これは多摩美術大学が管理する修了生の論文および

これは多摩美術大学が管理する修了生の論文および
「多摩美術大学修了論文作品集」の抜粋です。無断
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河村 恵理
Eri, Kawamura
アンゼルム・キーファー
絵画の背後にあるもの
序章
「私は絵の背後になにがあるのかを示すために絵のなかで語る」。1このア
ンゼルム・キーファーの発言は、絵画とは平面であり、その平面上に描きこま
れた存在するもののみの現象であるという絵画の概念を覆すような謎めいた言
葉である。キーファーは、様々な主題を用いて絵のなかで語るのだが、それら
主題で表面的にある主題の内容と、画面の背後にあるものを示すということで
ある。奥にも何かがあるというこの 2 重の構造は、絵画という平面でありなが
ら、立体的な空間を私たちに呼び起こさせる。キーファーの作品中にあるこの
背後にあるものとは何であろうか。キーファーの描く多彩な主題と、主題の背
後に何かを示すために用いる芸術システムを考察していくことによって、その
背後にある実像に迫ろうとするのがここでの試みである。
現在まで、アンゼルム・キーファーの扱った主題はナチス、北欧神話、ギリ
シャ神話、エジプト神話、ワーグナー、ゲルマン叙情詩、聖書、錬金術、カバ
ラ、ヨガなど多岐にわたる。
この主題ごとに整理し、考察することが可能に思える。
1987 年にアメリカのシカゴとフィラデルフィアで開かれたアンゼルム・キ
ーファー展で、キュレターを務めたマーク・ローゼン[規模な展示においてこ
れらキーファーの作品を年代、そして主題ごとに整理した上で研究した人物で
ある。2 アメリカで初の個展であり、世界でも初めて催されたキーファーの大
規模な個展はアメリカの人々の称賛を受けることになった。さらに敗戦国ドイ
ツから発せられた作品をアメリカで大規模に展示することとあって、ヨーロッ
パの人々にも注目を集め、記憶に留められたのである。3このように世界に発
信することになったこの展示の企画者であるローゼンタールの文章はその後の
キーファー研究の土台として参考にされ、参照された。未知なる作家について
の最初に開かれる大規模な個展であるため、彼はキーファーのこと、そして彼
の描く絵画について詳細に説明するということを主にテキストの中で要求され
た。また、キーファー作品を見る鑑賞者にはある程度、画中のモチーフの意味
する内容を理解することが求められたため、説明はより必然であった。そのた
め、ローゼンタールの文章はよりよい解説書となったのである。詳細なカタロ
グ解説から導かれるローゼンタールの解釈は堅固で一つの道を確立したかのよ
うであるが、それぞれのモチーフを取り上げ、それが意味する象徴とその象徴
から発する物?解キる qA まさ}像解釈であり、その域を完全には脱し得なかった。
ローゼンタールはドイツ人としての芸術家、アンゼルム・キーファーに強く思
いを寄せるところがあり、ドイツの功罪に対するキーファーの意識に力点を置
き、彼が第二次世界大戦で起こった自国の罪を救済する役割を作品の中でした
きたという解釈の持ち主である。しかしローゼンタールはこの解釈の有効性に
も限界があることを同じ文章の中で次のように語る。「キーファーの絵画の意
味を解明するには、作品の特色やその表現に刻印された文字を分析し、彼の言
説とイメージのパターンを統合することが要求される。この手法は、彼が作品
の内容に情熱をそそいでいた初期から 1980 年までの作品については特に有効
なものであろう。しかし、1980 年以降の作品はより大きな形式的力と規模を
持つようになり、主題の範囲も多様になっている。これらの絵画はオブジェと
しても大きな存在感を獲得しており、より広範な調査と、内容のみならずその
感性的側面の検証も必要とされている」。41980 年以降の作品に対する解説に
はより高度で詳細な調書が必要だと述べ、彼は自分の解説書には満足していな
いことを明確にする。しかしながらキーファーの使用驛c`t に対しフ説は詳し
くゥなものであるため、そのような彼に触発される形で様々なキーファー作品
に対する解釈が今までになされてきた。
キーファーがドイツ人というアイデンティティを模索し、ドイツ人として自
分の芸術の方法を捜そうとする芸術家ならば、ナチズムにより起こった過去の
出来事を扱った主題に関してはローゼンタールのような解釈は正当であろう。
しかし 1980 年以降頻繁に現れる神話、聖書、錬金術等扱っている主題につい
てはどのように考察されるだろうか。ローゼンタールはその膨大で脈絡のない
背景に戸惑いを隠せないようである。さらに 1990 年代の作品に多く出てくる、
夜空の下でヨガのポーズをし、瞑想し横たわる人物のモチーフはまた別の説明
が要求される。ローゼンタールがしたようにそれぞれのモチーフが意味するこ
とを調べ、それぞれ何を物語っているか説明することはできるにちがいない。
だが、それぞれの解説はキーファーの芸術をまとめることはなく散乱した状態
で提示され、ドイツ人としての芸術家であるという最初の立場からは程遠くな
るであろう。ところがキーファー自身は、彼の芸術についてこう語っている。
「(芸術上の戦略には)根本的に二つのまったく異なス方法が驕 B つまり&ユかツ
別へ、まは個別から普遍へと進むことができるが、私は後者を選ぶ」。5 キーフ
ァーは個別というより普遍へ進もうとしているのである。であるから、それぞ
れの主題は異なるもの、テーマが散乱した状態ではなく、それぞれが普遍に進
むという同じ目的を持っているのである。
今までのキーファー研究において各主題の共通性を模索し、キーファー芸術
においての一定の流れや傾向は探られている。1980 年代までの作品の主題を
挙げるならば主なもので、ナチス、ギリシャ神話、錬金術、北欧神話、エジプ
ト神話等、があるが、そこで過去、歴史、説話に重点が置かれるあるひとつの
傾向が見えてくる。ところがその後キーファーは、1991 年以来ドイツを離れ、
フランスに住み、制作を続けている。フランスで制作された作品は、今までの
傾向と同一のものであると判断しがたいものである。特にヨガのポーズをとる
人物は顕著に登場し、以前によくみられたような神話などからの引用もなく、
そしてそれに付属する物語があるのかないのかもはっきりしない。フランスへ
の移住でキーファーの中で何かが変わったのであろうか。そして以前の作品、
ナチス、ギリシャ神話、錬金術、北欧神話、エ v ト神話を扱スものとフンス移
住フ作品に大き f 絶があるのだろうか。もし、断絶があるのであれば、ここでキ
ーファーの言説する、個別から普遍に進むということとは矛盾する。もし、主
題の共通性のみではなく、年代順にキーファーの芸術家としての成立と成熟を
考えていくならば、彼が初期の作品からそれを認識していたかどうかは分から
ないが、初期から 90 年代まで、様々な主題を扱うことによって、なにか一つ
の核のようなものに向かっているのということがはっきりする。年を重ねるこ
とによってその核に近づく、あるいは中心に対して理解が深くなるという結果
がその普遍へ導いていると思われる。それが、主題は多面的であるが、一筋の
道となって、彼を芸術家として成熟させている原因であると考える。ある一つ
を示したいために、一見脈絡もないと思われる事象を多数提示し、間接的に中
心にある核を示す。それが、キーファーの言うところの「絵の背後にあるもの」
の示し方である。我々も、彼の試行した様々な主題が考察でてきてはじめて彼
の真に意図することが見えてくるのではないか。であるから主題は異なるもの
の何かの関連が認められると著者は考察する。各主題はキーファーが示したい
ことの髀 o 発点に過ぎ A ある全体に関體燉 e を示 Lーワードの役目ハたしてい
るのである。であるから、㈰芸術家としての出発点である初期の作品群、つま
り戦争やナチスについてのもの、㈪ナチス以外の主題を扱ったもの、北欧神話、
ギリシャ神話、エジプト神話、ワーグナー、ゲルマン叙情詩、聖書、錬金術、
カバラ等の主題、そして㈫最近のヨガのポーズをとる人物像が入る主題と、考
察上主題を三つに分け、それぞれの主題についての一応の解説を交え、まずは
第一章でナチスの主題と説話の主題の関連性をキーファーの芸術に存在する構
造を分析することで探っていく。そして第二章には、最新の作であり、過去、
歴史、神話といった方向とは違う新らしい視点を含むものであろうフランスで
描かれたヨガをモチーフとする絵画をまず何の主題が描かれているかを暴き、
その内容を考察し、他の二つの主題と比較検討する。第三章では、第一章、第
二章から選られたことを基盤に置き、背後にある何か、つまりキーファー芸術
が示す中心的核とは何かを探る。
第一章 ナチズム・説話の主題について
1ナチズムの主題
この画家の初期の作品群には特に注目をするべきである。というのも最初の
作品群において彼の芸フ方向性は示され「るからである。桙ヘまだ彼自ヘっきりと
具体的に奄ノ置かれたものの価値について気づいていたかどうかは判断しかね
るが、結局、後の作品は、初期に彼自身が置いた起点を除々に高度なものに練
り上げたものとなっている。時に芸術家というものはその修行時代に何度も自
身の芸術の切り口や方向といったものに試行錯誤をくり返さなければならない。
しかし、キーファーの場合、未熟ながらも最初の起点は彼にとって正しかった
ので、奇抜さゆえにその早かった最初の成功後もその点を出発としてまっすぐ
に彼自身の発展を模索していった画家であった。
㈰《占領》
1945 年生まれのこの画家は、1969 年に本の作品を数種類出し作家として
第一歩を踏み出している。これらの作品を見ていくと、所々にその後に重要な
作品となる原石的な要素を見つけることができる。6 この時点で作家として、
自らが目指すべき方向、そして視覚的にどのように表すかがスケッチながらも
おおよそ固まっていたことには驚かされる。
1969 年に制作された本の中で《占領》(図 3)は 1975 年に雑誌の中で掲
載され、7 正式に人々の目に触れることになった。この作品は、キーファーの
最初の作品代表として後に彼を語るナ欠かせないものとチている。《占領》969
年の夏から秋ゥけて何度かのスイス t ランス、イタリアへの海外旅行をした際
に撮影された写真のシリーズである。それらの上部あるいは下部にはコロセウ
ム、ローマ、モンペリエ、海等、その地の場所が書かれているのが確認できる。
