目次案内 出来事 西暦 明治天皇 1852(嘉 8) 明治元年 1868(明 1) 月日 ページ p1 1/1 p1 千島・樺太交換条約(サンクトペテルブルグ条約)1975(明 8) 5/7 p1 江華島事件(征韓論の台頭) 1975(明 8) 9/10 p1 大正天皇 1876(明 12) p1 思想結社(興亜会、玄洋社) 1880(明 15) p1 大日本帝国憲法 1889(明 22) p2~p3 明治憲法における国務と統帥権 p3 戦争指導機構 p3 御前会議について p3 日清戦争はなぜ起こったか 1884(明 27) 日清講和条約 1895(明 28) 下関条約 1895(明 28) p4 尖閣諸島Q&A 1895(明 28) p4 列強国の中国進出 1900(明 33) p5 義和団の乱(北京議定書) 1900(明 33) p5 大正天皇結婚 1900(明 33) 5/10 p5 昭和天皇誕生 1901(明 34) 4/29 p5 日英同盟 1902(明 35) 日露戦争 1904(明 37) 2/ p6 東京で中国同盟会発足 1905(明 38) 8/20 p6 日露講和条約 1905(明 38) 9/4 p6 日比谷焼打ち事件 1905(明 38) 9/5 p7 満鉄設立 1906(明 39) p7 韓国併合 1910(明 42) p7 明治天皇崩御 1912(明 45 大 1) p7 民主主義から軍国主義へ 1912(大 1) p8 第一次世界大戦 1914(大 3) p8 ロシア革命 1917(大 6) p8 シベリア出兵 1917(大 6) 原敬暗殺 1917 大6) p9 昭和天皇(皇太子)=摂政になる 1921(大 10) p9 -1- p4 4/ p4 p5 3/ p8 関東大震災 1923(大 12) 朝鮮人暴動のデマ 1923(大 12) 12/27 p9 虎の門事件 1923(大 12) 12/27 p10 日米対立の芽生え 1924(大 13) 7/ p10 昭和天皇即位(大正天皇崩御) 1926(大 15 昭1) 漢口事件 1927(昭 2) 4/7 p10 ロンドン軍縮会議 1930(昭 5) 1/ p10 満州進出 1931(昭 6) 十五年戦争 1931(昭 6) 6/18 p11 柳条湖事件 1931(昭 6) 9/18 p11 515事件(軍の台頭) 1932(昭 7) 犬養首相射殺 1932(昭 7) 満州進出に国連でリットン報告書公表 1932(昭 7) 9/1 p9 p10 p11 p11 5/15 10/ p12 p12 国際連盟脱退 1933(昭 8) 3/23 p13 満州国建国(傀儡国家) 1934(昭 9) 3/24 p13 フィリピン独立法アメリカ議会で可決 1934(昭 9) 226事件(要人殺害、首相官邸占拠) 1936(昭 11) 3/24 p13 2/26 p13 日独防共協定 1936(昭 11) p14 日独伊防共協定 1936(昭 11) p14 盧溝橋事件 1937(昭 12) 7/7 p14 大本営設置で陸海軍の対立が始まる 1937(昭 12) 11/ p14 南京事件(北京占領) 1937(昭 12) 2/26 p15 オトポール事件 1937(昭 12) 12/26 p15 国家総動員法 1938(昭 13) p15 ドイツの中国国民軍の支援を打切 1938(昭 13) p16 従軍慰安所開設 (漢口) 1938(昭 13) 10/ p16 日ソ衝突(ノモンハン事件) 1939(昭 14) 5/ p16 日米通商航海条約破棄 1939(昭 14) 7/ p16 朝鮮人労働者を国民徴用令で強制連行 1939(昭 14) 9/ p16 衆議院議員斎藤隆夫が国会で軍批判の演説 1940(昭 15) 2/2 p17 支那事変処理の撤兵計画から南進論に転換 1940(昭 15) 3/ p17 中国人(支那)を対象にした労工狩り計画 1940(昭 15) 3/ p17 世論にかき消された戦争不介入 1940(昭 15) 5/ p17 南方進出の準備として南方偵察旅行 1940(昭 15) 6/ p18 宮中にて大本営会議、南方武力進出を決定 1940(昭 15) 