戸 シンポジウム 、墓拳 大規模災害をめぐる法制度の課題一一基礎法学の視点から I 令 〈 . 我妻柴博士の災害法制論 一一原子力損害の賠償に関する法律一一 ある(7条)。前者の責任保険は、民間ベースで茂 はじめに 36〔1961〕年法律147号、以下「原賠法」という)α り、1999年東海初CO事故のような通常事故の損菩 を対象とする。後者の補償契約は、国家との契約て あり、(保険対象外である)地震による損害(2011年 東電福島事故)等を対象とする(「原子力損害賠償補 立法史を、立法の中心人物である我妻栄博士の残し 償契約に関する法律」(昭和36年法律148号))。 本稿は、「原子力損害の賠償に関する法律」(昭荊 た「我妻柴関係文雷」に即して論ずる')。 (1)原賠法の特徴 原賠法は、民法不法行為法の特別法であり、第一 規定する法律はもっぱら被害者の救済を目的として いるが、「原子力損害賠償制度では、被害者のため の賠償確保と並んで、事業者の保護も重要なねらい ていない(海外法制では責任限定が多い)。事業者α 賠償額が賠償措置額を超える場合、政府は、「必要 があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子 力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行な うものとする」(16条)。政府の援助は、義務ではな い。JCO事故は、燃料加工施設事故で賠償措置額が 10億円であった。賠償額は150億円に達したが、激 府の援助はなかった。今回の東電福島事故の場合 は、原子力損害賠償支援機構法(平成23年法律94号) が制定され、1兆7400億円以上の援助が行われてい の一つとなっている。……巨額な賠償負担に対し国 る(平成24年12月27日東京電力プレスリリースhttp:// が種極的に助成することを明確にすることによっ w w w . t e p c o . c o . j p / c c / p r e s s / 2 0 1 2 / 1 2 2 3 8 8 0 _ 1 8 3 4 . h t a l ) 。 て、事業者に予測可能性を与え、もって原子力事業 の健全な発展を促進することが、重要な目的となっ ている」と述べる2)。 (2)我妻博士と原賠法 などの制度がある。損害賠償措置とは、「原子力損 一般に、原子力損害賠償制度では、損害額が巨葱 になった場合に、被害者または事業者への国家補催 を法的義務とするかが問題になる。国家補償を義溌 づけるとして、さらに、事業者負担を限定するかも 問題になる。我妻博士は、《事業者責任限定プラヌ 国家補償義務》を主張したが、大蔵省等の反対によ 害を賠償するための措置」であり、措置金額は、発 り、現在の原賠法になったと論じている。 電用原子炉の場合1サイトあたり制定当初50億円、 「〔原子力災害補償……小柳注〕専門部会の審議に 当っては、政府の役人たる委員、ことに大蔵省から の委員は、相当根本的な問題について反対の見解を 第二の特徴として、原子力事業者の無過失責任 (ただし、「損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動 乱によって生じたものであるとき」は責任を負わな い)および責任集中(3条)、損害賠償措置(6条) 現在は1200億円である。措置の仕組みには、原子力 損害賠償責任保険と原子力損害賠償補償契約などが 我妻肇博士の災害法制鎧−10 画P。宮 たが、本稿では、省略する(なお、拙著『震災と借地借家』(成文堂、2003年)260頁以下)。 2)科学技術庁原子力局・注1)密9頁。 上り凸b0■Ia−6■。上り凸?90も166 1)原賠法について、科学技術庁原子力局縄『原子力損害賠霞制度』(19 (6 19 26 年2 、年 通、 商通 産 商 業 産 研 業 究 研社 究) 社、 )下 、下 山山 俊俊 次次 「「 原 原 子 子 力 力 」 」 山 山本 本草 草二= 塩野宏=奥平康弘=下山俊次『未来社会と法』(筑摩書房、1986年)、卯辰昇『現代原子力法の展開と法理鐙〔第2版〕』(日本評鶴 社、2012年)、高橋康文『解説原子力損害賠償支援機構法一一原子力損害賠償制度と政府の援助の枠想み』(商事法務、2012年)。 