あたかも旅行に出かけ、歴史的遺構の前での記念写真のように見えるが、その
写真の中でキーファーは左手をまっすぐ上方にかかげ、右手は下に腿の横側に
つけ、直立の姿勢をとる。このポーズはヒトラーの時代に使用されたナチ式敬
礼である。つまり歴史的遺構を訪ねる青年の旅を写真に撮った写真の作品群で
あったが、彼は遺構の前でナチ式敬礼を取り、写真に収まっていることで、か
つての征服者の再演を行い、若き青年が征服者の行動を再確認しながら旅した
ことを示す。
戦争直後を零時間やナチス崩壊と呼んで、ナチス時代を早く忘却したいと願
うドイツ人たちと戦後のドイツを見守ろうとする時代の精神にとってこの行為
は衝撃的であった。1969 年および、75 年といえば戦後から 30 年ほどしか経
過しておらず、ナチスのテーマに触れることは国内、国外の神経を逆なでする
危険性をもっており、まだなお慎重なる扱いを必要とするこヘ、周知の事実で
あっ B しかしキーファーは大ノも禁止されているノその行為を視角的に示スので
ある。人々はナチ式敬礼の登場に驚き、そして彼が「ネロやヒトラーと一体感
をもっているわけではないが、彼らの狂気を理解するために彼らの行ったこと
を少し演じなければならないのだ。よって自らの意図に反してファシストにな
る試みをする」。8 と証言しているようにネオナチとして意図したことではなし
にこの行為を登場させたことに再び驚く。キーファーが画家として未熟であっ
たのに、芸術家として着実な道を踏み出し歩き始めることができた一つの理由
がここにあったのである。それは、その描く対象として選んだモチーフからの
驚愕を鑑賞の導入としたことであった。この驚くことを導入とすることは、彼
の芸術の中で重要な点になる。確かにどんな芸術家にとっても視角的なインパ
クトは重要であろう。しかし、彼の場合、それを単なる導入として利用してい
るということは注目に値する。衝撃的なモチーフを使用していながらも、それ
がここで主に示したいことではなく、表現したいことはまた別のところにある
という混乱はキーファー芸術のある種の魅力である。これら意図的に選択され
たかのように思えモチーフが作品鑑賞への単體ア入部でしかないとい A いわば
「肩透かし」の@はこの後の作品にも受けェれている。
㈰《占領》後のナチズムの主題
キーファーは、作家として初期のころに、ドイツのナチス時代のモチーフを
扱っているが《占領》以外の例もやはり驚かせることを導入部としている。特
に、ナチスを扱った主題では、自国に対しての自嘲的、冒涜的やり方で鑑賞者
の眼を引く。
この主題は《あしか作戦》(1975)《飛べ、コフキコガネ!》(1974)また
ナチスの建築物を扱った作品でいえば《室内》(1981)《ズラミート》(1983)
を挙げることができる。
《あしか作戦》(1975)は、ヒトラーがイギリスに対して行おうとしたが実
行できなかった架空の作戦からとられている。《あしか作戦》と名づけられた
作品は数点あるが、常に画面の中央に位置するのはバスタブである。このバス
タブの内部には水が張られ、数隻の玩具の軍艦が浮いているところが描かれて
いる。その他の描写は絵によって異なる。ここで紹介するものは、バスタブが
大洋の上を漂い、大洋の向こうには岸と陸地が描かれている。(図 4)その陸の
上には並列したの三脚の木椅子が宙に浮いている。ナチス政府により配給され
イツ家庭の必需品、バスタブ R 部の作戦会議に使用された?フ戦艦を組合せ、さ
らにメ A 子と聖霊という三位一体㊨獅フ象徴ともいうべき三脚の椅子、つまり
神の不在の下で行われた茶番劇をモチーフは表す。
《飛べ、コフキコガネ!》(1974)(図 5)は、画面いっぱいに大地を描い
たものだが、大地が黒くこげていること、上方に残り火があることから、爆撃
を受けた大地であることが分かる。この画面いっぱいに大地の描写の上にわず
かながら空間があり、そこに書き込まれた童謡「飛べ、コフキコガネ、父さん
は戦争に、母さんはポメラニアに、ポメラニアは焼きつくされた」は、これが
どこで起こった出来事かをより明快にさせる。ポメラニア地方は、かつて第二
次世界大戦前はドイツの領土であり、現在は大部分がポーランドとなっている。
焼きつくされた大地をそのまま提示する方法は、単なる風景画にはみいだしが
たい別の感情を我々に起こさせる。
《室内》(1981)(図 6)は広いガラス天井から多くの光を受けているはず
であるが、大地を描いた時と同じく、室内の内部は黒い色調と荒いタッチで描
かれている。また、建物の構造に沿う線を強く太く描き出すことで遠近法を強
調し、その消失点は下方宸ノ設置され、必然的に観者のェ手前の円筒形に向けら
れるよノなる。この円筒形を注意深ゥると、炎の表現であることがゥる。この長
大な室内のモデルはナチズムのイデオロギーともいうべき国家社会主義の建築
であり、アルベルト・シュペーアの建築した《ヒトラー新総督官邸》(図 7)で
あるだろう。キーファーがこのナチスの権力を象徴する建物の中央に黒い炎を
描いたことは、ナチス政権下で犠牲となった人々への慰霊の意が込められてい
るという見方もありうる。
《ズラミート》(1983)
(図 8)は、ヴィルヘルム・クライス設計による《偉
大なドイツ兵士のための慰霊ホール》(図 9)に基づき、制作されている。執拗
に白で強調され描かれたレンガとレンガの間の境は、線遠近法による構図を強
め、観者の目を中央の奥の赤い炎に向かわせる。これはユダヤ人の死体を焼く
アウシュビッツに代表される大きなかまどを暗示しているように思われる。
このようなドイツ人からすれば自嘲的、冒涜的やり方で鑑賞者の眼を引きつつ、
この画家はいったいなにを暗示しているのであろうか。ナチスに対しての遣る
せない感情等の感情的な気持ちはこれらの作品からは、感じとれない。彼にと
って、ナチズムをこのよノ表現することはどのような意味?ったのか次に考察す
る。
㈪ナ Y ムの主題より導かれる事
《フ》を発端としてナチズムからの p は《無名の画家に》(図 10)というシ
リーズがおわる 1980 年ごろまでつづいている。もし、ナチズムの主題が、戦
争へのメッセージ、あるいは平和への祈りから描かれているのであれば、現代
作家としてのキーファーは単なる反戦主義の作家であったであろう。しかし、
彼が、現代芸術家、あるいは巨匠とまでいわれるのは、彼が戦後の時代の中で、
戦争を経験していない世代としていかに戦争を捕らえることができたかという
成果からである。戦争の悲惨さを訴えることなく、戦争に関する事象を無感情
的にありのままを提示するキーファーの作品を見ていると、なぜそのようなこ
とをするのか、もしくはその意図は、という問いが自然に出てくる。そのよう
な問いを発する形式は、キーファー作品における芸術的行為に属し、うまく作
用しているため、彼は芸術家としての地位を確立させたのである。
問いの答えとしてこのような研究を例に挙げることができる。
過去の出来事を何も飾らず前面に押し出し印象づけるという方法は、バーツォ
ン・ブロック 9 により「肯定の戦略」と分ウれた。つまりナチズムをそのまま
提キることにより表面的にファシズム m 定するように描きながら、実際にモ賞者
の注意を促し、作品の内容をネさせるという戦略であるとする。肯定的であり
ながら否定であるというこの弁証法的回路により人々を引き付け、そして反省
へ導くというのである。
また、多木浩二はキーファーが戦後世代であり、歴史家、政治家や宗教家で
はなく、画家であるために、そんなに戦争を深刻なものと受け取っていないと
する。「彼は画家だから戦争をそれほど極限まで追いつめて考察していなかっ
た。初期のキーファーの主題は、戦争のトラウマをあとから体験しなおし、そ
れを自らが生きる歴史全体にひろげることであった。彼自身は戦争の時代を生
きていない。キーファーは戦争を廃棄し、弾劾する表現をしようとはしなかっ
た。芸術は弾劾するイデオロギーから逸脱して、われわれを戦争に固着させな
い方法により、戦争を無化する。追体験しながら無化するのである。」10 多木
は、戦争を体験したことのないキーファーが真の戦争 11 を見出し、彼の芸術
によって戦争を無化していくということに気づく。キーファーの行為に対して
の彼の答え、無化するということは、キーファーがナチ?を批判的でもなく、
肯定的でもないとい B 昧な態度をとっているという理由としヘ適していると思
われる。初期の作 Q についてキーファーは述懐している。炎?の絵では、自分
自身に問いを投げかけるつもりだった。自分はファシストなのか?と。」12 問
いを始めるという発端は、やはり当時多くのドイツ人たちが思っていたのと同
じように、自分の中にもナチスとして恐れられたのと同じ血が流れているとい
う罪の意識に起因するものであろう。しばし、彼はその芸術の特質のために「あ
なたはファシストですか?」とに聞かれることがある。13 しかし、彼はこの
問いを自らも長い時間持っていながら答えようとせず、答えをごまかすように
逆にジャーナリストに同じ質問をする。キーファーはこの質問には自分自身と
同時に、他人にも向けられるべき価値があると思っている。その人がドイツ人
であろうがドイツ人でなかろうが関係ない。おそらくドイツ人として自分自身
に長くこの問いを発しづづけ、ドイツ人でない人においてもこれは問われるべ
きだとする態度は、この問いに解答がないということも加味されて、さらにキ
ーファーの芸術を深遠なものにしていく。安直な解答を求めるのではなく、ひ
たすら問いつづけニいう行為そのものがが、戦争というものを?I にではなく客
観的に捕らえることを可ノし、こうして抽象的把握を発展させたハが無化という
ものではないか。それはだ轣 A 戦争の存在そのものを否定し、相対化すること
ではないのである。
このようにナチズムを主題するシリーズに潜むキーファーの意図はモチーフ
の解説を頼りに解決することができる。しかし大規模な展示を遂行したローゼ
ンタールが 1980 年以降の作品の展開を決定的に断言することができなかった
例が示すように、画家自身はまた違う次元でも自分の芸術を捕らえているよう
である。1980 年にキーファーはインタビューに答えている。「私の思考は垂直
的で、そのうちの一つの段階がファシズムだった。でも、私はすべての段階を
見ているつもりだ。」。14 ナチズムのシリーズはその衝撃的な発想ゆえにキー
ファーの代表作と言われがちである。しかし、実際は彼のいっているようにそ
れは段階をなすのレベルのひとつであって、他のテーマとは単にモチーフ、そ