7/27 p18 7/ p18 軍圧による全体主義統一国家(近衛内閣) 1940(昭 15) -2- 杉浦千畝による命のビザ発給 1940(昭 15) 7/~8/ p18 日、仏印提携成立 1940(昭 15) 8/ p18 イギリスの在支撤兵通知 1940(昭 15) 8/9 p19 英仏が独に宣戦布告、第二次世界大戦 1940(昭 15) 9/1 p19 日独伊三国協定 1940(昭 15) 9/19 p19 三国同盟による対米国刺激の確認 1940(昭 15) 9/19 p20 小野寺信の情報収集 1940(昭 15) 10/ p20 天皇が日支事変の武力解決を打診 1940(昭 15) 11/ p21 松岡外相のシンガポール攻略提案 1941(昭 16) 1/16 p21 対、泰仏印施策要綱決定 1941(昭 16) 1/30 p21 物資動員計画の調整難航から穏健論 1941(昭 16) 3/14 p22 戦争回避の日米交渉開始 1941(昭 16) 4/ p22 日ソ中立条約調印 1941(昭 16) 4/13 p22 松岡外相の対米中立条約提案 1941(昭 16) 4/~5/ p23 駐米野村大使に随行した岩畔大佐の報告 1941(昭 16) 5/7 p23 独ソ開戦の必至の衝撃 1941(昭 16) 6/6 p23 松岡外相外しの近衛内閣総辞職 1941(昭 16) 7/17 p24 日本の南部仏印進出に米英強硬 1941(昭 16) 7/23 p24 東条英機内閣誕生と米国開戦決意 1941(昭 16) 10/16 p24 真珠湾攻撃の帝国連合艦隊出港 1941(昭 16) 11/21 p25 米国大統領へ日米開戦近とハルが報告 1941(昭 16) 11/29 p25 昭和天皇の日米開戦に当たっての思考 1941(昭 16) 11/30 p25 日米開戦決定の御前会議 1941(昭 16) 12/1 p27 対、英米蘭開戦の玉璽 1941(昭 16) 開戦の大本営命令 1941(昭 16) 12/1 p28 山本五十六司令長官へ真珠湾攻撃発令 1941(昭 16) 12/1 p29 真珠湾攻撃による開戦日、天皇の裁可 1941(昭 16) 12/2 p29 謀略の龍田丸、出港 1941(昭 16) 12/2 p29 真珠湾への奇襲攻撃を南方司令官に電信 1941(昭 16) 12/2 p30 米国ワシントンでは暗号解析 1941(昭 16) 12/ p30 ニイタカヤマノボレ 1208 暗号発信 1941(昭 16) 12/2 p31 米国太平洋艦隊の無防備 1941(昭 16) 12/2 p31 真珠湾での情報活動 1941(昭 16) 12/2 p31 伊・ムッソリーニへ、日米開戦の事前通知 1941(昭 16) 12/3 p32 日米開戦回避のルーズベルト親電準備 1941(昭 16) 12/3 p32 昭和天皇から山本連合艦隊長へ詔勅 1941(昭 16) 12/3 p33 -3- p28 陸海軍、同時奇襲作戦決定 1941(昭 16) 12/3 p34 米国への最後通知起草 1941(昭 16) 12/3~6 p34 米国太平洋艦隊空母レキシントンの幸運 1941(昭 16) 12/4 p35 日独伊、三国同時行動決定 1941(昭 16) 12/4 p35 アメリカの世論は厭戦 1941(昭 16) 12/4 p36 戦争回避のルーズベルト親電発信 1941(昭 16) 12/5 p36 12/6 p37 ルーズベルトの親電翻訳(全文) 1941(昭 16) 日本の南方輸送船団を英国機が発見 1941(昭 16) 12/6 p38 真珠湾攻撃の連合艦隊へ山本五十六の訓示 1941(昭 16) 12/7 p38 真珠湾偵察電報 1941(昭 16) 12/7 p39 情報の探り合い 1941(昭 16) 12/7 p39 真珠湾に向かう連合艦隊と特殊潜航艇 1941(昭 16) 12/7 p40 スエーデン駐在武官小野寺の緊急電報 1941(昭 16) 12/7 p40 日米開戦を毎日新聞がスクープ 1941(昭 16) 12/7 p41 ルーズベルトから昭和天皇宛の親電隠し 1941(昭 16) 12/7 