二 考古学の成果と地域

二 考古学の成果と地域
Ⅰ 想うことども
二八
新聞記事としてはさほど大きな扱いではなかったが、城崎郡竹野町の出持3号墳の出土品は注目すべき資料
だった。古墳時代の早い時期のものとしてはまれな大型碧玉製まが玉と鋳造鉄斧の名がある鉄製品。とりわけ、
後者はほぼ朝鮮半島製と推定でき、中国大陸・朝鮮半島と但馬の交渉関連資料がまたひとつ蓄積されたことに
なる。
近年、京都府峰山町の青龍三年鏡、豊岡市の方格規矩鏡、朝来郡山東町の飛禽鏡など「中国鏡」に注意が向
けられてきたが、竹野町の鉄製品も勝るとも劣らない直接資料として重要な意味をもっている。
鉄サビに覆われた塊は、学問的には鋳造により製作された斧状を呈する製品で、しばしば二個一対で出土す
る。朝鮮半島では先が二またになった木の柄に取り付けて使用するタビの名がある土掘具(クワ)らしい。但
馬では美方郡村岡町に次ぐ出土例となった。
但馬出土の朝鮮半島などから伝来の鉄製品は、いずれも豊岡市の弥生墳墓から出土した鉄製ヤリガンナ(工
具)・鉄製錬・鉄製大刀・鉄製小刀などが知られている。
以上のような鉄製品、出石郡出石町出土の五銖銭などが目につく渡来系文物だが、墓の造り方や地名に痕跡
をとどめるものもある。
彼の地との交流や交渉が、当地域独自になされたものか、北部九州あるいは近畿中枢部介在のもとでなされ
たのか、それはにわかには断じがたい問題や解決すべき課題を含んではいる。
しかし、日本列島外の文物をいち早く取り入れることのできる地理的環境が、豊岡市や北但馬の地の一つの
個性であることは確かだ。アメノヒボコ伝承や出石町袴狭の船団図も交流や交渉に関連する資料に挙げられよ
う。
近年の盛んな発掘調査は、但馬・丹後・丹波(三たん)の一部に、極めて類縁性の高い内容の弥生墓制の存
在を明らかにしてきた。主としてガラス小玉(ビーズ・首飾り)や刀・剣・ヤリガンナなど鉄製品の副葬、土
器を破砕して棺の周りや上にまく「破砕土器供献」という共通した儀礼の存在である。
地味ではあっても、こうした特異な弥生墓制は三たん地域の大きな特徴であり、近隣各地のそれらと比較検
討する中で、古墳誕生との関係や邪馬台国や初期ヤマト王権と地域のかかわりを明らかにしていくべきで、鏡
などの目立つ遺物のみで課題は解決できない。
かつて、但馬古代史研究の大先輩である故石田松蔵氏は、考古学の研究成果が今ほど蓄積していなかった早
い時期に「たん」の共通性に着目して、毛(後の上野・下野)や火(同肥前・肥後)、越(同越前・越後)な
どとともに丹のクニ(地方集団地域=石田氏)を想定した。この考えは、その後の考古学の研究成果が補強し
ているし、門脇禎二、森浩一先生も別の角度から深化発展させた考えを提起している。
「考古学上の発見や研究成果が地域に勇気を与える」と説くのは、敬愛する森浩一先生。評価や手法を誤ら
なければという前提は必要だが、地域と学問の関係を適切に表現した素晴らしい言葉だ。学問や行政の末端に
身を置く者として、今後も地域の特性を研究し、山陰とか裏日本とか呼ばれてきた地域の実相を解明し、「地
三 地域にあって
二九
(原題「考古学の成果と地域」)「論」『神戸新聞』 二〇〇二)
域に勇気を与え」たり、復権のための作業にかかわり続けたいと思う。