広島経済大学キャリアアップ・プログラム・メールマガジン 第 68 号

広島経済大学キャリアアップ・プログラム・メールマガジン 第 68 号(2012.5.24 発行)
なお、本メールが不要な方は [email protected] までご連絡ください。
【目次】
・巻頭言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・広島経済大学 経済学部
スポーツ経営学科 教授 濱口 博行
・2 学期の CP・CS の受講者を募集します・・・・・・・・・・・・・事務係
・読者の皆様からのエッセーの投稿をお待ちしております・・事務係
・読者からの投稿 バックパッカー旅行記・・・・・・・・・・・・・・Packer Taka 様
『行けるだけ行ったらんかい!』の罰ゲームの旅連載 6 回目 ルアンパバーン街歩き
■巻頭言
広島経済大学 経済学部
スポーツ経営学科 教授 濱口 博行
CP 講師
1 学期『国際スポーツ・ビジネス論』
本当に、本当に驚いた話
今をさかのぼること約 17 年前。1995 年 10 月。カメルーン共和国の首都ヤウンデにアフリカサッカー連盟会長のイサ・ハヤトゥ
氏を訪問した時の出来事である。
その当時、僕は 2002 年 FIFA ワールドカップの日本招致活動のために世界中を飛び回っていて、様々な思いがけない出来
事に遭遇したが、この時のヤウンデでの一件は最も印象に残る出来事であった。
招致委員会のデリゲーションメンバーは当時の JFA 会長長沼健氏をリーダーとして衆議院委員の葉梨信行氏、参議院委員の
釜本邦茂氏を含む総勢 8 名。
その当時は、アフリカ各国はまだ経済的に低迷しており、我々が訪問するヤウンデの街もご多分に漏れずあまり開発が進んで
いなかった。
目立つ近代的な建築物と言えば、大統領官邸、スタジアム、それにヒルトンホテルくらいであった。そのようなヤウンデではあっ
たが、既に日本の大使館は開設され様々な活動をしていた。
当時の在カメルーン沢田大使の話では、カメルーンにいる日本人の総数は、大使館員及びその家族を入れても 30 名弱とのこ
と。そのような状況であるから、カメルーンを訪れる日本人は大変少なかったようである。従って、我々のヤウンデ訪問は大使
をはじめ大使館員にとっても大歓迎の出来事だった。
その一番の理由は釜本議員の存在である。というのも、大使館員の中に熱狂的なサッカーファンがいたからである。
滞在中の二晩の夕食はいずれも大使のお宅でご馳走になった。そこでは当時カメルーン全土に流行していたマラリアのことも
忘れ、釜本議員や長沼会長、村田忠男氏を囲んでサッカー談義に花を咲かせた。
素晴らしい時間を共に過ごし、二晩とも夜遅くまで大いに寛いだ。
三日目の午後、僕はヤウンデのヒルトンホテルを出発し、空港へ向かう車中にいた。
僕の車にはカメルーン人の運転手とフランス語通訳の臼井久代さんがいた。
突然運転手が笑顔で臼井さんに話しかけた。(フランス語)
僕は運転手が何を言っているのか分からなかったが、臼井さんが通訳をしてくれた。
なんでも、彼は僕たちがいなくなるのでとても嬉しい!とのこと。
その言葉は意外だった。寂しいとか悲しいとかお世辞の言葉でも使うはずでは?