してそれに伴う物語が違っているというだけのことである。
バーツォン・ブロックが分析するようにナチズムを主題とするこのシリーズ
は、戦争一般に対する反省を促すメッセージ性をムた芸術かもしれない。そし
て多木浩二が述べた、に戦争を無化するものとしてもそこにあフかもしれない。
このシリーズはたしかに??ニりわけナチズムによる暴虐にたいする反笆ウ化とい
う中核を持つ作品として完成度の高い作品であるといえるであろうが、キーフ
ァーはそれでは満足していない。ある全体の一つだと語っている。特にナチズ
ムを扱った主題は、その主題ゆへに観者に何か啓示を示しているように思われ
がちであるが、その他の主題と同様に捕らえているのである。であるから近い
過去のために感情的になりやすいファシズムの事件も、彼にとっては一つのす
でに過ぎ去った物語として認識されているのである。 このことは、次に他の
系列の作品、すなわち神話、錬金術、カバラ等を扱った作品を紹介、考察し、
ナチズムと説話について比較することからより明らかになるだろう。また、キ
ーファーの述べるある一つの全体にも比較し、普遍に通ずる共通点を見出すこ
とによって近づくことにもなるだろう。
2 説話の主題と主題相互の関連
㈰説話の主題
1980 年以前は以下に述べるような多岐に渡る主題を扱ってはいなかったが、
1970 年代のドイツ精神の引用から次第に神話へと移行する様を見ると、l 性と
いうキーファー芸術の特徴が除々に開花していフが分かる。 1973 年から
1977 年まで毎年、泣唐ノあるミヒャエル・ヴェルナーギャラリナ展示が行われ
ている。初期の段階でこの美術市ノ地位あるギャラリーでの展示は、キーファ
ーが美術界に早くから頭角をあらわす結果となった。ドイツ国内ということで
ここでの作品はナチズムを主題としたものではなく、主にキーファーが最初に
アトリエにした旧小学校の木造建築の内部を背景に描いたものを扱った。画廊
主のヴェルナーは後に「自分ならばけっして《英雄的寓意》(図 1)を展示しな
い」と語っている。15 やはりドイツ国内でナチスに関する絵画を展示するの
は難しかったにちがいない。キーファーがドイツ国内の展示のために違う主題
の作品群を提供したのは、このような時代背景があったからだったのか。仮に
それを主な理由としても、他の理由もあるのではないか。彼の作品を年代順に
追ってみると、集中してある年に、あるいはある年代に同種の主題だけを描く
ということはない。いくつかの主題を同時期に平行して制作するというのがキ
ーファーのやり方である。であるからナチズムの主題と並行して行われた作品
の一部がミヒャエル・ヴェルナーで発表黷スのである。ここで発表されたもの
は、古今のドイク神に関わるものであったが(図 11)
、ナチズニ並行して行われ
た主題としてギリシャ神話、熄 p、北欧神話、エジプト神話が挙げられる。
こ轤フ主題においてもナチズムの主題で表されたのと同様に、選択されるモ
チーフの意外性でキーファーの絵画ないし、彫刻への鑑賞の導入が行われる。
つまり、現代の美学上あるいは形式上での先端であると考えられる現代美術の
中で、平面でしかも過去の話をテーマに持ち出すのは時代に対する逆行である
し、まして、神話などという現代ではその現行性が失われつつある過去の出来
事、あるいは作り話であると断定できるかもしれない説話をも範疇に入れてし
まうこの画家の手法は、まず注目を集めるのに利用されている。例えば金羊毛
皮を獲得するために冒険出たイアソン(図 12)
、アダムの最初の妻で後に悪魔
になったリリト 16(図 13)、ゲルマン的一大叙情詩であるニーベルンゲンの
歌のブリュンヒルデやジークフリート(図 14)
、オシリスやイシス(図 15)
、
カバラの用語そのままから発想を得た流出(図 16)
。これらすべて作品の前に
観者が立つとき、ナチスのテーマの時と同様、なぜ今頃この主題が選ばれるの
かクは考えざるを得ない。
モチーフの意外な選択が、鑑フ際には人の注意を引くということがキーファーチ
徴であったが、キーファーの神話、および過去 o 来事からとられる主題はその
主題の意外性もあるので驍ェ、さらにその物語の中のどの部分を抽出するかと
いうことにも意外性が現れている。例えば、ギリシャ神話から引用されるイア
ソンはアルゴ船に乗りコルキス王から金羊毛皮を奪う英雄だが、神話としては
むしろその後の王女メディアが中心となって繰り広げられる悲劇の方が有名で
ある。なぜキーファーはメディアよりもイアソンを作品の中心として選んだの
か。もしくはゲルマン叙情詩であるニーベルンゲンの歌は、夫、ジーフリトを
殺された妃クリエムヒルトが多くの家臣を犠牲にしながらも復讐を遂げる話で
あるが、この妃、クリエムヒルトの引用はなく、キーファーの作品中には、ジ
ーフリトとこの悲劇を招く原因となった前編に登場するブリュンヒルデの名前
が盛んに出てくるのである。17 そして、アダムの最初の妻、リリトにしても
その知名度はイヴに比べればいくらもない。さらに《革命の女たち》(1986)
(図 17)では、フランス革命の中心的人物、マリー・アントワネットの名前
はあるもののフ他はフランス革命の影に存在する女性たちを題材にしてい B18
こう挙げていくとキーファーの主題において選黷骼蜷 l 公たちは物語の中心人
物ではなく、脇役、そ熾ィ語を悲劇に導く人物たち、いわば挫折をつくる者た
ち閧゚られている。このようなことが、説話の特徴として現われている。この
方法は、観者に感情的ではなく、より客観的に物事を示すのに有益である。前
に考察したようにナチズムの主題におぴてドイツ人でありながら戦争というも
のを感情的にではなく、客観視し、抽象的にとらえることを可能にしたのと同
じく、説話の主題においては、中心的人物を扱うのではなく、脇役を扱うこと
によって物語の客観化、抽象化をやり遂げたように思われる。その物語の進行
に重要な役割を果たす脇役は、その人物の動向によってはシナリオにまったく
違う変化がありえたかもしれない話の重大なポイントに立っており、その人物
を扱うことによってその物語の重要な転換点を示すこととなった。歴史や物語
は完成した既存のものであるため、その不変は疑いことはない。しかし、キー
ファーによって見せられる途中の出来事は、生成中の歴史、変更可能性を持つ
歴史である。画面上では、物語の挫折のきっかけを露ノ提示するが、もとの物
語から受ける回避不可能な悲劇観、挫エはここでは感じ取れない。それは物語
の断面をそのワ提示したために起こる感情であるし、彼の芸術に使わトいる象徴
と寓意のシステムとも関係しているためである。・と寓意による説明は、より
具体的にキーファーの鑑賞方法を語れる方法となる。次に象徴と寓意の仕組み
について検討を加え、説話の主題で導き出されることをさらに考察していく。
㈪説話の主題により導かれること−象徴と寓意−
キーファーは自らの作品の鑑賞方法について語っている時、その仕組みについ
ても語っている。「私はひとつの穴を掘ってそこを通り抜ける。花が蜜蜂を誘
うように、見るものを引き込むために遠近法を利用する。そして絵を見る人に
はそこを通り抜けて、いってみれば沈殿物をくぐり抜けて、本質にたどりつい
てほしいと思っている」。19 これは冒頭の文章「私は絵の背後になにがあるの
かを示すために絵のなかで語る」につづくものである。絵画の背後に何かがあ
ることを示したいからその物語を引用し、そして鑑賞者には物語の奥の本質を
理解するように願う。20 我々の生活、そして芸術界からあまりにも接点がな
い、これら過去の出来事とモチーフモ外な選択は、すなわち画家の意図であり、
それらの現行性に違エを与えることで人を立ち止まらせそれぞれの物語に観?い
ざなう。その後、物語は認識され、物語をくぐり抜けてィ語の奥の部分が現れ
るのである。作家は、背後にあるものが?してこれらの物語を描くというので
ある。キーファーの芸術の場合、表面上に描かれたものの意味を理解すること
にまず重要性が見出される。物語を知らない者には解説が必要となり、表面上
の話を理解することに時間や労力を取られる。さらに物語の内容が明らかにさ
れると、なぜこのような主題を扱うのかという疑問が画面を前に自然と沸き上
がってしまう。その疑問を解こうと躍起になり、それに惑わされ、画面の奥こ
そ作家が意図した真のものであると気づく者は少なくなる。この作家の言説に
よって次から次へと浮かぶ作品に対する表向きの疑問は回避される。彼の助け
なくしては真の意図を十分に汲み取るのは困難に違いない。
1990 年始めのころまでの作品からキーファー論を論じた多木浩二は、キー
ファーの芸術をゲルショム・ショーレムが、ユダヤ人の歴史の解釈として象徴
とカバラ的寓意の関係する場について考察したことを引用してキーファー芸術
のシステム燒セする。彼は最初にゲルショム・ショーレムからの引用、「カバ X
トもまた盛んに寓意化を行う。しかし、これで彼らの世界 N 学者の世界を隔て
られるのではない。むしろ彼らのもっともゥのものを示すのは、寓意的な意味
の世界をはるかにこえて高めら髀ロ徴である。神秘的な象徴においては、人間
から見てそれ自体何の表現ももたない現実が、もうひとつ別の現実として透明
なものとなる、現実はこの別の現実から始めて表現を手に入れる。……表現を
もたない隠れた生命は、象徴にこそ表現を見だす」。21 をまず記し、「ショー
レムの意見をパラフレイズするなら、まず象徴的運動があり、ついで寓意によ
る破壊があり(死)、さらに象徴への衝動がある。あえていうなら、これこそ
救済の過程である。しかしキーファーはそうやすやすとは救済に身をゆだねる
ことはない。むしろ挫折した歴史から、歴史のエネルギーを引き出すことに全
力をあげる。」22 キーファーが願う物語の背後にある本質へたどりつく過程を
多木氏は象徴、その象徴をを壊す寓意、さらなる象徴運動という言葉で明らか
にする。さらに彼は象徴、寓意の適切な意味として、ベンヤミンの「ドイツ悲
劇の根源」でゲレスという者が書いた手紙を引用驕 B「存在するものとしての
象徴、意味するものとしての寓意という仮?、私は取るにたらないものと思っ
ています。……われわれにチては次のような説明で十分です。すなわち、前者
は自己完結し A むだのない、たえず自己の固執する、理念の記号であり、後者
はそノ対したえず進化し、時とともに形をなすようになってきた、劇的に流動
する理念の、写像である」。23 画面上に現れるモチーフは、それを物語る物語
の象徴として作用しており、モチーフが形作る物語の内容、つまり寓意により