本シンポジウムは、基礎法学からの災害問題への貢献を鐙じ、筆者の報告は、我妻博士の擢災都市借地借家臨時処理法鐙も検討し ︲△.。。﹄■①.・も6→◇0.0▽白・︲や の特徴として、「被害者の保護を図り、及び原子力 事業の健全な発達に資することを目的とする」(1 条)。この点、科学技術庁原子力局編『原子力損害 賠償制度』(1962年)は、他の無過失責任主義等を 第三に、原賠法は、原子力事業者の責任を限定L ︲、︲I︲4111‘!︲︲・’︲6900Ⅱ181’6.0041−991’一■■L■’■rf9︲・l9ee7・DB9b▼、?.?↑︲︲・;,f001。︲・9︲i‘︲lq9i9︲︲︲i﹃。.bクーP1‘DB︲,.62.pdUUq﹃I14IIJq・西国rrrゲマD8J■1.0。.︲︲・今I︲州。。J1員10■・B9f︾■Pで旦口11aもq4夕■?■■雪■踊野0J・望口守妙○や岬価馴副0?△F■5.F●4GFいりr図即L肌馳rL匪課’−1F小’2口伽。。︸︲今示郡■’0, 小柳春一郎 とり、最終決定に際しては、態度を保留した。そこ で、専門部会の答申を受けた原子力委員会は、大悶 1原賠法成立の前も 当局と折衝する必要に迫られ、その諒解を得て原子 力委員会の態度を決するまでには、幾つかの点で 専門部会の答申の線から後退せざるを得なかった‘ しかし、私の見るところでは、この後退は、五○億 円〔賠償措置額のこと……小柳注〕を越える損害に ついての国家補償の点を除いては、それほど大きし (1)原子力開発と災害法制 日本の原子力開発の中心となった国家機関は原子 力委員会であるが、正力松太郎初代委員長は、原子 力委員会発足直後の昭和31〔1956〕年1月に、5年 以内に原子力発電所を建設したいと発表した4)。研 究機関としての日本原子力研究所(以下、「原研」と いう)は、昭和30年末に発足し、昭和31年4月に茨 ものではない。……大蔵当局はいう。原子力事業も 民営の企業である。民営の企業から生ずる損害につ いて国家が直接に賠償責任を負うことは、わが国の 法制に例がない。もし原子力事業についてこれを認 めるなら、例えば火薬製造業や鉱山経営業などにつ 城県東海村を敷地とし、実験炉であるウォーターボ いても認めねばならないことになるだろう。……か 英国原子力事情を調査した原子力委員会報告書が、 ような見解は、専門部会の審議の際にも検討され 天然ウラン黒鉛減速炭酸ガス冷却型であるコールダ た。そして、それは、原子力事業の特殊性を充分に イラー型原子炉限R-lを米国から輸入し、昭和32 〔1957〕年8月に運転を開始した。同年1月には、 ……〔国会提出の原賠法案および成立した原賠法で ーホール改良型の原子力発電所を、わが国に導入す るのに適するものの一つであるとし、昭和32年11月 に、民間主体の原子力発電のための日本原子力発電 は〕50億円を越える損害については、原子力事業者 株式会社(以下、「原電」という)が設立され、同年 の責任は制限されておらず、しかも国家も、賠償資 末に東海村を同型炉発電所の敷地として定めた。 認識しないものだとして否決されたのであった。 金を与える義務を負っていないのだから、原子力事 原子力災害に関して、「核原料物質、核燃料物質 業者にとっても、被害者にとっても、そこに不安が 及び原子炉の規制に関する法律」(昭和32年法律166 横たわっているといわねばなるまい3)。」 