日本とカザフスタンの教育文化の違い

日本とカザフスタンの教育文化の違い
K. U.
カザフスタン
教養学部 文3類
要旨:
論文の目的は教育を例としてカザフスタンと日本の文化の違いをみつけることである。私は
外国人として見た、また経験した、びっくりした、うらやましいと思ったことに基づいて(公務上
のデータとともに)論文を書いた。教育の違いは次の三つの点から見られている。それは教え方の
違い、教育構造の違いと教師の地位である。
キーワード:
塾、教師の地位、覚えさせることより理解すること、学力評価、余暇
1.はじめに
グローバル化が進んでいく現在では、多くのまだ残っている問題の主な原因は文化の違いだ
と思われる。最近、世界中の学校では皆だいたい同じ一般的な知識を受けるのに、どうしても国に
よって人々の考え方は違うだろう。その原因の一つは教え方の違いだと思われる。
アジア諸国の間は日本の教育特に初等中等学校の教育が高い評価されるが、世界中では高等
教育がちまたのうわさになってしまった。枝分かれ過ぎた大学のネットは教育質を弱くするとよく
言われる。学生が勉強している振りをし、教師が教える振りをする。雇用する時注目されるのは威
信大学の卒業証書である。
私は母国のカザフスタンと日本の教育の文化的な違いについて話したい。
まず、考慮に入れなければいけないことがある。それは、カザフスタンが旧ソ連の国の一つ
なので、教育文化がロシアの影響を受けたことである。そこでロシアの教育に関する資料を使うこ
とにした。
2.学年が始まる日の違い
教育文化の違いについていうと、まず第一に挙げられる例は学年の始まる日が母国では9月
1日、日本では4月1日だということである。カザフスタンで(日本でも同じ)4月1日はエイプ
リールフール(冗談)の日である。
3.社会と教育
日本の教育文化は伝統や社会の状況に結びついている。人口の7割が経済的な中流である日
本では、人と競争させることが子供の教育である。日本の子供が小さい時から勉強を始め、まず良
い学校に入るためや大学に入学できるため、あとは良い会社に就職できるため勉強を続けている。
終身雇用システムでは一度良い会社に入れば、後はあまり心配しなくてもいいわけである。普通、
会社は有名な大学の卒業生を雇用する。雇用会社は卒業者を tabula rasa(文字の書いてない書き
板)として受け取っている。そのため商業会社、取引所、銀行では文学部や法学部を卒業した人が
働いていることが広く普及している。カザフスタンでも会社に就職する時に卒業した大学の名前に
注意を向けることが珍しくない。しかし、もっと注意されるのは大学での成績である。
そして、母国で終身雇用システムがないから会社に入っても首になることもある。
4.塾
もう一つの大きく違うのはカザフスタンには塾がないことである。家庭教師というものがい
るが、それは普通学校で成績不良の学生のためである。日本では威信で、有名な学校にも拘らず、
ほとんどの学生が塾へ通っている。そして、塾は小学校で始めて、高校までずっと通う。カザフス
タンで病気で休んだ学生は授業の遅れを取り戻したら、家庭教師のレッスンを中止する。
そして、私が大変びっくりしたのは塾で使っている教科書が学校の教科書とまったく同じで、教
えることも学校と同じであるということである。それでは学校の教えるシステムの質を疑うように
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なってしまう。そんな良い学校なのに、教え方が悪くて、塾に行くほかないという気持ちになる。
母国で家庭教師は、学校の教科書に限らず、他の本を使って教えるのである。
5.教え方の違い
また、母国の教師の教え方の目的は生徒が教材を理解するようになることである。日本の場
合それは理解するより覚えさせることが大事である。日本で試験の時、暗記しなければならないこ
とは、天皇の名前や革命の先導者や歴史的事件の年号などである。しかし、その歴史的な事件につ
いて自分の意見を述べる能力は全く優先されず、そのようなことが書けても、年号が書けなければ、
試験に不合格になる。
6.学生の自由時間
後は朝から昼まで学校で、昼から晩まで塾で日本人の子供はあまり遊ぶ時間がないらしい。
