262.「白バラの君(きみ)」春日野八千代さん逝く 神戸新聞「正平調」2012.8.31. (傍線・タイトル:吉田祐起引用) 「白バラの君(きみ)」とは、実に言い得て妙である。立ち姿の品の良さから、その呼び名が生ま れたそうだ。洋風の白いバラは、ひとたび和服に身を包めばシャクヤクにも、ユリにも映った ◆ 先ごろ亡くなった春日野八千代さんは、宝塚歌劇の黄金時代を築いた大スターだった。初舞台 は戦前で、戦後も第1回公演から舞台に立った。立ち姿の美しさはもちろんだが、「よく通る透き 通った美声だった」という◆「君」と呼ばれたのは、男役として人気を博したからだ。もともとやせ て小さな女の子だったが、あえてその役を志願した。娘役よりもおおらかなイメージがあったか らと、生前に語っている。13歳のころに芽生えた 「二枚目」へのあこがれが、芸の道しるべとな った◆自分に厳しい人だった。男役の立ち居振る舞いを支えたのは、日本舞踊で磨いた、たお やかなしぐさではなかったか。「毎日稽古をしないと手が下がる」。その言葉通り、90歳を過ぎ てもなお背筋を伸ばして舞い続けた◆琵琶をつま弾いて歌う。そんな父親の薫陶を幼いころか ら受け、演技と歌や踊りが自分の中で一つの世界になっていた。それを歌劇の神髄として後輩 たちに身をもって示し続けた。完全燃焼の舞台人生だったに違いない◆神戸で生まれた花の生 涯が、最後の幕を下ろした。今ごろ夢を見ていることだろう。自身も大好きだったというバラに囲 まれ、安らかに暮らす夢を。 吉田祐起のコメント: 春日野八千代さんの格別なファンだったわけではありませんが、「90歳を過ぎてもなお背筋を 伸ばして舞い続けた」という言葉に感じるものがあります。 90歳といえば、通常、現役を退いた年代。人間国宝と呼ばれる方だったら、宿命的に「死ぬま で現役」を演じることも求められるかもしれません。でも、春日野八千代さんの場合は、そうでは なかったものの、90歳を過ぎてなお舞い続けられたことに強い感動を得ます。それだから90歳 以上も長生きされたとも言えるでしょう。逆に、そうしたハードは日常を強いておられなかったら、 まだまだ長生きされたのではないだろうか・・・という勝手な想いです。あのお歳でハード過ぎる と思える舞いであるからです。 かくいう私は、80歳を過ぎて、「義務的な行動」はすべて「おさらば」しています。マイペースでの こうしたデスクワークを毎日夜10数時間も継続しています。でも、好きなことを、好きな形で、好 きなだけ、といった毎日を送っていることから、肉体的な苦痛とか、ハードさといったものからは 全く無縁です。ま、そんな生き方がベストかどうかは別にして、「100歳以上を生き抜く」ことに確 たる目的を抱く現在の私だけに、「無理のない、マイペースの生活に甘んじている次第です。 「背筋を伸ばして」は春日野さんとの共通点です。 以下、グーグルで拾った故・春日野八千代さんの在りし日の写真です。合掌 (左)最後の舞台出演となった「宝塚舞踊会」での清元「浜行平」(2008年10月24日、宝塚大 劇場で) Back to 私が選んだインタネット情報集
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