全く予想外の反応であった。「ウソだろ、この男何を言ってるんだ!!」
臼井さんの言葉が続く。
この運転手は、夕食後僕たちをホテルへ送り、その後車庫へ行き、そして帰宅の途に就く。それからが実は大変だったのだ。
車庫から彼の家まで 10 数キロ。公共の交通機関がほとんどない街で、彼は毎晩明りの全くない夜道を走って帰ったとのこと。
途中で強盗に出会う可能性もあり、まさに命がけだったようである。そして朝一番のスケジュールに合わせ、暗いうちに家を出
る。
従ってこの二日間、ほとんど寝ていない。今日は三日ぶりにようやく眠れる。命がけで明りの全くない夜道を走る必要もない。
彼の顔はとても明るく輝いていた。
僕はこの話にいたく感動した。そして、持っていたカメルーン紙幣を渡すと彼の顔はより一層輝きを増した。
この話がきっかけとなって、もう一つの謎が解けた。
「そうか、ヤウンデの街には公共の交通機関はほとんどないのだ!」
この謎はヤウンデに到着以来抱いていたものである。
色とりどりの美しい民族衣装を身に纏った人々の、果てしなく延々と続く行列を朝夕眺めていた。これは何かの祭りに違いない
と思っていた。ところが、これが朝夕の通勤ラッシュなのであった。人々は近郷・近在の村々からヤウンデに徒歩で通っていた
のである。
運転手もそうであったが、通勤ラッシュ時の長い行列の人々の顔も底抜けに明るかった。
それが大変印象的である。
この出来事以降、カメルーン共和国には行っていないので現在の状況はわからない。
他のアフリカ諸国の状況から推測するに、経済的に成長し当時と比べて格段の変化を遂げているに違いないと思う。
ただし、人々の魅力的な笑顔はいつまでも続いてほしいと切に願うばかりである。
■2 学期のキャリアアップ・プログラム(CP)・カルチャー講座(CS)の受講者を募集します
2 学期の CP は 10 月 15 日月曜日から 11 月 22 日金曜日まで、各曜日で講義数が 10 科目あります。
講義内容は財務・経理・営業・企画・人事・経営管理・広報、そして今年新規の起業論など幅広く、あらゆる部署でご活躍され
ている皆様方のスキルアップのお手伝いをさせて頂ければ幸いです。
【2 学期 キャリアアップ・プログラム(CP)】
http://www.hue.ac.jp/lecture/careerup/2012_2term.html
財務経理金融部門などでは…財務諸表の基礎(ベーシック科目)
国際金融の基礎(ベーシック科目)
コーポレートファイナンスの基礎(ベーシック科目)
企画営業広報部門などでは…ゲーム理論演習(ステップアップ科目)
英語によるビジネスプレゼンテーション(ステップアップ科目)
確率・統計入門(エントリー科目)
経営管理論の基礎(ベーシック科目)
企業広報の基礎(ベーシック科目)
起業論の基礎(ベーシック科目)
マーケティングの基礎(ベーシック科目)
【2 学期 カルチャー講座(CS)】
http://www.hue.ac.jp/lecture/culture/culture_2.html
CS は 11 月 7 日水曜日から 12 月 12 日水曜日の計 6 回連続で講義があります。2 学期のテーマは『江戸・明治期の広島』
です。
サブテーマは「日本史の歴史教科書には載っていない、地元広島の歴史を知りたいあなたのために」を行います。最少開講
人数 5 名ですが、すでに最少開講人数は達しておりますので開講は決まっています。
地元の歴史にご興味のある方は定員 20 名で定員になり次第締め切りますので、お早めにお申込みされるようお薦めしま
す。
【CP/CS チラシ】
ご希望の方にはチラシを送付いたしますので、下記のアドレスに郵便番号、住所(マンションは部屋番号も)、氏名をご連絡く
ださい。
[email protected]
■読者の皆様からのエッセーの投稿をお待ちしております
皆様からのエッセーを募集しています。日常の出来事、つぶやき何でも構いません。また匿名やペンネームで結構ですので
ご投稿をお願いいたします。(個人情報の取り扱いは十分配慮いたします)
今回はエッセーのご投稿がありませんでしたので、長文の旅行記の投稿がございましたので何回かに分けて連載させていた
だきますが、エッセーのご投稿がございましたら、そちらを優先させていただきますので、その事もご了承ください。
【エッセーご寄稿頂ける方は】
どなたでも結構ですので寄稿頂ける方は [email protected] または 082-871-9345 までご連絡ください。掲載の日程を
ご連絡いたします。
■読者からの投稿
バックパッカー旅行記
連載 6 回目
『行けるまで行ったらんかい!』の罰ゲームの旅
文章:Packer Taka
【ルアンパバーン街歩き】
朝 6 時に目覚ましが鳴ったが起きなかった。ルアンパバーンの名物、僧侶の托鉢を見たいとは思ったが、最近観光客のマナ
ーの悪さで托鉢する僧侶に対し、非常識的な態度で見学をする観光客がいると地球の歩き方(以下 “本” )に書いてあったの
