月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 平成 24年 年 間 行 事 年始祈祷 1~3 日・開山忌 31 日 立春護摩祈祷 5日 彼岸法要 花祭り 8 日 開山会 18 日 火焔塚見学 施餓鬼法要 盂蘭盆 13~15 日 彼岸法要 参拝旅行(20~22 日) 徒弟会・親睦会 1 年の結願・越年開運祈願会 31 日 『お経2』 先月の続きです。最初に唱える「開経偈」のお話をしたいと思います。 開経偈は、お経を唱える最初にあげます。読んで字のごとくお経を開く為 の経文です。寺院によっては略されることもありますが、ほとんどの宗派で 唱えられるものです。 無上甚深徴妙法 百千万却難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義 「無上甚深徴妙の法は、百千万却にも遭遇うこと難し、我れ今見聞し受 持することを得たり、願くは如来の真実の義を解せん。」と和文読みにな ります。 簡単な説明をしますと、「無上甚深徴妙法」というのは、徴妙不可思議 の功徳という大きく言葉では言い表わせない力を有する教法のこと。 「百千万却難遭遇」というのは、却とは梵語で、インドの時間の単位をあ らわします。一却は、私達の経験的知識で想像できないほどの長い年 月のことです。最も優れた教法に遭遇することが難しく、悟りというものは 教法を真剣に味得さえすれば、そこに自らひらけて来るものです。然るに 多くの人々はかかる教法があってもその教法に無関心で見ようともしないことは、教法に遭うことができないのと同じこ とです。教法に遭うことできないということは一面からいえば、こちらにそれだけの信心の心構えがないために教法を他 から与えられながらも相方の因縁が合致しない、即ちよく遭遇しないからです。 「我今見聞得受持」というのは、悟ることの難しさよりも、この法に遭うことのほうが難しいということを知るということで す。 「願解如来真実義」というのは、経典の中に説かれている自らを悟り、他人を利益する仏(如来)の真精神を心から 理解する義。 お経の内容を理解してお唱え下さいと言うことではなく、何気なく唱えている文はすべてこのような解釈や意味があると いうことです。一言一句が意味する事なのです。 =お陰を感じるのは日々の中にあり、報恩は時間を限らない行動です。行動はその人の印となるでしょう。= ~大宝乃瀧 会光山 炫浄院 宝得寺~
© Copyright 2024 Paperzz