号、「原子炉等規制法」)の国会審議では、科学技術 表1原賠法成立関連年表(年号は昭和 31年1ノ 正力松太郎原子力委員長が5年以内に原子ン 発電所建設との構想を発易 32年11」 12月 日本原子力発電株式会社発足 日英原子力協力協定でコールダーホール型, 子炉受入れに関し英国が燃料免責条項申入オ 33年6/ ロ李啄丁刀座采芸餓l腺ナ刀禰慎向連句↑先正 間報告密」(金沢良雄・加藤一郎・下山俊次等 10月 原子力委員会が原子力災害補償制度確立のプ めの基本方針を策定し、専門部会設§ 11月 原子力』 〔害補償専門部会第1回会爵 34年7月 部会委員として大蔵省主計局長追力 12月 我妻柴部会長が答申(大蔵省は留保】 35年2侭 原子力委員会「内定」(答申に従うI 3 ノ 原子力委員会「決定」(答申と異るI 5 ノ 岸内閣が原賠法案国会提出(安保問題で審詔 未了) 36年3月 池田内閣が原賠法案、原子力損害賠償補償契 約に関する法律案国会提出(6月成立】 原賠法成立までは、上記の年表のとおりである。 以下では、「1原賠法成立の前提」に続けて「2 原子力災害補償専門部会の審議」を検討する。 庁佐々木義武原子力局長は、次のように述べた。① この法律に基づき運転される原子炉では災害を防止 できると考えている。②これは、現在の政府事業と しての原研実験炉についての見解であり、発電用民 間原子炉については、別途考慮が必要である。③民 間原子炉は具体化していないため、この問題は今後 の課題だが、諸外国で原子力災害の特別法制の動き があることは承知している(衆議院科学技術振興対 策特別委員会第37号(昭和32年5月11日))。 昭和32〔1957〕年頃から、原子炉安全問題も深刻 に議論された。具体的には、英国でウインズケール 原子炉事故が発生し(昭和32年10月)、英国は、提 供核燃料について免責申入れを行い(同年12月)、 コールダーホール型炉耐震性への疑問も登場し(同 型炉は、地鍵災害を予想していない)、米国研究機関 による原子炉被害予測の発表(WASH740「致死曝射 3,400人、傷害見込43,000人、立退その他の制限措置に よる財産的被害が最大91億ドル(約3兆3千億円)に 上ると推算」)5)があった。賠償制度への関心も高ま り、原子力産業新聞昭和34年11月15日4面および5 面は、原研東海研究所記者クラブ座談会〔司会は一 本松珠磯原電副社長(後に同社社長)〕記事で、原 3 ) 4 ) 我妻楽「日本における原子力災害補償に関する問題」同『民法研究Ⅲ補巻(1)』(有斐閣、1989年)245頁。 参照、拙稿「原子力災害補価専門部会(昭和33年)と『原子力損害の賠償に関する法律』(1)」濁協法学89号(2012年)。 5 ) 加藤一郎「原子力災害補侭立法上の問題点」ジユリ190号(1959年)14頁、真崎勝『原子力保険』(保険研究所、1957年)15頁。 102-法律時報85巻3号 電東海村原子炉設置に関連して「最大の関心・補償 除去であった。 問題」との見出しで報じた。 (3)我妻博士と部会 これに対応して、日本原子力産業会議(以下、 我妻博士の部会関与は、第一に、外的要因とし て、有沢広巳原子力委員(経済学者、東大名誉教授、 「原産」という)が賠侭制度検討を開始した。原産 昭和31年から昭和47年まで原子力委員)の働きかけに (2)原産会謹と原子力委員会 は、現在の一般社団法人日本原子力産業協会の前身 に当たる組織であり、正力松太郎の要請に応えて、 昭和31〔1956〕年3月に設立された産業界の組織で ある。原産は、昭和33〔1958〕年2月に補償問題に よる。「法律に対する根本思想をかえるような大問 題に取り組むには、やっぱり大先生を引っぱり出さ なければダメだと思ってね。法務省の顧問室に我妻 先生を訪ねて、説得に行ったのをおぼえている。」 ついての専門委員会(金沢良雄北大教授主査、加藤 一郎東大教授、下山俊次委員(原電)等)を設置し、 との有沢委員の回想がある7)。 6月に中間報告書を発表した。それは、「原子力開 の無過失損害賠償責任論および原子力賠侭制度への 発を促進し原子力産業の健全な発展を図るために は、大災害による、産業の負担すべき巨額な賠償責 任について、何らかの対策がとられることが必要で あるし、また一方公衆に対しては、万一の大災害に 関心がある。