象徴はその仕事を終える、しかし寓意を理解された段階でまた新たな象徴への
衝動が生まれるとする。多木の考察をキーファーの語った自らの絵画システム
と照らし合わせるならば、その衝動こそ、キーファーが求める本質へ向かうた
めになくてはならない存在と考えられ、その衝動を越えたところがキーファー
の言うところの絵画の背後ということではないか。さらに多木は、この過程は
ショーレムによるところのカバラにおける救済の過程と同じ軌跡を辿るのであ
るが、キーファー作品においては、救済ではなく、挫折の歴史から歴史のエネ
ルギーを放出させている過程であるとする。彼の言うこの場合の歴史とは通常
の意味の歴ナはない。「神話意識と孕んだエネルギーとして芸術が放出させる
「歴史ニ、いわゆる歴史家によって記述された歴史学とはひどく異なっ「る。歴
史が記述化される以前の、それが可能的言説として胚胎すフ域で芸術は形成さ
れているからであり、芸術は、歴史家の駆使する実 I 方法をすり抜け、それと
は異質な「歴史」を暗示してきたのである。われわれの芸術体験はこうしたま
だ歴史学としては語られていない「歴史」の経験である。」24 彼は、いわゆる
歴史と呼ばれているものは過去の出来事の領域を言説化し、組織化し、記述化
した歴史家の成果であり、その歴史とは異なるものの存在を明示する。「もし
歴史が、生成的もしくは破壊的エネルギーだとすると、それはすでに象徴され
秩序づけられる出来事の外部に、まだ言説化されていない歴史的な諸要素、諸
象徴が無限に関係しあう領域を、人間世界が内包していることを指していると
いっていい。」25 ベンヤミンもこのような歴史のある領域があるということを
理解している。ベンヤミンは、「シュールリアリズム」のなかでブルトンの小
説「ナジャ」について考察した文章でこう述べる。「……流行から取り残され
はじめた、「時代おくれのもの」のうちにあらわ驕 A 革命的なエネルギーに出
会った。これらの事物と革命がどんな関係にあゥ――」。26 ベンヤミンは、「時
代おくれのもの」という表現で、j には名を残さなかった事象の存在を示し、
その可能性を認めている。[ファーもやはりそのような領域の存在を確信し、
歴史家がいうところの歴ナはなく、歴史家が歴史と呼ぶところのものからこぼ
れおちたものをあらためてすくいとったのである。それは形象がないため歴史
と呼ばれることはない。だが、それは歴史をつくる可能性があり、そこには今
までの実証的歴史は転換されていたかもしれないという歴史の諸要素が大いに
詰まっているものである。
挫折の歴史を露骨に画面で提示し、しかしその物語から受ける回避不可能な
悲劇観は、象徴を破壊する寓意とその後に起こる象徴衝動によって緩和される。
緩和される時、そこから歴史のエネルギーが放出されるである。歴史家が「歴
史」というところではない部分からうまく歴史のエネルギーを出すことこそ芸
術家の仕事だと多木氏はいう。「そのような知の外部であり、前・表象といっ
てもいい形象が漂っているところから神話的な力を放出させること−−その能
力をここで芸術と呼んでいるのである」。27 キーファー自燉?史の可能性につ
いて語っている。「歴史とは、私にとって、石炭が燃える、なものです。それは
物質のようなものです。歴史はエネルギーの収ノです」28 確かに彼は歴史が持
つエネルギーというものの認識がある。で驍ゥらキーファーはイアソンや、ブ
リュンヒルデ、リリト、革命の女性たちと、物語の中の重要な鍵をにぎる登場
人物に歴史の可能性を表現したのではないか。キーファーの場合、歴史家のい
うところの「歴史」と、それ以外の「歴史」といったものをはっきりと分けて
いる決定的な言説はない。しかし、これらの物語の中心的人物ではないが、挫
折を生む人物たちを取り上げることによって、ベンヤミンが時代おくれのもの
あるいは多木が述べる歴史的な諸要素、諸象徴が無限に関係しあい、言説化さ
れていない領域をはっきりと認識し、そこに「歴史」にはないより革命的な歴
史が抱えるエネルギーを提示しているのである。
3 主題相互の関連−アナログラム的構造−
以上のように、説話の主題を中心に考察してきたが、このことはナチズムの主
題にも認められるものである。説話の主題では、本来ある物語の脇役的存在の
人物が引用されていた。同様にナチズムの主題もヒトラーの名や姿を出さずと
A ナチ式敬礼、作戦会議に用いた玩具、第三帝国様式で建設された建物等を描
い「た。すなわち首謀者を登場させなくとも、その人物にもっとも関係の驛c`
ーフを用いて、ファシズムとは何であったかを示す。ここでも悲劇にゥれた、
つまり挫折に至たる事物を画面上に表出させ、歴史に含まれていたエネ Mーを
説話の主題と同様に提示していると考えられるのである。しかしながらこのよ
うにその同一性を断言できるのは、主題が過去の出来事を扱っているという共
通点があるのみではなく、キーファー芸術全体に存在するアナログラム的構造
によるものも原因している。
これまで、キーファーの取り扱ったモチーフ、そのモチーフから引用された
物語を解説し、理解し、各主題の内容は理解することができたが、相互の関連
性はどうであろうか。キーファーがファシズムの絵画について述べた言葉、
「私
の思考は垂直的で、そのうちの一つの段階がファシズムだった。でも、私はす
べての段階を見ているつもりだ」。を思い出すならば、個々の主題は一つの段
階であってすべての段階に通ずるものであろう。その関連性を探るためにここ
でより深いその構造をみていく。
キーファーの作品の中で何度も反復されるモチ t がいくつかある。最初期の
作品、《英雄的象徴》(図 1)に書かれていた人物の何ゥは、その後に発展して一
つの主題の主人公としても登場することになるアのように単なるモチーフとし
てではなく、主題として発展するモチーフもキ t ァーの作品の中に認められる。
ここに先に挙げたモチーフの反復が、認められるがサれだけではなく、キーフ
ァーの場合、まったく違う主題間においても同じモチーフが扱われることがよ
くある。例えば、1973 年ごろの作品は、そこがアトリエであったためもある
が、どのような主題であっても背景はほとんどその当時、アトリエの木造室内
であった。そして本というモチーフは様々な主題に多様され、リリトとその娘
たちを表わす白い寝巻きのような衣服は、《イアソン》(1990)(図 12)にお
いてアルゴ号に乗る乗組員として表わされている。また、キーファーの作品に
出てくる蛇は、北欧神話「エッダ」に出てくる毒蛇ミトガルトとして描かれた
蛇であったり、人間と神との間を巧みに生きる天使であったり 29、再生(図
18)やサタンの象徴(図 19)として描かれる。キーファーは同型のモチーフ
を用いながら自らそれらに多様性を与える。様々な主題があるためキーファー
は多義的であアとがよくいわれるが、それにもかかわらず、自ら、相違である
主題間でモチーフを L させ、さらに混乱を助長する。
これについて多木浩二はこのように分析トいる。「イメージがそれぞれ個々の
文脈的関連連において示す寓意のほかに、、ひとつの意味が潜んでいると考え
ることができる。意識的に形成された比喩のほかにウ意識に形成される比喩が
ある。われわれは作者に関係なく、この比喩を読み解くことができる。それは
彼の深層に潜むトラウマを探っていくことになろう。」30 彼は、キーファーが
リリトの白い衣服を、および、鉄道を反復しているのを例に挙げ、31 主題が
示す物語とはまた違った次元にその物語とは違った意味を断片的に持つのでは
ないかと気づく。確かにキーファーの作品には題名や主題の相違はあるが、明
らかに同じモチーフを使用していることがよくあし、モチーフだけではなく、
何度と同じ主題、そして同型の構図がくり返されることはよくある。それは美
術市場を眼中に入れた大量生産ではない、キーファーの芸術の意識から発生し
たことである。そこで多木は個人的な経験、アウシュビッツに行き、移送され
るユダヤ人を運ぶ鉄道、脱ぎ捨てられた無数の子供の服を見た経験からキー@
ーの作品の全体を思い浮かべて、「それらの作品は当面の絵のテーマからは解
き放たれレ送−殺人−焼却というユダヤ人絶滅の過程を象徴するようになる。
……キー@ーの全作品の底に隠れているのは、20 世紀を駆け抜けた「死」に
ほかならなかったナはないか」。32 と自問している。ここでの考察で彼はキー
ファーが違う主題において同c`ーフを使用するのは彼のトラウマゆへに使用
されたことであるとしている。キーファーは自身が持ってくるモチーフに対し
てはこのような意識がある。「芸術の仕事とは、多くの人びとが可能な限り正
確に把握するひとつの例として私を横切っていくものです。私は自分を横切っ
て行くもの意外にはなにも作れない。しかしそれは私にとって価値がないと言
おうとしているのではありません。私は他の多くの例のひとつとして自分を見
ている」。33 結局、芸術家として彼は自分を横切っていくもの、つまり彼が経
験したものしか表現できないとする。それは自分の生活する環境と、ドイツ人
として生まれたというトラウマが引き出す自己体験であったかもしれない。一
部の作品は自己体験の基盤となる環境やトラウマとしてユダヤ人の死を根底で
暗示しているといえるであろう。しかしキべての作品をこのユダヤ人の死だけ
では説明できないことも確かである。「歴史のエネル[」との関連や、また特に、
後年のヨガをモチーフとした作品との関連性を述べるォには大きな隔たりがあ
る。だが、画面上の象徴はそれぞれの主題の内部のみ作用すフではなく、分断
された象徴であり、それらが再び繋がる時、さらに深い意味を持つであろう「う
多木のキーファー芸術に対する観察は正しい。そしてその効果に彼はソシュー
ルの発見を重ねた。「こうしてもともとの象徴を分散させ、再結合させること
は、かつてソシュールがアナログラムという言葉で言い表していた操作に似て
いる。ソシュールはある詩のなかに、キーワードとなる言葉が、分解されて散
らばっており、それが詩の効果を一層高めるようになっていることを発見し
た。」。34 個々の作品の関連は、同一のモチーフおよび背景を違う題名の作品
において何回も使用するという行為によってアナログラムの構造を利用してい
るということがいえる。多木は、個々の作品について語っているが、これは個々
の主題にもあてはまることであるし、キーファーのアナログラム的構造はその
芸術全体にもかかっている。キーファーの作品一つ一つ、あるいは一つの閧ェ
