森と暮らすどんぐり倶楽部政策提案

美浜町長
山口治太郎
殿
政策提案プロセスと美浜町の
「合意形成」に関する提案
…美浜町を自然エネルギーで
あふれる町に!…
2012年9月23日
(株)森と暮らすどんぐり倶楽部
代表取締役
松下 照幸
1
<目次>
1,はじめに
2,福島原発事故と安全神話の崩壊
① 巨大設備の弱点
② 震源断層の上に立つ原発群
③ 耐震安全性の破綻
④ 安全神話の崩壊
3,福島原発事故後の世論
① 新たに原発を作らない!
② 国民の意思は「原発ゼロ」
③ 40年を超えた原発は即廃止
④ 耐震安全性の見直し
⑤ 安全神話の復活?
4,福島原発事故以降の美浜町民の不安
① 原発があることの不安、無くなることの不安
② 不安を表現できない苦痛
5,脱原発政策提案
① 美浜町のビジョン作成
② EUに学ぶ
6,自然エネルギーの推進と一級の観光地化
① 美浜町を「環境モデル都市」へ
② 民主的手続きを踏まえた対応
③ 原発下請け企業と共に自然エネルギーを推進
④ ファイナンスの重要性
⑤ 美浜町を一級の観光地に
⑥ 農林漁業の活性化
⑦ 自然エネルギー特区構想
2
7,原子力発電所のソフトランディング
① 使用済み燃料保管について
② 民主的手続きを踏まえた対応
③ 原発立地点の脱原発支援制度の構築
④ 廃炉後の敷地の活用とその実現性
8,廃炉事業
① 廃炉事業のルール作り
② 被曝管理の徹底
9,終わりに
<添付資料>
3
1,
はじめに
長い、長い、道のりでした。原子力発電所の安全性に疑問を持ち始め
てから40年を超えることになります。私がまだ高校生であった頃は、
原子力発電所の負の側面などを知る由もなく、むしろ推進のポジション
におりました。
美浜原発1号機が運転を開始し、高浜原発、大飯原発が続きました。
運転を開始して何年か経過すると、地域の若い電力社員が白血病で亡く
なりました。舞鶴市の病院で診断を受け、大阪市の関電病院で息を引き
取ったことを地域の方から聞きました。因果関係は別として、この件は、
私には大きな転機となりました。
労組青年部活動の頃に原子力発電所の問題を捉えてはいたのですが、
素朴な疑問を感じていた程度でした。しかし、地域の若い人の死を知り、
私の原子力発電所に関するイメージが崩れ、強い疑問へと変わり始めま
した。特に、放射能被害について、
「立証責任を誰が負うべきなのか」
「ち
ゃんとした統計を国や自治体はとっているのか」と考えるようになりま
した。原子力発電所を批判する書物を手にし、私が立っていた位置が間
違っていたことを悟りました。
運転開始後まもなく、美浜1号機の燃料棒大折損事故(1973,3)が隠
されていたことが暴露(1976 末)されました。このことも、私には驚き
でした。しかしそれ以降においても、原子力発電システムの具体的情報
は少なく、原子力資料情報室の故高木仁三郎さんに問い合わせても、発
電所内部の詳しい資料は得られない状況でした。原子力発電所がたくさ
ん建設され、累積運転年数が積み重なるにしたがい、事故やトラブルが
増え始めました。事故隠し、データ改ざんなども露呈し始めました。
原子力発電所については、日本は後進国です。原子力先進国において
起きている事故、トラブル、放射能地域汚染などを見れば、それらのこ
とが今後日本で起きるであろうことが十分に予測できました。アメリカ
のスリーマイル島原発2号機事故(1979,3,28)が起き、炉心溶融を起こ
していたことが後に報道されました。極めつきは、ソ連時代のチェルノ
ブイリ原発4号機の核暴走事故(1986,4,26)です。「これが美浜町の未
来だ!」と私は驚愕しました。
いい加減だった反原発から、必死に、核のないエネルギーを模索する
活動を開始しました。頑なだった美浜町民も、美浜2号機の蒸気発生器
細管破断事故(1991,2,9)を経験し、「安全規制の不備」=世界の「ミハ
マ」になってしまったことを感じました。
美浜3号機配管破断事故(2004,8,9)では、11人の死傷者が発生しま
4
した。この事故は、美浜町民の原子力発電所への信頼を大きく失墜させ
ました。近しい人たちの被災により、原子力発電所の事故をとても身近
に感じたからです。そして、関西電力の二次系に関する品質管理は、2
号機事故時よりさらに悪くなっていたことも判明しました。原子力安
全・保安院の安全規制官庁としての役割は、全く機能していないことも
明らかになりました。経済産業省内に置かれた原子力安全・保安院は、
基本的に「推進のため」の組織だからです。
こ の 間 に 、 敦 賀 原発 1 号 機 の 放射 性 廃 液 が湾 内 に 流 出 した 事 故
(1981,4,18)も明らかにされました。地域の一次産品は大打撃です。高
速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩火災事故(1995,12,8)が発生し、
「事故隠し」が問題となりました。「もんじゅ」の事故は衝撃的で、私の
運命を大きく変えました。美浜町議会議員選挙に出る決意をすることに
なったからです。その後にも、敦賀2号機で一次冷却水が大量に漏れる
事故(1999,7,12)が続きました。大きな事故だけではなく、小さな事故
やトラブルも日常茶飯事でした。
原子力発電所を批判する私たち以上に、原子力発電所自身が、その危
険性を事故やトラブルによって告発し続けました。私たちの主張に耳を
貸さず、原子力発電所からの警告を無視し、国、電力会社は福島原発事
故を発生させました。大変な惨事です。多くの人たちが、被曝し、生活
圏を追われ、職を失い、地域社会が引きちぎられてしまいました。一体
誰がこの責任をとるというのでしょう。
新潟県中越沖地震により柏崎刈羽原発が被災(2007,7,16)しました。
事態を厳しく受け止めるどころか、
「地震が来ても大丈夫なことが分かっ
た」などという宣伝がなされました。
「幸運だった」としか思えない柏崎
刈羽原発の被災状況でしたが、柏崎刈羽発電所を襲った想定を超える地
震動や、歴史的に繰り返される東北地方太平洋岸の大きな津波を受け止
めていれば、福島原発事故の結果は違っていたでしょう。
福島原発事故以降、班目原子力安全委員長は「安全基準に瑕疵(かし)
があった」ことを認め、安全基準の抜本的改定と安全審査のやり直し、
安全基準を満たさない原発の廃止を主張しています。にもかかわらず、
国(官僚)や電力会社は「想定外」の巨大地震を叫ぶことで、責任を回
避し、安易な「暫定基準」を設け、「安全な原発なら良いだろう」と運転
を継続しようとしています。他方では、貞観地震などによる巨大津波の
痕跡が科学的に示された際に、国や東電はそれを隠蔽し、対策を先送り
してきたことが暴かれています。何という愚かな安全規制でしょう!
東北地方の太平洋岸は、大きなプレート境界地震が起きることが知ら
5
れていました。東京電力内部でも大きな津波の可能性を検討しておりま
したし、浜岡裁判でも貞観地震について言及されていました。まさに、
起きるべくして起きた福島原発事故だったのです。
その衝撃は美浜町民にも重くのしかかりました。福島原発事故の惨状
を目の当たりにし、「原発は危険」「原発はない方がよい」と誰もが思い
ました。しかし一方で、「原発が無くなったら雇用はどうなる」「自治体
の財政はどうなる」とも考えました。つまり、「原発があることの不安」
「原発が無くなることの不安」に思い悩むこととなりました。
そうであるのなら、
「原発が無くなっても、こうしたら美浜町は雇用を
回復し、自治体財政も満たされるのではないか」という政策を提案でき
ればよいのではないか。私はそのように考えました。昨年5月頃だった
でしょうか。町長と美浜町の行く末について、電話で40分近く話し合
いました。そして、昨年の7月7日に、町長室で1時間にわたって、私
の政策を提案させて頂いたのです。
「町長、もう一度、もっと良い提案を作って持ってきます。聞いて頂
けますか」と問いかけますと、「聞きます」と言っていただきました。私
が求める政策案は、美浜町の末来を「自然エネルギーであふれる町にし
たい」ということです。自然エネルギーであふれる町には、多くの観光
客があふれ、全国からの視察が来てくれることでしょう。町が活性化す
れば、間違いなく雇用も増えることになります。
第1回の私の政策案は、足りない部分が多々あります。第2回の政策
提案は、環境エネルギー政策研究所の代表である飯田哲也さんに作成を
依頼しました。使用済み燃料の中間貯蔵に関して、美浜町議会において
お話し頂いたこともある方です。自然エネルギー推進、廃炉、使用済み
燃料保管について、政策提案して頂くことになっています。飯田さんに
は、超多忙を承知の上でご無理をお願いし、美浜町の将来ビジョンを作
成して頂くことになりました。
私の提案において、耐震安全性、廃炉、使用済み燃料保管に関する部
分については、若狭連帯行動ネットワークの皆さんから貴重なご意見を
いただきました。廃炉、使用済み燃料に関する内容については、様々な
考え方がありますが、明快な方向性を示唆して頂きました。
さらに私の政策提案にたいし、2人の研究者がお手伝いしていただけ
ることになりました。立命館大学のラウパッハ・スミヤ・ヨーク教授(経
営学)と東健太郎準教授(経営経済学)のチームです。ラウパッハ教授
はドイツ人で、経営者としての経験もあり、ドイツ国内に幅広い人脈を
お持ちです。東準教授もドイツで研究をされてきた方ですので、美浜町
6
が自然エネルギー推進を目指すことになれば、素晴らしいスタッフにな
っていただけると期待しています。
今回の提案は、第1回の私の幼稚な提案よりも、遙かに具体的で建設
的な政策案になります。
2,
福島原発事故と安全神話の崩壊
① 巨大設備の弱点
原子力発電所は、放射能を大量に抱え込む巨大な設備です。大きな事
故を起こすと人的被害が甚大だから、都市部の人口密集地を避け、過疎
の地に建設されることになりました(原子炉立地指針)。この1点をも
っても、原子力発電所を許すことができません。必要な設備は必要なと
ころ(都市部)に建設するのが原則ではないでしょうか。過疎地には、
工事用道路の確保、港湾設備の建設、広大な敷地の整備、長大な送電設
備や変電所建設、等々、発電所建設1基分以上の初期投資が必要となり
ます。
巨大設備は、建設されてしまうと安全上の問題が指摘されても、巨
額投資による巨大設備であるが故に、設備を破棄することはなかなかで
きません。また、トラブルが発生しても、運転を停止すると莫大な利益
を失いますので、常に隠そうとする意識が働きます。過去に軽水炉で何
度もありましたし、高速増殖炉「もんじゅ」では、「事故隠し」が事件
にまで発展しました。
事故やトラブルが起きて一気に電源を失うと、広範囲に停電が生じる
可能性があります。それを避けるため、代替電源を立ち上げるまでは、
原子炉をすぐには停止しようとしません。美浜2号機事故がそうでした。
事故発生後の発電所外への第一報は、関電の中央給電司令所であったこ
とを思い出します。
福島第一原発1号炉の格納容器は、建設直後の頃からアメリカの原子
力規制委員会(NRC)により危険性を指摘されていました。しかし、
改善にはいっそうの巨額投資が必要なため、東京電力はそれを無視した