でやめることにした。彼ら僧侶は修行で托鉢をしているのに、観光客から写真をカシャ、カシャ撮られるのはワシでも嫌だと思
ったからだ。
7 時前に起きてゲストハウス(以下“GH”)の外に出てみた。昨日の晩書いた絵葉書を出そうと思ったが、郵便局は 8 時から
なのでブラブラ歩いていると朝市に着いた。
朝市は、地元の人達の台所ということでラオスの人達もタイの人達と同じように外でおかずやご飯を買い、それらをビニール
袋やクマ笹の葉で包んでもらい家に持って帰り食べるようだ。肉や魚は日本では考えられない冷蔵施設の無い、常温の戸板
の上で売っている。少々ビックリしたのは朝、魚を獲ってきたのか、タライの中では酸素を送られて(想定外の機械)沢山の活き
の良い魚が苦しそうに動き回っていた。
郵便局では切手 1 枚 9,000 キープ(日本円で 90 円位)、10 枚で 90,000 キープなので、また両替しなければならない。両替
して切手を買い、ポストへ投函した。
朝食を済ませ郵便局で絵葉書を投函し GH に戻った。10 時のチェックアウトをするまで部屋で時間をつぶしたが、ビエンチャ
ン行きのバスの出発まで 12 時間もある。ルアンパバーンに着いた時には暗かったので街の様子がよく分からなかったから、
今日ルアンパバーンの街を一日かけて色々観光をして歩こうと思ったが、本を読んでも世界遺産の街と言っても興味を惹かれ
る見物場所もない(寺院ばかり)ので、バスで早朝、ラオスの首都ビエンチャンへ移動すればよかったと思った。
10 時 30 分 GH をチェックアウトして大きなリュックだけ GH に預け、今後の計画を立てるため日本語が通じる旅行会社に行
ってみようと思った。午前中は意外と肌寒いので薄手のパーカーを着て歩く。ルアンパバーンのインフォメーションにも立ち寄り
地図や観光案内書を探したが何も無かった。
旅行会社へ迷わず行けるかどうか不安だったが、その地域へはすんなり行けた。そんなに遠くは無かったからだ。しかし、旅
行会社は見当たらない。本には確かに良い情報は載っているが、すでに時遅し…もある。当然だ。昨日食事した店が今日行っ
てもつぶれていたと言うのが現実だから。時計を見ると 11 時 10 分。時間を潰さねばと街をゆっくり大きく歩くことにした。半島
みたいなルアンパバーンを東西に歩いた。それでも 12 時 30 分だ。どこかで昼食をと思ったが、あまり腹も減っていなかったの
で、昨日行った GH の近くの食料品店に行って Beer Lao を 1 本買って店のテーブルで飲んでいる。今日は食料品店のオカミ
さんはコップも提供してくれた。やはりラッパ飲みよりコップで飲んだ方が美味い。もう 1 本飲もうか悩んでいるが…昨日食べす
ぎで胃がもたれていて、しばらくアルコールは飲まないぞ!と思っていたにも関わらず、2 本目を飲もうとしている。食べ物とア
ルコールにはいやしいワシだ!結局 2 本飲んだ。
店の前に座って道路に行きかう自動車を見ていると韓国のヒュンダイが多くみられるが、デザインはアメリカっぽくて良いのだ
が、エンジンの音を伺うとカラカラと音がし
て品が無い。時々トヨタの車が通るが音
は静かで何故か品が良い。さすが日本が
誇る車だ。
散歩してわかったことだが、ネパールほ
ど汚くはないが、このラオスもゴミがよく捨
てられている。どうしたらこの環境を無く
せるのか?と言うことを考えながら歩いて
いたら、以前にもネパール旅行記にも書
いたが教育しかないね。家庭や学校、地域で『常にきれいにしましょう』と Clean Up を心がけると違うのではないだろうか。
誰かが捨ててあるごみを見て『汚い』と感じ、『きれいにしなくちゃ』と思い、一人立ち、二人立ち上がらないとその国の明日は
無い。最近では日本も他の国の事を言えない。道端にしゃがみ込んでファーストフードや缶コーヒー、ジュースを飲食したあげ
く、そのまま放っている若者が多くいる。いつも思うが、『お前の出したゴミを誰が拾って捨てるのか?』と言いたい。そんな奴ら
は、誰かが捨てたゴミを拾って来いと言っても『俺が捨てたんじゃない』と怒るだろう。しかし、何処かでアンタ等の捨てた(放っ
た)ゴミは誰かが処理しているのだ!と何処の猫だか知らないが、そのラオスの猫を相手に 1 人でブツブツ言いながら食料品
店前の椅子に座っている不良日本人中年であった。
今回の旅行に出る前に Tough で Dirty な旅を不安視しているワシに対し、女房が出発前に『山登りの達成感みたいに、旅行
で色んな交通手段や飛び込みで GH に泊まり、また人との触れ合いができてその達成感があるからバックパッカーに行くんじ
ゃと思うとったわ。』と言ってたが本当に人との触れ合いは好きなのだ。しかし、旅はその一度会ったきりで、次にそのであった
人と会うことがほとんど無いのが残念じゃけど、言葉も通じず、身振り手振りで何とか少しでも意味が通じ(?)、また時には大
いに違っていることもあるかも知れんけど、そんなコミュニケーション方法が大好きじゃけぇ、Tough で Dirty な Backpacker