キーワードであり、キーワードが示すある全体がある。キーファーはもともと
の象徴を分ウせ、再結合させるという操作であるアナログラムを使用し、真の
物語を再構成するナある。キーファーのアナログラム的効果は、90 年代に制作
された作品を新たに考慮に黷驍ネらば、20 世紀を駆け抜けた「死」を浮き彫り
にする以上の、もう少し広く捕らえられる思ェあるのではないだろうか。それ
は、これまで論じてきたように、画面上に現れたモチーフを通しての主題の認
識と、物語を理解した後の画面奥に存在するある全体、言い換えるならば、キ
ーファーが個々の作品主題の再結合により、全作品に共通するある全体である。
キーファーが背後になにかあることを示す絵画の仕組みは、以上のように、
始めに象徴があり、それを壊す寓意が、起こり、さらなる象徴的衝動があると
いう過程と、個々の作品、個々の主題もそうであるが、キーファーの芸術全体
もキーワードの一つであるという象徴を示すアナログラム構造を持つ。である
から、ナチズムを扱った場合と、説話を扱った場合は、表面的な相違は明らか
であるが、アナログラム構造があるため、共に同じ次元があることが考えられ
るのである。
これまで 1980 年ワでの歴史的出来事や物語に関する主題について考察してき
た。キーファーの作品には様々な主ェ描かれており、その中の 1980 年ごろま
での作品は、ナチズムを扱ったもの、そして神竢鮪鮪酷凾フ話を主題にし、説
話を扱ったものと分けてきた。しかし、それぞれの表面上 ¥わされた内容は違
うものの、そのアナログラム的構造によりいくつか共鳴する点があったのであ
B すなわち扱った主題は、すべて過去の出来事であったこと、主題の中で扱わ
れたモチーフは、出来事の中心人物あるいは中心的事象ではなく、人物で言え
ば、脇役や、中心の物語に強くかかわった事象であったこと、それらの意外な
主題、意外なモチーフが選択されたことで、鑑賞者の注意を引き、絵画の導入
となったこと、そして導入後に行われる画面上にある象徴から寓意、そして象
徴衝動が起こるというキーファー作品の鑑賞過程の関係が共通して両主題に表
れていた。キーファー芸術の体系は明らかになったが、それによって示される
内容はさまざまに「肯定の戦略」、「救済」「歴史のエネルギー」、「20 世紀を駆
け抜けた死」等と語られており、どの言葉もある一定の枠の中では的をついた
解答である。しかし、全体をあらわす言葉ではない。19N 以降の作品に関して
はどうであろうか。ヨガのモチーフが、1980 年代のそれぞれの主題に表れてス
共鳴と同一しているのか、という問いは、その主題に対して何の物語が描かれ、
何が暗ウれているかということをまず考察しなければならない。キーファーの
主題は一つのレベルをキにすぎないという言葉を頼り、アナログラム的構造を
信ずるならば、なんらかの形で 1990 年以前の i と以後の作品には関連がある
はずである。第二章において、90 年以降のヨガの主題についての画面上に現
れる物語の特定とその主題と他の主題の関連を考察しつつ、それが結果的に何
を意味しているのか考察の目標にし、この鑑賞過程の最後にあると思われるキ
ーファーが言及した「背後にあるもの」とはをさらに分析していく。
第二章 ミクロコスモスとマクロコスモス
11990 年代の作品
㈰ヨガのモチーフ
1980 年代までは歴史や説話の主題を通して、作品を制作してきたキーファ
ーであったが、1990 年代に入りフランスにアトリエを構えたころからキーフ
ァーの作品の内容に変化が現れる。画面中のモチーフにヨガのポーズをとり、
仰向けになり横たわる画家自身という図が何度となくくり返される。確かに横
たわる人物像は、キー@ーの作品の中では目新しいものではない。初期のドロ
ーイングに小枝を持ち横たわる人物という作ェある。(図 20)小枝を持った手
は仰向けの胸部に当てられ、一見したところ、この人物がノ持っているのか、
それとも腹部から木が生えているかのように見える。マーク・ローゼンターノ
よれば、この絵は 1971 年にキーファーが結婚した時、これを祝って2枚の水
彩画を制作した一つである「う。この作品は14世紀アシュバン写本のある一
つの図像に関係しており、キーファーの作品における錬金術の影響の始まりを
示すものである。(図 21)この中世の図像は、死の後につづく再生に関係する
ものであるとする。35 しかし、ヨガのポーズで表現される後年の作品では、
小枝を手に持っておらず、そして、初期の作品で現れる人物は明らかにキーフ
ァー自身ではない。それゆえ、初期の作品と 90 年代の作品には決定的な相違
があり、初期作品の再制作であるとするのは難しい。であるから再生の主題を
ここで表しているとも考えにくい。1980 年代までの作品では、題名やモチー
フによって何の物語が表面上に描かれているか簡単に想像することができたが、
90 年代の作品では、他の説話や過去の出来事から引用されたような形ヘなく、
ヨガのポーズで横たわる人物を観者が見たとしても、どの説話、あるいは何の
出来事の一部分?るか想像することができない。
キーファーは、ドイツ統一後の 1991 年にドイツを離れ、x はニューヨーク
へ移ったものの、結局、南フランスへ住むことになった。フランスからの新作
発ヘ 1995 年が最初でその前の3年半ほどほとんど絵を描くことから離れてい
たという。このことからも諸例をーながら環境の変化によって彼の作風が変わ
ったとする紹介もある。
1996 年に行われた「I Hold all Indias in my Hand」題された展示のパンフレ
ットの著者、トーマス・ミックエヴィリーは、キーファーの作品を、ドイツで
描かれたものとフランスで描かれたものとを「時代」という言葉を使って区別
している。二つの時代は相互にそれぞれの要素を持つとしながら、ドイツ時代
の空間は、外に向かうそして歴史的空間であるとし、最近、つまりドイツを離
れた以後の時代は、内に向かう精神的な空間であるとはっきり分別する。36
キーファーがとっているポーズはさらにその考えを強めるだろう。彼はヨガ
の中でも shawasana というポーズをしている。ヨガのマニュアルにはこう書
かれている。「仰向けに横たわり、?伸ばし上に向けた手のひらを臀部に近づけ
る。足はかかとを地につけ、先は外側にひらく。体が離れ始め|イントまでリラ
ックスをする。」37 このポーズは疲れを取り除き、活動を押さえることにより
心潟宴 b クスさせる。「しかし、このように簡単に思えるこの行為だが、完全
に為し遂げるものは少数ンである」。とヨガの師は述べる。「その細部と含意が
完全に理解されて行為が行われるなら、この姿勢から v は生じる」。38 簡単に
遂行されるように見える行為だが、これはもっとも難しく、ヨガの師匠となる
べき最後の修行の過程で行われるものなのである。
リラックスをし、すべての活動を停止させるということは、体を離れるとい
う表現もあるように、まさに自分の中を空にするということである。この自分
自身に関心を向ける行為をするキーファーの描写は人体の内部に向かい、そし
てそれ以上の精神的空気を画面に出現させる。確かにミックエヴィリーが、ヨ
ガのポーズの作品を内的、精神的な空間であると考察することはキーファーの
作品の中で明示されている。しかし、時代と呼べるほどこれら作品の中に分断
があるのだろうか。ナチスを扱った主題と説話の主題を考察してきたが、表面
的な主題上の相違?るものの、最終的に示されることはまったく異種のことで
はなく、いくつかの類似的傾向があったことを考?わせるのならば、分断では
なく、フランスで制作された作品群も同じ思考で制作されたのではないか?メは
考える。つまり単に主題の変化という理由があるだけだと思われる。
ヨガのポーズをとる自フモチーフは、以下のような背景と共に描かれている。
人体の比率からいえば巨大なひまわりが花の盛りをすぎ??蒔くために地面に顔
を向ける背景(図 22)
、以前の風景画とは違い空の範囲が多くなり星が降るよ
うに描かれた夜空の背景(図 23)
、以前の建築物と同様、線遠近法を最大に使
用して、石の一つ一つの区切れがはっきり描かれたピラミッドを置く背景(図
24)等である。これらの作品からは横たわる人物とその背景の関連性ははっき
りとつかめず、背景から何をこの主題群は物語っているのかも分かりづらい。
しかし 1996 年制作の《Robert Fludd》(図 25)を挙げるならば、一連の作品
は何を物語っているのか、表現の意図を考察することができる。次項にこの作
品を取り上げ、一連の主題の具体的な内容と意図とを探る。
㈪《Robert Fludd》
《Robert Fludd》は、横たわる人物の作品とは違い、ハを向いた裸の人物が頭
を下部にして逆さまに描かれ、その腹部に空虚の具体的表現であろう黒い大き
な穴をあトいる。背景は黒い巨大なひまわりが首をたれ、その種子が落ちるの
を待っている。背景の三分の一下ヘ地中の表現であろうか、黒く塗りつぶされ
ている。ロバート・フラッドは 16 世紀後半から 17 世紀のイギ X 薔薇十字会
員であった者の名である。最後にして真のルネッサンスの人と呼ばれ、人間の
全知識を把握することに゚た。彼の多大なる著作は、錬金術と薔薇十字の哲学
を守護することと、それらの主義を広大な人間と世界に関する描写に適用する
ことに勤めた。そして存在の多様な次元とそれらの関係性という宇宙の調和の
考えを説明することで、フラッド は、すべての時代、すべての人々に秘儀で
ある教訓を要約するのである。その哲学観と宇宙観とを説明するために彼は優
秀なる彫り物師たちを器用して、おびただしい量の図解を残している。39 そ
の著書の扉絵“A Metaphysical, Physical, and Technical, History of Both
Worlds ,the Greater and Also the Lesser”,(1617-1621)(図 26)には、
両手と両足を広げた人体と、背後に人体を同心円の中心として発する多数の円
が描かれ、その円の中にッ、および恒星の表現が認められる。ここでは小宇宙
としての人体と大宇宙としての宇宙が重なる絵が描かれいるアの名前、Robert
Fludd から題名が付けられたことからキーファーの作品《Robert Fludd》はこ
の人物のソが強いことは明らかである。フラッドの絵をキーファー独自の発想
で逆さまになった裸の人体と背後のひ?閧ナ表現し、模したといえるかもしれな