のでした。
このように巨大設備は、大きな収益を生み出す一方、取り返しの付か
ない事故・トラブルに至るまで止められないという決定的な弱点があり
ます。福島原発事故以降においてさえ、安全より経済を優先させる「大
飯原発再稼働」が強行されました。残念です。技術は確実にダウンサイ
ジングに向かっていますが、原子力発電に関しては、大きな利権構造ゆ
えになかなか改まりません。
7
② 震源断層の上に立つ原発群
日本は世界でも有数の地震国で、4 つのプレートがぶつかりあって
いるところに日本列島があります。海洋プレートと大陸プレートの間
の巨大地震・津波、および海洋プレート内の地震に加えて、日本列島
の至る所に断層が走っており、直下地震の危険もあります。1970
年代以降の原子力発電所建設ラッシュ時の耐震設計は、お粗末なもの
でした。歴史地震を文献から調査して、
「記録に残っていない地域は、
地震が起きにくい地域」と判断して原子力発電所を建ててきたのです。
新しい理論によると、実はそこは「地震空白地帯」と呼ばれ、「最も
エネルギーがたまっていて、近い将来地震が起きる可能性の高い所」
だということです。このことは、京都大学の研究者から聞きました。
心底驚きました。国や電力会社の言う「安全」は、虚構であるという
わけです。
敦賀半島の先端部に建つ原発群の直下を、震源断層が走っているこ
とが明らかになりました。原子力発電所直下の断層が動いたときに、
どのくらいの地震動が発生するかを事前に正確に計算する方法はな
いというのですから、国や電力会社の言う「安全」とはいったい何な
のだろうと思わざるを得ません。
最近の報道では、敦賀原発の敷地内に約160本の断層(破砕帯)
があることが示されました。私たちが以前から主張してきたことです。
直近を走る浦底断層が動いたときに、その破砕帯がずれる可能性を否
定できないということです。浦底断層は35kmの長さで耐震安全性
を評価されていました。しかし原子力安全・保安院の指示により、1
00kmの長さの断層連動を評価するように見直されました。新たに
設立された原子力規制委員会では、厳しく断層評価がなされ、敦賀原
発の運転再開はかなり難しいと言えるでしょう。
高速増殖炉「もんじゅ」の直下には、海域の白木・丹生断層とC断
層の2本の断層面が走っています。美浜原発3基の真下には、C断層
の断層面が潜り込んでいます。その上に、先に記した100kmの断
層連動評価を加えれば、もんじゅ、敦賀原発は言うまでもなく、老朽
化した美浜原発の再稼働はとても難しいと言えます。さらに、炉型の
異なる原子炉が6基も集中する狭い敦賀半島で大きな地震が起きれ
ば、全電源喪失は容易に予測でき、その対応の困難さは福島原発事故
の比ではありません。
大飯原発の直下にも断層が走っていることが報道されています。高
浜原発敷地内においても、「断層(破砕帯らしい)があり、追加検討
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が必要」と原子力安全・保安院は指摘しています。大飯原発直下の断
層については、関西電力は「活断層でない」と結論づけていますが、
敦賀原発直下の断層について、日本原子力発電は「耐震設計上、考慮
すべき断層ではない」と否定していたのですよ。原子力発電所敷地内
や直近の断層について、関西電力はこれまでの過小評価をもっと謙虚
に反省し、評価をし直さなければ、福島原発事故を繰り返すことにな
るでしょう。
このような実態が分かった時点ですぐに運転を止めるべきですが、
投資した資金を回収し、利潤を追求するために、「安全」を繰り返し
言わざるを得ないのでしょう。巨額投資、巨大設備であるが故に、問
題点を修正できないのです。さらに、関西電力、日本原子力研究開発
機構は、地震に関する私たちの質問状に、未だに真摯に答えようとし
ていません。答えられないのですね。
③ 耐震安全性の破綻
私が最も恐れていることの一つに、安全審査における信じられない
ようなお粗末さがあります。それは、単一事象しか設備の破損を想定
していないことです。2カ所以上同時に設備が破損したら、その事故
を収束させるマニュアルさえないことです。静的な環境の下ではある
程度理解できるとしても、原子力発電所のような巨大設備において、
高温、高圧、振動の条件下で、さらに40年を超える老朽設備の下で
は、大きな地震の揺れが来たら複数箇所の配管破断や機器破損が想定
されます。
福島原発事故はまさにそうでしたね。外部電源を喪失し、津波が発
電所を襲ったので、複数のディーゼル発電機が動かなくなりました。
耐震重要度の低い海水ポンプも止まったため、電源が回復しても本来
の炉心冷却システムを使えないことが分かり、耐震重要度の低い機器
類の重要性が改めて認識されました。福島原発事故では、最も重要な
機器類をはじめ複数箇所が、ほぼ同時に故障してしまったことになり
ます。さらに福島原発事故において、地震の揺れによる配管破断等の
可能性が、研究者から指摘されています。津波到着前に、炉心冷却の
ためのディーセル発電機が故障したことも指摘されています。国会事
故調査委員会の報告でも、その可能性が示されています。しかし、事
故現場を確認できないことをもって、国や電力会社はその点に関する
説明責任を果たそうとしていません。地震の揺れによる損傷を考慮す
ると、他の原発全ての耐震安全性を見直さなければならず、それを避
9
けたいというのが国や電力会社の本音なのでしょう。
大飯原発3・4号機の東側には、海域にFO-A、FO-B断層が
走っています。その延長線上の陸域に熊川断層があります。地震の研
究者は、この3つの断層が連動することを想定して安全を審査するこ
とを求めています。福島原発事故以降、原子力安全・保安院はこの可
能性を認め、関西電力に3連動を検討するよう指示しました。関西電
力は当初3連動を想定せずに運転再開を狙っていましたが、それが不
可能だと知るや、都合の良い断層モデル(入倉式)を用い、断層幅を
狭く算定することで地震規模を一層小さく見積もり、アスペリティ(断
層内の固着域)の応力降下量を小さく設定することで地震動を過小評
価しようとしています。
恐ろしい話です。福島原発事故以降においてさえも、安全規制はこ
のレベルです。
④ 安全神話の崩壊
福島原発事故を経験して、多くの日本国民は学びました。「原子力発
電所の安全規制がいかにでたらめであったか」ということと、「それを
運営する組織の能力の無さ」です。当時の菅首相に「爆発はしないのか」
と問われて、
「しません」と答えた「原子力安全委員会」の班目委員長。
爆発する映像を見て「アチャ~!」と声を発し、大げさに頭を抱えたこ
とが報道されていました。大鹿靖明著「ドキュメント福島第一原発事故 メ
ルトダウン」を読むと、「事故発生時に、東電、原子力規制官庁の技術
者達がいかに無能であったか」が浮き彫りにされています。
さらに、福島原発事故を防ぐどころか、事故に荷担してきたとさえ思
われる国の規制官庁のメンバーが、福島原発事故後もそのまま居残って、
定期検査後の運転再開を判断しています。私たちは、まるで「お笑い」
の1シーンを見せられているかのようです。
水素爆発による原子炉建屋の崩壊を見て、日本中誰もが、取り返しの
付かない事態に至ったことを実感しました。事故後の放射性物質飛散を
予測するシステム(SPEEDI)が開発されていたにも拘わらず、そ
のデータは公表されませんでした。米国から日本政府へ送られてきた放
射能拡散データも公開されませんでした。そのため、放射性物質が飛ぶ
方向へ避難してしまった人たちもたくさんいました。事故の収束を図る
との理由で、大量の放射性物質が海にも放出されてしまいました。漁業
を営む人たちには大変な事態です。
子供たちを守りたいといち早く脱出した方、自治体の指示に従った方、
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避難先で著しい苦痛を味わった方、それぞれの方がそれぞれの方法で必
死に事態と向かい合いましたが、その対応をめぐって地域が割れ、友達
を失い、兄弟姉妹が言葉を交わせない結果を生むことにもなりました。
津波だけの被害であるなら、多くの犠牲者を出したとはいえ、みんな励
まし合って復興を目指したでしょう。しかし、原子力発電所の炉心溶融
事故は、大量の放射性物質を生活圏にばらまき、高汚染地からの避難を
余儀なくさせ、地域社会における人と人のつながりを破壊してしまった
のです。
まさに、原子力発電所の安全神話の崩壊です。
⑤ 安全神話の復活?
地震列島の上に立つ原発群は、運転を続ける限り重大事故が避けられ
ません。福島原発事故により、原子力発電所の本質的な危険性が明らか
になり、安全神話の虚構が暴かれました。しかしこの期に及んで、未だ
に「安全な原発なら再稼働は構わないだろう」と、福島原発事故の真相
究明が終わらないうちに、そして国会の事故調査が終わらないうちに、
国や電力会社は大飯原発の再稼働を強行しました。
「防潮堤を高くして予備電源を準備しさえすれば安全だ。工事が完了
しなくても大丈夫だ」という、およそ「安全基準の抜本的改定」とは無
縁な「暫定基準」をつくり、新たな「安全神話の虚構」を築き上げ、こ
れにしがみつこうとしています。
新たにできる原子力規制委員会とその事務局である原子力規制庁も、
これまで通りの「原子力の研究・開発及び利用の推進」に加えて、
「国民
の財産の保護」や「我が国の安全保障に資する」ことが原子力基本法の
目的に追加され、原子力の安全確保のための安全基準や規制が、これま
で以上に抑制されようとしています。自民党の意向を受け、
「40年運転
廃炉は当然」という福島事故以降の世論さえ無視されようとしています。
原子力規制委員会の人事にも、原子力ムラの意向が働き、世論の批判が
わき起こっています。原子力規制庁の人事も、
「ノーリターンルール」は
5 年間猶予のため有名無実化され、これまで原子力規制行政を担ってきた
官僚達がそのまま横滑りで関与し続ける有り様です。
そういう状況下で、美浜町内にも一時期、美浜原発3機の運転再開や
リプレースへの淡い期待が出始めたように思えましたが、世論を甘く見
ていますね。福島原発事故以前とは、原発を取り巻くパワーバランスが
大きく変わっています。関西圏の知事さんたちや他府県の有力知事さん
たちが、大きな声を上げ始めました。脱原発首長会議も誕生し、発言力
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を高めています。
原子力ムラの人たちは、大飯原発3・4号機運転再開を突破口として、
関電の原発を次々と再稼働させようと考えているようですが、再生可能
エネルギー特別措置法が7月から施行され、原発なしでも「十分に」電
力需要をカバーできるようになります。美浜原発は3機とも古く、美浜
原発直下を走る活断層、直近を走る100kmの断層群の連動を考慮す
れば、美浜原発再稼働はあり得ない話です。
安全神話の復活がマスコミでも大きく報道されていますが、福島事故
以降の世論は、安全神話復活を策動する政党、政治家、マスコミを決し
て許さないでしょう。
3,
福島原発事故後の世論
① 新たに原発を作らない!