我妻博士は、昭和34年3月5日の衆議 院科学技術振興対策特別委員会において、「原子力 を平和に利用するということにも、御承知の通り非 対して適切な補償が与えられるような制度がなけれ ばならない。原子力災害に対する補償問題は、この ような産業並びに公衆の、それぞれの立場を十分考 慮して解決を図るべきである。」と述べた上で、「原 子力災害の公衆に対する補償の方策としては、まづ 原子力賠侭責任保険が考えられ、これによりカバー できない損害に対しては、国家補償などが問題とな る。」と論じた6)。原産は、6月6日の理事会で原 子力災害補償体制の整備に関する要望書を決議し、 首相、原子力委員会等に提出した。 原子力委員会は、10月22日に原子力災害補償専門 部会(以下、「部会」という)を設置した。原子力委 第二に、内的または学問的要因として、我妻博士 常に大きな災害を伴いますので、この原子力災害を 補償するということが、無過失責任の一つの適用と して新しく登場して参ったわけであります。それ で、私も専門の関係から、この問題に非常な関心を 持った」と述べている。 2原子力災害補償専門部会の審議 (1)原子力保険の限界 β 員会は、その際、「原子力開発の進展に即応し、原 子炉設置者等が所要の賠侭能力を具備することが可 能となり、同時に被害者たる第三者に対して正当な 補償を適確に行えるような原子力災害補償体制を確 立し、原子力に携る事業者及び第三者の不安を除去 することが必要であるが、その実現のためには、賠 償責任に関する問題及び原子力責任保険の問題、さ らに必要に応じ国家補償の問題等を解明しなければ ならない。そこで原子力災害補償専門部会を設け て、これらの専門の事項について調査審議すること とする。」と述べた。以上のように、原子力災害法 制の重要な目的は、「事業者及び第三者の不安」の 部会の審議内容のうち、国家補償および事業者責 任限定を中心に取り上げる8)。原子力委員会の諮問 では、国家補償の内容は明確ではなかった。この問 題が、本格的に議論される前に、原子力保険につい て議論が行われた。そして、原子力保険は、海外再 保険との関係で、地震をカバーしないとの説明が登 場した(石川一郎委員(原子力委員会委員)「地震以 外のiにmで英国が日本の保険を引受けないという点 は?」、長崎正造委員(東京海上火災保険)「英国では 地震以外には特にあげていない」(第4回会議、昭和 34年2月17日))。我妻博士(部会長)が、「日本では 或る程度以下の地震については保険で持つべきで、 再保険の点もその線で解決するというのがここでの 結論とみられる」と述べたが(第5回会議、3月6 日)、長崎委員は、第12回会議(7月18日)で「地 震が入ると英国と板挟みになる」と述べ、地震災害 6)日本原子力産業会殿災害補償問題特別委員会『原子力補償問題研究中間報告密昭和33年6月』「はしがき」(http://www.lib jaior.jp/library/book/pa/pal764.pdf)。金沢良雄「個人の損害賠償資任に対する国の補完作用」『我妻先生還暦記念損害賠償法 の研究(中)』(有斐閣、1958年)がその理鎗的支柱である。 7)日本原子力産業会鰻『日本の原子力-15年のあゆみtai(日本原子力産業会蟻、1971年)124頁。 8)東京大学法学部附属近代日本法政史料センター原資料部[褐]『我妻栄関係文密目録』(2003年)118頁「【13】原子力①4補償 関係2.災害補償関係鍛事録1)原子力災害補償議事録綴」(同資料は、これまで利用されていない)。なお、原子力班業者の免責申 由(「異常に巨大な天災地変」等)も重要であるが、別稿で検討する。 我妻栗博士の災害法制鐙-10§ 君 厩 Bi ; ' 、 4 罪 j f1 L ; 1 . ; M 』 . : ! ? ; 、 》1 j1 1 ‘ リ .︲●︲111 を保険対象から除外する方向が打ち出された。付傷 額も当初から50億円という額が想定されていた。 