カザフスタンの学生が授業の後、外で遊ぶのは普通のことである。
塾以外は予備校というものもある。それは大学の入学試験のための教育をする学校である。
カザフスタンでもそのような予備校があるが、予備校へ行かなくても有名な大学に入学できる学生
もいる。
7.日本の大学の短所と長所
大学にも問題がある。それは全然勉強したくない学生だ。理由は小学校から一生懸命勉強し
て有名な大学に入って、良い仕事が必ず見つかるから、その4年間が休みだと感じる学生が多いの
である。1995年に行われた社会的な調査によると、多くの学生が授業に消極的で、勉強の目的
を持っていない、また、東京大学に行われた調査によって東大の学生の37パーセントが授業の内
容に不満を感じているそうである。同時に、名門大学は入学競争が激化するばかりだ。それは逆説
ようだと考えられる。入学前の全力の努力が無駄になるではないか。それには社会的、経済的、文
化的な理由がある。
第一に、高等学校の卒業生の95パーセントが高い知識を持っている。その証拠として日本
人の学生が国際学力コンクールで一位になることが多い。また、大学入学率が高いが、そのために
は、学校での成績が良くなければならない。日本の入学試験は出世の第一歩で、一番大事な段階で
あるから、多くの子供の目標は有名な大学に入学することに限っているのである。
第二に、日本の職業市場の移動性が弱く、終身雇用システムが圧倒的なので、大学生の勉強
の熱意を誰も期待していない。だから、大学生は会社で役に立たない科目を勉強するはずがない。
子供が勉強できるためたくさんお金を払っている両親も子供が大学を卒業することを知っていて、
大学の授業の内容に関してあまり興味を持っていない。
第三に、日本の会社で、能力より勤勉さが尊重されるという伝統的な考え方が強い。会社が
新入社員に仕事に必要な技能を教えるので、雇用者にとって具体的な知識より集団の中で良い関係
が作れる能力が必要である。
カザフスタンでももちろんあまり勉強しない大学生がいるが、退学させられる恐れが高い。
その上、終身雇用システムがない母国で雇用者が深い知識を要求している。
もう一つの教育文化の違うことは大学の科目の種類である。カザフスタンの大学ですべての
科目は文部省が決めた科目である。学部によって決められた科目とスケジュールは大学生に不便で
も仕方がない。日本の大学で興味を持つ科目を選べるのはとても良いと思う。そして自分で都合が
良い時間を考えスケジュールを作るのも便利である。しかし、両方のシステムにも長所もあれば短
所もある。文部省が決めるシステムでは学生が自分の興味がある科目以外の科目を履修したら、視
界が広がる。その一方、日本のように興味がある科目を選んだら、その分野の専門家になれる。
また日本では、一般科目と専門的な科目を分別することが大学の教え方の特徴である。初め
の2年間すべての学生は一般科目、すなわち、哲学や歴史や文化や外国語や将来の専門に関する講
義を聞いている。その時、学生は将来の専門がもっと詳しく分かるようになって、教師は学生の専
門の選択の正しさを確認して、学生の能力を確かめる。2年間が経ったら学生が専門や学部を変え
ることができるが、実際にそれは珍しい。学生が正式に大学で登録される期間は8年で、怠慢な学
生が退学させられることが全くない。
カザフスタンでは入学する時、専門を選んで、1年生から一般科目と共に専門的な科目を勉
強する。学生が専門を変えたい時に専門的な科目の試験を受けなければならない。そして、ある大
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学からほかの大学に移動することもある。しかし、日本と違って理由なしでたくさんの授業を休ん
で、試験に合格できない学生を退学させることがないとは言えない。
8.成績と学力評価
成績や学力評価について言うと、違うのは日本で授業に出席することが母国よりもっと重視
される。カザフスタンでは授業に欠席しても、試験で良い成績を得る学生が多い。また、試験の時
勉強したこと以外自分の感想や意見を述べることは尊重され、評価が高くなることもある。
9.教師の地位
教育文化の違いのもう一つの側面は歴史的と伝統的な違いである。日本の教育文化は儒教に