過去の戦争において、太平洋での緒戦を「勝った、勝った」と「大本
営」が発表していましたが、日本本土にアメリカ軍の爆撃機が飛来する
ようになると、当時の多くの人たちは「おかしいぞ」と思い始めていま
した。原発立地自治体の住民も同じです。原子力発電所の事故、トラブ
ル、データ改ざんなどが続きましたから、多くの美浜町民は、原子力の
安全を疑い始めていました。そこへ福島原発事故が起きたのです。福島
原発事故以降は、原子力発電所の安全神話が「完全に崩壊」しました。
事故直後のマスコミ報道はひどいものでした。
「直ちに健康に影響はあ
りません」という政府による安全PRは、多くの人たちの感情を逆撫で
しました。放射線による健康被害は、一気にたくさん浴びれば死に至っ
たり、急性障害が発症したりしますが、それ以外は時間をおいてガン・白
血病などの晩発性障害が発症します。世代をおいて現れる遺伝的影響も
危惧されます。福島原発事故によって放射線が大気中に漂っているその
時に、政府は、「その影響は小さい」と説明を続けたのでした。
安全神話の崩壊とは、
「政府の安全宣言は虚構に過ぎない」ということ
が誰の目にも明らかになったということです。いくつかの立地地域で原
子力発電所の新規立地やリプレースが語られていましたが、福島原発事
故以降は、それを許さない世論が圧倒的です。原子力発電所の新設、リ
プレースどころか、世論は明確に脱原発なのです。
官邸を取り巻くデモが、毎週金曜日に呼びかけられています。労組や
反原発団体からの呼びかけではなく、数人の市民がツイッターやフェイ
スブックで呼びかけているのです。私たちの想像を超える市民が、一人
一人の判断で、官邸前に集まっています。8月10日には、私もその熱
12
気を感じてきました。官邸前デモの最前列に位置取り、多くの市民と一
緒に声を上げました。デモが始まる午後6時頃には官邸前の歩道が人で
埋まり、隣接する次の会場へ参加者を誘導していました。大変な数です。
立地町で苦悩する者として、大きなパワーを頂くことができました。毎
週行われる官邸デモは、今後も継続し、さらに勢力を広げ、確実に次の
国政選挙に影響を与えるでしょう。
官邸デモでは、大飯原発再稼働を強行した民主党政権、自民党を批判
する市民が、「福島を繰り返すな」「いのちが大事」「子供を守れ」と、声
を枯らして叫んでいます。
「人間の尊厳」を訴えています。この素朴な世
論に耳を傾けようとしない腐敗政治に、市民は大きなうねりを作り始め
ました。脱原発の動きはさらに高まるでしょう。
世論を無視することは、政治的、経済的に大きな混乱を招くことにな
ります。そうならないために、立地自治体も、地道にこの声に応えてい
かなければなりません。
② 国民の意思は「原発ゼロ」
退職された役場職員の方が話されていました。導入時には、「原発の
寿命は20年」で、
「役場の職員は高給取りになるよ」と肩を叩かれたそ
うです。私が高校生の頃には、
「道路がよくなり、学校や公共施設が建て
替えられ、電気代はただのように安くなる」と聞かされました。道路は
原子力発電所の建設に必要でありましたし、事故時の避難道路として位
置づけられました。学校や公共施設が建て替えられたとはいえ、大きな
事故が起きたときの住民避難施設でもありました。そして電気代はただ
になるどころか、高コストであることが暴露され始めました。原子力発
電所を建ててしまいさえすれば、もう後の祭りなのですね。現実に、こ
れまでは誰もそれを覆すことができませんでした。
20年と言われた寿命が、30年になり、40年まで伸ばされ、つい
最近までは「60年でも大丈夫」とされました。地震のない国であるな
ら夢物語ではないかも知れませんが、日本という地震国ではあり得ない
話です。普通の製造プラントで30年といえば、一昔前の技術です。高
温、高圧、振動、老朽化、そして「大量の放射能を扱う巨大設備」とい
う条件下では、たとえ地震の無い国であっても、30年が限度と言うべ
きです。
そして、30年に満たない原発であっても、直下に活断層があれば、
即時に運転停止をするのが常識です。これをためらう理由はありません。
現行の安全基準では、活断層の上には原子力発電所を建てられない(「建
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てることを想定していない」)ことになっているからです。これを守らな
いということであれば、それは無法国家ということになります。
美浜原発3機の真下には、海域C断層の断層面が斜めに潜っています。
直下から大きな揺れが来れば、老朽化した美浜原発は3機とも破壊され
てしまうでしょう。巨大であることと、老朽化という条件を合わせます
と、複数箇所破損の危険性はすごく高まります。単一事象しか設備の破
損を想定していないために、事故時の収束マニュアルが無く、炉心溶融
にまで至ることになるでしょう。
私が美浜町議会の議員でいた頃、美浜発電所長と何度か意見を交わす
機会がありました。私は「原子力発電所は地震でやられると思いますよ」
と言ったときに、当時の発電所長は無言でした。電力会社は、地震につ
いてよく分かっていなかったのです。これには続きがあります。
ドイツの連邦議会議員である緑の党副代表B・ヘーン氏が美浜原発を
視察(2012,8,2)したとき、私もPR館でヘーン議員と一緒に関電美浜発
電所長から説明を受けました。津波に限定した「都合の良い安全対策」
ばかりを説明する発電所長に対し、最後に、美浜原発直下の断層につい
てその危険性を訴えました。発電所長は「それは事実と違う! ちゃん
と調べてから発言すべきだ!」と、ヘーン議員の前で私に強く反論しま
した。私は「あなたの方が間違っている。マスコミにその発言を伝えま
すよ」と言い、その場を納めました。ところが、ヘーン議員が発電所構
内の視察を終えてバスでPR館に着くと、同乗していた発電所長はすぐ
に私の所へ来て、謝ることもせず、
「C断層は60度の傾斜角で潜ってい
る」と伝えました。部下に命じて調べさせたのでしょう。美浜発電所長
が、自分の所の原発直下の断層形状を知らないのですから、関西電力は
安全を語る資格はありませんよね。
昨年の10月下旬、福井大学で、原子力発電の推進・反対の立場から
の討論会がありました。私も参加することができ、24時間拘束で10
時間以上の議論を行いました。東電元副社長も討論会に参加されていま
した。
「発電所の真下に断層がある場合、安全設計はできますか」と問い
かけますと、「それは無理です」と即座に答えられました。「高速増殖炉
『もんじゅ』と美浜原発3機の真下に断層があるのですよ」と言います
と、驚かれていました。
美浜原発3機と高速増殖炉「もんじゅ」、敦賀原発は、即廃炉にすべき
です。
安全より経済を優先した大飯原発再稼働は、脱原発を求める世論を強
14
く刺激しました。2030年までのエネルギー政策をめぐる「討論型世
論調査」結果によれば、討論前後の3回のアンケートでは、原発比率ゼ
ロを目指す案への支持は46.7%に達しています。
「15%案」は15.
4%、「20~25%案」は13.0%です。
「討論型世論調査」参加者の約7割の方が、「国民、産業とも省エネの
余地がある」と答え、「エネルギーを使わないライフスタイルへの変更」
を提案しています。そして68%の人が「料金が高くなっても自然エネ
ルギーを増やすべきだ」と考えています。ここには参加者の強い意志(覚
悟)が示されています。
これとは別に実施した意見公募(パブリックコメント)でも、約8万
9千件の応募があり、その内7千件を分析したところ、
「0%案」支持は
90%に及んでいます。全集計結果でもほぼ同様となったことが報道さ
れました。
「同一人物・団体が特定の案に誘導するために、複数回にわた
って意見を出したような形跡がない」とも分析されています。パブリッ
クコメントでの「15%案」支持はわずか1%、「20~25%案」支持
は8%に過ぎません。これが世論です。
2030年までまだ18年もありますが、先に述べたように、耐震安
全性をクリアできる原子炉の運転を認めたとしても、
「30年で廃炉」を
ルール化すれば、ほぼ世論に沿った結果が得られるのではないでしょう
か。「30年で廃炉」は、もともと、国や電力会社が建設時に言っていた
「運転期間」なのです。
福井県の原子力発電所を考えれば、最も新しい大飯原発4号基が運転
歴19年であり、2030年には30年を超えることになります。さら
に大飯原発直下の震源断層を考慮すれば、もっと早く原発ゼロになる可
能性があります。
③ 40年を超えた原発は即廃止
美浜町の原子力発電所は、1号機が42年を迎え、2号機が7月で4
0年になりました。その4年後には3号機が40年に達しますので、
「4
0年で運転停止」が決まれば、あっという間に美浜町に原発が無くなっ
てしまいます。
国のエネルギー政策の方向を示す「革新的エネルギー・環境戦略」が
9月14日に示されました。
「2030年代に原発稼働ゼロを可能とする
よう、あらゆる政策資源を投入する」ことが最初に記載されています。
野田政権は当初、
「電力量に占める原発比率を 2030 年に 15%」とするシ
ナリオへ誘導しようとしましたが、「2030 年に原発ゼロ」を望む国民の
15
意思が予想以上に強いことを思い知らされ、「2030 年代に原発ゼロ」を
打ち出さざるを得なくなったものです。
これを実現するため、「原発の運転期間を40年に厳しく制限する」、
「原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ再稼働とする」、「原発の
新増設はしない」との三原則を打ち出しています。ただし、建設中の島
根 3 号、大間、東京電力東通 1 号の 3 基は運転を認める方針ですので、
「2030 年代に原発ゼロ」とは言っても、
「2030 年に 15%」のシナリオに
ほぼ等しくなります。40 年運転で廃炉の方針を厳格に適用しても、安全
確認で廃炉にしない限り、2030 年代末に残る 8 基 970 万 kW を政策的に
廃炉にしなければならないことになります。
2030年代末はまだ遠い先のことでもあり、あいまいな要素が入り
込んでいますが、「40年廃炉」と「新増設なし(3基を除く)」は、そ
のまま実施されると期待されます。さらに、
「電力の発電部門と送配電部
門を分離する」ことも示されました。この点は重要です。早期に、確実
に実行すべきだと思います。再処理や高速増殖炉もんじゅの扱いは、政
策本旨と矛盾する内容になっていますが、立地県トップの強い抗議を受
けとめたものと言えるでしょう。
このように課題を抱えながらも、脱原発を骨子とする国の新エネルギ
ー戦略が示されたことは、脱原発世論の大きな力が働いたからです。再
稼働をしないよう求めて全国から立地自治体に集まる行動に加え、電力
消費地である都市部で大きな脱原発デモンストレーションが継続してい
ます。
「地方に原発を押しつけてきた構図」そのものへの問いかけ・批判
であります。脱原発を求める立地住民と都市部の脱原発行動が、ようや
く連係できる状況になってきたと言えるでしょう。
「40年廃炉」を受け止めれば、美浜町は、原発のない地域経済を早
急に模索しなければなりません。また、目前に迫る廃炉を前向きに受け
止め、「立地自治体として何をすべきか」を示さなければなりません。
今後は、美浜原発サイト直下の活断層評価が原子力規制委員会により
示されることになりますので、3号機共に廃炉になる可能性が高いとも
言えます。それらを含めて、廃炉を前向きに考え、世論の示すところに
