岩 屋 通 信

抱負や詳しいことは、道場で
それぞれこの方々達の新たな
らますます精進していくこと
って道場の運営に協力しなが
﹁
禅と合氣道について﹂
今 日 ︵平 成 十 七 年 四 月 十
本当にすごい方だと思って
いる。
︵自分が会員として協力で
タリ会 い、近 所 といっても久
担 任であった富永 先生 にパッ
おいては、人から馬鹿にされ
先 生 が曰 く ﹁人 間 社 会 に
そこで、禅 と合 氣 道 につい
きることは、小さ なことでも
しぶりであり、お互 いびっく
たり 笑 われたりす ること も
八日︶
夕方近所の高校時代の
何でも結構です。一例を挙げ
りした。
必要であり、またそうしたこ
暖かい励ましの言葉とともに、 を節にお願いします。
ると不 慣 れな子 供 の着 替 え
先 生 は後 数 年で退 職 を迎
とをされても平然としている
は、大人は人事異動、子ども
この三月から四月にかけて
に会員も増えつつあり、少年
十四年七月に発足以来順調
お陰 さ まで北 道 場 は平 成
は換気扇のスイッチ切り等々、 自 身 を成 長 さ せるための自
が、外のトイレのライトあるい
へん注 目 されているよう です
ということが世界的にもたい
己啓発を怠らない人である。
グをしたりして絶 えず 自 分
も本 を読 んだり、フォー キン
非常に忙しい身でありながら
り笑 われたりす る人 も今 の
だから人 から馬 鹿 にさ れた
非常におかしくなってしまう。
れ者ばかりであれば世の中が
ことが大切 である。皆 が、切
発 刊 が遅 れて申 し訳 あ りま
達は卒業 、就職・進学などで
部 も含 めて一 般会 員約 三 十
ですね。︶
て考えてみたいと思う。
あらためて、会員の皆さん
応援、あるいは最近日本古来
えられることになる訳 だが、
月が過ぎようとしております。 会 員 の皆 さ んから直 接 声 を
せん。今年は少し頻繁に発刊
におかれてはご健勝のことと
からの言 葉 で﹁もったいない﹂
なにかとあわただしい季節で
五 名 、幼 年 部 ︵小 学 生 まで︶
以前大分この座禅のことにつ
に あ る のであ って、一 日 の
た、﹁座 禅 も日 常 の動 きの中
先 生 は座 禅 をさ れており、 時 代 に必 要 なのである。﹂ま
は少し内容の趣向を変えて、
いても教えを受け、時には具
様 々 な場 所 において呼 吸 を
そこで、今回の岩屋通信で
浜田道場長が忙しい消防署の
体的に座禅のやり方について
整 えることを行 っている。そ
も十五名に届こうかという状
今 後 ます ます 会 員 の増 加
勤 務 の合 間 に日 々 書 き留 め
も教示 をしてもらったり、一
況です。
さん、これまでと環境ががら
が予想される一方で、会員相
ていることを紹 介 してみたい
方々の動きがありました。皆
りと変わり慣れるまではたい
互の技の研鑽、礼儀作法など
へんでしょう が合 氣万 生道 で
相 手 に言 わせる。このことは、
して、口論しても決して結論
内 面 的 な心 の修 養 などが一
内 容 的 に学 生 諸 君 には少
先 生 の座 禅 の取 り組 み方
緒に山に登ったりで色んな思
培った経験や自信を糧にして
層大切になってくるものと思
し難しい記述もあるかも知れ
と思います。
頑張って下さい。
われますが、役員だけではこ
自分から相手が間違っていて
を判 っていても早 く言 わず 、
・
平井さんー本原交番へ
異動
はただ単なる趣味ではなく、
の間 違いに気づき、相手 によ
ませんが、じっくり何 回 でも
間 が生 きるための必 要 性 や
って是正をさせる。結局自分
れらの指導の役目はなかなか
呼吸力と同じで少しづつ自分
目 的 を果 たす ことを目 指 さ
は何 もせず ただ呼 吸 を整 え
も、その否を責めず相手がそ
のと思 われます ので、一般 の
のものになっていくかと思いま
れておられる。
その趣 味 の範 疇 を超 えた人
業 進・学
・浜田悠太君 、下川君、山下
会 員 の方 々 も北 道 場 の会 員
すので、精読してみて下さい。
読 むことによって、合 氣 道 の
君 、田 崎 陽 月 さ んが小 学 校
であるという誇りと自覚を持
手が回らない面も出てくるも
卒業・
進学
浦・ 上君 小・ 西君︱中学校卒
い出がある。
この長 崎 北 道 場 でも 次 の
もあります。
かけてやって下さい。
できるよう勉めてまいります
存じます。
すっかり前号から岩屋通信の
のでよろしくお願いします。
今年も早いもので既に三ヶ
岩 屋 通 信 第七号
1P
岩屋通信第7号 2006年(平成18年)3月