こうして、①通常災害で損害額が50億円の措置蔀 を超える場合および②地震災害(津波も含む)によ る場合には保険がカバーしない問題が登場した。、 と推測される(部会発足時は、大蔵省の委員は保険術 度管轄の銀行局長のみ)。第15回会議(10月1日)て は、大蔵省主計局法規課長小熊孝次(主計局長倫 理)が「保険の限界外即、国家補俄にするのは問匙 である」、「原子力産業については、何処までも被喜 については、一種の国営保険契約(後に、原子力拶 をみるということの原則があると聞いたのでそれに 害賠償補償契約に結実)が予定されたが、そこでも 異識を述べた」と国家補償反対論を展開した(補倣 措置額を賠償額が超える場合がありうる。このた肋 契約の性質も議論)。 この国営保険たる補償契約を広く適用して、原子丈 事業者の賠償責任について限定する議論すなわち、 (3)私法学会(10月13日) 《事業者責任限定十国家補償》論も登場した。これ 10月13日に私法学会で「原子力災害補償」シンホ は、一方では被害者保護、他方で原子力産業保護を ジウムが開催された9)。我妻博士は、国家補侭問題 について、次のように論じた。 意図し、原子力事業者でなく国家が被害を補償すべ きであるという考え方である。 「たとえば法務省とか、あるいは大蔵省とか、あ (2)国家補砿についての畿論 るいは法制局というような従来の頭で考えている人 は、それ〔国家補償のこと……小柳注〕はおかしい 国家補償の本格的議論は、第11回会議(7月13 といいます。なぜおかしいというかといいますと、 日)からである。我妻博士は、「国家が責任をとる のではないか。即ち被害者の泣寝入りは避けなけれ 原子力発電会社だって私企業じゃないか、私企業を 国家が監督して許可企業にすることもむろんあり得 る。許可企業にしたからといって、責任を負ってや ばならない。」、「被害者に泣寝入りさせることはな るということはどこからも出てこないのではない い。私企業に許可するということが定められた以 か、それを原子力産業についてだけ保険に入れば責 任をたとえば五十億に切ってやる〔事業者の責任限 定のこと……小柳注〕、それから上は国家が補償し 根拠論は別として、最後は必ずみなければならない 上、そこには、国家が責任を持つということが暗々 裡に認められたものと思う。最初から委員会に諮問 されたならば、私企業にはやらせるべきではないと てやるということは考えられないと言うのです。 いう結論が出たかも知れない。現実には或る程度既 定事実において私企業を保護するように聞こえるの ……私に言わせると、それは結局政策の問題だとい う感じがする。単なる私法理論を出ている。なぜか はやむを得ない」と述べた。 というと、今かりに原子力発電会社が東海村に原子 ところが、科学技術庁原子力局次長・島村武久委 員(通商産業省出身)は、「大きな火薬庫について は、災害の規模、態様が異なるが、本質的には異な らない。」、「程度の問題はあるが、性質上は火薬庫 と変わらないと思う。外国に例があるだけだという 気がする」と疑問を述べた。これに対して、国家補 償積極論者として、星野英一委員は、「国民感情は もちろんあるが、未知のものであるという事だろ う。また、いわゆる福祉国家としての国家の性格の 変化も考えるべきである。」、有沢委員は、「非常に 偉大な威力を持つ技術を開発するときには、根本的 に考えなければならない。……その点で我妻先生と 同意見である。」と論じた。 炉を設置しようとしているとします。そうすると東 海村の連中は全部反対すると思います。非常な危険 のあるものを持ってこられては困る、万々一災害を 生じたら一体どうするかと言うでしょう。そうして 政府に向かってこう言ったときに、政府が、いや、 無過失責任を定める法律を作ったから心配するな、 どんな災害でも無過失責任だ、と言ったときに、無 過失責任でなるほど損害賠償義務は発生するかもし れないが、会社がつぶれたら一体どうするのです か、こういうと、会社がつぶれたからそれは仕方が ない、……これで済むかどうか'0)。」 (4)第18回会議(12月1日) 7月15日の第28回原子力委員会定例会議の決定に より、大蔵省主計局長石原周夫等が追加委員となっ 局長代理)が国家補償消極論を展開した。(「なぜ補 た。国家補償問題に主計局関与が必要になったため 償するのか」、「〔事故があれば……小柳注〕保険で払 第18回会議(12月1日)で大蔵省小熊委員(主計 9)星野英一「民事責任の問題〔シンポジウム原子力災害補償〕」私法22号(1960年)69頁は、事故被害予想『大型原子炉の事故の 理論的可能性及び公衆損害額に関する試算』(http://horaepage3.nifty.com/h-harada/nonuke/lib/sisan/hyosi・html)について、「現 在原子力産業会蟻でその鯛査・研究が行われているようです」と述べる。 10)我妻乗ほか「原子力災害補償(シンポジウム)」私法22号76頁。 104--法律時報85巻3号 い、足りなければ残余財産で払うべきだ」、「事業者↓: るかまたは責任保険契約を締結する等の損害賠償措 能力があるのにも拘らず補償するのはおかしい」、「陽 子力政策といっても、石炭、重油もある。それらとα 置を具備することを条件とすべきである。」、「第三 に、損害賠償措置によってカバーしえない損害を生 比較取量しなければならぬ。原子力だけで行けという じた場合には国家補償をなすべきである。」と論じ 時代でもない」)。 た。同時に、答申は、大蔵省について「この答申に 国家補償積極論者は、有沢委員が「新しい技術トミ ついては、大蔵省主計局長石原周夫委員が3〔国家 は新しい考え方が必要だ」、我妻部会長が「この召 会は、原子力委員会のこのような〔国家補償を是と する〕考え方、各国の状況を尤もとして考えてb る。」、「原子力産業保護の観点から国家補償を考え た」、鈴木竹雄委員が「事故になれば裸になれとし うなら誰もやれはしない」、星野英一委員が「自分 補償……小柳注〕および4の項〔損害賠侭請求につ いて行政委員会が管轄……小柳注〕について……態 度を保留したことを付記する。」と記述した'1〉。 (6)原子力委員会の「内定」と「決定」 原子力委員会は、昭和35C1960D年2月24日に基 が払えと云っても、支払能力は保障できない」と仮 本的に答申の趣旨に従った「内定」を行った(「原 論した。しかし、小熊委員は、「今日採択されるα なら、大蔵省主計委員は留保した、としていただき 子力事業者の責任の限度額は、損害賠償措置の金額と たい」と論じた。鐸々たる学者による《事業者責個 設置法3条は、原子力委員会の「決定」について、 限定十国家補償》論にも拘らず、大蔵省の反対は爾 強であった。我妻部会長は、「〔大蔵省は、……小刺| 内閣総理大臣は、「尊重しなければならない。」と定 注〕根本問題で留保されたのだから細かい問題でモ 留保した方が良いだろう。あとは部会長に一任願し は、総理府の外局たる行政委員会ではなく、審議会 の性質を有したのであり、「決定」が尊重されない たい」として議論を終えた。 場合があった。このため、原子力委員会は、「決定一 国家補償額との合計額とする。」等)。原子力委員会 めたが、原子力委員会の国家行政組織法上の地位 ではなく「内定」にとどめ、大蔵省との調整を行 (5)答申(12月12日) 我妻部会長は、12月12日に原子力委員会委員長中 曽根康弘宛に答申を提出した。それは、「政府が諸 般事情を考慮してわが国においてこれを育成しよう とする政策を決定した以上、万全の措置を講じて損 害の発生を防止するに努めるべきことはもちろんで い、大蔵省の意向にも配慮した上で昭和35年3月2t 日決定「原子力損害賠償制度の確立について」を定 めた。これに基づき岸信介内閣は、原賠法案を5月 に国会に提出したが、安保問題等のため審議未了に 終わった。原賠法は、翌36〔1961〕年6月に池田勇 人内閣の下で成立した'2)。 