沿って歩むべきだと私は考えています。
④ 耐震安全性の見直し
「福島原発事故は、現行の安全基準で起きたのだから、福島原発事故
をよく検証し、暫定的でも良いから新たな基準を作って、その基準に照
らして県内原発の再稼働を判断すべきである」旨の発言が、福井県西川
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知事からなされました。素晴らしいメッセージです。県民の思いそのま
まです。
福島原発事故では、津波で破壊される前に「地震の揺れで機器・配管
類が破損・破断した可能性がある」と、専門家から指摘されています。
知事が指摘したとおり、
「福島原発事故を良く検証し、耐震安全性の見直
しをしなさい」と言うのが、福島原発事故以降の世論です。
ところが、野田政権や関西電力は福島事故の検証を待たず、知事が求
める新たな安全基準の策定要求を、
「津波防波堤や電源車の配置」など小
手先の暫定基準で安全基準の策定に代え、大飯3・4号機の再稼働を強
行しました。
関西電力は当初、大飯3・4号機の東側を走る3つの断層の連動を軽
視し、原子力安全委員会ストレステスト検討会で委員全員から、
「3連動
の評価が必要」だと指摘されたにも拘わらず、聞く耳を持とうとしませ
んでした。原子力安全・保安院から「3連動に関する関電試算」に対し、
入力パラメータを明らかにするよう求められましたが、継続審議とした
ままで会議が打ち切られました。その後明らかにされたパラメータを見
ると、断層幅を狭く設定して地震規模を小さく見積もり、地震動を過小
評価していました。原子力安全・保安院はこの状態で、ストレステスト
一次評価を「緊急安全対策等の一定の効果が示されたことは一つの重要
なステップ」とし、事実上「妥当」と判断しました。まさに福島事故の
再来プロセスです。
あれほど「安全側に立っている」と思えた西川知事の姿勢も、6月1
6日には、大飯原発3・4号機の再稼働に同意ました。立地自治体とし
ての苦悩があったとは言え、今では福井県民の信用を大きく失ってしま
いました。
やりきれない思いです。
「ストレステスト」どころか、専門的な議論の
前に、「専門家」や原子力安全・保安院、原子力安全委員会、電力会社幹
部等を厳しく「倫理テスト」すべきです。
耐震安全性では、とくに真摯な議論が求められます。規制官庁が持つ
人事権により、
「審議会」などと称する委員会のメンバーが示された段階
で、「審議会」の結果が決まってしまいます。規制官庁による誘導です。
そういうシステムが福島事故を起こした大きな誘因です。耐震安全性を
見直すには、安全性を議論する委員の選出を公正にすること、事業者側
からの報酬だけでなく、過去の発言をも網羅して、厳格に委員を選出す
ることが、耐震安全性見直しの重要なポイントであろうと私は考えてい
ます。
17
4,福島原発事故以降の美浜町民の不安
① 原発があることの不安、無くなることの不安
先にも書きましたが、福島原発事故の惨状を見て、多くの美浜町民は
震え上がりました。「原発は恐ろしい」「危険だ」「ない方がよい」と思い
ました。福島原発事故後、美浜町内で親戚の法事がありました。法要が
終わり、会食の席に着きますと、私は質問攻めに会いました。
「福島原発
の状況はどうなっているのか」「これからどうなるのか」「放射能はどれ
くらい降っているのか」
「直ちに健康に問題はないというが、なんやあれ
は!」などといった質問です。
これは、美浜町民の民意です。法事の場だけではなく、生活の様々な
場面で、多くの方から質問を受けました。その中でも、
「いつかはこうな
ると思うとった」、「シャブコンはこうやって打つのや」と私に語ってく
れた元原発労働者の方もいました。ひどい話です。
美浜原発の真下に震源断層が走っていることを、多くの町民は知らな
いでしょう。それでも、美浜町の老朽化した原発の危険を感じているの
です。
「地震にやられたら終わりや」という素朴な美浜町民の声は、利害
関係に絡む「専門家」の発言より、はるかに的を射ていると言えるでし
ょう。
ところが、美浜町民の多くは、原子力発電所の利害関係のまっただ中
にいます。
「原子力発電所が無くなったら、美浜町の雇用はどうなるのだ
ろう」と心配しています。原子力発電所が廃炉になり、その結果、交付
金が無くなり、固定資産税収入が無くなると、美浜町の財政が行き詰ま
り、現状の住民サービスが不可能となるでしょう。
「それは困る」と言う
のも民意なのです。苦しい胸の内です。
② 不安を表現できない苦痛
親戚であったり、兄弟であったり、友達であったり、多くの人たちが
原子力発電所と関わっています。行政の職員、商売を営んでいる人、学
校の先生など、直接原子力発電所と関わっていない人たちであっても、
福島原発事故の恐怖を素直に表現できません。
私は、私の住む美浜町の新庄地区を元気にしたいと、会社を途中退職
し、森の事業を始めました。
「森と暮らすどんぐり倶楽部」という事業名
で、10年間、林業分野で小さな成功モデルを作るべく奮闘してきまし
た。当倶楽部の周囲には、美浜町の関西電力をはじめ、敦賀市の日本原
子力研究開発機構、日本原子力発電会社といった、そうそうたる原子力
企業・組織があります。その下には、たくさんの協力会社があります。
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この10年間、これらの会社が徹底的に当倶楽部を排除してきました。
もちろん、この事は最初から織り込み済みです。私は、
「当倶楽部を利用
してくれ」と言っているのではありません。
私が言いたいことは、私が受けている現実を考えると、原発に反対す
る美浜町民を「増やせなかった」ということです。
「誘うことができなか
った」のです。恫喝や嫌がらせもたくさんありました。仲間を増やすと、
その仲間が私と同じ目に遭うという思いがあったのです。今は、私を見
る目がずいぶんと変わりましたが、以前は辛い思いをしました。まるで
汚い物を見るような目を意識したものです。
この政策提案をもって、美浜町が自由にものを言える明るい町に変わ
れることを強く期待しています。
5,脱原発政策提案
さて、ようやく本題に入ることになります。前段の部分が無くても本
題に入ることはできるのですが、
「40年」という原子力発電所との関係
を見直すには、やはり必要なことです。これからが明るい美浜町への提
案となります。
① 美浜町のビジョン作成
原子力発電所をソフトランディングさせ、
「美浜町を自然エネルギーで
あふれる町に!」したいことが、私の一番の思いです。今年7月から「再
生可能エネルギー特別措置法」が施行されました。問題を抱えながらも、
再生可能エネルギーを「増やすために」できた法律ですから、美浜町が
無関心であったとしても、再生可能エネルギーを増やして地域経済を活
性化させようという試みは、全国至る所で行われることになるでしょう。
再生可能エネルギーによる地域間競争が始まるのです。
福島原発事故以降、数年の内に美浜町に原発が無くなることは見えて
います。この数年間をどのように美浜町は乗り切るか。廃炉事業で一定
の雇用は見込めますが、解体作業に入るまでの期間は仕事がありません。
解体作業が始まったとしても、それで十分とはとても言えないでしょう。
美浜町で40年にわたる原子力発電所運転の歴史を消すことはできま
せんが、できあがってしまったものを、責任を持って安全に終えさせる
ことは、私たち美浜町の責任でもあります。この事は、安全神話の虚構
の上に原子力発電所を推進してきた電力会社や国の責任ではありますが、
それを容認してきたのも私たちです。私は、廃炉事業に真摯に関わりな
がら、再生可能エネルギー特別措置法を活用し、自然エネルギー推進に
よる町の活性化を実現することが最善の方法であると考えています。一
19
次産業と自然エネルギー生産を融合させることも可能でしょう。
そのためには、美浜町に「自然エネルギーを増やすビジョン」作りが
必要です。昨年の7月7日、第1回目の政策案を町長へ提案しました。
今回は環境エネルギー政策研究所と連係した政策提案となりますので、
美浜町には最善の提案となるでしょう。
良いビジョンを提案することができれば、次は美浜町民の「合意形成」
を図ることが重要となります。研究所の政策提案を受けて、
「はい、そう
ですか」で終わったのでは、美浜町に未来はありません。美浜町民の「合
意形成」を生み出す作業が求められます。とても大切な作業です。
研究所の提案で記載されると思いますが、大きな会社が美浜町で自然
エネルギーを独占するのではなく、美浜町の小さな会社が投資し、美浜
町民の参加と熱意が、事業を動かしていくことになります。美浜町民が
普通に使っている光熱費を、美浜町の事業で起こした自然エネルギーで
賄えば、その光熱費は美浜町に落とされることになります。中近東諸国
やソ連、インドネシア等から輸入していた枯渇性燃料が、美浜町の自然
エネルギーに置き換えられるのです。美浜町の会社が自然エネルギーを
生産して、その収益を美浜町で使うのであれば、町民の光熱費の総和よ
りも遙かに大きいGDPを生み出すことになります。
新しい事業には若者の雇用が必要です。若者が美浜町に定着できれば、
子供が生まれ、町の人口は安定し、自治体財政は潤うことになります。
こんな楽しい事業を、美浜町民が歓迎しないはずがないと私は考えてい
ます。秋田県の1世帯当たりの光熱費は年間25万円だそうです(飯田
哲也著「エネルギー進化論」)。美浜町の世帯数を掛けますと、9億30
00万円強にもなります。企業や行政施設が自然エネルギーを導入する
と、その額は10億円を優に超えるのではないでしょうか。美浜町がエ
ネルギーを自給できる町に変われば、毎年毎年、同様の額が美浜町の自
然エネルギー産業に支払われることになるのです。
② EUに学ぶ
ヨーロッパの自然エネルギー先進国は、試行錯誤を経ながらも、長い
準備期間をかけて脱原発を推進してきました。きっかけはオイルショッ
クとチェルノブイリ原発事故でした。ドイツのような大国だけではなく、
ヨーロッパの小国が、地域をあげて自然エネルギーを推進してきました。
生ゴミを燃料源としたバイオガスで走る電車(福井新聞 2006,1,5)や、
風力発電による電気で走る電車(飯田哲也著「北欧のエネルギー・デモ
クラシー」)の話は、感動さえ覚えます。
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ヨーロッパの人たちは、
「エネルギーが不足すれば発電所を作ればよい」
とする考え方を見直しました。化石燃料は有限であり、資源国の周辺で
起きる紛争は、燃料価格を大きく変動させます。経済に大きなプレッシ
ャーを加えます。それを避けるために、
「化石燃料の使用分を自然エネル
ギーで満たす」という発想になりがちですが、ヨーロッパの人たちは、
省エネルギーの徹底を最優先事項としたのです。
北欧の冬は、零下30度を超えます。その国の冬の一般家庭で、暖房
器具が無く、室温が20度という生活スタイルがあることにも、私は驚
きました。室内の温度を逃がさない「断熱工法」が施工されているので
す。わずかな太陽光を入れ込み、煮炊きの熱エネルギーを利用し、人間
の発熱量が約100Wと計算しています。
デンマーク人2世の方で、ケンジ・ステファン・スズキさんという方
から連絡をいただきました。デンマークに住み、幅広く自然エネルギー
事業を展開されている方です。
「日本の制度では、現状ですぐには自然エ