p42 ニイタカヤマノボレ 1941(昭 16) 12/7 p42 真珠湾奇襲作戦実行 1941(昭 16) 12/8 p42 ルーズベルトの親電むなし 1941(昭 16) 12/8 p42 真珠湾奇襲攻撃、第一波 1941(昭 16) 12/8 p43 真珠湾攻撃後に日米交渉決裂の回答 1941(昭 16) 12/8 p44 アメリカの臨時ニュース 1941(昭 16) 12/8 p45 昭和天皇の開戦詔勅 1941(昭 16) 12/8 p45 オーストラリア、ポートダーウイン空襲 1942(昭 17) 初期の戦局と第東亜共栄圏構想 1942(昭 17) 3/ p46 アメリカで日系人の強制収容 1942(昭 17) 3/29 p46 東条指導の翼賛選挙実施 1942(昭 17) 4/30 p47 ミッドウエー海戦敗北 1942(昭 17) 6/5 p47 ガダルカナル島海戦敗北 1942(昭 17) 8/7 p48 中国人、朝鮮人の労工閣議決定 1942(昭 17) 11/27 p48 言論統制 1942(昭 17) 11/ p50 大東亜会議開催(東京) 1943(昭 18) 11/5 p50 学徒動員 1943(昭 18) 6/ p50 陸海軍の不仲 1943(昭 18) 7/ p50 イタリア降伏 1943(昭 18) 9/8 p51 占領下のアジア諸国独立運動と感情悪化 1943(昭 18) 10/~ p51 中野正剛自刃と東条首相暗殺計画 1943(昭 18) 10/27 p51 -4- 2/19 p46 注)日本が戦争で集めた貴金属をアメリカ本土に運び、ドル紙幣にして戦後賠償や支援など に充て、のちにドルが不換紙幣となったことに注目してください。 ソ連の対日参戦決定 1943(昭 18) 10/30 p52 連合国のカイロ宣言 1943(昭 18) 11/ p52 マリアナ沖海戦敗北 1944(昭 19) 6/19 p52 東条内閣総辞職、小磯内閣組閣 1944(昭 19) 7/22 p52 戦後の機軸通貨をドルにする通貨金融会議 1944(昭 19) 7/ p52 サイパン、テニアン島敗北 1944(昭 19) 7/~8 p53 ソ連、日本の和平特使派遣を拒絶 1944(昭 19) 9/18 p53 ルーズベルト、蒋介石に激怒の電報 1944(昭 19) 9/19 p53 レイテ沖海戦(マッカーサーの強運) 1944(昭 19) 10/23 p53 ソ連は日本の交渉を拒絶 1944(昭 19) 9/18 p54 ソ連は対日参戦で、アメリカへ援助を要求 1945(昭 20) 2/8 p54 ソ連、対日参戦の条件、秘密交渉 1945(昭 20) 2/ p55 東条英機の辞任回想 1945(昭 20) 2/16 p55 硫黄島玉砕 1945(昭 20) 2/19 p56 東京大空襲 1945(昭 20) 3/1 0 p 57 スイスで原爆回避の秘密接触 1945(昭 20) 3/ p57 ヤルタ会談 1945(昭 20) 4/2 p58 鈴木勘太郎内閣組閣(ソ連に仲介案) 1945(昭 20) 4/7 p58 ルーズベルト死去、トルーマン大統領就任 1945(昭 20) 4/12 p59 菊水作戦(特攻作戦)に依存 1945(昭 20) 4/22 p59 ドイツ降参 1945(昭 20) 5/7 p59 スエーデン国王の講和仲介小野寺考策 1945(昭 20) 5/7 p59 最高戦争指導会議でソ連に講和要請決定 1945(昭 20) 6/6 p59 米国OWIの天皇敵対宣伝中止 1945(昭 20) 6/ p60 ソ連は対日参戦で中国と条件の直接交渉 1945(昭 20) 6/30 p60 中国人を強制労働させた花岡事件 1945(昭 20) 6/30 p60 日本は原爆開発を断念(理化学研究所) 1945(昭 20) 7/12 p61 ポツダム宣言 1945(昭 20) 7/26 p61 連合国による日本割譲案 1945(昭 20) 7/ p61 日本に原爆投下の米国の賛否審議の提案 1945(昭 20) 7/ p62 広島にXB32型機による原爆投下 1945(昭 20) 8/6 p62 長崎に原爆投下 1945(昭 