簡易自動診断システムの普及に向けたビジネスの

IT ヘルスケア
第 4 巻 1 号,May 24, 2009 : 97-100
B-14
簡易自動診断システムの普及に向けたビジネスの失敗経験か
ら:我々に不足していたものは何だったのか?
高田英明
a)
野川裕記
b)
a)キ ュ ア ボ ッ ト ( 株 ) 元 取 締 役
b)東 京 医 科 歯 科 大 学 情 報 医 科 学 セ ン タ ー
要約
我々は、インターネット経由で利用可能な自動診断システムを構築した。このシステ
ムは、ユーザーに簡単な質問を行い、その回答を受け取ることで、ユーザーが罹患し
ている可能性が高い疾患名を、かなりの正確さで推定することができる。そして、わ
れわれは、それを多くの人に利用してもらうべく、このシステムを利用したビジネ ス
展開を試みた。われわれの構想したビジネスは、以下のようなものであった。
1、この自動診断システムをインターネット上に公開し、ウェブサイトにアクセスし
たユーザーが無料で利用できるようにする。
2、このウェブサイトにスポンサー企業の広告を掲載し、我々は広告掲載料を受け取
ることで収益をあげる。
3、我々のサイトに掲載される広告は、特定の症状や疾患に悩んでいる人にターゲッ
トを絞ってメッセージを送ることができるため、我々は、広告掲載料を高めに設定で
きると考えた。
しかし、実際には、システムの安定運用は困難となり、ま た、スポンサー探しも難航
し た 。そ の た め 、我 々 は 、利 益 を 上 げ る こ と な く ビ ジ ネ ス を あ き ら め る こ と と な っ た 。
なぜ、うまくいかなかったのか?我々の失敗について検討するとともに、この種の自
動診断システムを利用したビジネスの将来の展望について、論じたい。
はじめに
能性の高い疾患を列挙し、さらに、その疾患を絞り
1、我々の技術
込むために、ユーザーに質問を行う。ユーザーがそ
前年の IT ヘルスケア学会で報告した通り、
我々は、
の質問に回答すると、システムは、その質問の結果
インターネット経由で利用可能な自動診断システム
を利用して、
可能性の高い疾患を絞り込む。そして、
を構築した 1,2)。このシステムはナイーブベイズア
さらに、その疾患を絞り込むためにユーザーに質問
ルゴリズムに基づいて動作するものであり、ユーザ
を行う。この「質問」–「疾患の絞り込み」のプロセ
ーに簡単な質問を行い、
その回答を受け取ることで、
スは、問診のみではこれ以上の疾患絞り込みができ
ユーザーが罹患している可能性が高い疾患名を推定
なくなるまで繰り返される。
するものである。また、このシステムは、ユーザー
ユーザーが利用した後、システムは、ユーザーに対
の返答に従って学習し、さらに正確な診断ができる
して、医師の診察を受けるように促すメッセージを
ように成長していくことができる。
表示し、また、ユーザーが利用した1週間後に、シ
システムを利用する際、ユーザーは、まず、自身の
ステムは、ユーザーに対して電子メールを送り、利
年齢、性別、最も困っている症状一つ(80種類か
用後に医師の診察を受けたかどうか、もし、診察を
ら選択)を入力しなくてはならない。この入力を受
受けたならば、どのような診断をされたかを質問す
け取ると、システムは、ユーザーの罹患している可
る。この質問への回答を教師信号として、システム
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は、より正確な診断ができるように学習していくこ
とができる。
スタート後の推移の概略
我々のこのシステムに医師国家試験の問題を与えた
我々は、いくつかの理由から、見込み客(広告主)
ところ、その正答率は、十分に合格ラインを超える
を見つける前に、
起業することを迫られ、そのため、
ものであった 2)。
起業後に、見込み客を捜して泥縄的な営業をするこ
ととなった。
2、我々のビジネスモデル
営業を進めるにつれ、我々の技術が提供できるもの
我々は、このシステムに大変な自信を持っていたた
と、広告スポンサーが求めるもの微妙なずれが明ら
め、このシステムを多くのユーザーに使ってもらう
かになってきた。
ビジネスを試みた。
それでも、我々は、自分たちの技術は優れているの
我々が、当初考えたビジネスモデルは、以下のよう
だから、必ず客が見つかるはずと考えており、シス
なものである。
テムにスポンサーの求める変更を行うことを拒否し
1、このシステムをインターネット上に公開し、ウ
つづけた。
ェブサイトにアクセスしたユーザーが無料で
結果的に、我々は、利益を出せず、会社をたたむこ
利用できるようにする。
とになった。
2、このウェブサイトに広告を掲載し、我々は、広
スポンサーの不安、要求とのずれ
告掲載料を受け取ることで収益を得る。
3、我々のサイトに掲載される広告は、特定の疾患
我々の開発したシステムと、スポンサーの要望の間
や症状に悩んでいる人にターゲットを絞って
での食い違い、また、スポンサーが不安に思った点
メッセージを送ることができるため、我々は、
は、以下の通りである。
1ページビューあたりの広告掲載料を高めに
1、コンピュータが、まるで医師のように「診断」
設定できると考えた。
することに関して、法的な問題はないのか?