ネルギーを増やせそうにないから、デンマークに来るなら、コペンハー
ゲンの『地域熱供給システム』や一般家屋の『断熱工法』を視察すると
いいですよ」と言われました。EUの人たちの、環境とエネルギー節約
に対する熱意が伝わってきます。
EUの人たちのメッセージは、
「自然エネルギーを市民の手に!」とい
うことです。私たちもそうすべきであると思います。EUに学ぶことを
始めませんか。福島原発事故以降、美浜町の原子力発電所を訪れる外国
の要人が増えました。美浜町で原子力を厳しく批判してきた私ですので、
いつも案内を要請されます。そういった人たちとの接触、特に、通訳の
方を通して、
「美浜町と友好関係を築くことができるドイツの地方都市は
ありませんか」と、聞いています。具体的な情報もいただいています。
ドイツに限らなくても、デンマークやスウェーデンでも良いと思います。
現時点で最も可能性のあるドイツの地方都市と友好関係を結び、美浜
町民有志が、定期的にその町を視察できるようにしたいと私は考えてい
ます。そしてEUの人たちの考えを学ぶのです。EUで活動する地域の
リーダーに、美浜町へ来て頂くこともできます。そうすることで、自然
エネルギー推進を図る美浜町民の「合意形成」ができるでしょう。この
プロセスが重要であると考えています。そのために、町長の「はあとふ
る対話」を活かすことができます。
「はあとふる対話」をもっと進化させ
て、美浜町民に夢を描こうではありませんか。自然エネルギー推進に関
する美浜町民の合意形成ができれば、事は8割が成ったと言えるでしょ
う。
21
6,自然エネルギーの推進と一級の観光地
① 美浜町を「環境モデル都市」へ
「魅力的な旗」を立てることがとても大切だと思います。環境エネル
ギー政策研究所の提案を受けて、美浜町が「環境モデル都市」を目指そ
うではありませんか。素晴らしい「旗」です。EUが先駆的に成し遂げ
た経験に学び、省エネルギーを基本としながら「100%自然エネルギ
ー自給」を目指します。エネルギーだけではなく、ゴミを出さない町作
りも重要です。有機農業も大切です。流通を整備して、美浜町の物産を
販売することも大事です。美浜町民が競って集まれるような良い「目標」
を作ることが、最善のスタートとなるでしょう。
「魅力的な旗」を掲げることができれば、外部から優秀な人材が入っ
てきます。美浜町の職員募集を、全国へ公募できるのです。当倶楽部が
視察した高知県梼原町、徳島県上勝町は、限定的ですが、全国から職員
を採用し、町の活気を作り上げています。外部の力を活かすには、
「環境
モデル都市」を目指すことがとても有効であると思います。
② 民主的手続きを踏まえた対応
町長の「はあとふる対話」が、美浜町民の合意形成を図る重要なプロ
セスであることを先に書きました。今年の3月5日から7日にかけて、
高知県の梼(ゆす)原町、徳島県の上勝町へ、森と暮らすどんぐり倶楽
部が視察をしてきました。梼原町は税収わずか3億円程度(当時)の小
さな町ですが、2億円を超える負担金を盛り込んだ風力発電計画を実施
したのです。その計画を実行するために、地域ごとに対話会を行い、ア
ンケート調査で計画の是非を問いました。その結果、95%の町民が賛
意を示したのです。わずか600kWの小さな風力発電機2機ですが、
年間4千万円の収益を生み出し、数年で負担金を返済しています。今は
風車が生み出す利益を、一般会計には入れず、町民の自然エネルギー設
備の導入支援につぎ込んでいます(伊藤千尋著「地球を活かす 市民が創
る自然エネルギー」
)。
梼原町は、ソーラーパネル、小水力、バイオマス等へ積極的に支援し
ています。ソーラーパネル取り付けの支援は、1kWあたり20万円で
す。4kWのソーラーパネルであれば、梼原町支援分だけで80万円も
の支援になります。すごいですね。小さな風力発電機2基の稼ぐ資金で、
さらに、町のペレット生産工場を造り、マキストーブを奨励し、小さな
水力発電所も建設しています。梼原町が四国電力へ売電してきた価格が
11.5円/kWhでした。現行の再生可能エネルギー買取価格は、2
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0kW規模以上の区分で、税込み23.1円/kWhです。
新庄地区の馬場と田代を合わせたような小さな空間に、梼原町の中心
街があります。役場の建物、一部地中化された電線類、街の建物等には、
梼原町の意志が良く伝わる設計になっています。川の橋脚も、木の合成
材で作られていました。時代を切り開いてきた「雲の上の町」梼原町の
挑戦に、私たちは大きな感動を覚えました。
EUや国内の先駆者たちが民主的な手続きを用い、住民が賛意を示し、
大きな原動力を生み出した成功事例が、私の政策提案の基礎にあります。
梼原町の人たちも、町民有志でEU視察に行っています。議員ではなく
て、町民有志なのです。合意形成には、この点が大事です。
私は、梼原町と同じように美浜町民がEUを視察し、さらに、ドイツ
の自然エネルギーを推進する地方都市との交流を提案します。自然エネ
ルギー推進に取り組むドイツの地方都市と友好関係を結びましょう。美
浜町民10人ずつほどが、半年ごとにその町へ視察に行き、その見聞を
町民に伝えて頂くのです。町長の「はあとふる対話」を開き、そこで視
察に行った人たちが報告会をするのです。これを繰り返せば、美浜町が
大きく変われると、私は確信します。そのうえで、
「美浜町を自然エネル
ギーであふれる町に!」するかどうか、町民のアンケート、或いは住民
投票で決めて頂くのです。
③ 原発下請け企業と共に自然エネルギーを推進
私は、市民運動としては美浜町でただ一人、原子力発電所を厳しく批
判してきました。嫌な思いを幾度も経験してきました。しかし今は、美
浜町の未来を語り合える時代状況を認識し、私の屈折した思いをリセッ
トする決意をしました。原子力発電所で働く美浜町の経営者たちと手を
取り合い、美浜町の未来を共に作っていきたいと考えています。
若い経営者であれば、原発依存の業務体質から徐々に脱皮し、自然エ
ネルギー事業へ順次軸足を移していくことができると思います。美浜町
の若者の雇用をどんどん生み出していく気構えを持って頂きたいと願っ
ています。自然エネルギー分野には、そこかしこにITが絡んでくるで
しょう。若い人たちの出番です。EU視察にも、どんどん応募して頂き
たいと考えています。
経済産業省の有識者会議「調達価格等算定委員会」は4月25日、太
陽光など再生可能エネルギーの「固定価格買い取り制度」の原案を提示
し、この7月から施行されました。いよいよ自然エネルギーの普及体制
が整い始めました。電源別の買取価格体系は、私たちの予測の上限とも
23
なりました。策定委員会の意志を強く感じます。一足飛びには進まない
面もありますが、
「自然エネルギーで地域活性化」のスタートが、全国で
始まっています。私たち美浜町も、急いで準備を始めなければなりませ
ん。
④ ファイナンスの重要性
一般家庭が自然エネルギー設備を導入するには、設備の購入だけでは
なく、家屋の改修が伴います。かなりの高額となります。導入コスト負
担をどのように軽減していくか。地域の金融機関の支援が必要となりま
す。金融機関においても、たくさんのお金が必要になれば、必ずそれを
保証する信用が求められます。それらを担保する仕組みも必要です。行
政が関わることのポイントもここにあるでしょう。
一般投資家から資金を募る方法もあります。環境エネルギー政策研究
所が持っているノウハウでもあります。一般家庭からすれば、導入時の
高額な費用負担は困難です。毎月支払っている光熱費の範囲で、リース
制度のような支払い方法があればよいでしょう。設備を販売する地域の
会社も、一般ユーザーの可能な範囲で、導入設備を選択すればよいと思
います。問題は、そういう制度があるかどうかなのです。
さて、美浜町民の理解が進み、たくさんの自然エネルギー設備の導入
が進んだとしましょう。そうすることで、美浜町の小さな産業に技術力
が付き、近隣の地域に事業拡大を図ることもできます。先行有利なので
す。今年7月から「再生可能エネルギー特別措置法」(「電気事業者によ
る再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」2011,8,30 成立、
2012,7,1 施行)が施行されました。買い取り価格が適切に設定されまし
たので、後は、電力完全自由化を実現し、電力会社の買い取り拒否を許
さず、発送電分離が進めば、日本中のどこもかしこも、自然エネルギー
推進に走り始めます。
電力自由化に関しては、電力市場での公平な競争を促すため、公正取
引委員会が9月21日に提言を行いました。今まで大手電力会社が一体
で行ってきた発電と送配電を分離するだけでなく、小売り部門まで分離
するよう踏み込んでいます。電力小売り自由化を実施しただけでは既得
権を持つ大手電力会社の独占が続く恐れがありますので、競争状態を作
り出すための制度見直しが今後の大きな争点となるでしょう。一般家庭
を含めた電力小売り自由化がいよいよ実現されそうです。
一般家庭や小さな事業所の自然エネルギー需要は、小さな事業体の競
争となります。大きなビジネスチャンスが見えてきます。このチャンス
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を見逃す手はありません。
さらに、事業運営に当たっては、若い経営者向けに、会計事務所によ
る経営指導もお願いしなければならないでしょう。若くて優秀な経営者
が必要です。いかにそういう人材を求めるか、育成するか。大きなポイ
ントではないでしょうか。ファイナンスと会計指導により、堅実な事業
体が形成されると私は確信しています。
⑤ 美浜町を一級の観光地に
ずいぶん前のことですが、敦賀市のある建築設計士の方からお話を伺
ったことがあります。ヨーロッパに仲間と視察に行ったときのことです。
空港を降りて町並みを走り出すと、日本とはあきらかに景色が違います。
「素晴らしい風景だ」と思いながらも、あまり考えることなく日本に帰
ってきました。そこで初めて気が付いたそうです。
「電柱や看板がないか
らや!」。
ヨーロッパは都市計画がしっかりしています。どういう町を作るかと
いう「町の合意」が、行政に徹底されているのです。美浜町も一級の観
光地を目指すべきです。電線類の地中化を行い、看板類を規制し、美浜
町に来て頂くお客様に、感動を与えたいと思いませんか。
この事業にはたくさんの資金が必要です。電力会社、通信会社の協力
も必要です。日本のエネルギー政策に協力してきた美浜町なのですから、
しっかりした美浜町のビジョンを示すことで、国には、
「電線地中化を支
援してもらいたい」と要請すべきです。一気には無理でしょうから、1
0年という期間を設けて取り組む計画を作ればよいと思います。
⑥ 農林漁業の活性化
美浜町の農林漁業の活性化も合わせて考えることが重要です。私が住
む新庄地区に即して言えば、町の面積の半分強を占めています。滋賀県
境と接し、山林の大半が天然林です。6000ヘクタールに及ぶ新庄地
区の天然林は、美浜町に地下水を供給し、農業では潤沢に田畑の水を提
供しています。森林にはたくさんのCO2が固定され、地球温暖化防止
にも貢献しています。さらに、動植物や人間の生存条件である酸素も供
給しているのです。洪水の防止、気温の平準化、等々、人間にとって欠
かすことのできない機能を、森は提供してくれます。
ところが、あろう事か、森が生み出す生産物、機能は、全て無料で消