あるが、それと同時に万一事故を生じた場合には、 原子力事業者に重い責任を負わせて被害者に十分な 補償をえさせて、いやしくも泣き寝入りにさせるこ おわりに とのないようにするとともに、原子力事業者の賠償 瀬川信久教授によれば、不法行為法の機能とL 責任が事業経営の上に過当な負担となりその発展を 不可能にすることのないように、適当な措置を講ず ることが必要である。」と述べ、「第一に、原子力事 業者は、その事業の経営によって生じた損害につい ては、いわゆる資に帰すべき事由の存在しない場合 にも賠償責任を負うべきである」、「第二に、原子力 事業を営むにあたっては、一定金額までの供託をす て、被害者側について、現実の被害者への①「損菩 填補」、潜在的被害者への②「安心させる機能」、加 害者側について、現実の加害者への③「制裁」、潅 在的加害者への④「予防」がある'3)。以上の議論に 照らすと、我妻博士は、①損害填補(「被害者に制 寝入りさせることはない。」)および②安心機能を蔓 視した。これは、原子力発電所反対運動対策の面も 11)同報告については、加舎章『原子力災害補償の方向一一原子力損害賠償保障法案の構想と問題点」時の法令337号(1959年)。 12)下山・前掲注1)$506頁。「この決定が前の内定と異なる点は、(1)無過失損害賠償責任については、賠償費任を一定額で打ち 切ることは財産樋の保睡の観点から憲法上の疑義があるので、責任制限については規定しないこととしたこと。(2)国の措置として は、……損害賠償措置の金額をこえる原子力損害については、政府は国会の騒決を経た権限の範囲内で原子力事業者に必要な援助 を行なうことができることとしたこと。」などである(『第4回原子力白轡』(1960年)192頁)。なお、竹森俊平『国策民営の 良:原子力政策に秘められた戦い』(日本経済新聞出版社、2011年)は、インターネット資料を検討し、昭和36年原賠法成立当時 の水田三喜男蔵相(池田勇人内閣)の答弁等から、「筆者の考えでは、我妻のネムシス(「宿敵」のこと……小柳注)は当時の大蔵 大臣、水田三喜男(1905∼1976年)である。」(185頁)と鐙ずるが、佐藤栄作蔵相(岸内閣)時代の昭和35年3月までの我妻博士 と大蔵省の対立が決定的である。 is)m¥信久「不法行為法の織能・目的をめぐる近時の凝鎗について」『淡路剛久先生古稀祝賀社会の発展と権利の創造一民 法・環境法学の最前線』(有斐閣、2012年)355頁。 我妻桑博士の災害法制論−10 あった(「東海村の連中は全部反対すると思います」)。 その反面、我妻博士は、③制裁および④予防を必ず しも重要視していなかった(「原子力産業保護の観点 2005年に、「ここ〔目的規定〕では『被害者の保護』 から国家補償を考えた」)U>。 が基本でした。……後者から前者に比重が移ってい と『原子力事業の健全な発達』とが同格で記載され ています。欧米各国の原賠制度も当初はこの考え方 これに対して、大蔵省の国家補償反対論は、財政 る顕著な例として、ドイツでは、原賠法が改正され への配慮および他の産業との比較に基づいていた て、『健全な発達』が削除され、『被害者保護』だけ (「原子力だけで行けという時代でもない」)。これは、 になりました。またヨーロッパ地域の原子力損害賠 ①損害填補、②安心の点で問題を残すが、他産業と の関係でどこまで原子力産業保護をするべきか(③ 償条約であるパリ条約も今回の改正で『原子力開発 および④)という政策論が関連していた。結局、成 と述べる'7)。原賠法の目的規定も自明ではない。 立した原賠法は、両者の妥協になった。原子力事業 実は、我妻博士が原子力事業推進を主張していた 際に、事業者に対しての規制の有効性を前提として 者の賠償責任は限定されず、賠侭額が措置額を超え る場合は、国家の援助があり得るが、援助は義務で はない。 が妨げられないために』の文言が落とされました。」 いた(「〔部会の……小柳注〕答申は、−その私企業 なるものが、組織の上でも、運営の上でも、収益の上 2011年の原子力損害賠償支援機構法附則6条は、 でも、強い国家的規制に服することを前提として、 「賠償法の改正等の抜本的な見直し」を要請してい −可能だと考える」)'8)。