基づいて発展してきた。日本の教師は先生、つまり生活観や世界観を教える人である。ある意味で、
先生は命の恩人である。それに比べて、私の国では教師というのは、より単純な存在で、ただある
分野に関する知識の保持者である。
それから、日本の授業では教師が積極的で、生徒が消極的である。日本の学生にとって一番
良い教師とは知識が疑えない(写えてくれる知識の正しさに疑えない)、よく学生の態度をコント
ロールできるものである。私の国の学生にとって良い授業とは意外性のある、新しい試みやチャレ
ンジができる授業である。また、生徒が自分の意見を持ち、それを立証することが可能である。
そして、カザフスタンは、旧ソ連の国の一つなので、教育文化がロシアの影響を受けた。そ
のため、教育文化にはロシア人のアナキズムやいわゆる内的ニヒリズムが見られる。例えば、教師
が授業に遅れる場合、日本の学生は最後まで待っているが、カザフスタンの学生は15分で教室を
出ていってしまう。また、クラスの全員は授業をサボることもある。それはアナキズム主義的な異
議を表明する方法である。教育システム、教師の教え方などに対して不満を感じる学生は異議を申
し立てることが珍しいとは言えない。つまり、日本と違って、教師の意見と賛成できないと、学生
は自分の意見を直接に述べる。先生の権威に関して恐怖がない。
それで、そういったことからカザフスタンでは自分の観点を論証できる学生が尊重されてお
り、学生には自立性が育てられる。日本の社会では断然地にぬき出ることが批判されるから、日本
では授業で自分の意見を立証することはほとんどない。ある学生が他の学生より良い成果をあげた
ら、周りの人に悪く思われてしまう。例えば、カザフスタンでは試験の結果を公共に発表されるが、
日本では評価される学生だけに直接に言う。
10.学生生活
そして、学生生活のことも大事だと思われる。日本の大学生はいろいろな部活やサークルに
積極的に参加している。時々部活が勉強より優勢されることもある。それからいろいろなコンパや
飲み会に行く毎月の回数が少なくとも1-2回である。母国の学生生活は日本より消極的であり、
スポーツをする学生も少ない。一番人気がある遊び方はナイトクラブへ行くことや山、郊外での休
養である。
むすび
結論として言いたいことは日本とカザフスタンの教育文化が同じ点もあれば、全然違う点も
ある。どんな国においてもそのような違いが見られる。その違いは文化的な、歴史的な伝統的な側
面から生まれる。日本は歴史を見ると、大昔から他の世界の国々から離れていて、世界から隔離し
た時代もあった。そのせいで、外国人にとって日本人の考え方が分かりづらくて、日本の人々にと
って西洋風に適応することが難しい(外国で長い間住んだ日本人の考え方は普通の日本人よりちょ
っと違う)。だから国と国の間の関係をうまく行かせるために、経済、政治だけでなく、文化、教
育文化の違いも考慮に入れながら、関係を発展させていくことが必要なのである。例えば、留学生
を交換すること、日本である国々各の大使館が自分の国の文化と歴史にささげた祭りを行うこと、
文化的なセンターの公開することなどである。
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参考文献:
http://www.mifp.ru/pedagogika/io/2/Jap.htm
http://www.bolshe.ru/unit/18/books/6291/s/3
http://www.peo.ru/navigator/?articleId=405&print=1
http://apatity.fio.ru/projects/pr686/new_page_7.htm
http://eduworld.ru/referats/x26/x30235.html
http://aboutstudy.ru/cgi-bin/i-view.cgi?
http://www.japantoday.ru/books/biblioteka/Ovchinnikov/06.shtml
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