20) 8/9 p65 ソ連の対日宣戦布告 1945(昭 20) 8/9 p65 終戦のための大本営付属シェルターで閣議 1945(昭 20) 8/9 p65 ポツダム宣言受諾の御前会議(シェルター) 1945(昭 20) 8/9 p66 8/10 p67 ポツダム宣言受諾電報発信 1945(昭 20) -5- ポツダム宣言受諾回答に対する閣議 1945(昭 20) 終戦の御前会議と閣議 1945(昭 20) 8/13 8/14 p68 p68 終戦の玉音放送録音準備 1945(昭 20) 8/14 p70 皇居内 8・14 クーデター(宮城事件) 1945(昭 20) 8/14 p70 無条件降伏の玉音放送 1945(昭 20) 8/15 p72 降伏文書を全権特使が木更津飛行場から 1945(昭 20) 8/19 p73 ソ連による日本人捕虜をシベリア移送 1945(昭 20) 8/23 p74 マッカーサーによる日本統治 1945(昭 20) 8/26 p74 戦艦ミズーリーで降伏文書調印 1945(昭 20) 9/2 p75 占領軍の噂 1945(昭 20) マッカーサーと昭和天皇の会見 1945(昭 20) アメリカの援助とは 1945(昭 20) p77 GHQによる改革 1945(昭 20) p77 台湾2.28事変(白色テロ) 1945(昭 20) 社会の混乱 1945(昭 20) p78 東西冷戦 1945(昭 20) p79 極東軍事裁判 1946(昭 21) 日本国憲法制定 1946(昭 21) 政党政治の復活 1946(昭 21) M資金 1947(昭 22) GHQの占領政策転換 1948(昭 23) 朝鮮戦争勃発 1950(昭 25) 6/25 p82 D・マッカーサー解任 1951(昭 26) 4/11 p83 竹島の帰属と李承晩ライン 1952(昭 27) 1/20 p83 9/8 p83 サンフランシスコ平和条約(国際復帰) 1951~(昭 26~) p75 9/27 2/28 5/3~11/12 11/3 p76 p78 p79 p80 p81 12/3 p82 p82 日ソ共同宣言(国交回復着手) 1956(昭 31) 10/19 p84 国連加盟 1956(昭 31) 12/18 p84 政治の保革対立 1952~(昭 27~) 警察予備隊(自衛隊)結成 1952(昭 27) 日米新安全保障条約(安保闘争) 1960(昭 35) 石橋内閣の成立と失脚の謎 1956(昭 31) 高度成長と所得倍増計画 1960(昭 35) p86 生活革命と公害問題 1960~1970(昭 35~45) p87 自民党の長期政権 1960~1970(昭 35~45) p88 本土復帰の諸島返還の流れ 1970(昭 45) 12/20~ p89 沖縄返還 1972(昭 47) 5/15 p89 -6- p84 10/15 p84 p85 12/23 p86 政党の多党化 1980(昭 58) p89 文化の大衆化と日本人ノーベル賞 1953(昭 28)~1970(昭 45) p89 東京オリンピックと万国博覧会 1964(昭 39) 1970(昭 45) p89 多極化する国際社会 1960(昭 35)~1973(昭 48) p89 中国、 韓国との国交正常化 1965(昭 40)~1978(昭 53) p90 国際協力と日米経済摩擦 1970~(昭 45~) p91 靖国神社A級戦犯合祀 1978(昭 53) p91 昭和天皇崩御 (昭和~平成へ) 10/17 (1989 昭 64- 1/7) (1988 昭 63-12/) 1989~(平 1~) 平成のトピックス p91 p92~ 参考資料列記 p96 参考写真 広島原爆投下機 XB32 p97 広島原爆投下機を追尾した偵察機 川崎キ108 p97 連合国司令官マッカーサーに降伏文書を運んだ緑十字機 p98 甚目寺秘匿飛行場 p98 摂政時代の昭和天皇署名 p99 NHKの戦争協力 p99 戦時中日本政府が集めた金塊 p100 甚目寺にて(編者) -7-
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