ならスポーツカレッジ 2013 講座名 ④文化としてのスポーツ 実施日 2013 年 7 月 19 日(金) 18 時 30 分~20 時 50 分 実施場所 帝塚山大学 16 号館 9F 16903 教室 ゲスト 高橋 豪仁 氏 (奈良教育大学教授) 参加者数 11 名 配布物 講座④プログラム・受講者名簿、アンケート用紙、講座レジュメ、参考資料(新聞記事) 【アイスブレイク】 『後出しじゃんけん』 子どもから大人まで楽しめるミニゲーム。 通常のじゃんけんではなく、親が手を出したのを見てから、その手に勝つように後から出すじゃんけん。 親は、徐々に手を出すスピードを速めていき、どこまでついてこれるかを競う。 【講座④ 文化としてのスポーツ】 体育・スポーツ =他の学問に比べ、低く見られ、知的でない。 息抜き、お遊びというイメージ。 体育教師 =知的なものから遠い存在。 ⇒スポーツを文化としてとらえ、文化としての価値を見出す。 『スポーツは世界共通の人類の文化』(スポーツ基本法[2011]より) スポーツとは?: 人間の必要で不可欠な真面目な事柄から、一時的に離れる。という意味。 遊戯性・組織性・競争性・身体性を兼ね備えている。(根幹にあるのは、遊戯性と身体性) 遊戯(play)の対概念は、 仕事・真面目であるが、スポーツとしての遊戯の対概念は、実生活。 ルールの明確性・絶対性によって、実生活から隔てられた活動をスポーツという。 ルールとは、ゲームというひとつの特別な世界の構造的枠組みを決定し、その世界に固有の秩序を与える。 ひとつの「世界」。 スポーツは遊び(ヨハン・ホイジンガ著の『ホモ・ルーデンス』より) 遊びを肯定的にとらえ、スポーツの根本には楽しさが必要。 頑張っている人間は、楽しんでいる人間にはかなわない。 遊戯の特徴:その世界に入り込むことで、最高度のまじめさに変わることが多々ある。 宗教的儀礼など、聖なるものとして捉えられることもある。 反復の可能性、秩序、美的領域、緊張の要素を含む。 遊戯の本質:「面白さ」「楽しみ」「歓び」⇒感動を生む力・人を夢中にさせる力を持っている。 人間の内部に存在するもの、人間を揺り動かすもの、生の源。 スポーツに関して、真面目な要素が濃くなってきており、遊戯的要素が喪失してきている。(現代文化の危機の一つ) 1 ならスポーツカレッジ 2013 ≪逆上がりができたので、鉄棒を辞めた子どもの逸話≫ ⇒どこに指導上の問題があったのか? タスクとしての逆上がり。スポーツ自体の魅力を感じることができなかった。 遊戯性の欠如。 能力・業績主義。出来ることを目標にし、そこに力点が集中。 スポーツの魅力 できることだけではない。挑戦し、工夫する楽しさをいかに見い出せるか。 ↑ スポーツの文化的特性 健康の維持増進、社会性の育成や社交、教育的手段 と言われているが、 運動自体を楽しみ、運動自体の歓びを味わうことができるという特性。 スポーツ手段論 スポーツすることで生じる効用によって価値を正当化する。 スポーツ目的論 スポーツの価値をスポーツ自身に内在するものとして捉える。 【意見交換】 ・経験のあるスポーツ種目を挙げ、スポーツ手段論およびスポーツ目的論の観点から、 そのスポーツ種目の存在意義・価値について、グループで話し合う。 ・全体での質疑応答。 【受講者の声(アンケートより一部抜粋)】 ・自由な意見交換があり、よかった。 ・少人数で深い議論ができて、今までで一番良かったと思います。 ・スポーツ心理学を専攻しているので、手段論的と目的論的という話から、外発的と内発的の動機付けの話を思い出しました。 動機づけの話では、動機の複合性を認め、共存するという考えがありますが、手段論的と目的論的も共存するのかなと思い ました。 ・論理的過ぎて難しかった。 ・スポーツの定義や意義について考えなおす時間になったが、こんがらがった。 ・抽象的すぎて理解できなかった。 ・言葉の意味解釈は難しい。 ・スポーツの手段は色々あるが、最終、目的は何かでおさまる様である。とにかく「楽しい」という気持ちは、文化的スポーツを 考える上で、必要だと感じた。 2
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