も早いもので、6年目に突入しました。昨年はインターネット上に当研究会のホームページを開設
し、小誌を掲載して好評を戴いています。今後も特定の国、地域にだけでなく地球規模レベルでの核廃絶の促進や、
地球環境問題を踏まえたプルトニウムの平和利用のための活動を進め、より一層の理解を得ることに努力いたしま
す。皆さまの率直なご意見を歓迎いたします。
(e-mail: [email protected])(編集部一同)
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