「三ざる」と「Sun 猿」 「見ざる、聞かざる、言わざる」の意味は、「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」であり、三猿の趣旨は元々 否定すべきものではない。俗世界に惑わされないための格言と言える。また、ざると猿を結び付けていることから、日 本が起源のように思われがちだが、この格言と猿を結び付けることは日本だけではない。どこが、この三ざるの発祥の 地で、なぜ、猿に結びついたのかは、今後の研究を待つ必要があるそうだ。 さて、朋・アミーチが始めた企画の名称は、イタリアでの表現 “Non vedo, non sento, non parlo” (見ない、 聞かない、言わない)の逆を行こうと決めてから選んだタイトルで、明らかにオリジナルを、否定的に見た選択である。 イタリアの「見ない、聞かない、言わない」は、自分の世界だけにとどまり、社会への責任を一切取らず、自己中心の 生き方を示すか、あるいは、自分を取り巻く社会を批判することなく、無条件に受け入れる追従型の人間の志向、 生き方を指している。それがマフィアなど組織暴力団内部では、美徳であり、自己防衛の手段でもある。 この種の三ざるを否定することから、私たちの企画は出発した。Vedo, Sento e…? (見よう、聴こう、そし て、、、?)と、善でも悪でも、見るべきものは見て、聞くべきものは聞く。見ると聞くは受動的、言うは能動的、つまり、 何かしら積極的な行動を促すことが私たちの企画の目的である。 埼玉県の秩父神社の社殿には「お元気三猿」の彫り物がある。「よく見て、よく聞いて、よく話して」元気になろうと 言うのが由来らしい。「お元気」という言葉の明るさから、Sun(太陽)を連想し、三と結び付けたのだが、音で行く ならイタリア語のサン⇒San(聖なる)を当てはめても良いことになる。しかし、「聖なる猿たち」では、悟りの境地に 達した、日本で使われている意味での「三ざる」になってしまう。正々堂々と、真昼の太陽の下で現実を見つめ、問 題解決のために真正面から取り組む「Sun 猿」こそを、私たちの理想としたい。(2012 年 10 月 2 日 千の和)
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