費されているのです。これでは森を守る雇用は生まれません。荒れた森
を復元することはできません。そこに目を付けた外国資本が、その日本
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の森を相場より高い価格で買いあさっています。世界から見れば、日本
の良質な水や森林資源は貴重品とも言えるのです。
森の生産物には、
「受益者負担の原則」を適用すべきです。そのように
主張することで、炭素税や水源税などを提案し、森を守る資金を確保す
ることができます。素晴らしい森は素晴らしい漁場を生みます。森は農
林漁業の基礎でもあります。都市部の生活者の基本的条件でもあります。
美浜町から森を守る仕組み作りを発信していただくことを、私は強く要
請します。
新庄地区は急峻な地形に囲まれ、そこには広大な天然林が育っていま
す。雨水を効率よくため込んだ天然林は、耳川の安定した水量を保持し、
バイオマス資源も豊富です。この貴重な資源が、全く評価を受けること
なく、地域の雇用を生み出していないのです。これらの資源を、環境・
持続性に配慮しながら、有効に利用するエネルギー生産システムを作る
べきです。
新庄地区には、集落ごとに生活用水が整備されています。日本の山村
の典型的な風景です。マイクロ水力発電機を設置して、小さな発電をす
ることが可能です。水車を回して動力を利用し、発電をすることもでき
ます。楽しい光景です。私たち森と暮らすどんぐり倶楽部が県内池田町
のメーカーと開発したバイオマスの熱エネルギーを使った給湯・暖房シ
ステム(マキキュート・システム)を町内の家庭に導入すれば、大きな
自然エネルギー利用となります。間伐材を利用した小さなマキ産業も生
まれるでしょう。太陽熱温水器とハイブリッドで組み込んでいますので、
年中利用できるシステムとなります。その家庭にソーラーパネルを乗せ
れば、エネルギー自給ハウス、即ちスマート・ハウスの誕生です。この
システムを「美浜町ブランド」として売り込むことも可能です。
新庄地区(滋賀県境)での風力発電計画は、ずさんな計画を批判され、
頓挫してしまいました。高知県梼原町が行ったような手続きを踏めば、
新庄地区の風力発電計画は復活するかも知れません。風力発電機の巨大
化を目指すのではなく、1000kW~1500kWクラスの小さな発
電機を数基建設できれば、美浜町には十分ではないのでしょうか。大き
な会社(ゼネコン)が入り込んで、建設した時点で国の補助事業による
利益をかすめ取るような企画ではなく、エネルギーを市民の手で生み出
す発想が成功すると言えます。
新庄区民が自然エネルギーへの関心を高め、新庄区民が自然エネルギ
ー生産に参加することが重要であると思います。新庄区民有志がEUを
視察し、EUの人たちがどういう思いで自然エネルギーを手にしている
26
のか、どういう手法で実現しているのかを学ことが必要です。
EUの一部の国では、森林資源が持つ癒し効果、フィトンチッドによ
る治療効果を生み出しています。森林セラピーコースを整備して、そこ
に健康保険が利用可能な仕組みを作っています。ホテルに宿泊しますと、
そのような地域のシステムを守るために一定のお金を徴収する仕組みも
できています。森の機能を活かした新しいシステムを作り上げることも、
是非美浜町でやってみたいですね。
若狭地方は、かつてアブラギリの実を利用した「桐油」(とうゆ)の生
産が盛んでした。最盛期には、全国でもダントツの桐油生産量を誇って
いたことが記録されています。私がまだ幼かった頃には、地域の多くの
人が餅つきの臼のような道具にアブラギリの実を入れて、外皮と種子を
分離していました。地域の人たちが桐油生産に関わっていた作業が、私
の記憶に残っています。車の燃料等にバイオエタノールを一定の割合で
使う制度ができれば、この油を使って、美浜町には小さな産業ができる
ことになるでしょう。そうなるように私たちは主張すべきです。新庄地
区を想定しただけでも、様々な可能性が見えてきます。
農業、漁業にも、現状を見直す企画が必要であると思いますが、残念
ながら、私にはその能力がありません。私に言えることは、一次産業に
「流通を活かす」発想が必要だということです。農林漁業の人たちが良
い生産物を生み出したとしても、それを「販売するノウハウ」を持って
いないことを強く感じています。そのためには、自分たちの誇れる生産
物を、消費者にできるだけ高く買ってもらうための「価格交渉力」が必
要です。農林業、漁業の分野の方たちに、是非、美浜町の未来を熱く語
って頂きたいと思います。
町長が力を入れている若狭美浜「はあとふる体験」は、少しずつです
が、着実に成長してきましたよ。一次産業を営む「ひと」と交わる体験
事業です。しかし、福島原発事故を受けて、原子力発電所があることが
理由で来てくれなくなった学校も出てきました。今年はかなり減少しま
した。私たちの町には辛いことですが、致し方ありません。原子力発電
所を無くす努力を続けることでしか、多くのお客様の理解を得ることは
出来ないでしょう。
一定のレベルに達したとは言え、
「はあとふる体験」に参加して頂ける
学校、生徒数は足踏みしています。受け入れ態勢もまだ不十分です。
「自
然エネルギーであふれる町づくり」がスタートすれば、競って、多くの
学校が参加してくれることでしょう。忙しくなります。受入準備が必要
です。美浜町民が総力を挙げてお客様を迎え入れなければなりません。
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受入準備を整えましょう。自然エネルギー、農林漁業の力で、美浜町の
収益性を高めていくのです。
⑦ 自然エネルギー特区構想
様々なことを先駆的にしようと思うと、国の規制の壁に突き当たりま
す。日本では全国一律の規制であるために、その壁に阻まれて、なかな
か実現できない場合があります。自然エネルギーを推進するに当たって、
現状で分かっている点については、それを解決すべく特区申請をすべき
だと思います。ここは国だけでなく、電力会社の協力も求めなければな
りません。国には、美浜町の企画に参入する企業へ税の優遇制度を設け
たり、誘致企業の斡旋を行ったりするよう求めることも必要です。電力
会社には、美浜町が自然エネルギーを増やしていくための基金作りを担
って頂くことも可能です。
自然エネルギーを増やしていくと、一定レベルに到達すれば、現状の
送電網では支障が生じます。新たな送電網、即ち、変動する需要に変動
する自然エネルギーを合わせて調整することができる送電網が必要にな
ります。「スマートグリッド」(賢い送電網)と呼ばれています。アメリ
カのオバマ大統領が力を入れているシステムで、日本のそうそうたる企
業がアメリカの地で実証試験を行っています。
ITを使い、バッテリーを利用します。自動車のバッテリーも送電網
につながり、不足時には網側へ放電することができます。車だけでなく、
電気製品などもスマートグリッドの標準に合わせて作らなければならな
くなります。日本の携帯市場で独自路線を歩んで失敗した経験がありま
すから、最初はタカをくくっていた日本企業も、今は真剣に開発に参加
しています。日本でも、既に都市部の方で数カ所、実証試験を行ってい
ます。美浜町も国や関西電力に強く要請してほしいと思います。美浜町
という地形的に閉鎖的で狭い区域でスマートグリッドの実証を行うこと
は、条件も良く、とても意義があると思います。日本の典型な地域形態
でもあるからです。
成すべきことは山ほどあります。一つ一つ丁寧に、美浜町の未来のペ
ージをめくっていきましょう。
7,原子力発電所のソフトランディング
福島原発事故以降、原子力発電所の廃炉が具体的に語られるようにな
りました。
「40年で廃炉」ということになれば、美浜町には後4年で全
ての原子力発電所がなくなります。直下地震や老朽化による重大事故の
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危険を考えれば、直ちに3基とも廃炉にすべきです。この状況において
美浜町が何も手を打たなければ、美浜町経済が大打撃を受けることにな
ります。それは何としても避けたいというのが私の思いです。原子力発
電所の廃炉は、決定に至るまでのプロセスを含めて、できるだけ丁寧に
行わなければならないとも考えています。
私は、美浜町で長い間原子力発電所を批判してきた者として、都市部
の人たちの運動とのギャップを常に感じてきました。都市部の多くの人
たちは、
「危険な原発は止めればよい」という思いなのでしょうが、私に
はそうはいきません。原子力発電所で働いている人たちの生活がありま
す。自治体の財政問題もあります。それらを解決しようとせずにただ「止
めればよい」と言うのであれば、私は都市部の人たちに反旗を翻さざる
を得ません。
原子力発電所の理不尽さを訴え、原子力発電所の運転を速やかに止め
るために、私は家族の安らぎを犠牲にして、活動してきました。美浜町
の新庄地区における生活では、子供会活動に関わり、村の行事を楽しみ、
軟式野球やソフトボールでも、地域の仲間たちとチームを組んでいまし
た。そこにはいつも、原発で働く人たちと家族がいました。
「今は自分た
ちの力が弱くて原子力発電所の運転を止めることはできないが、止まる
ときには、その人たちの職を確保したい」と思い、発言もしてきました。
ところが、都市部の運動には、なかなか理解を得られませんでした。ど
うやら私の思いを強く伝えなければならない時期が来たようです。
都市部の人たちとの運動から一定の距離を置いて、立地地域から、私
の思いを都市部の人たちに伝える運動を目指さなければと考え始めてい
ます。都市部の人たちと私との決定的な違いは、私は原子力発電所で生
計を得ている人たちと常に一緒に生活しているという1点にあると考え
ています。このギャップを埋める活動に力を注ぎたいと考えています。
都市部の人たちの運動に欠けていると感じるものは、原発を止めるこ
とに一生懸命だけれど、具体的に「原発をどのように廃止していくか」
の議論がほとんど無いことです。原子力発電所の運転を止めることで、
原発重大事故の危険はなくなり、これ以上危険な使用済み核燃料が生み
出されることもありません。しかし、汚染された原発の廃炉の方法さえ
確立されていません。原子炉建屋内のピット(プール)に使用済み燃料
が残れば、危険を取り除いたことになりません。福島第一原発4号炉で
そのことが証明されました。原子力発電所の運転を止めたいと考えるの
なら、
「使用済み燃料を、どのような方法で、いつまで、どこに保管する
か」の議論を避けて通ることはできません。
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原子力発電所の危険を隠蔽し、原子力発電所を運転することで莫大な
利権を生じさせ、その利権に群がる仕組みを作ってきた原子力ムラの行
き着く先が、福島原発事故でした。処分法も決まらない膨大な使用済み
燃料を生み出し続けた責任は、許し難く、数万世代先の子孫にまでその
管理責任を負わさなければなりません。倫理的に見て、とても許されな
いシステムです。
しかし、そのように国や電力会社を厳しく批判したとしても、私たち
の眼前に突きつけられるのは、
「この使用済み燃料を具体的にどう解決す
るか」です。国は、使用済み燃料を再処理して高速増殖炉で燃やす方針
をとり、使用済み燃料はゴミではなく有用資源だと言い張っています。
六ヶ所村再処理工場や高速増殖原型炉もんじゅの開発が破綻しても、
