映画マック

10 月 15 日(土)14:45-15:25【研究発表 1 分科会 B】
ヴィルヘルム期ドイツ映画形式をめぐる一考察
―マックス・マック監督の初期作品を中心に―
早稲田大学
小川佐和子
1912 年以降、国内の映画産業が活性化し、製作本数も増加していったヴィルヘルム期ドイ
ツ映画を、ドイツ固有のナショナルな形式を模索していた時期として捉えるのは可能である。
ドイツ映画産業の興隆と共に起きた映画改革運動を引き継ぎ、1913 年から 14 年にかけて盛
んになった作家映画(Autorenfilm)という概念は、ドイツ映画が発展するための重要な促進
力となった。この時期、ドイツの文学界、演劇界の要人が映画製作に協力し、強力な文化的
コノテーションを持つ映画が多数製作された。ゲルハルト・ハウプトマンやアルトゥール・
シュニッツラーといった文学作家が原作や脚本を、マックス・ラインハルトら演出家が監督
を、アルベルト・バッサーマンのような舞台俳優が出演をこなし、映画の質と地位を向上さ
せる一助となっていった。
本発表は、作家映画という概念に注目し、その中心人物であったマックス・マック監督の
作品を分析することで、ヴィルヘルム期ドイツ映画固有のナショナルな形式の一端を明らか
にすることを目的とする。
従来の研究では、作家映画の流行をめぐる映画史的な調査と、1910 年代のドイツ映画を先
導したマックの作品分析の間には乖離があり、作家映画運動の文脈におけるマック作品の意
義とその形式的特徴は詳細に検討されて来なかった。
発表者は、まず、監督でありながら著書を三冊も出版し、かつ同時代の映画雑誌にも数多
く記事を書いている知識人でもあったマックス・マックを採り上げることで、マックがドイ
ツ映画界の具体的な促進に意識的であったことを提示する。
次に、他国の映画史と比較して見ると、作家映画は、フランスのフィルム・ダール社をは
じめヨーロッパで同時発生的に見られた動きと連動している。だが、フィルム・ダール社は
舞台装置や時代考証を重視し、演劇的な要素が強い作品を製作したのに対し、マックの作家
映画は、演劇的な映画から離れ、映画固有の言語が持つ潜在能力を模索している。また、同
じ視覚的媒体である演劇の映画化とは異なり、文学の映画化という目的が強かった作家映画
では、書かれた言葉を見る言葉に移し替える点で、芸術としての固有な映画表現のさらなる
探求がなされた。
以上、作家映画の文脈におけるマックの態度を踏まえ、それらが彼の映画作品にどのよう
な形式として現われているのかを検討する。マックの現存作品はきわめて尐ないが、比較的
良い状態で現存している代表作―『二度生きて』 Zweimal Gelebt(1912 年)、『他者』Der
Andere(1913 年)、『コレッティはどこに?』Wo ist Coretti?(1913 年)―を研究対象とする。
重厚なロング・テイク、造形的な野外場面、ショット連鎖による特異な時間の推移とナラテ
ィヴの構築といった形式面、さらに分身というモティーフについて分析していく。また、1920
年代には古典的映画形式がドイツにおいてもドミナントとなっていくが、マック作品に見ら
れるドイツのナショナル映画形式は、古典的形式に対するオールタナティヴとしても捉え直
すことができる。