ほとんどのスポンサーは、我々のシステムを高く評
3、失敗
価してくれた。しかし、このシステムの動作が医師
しかし、我々は、ほとんど利益を上げることなく、
の行う「診断」のように見えることについて、法的
このビジネスをあきらめることになった。なぜ、ビ
な問題はないのかと懸念した。
ジネスがうまくいかなかったのか、反省するべき点
我々は、このシステムが疾患を列挙するのは、あく
はいくつも考えられる。
まで質問の結果からの推定であり、医師の行う「診
それらの反省点の一部は、我々と同様に、ウェブを
断」とは異なると説明したが、完全に納得はしても
使って医療情報、健康情報を提供するビジネスを行
らえなかった。このことは、スポンサーにとっては、
おうとするものたちにとって特に有益になるだろう
広告掲載を躊躇する理由となった。
と考える。
そこで、今回の発表では、これらの反省点のうち、
2、謝った結果を出したとき、法的な責任はないの
ウェブを経由して医療情報、健康情報を提供するビ
か?スポンサーのイメージダウンはないか?
ジネスに有益と思われるものを中心について、述べ
このシステムは、確率論に基づいて可能性の高い疾
たいと思う。また、我々が反省すべきこと、いたら
患を推定しているのであり、したがって、一定の確
なかったことについて、この発表をお聞きの方々が
率で、
「誤診」することがある。もしシステムが「誤
お気づきの点があれば、ぜひ、この機会に、ご指導、
診」したためにユーザーが不利益を被ったとしたら
ご教授いただきたいと思う。
法的な責任はどうなるのか、ということもスポンサ
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ーの不安材料となった。一応の免責事項はウェブに
門家の判断を補助するものとして、社会は受け入れ
掲示していたが、これが、どの程度有効なものなの
るであろう。
われわれは、
そのように確信している。
か、われわれにはよくわからなかった。仮に、これ
しかし、このささやかなビジネスの経験を通じて
らの掲示が有効であるとしても、
このシステムの
「誤
我々が学んだのは、この種のシステムを医療分野で
診」により、なんらかの被害が発生し、それが報道
受け入れてもらう際、少なくとも現時点では、注意
された場合、我々のみならずスポンサーのイメージ
すべきことがいくつかあるということである。
ダウンにもつながるのではないかと、スポンサーた
以下に、我々の学んだ教訓をいくつか述べる。
ちは不安がった。
1、スタート時点では、成長するシステムは避ける。
3、アプリケーションの成績は保証できるのか?