はワシとしては好きじゃないけど止められないんじゃないかなぁ。
ワシの Backpacker は観光を目的に来たんじゃない。より多くの人と触れ合うことがワシの旅行なんじゃ!と言いながらラオ
スの猫に語りかけているのであった。
話は変わるけど、GH にあるパソコンを借りて色々インターネットやったんじゃけど、日本語入力ができんので使えない。以
前、ローマ字で入力して職場の★さんにメールしたら「英語が出来るんですね!」と感心されたが、「ありゃ、ローマ字で送った
んで!」と言うと、ビックリというかガッカリしていた…。ノート PC かスマートフォンは今や旅行では絶対欠かせないアイテムだ。
特に個人旅行では今居る場所の情報、移動しようとする場所の情報をインターネットで収集するということは常識で、ほとんど
の GH では Wi-Fi Free など設備を売りにしている GH が多かった。
飛行機で隣の人が Apple の Air という PC 持っていたけど、薄くてカッコよかったなぁ~。PC を持った人をあんなにカッコイイ
と思ったことはなかったが、その人の Status symbol なのだろうか?いやぁ~オーバーな表現かもしれないが芸術品だ。
今、18 時 40 分。17 時から何もすることが無く、GH で待たせてもらっているが時間が経たない。GH に書いてあるホワイトボ
ードによると、バスに乗っている時間は 9 時間。ルアンパバーンを午後9時出発でビエンチャンの到着は朝の 6 時だ。
今はもうチェックアウトをしているのでシャワーを浴びることもできない。明日はビエンチャンで次の目的地であるベトナムのフ
エまでどのように行けばよいか GH の人にベトナムの
行き方を聞こうと思う。
19 時 20 分。GH にトゥクトゥク(バイクに荷台を付けた
乗り物)が迎えに来た。GH の人と運転手とで料金でも
め て い る 。 GH か ら バ ス タ ー ミ ナ ル ま で の ワ シ の
Pickup 料金で GH 側は 10,000 キープしか払えないと
言う、しかし運転手は 15,000 キープじゃないと行かな
いと主張。そのうち GH の人がワシに、『あと 5,000 キー
プ支払ってくれ』と言ってきた。『冗談じゃない!俺はす
でに支払ったのだから知らない。』と領収書を見せて文
句を言ってやった。当然広島弁で身振り手振り…だが。
諦めて運転手に 5,000 キープを支払うのかと思った
ら、10,000 キープで行ってくれと頼みこんでいた。その
後は言うまでもなく日本でも同じように運転手の機嫌が
悪い。途中までトゥクトゥクはスイスイ通行していたのだ
が、19 時ごろから打ち上げ花火が上がっており、何の
お祭りか、すごく人が多くなり道は渋滞して、ますます運
転手の機嫌が悪くなった。30 分ほどで町はずれのバスターミナルへ着いたときに、ワシは運転手に最高の笑顔で『Thank
you!ありがとう!』と言ってやったら、運転手も顔を引きつりながら笑い返して『GH にも困ったもんだ』と言う顔をした。
ビエンチャン行きのバスはすぐ見つかり、チケットを見せると『このバスだ』と言うので『何時にバスに乗れるのか?』と聞くと『8
時 30 分だ』と言った。
バスに乗り込むと中は縦 3 列になっていて Sleeping Bus だ。左窓側 A・中央部 B・右窓側 C になっていて、ワシは B-3 だか
ら真ん中の列だ。B-3 と言っても上下 2 段になってい
て、すでに下の席に誰か座っていたので上の席になっ
た。
空調機の排出入口が真上にあり嫌な予感…。薄手の
パーカーにダウンジャケットを着て座った(横になった)。
チケットには夕食付となっていたが、目の前にはミネラ
ルウオーターと SoyJoy のようなものが置かれていたの
で『これが夕食?』と思っていたら、出発する前におしぼ
りを配ってくれ、その後、弁当を配ってくれた。サービス
は良いと思うが、バスが走り出すとラオスの歌が大きな
ボリュームでスピーカーから流れっぱなしでうるさく寝ら
れず閉口した。
真ん中の列の席、特に上の席は左右の揺れが大きく、前後左右に揺れるので両足と両手でベッドの端を踏ん張って抑えな
ければならず、首も左右にゴロゴロ動くので力を入れていたせいか、首が痛くなった。途中、空気枕を膨らまし首の動きを止め
て寝た。
この日は夜にシャワーを浴びていないので、ビエンチャンに着いたら 1 泊しようと思いながらウトウトしていたが何十回も目が
覚めた。目が覚めるたびに『ここは何処じゃ~?』と一瞬でもバスでビエンチャンに移動していると言う記憶が無いのが不思議
だった。朝 6 時 30 分頃ビエンチャンに着いた。バスターミナルに着く前には冷たいおしぼりが配られた。この罰ゲームの旅が終
わって思えば、このバスが綺麗で最高にサービスの良いバスだった…。
ルアンパバーンからビエンチャンまでの長距離ナイトバス移動距離 約 366km
次に続く…
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