い。人体とその生命力ある自然(ひまわり)はこの大宇宙と小宇宙を表して驍
フではないか。それならば他の作品、裸、あるいは半裸の人物そして背景にひ
まわりや夜空といった大いなる自然であるというモチーフは同系に属すため、
それらもフラッド の思想の影響下にあると予測される。確かにインドで発生
したヨガと西洋の錬金術的思考はまったく同一のものではない、しかし、ヨガ
で自己のうちに向ける集中と関心により身体だけではないより深い世界を発見
したキーファーは、フラッド が生涯にわたり捧げた研究、人間の全知識を一
つにするミクロコスモスとマクロコスモスという世界観にも通ずる両者の共通
性、同等性を見たのであろう。一般にミクロコスモス(大宇宙)とマクロコス
モス(小宇宙)という対概念の理念は、宇宙と人間との間に、解 w 的にも精神
的にも一体性があるという確信である。マクロコスモスは全宇宙であり、それ
を構成する各要素は、人フ身体と心の要素であると考えられ、ミクロコスモス
は、個々の人間であり、それを構成する各要素は、宇フ各要素と相同であると
考えられる。このような考え方を進めていくならば、自然全体に、人間の特性
をいや、えにも付与していくことになろう。人間の特性を自然自体に投影しよ
うとするすべての立場、創造的因果、自然目的論ゥ然法則としての道徳的進歩、
そして自然物に人間の感情を付与する感傷の虚偽など広範囲の事例を持つ。40
近代科学は、こうした考え方を洗いざらいに捨ててしまうことに依存している
が、この現代画家は、ヨガによる魂の脱自によって自らを開放し、大宇宙であ
るマクロコスモスと合一したのである。
フラッドに影響を受けつつ仰向けになり自然に包み込まれるような描写で表現
されるキーファー独自のミクロコスモスとマクロコスモスの世界は 90 年代に
入って新たに見い出された彼の題材であり主題であった。
フランスでの作品は、ミックエヴィリー の考察するような「時代」と称さ
れる分断はなく、人体と自然の背景という構図は、小宇宙と大宇宙というテー
マをキものであり、他のテーマと同様、キーファーが全体を理解するために描
いた一つのレベルであると著者は考察するシの主題との相違に思えたものは、
彼の芸術家としての発展による変化が現れたためであろう。
これまで、ワざまなキーファーが扱うモチーフ、そしてそのモチーフが引用
されている物語を解釈し、理解してきた。その`ズム、説話からのものにおい
ては第一章で、様々にキーファーの示す内容について考察されてきた。やはり、
ここでもキ t ァー芸術におけるアナログラム的構造により主題間相互の関連は
何らかの形であるものとし、そこで近年の作品の主題であるミクロコスモスと
マクロコスモスの世界観は、いったい他の主題とどのようなつながりがあるか、
主題相互の関連を全作品に影響を与えるカバラの諸要素から解明していく。
2 自己自身のなかへ退くこと
キーファーの作品には、錬金術やカバラ的な要素が強い。この器用は異質で
ある。神話や説話を取り込むことと同じ意味で 20 世紀の芸術家として疑問を
わかせるために異質であるといえるし、主題の一つでもあるのに、全体を通じ
て流れる要素としても色濃く現れるため、他の主題に比べても異質であるとい
える。キーファーの芸術シ e ムに多くの影響を与えているこの錬金術やカバラ
的思考の中で彼が利用ししていたことを挙げ、彼の芸術に絡む影響をアで明ら
かにすることによって、近年の作品で描かれていることをより明快に示す。
1991 年、ニューヨークのャ宴梶[において「リリト」と題された展示によせ
て、ドレート・ルヴィッテ・ハルテンは、冒頭にこう述べている u アンゼルム・
キーファーは、カバラを知るはるか以前から、カバラ的な方法を用いてきた。
……あのユダヤ神秘思想のなか A 自らの理念を映し出す古代の鏡を発見したの
だ。しかし、このユダヤの思想体系との出会い以前から、彼の理念は別の言葉
で形作られていた」。41 リリトとはもともとアダムの妻で、アダムと同じよう
に土からつくられたため、平等の権利を主張て神といさかいを起こし、悪魔に
なったという話である。それがいつのまにかユダヤ神秘思想の文脈で、性的誘
惑者として収まることになった。であるから「リリト」という作品を考察する
には必ずユダヤ神秘思想をも範疇に入れなければならない。ハルテンはそのよ
うな考察を経て「リリト」以外の作品、リリト以前のものにもユダヤ的思考が
使われていることを発見する。この発言に対しては、キーファーがツカバラを
知ることになったのか明確ではないため、正確な真偽は疑わしい。だがここで
の重要な着眼点は、ユダヤ的、o ラ的思考のシステムが十分にキーファー作品
の全体に覆っているということである。著者は、キ?ファーが芸術家とト置いた
最初の起点とその方向を示すのにとった方法がユダヤ的思想と重なったのでな
ないかと考える。それは偶然と、言葉で示されるものではないだろう。数ある
物語の核心に触れたいという思いは当然のことながら意識しなくても錬金術的、
_ヤ思想的過程を採用してしまったと考えられるのである。必然的に昔から伝
わるこのユダヤ思想と出会うことになり、そこから学んだことから、さらにキ
ーファー芸術の方向に自信と確実性が加わり、その急速な発展とテーマの展開
に力をそそぐこととなったのではないか。ハルテンはこのことにも触れている。
「首尾一貫した、キーファーの作品のなかにある美学に対応する一つの美学的
体系が、カバラの宗教的な外観の背後に隠されている。両者の偶然の出会いは、
不可避的だったのだろう」。42 そしてキーファーはそのシステムを多様しなが
ら、真の錬金術師としてではなく芸術家としてユダヤ思想から芸術に真に必要
な要素のみを引き抜 B その使用法が、キーファーを怪しげなオカルト的錬金術
師から離れさせ、現代の芸術家として踏み留ませるのである。
o リスト、イサク・ルーリアは、5世紀に出された原書のカバラの書物を、
多くの民衆が理解することが可能なように秩セった理論体な方法でまとめた。
彼の教義は、16 世紀のユダヤ人たちのトラウマ的苦悩を救う慰めとなったの
である。ユюl は古代から国境外の共同体(ディアスポラ)を数多く経験して
いたが、1492 年のスペインからの追放とそれにつづく迫害の中で[リアはカバ
ラを終末論から世界創造へという転換をしたからである。ショーレムはカバラ
をユダヤ人がめぐった歴史の中で考察する。「カバリストは力の限りを尽くし
て、あらゆる出来事の終局点や歴史のメシア的終末に迫ろうとしたのではなく
て、むしろみずからの出発点を突き止めようとしたからである。別な言葉でい
えば、カバリストは世界の救済よりも世界の創造に多くの思いを致したのであ
る。歴史の危機と破局を早めるために先へと歴史を駆け抜けてゆくよりも、む
しろ世界過程、世界史と神の歴史が法則的に把握されうる創造と啓示のあの原
初の発端へと歴史をさかのぼっていくことが、ここでは救済を保証する一番近
ナあるように見えたのだ。自分のやってきた道を知っているものは、その道を
後戻りすることもできると思えたのだった」。4 ョーレムの考察は、彼が根源的
な歴史研究家として成し遂げた最大の功績であった。彼の考察が正しいことは
ルーリアの`を見ると分かる。ルーリアによれば、創造には三つの段階があっ
た。最初、神はエン=ソーフ、つまり終わりなきものであス。根源的な創造の
ための場をつくるために、神は自らを収縮し、自らのうちに退いた。この、内
なる流出への退去はツィムツィームトばれる。聖なる光があとに残され、そこ
から最初に存在する人間、アダム・カドモンが生まれた。彼は光が形になった
もの、つまり神の最初の形であった。エン=ソーフの光が彼の眼、耳、鼻、口
から流れ出した。そしてその眼から発する光は、それを受け入れるべき器には
強すぎて、シェビーラース・ハ=ケリームと呼ばれる器の破壊が起こる。そし
て収縮によってもまだ残存していた聖なる火花が神格への再結合を結び破損の
修復、ティックーンという救済の段階が成される。ルーリアは、民衆の悲劇的
な運命からカバラを教義化したのである。世界創造とその中で行われた再建と
いう救済の教義により多くのユダヤ人?望を与えたに違いなかった。しかし、
キーファーは真のカバリストではない。多くの批評家がキーファーの芸術をカ
バラの過程魔ノあるのと同様の救済であるとしているが、キーファーはカバラ
それ自体をそのままに受け入れてはいない。44 彼は芸術家オて、彼の中で呼応
するもののみを取り上げているように思える。
特に、ショーレムによるルーリアの世界創造の第一段階燒セしたものには、
キーファーの芸術を理解する上でもっとも参考になるものではないか。ルーリ
アは古い書物の中で忘れ去られてしまス言葉をあらためて取り出し、自らの思
想の中にそれらの言葉をうまく取り入れたのであるが、ショーレムも慎重に言
葉を選び重ねる。「ルーリアはいう、世界の可能性を保証するためには、神は
自身の本質のなかに、自分がそこから退去してしまった領域、言い換えれば神
が創造と啓示において初めてそこへ歩み出ることができる一種の神秘的原空間
をつくらねばならなかった、と。無限なる本質エン・ソーフのすべての行為の
うちで最初になる行為はしたがって、これが決定的なことなのだが、外部へ歩
みでることではなく、内部へ歩み入ること、つまり自己自身のなかへ退くこと、
思い切った表現を用いること魔ウれるのなら「自己自身から自己自身のなかへ
の」神の自己交錯なのであった。」45 世界の可能性のを示すためには世界を広
げニいうではなく、逆に自己自身の中に入っていくのであるという。キーファ
ーの芸術と考え合わせるのであれば、その宇宙過程驍烽フの成立を可能にする
唯一の行為、自己自身の内部への収縮は、驚くべきことに彼の芸術のまさに全
段階を的確に言い当てて驍フではないだろうか。例えば、各主題をそれぞれ思
い返してみると、最初に彼はドイツ人として自己を見つめた末にファシズムの
主題をオ、次に物語を通して遠い過去の出来事を思い返すことにより歴史の延
長上に立つ自己への思いを表現したのであった。この一連の行為は今現在とい
う現時点を頂点として存在する世界を徐々に裏返しているかのようである。す
べての主題は、自己自身のなかへ退くことを念頭に置き、形成されているため、
その関連が認められると述べることができると考える。
第三章 絵の背後にあるもの
キーファー芸術はカバラより影響を受け、「自己自身のなかへ退く」行為の
末に生まれたものとするならば、それが最終的に示すものは何であろうか。本
論の最初に提示したキーファーの語る、物語の背後?る本質というものを探っ