2P
岩屋通信第7号 2006年(平成18年)3月
ているだけであ る。また、人
稽 古 量 がかかることは皆 周
様 や 教 えなどは決 して時 代
ほんの僅 かの立 ち話 であっ
なお、その次、五月は十四
会となっており、当北道場に
日 ︵日 曜日 ︶が本部 の演 武大
先 生 が﹁お互 い年 をとったな
も二 組 の出 場 依 頼 が来 てお
た先 生 と の会 話 も面 白 く 、
道 の教 えも前 述 す るよう に
あ﹂ということを別れ際 に言
に反しておらず 、また、合 氣
したがって、﹁合 氣 道 は動
﹁相 手と一 体 になること、社
ります ので、また参加できる
知の通り。
心である。﹂
ということであり、
く禅﹂
とは言えないのである。
われ、﹁
そうですね。しかし先
様 の役 に立 つことこそ、禅 の
まさに、合氣道と通じるとこ
会の役に立つこと。﹂
等である
方の指名を調整させていただ
ただ言 えることは、﹁到 達
生は若い。﹂
ということでそれ
ろがあり、非常に勉強 になっ
ため禅とつながりがある。
そうしたことから、到達す
するところは同じなのかもし
れない。﹂
ということである。
ることは同じであると思われ
立て続けで何かと忙しいとこ
た。
よく﹁合 氣 道 は動く禅 ﹂と
それは、富 永 先 生 と砂 泊
る。しかし、どちらとも奥 が
まだまだ編 集 者 の野 瀬 の
ろですが、万障お繰り合わせ
きます。
か言う人もいるけど、しかし
先 生 が言 っていることは、何
深 いため比 較 はできない。そ
方 で浜 田 道 場 長 からたくさ
の上多数の出席をお願いしま
ぞれ が笑 顔 でまたの再 会 を
禅 のことをよく分かった上 で
か同じよう に聞こえ、結 局 、
れぞれ認め合 い、それぞれの
んの手記を預かっております
す。
は有 段 者 交 流 研 修 会 です 。
その翌 週 の五 月 二 十 一 日
言 っているのかどう か疑 問 で
禅 も合 氣 道 も﹁社 会 生 活 を
意見交換をすることにより、
ので、次 号 も楽 しみにしてい
願った。
ある。
していく上 で人 の役 に立 つこ
今 行 っていることに対 して繁
● そろそろ平 成 十 七 年 度
それは、先生も禅を始めて
と、常 に呼 吸 を整 え何 事 に
て下 さい。それと共 に、感 想
だいたい計 算 す ると三 十 年
栄できると思う。
対 しても動 じないこと﹂など
の決 算 と十 八 年 度 の予 算 案
決めるための総会の季節とな
以上なられると思うが、この
などもどんどん浜 田 さ んに
て現在の心境を述べてみたが、 言 って下さ い。稽 古 の合間 な
りました。日程等決まりまし
以 上 ﹁禅 と合 氣 道 ﹂につい
どにこのような話題をもとに
たらお知らせしますので多数
であるからである。
これは中 身 がなく表 面 上 で
して話すことが合氣道をして
のご参加をお願いします。
長い間には禅を組んだり、多
は、﹁黙想﹂ということで禅を
あるため、す べてについて述 べ
いく上でも素晴らしいことだ
合 氣 道 の稽 古 の始 や 最 後
する。合氣道のみでなく剣道、
るのは、まだまだ修行不足な
く の書 物 を 読 んだりして一
日 蓮 上 人 、道 元 禅 師 など
柔 道 、空 手 などの日 本 武 道
生懸命やられている。
様々有名な人達の話がでてい
と思います。
また、子どもの会員もだい
と ころがあ り 、不 可 能 であ
ちと精 神 の安 定 を図 るため
それ は、自 分 自 身 の気 持
が最 も大 切 であ ることを強
神は、人のために尽くすこと
しかし、﹁
禅と合氣道﹂
の精
日︶正午、今回は研修前に神
交流研修会は、十六日︵
日曜
● 四 月 の熊 本 での有 段 者
︽
連絡等︾
と寺井さんのご指導の賜物で
●村里さんが、日頃の精進
ね。
クリエー ションを したいです
ぶん変わりましたので、春のレ
に行 わ れ ていること だと 思
調しているため、社会生活上
居合道初段になられました。
る。
う。
事 があ るため手 取 神 社 内 に
する。
ることからも明らかなように、 は決まって多少なりとも禅を
決 して生 半 可 な 精 神 でして
お ら れ な いこと が伺 え ら れ
る。
合 氣 道 をしながら禅 とな
ると絶対、今 の時代 において
忘れてはならないものと感じ
﹁禅と合氣 道 ﹂それぞれ道
おめでとうございます。
は困 難 であ り、合 氣 道 を 分
ある本部道場です。
は違 っていても、先 生 の生 き
られる。
かるまでにも相 当 の時 間 と