「い
つかは再処理のために原子力発電所から搬出する」との虚構を描き、原
子力発電所サイト内に使用済み燃料を大量に貯蔵し、中間貯蔵施設の立
地を模索してきました。再処理後の高レベルガラス固化体については、
「深地層処分」するとしています。
この方針の下に、立地市町も福井県も、
「使用済み燃料をはじめとする
核のゴミは福井県外へ搬出する」よう求めています。どこに受け入れ先
があるというのでしょう! 教えて下さい! 「よそへ持って行け」と
言っても、核のゴミの受け入れ先が決まらなかったら、使用済み燃料は
美浜町で、いつまでも原子炉建屋のピットに保管されることになります。
愚かなことです。
苦渋の策として、私は昨年7月7日、一定の条件を課して、町長へ「美
浜原発の廃炉に伴う使用済み燃料を美浜町で保管する」よう提案しまし
た。国が脱原発・再処理放棄へ原子力政策を転換させ、国と電力会社の
責任で使用済み燃料の超長期安全管理体制を整備するまでは、どう考え
ても、美浜町で保管するしか方法がないのです。美浜町民にとっては、
これは大変な判断が求められます。
経済産業省は来年度から使用済み核燃料の直接処分法の研究を開始す
るとしていますが、「深地層処分」を基本にしているとすれば問題です。
現世代や次世代から見えなくするための「深地層処分」ではなく、見え
る形で監視し続けるための超長期安全管理体制の確立が不可欠です。
原子力発電所を美浜町で批判することで、私は辛い目に遭ってきまし
た。原子力発電所が止まりそうになったときに、こういう提案をするこ
とで、再び美浜町民から嫌われるのではないかという思いが湧いてきま
す。使用済み燃料の政策を提案することは、最初はすごく抵抗がありま
した。しかし、「それしか方法がない」のです。
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美浜町外で原子力発電所の電気を使い続けた人たちは、
「使用済み燃料
は美浜町で保管するしか方法がない」とはとても言えないでしょう。し
かし私なら、長期間にわたり美浜町で原子力発電所を厳しく批判してき
たこと、美浜町で原子力発電所に関わる人たちの生活に心を割いてきた
という経緯から、
「使用済み燃料を、超長期安全管理体制が構築されるま
で、美浜町で可能な限り安全に保管することを求めることができる」ポ
ジションにいると考えています。以下にその思いを述べます。
① 使用済み燃料保管について
・美浜町に新たに原発を作らず、3機とも廃炉にする
・美浜町で生み出した使用済み燃料のみを美浜町で保管する
・原子炉から取り出して10年以上ピットで十分冷却した後に、
乾式(キャスク)貯蔵で保管する
・耐震構造を徹底する
直下地震に備えて貯蔵ピットの耐震性を抜本的に強化す
る。キャスク貯蔵施設の免震構造化
・国は、直下に震源断層のある美浜原子力発電所サイトから可能
な限り早期に使用済み燃料を搬出することを確約し、使用済み
燃料の超長期安全管理体制を「20年以内」など期限を切って
構築する
上記の条件をクリアすることなしに、美浜町での使用済み燃料保管は
あり得ないと私は考えています。美浜町民の合意が得られないと思うか
らです。かつて美浜町が誘致しようとした「再処理までの使用済み燃料
の中間貯蔵施設」の立地は、許されません。私の提案は「美浜原発廃炉
に伴う使用済み燃料のやむを得ない保管」についての提案です。国が脱
原発を政策の前提としない限りは、超長期安全管理体制の確立もあり得
ません。その意味では、私の提案は、全国的な脱原発を早期に進めるこ
とと一体のものです。ピットから溢れ出る使用済み燃料の保管先を確保
して、原発を 60 年もの超長期間運転し続けようとする電力会社の方針と
も全く無縁のものです。
福井県は使用済み燃料のピット保管について、県外搬送を求めていま
す。長期的にはそれで良いと私も考えています。使用済み燃料を長期保
管する場所としては、美浜発電所サイトは適地ではないからです。ただ
し、搬送先が見つかり、搬送されるまでは、使用済み燃料がピットで保
管されることになります。それは危険です。ですから、その間だけ、美
浜町の監視の下、関西電力と国が責任を持って使用済み燃料をピットか
31
ら取り出し、より安定した乾式貯蔵で保管すべきであることを述べてい
るのです。福井県と密に連係し、相互に納得できる解決策を求めるべき
です。
最近では、再処理路線を見直し、使用済み燃料(高レベル放射性廃棄
物)を直接処分する方法について見直す動きが出てきました。日本学術
会議がその方向で報告書を正式決定し、9月11日に内閣府原子力委員
会へ提出しています。高レベル放射性廃棄物を地中深くに埋設するので
はなく、地上や地中に一定期間保管した上で技術開発を進め、最終処分
法を新たに決めるべきだとしています。私の主張に近い内容です。
そうなれば、青森県六ヶ所村に搬出した美浜原発分の使用済み燃料(4
50体強)が美浜発電所へ返還されるという事態も想定しなければなり
ません。最近では、
「使用済み燃料の再処理事業は、原発に使用済み燃料
がたまって稼働できなくなるのを防ぐため」と、電気事業連合会の幹部
が明言しています(中日 2012,9,5)。以前から核燃料サイクルの破綻が指
摘されていましたが、もともと、再処理事業の発端は「トイレ無きマン
ション」をひた隠すためでした。もうずいぶん前になりますが、この件
に関して、当時の原子力推進月刊誌「原子力工業」に記載された「武藤
論文」が詳しく指摘していました。以前から知られていたことなのです。
野田政権では再処理をめぐって右往左往していますが、再処理事業の見
直しは確実と言えるでしょう。福島原発事故を経て、一部では、ようや
く現実的な議論が始まったようです。
② 民主的手続きを踏まえた対応
使用済み燃料という名前が剥奪され、核のゴミとなる危険性のある超
危険な使用済み燃料を、一時的ではあるとしても美浜町で引き受けるこ
とは、美浜町民には重い決断となります。
「自然エネルギーの町へ転換す
る」ことと同じプロセスを経て、国、電力会社、美浜町が誠実な説明責
任を果たし、町民の合意を得なければなりません。
町長が行っている「はあとふる対話」で、町民と向き合い、意見交換
をすることが大事です。国や電力会社と共に過去の過ちと正対すること
も欠かせません。そうすることで、町民の信用を得ることが出来ます。
苦しい判断になるかも知れませんが、町長にはぜひ実行して頂きたいと
思います。
「はあとふる対話」の後に、アンケート調査か、住民投票を行って、
町民の判断を求めて下さい。美浜町民が「NO!」と言えば、
「万事休す」
です。しかしそれも、美浜町民の選択肢です。そういう結果が出れば、
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次善の策を考えなければなりません。そうならないために、失われた「政
治の誠心誠意」が大切だと思っています。
③ 原発立地点の脱原発支援制度の構築
美浜町のビジョンを達成するためには、自助努力はもちろんですが、
初期の時点では多くの支援に頼らなければなりません。電源三法交付金
によってつくられた箱物については、維持費がかさむだけのものは廃止
を含めて検討し直すべきですし、国も電源三法を廃止して、
「電源三法交
付金による負の遺産」の精算行為を認め、そのための予算を付けて支援
すべきです。美浜町のビジョンに沿って脱原発地域社会を構築するため
の自然エネルギー推進基金を電力会社等に創設させ、国も再生可能エネ
ルギー普及予算を「廃炉による脱原発社会への脱却を決断した原発・核
施設立地点」へ優先的に配分するなどにより支援すべきです。
使用済み燃料保管に際しては、国による超長期安全管理体制構築を急
がせるためのペナルティとして、また、電力会社への危険物保管継続の
ペナルティとして「使用済み燃料保管特別税」のようなものを国と電力
会社に課すのも一案でしょう。
この場合、使用済み燃料を有用資源と見なして使用済み燃料税を課す
自治体もありますが、私の提案は、核のゴミとなった使用済み燃料とい
う「危険物保管にかかる課税」という別の考え方になります。いずれに
しても、原発の運転に伴う使用済み燃料の貯蔵問題を、サイト内貯蔵拡
大で切り抜けようとする電力会社や国に利用される恐れが残りますので、
「細心の注意」が必要です。
これらの基金、優遇予算、特別税などを、美浜町における自然エネル
ギーを導入するための企画、生産、研修、等に活かすべきです。この事
により美浜町が変わることができれば、都市部の電力消費者も電気料金
や税金を通じて、美浜町の脱原発化に寄与して頂けるのではないかと思
います。これらの点については、美浜町だけでは困難に思われますので、
福井県と連係して進めるべきではないかと考えています。
④ 廃炉後の敷地の活用とその実現性
「当時、閉鎖には原発の作業員も地域の人も落胆した。廃炉を順調に
進めるためにも、人々が将来を見通せる何かが必要だった」と、
「廃炉プ
ロジェクト」を担うEWN(北部エネルギー会社)の前最高経営責任者
リッチャー氏が語っています。廃炉跡地には、広い敷地と港があります。
加圧水型軽水炉であれば、タービン建屋は大きく、大きな構造物を作る
33
企業には魅力的でしょう。ドイツのグライフスバルト原発の跡地は、い
ま新エネルギー産業の拠点に変わりつつあります。そこには約30社が
進出し、敷地のほとんどは立地企業が買い上げています。
廃炉跡地には、道路網がつながり、送電網があり、通信網が整備され、
小さな港があります。それだけではありません。原子力発電を担ってい
た溶接などの技術者がたくさんいることが、進出企業の魅力でもあった
のです。
グライフスバルト原発を閉鎖してから20年。当初は、企業の誘致に
よる雇用の総数は800人を見込んでいたそうですが、今は1100人
にもなっているそうです。「どこでも跡地利用が成功するとは限らない。
だからこそ、早くから備えておくべきだ。どんな原発も、どんな最新の
技術で延命しても、いつかは止まるのだから」と、リッチャー氏は述べ
ています。美浜町の未来を勇気づけてくれる言葉です。
(以上、朝日新聞 2012,1,3 朝刊より引用、一部松下加筆)
脱原発政策をとっているドイツでは、使用済み燃料の集中貯蔵施設を
3箇所設置しています。今なお原発推進策を採り続けている日本とは大き
く異なります。廃炉には、「解体処分」と「密閉管理」の二通りがありま
すが、「解体処分」では放射性廃棄物が大量に生み出されます。その処分
方法と処分場所が必要です。ドイツでは高レベルガラス固化体や使用済み
燃料を岩塩層に長期間保管し続ける方法が検討され、高レベル放射性廃棄
物処分地もゴアレーベンともう一箇所が平行して検討されようとしてい
ます。低レベル放射性廃棄物処分場も設置されています。
地震・火山国である日本には安定した地層が存在しない可能性が高く、
使用済み燃料のワンススルー路線に転換しても、使用済み燃料の処分をど
うするのかが問題になります。六ヶ所村に、廃炉に伴う放射性廃棄物を集
中させ、名実共に核のゴミ集積センターにしてしまうのがいいのでしょう
か。私には疑問です。
このような日本の現状では、汚染された原子炉建屋等は解体せずに、
「密
閉管理」し続ける以外にないのではないかと思います。また、使用済み燃
料はこれ以上生み出させず、生成してしまったものは、国の責任で超長期
の安全管理体制が構築されるまで、サイト内で保管し続けることを認める
以外にないと私は考えています。こうした議論の後に、廃炉後の跡地利用