ていく。まずここでもやはりキーファー自身の言説を頼ることになる。キーフ
ァーは芸術そのものについ黷チたことでこのようなことを発言している。1985
年、バーゼルで行われたヨーゼフ・ボイス、ヤニス・クリネス、エンゾ・クッ
ニキーファーでの4人の討論界の中で、ボイスがキーファーに対し、あなたに
とって芸術的な仕事とは何かと問うたものに、こう答トいる。「私は自分の感覚
ですべての人びとにとってはすぐには理解できないことを理解したいのです。
私はそれを信じているし、私の伝え「ことはそのことです。ボイスはすべての
人間存在が芸術家であるような地点に向かっていると思っているようですが、
私はそういうボイスのような意識も希望ももっていない。私は芸術家と非芸術
家がいると考えている。いままでのところそうであったし、これからも常にそ
うであろうと考えている。私にとってわれわれが世界の中心にいるかどうかは
さだかではありません。われわれは人間がいないと困る神々について語ってき
た。しかしおそらく、人間の存在になんの関係もない神がいる。芸術家として
私はそのような神々の力を表現することが可能だと思っています。人間はある
ことがらをヤが、自分には関係のない力を予感するというのは不条理だと思い
ます。しかしそれこそ芸術家を非芸術家から分離するものなのです B46 ここ
での討論は、ボイスの問いに対する答えのため、すべての人間が芸術家である
というボイスの考えの違いを際立たせている A ここでもっとも重要なのは、キ
ーファーが芸術家として人間の存在になんの関係もない神々の力を表現するこ
とが可能であると考えて驍アとである。
人間の存在になんの関係もない神々の力こそ、彼の作品中に表れる、物語の
背後だとしたら、彼の言説を踏まえて今までの閧?以下のように考察すること
ができるのではないか。ナチズムの主題については、《あしか作戦》がもっと
も具体的にこの力を示し、代表しているだろう。三位一体として神が座るはず
の3脚のイスが上空に現れているのだが、それは神々の不在性を語るものでは
なく、人間の存在を無視した神の形骸を示すものになる。そして神話等を扱っ
た作品を、神を信じる時代が終わり、神話とは単なる作り話に過ぎないという
この世に出し、我々の祖先がかつて信じていた神、今の私たちにはなんの関係
もない神を示し、我々の根本的起源に立ち返らせる。また、古代から盛んであ
った小宇宙フと大宇宙との大きな関わりあいは、科学の発展に伴い忘れ去れた
宇宙との結びつきを示す、すなわちやはりかつて我々から起こり崇拝し柾ロ、
神であったものをキーファーは、私たちが近代に入ると同時に排除したために
人間の存在になんの関係もない神々と呼ぶのであ B 過去から神々を掘り起こす
作業は、いってみれば、シュルリアリズム(1924−1945)が戦争により隆起
した理由と似ている。シュルレア Y ムは、第一次大戦と第二次大戦との間に起
こり、戦争による精神的な負担から、産業革命以後の機械文明を払拭したいと
いう思いで非現実の世?表わすという運動であった。1945 年に生まれた戦後
世代のキーファーの場合、第二次大戦の精神的負傷を背負い、この科学文明と
もいえるこの現代から人間が忘れてしまった過去から様々なものを再現させる
ことで私たちを人間の原点に帰らせる。
「(私の作品の根本的なテーマは)人間的な概念、つまり言語では言い表す
ことのできないものだ。絵画はつねに、そしてまた文学や文学に関わるものす
べてそうだが、何か言葉に表すことのできないもの、つまり、中心に踏み入る
ことができないブラック・ホールだとか、火口のようなものの周囲をただぐる
ぐる回ってみアとしかできないのではないか。また、テーマとして取り上げる
ものも、つねに火口のふもとの小石のようなものでしかない。つまり、それ A
たえず中心に近づこうと願う円環運動の道標なのだ」。47 人間の存在になんの
関係もない神々の力を具体的に述べることはできない。そヘ人間的な概念であ
るからだとする。中心は示せないがそれを示すために中心の回りをぐるぐると
回る主題を描き、物語を物語るのである。
Lーファーが文学を引き出し述べるところでベンヤミンの『翻訳者の課題』を
思い出す。キーファーが、「言語では言い表すことができないもの」オているも
のはべンヤミンの著作にある「純粋言語」といわわれるものではないか。この
著書はベンヤミンが 1923 年、ボードレールの『タブロー・パリジャン』詩篇
を翻訳した際、そこでの経験を元に書かれたものである。「あらゆる言語とそ
の構築物には依然として、伝達可能なもののほかに、伝達不可能なものが内在
している。それが置かれている関連に応じて、象徴するもの、あるいは象徴さ
れるものとなる何かが。象徴するものはもっぱら、諸言語の数限り無い構築物
のなかに、だが象徴されるものは、諸言語自体の生成のなかに位置している。
そして諸黷フ生成のなかで自己を表出しようと、いや作り出そうとしているも
のこそ、あの純粋言語そのものの核にほかならない。しかしこの核は、秘め黷
ス断片としてではあれ、それでも象徴される当のものとして現に生きていると
はいうものの、諸構築物のなかでは、象徴するものとして`しかとらない。あ
の本質的なものは、諸言語自体のなかではもっぱら言語的なものおよびこれの
変遷と結びついて、純粋言語そのものであるとすホ、諸構築物のなかでは、重
苦しい異質な意味をまといつかされている。この意味から本質的なものを開放
して、象徴するものを象徴される当のもノ転化させ、純粋言語の形成を言語の
運動に取り戻すことが、翻訳の、力強い無二の能力である」。48 ここでベンヤ
ミンは翻訳者の課題とは翻訳言語の中に原作に存在する純粋言語をその言語へ
の志向へと重ね合わせ、改作のなかで開放ことであるとする。キーファーは自
らの芸術を駆使して、その純粋性を失わせない方法で古代から年月を追って形
成された人間の始原といえるべき根源を現代版に改訳し、私たちに提示する。
物語の背後にあるものをはっきりと認識するにはキーファーの作品は時に理解
不可能である。しかし、不可能であるかもしれなニいう予測がありながら、こ
の作家の作品の前で意見を交換し、論じる我々は、いまだ人間の始原を少ない
ながらもどこかで持っているために反応キるのではないだろうか。
終章
最初にキーファーの言葉「私は絵の背後になにがあるのかを示すために絵のな
かで語る」を提示し、彼 G 画の背後にあるものは何かということを、彼が用い
た様々な主題の内容を理解することから考察し始めた。次に背後を示すという
彼の絵画における・と寓意の関係、および全体を覆っているアナログラム的構
図の分析、さらにカバラからの影響を考慮に入れ、最終的に彼が目指したもの
はなんであゥ追求してきた。第一章では、研究がある程度整っていた、ナチズ
ムと神話や物語などの説話についての主題において論じた。画面上に示された
内容を理解、把握し、なぜこのような主題が選ばれたのか思案することで、本
論の本題として手がかりを得た。そして内容以外にも目を向け、キーファー芸
術全体にかかっているシステムについて思案を加えた。キーファーの画面上に
表れる象徴と物語のを理解したところで表れる寓意の関係については、はじめ
に象徴があり、そして寓意による破壊が起こり、さらなる象徴衝動が隆起する
という考えワとまり、その象徴衝動を超えたところにキーファーの鑑賞者に求
める背後にある何かがあるのではないかと論じた。さらに、主題相互の関連に
ついヘアナログラム的構造により解決をし、多岐にわたる主題は、その散乱を
目的としているのではなく、ついには一体となることを明確にし、そ繧ナ新た
にナチズムと、説話の主題について考察を加え、一定の方向を導き出した。こ
れらの絵画に描かれるモチーフは、歴史や物語の主人公や中心的ィではないが、
歴史や物語の方向を握っている重要な人物や事柄であり、キーファーはこのよ
うな事象を用いて、歴史や物語の断片を描くいているのでチたため、そこには
歴史学者が述べる実証的な歴史ではなく、未だ言説化されていない歴史の領域
も含むもののエネルギーが表現されているのが見えたのである。ところが、90
年代に入り、その作品の主題の傾向がまったく違ってくるようになったために、
さらにこの 90 年代の作品も加味し再度、この考えが正当かどうかも含め、第
二章で考察を重ねることとなり、この章では最近の作であるヨガのポーズが現
れる作品を取り上げ、同様に、主題の把握に努めた。そしてある作品を手がか
りに、この主題とは、小宇宙としての人体とそれ謔闊ヘむ大宇宙という構図を
をキーファーなりに描いていることが導かれた。さらに構造上だけではなく、
キーファーの全作品上で影響を反映している v われるカバラの世界創造の第一
段階、「自己自身のなかへ退くこと」を取り上げ、それがいかにキーファー芸
術と重ね合わさっているか検討し B この行為は彼を自己自身へ向かわせ、ドイ
ツ人、あるいは人間として、この現世界を見つめているのではないだろうか。
90 年代において、この探求は宇宙蜻闢凾ェ出現したことで、さらに深くなって
いるように思える。第三章において、第一章、第二章で考察されたことを基に
置き、キーファーの示す絵画の繧ノあるものに迫っていった。この章はキーフ
ァーの言説をさらに加え、彼の言葉で語るキーファー芸術の核、「人間の存在
になんの関係もない神々の力を表現する」という発言を提示した。人間の存在
になんの関係もない神々とは、言い換えるならば人間が忘れ去ってしまった
神々であり、キーファーは芸術の力を用いて、神々の力を掘り起こし、現代に
蘇らせる。神々の力であるために、キーファーの示す物事の中心をはっきりと
は言説化できないが、彼の芸術はまっすぐそれに向かっているのである。初期
時代から主題マ遷はあったが、常に自己自身のなかへ退く行為を体言し、そし
て人間の存在になんの関わりもない神々の力を表す。その結果、過去から大過
去、物事かゥ分自身へという、キーファーにしてみれば当然の主題移行を経て
着実にその核へ向かっているのである。
参考図版一覧
特に記載がないものはア[ルム・キーファーによるものである。
図 1 《英雄的象徴》1969 年
Heroische Sinnbilder,
紙に水彩、オリジナル写真,
図 2 《ム地帯》1969 年
Unfruchtbare Landschaften,
紙にオリジナル写真、
図 3 《占領》1969 年
Besetzungen.From Interfunonen(Cologn),no.12,1975.
