平成25年 4月 - fws-2

■ 25年4月度
●公益社団法人日本技術士会登録グループ
第140回 「生体・環境・保全交流会」月例会
日 時: 25 年 4 月 12 日(金) 17:30~20:30
会 場:技術士会第二葺手ビル会議室 参加者:20 名
小説の物語は著者のオリジナルであるフィクションです
が、背景となっている「あかつき丸」の航海に関しては、
時間、空間ともに事実を記述していただいた。著者の描く
人間模様がこの小説の尽くせぬ魅力であり、背景となっ
た「あかつき丸」の航海記は公表された記録として永遠に
残る思い出になりました。
演題:プルトニューム輸送船「あかつき丸」の航海
講師:海洋会 VC 代表幹事 谷山 洋 先生
<講演要旨>
あかつき丸は、平成4年から5年までの約1年間だけ日
本国籍の核燃料運搬船として存在しました。もともとは英
国船籍の Pacific Crane 号で、日本の原子力発電所の
使用済核燃料を英国や仏国の再処理工場へ運搬する
役割を果たしていました。この船が日本国籍の「あかつき
丸」になったのは、高速増殖炉の燃料として使用されるP
u(プルトニウム)をフランスのシェルブール港から茨城県
の東海港まで運搬するために改造され、日本の海上保
安庁が護衛するために日本国籍の船になり、日本の乗
組員により運航されました。Puは、核兵器への転用が心
配された核物質であるため、テロリストなどから狙われるこ
とが懸念されました。そのため、この船に関する情報は公
表されたものが極めて少なく、このことが世間やマスコミ
の関心を深めた一因になりました。
平成4年11月7日夜 シェルブールを出港し、大西洋
を南下し、11月29日に南アフリカの喜望峰を過ぎるま
で、環境保護団体グリーンピースの船が追尾した。この
航海には、海上保安庁の護衛艦「しきしま」が併走し、東
海港に入港するまでの全航程35,000kmを護衛にあた
った。 この航海が無事終了した平成5年1月以降は世
間の関心が薄くなって行った。
「陸影を見ず」カバー
2011年3月11日の東日本大震災、大津波の自然災
害にフクシマという未曾有の大災害、人類が完璧に手中
におさめた・・と思われた原子の火、その起源は1942年
シカゴ大学構内のフットボール競技場の観覧席の下でイ
タリーから亡命したエンリコ・フェルミが率いる物理学者や
技術者の理論と実験から誕生した。その僅か3年弱後に
我が国は原爆という形で原子力の脅威に曝されてしまっ
た。不幸な原子力との出会いです。1940年は Pu がシー
ボーグ博士によって UCLA で発見されます。核分裂反応
で莫大なエネルギーが取り出せることが分かった当初か
ら、その副産物としての Pu の利用が増殖炉の可能性を
示唆していました。いわば究極の核分裂利用が高速増
殖炉です。茨城県にある高速実験炉「常陽」、この成功を
基礎に発電用の「もんじゅ」が建設された。この原子炉は
我が国の技術の粋を結集して作られた国産炉です。
種々のトラブルにあい未だに完成に至ってないが、致命
的な事故には遭遇していない。福島事故を乗り越えて我
が国独自に更に安全性を高めた原子炉として、もんじゅ
型の原発を開発して、ウランといえども化石燃料であり、
今後東アジアで多くの軽水炉が導入されて到来する近
未来のウラン争奪戦を回避するためにも高速増殖炉の
開発を我が国がリードして推進すべきと考えます。
(講師 記 あかつき丸乗船班長)
Pu 輸送船あかつき丸(模型)
その後、作家の曽野綾子さんがこの船の航海を小説
「陸影を見ず」に残されることになり、当事者として取材に
協力させていただく機会を得た。
【所感】Pu 搬送が、どういう意味をもつか歴史的判断を下
すのはまだ早い。人はあらゆることを試み、生きるしかな
い。100 年、1000 年先にどういう結果を生むか誰もわから
ない。曽野さんのあとがきである。今のエネルギー政策に
も通じる言葉でもある。(金子守正 記)