が進められることになります。
美浜町は海の名を冠した町です。波力発電は、美浜町になじみやすい
システムではないでしょうか。波力発電の研究施設を、岩手県が誘致し
ていることが報道されました。美浜町も廃炉後の敷地に、波力発電研究
34
施設を要請してはどうでしょうか。美浜原発タービン建屋の寸法を関西
電力から聞きました。長さ160m、幅40m、高さ30mというばか
でかいものです。グライフスバルトのように、風力発電用のタワーを造
る工場を誘致することも可能です。これから需要が発生する使用済み燃
料保管用キャスク製造工場を誘致するのも一案です。原子力発電所サイ
トにある港湾設備が、参入企業の魅力となるでしょう。
私たちは臆せず、前向きに、できることを全て行う。この必死さが美
浜町の未来を作り出すのだと思います。
8,
廃炉事業
原子力発電所が廃炉を迎えるのは、至極当然のことです。これほど危
険で巨大な設備が、廃炉解体処分だけを念頭に置き、その具体的基準さ
え無いというのは、安全規制において無責任です。福島原発事故が起き
て今なお、明確にはなっていません。40年で原則廃炉と言いながら、
20年延長も語っています。原発震災という大変な惨事を引き起こしな
がら、この有様です。
日本にはもう新たな原発は建てられないでしょう。以前とは、パワー
バランスが大きく変わってきたからです。関西や中京圏の有力知事、市
町村のトップ、議会の方たちが、国や電力会社の安全無視の姿勢を厳し
く批判するようになりました。脱原発世論の高まりが背景にあるからで
す。4月28日には「脱原発を目指す首長会議」が発足しました。全国
の64区市町村長が参加しています。総会には、多数の首長や代理人が
東京「城南信用金庫」の会場に集まりました。関西の有力知事たちと平
行して、この「首長会議」も大きな発言力を持つことになるでしょう。
原子力の利権構造が、マスコミでも明らかにされはじめました。かつ
て無かったことです。電力を生産する総括原価に、マスコミのPR費等
を組み入れることができなくなったからでしょう。マスコミによる電力
批判の影響は大きいですね。
さらに、再生可能エネルギーが急激に増える条件が整いつつあります。
美浜町では、自然エネルギーに関する新たな動きに対応しながら、放射
性廃棄物が無責任に処分されたり、労働者被曝が強要されたりしないよ
うに、廃炉事業はしっかりと計画され、実施されることが重要です。原
子力発電所の定期検査に関わっていた美浜町の小さな会社に、廃炉作業
を担ってもらうことが必要です。
廃炉事業は電力会社にとって、全くの損失分野です。定期検査の作業
は利益を生むための投資的作業ですが、廃炉作業はそうではありません。
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厳しい作業単価が打ち出されるかも知れません。原子力発電所の運転コ
スト削減のために、定期検査の作業単価がかなり切り下げられてきまし
た。美浜町の経営者の方から私に、
「仕事があっても利益が出んのや」と
関電の単価切り下げを告発されたことがあります。廃炉作業がこれでは、
廃炉事業を担わなければならない美浜町の小さな会社は、干されてしま
います。
個々の小さな会社が関西電力と直接交渉することは不可能でしょう。
行政や民間企業、一般市民から成る特定組織が、交渉の役割を担うこと
ができます。これはとても重要な案件ですので、国や電力会社と、丁々
発止と交渉しなければなりません。廃炉事業を国が直接に行うというド
イツのような一部事例も検討する必要があるでしょう。こういう事業を
民間に任せることは、そもそも無責任と言えるかもしれません。もちろ
ん、事業費用の大半を電力会社が負担する責任もあります。
① 廃炉ビジネスのルール作り
原子力発電所は、核燃料から漏れ出た死の灰などの放射能や、炉心周
辺で金属やコンクリート材が放射化されてできる誘導放射能で汚染され
ています。原子炉建屋内の一次系が最もひどく汚染されており、美浜原
発2号機の二次系は蒸気発生器細管が損傷して漏れ出したもので汚染さ
れています。しかし一次系と比べれば放射能汚染度は低いと言えます。
また、誘導放射能はマンガン Mn54、鉄 Fe55 やコバルト Co60 などが
支配的であり、20 年程度密閉保管すれば放射能量は 1 桁下がります。こ
れらのことを考慮すれば、放射能で汚染されていない建屋・構築物や機
器・配管類(ほぼ9割がこれに相当する)は解体撤去しても問題ないと
言えます。原子炉建屋をはじめ汚染されているところについては、20 年
間閉鎖したまま「密閉管理」し続けるべきだと考えています。
また、クリアランスレベルを 1 桁以上大幅に引き下げるべきです。放
射能濃度の高いガレキが誤って再利用されたり、一般廃棄物並みに処分
されたりすることのないようにすべきです。原子炉建屋は誘導放射能だ
けでなく、漏れ出した死の灰などの放射能も蓄積されていますので、簡
単には減衰しません。したがって、原子炉建屋ごと密閉管理し、制御棒
などの比較的放射線量の高い廃棄物を「余裕深度処分」などせずに、一
緒に貯蔵し、「密閉管理」し続けるべきです。そうすれば、労働者被曝を
最小限に抑え、放射性廃棄物の発生量も少なくできます。
原子力発電所をソフトランディングさせるために、地域の雇用を確保
しなければなりません。放射能汚染状況を常時監視し、被曝量を最小限
に抑えながら、末端の汚染されていないところから解体撤去していく必
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要があります。極度に汚染された原子炉建屋以外の廃炉作業が完了する
までには、数十年かかります。解体撤去したドイツの事例では20年近
い年月がかかります。これには使用済み燃料冷却保管期間や放射能減衰
待ちの期間が含まれるため、常時大量の雇用が確保されるわけではあり
ません。自然エネルギーへ雇用がシフトされるまでは、安全な解体作業
に美浜町の企業を優先的に活用してもらわなければならないと考えてい
ます。それは国と電力会社の責任です。
また、廃炉決定から廃炉作業に至るまでの間はどうなるのでしょう。
補償がなければ美浜町の小さな会社は倒産し、従業員は他へ就職口を探
すことになるでしょう。そうなると、廃炉作業には経験者がいなくなり、
スムーズに進まなくなります。これでは無責任です。そうならないため
にも、立地自治体は国、電力会社としっかり交渉しなければなりません。
定期検査などの請負形態は、何層にもなっておりました。独占と総括
原価方式がそれを可能としていたのですが、廃炉作業ではその多重構造
を取っ払う必要があります。直請け会社と美浜町の会社が作業を請け負
うべきです。新型転換炉「ふげん」の廃炉作業はどうなっているのでし
ょうか。しっかり検証して、美浜町としての廃炉ルールを議論すべきだ
と考えています。
② 放射線管理・健康管理の徹底
原子力発電所の中でも、汚染された区域の解体作業は放射線被曝が伴
います。被曝の危険をなくすためには、放射能に汚染された危険区域は
立ち入り禁止にして、20 年程度密閉して誘導放射能の減衰を待ち、放射
能に汚染されていないところの作業に限定して解体処分を進めるべきで
す。この場合でも、放射線測定・管理をしっかり行って、作業者の健康管
理を丁寧に行う必要があります。定期検査のような厳しい工程管理は求
められないでしょうから、時間をかけて、最良の作業方法を開発すべき
です。
9,終わりに
長々と書き続けてきましたが、原子力にエネルギーを頼ることの愚か
さを認識して頂くことが重要なテーマでした。その上で、美浜町が脱原
発にカジを切らなければ生きていけない現実を直視し、町民との対話を
通して、
「自然エネルギーであふれる美浜町に!」するための「合意」を
作る必要性を訴えました。私の力量では、この2点が全てと言っても良
いでしょう。一町民として、恨み辛みが混ざった泥臭い言葉で私の思い
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を提案しました。環境エネルギー政策研究所の具体的で建設的な政策案
をいただき、美浜町を自然エネルギーで満たすという「大きな合意」が
できれば、これに勝る幸せはありません。
美浜町が自然エネルギーであふれるようになれば、間違いなく、観光
客があふれる町になるでしょう。全国から多くの視察客が来てくれるで
しょう。そうなれば、全国の他の立地町の模範となり、スムーズに、順
次、脱原発がかなうことになると考えています。
原子力発電所が建設されるまでは、美浜町は海を中心とした観光の町
でありました。その町に自然エネルギーをたくさん注ぎ込んで、賛成も
反対もなく、美浜町民が力を合わせて、明るく町づくりができる条件を
整備していきたいと願うものです。
福島原発事故以降、定期検査に入った原子力発電所が、世論の圧力に
より次々と運転再開をストップされることになりました。しかし福島原
発事故の原因が解明されないまま、国会の事故調査も終わらないうちに、
政府が大飯原発3・4号機の運転再開を強行しました。安全無視・経済
優先の姿勢に批判が集中しています。国と原子力安全・保安院や原子力
安全委員会等の、福島原発事故に関する責任も問われていません。定期
検査後の再稼働を旧規制体制のままで行おうとする姿勢を、世論は許さ
ないでしょう。
過去の事故時のケースでは、事故後に原子力安全・保安院が出てきて
「安全宣言」を行うことで、立地市町と県、国の間で「合意」を作り、
運転再開をもくろむことは可能でした。しかし福島原発事故以降はそう
はいきません。立地自治体の周辺の人たちが「被害地元」を訴えて、耐
震安全の見直し、チェック体制の見直し、事故時の避難態勢等を求めて
立ち上がりました。大阪府市のトップによる強い意志が、国の安易な再
稼働に待ったをかけています。滋賀県知事、京都府知事が連係し、7項
目の提言を行って、国の安易な再稼働へクギを刺しています。
ところがその思いは立地自治体には届かず、おおい町議会は再稼働を
圧倒的多数で容認してしまいました。おおい町民の思いには、美浜町民
の思いと通ずるものがあります。
「原発があることの不安」と「原発が無
くなることの不安」を秤にかけた、おおい町議会の苦渋の判断であると
私は考えています。
大飯原発再稼働は、立地町の「雇用」と「財政」問題です。おおい町
の経済問題なのです。原子力を批判する人たちには、この事を是非理解
して頂きたいと私は考えています。滋賀県知事、京都府知事の連名で出
された7項目の提言の中に、立地自治体への経済支援が盛り込まれてい
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ました。深く感謝しています。立地自治体の思いと、被害を受けること
が予想される周辺自治体、電力消費地の間で、原子力発電所の廃炉に向
けた丁寧なプロセスをとおして、課題を解決すべきことを強く望んでい
ます。
そして、立地自治体の経済的自立のために、電力消費地と立地住民が
共に協力し合い、原子力発電所のソフトランディングを成し遂げたいと
願っています。
<添付資料>
① 政策提案イメージ
② 美浜町の活性化案
③ 再生エネルギー法
④ 使用済み燃料保管
⑤ EU視察
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鳥瞰
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