写真
図 4 《あしか作戦》1975 年
Unternehmen “Seelowe”,175×180
カンヴァスに油彩
図 5 《飛べ、コフキコガネ!》1974 年
Maikafer flieg, 200×300,
カンヴァスに油彩
図 6 《室内》1981 年
Interieur, 287×311
カンヴァスに木版、油彩、アクリル絵具、乳剤、セラミック染料、麦藁,
図 7 アルベルト・シュペアー設計
《ヒトラー新総督官邸》
図 8 《ズラミート》1983 年
Sulamith, 290×370
カンヴァスに木版、油彩、アクリル絵具、乳剤、セラミック染料、麦藁,
図 9 ヴィルヘルム・クライス設計
《偉大なドイツ兵士のための慰霊ホール》
図 10 《無名の画家に》1982 年
Dem unbekannten Maler, 64×133,
紙に水彩、サイン,
図 11 《ドイツ精神の英雄たち》1973 年
Deutschlands Geisteshelend, 307×682,
カンヴァスに油彩、木炭,
図 12 《イアソン》1 年
Jason,
オリジナル写真集
図 13 《リリトの娘たち》1991 年
Lilith's Tochter, 380×280,
カンヴァスに油彩?剤、シェラック・ニス、灰、女性の毛髪、
オリジナルの写真、鉛の飛行機、蛇の皮、銅線,
図 14 《ジークフリート、ブリュンヒルデを忘れる》1975 年
Siegfried vergisst Brunhilde, 130×150
カンヴァスに油彩,
図 15 《オシリスとイシス》1985‐87 年
380×560
カンヴァスに油彩、アクリル絵具、陶器、
ポースリン、鉛、銅線、電子回路、乳剤
図 16 《流出》1984-86nenn
Emanation, 410×280,
カン@スに油彩、アクリル絵具、乳剤、鉛,
図 17 《革命の女たち》1986 年
Die Frauen der Revolution, 280×470,
鉛の上にアクリル絵具、゙、鉛、ガラス、ドイツ釣鐘草、薔薇,
図 18 《レズレクシット》1973 年
Resurrexit, 290×180
カンヴァスに油彩、アクリル絵具、炭,
図 19 《四位一体》1973 年
Quaternitat, 300×435
カンヴァスに油彩、木炭,
図 20 《小枝をもち横たわる男》1971 年
Liegende Mann mit Zweig, 24×28
紙に水彩
図 21 《アシュバンの写本》14 世紀
図 22 《夜の秩序》1996 年
The Orders of Night. ×463,
カンヴァスにアクリル絵具、乳剤、セラック・ニス,
図 23 《星たち》1995 年
Stars, 280×330,
カンヴァスに油彩、アクリル絵具、乳剤
図 24 《ピラミッドのふもとにいる男》1996 年
Homme sous une pyramide, 354×500
カンヴァスにアクリル絵具、乳剤、セラック・ニス、灰,
図 25 《ロバート・フラッド》1996 年
Robert Fludd, 300×138
カンヴァスにアクリル絵具、セラック・ニス.
図 26 oート・フラッド
《A Metaphysical, Physical, and Technical History of Both Worlds, the
Greater and Also the Leser》1617-1621
1 Steven Henry Madoff,“Anselm Kiefer, A Call to Memory", in: ART news,
Oct,1987, 邦訳「記憶への
呼び声」粟野康和訳『BT』1,4月.
2 マーク・ローゼンタール,『メランコリア知の翼−アンゼルム・キーファー
展カタログ』,セゾン美術 ,
京都国立美術館 ,広島現代美術館編, 1993
3 こ條?のアメリカでは戦後から中心となって発展したモダニズムの息詰まり
があり、そういった文脈
ではない反モダニズム的要素のあるこの画家の展示は、ヨーロッパ纒 ¥するボ
イスさえできなかった
ヨーロッパ美術によるアメリカ中心主義の奪回とドイツ美術の復興を意味した。
詳しくは「アメリカの
キーファー」篠田達美『BT』1989,4月.
4 マーク・ローゼンタール, 前掲書.
5 Axel Hecht, Alfred Nemeczek, "Bei Anselm Kiefer im Atelier", in: Art das
Kunstmagazin, Jan,1990.
6 《英雄的象徴》(図 1)の本の最終ページより1ページ前に以下の人物の名前
が記されている。Caspar David
Friedrich, Gilles de Ra Dollann, Klaus Kinski, Madame De Stael, Ludwig㈼
von Bayern, Hesiod,
Ernst Junger, Jean Genet, Schopenhauer, Joseph Beus, Richard Wagner,
Victor o, Jeanned'Arc,
Adolf Hitler, Hiob, Elisabeth von Osterreich, Marianne Alcoforado, Jason こ
れらの人物はその当時キ
ーファーに影響を与えていた者と思黷驍ェ、その後の作品にも具体的に作品の
中に現れたり、その人
物の名前を付けた作品を制作したりしている。例えばカスパー・ダヴィッド・
フリードリヒ、スタール
l、リヒャルト・ワーグナー、アドルフ・ヒトラー、エリザベス女王、イアソン
である。また、《不
毛地帯》(図 2)は大地や森、道路という写真に白い紐を渦巻状やくねケたりして
貼った作品であるが、
これは後のより巨大な絵画作品の原形である。
7 Anselm Kiefer,“Besetzung 1969" :in Interfunktionen [Zeitschrift fur
neue Arbeiten und
Vorstellungen 新たな創作と想像のための雑誌],Cologne,12,1975.
8 Axel Hecht, Werner Kurger, "Venedig 1980: Aktuelle Kunst made in
Germany",in: Art das
Kunstmagazin, June 1980.
9
Bazon
Brock,
“
Avant-garde
und
Mythos",in:KunstforumInnational,vol.40,1980 .
10 多木浩二,シジフォスの笑い,1997,岩波書店.
11 具体的な戦争ではなく、戦争を媒介として認識しようとしたときに見えて
歴史のエネ Mーの異常さで
ある。,多木浩二,前掲書.
12 S.H.Madoff,op.cit.
13 S.H.Madoff,op.cit.
14 S.H.Madoff,op.cit.
15 S.H.Madoff,op.cit.
16 ゲルショム・ショー?によるとリリトは、男と女が同時に造られたという『創
世記』第一章二七節の
記述と、イヴがアダムの脇腹から造られたという『創世記』第二巻二一節の記
述の矛盾を取怩アうと
する試みとして 9 世紀から 10 世紀にかけて生じたもであろうとする。リリト
はアダムと同様、土から
造られたので、平等を主張し、神の怒りをかい悪魔になった 3 世紀ごろの『ゾ
ハール』(光輝の書)
には、リリトが男性の自慰行為に人々を誘い、放出される精子から一つの肉体
をつくろうとした悪魔リ
リトとその配下たちについての記述がある。
17 『ニーベルンゲンの歌』よりも起源の古い北欧神話、歌謡エッダやフェル
スンガ・サガ等に現れている
ことによれば、ジーフリトは先にブリュンヒルデと恋仲になったのに、後のブ
リュンヒルデの婚約者の
母に忘れ薬を飲まされて、彼女との愛の誓を忘却したニになっている。
18 《革命の女たち》に見られる人物は以下の通り。コルネリア:ジャコバン
党のひとり、マドモワゼル・
ルイーズ・ジャリ:ダントンの二番目の妻}ダム・ド・スタール(1766−1817)
:
文字の普及、政治
的宣伝につとめたスイス生まれの執筆家、、マダム・ルグロ:バスティーユ牢
獄に長い間幽閉の見であ
ったが、ャ刀 E ラドゥードを開放したことにより、アカデミーから名誉を受け
た女性、マリー・アン
トワネット(1755−1793)
:ルイ16世王妃、シャルロット・コルデ(1768
−1793F 政治家マラー
を暗殺した女性、カトリーヌ・テオ(1725−c.1795):自身を聖母と信じ、
革命の際に影響力のある支
持者をもっていた女性、マダム・ロラン(1754−1793)W ロンド党穏健派
の政策に影響を与えた女性、
ガルシア・ヴィアルドー(1821−1910):ミシェル・ヴィアルドーの名前で
知られるフランスのメゾ・
ソプラノ歌手、テロワーニュ・ド・メリクール(1762−1817):バスティー
ユ襲撃のリーダーのひとり、
マダム・デュプレ:ロベルピエ−ルは 1971 年に彼女の家に滞在した。
19 S.H.Madoff,op.cit.
20 ここでは絵に引き込むために具体的に遠近法という手法を使用するとして
いるが、実フ線遠近法、つ
まり建築物のモチーフにおいて構造上の線が太く強く描かれる絵画のことを指
し示すと共に、建築物以
外にも利用される意外性あるモチーフにより注意をォ付けるという遠近法的効
果もこの用語は示すと
思われる。
21 ゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義』山下肇・石丸昭二・井ノ川清・
西脇征嘉訳,法政大学出版
局,1D
22 多木浩二,前掲書.
23 ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』川村二郎,三城満禧訳,法
政大学出版局,1975.
24 多木浩二,前掲書.
25 多木浩二,前掲書.
26 ヴ泣^ー・ベンヤミン『シュールレアリスム』針生一郎訳,晶文社,1981.
27 多木浩二,前掲書.
28
Tomas
West, “ Interview
at
Diesel
Strasse", : in
Art
international,sng,1988 .
29 蛇が天使であるという伝統は古くからある。
30 多木浩二,前掲書
31 《辺境ブランデンブルクのヒース》(1974)の原野のなかに地平線まで達
する道から《ジークフリート
のブリュンヒルデへの困難な道》(1977)の鉄道が敷かれていた道を扱ったも
の、さらに《二つの大河
に挟まれし土地》(1990)でレールがはっきり描かれる鉄道と、違う主題であ
りながら、描かれるもの
は同じ傾向を持つものがあるニ、あるいは白い衣服の場合、主にはリリトに使
用されるのだが、ある
ときはヤコブ、あるときはイアソンとアルゴ号の船員である例。
32 多木浩二,前掲書.
33 A Talk,Jph Beuys,Jannis Kounellis,AnselmKiefer,EnzoCucchi,in:Flasch
Art,no128,1986 .
34 多木浩二,前掲書.
35 マーク・ローゼンタール,前掲書.
36 Thomas McEvilley,I Hold aIndias in my Hand,Anthony d'Offay
Gallery,London,1996 .
37 T.McEvilley,op.cit.
38 T.McEvilley,op.cit.
39 Joscelyn Godwin, Robert Fludd - Hermetic Philosopher anurveyor of
Tow Worlds, London,1979.
40 ジョージ・ボアズ,マクロコスモスとミクロコスモス,村上陽一郎訳『西洋
思想大辞典 4』,平凡社 ,1990.