こうした我妻博士の前提 る。「見直し」に際して、我妻博士の見解を採用し て《事業者責任限定十国家補償》論を立法化すべき は、その後の原子力産業の展開において満たされた であろうか'5)? に対する国家による規制の困難さを示したとも考え これに関し、平成23C2011年]7月29日付日本弁 かの検証も必要であり、福島事故は、原子力事業者 られる。 護士会連合会会長声明は、「原子力事業者の無限責 巨大な危険を内包した原子力発電の法的位置づけ 任原則を変更」することは「原子力事業者に対する については、多角的議論が必要である。原賠制度の 行き過ぎた優遇策」であるとして「断固反対」し 立法史の本格的解明は、議論の深化に有益であり、 ている(http://www・nichibenren.or・jp/activity/ 基礎法学も役割を果たしうる。 document/statement/year/2011/110729.htal)。また、 〔本稿作成について、科研費基盤“認叩18を得た。〕 星野英一教授が、事業者の責任制限について、後 年、「若干変わって」、「よくよく慎重でなければな らない」と述べた点も参考になる'6)。その理由は、 (こやなぎ・しゅんいちろう濁協大学教授) ひとつは国民感情、もうひとつは、他の産業とのバ ランスであった。後者は、大蔵省や日弁連会長声明 と重なるところがある。 事業者責任限定論の一つの根拠は、原賠法が被害 者の保護と共に原子力事業の健全な発達を目的とす ることである(1条)。しかし、下山俊次氏は、 14)我妻博士は、それ以外に、無過失損害賠償法理との関連を時に応じ主弧している。この場合、率業者の過失があったときはど うかの問題が生ずる。なお、よく知られるように、我妻博士の不法行為法指導原理は、「法律の指導原理が個人の自由を保障する ことをもって最高の理想となさず、社会協同生活の全体的向上をもって理想となすに及んでは、不法行為は社会に生ずる損害の公 平妥当なる負担分配を図る制度と考へられるやうになる。」であった((我妻柴『事務管理・不当利得・不法行為』(日本評鰭社、 1937年)95頁、なお、潮見佳男『不法行為法It第2版〕』(信山社、2009年)14頁))。これと原賠制度との関係が問題になる。① この指導原理(「社会に生ずる摂害の公平妥当なる負担分配」)は、無過失責任に親和的である。②保険など貿任の社会化にも適合 的である。③しかし、原賠制度では保険の役割が限られた。④そこで国家補償瞳が登場し、この指導原理と国家補償との関連が問 題になる。⑤この点、我妻博士自身が「それは結局政策の問題だという感じがする。単なる私法理鎗を出ている。」と述べ、金 沢・前掲注6)麓文も、同指導原理を出発点としつつ「それ〔原賠制度の国家補償〕は、もはや、市民法的秩序の内部での具体的 公平の達成ではなくて、いわば、経済法的・政策的な意味でのその修正である。」と蛤じた(803頁)。この指導原理は、簡単には 国家補償を根拠づけ得なかった。⑥政策麓では、他産業との比較の問題が登場し、大蔵省の反対鰭も有力になった。 15)瀞昭裕=竹内純子「原子力損害賠償法の特色と課題:賠償スキームを含めた『安全・安心』を確立する」日本原子力学会麓 2012年6月号40頁は、我妻櫛想の方向を支持する。 16)星野英一「原子力災害補償」同『民法麓集3巻』(有斐閣、1986年)440頁の「後妃」。なお、一定の率業者負担付きの資任制限 は容認する。 17)下山俊次「原子力損害賠償制度の現状と課題」21世紀フォーラム100号(2005年)73頁。 18)我妻柴=鈴木竹雄ほか「原子力災害補償をめぐって(座談会)」ジュリ236号(1961年)19頁〔我妻楽発言〕。 106−法律時報85巻3号
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