実績のない時点では、システムの成績を数字で保証
我々のシステムは、ユーザーからの情報を集めなが
できる必要がある。そのため、自動で学習するもの
ら学習し、さらに正確な推定ができるように成長し
より、成績が保証できるものの方が望ましい。自動
ていく機能を持っている。システムが自己成長する
で成長するシステムは、必然的に、いくつもの不確
という点について、我々は、自分たちのシステムの
定要素を含んでいる。
機能のうちで、最も自慢すべき特長と考えていた。
しかし、逆に、この点がスポンサーにとっての不安
2、高度な専門家の立場は避ける。
材料となった。
我々の試みたような、広告料をもらうビジネスモデ
システムが、外部から情報を集めて成長するという
ルを行うのであれば、高度な専門家が行っている判
ことは、システムの挙動を、我々が保証できないと
断をコンピュータが「代替」することは避けた方が
いうことにもつながるからである。
いいと考えられる。
たとえば、悪意のある多数のユーザーがシステム利
ヘルスケア分野では、様々な専門性の程度の仕事が
用後に受診した医師の診断と称して、故意に誤った
存在している。たとえば、高度先進医療を行う大規
診断を行ったとしたら、このシステムは、誤った知
模な病院と、無床診療所では、前者の方がより多く
識に基づいて成長することになる。こういった、シ
の異なる資格を持つ「専門家」が携わらなくてはな
ステムに対する「荒らし」行為をどのようにして防
らない。また、医療用医薬品の処方箋発行や調剤の
ぐのかについて、我々は、解決策を持っていなかっ
ほうが、OTC 薬の販売に比べて、
「専門性」が高く、
た。
そのため、いくつもの有資格者が関わる必要があり、
また、法的な規制も大きい。OTC 薬のなかでも、第
教訓、人工知能による医療情報提供ビジネスで特
1類医薬品の販売に比べて、
第3類医薬品の販売は、
に注意するべきこと
法的な規制も少なく、責任を持たなくてはならない
インターネットの普及と、
大規模なデータ記録装置、
職種も少なくなる。
高速なプロセッサが安価に入手できるようになった
専門家の代替を行うシステムを作る際、たとえば、
ことで、ネットから大量のデータを集めて、解析す
医師の「診断」に似た、疾患名の推定よりも、OTC
ることが可能になった。この結果、これまでは人間
薬や化粧品のリコメンデーションの方がビジネスの
の専門家でなくてはできなかった判断の一部を、コ
上では望ましい。
ンピュータソフトウェアが行うことが、少しずつ可
なぜならば、ビジネスの観点から言うと、システム
能になってきている。いずれ、遠くない将来、大量
の「判断」は、広告主の販売を促進するようでなく
のデータの解析によるソフトウェアの判断を、専門
てはならないのである。
家の判断に取って代わるものとして、もしくは、専
高度な多数の専門家が関わらなくてはいけない業務
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や商品ほど、スポンサー企業にとっては販売しにく
反省している点について書いておきたい。
い。
「○○病の疑いの強い人のための検査キット」な
それは、自分たちの技術にこだわって、ビジネスチ
どよりも、一般的な化粧品や健康食品の方が、販売
ャンスを逃してはいけないということである。
しやすいのである。
我々は、自分たちの開発したシステムに対して、絶
対的な自信を持っていた。そのため、我々のシステ
3、コンピュータが判断することは避ける。
ムをこのように変更すべきとアドバイスを受けた場
そもそも、その分野で、動的にコンピュータが判断
合にも、我々の独自の技術にこだわり、変更に否定
するという方法が、メリットがあるのか検討する必
的になった。こうした心理は、技術系の起業にはあ
要がある。コンピュータの判断を提供する動的なア
りがちなことと思われる。特に、我々の場合には、
プリケーションよりも、静的な人間の知識の静的な
ほとんど廃業以外に路がなくなるまで、ビジネスと
記載の提供の方がユーザーに安心感を与えることが
しての成功には、技術的にカッコいいものよりも、
ある。
売れるものが必要なのだという、当たり前のことを
素人にできない判断を、コンピュータが代わりにす
軽視しつづけてきたように思う。
るというのは、大変かっこいい技術的なチャレンジ
きちんと「日銭を稼ぐ」ことの重要性は、どれほど
だが、技術的に面白いというだけでビジネスとして
強調しても強調し過ぎということはないであろう。
成功する訳ではないことは、
考えておく必要がある。
まとめ、特に強調すべきこと
ここめで、いくつか我々が学んだことを提示してき
たが、最後に、我々が、今回の経験から、最も強く
参考文献
Takata Hideaki, Tanaka Hiroshi, Nogawa Hiroki, et al., Implementation of
Medical Diagnostic System Based on Epidemiological Data, Journal of Korean
Society of Medical Informatics, 13-2, 181-185, 2007.
1)
2) 高田英明、野川裕記、田中博、インターネット経由で集めた症例を利用した機械学習による診断シス
テム、ITヘルスケア、3-1、p62-65、2008
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